震災にも耐えた母校、 兵庫県立神戸高校の校舎問題については、 一昨年末、 部分保存という方向が示されました。 部分保存の手法が建築的に成功するのかということに不安は残るものの、 教育委員会の全面建替えからの方針転換として評価すべき状況といえます。
神戸高校の校舎は昭和13年にその前身である神戸一中が、 理想を英国のパブリックスクールに求め、 自重自治の城のイメージを表わして新築したものです。 中世南欧風城廓様式の校舎は六甲山脈を背景に地域の景観に溶け込み、 丘の上の姿は電車の窓からいつも眺められ、 卒業生にとってはその存在が自分のアイデンティティそのものでもありました。 しかし、 21世紀に向けてこれからの生徒のために「新しい機能を備えた素晴しい校舎」(?)に建て替えたほうが良い、 現校舎に固執するのは単なるノスタルジーであるというのが、 建替えを推進する一方の意見でもあったわけです。
校舎建替えの話が持ち上がったのは5〜6年前頃からですが、 「老朽化」がその大きな理由とされました。 確かにトイレなど設備の状態はひどいもので、 手入れのされてない校舎のきたなさは在学生にとっては耐え難いものだと充分に理解出来ました。 しかし問題になっている「老朽化」の要因は今の校舎のままでも改修が可能で、 将来要求される新しい機能についても全く問題なく対応できることは明らかでした。 その内容は「保存提案書」として、 学校側、 教育委員会、 県の営繕課などに提出しましたが、 震災前の県側の対応は既定方針通りで頑な状況でした。 神戸高校の校舎は鉄筋コンクリート造ですが、 戦前の良質な材料を使い丁寧に手をかけたもので、 残念ながら現在ではとても同質の建築を作ることは出来ません。 高い天井、 広い廊下、 3層吹き抜けの大階段など、 今の学校建築の標準仕様では決して認められない空間です。 この貴重な建築空間を失ってしまうことは社会的な損失であるというのが、 私達の第一の主張でした。
この校舎に、 残す価値があるかどうかは、 専門的な調査と判断、 それに価値観の問題が大きく関わってきます。 しかし建替えを前提にした場合、 文部省の耐力度調査票による判定では50年経っている建物はそれだけで大きな減点になり、 良質の建物でも老朽化の根拠を与え建替えを正当化することになります。 これは建替えの場合のみ工事費の3分の1が国からの補助があることにも起因すると言えます。 「フローからストックへ」と言われながら「ストック」に対する援助が殆どない状況では、 相も変わらずスクラップアンドビルドの風景が繰り返され歴史の感じられない薄っぺらな環境になってしまいます。 このことは、 震災後全壊判定建物に公費解体の補助があり、 新築の建物のみに補助金がつくことなどにも現われています。 阪神間は壊さなくてもよい建物をも全て壊し、 私達は風景を失い、 人を失い、 歴史を失いました。 神戸は表面上急ピッチで復興が進んだように見えます。 しかし本当の復興は神戸らしさの復興でなければならず、 それぞれの地域らしさの風景の復興でなければならないと考えます。 神戸高校校舎だけでなく、 震災で生き延びた貴重な建物が保存・再生利用され、 復興していく神戸の風景の中に「都市の記憶」として位置付けられ、 歴史と文化が蓄積していくことを確かめていきたいものです。
「神戸高校の校舎を考える会」
の活動報告事務局 野崎瑠美
活動経緯
○近代建築保存に関するシンポジウムを4回開催
○機関誌「自治の城」の発行(現在第19号まで)
○昭和13年発行「新校舎落成記念アルバム」の復刻版発刊
○保存提案書「教育の場に歴史と文化を」「校舎耐震補強案及び保存再生利用案」を作成、 県教委に提案
○会員数 約1500名
○署名数
(1994年実施分)7692名 1994年11月 県議会に提出
(1996年実施分)4335名 1996年11月 県議会に提出
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