室崎:
第2部ですが、 まず、 復興計画の都市計画過程の検証ということで、 コープランの小林さんの方から、 約1ヶ月間の都市計画決定のプロセスについてご説明をいただいて、 それをもとに、 皆様方のご意見、 ご発言をいただきたいと思います。 小林さん、 よろしくお願いします。 何がなされたのか
神戸市震災復興計画(激震復興重点区域)予定事業 |
その中で三つの注目すべき点があります。 一つは、 住宅地区改良事業が当初検討されていたことです。 それが、 神戸市の場合、 復興事業では使われておりません。 これは大きな点だと思います。 26日の段階では、 六甲東、 真野、 大道などで改良事業が検討されていました。 これがなくなっているということが一つです。
二つ目が、 23、 24、 25日のあたりでは検討されていなかった森南地区で、 26日の時点で区画整理事業が出てきております。 これについては、 現在既に、 事業がすすめられております。 これが二つ目です。
三つ目は、 先ほど申しました真野地区です。 23日のペーパーでは区画整理が検討されていたようです。 また西須磨地区でも、 区画整理が検討されていたと聞いております。 ただしこれについては、 26日の段階で消えました。
以上三点について、 ぜひ、 鶴来さんなり溜水さんにお伺いしたいと思います。 先ほどのお話で、 真野については「そういう検討はしていない」ということですから、 あのペーパー自体は、 「こんなことも考えたらどうか」といったことで作られたペーパーだと思います。 西須磨も同じことかもしれません。 ですから、 この23日の時点のペーパーは、 個人的なペーパーだろう思いますが、 そのあたりをもう少しはっきりさせていただけないかと思っております。
2月1日に区画整理事業5地区、 再開発事業2地区、 地区計画を三宮でやるという前提で建築制限区域が発表されています。 ということは1月31日には決まっていたわけです。 1月31日に決まっているということは、 当然1月25、 26日あたりで、 方針が決まっていなければならないという状況です。
にもかかわらず、 2月28日からの縦覧の段階で「寝耳に水だ」とか、 そういう話がありました。 その前の2週間の経過についてお話しさせていただきました。
室崎:
どうもありがとうございました。 今の小林さんの報告を受けて、 都市計画決定にいたるプロセスの事実がどうであったのかや、 ご苦心された話、 これはこう考えるべきであるといったことについて、 行政の方からご報告いただければと思います。 まず、 副知事の溜水さんの方からお話をお伺いできればと思います。
私は3月15日、 神戸市の都市計画審議会が開かれる日に副知事になりました。 それまでは建設省からこちらへ来て、 地元がやろうとしておられる事業を、 県と市の調整もありましたが、 主に国と調整していました。 地元で、 どういう形で地区を決定されたかということに、 国の動きも含めてご説明したいと思います。
震災では、 崖崩れがあったとか、 生田川を付け替えたフラワーロード周辺の中高層の建物が被害を受けたとか、 密集住宅地の地区が大きな被害を受けたとか、 色々な状況があったわけです。 そういうところを、 どういうような形で今後取り扱っていくのかが課題になりました。 先ほど小林さんの方からご紹介がありましたが、 新聞では物語風に作られた記事が載っておりましたけれども、 現状把握と、 今後の対応方針について、 国は国なりに、 地元の意見を聞いていたという状況であったわけです。
事業化への取組みについて申しますと、 1週間経った1月23日に、 当時の小川助役が建設省へこられました。 都市基盤が脆弱で被災したところについては、 何らかの創造的復興をしていく必要があるということを申され、 それに対する事業上の色々な支援をお願いしたいということでした。 その次の日から、 私自身も神戸へまいりまして、 それらの事業をどういうふうに進めていくのかという調整に入ったというのが経過です。
ただ、 この時はまだ、 例えば区画整理だとか再開発だとかの従来の仕組み、 そのときにあった事業手法でどういうふうにやっていくのか、 ということが前提であったわけです。 ただ、 その事業には、 おそらく地元の反対があるだろうということでした。 特に減歩のわかりにくさがあり、 過去の色々な災害復興の時には必ず問題になっているわけですから、 何とか事業を円滑に進める方法も必要だということで、 新しい法律の仕組みの検討に入ったわけです。 それが、 震災後2週目ぐらいからです。 その結果できあがったのが被災市街地復興特別措置法です。
その中で復興推進地域を設けました。 この地域を都市計画で決定すると区画整理、 再開発等の都市計画決定をするまでの間、 最長2年間の建築制限ができます。 その間にどのように事業を進めていくかなど、 じっくり話し合う時間をとることができます。
それから、 その復興推進地域の中で行われる区画整理、 再開発事業に対して、 様々な特例を設けました。 さらに、 公営住宅への入居に特例を設けています。
たとえば、 従来ですと土地区画整理事業等の事業認可をしないと、 土地の買収とか、 仮設住宅、 店舗の建設等ができなかったわけですが、 この復興推進地域の中では、 減価補償金で土地を買収できるだとか、 都市計画決定さえすれば、 仮設住宅等の建設を認めるという措置を講じました。
