ここで学者サイドの意見を聞いてみたいと思います。 今までの話を聞いて、 研究者はどのようなご感想をお持ちでしょうか。
私、 実は今日は学者ではなく、 被災地で最初に再建決議をして着工したマンション組合の理事長、 あるいは神戸復興塾というボランティア活動をしている者として出席したつもりで、 研究者の方はここ数年お休みしています。 ですから学者として何かを言うのではなくて、 本当は反対側の席に座って、 学者や行政、 マスコミを、 語気鋭く追求しているはずなんです。
今日「こうべ・あい・ウォーク」といって被災地を10km歩くイベントをやります。 今まで被災地にNPOがたくさん出来ました。 しかしお金を集めるNPOはまだないので、 そういったものをつくろうと、 3月に立ち上げる市民活動基金のためのイベントです。 出発は長田区鷹取の大国公園で三宮まで歩く予定です。 みなさん、 どうぞご参加ください。
さて、 本業の研究者に戻りましょうか。 今までのお話を聞いて、 気がついたことをいくつか指摘いたします。
まちづくりの伝統がある真野では、 喧嘩もしながらも修羅場をくぐり抜けてきた。 そういう能力が必要だろうと思います。 どの世界でも、 同じことでしょう。
ただし、 残念なことに日本はリーダーを育てる土壌がない。 これはよく言われることですね。 日本の企業では、 みんなをひっぱっていくリーダーを育てるよりも、 誰かをお神輿に乗せてワイワイ担ぎながら集団で意志決定してきた。 ところが、 今回のように思いがけない事態になって、 重要な決定をしなければならなくなると、 どうしていいか分からなくなる。
では、 今、 何が問われているのか。 これが、 第二に指摘しておきたいことです。 私は、 今何が問われているのかについては、 「個と集団」の問題だと申し上げたい。
今回の震災では「災い転じて福となす」という表現がよく言われました。 全体としては見れば、 そういう方向に向かっているのかもしれない。 しかし、 個々のケースで見ると、 災いを受けた人と福を受けた人は別々なのです。 例えば、 土地を持っている人と持っていない人、 家が全焼した人と一部損壊だった人、 住んでいる人と不在地主さんの間にはいろんなアンバランスが生じています。 区画整理事業にしても、 ひとりひとり事情が違う人をいかにしたら説得できるかが問われます。
マンションの場合は、 ある程度簡単なんです。 私の所は、 中規模マンションとしては神戸で初めて再建を決めのですが、 それが自慢なのではなく、 元の住民が全員帰って来れたことが何よりも嬉しいことでした。 おそらく神戸の再建マンションで、 全世帯が帰って来れたのはウチのマンションだけでしょう。
再建の時、 まず考えたのが「一軒も脱落せず帰ってこれるためには、 どんな仕組みが必要か」ということです。 それを全員で考えたことが、 スムーズにいった原因だと思います。 その背景には、 やはり全員の「元の住んでいた所に戻りたい。 以前と変わらない仲間と一緒に暮らしたい」という思いがあったからで、 それを実現したということにつきるでしょう。
これが三つめの重要な視点です。 東京の人は、 今回のまちづくりの動きを見て「どうして神戸の人は元いた場所に帰りたがるのだろう」と言いますが、 しかし私たちの思いの方が普通のことじゃないでしょうか。
今までの行政のまちづくりは、 郊外のニュータウンや再開発のように、 変化を恐れないむしろ新しいことが好きな若い人向けに作ってきた。 しかし、 今回のまちづくりは、 そうしたことを好まない人たち、 あるいは元の町の生活スタイルしか知らない人が対象だったのです。 なのに、 否応なしに新しいまちづくりに巻き込まれていった。
まちづくりを進める人は、 この人たちが何故元の町に住みたいのか、 以前の町はどんな町だったのか、 何がそんなにこの人たちを執着させる要因だったのかを、 まず明らかにすることが大事でしょう。 それを実現するために、 みなさんに納得して協力してもらう。 そんなビジョンを描けることが、 これからのまちづくりに求められるのではないでしょうか。
この4年間神戸の復興に関わったという経緯から、 ここに呼んでいただきました。 しかし、 関わる中で、 私自身があの震災を経験していないという事実は、 私の中で決定的な違いだと思い続けてきました。
最初に震災のニュースを東京で見たときは、 まるで戦争と同じくらい大変な出来事だ、 どうしようとうろたえたのを覚えています。 小学生の頃に終戦を迎えたのですが、 まるでその時に戻ったかのような印象を受けました。
95年に60歳を迎え、 96年に東大をやめることになっていたので、 それまで主宰していた都市的土地利用研究会も同時に解散することになっていました。 まちづくりや住まいの問題に10年間にわたってとりくんだ研究活動でしたが、 みなさんの同意も得て、 解散することにしました。 ところが、 その決定の直後に震災が来た。 我々の研究活動にとっても衝撃的なことでした。 震災復興に関する調査研究と支援活動はしなくてはいけないだろうと考えて、 その部門だけ残し解散したのです。
のべ人数にしてもどのくらいになるのでしょうか、 何十回も神戸に来て、 主に調査研究に従事しました。 求められれば、 いろいろ手伝いました。 しかし、 それが役に立ったとも思えないのです。 一緒に来た東京の研究者で、 耐震工学、 土木、 建築、 都市工学のように直接都市の復興に関わる分野の人たちは確かに役に立ちましたが、 私のように法律学の人間や、 森反さんのように社会学をやっているソフト分野の人間は「なんて無力なんだろう」と思わざるを得ませんでした。 それでも、 何人かは続けて今に至っています。 4年経って、 他の人たちがいなくなった今、 我々研究者グループが今も神戸に関わっているのは何故かと考えるのですが、 自信のある答えはできません。
