神戸まちづくり協議会連絡会
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震災後に動きだした
まちづくり協議会

 

室崎

改行マーク次は、 震災後にまちづくり協議会を立ち上げた地区からの報告です。 まず、 鷹取東地区、 続いて六甲道駅西地区の琵琶町、 最後に松本地区の状況についてお話いただきます。


鷹取東地区
−説得が納得になるまで話し合い−

小林(鷹取東地区復興まちづくり協議会)

改行マーク鷹取東地区では、 震災後8。 5ヘクタールの区画整理事業が行われることになりました。 人口は約1千800人、 世帯数は950です。

改行マークまちづくり協議会は95年7月2日に発足し、 9月13日に神戸市と区画整理事業に対する事業決定を締結し、 11月30日に建設大臣の認可がおり、 まちづくりが決定いたしました。

改行マーク何がまちづくりなのかが一番大きな問題ですが、 私は住民が一日でも早く元の場所に戻れることだろうと思います。 そのために、 毎晩といってもいいぐらい、 住民のみなさんと会合を持ちました。 私の役目は、 そこでみなさんを説得することでした。 私は「行政と協力して、 早く帰れるようにしよう」と話し、 「説得」がみなさんの「納得」になるまで話し合ったのです。

改行マーク納得できないと、 家族の反対ですぐ意志が変わってしまうことが必ずありました。 納得いくまで持っていくのは時間がかかることでしたが、 結局はそれが近道でした。 何回も話し合って、 なんとかまちづくりを軌道に乗せることができました。

改行マークけれど、 減歩は我々にとって大きな壁でした。 「上限9%」だったはずですが、 行政とやりとりしていくうちに、 いつの間にか「上限」という言葉が消えてしまったのです。 おかげで、 事業が凍結してしまったことも2カ月ほどありました。 その間、 凍結が材料となって我々も反省いたしました。 結果的にはそれも良かった。 我々まち協は「2カ月遅らせて、 その間の補償があるのか」と、 住民からたたかれましたが、 それも話し合いや神戸市の都市計画局の部長・課長さんに来てもらったりして納得してもらい、 結局は凍結を解除することができました。

改行マーク96年9月13日には仮換地指定の鍬入れも行いました。 ここから一気に進み、 ブルドーザーも入って6メートル道路もでき、 今では復興が70%ぐらいが出来ている状況です。 あと2年もしたら、 まちづくりの目鼻が付いてくるのではないかと思います。

改行マークもちろん、 この鷹取東地区だけでなく、 復興は神戸市全体の問題ですから、 早く全体が良くなって欲しい。 我々の行ってきたことが、 少しでもみなさんの参考になればと思っています。


琵琶町(六甲道駅西地区)
−コミュニティがまちづくりの基礎になった−

若林(琵琶町住民協議会)

改行マーク琵琶町では、 世帯数が500戸、 全体で7。 2ヘクタールありますが、 琵琶町全体ではなく、 そのうちの3。 6ヘクタールに区画整理事業がかかっています。

改行マーク琵琶町は鷹取東地区に次いで、 神戸市では二番目に事業計画決定をしました。 96年12月に着工式を迎えましたが、 その時は私も感激いたしました。

改行マークそれにこぎ着けるまでにはいろんな苦労がありましたが、 やはり我々の所でも「減歩」が大きな問題でした。 鷹取東地区と同様、 平均9%の減歩がなかなか決まらなくて困っている最中に、 「森南では2。 5%の減歩」が報道されたのです。

改行マーク住民の間に動揺が広がり、 琵琶町でも計画を凍結しかけました。 しかし、 計画が長引くとお年寄りが帰ってこられなくなるという問題もあり、 話し合った結果、 9%減歩を受け入れて神戸市にまちづくり案を提出しました。 それが95年11月24日です。

改行マークよその地区と比べて琵琶町が割合早く進んだのは、 この町が古くからコミュニティを大事にしていたからだと考えています。 琵琶町内には、 避難所が3カ所ありました。 ディホーム六甲、 神戸市環境局、 松蔭大学会館の3カ所が町内にあったことが幸いしました。 また、 琵琶町では25年前から奉仕グループが給食サービスを行っており、 ボランティアが二十数名いました。 こうしたコミュニティを支える基盤に恵まれていたことが、 まちづくりを進める土壌になりました。