このように、 生活再建のために土地を売りたいという人の土地を市が集約でき、 また現地に残って生活再建もできるようになったわけです。
ただ、 法律の原案は2月のはじめにできてきましたが、 この新しい法律がいつ成立するのかという見通しは不明でした。 そんななか地元へ事業として周知させることが十分であったかどうかについては、 皆さんでまたご議論いただければと思いますが、 それ以前にかけておりました建築制限の期限が来るということなどを踏まえながら、 今後どういう取り組みをしていったら良いのかを検討しました。 復興推進地域をかけるだけで良いのではないかという話もありました。 結果としてとられた措置は、 復興推進地域と、 区画整理、 再開発等の都市計画事業を同時に決めることでした。 ただし、 都市計画については二段階方式にするということになりました。
3月16日の県の都市計画審議会の時点では、 第一段階の都市計画ということにしまして、 区域と骨格的な都市施設だけを定めることにしました。 そして、 区画整理、 再開発等の都市計画事業の決定を同時に行っていますから、 例えば先行して用地買収をするだとか、 仮設住宅等を建設するという、 特例的な進め方が可能になりました。 それが、 結果として事業を早期に進めることになるのではないかということで、 第一段階の都市計画決定をしたわけです。
その後、 事業の詳細な内容とか、 進め方については、 あらためて、 地元の方々と協議をしながら決めていって、 そのうえで第二段階の都市計画決定をし、 区画整理、 再開発の事業決定へ持っていくというような段取りをとって、 進めさせていただいたということです。
都市計画審議会を開いております時には、 地元の権利者の方々から、 「強行するのは反対である」といった動きもあったわけですが、 行政の気持ちとしては、 前に進める、 早期に取り組むという決断をすることが早期復興へつながっていくのではないかということでした。 それを事業へ持っていけたのは、 やはり、 地元のまちづくり協議会等の方々の決断ではなかったかと思っております。
室崎:
どうもありがとうございました。 引き続いて、 神戸市助役の鶴来さんのお話をお聞きした上で、 討論に入りたいと思います。
ただ今副知事からだいたいの流れのご説明がありましたので、 地元の関係者として、 もう少し細かく申し上げたいと思います。
1月17日の翌日から、 実質的に仕事がはじまったわけです。 当時は、 避難問題とか、 人命救助、 食料の運搬というような問題がメインで、 とても我々の段階ではまちづくりをどうするのかというところまでいっていなかったのが実状です。 例えば、 まちづくりを考えるべき都市計画局の職員がほとんど全員避難所へ出て、 仕事をしていました。 それからマスコミ等から、 どういう被災状況になっているのかということをよく聞かれましたし、 早く調べろというような注文がございました。 私どもも、 まち全体の被災状況はどうなのかを、 早く把握する必要がありましたので、 職員が自転車あるいは徒歩で被災地に出向いて行ったということです。
そういう時に、 住宅地図を持ちながら、 地元へ行きますと、 「何をしているのか」「こういうときにそういうことをせずに、 水を運んでこい、 食料をもってこい」というような話が出てきまして、 職員も悩みながら仕事をしていたわけです。
実は、 20日過ぎに、 今後、 復旧、 復興、 まちづくりを考えるときに、 被災状況がどういう形か、 現況把握が必要で、 建設省に調査団を派遣して欲しいとお願いしました。
我々としては、 まずガレキの処理の問題をどうするのか、 それから、 税制の問題、 災害復旧の範囲、 あるいは、 被災時の緊急性に即した手続きの簡素化の問題など、 思いつく限りありとあらゆる問題について検討していたわけです。
まだ余震があり、 火災が発生しているという状態で、 物事を進めるために、 手続きにしても、 税制にしても、 別途新たな法体制を作って欲しいと国にお願いしました。 当時、 皆さんが避難されていて、 地元に人がほとんどおられない状態だったわけです。 そういう状況で物事を決めるのは、 非常に問題があると思い、 非常時の法体系を考えて欲しいとお願いしたのです。
50年かかって、 営々と先輩方、 市民の皆さんが築いてきた神戸の町が、 また戦後のような状態に戻ることは、 非常に問題があります。 例えば、 大火だとか、 震災の時に、 無秩序なまちの再生をふせぐために建築基準法84条があります。 しかし復興をやるには時間がかかりますから、 何とか別の新しい法律を考えていただけないかと関係省庁(建設省)にお願いしたわけです。
その時は、 帰って検討してみるということでしたが、 翌週お電話がありまして、 そういう新たな法律はできないというお話でした。 そこで、 既存の平常時の手法で突っ走るということしかできなかったわけです。
建築基準法84条の猶予が被災後2ヶ月間で、 その期限は3月17日ですから、 その間に、 都市計画を決定をする必要がありました。 そういうことから、 1月25日から建設省の皆さんと、 どういうまちの復旧、 復興をしていくのか、 具体的な手法、 あるいは区域、 復興事業にかかる色々な財政、 制度、 これは現在ほとんどが震災特例ということになっているわけですが、 そういうようなことをまとめて、 一つの案を作りました。