学者の立場からもうひとつ付け加えたいのは、 震災直後の報道の中で、 納得できない意見を述べた人たちがいたことです。 「これは、 天災ではなく行政の責任である。 被災者は苦しんでいる。 全て元に戻せ」と。 確かにみなさん苦しんでいたのですが、 学者としてこういうことを現地で言ったことには、 同業者として恥じ入る気持ちでした。
こういう意見を言う人は主観的には熱心だったのでしょうが、 結果的には長続きせず復興の現場からは離れて行きました。 「大学の先生は現場では役に立たない」と私は自戒も込めてメモに書き付けましたが、 職業上の責任が決定的に問われていると思います。 みなさんのご判断に委ねたいところです。
復興の過程では、 もちろんみなさんの努力も見させてもらいましたが、 同時に人柄や責任感の強さも垣間見ることが出来ました。 これは、 私にとって重要なことで、 神戸に来るたびに東京中心の学者たちにいろんなことを伝えたいと思っています。 これからも、 現地で働く専門家の人(行政で働く人も含めて)の後方支援をしていきたいと考えています。
稲本さんのお話にもありましたように、 社会学の立場から震災復興に関わりました。 稲本さんと一緒に調査研究をしながら神戸を回ったのですが、 「社会学は無力だ、 何もできない」と痛切に感じたのが最初の印象です。
そんな私の気持ちとは裏腹に、 被災地ではコミュニティが必要で、 それを作らねばならなくなった。 もともと私は、 住宅や都市計画を社会学の立場から考えるのが専門で、 コミュニティを専門にしていたわけではないのですが、 神戸と関わり続けているうちに、 コミュニティを研究するよう追いつめられていったのです。
その頃、 3月が終わると春休みが終わった学生ボランティアが撤収していくと聞きました。 それはおかしいと思い、 私の大学ではその時期に学生ボランティアを送り込むことにしたのです。
私の居心地の悪さの一方で、 学生ボランティアの活動がスタートしました。 学生たちは週末ボランティアとして、 金曜の夜に夜行バスで発って日曜の夜に帰るという強行軍でしたが、 続けることになりました。 よそのボランティアが撤収していく中で、 どこまでできるかわからないけれど、 社会学の立場からやってみようと考えたのです。 これは、 昨年(98年11月19日)まで続きました。
その中で結局はボランティアもまちづくりも同じ行為ではないだろうかと考えました。 ボランティアは自分の時間と能力を「義捐(ぎえん)」という立場でやっていくことにおいて、 まちづくりと通じています。 それは自分の殻を破ることでもあると思います。 まちづくりを話し合うとき、 土地の所有関係が私有か公共かでしばられることが多い中、 まちづくり協議会は自分の所有関係を越えて地域全体を考える人たちの試みだと見ることができる。 そこに、 ボランティアとまちづくりは共通点があると私は思うのです。
私の大学には7千人の学生がいるのですが、 ボランティアとして動いたのは約2百人ぐらいでした。 3%の学生です。 まちづくり協議会の人たちも、 中心になって動いたのはたぶん一握りの人たちでしょう。 ひょっとしたら「変人」が活躍できる場所が今の神戸だったのかもしれない。
これからは、 先ほど小森さんが力強いメッセージを言われたように、 私たちは学者として少しずつ言葉にしていきたいと思っています。 標語的に言うと、 まちづくり協議会は昔の共同体が持っていた入会地のようなもの、 地域を自分たちでどうしようかと考えるものだと思います。 地域全体をコモンズとしてとらえようとする試みで、 これからはそれが非常に重要だろうと考えています。
室崎:
ありがとうございました。 ここで第一部を終了し、 いったん休憩をとります。
学者は何をなしえたか
まちづくりに求められる三つの視点
−一市民として関わって−●研究者を休業し一市民として関わる
小森(神戸山手学園理事長):
こうべ・あい・うぉーく
それはともかく、 まずはボランティアでやっている活動を少し紹介させてください。●リーダーはどうあるべきか
まず、 リーダーについて。 先ほどからまちづくりにおけるリーダーシップはどんなものかという話が出ましたが、 もともとリーダーシップはまちづくりだけに必要なのではありません。 何かの事業を興したいと思えば、 それなりの準備、 組織が必要で、 それをバックアップするための目に見えないタネや仕掛けがあるのが普通だろうと思います。 問題は、 それを使いこなす能力があるかどうかです。●今、 問われている三つの視点
今回神戸で起きたことは、 これから日本中どこででも起きうる問題だと思います。 例えば、 高齢社会、 都市の空洞化、 財政危機の問題等々。 震災で神戸は10年遅れたと言われたけれど、 実はそうではなくて、 神戸は10年先取りしただけなんです。 今、 まちづくり協議会で起きている問題のひとつひとつは、 これから近い将来日本の至る所で起きることです。 そういう視点で物事を見ていく必要があるだろうというのが、 第一の提案です。
震災復興に有効に関われたか
●ソフト分野の学者の無力を実感
稲本(都市的土地利用研究会):●コミュニティづくりに役立てたか
森反(東京経済大学):
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