改行マークもちろん、 いろいろな問題はありましたが、 琵琶町の場合、 避難所運営も含めてまちづくりが順調にいった方だと思います。 協議会の活動として、 最初は仮設住宅の相談窓口を置きましたが、 5月にはそれも解消し、 それ以降まちづくり、 つまり区画整理の話し合いが進んでいきました。

改行マーク順調にいった理由は、 やはりコミュニティづくりに力を入れたことです。 町内のお祭も年に2回は行いました。 昨年の夏までに計7回のお祭をしています。 慰霊祭も2回行いました。 こういうことも、 住民同士のコミュニティの円滑化に役立ったと思います。

改行マークただ全て100%満足だと言うわけでもありません。 不満を持っている人もおります。 東京大学が行ったアンケート調査でも、 それが指摘されていました。

改行マークしかし、 話が長くなるといけないので、 琵琶町の報告はこれで終わります。


松本地区
−マスコミを掲示板代わりに活用−

中島(松本地区まちづくり協議会)

改行マーク私は地震前まで、 地域コミュニティの活動なんてやったこともありませんでした。 よその地区では震災前から自治会とか民生委員だとか地域で活躍されていた方が多いようです。 後で話を聞くたびにすごいと感心しましたが、 当時の私は右も左も分からないまま動くことで精一杯でした。

改行マーク松本地区は家が全部焼けてしまったところです。 全壊・半壊だった地域と全焼だった地域は、 その後の立ち上がりが全く違うのです。 焼けていない地域では住民はまだ地域の避難所や家の近所に残るのですが、 全焼だと住民はみんな田舎に帰ってしまいます。 だから、 住民がどこにいるのか分からない、 という状況がスタート地点でした。

改行マークおそらく旧来の自治会もあったのでしょうが、 そういう状況では従来の連絡網がまるで使えない。 そこで、 僕がマスコミを掲示板代わりに使わせてもらって、 住民に集会の呼びかけをしたのです。 先ほどはケチョンケチョンに言っておきながらなんですが、 このときは随分利用させてもらいました。 新聞を掲示板に利用しないと連絡のしようがなかったのです。 そういうやり方でテレビや新聞に出ているうちに、 僕は「にわかタレント」になってしまったわけですが、 松本地区がマスコミに出ることによって、 行政もそれを上手に利用したという面があったんじゃないでしょうか。

改行マークあの当時、 地域内には土地区画整理事業に反対の住民700人のグループがありました。 我々は50人ぐらいのグループでした。 しかし、 夏を迎える頃になると700人のグループはいつの間にか消えてしまって、 訳の分からない人たちが出入りするようになりました。 特に市会議員の先生が「区画整理はやめろ」と動き出したのにはあきれました。 市議会で決定したことなのに、 何故わざわざ地区へ入ってきてまちづくりをひっかきまわすのか。

改行マーク我々は苦しい中で選択をして、 早くまちづくりを進めて立ち上がろうとしているのに、 引っかき回そうとする人たちがいるのです。 それがたいてい、 政治家、 学校の先生、 公務員でした。 そういう人たちが「そもそも、 まちづくりとは云々」と話し出して、 時間を止めてしまうのです。 せっかく動き出そうとしているのに何故止めるのかと、 当時強く印象に残りました。


それぞれのリーダーシップ像

室崎

改行マークみなさんありがとうございました。 ここでいくつか論点が出てきました。 まずは「まちづくりにおけるリーダーシップ像」です。

改行マーク鷹取東地区の小林さんは「説得して納得させていく」というやり方でしたが、 どういうプロセスを経て「納得」に至ったんでしょうか。

改行マーク琵琶町の若林さんの場合は、 震災前から地域で活躍しており、 引き続いてまちづくりのリーダーになったというパターンですよね。

改行マーク松本地区の中島さんの場合、 私が一番聞きたいのは、 なんでみんなが中島さんについていったんだろうということなんですが、 ご自分ではどうお考えですか。

中島(松本地区)