先ほど小林さんからありましたように、 2月1日から建築基準法の84条の指定をやりました。 その区域等については、 細かい計画決定の段階ではないのですが、 だいたいの範囲で、 6地区で233ヘクタールについて84条を適用しました。
どういうことかと言いますと、 建物を建てていただく、 あるいは改築をしていただくときに、 届け出をしていただくということです。 かつ建物を建てるときに制限がかかります。 これは全面禁止の場合もあるわけですが、 84条は一部規制です。 いわゆる鉄筋コンクリートの建物とか、 3階以上の建物について規制がかかります。 これは2ヶ月が限度で、 3月17日までに都市計画決定をする必要があるということです。
このように平常時における都市計画法に基づく手続きを実施しました。
現在は、 区画整理が10地区、 再開発が2地区ですが、 当時は、 包括的に区域を出しておりましたので、 2月21日に8地区の復興都市計画の内容を出しました。 これは、 いわゆる基盤整備をやる必要があるところ、 副都心という位置づけになっている地区で計画的に基盤を整備する必要があるところ、 あるいは新駅ができることにより新たに生活拠点を更新する必要があるところなど、 8地区の整備の目的、 内容等です。
これに基づいて、 2月22日に、 いわゆる現地相談所を計画決定用に各地区に設け、 法律的な都市計画決定の作業に移っていったわけです。
一つが、 事業に対する現地相談所を各地区に作るということです。 非常に混乱した時期で、 地元の皆さんに対するいわゆる周知にはどういう方法が一番いいのかということがあったのですが、 現地相談方式をとりました。 当時は電気の問題だとか、 その他全ての問題が相談所にかかってきて、 大変混乱をしたり、 地元の皆さんにもおしかりを受けたりしたわけですが、 現地に出向いて、 都市計画だけではなく、 もろもろの相談もお受けしました。 例えば、 森南地区であれば、 公園の中にテントを張って、 2月22日から3月13日の縦覧期間の間、 そういう相談所を設けました。
それから、 震災復興のまちづくり協議会を結成していただきたいということです。 区画整理や再開発を知っておられる人もおられれば、 言葉自体をはじめて聞いた方もたくさんおられるわけです。 そういう地元の皆さんの相談にのってもらうコンサルタント、 専門家を派遣することに致しました。
三つめは、 大筋は決めていますので、 それを踏まえて、 地元からまちづくり提案をしていただいて、 それに基づいて事業をしていくという、 震災前であれば、 ちょっと思いつかないような手法で進めようということです。
ですから、 各地区、 地区の状況は様々で、 まとまりしだい事業化していくという姿勢です。 我々行政からみますと、 まちづくり協議会のリーダーには、 ある程度引っ張っていってもらう方がなられると、 非常にありがたいわけです。 地元のまとまりに基づく事業化を今回は主眼にしていますので、 10地区を見ますと、 仮換地指定が94%のところから、 一番低いところで2割台のところがあったりと、 バラバラですが、 それぞれの地域、 地域による特性があるわけですから、 地元の皆さんの思いをまとめていただいて、 協働のまちづくりということで取り組んでおります。
これは、 2年間地元とよく話し合いながら、 事業化を進めていくという内容でした。 この中に、 いわゆる被災市街地復興推進地域がありました。 これがかかりますと、 区画整理などの事業に、 震災バージョンの様々な恩典がかかります。 今回の事業も一応その網をかぶせているのですが、 当時、 特に法律の学識経験者の方々から、 何故こういう良い法律があるのに、 従来の手法で突っ走ったのかと、 おしかりを受けたわけです。
マスコミにも、 十分説明はしたのですが、 なかなか書いていただけなかったのですが、 実は、 この法律だけで進めていきますと、 建物制限が2年間かかるわけです。 これは、 土地の規模、 面積が300m²以下の自己の建物、 自己の店舗・区画の形質変更以外は、 改良とか、 再築とかができないという内容なんです。 2年間そういうものだけをかけて、 事業をかけず延ばしていくというのでは、 地元の皆さんの生活再建、 建物の再建が難しいということで、 早く事業に着手した方がいいのではないかと判断したわけです。
都市計画事業をおこすと、 例えば、 土地の買い上げ、 あるいは事業用仮設住宅、 事業用の仮設店舗が現地で建設できます。 このように事業を起こした方が、 新しい法律で2年間塩漬けにするよりもいいのではないのかということです。 こういう判断があって、 従来の手法で手続きを進めていったという経過がありますので、 この点は、 一つご理解をいただきたいと思います。
国の立場から
−被災市街地復興特別措置法が出来た経緯−
神戸市の立場から
−間に合わなかった非常時のための法体系−●何故、 平常時の方法を採らざるを得なかったか
鶴来(神戸市助役):●震災時のための三つの工夫
今回私どもが地元の皆さんに、 お約束したことが三つございました。●早期に事業を起したかったのは何故か
それから、 一つだけ申し上げたいのは、 先ほど申しましたように国には緊急時のための法律を立法して欲しいとお願いしたのですが、 それが無理だということで、 そういうことならと平常時の都市計画法に基づく手続を進めていた最中の2月26日に、 被災市街地復興特別措置法ができました。
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