都市の記憶
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「港まち神戸を愛する会」
の活動報告

会長 武田 則明

 

改行マーク港まち神戸を愛する会(通称愛する会)は1987年に旧神戸商工会議所保存運動を推進した旧神戸商工会議所保存をお願いする会(通称お願いする会)が2千人以上の署名を集め内450人以上のカンパを頂いたが同年8月30日旧商工会議所ビルが解体され始めた日に「お願いする会」を解散し、 新たに出来た会です。 神戸旧居留地や栄町を中心として神戸税関をはじめ神戸大丸、 神戸郵船ビル等の保存の要望書を出し、 近代洋風建築の保存運動を進め、 神戸の町並みウオッチング、 '89、 '90には「ウォーターフロント問題」に関する連続シンポジウムを開催、 第1回「神戸のウォーターフロントを考える」小林郁雄氏発表を、 '89.5.19に開催し、 '91「文化とまち並」に関する連続シンポジウム、 '92「歴史とまち並」に関する連続シンポジウム、 '93「まちと文化」の連続シンポジウム等計30回開催した。

改行マーク'95.1.17兵庫県南部地震が神戸旧市街地を直撃した。 この為に「愛する会」が守ろうとしていた多くの建物が被災した。 「私自身も旧居留地内の大興ビルのアトリエが全壊となり、 茫然としてしばらく動けなかったが、 元気な会員である中尾嘉孝君にお願いして旧居留地、 栄町、 港湾地域にある近代建築の港まち神戸被災マップを'95.6月に作った」。 そして8月に港まち通信VOL21号を出すことが出来た。 この表紙はいつもおさないまこと氏が描いているのだが、 まさに瓦礫の上に力強く咲いているコスモスの花であった。 そしてこの号は震災復興に対する「愛する会」の宣言文であったと思う。 次いで、 連続映画祭第1回「連帯せよ!復興市民」第1部「人間のまち、 野田北部、 鷹取の人々」「20年後の東京」第2部シンポジウム「震災復興、 市民の連帯をめざして」高野和子、 佐藤滋、 青池憲司、 武田則明、 司会小林郁雄で神戸朝日ホールで同年11月4日に開催した。 この企画の中心であった青池憲司監督「人間のまち、 野田北部、 鷹取の人々」は第2回('96.4.11)以後まちづくり会館に於いて映画とシンポジウムを開催し、 第10回('98.9.27)、 第11回('99.2.12)に開催した。 この映画を見る会は、 映像が出来ると第1回公開は地元野田北部のペーパードームで開かれ第2回が「愛する会」主催で開催され、 それ以後北海道をはじめ全国をめぐる映画会である。 96年7月10日に「愛する会」の副会長高橋裕嗣氏が逝去されて、 全会員非常に悲しみに陥った。 彼は建築のカメラマンとして神戸の近代建築を撮り続けていたが被災したそれらの建物を見ると悲しくてシャッターが切れないと泣いていたのを思い出す。

改行マーク愛する会は被災した建物に対して出来るだけ旧の姿に修復するようにカトリック中山手教会にお願い書を出したが、 '98耐震上危険との理由で壊体されてしまった。 西澤英和氏によると日本建築総合試験所の益尾潔氏の診断と同じく中程度であったと推定され、 大被害と比べて通常技術で容易に修復補強工事が出来ると診断されていた。 いったい誰が引導を渡したものか責任を問いたいと思う。

98年4月25日 JR兵庫→大仏→兵庫運河→西出町のウオッチング開催
8月1〜2日 第1回復興まちづくり世界運河祭、 世界運河シンポジウム開催
 8月1日(土)午後3時神戸港中突堤中央ターミナルに集合し、 神戸の歴史をたどりながらハーバーランド→東川崎→西出町→島上町→兵庫運河を通り浜山小学校までのウォッチング開催。 8月2日は浜山小学校を見学して続いて同校に於て、 小樽運河を守る会の峯山冨美さん(84)と柳川の堀を守った「水の会」広松伝さん(61)を招いてシンポジウムを開催した。 小樽・柳川両市は結果として観光の目玉となったが、 観光のための保存運動は成功しないと結論付けられた。 シンポジウムのゼミ本には隅田川市民交流実行委員会、 鶴見川を楽しくする会、 異人町会議、 兵庫運河を美しくする会、 神戸港を考える会、 港まち神戸を愛する会、 水の会、 中島川を守る会、 油津、 堀川運河を考える会から報告があった。

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