改行マーク僕の場合、 住民の合意形成をしたわけじゃないんです。 スタイルとしては「文句があるんやったらかかって来んかい。 これ以上の代案があって、 組織があって、 動けるだけの根性があるんだったらついていくやんか。 ないんやったら黙ってついて来んかい」と言ったんです。 代案がないのに文句だけは言う奴が何人もいたんですよ。 出来もしない話をしたりとか。 ですから、 そんなことで時間をつぶすのはやめて欲しい、 出来る現実的な話をしようと僕は押し切ったんです。

改行マーク住民もけっこう区画整理や減歩のことを知っていました。 震災前に隣の地区で行なわれた区画整理では減歩率は18%です。 それに比べたら松本地区は半分の9%なんです。 文句など言っていないで早くやっちまおうという雰囲気が、 住民の間にありました。 ですから、 物事が前に進んだのだと思っています。

室崎

改行マーク中島さんの強引さとツボを押さえた理論の正しさが、 みんなを引っ張っていったということでしょうね。

改行マークそれとは違うやり方をした小林さんはいかがですか。

小林(鷹取東地区)

改行マーク私は洋品店をしながら民生委員をしていました。 震災の時、 あまりの衝撃に家内と二人で気を失ってしまったのですが、 気がついたら家の裏にもう火の手が迫っていました。 こりゃいかんと逃げ出したのですが、 あちこちから「助けて」と声があがっていました。 近寄ってみても、 声は聞こえるけれど出してあげられないんです。 怪我した家内を抱えて小学校へ避難するので、 精一杯でした。

改行マーク避難して3日目に「リーダーになってくれ」と、 みんなから頼まれたんです。 小学校にはもう2千人以上がいましたから、 私は恐ろしかったのです。 しかし、 これだけいるんだから、 もう組織だと思いました。 そこですぐいろんな分担を決めて、 組織化したのです。

改行マーク4月27日、 ちょうど震災から100日目に家に帰ったのですが、 また公会堂に呼ばれて「まちづくり協議会をつくることになった」と言われました。 かなり躊躇したのですが、 リーダーを引き受けてすぐ組織を作ることにしました。 権利部会、 道路公園部会、 マンション部会、 住宅部会、 商業部会、 福祉部会の6つの組織を作って動いたことで、 鷹取東地区のまちづくりはうまくいったと考えています。 地区内8町の自治会の中でも同じような組織を作り、 末端も同じ目的意識で動けるようにしたことが成功の要因だったと思います。

室崎

改行マーク中島さんと小林さんではそれぞれ性格もやり方も違ったわけですね。 小林さんの所はまずしっかりした組織を作り、 それぞれの意見を尊重しながら議論を進めていかれた。 中島さんの場合、 住民それぞれの意見を聞くという場面ではどうされていたんでしょうか。

中島(松本地区)

改行マーク私も地道な努力をしているんですよ。 その中で、 常に最大の注意を払ったのは「意志決定」です。 例えば、 行事日程を決めるときにも、 どの時点で意志決定をしていくかがポイントです。

改行マーク松本地区は3週間で地区計画をしようと決めてしまったのですが、 まちづくり提案を作成したときは6カ月かけています。 会議も80回ぐらい開きました。 その間、 自治会がなかったので各地域に小さな組織を作ろうと呼びかけました。 それから住民を集めて中間報告をし、 提案をまとめていったわけです。

改行マーク松本地区には9町あるのですが、 コンサルタントの先生と一緒に全部回って話し合いをし、 組織を作っていきました。 そのたびに住民の人には言いたいことを言ってもらい、 こちらも説得していくということを繰り返しました。

改行マークただ最初の時点で土地区画整理事業をやろうと決定し、 それを前提として話し合いましたから、 事業そのものについての反対の話は出ませんでした。 「どうやって早く進めるか」がメインの話題でした。 新しい町はどんな町にしていくかも同時に話し合いました。 だから、 他の地区とは話し合いの雰囲気が違っていたかもしれません。

改行マークもっとも変なことを言う人はやはりいました。 会議を開くごとに分かってきたんですが、 何もしないで文句だけつける人はだんだん地域から浮いてくるんです。 でも、 そういう人にとっても事態は順調に進んでいるはずです。 私自身は地道に努力をしたんです。

室崎

改行マークたぶん、 そうでないと物事はうまくいくはずはないと思います。 やはり、 一人一人と腹を割って話し、 意見を詰めていく以外にうまい方法はないと思います。 そうした努力の積み重ねがいかに大変だろうと、 それをしなければ乗り越えられなかっただろうと思います。 そのあたり、 琵琶町ではいかがですか。

若林(琵琶町)

改行マーク私は昭和50年代に、 兵庫県の自動車塗装協同組合の理事長をしておりました。 40年ここにいたのですが、 その時に得意技として人を観察してその持ち味を生かすということを身につけました。 まちづくり協議会ではそれを生かして、 私には出来ないことを他の人にやってもらおうと思い、 人選をしたのです。

改行マークおかげで、 とても優秀なスタッフを揃えることができました。 特に女性は真面目で、 30人の役員のうち10人が女性です。 私はまとめ役に徹して、 各場面ではスタッフが活躍してくれました。 だから琵琶町の協議会は従来の自治会が移行したのではなく、 新たに選んだスタッフでほとんどが構成されています。 それが、 今回のようなまちづくりでは非常に大きな役割を果たしたと思っています。

室崎

改行マークここで別の立場の人の意見を聞いてみたいと思います。 まちづくりのリーダーシップとボランティアのリーダーシップは全く違うのかもしれませんが、 有光さん、 何かコメントはありますか。

有光(ボランティアグループ)

改行マークリーダーシップ論をと聞かれると難しいですね。

改行マーク私たちは震災をきっかけに出来たボランティアグループですが、 当時はきわめて評判が悪かったのです。 中島さんからも、 かなり怒られたことがあります。 兵庫区の上沢地区を拠点に活動していましたが、 ここは全焼家屋が多かった地域で、 私たちは家を失った子供たちを対象にしていたグループでした。 子供たちが地域のことをいろいろ教えてくれたので、 地域に何をしたらいいのかを想像しながら活動しました。

改行マークですから、 怒られもしましたが、 地域の人々とは当初から交流がありました。 中島さんのような方が多いので、 地域の人と仲良くするのは大変難しかったのですが、 その時の経験が今の活動につながっていると思います。 常に地域の一員として何が出来るかを想像しながらやってきました。 おかげで明日(99年1月17日)にはふれあいセンターを開設できることになりました。 それも、 当初のうちに地域の人と関わりがあったからこそ出来たと思っています。

改行マークリーダーシップとは関係のない話になりましたが、 こんなところです。


まちづくりの進め方
−納得が先か、 早さを優先か−

室崎

改行マークまちづくり協議会について、 もう少し議論を続けたいと思います。

改行マークどの地区でも減歩が大きな問題でしたが、 鷹取東地区の場合は「徹底的な議論」を、 琵琶町や松本地区は「一日でも早く」を優先してそれぞれ乗り切りました。 この違いについて、 もう少し意見を伺いたいのですが。

小林(鷹取東地区)

改行マークどこの地域でも区画整理事業には、 賛成と反対にそれぞれ分かれました。 私は地域が二つに分かれることが怖かった。

改行マーク私の場合、 絶対に「反対者」とは言わないようにしたんです。 何故かというと、 基本的には区画整理に賛成なのに意見の違いで反対に回ったように見えることがある。 そんな時、 反対者と決めつけてしまうと、 どうしても色眼鏡で見てしまう。 そうなると前に進まないんですね。 ですから、 反対なのではなく「慎重なのだ」と肝に銘じて、 話をするようにしました。 リーダーとして「反対者は一人もいない」という態度でみなさんに接しました。

改行マークきれい事に聞こえるかもしれませんが、 こうして良かったと思っています。 今でも慎重派の方とは仲がいい。 とにかく、 意見の違う人を「反対者、 敵だ」と決めつけてしまってはいけません。

若林(琵琶町)

改行マーク琵琶町でも「そもそも区画整理そのものに反対だ」と口癖のように言う人がいました。 私の場合、 そうした反対の人や不満を抱えた人こそ役員になってもらうよう要請しました。 すると、 役員は引き受けないんですが、 その後の議論では黙り込むようになるんです。

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