それでは、 溜水さんと鶴来さんのお話を受けて、 討論に入りたいと思います。
今おっしゃられた、 被災市街地復興特別措置法と都市計画における具体的な事業の決定の関係についてです。 神戸市の鶴来さんに、 建設省がこの法律を検討されているということ、 あるいはその具体的な内容を、 いつの時点でお知りになったのかということをお聞きしたいと思います。 もう少し早くこのことを知っていたら、 都市計画決定のやり方が変わったというようなことが、 あったのか、 なかったのかについては、 いかがでしょうか。
鶴来:
建築基準法84条は、 被災後2ヶ月の猶予期間がありますが、 その84条の出発点をもう少し遅くしてほしいという要望をしていました。 というのは、 そうすると仮に2ヶ月のままであっても、 もう少し時間を稼げるわけです。 ですから、 我々は、 はじめから2年間というような感じは持っていなかったのです。 新しく法律を作れないかというお願いをしたのが1月中で、 それはなかなかできないということを聞きましたのは、 2月に入ってからです。
それに先駆けて、 私どもは、 2月17日の夜に復興の条例を立ち上げています。 これが、 国の特別措置法の先取りといった形になっています。 ですから、 やり方としては同じだとは思いますが、 特別措置法が有効に活用出来たなら時間的にもう少し余裕が出来、 地元の皆さんともう少しきめの細かいお話ができたのではないかと思っております。
室崎:
逆に言いますと、 被災市街地復興特別措置法を使った場合に、 建築制限が2年間かかってしまって、 それではかえって復興が遅れるというご判断なのですが、 例えば、 被災市街地復興特別措置法をかけた上で、 数ヶ月遅れても十分議論をして事業計画決定をすれば、 それでもずっと2年間建築制限がかかるということではないですよね。
溜水:
被災後2年間は最長ということですから、 確かに、 室崎先生がおっしゃられたような話もあり得たと思います。 ただ、 その時の経過からいいますと、 小林さんのお話しにもあったように2月1日に土地区画整理事業をやりますという説明をしてしまった後に、 新しい法律の概要がだんだん分かってきたということだったのかと思います。 だから、 法律の概要が分かった後で、 また違う説明をするのは混乱を招くだろうという話があります。
また、 同時にかければ効果は同じではないかという話もあって、 十分説明をして、 その上で、 土地区画整理事業あるいは再開発事業の都市計画決定をするということも考えられたわけですが、 結果的にはそのあたりのしのぎを、 二段階都市計画でやっていくことになったということです。
先ほども申しましたように、 第一段階として区域と主な都市施設だけを決めて、 復興推進地域で認められている特例を活用できるようにしたわけです。 実際そういうような動きがあったのかどうかは分かりませんが、 土地を物色する動きがあるような噂も聞いていますし、 事業をするのであれば、 土地を早く市役所の方へ集める必要があろうということです。 復興推進地域だけですと、 租税特別措置法の特別控除等が効いてきませんので、 土地が買えないわけです。 そういうこともあって、 同時にかける方がよりベターではないかという判断があったように思います。
鶴来さんがはっきりおっしゃられたので、 先ほどの表について、 23日、 24日、 25日は担当者周辺のワーキングペーパーで、 26日あたりから正式な検討が始まったとしておいていただきたいと思います。
もう一点は、 26日のあたりから住宅地区改良事業がなくなってしまったのが、 非常に残念だということです。 何故、 そういうことを検討していたのにできなかったのかということについて教えていただきたいと思います。
鶴来:
そういう方法があったけれども、 それで対応しなかったというのは、 他の地区計画とか住環境整備事業とかで、 進めればよいということです。 ただ、 西出町ではいわゆる改良の手法を使って、 町並みの整備をしています。 あとは区画整理、 再開発、 地区計画といった手法を取ったということで、 これに限らず、 色々な手法が他にもあると思います。
小林:
今回の復興事業の中で、 例えば尼崎で区画整理と改良事業の合併施行をやっていますが、 これは有力な手法で、 いいこともたくさんあると私は思っています。 その他には、 芦屋市の若宮地区で改良事業をやっていますが、 それ以外では震災復興で住宅地区改良事業をやっていません。 もっと改良事業が持っている良い点をぜひとも取り入れてもらいたいわけです。
というのは、 今回の震災の被害は住宅被害なのです。 老朽化した住宅が壊れ、 たくさんの人が亡くなったわけです。 老朽化した住宅を建て直す事業は、 改良事業だと私は思います。 なのに改良事業を選択しなかったのには、 いくつかの理由があるでしょうし、 専門的な理由もあるでしょう。 財政的な問題もあるでしょうし、 都市局事業と住宅局事業の問題もあるでしょう。 色々な問題の結果として採用されなかったということだろうと思います。 ただ、 改良事業が、 こういう住宅被害の多い地震災害の時に、 もっと重要な事業手法として考えられるべきではないかと主張したいと思います。
鶴来:
今の話は、 当然の考えだと思います。 我々も、 震災の復興事業を平面的にだけではなく、 三次元的に考えています。 今まで、 例えば区画整理は土地の整理をして後はしらないという話だったのですが、 住宅、 店舗といったものと一緒に考えていくという、 三次元の事業という認識は当然持っております。
それから今回の場合、 色々な手法ができているわけです。 例えば、 住市総をかぶせたり、 優建事業や、 組合施行による街区単位の再開発とか、 地元の話のまとまりによって対応してきています。 改良事業になりますと、 ある程度まとまった範囲で、 買収して、 受け皿住宅に入ってもらうというような形になって、 時間的な問題がありますし、 色々複合的な手法を重ねていく中で、 住宅整備もあわせて行っていくという形になるのではないかと思います。
いつ頃事業が決まったのかが論点であったと思いますが、 お話の中で、 一つは計画決定だけで買収ができるようになること、 そして事業用仮設が前倒しでできるという点をあげられました。 先ほど平野先生が「仮設住宅を作るために、 だいぶ議論はしたんや」「被災者が被災地に残れるように議論はしたんや」と言われましたが、 結果的にはかなり不幸な状態になってしまったと思います。
そんな中で、 唯一できたのが事業用仮設だろうと思うのですが、 それも、 ごく一部にしかできていないという認識を持っています。 都市計画事業で作る仮設住宅が、 「厚生省が作る仮設住宅の方に引っ張られたのではないか」という気がします。 事業用仮設が、 大きく展開しえなかったのは、 何か理由があったのかどうかについてお伺いしたいのですが。
鶴来:
区画整理をする場所で、 仮設住宅を建てる場合、 土地を買収する必要があります。 現に今ある千戸近くのものは、 先行して買収した土地に建てられています。 これが多いのか、 少ないのかという議論があるわけですが、 その難しさを考えていただきたいと思います。
だんだん事業が進んでいくと仮換地指定をしますが、 仮設住宅があるところに、 例えば換地をする必要があると仮設の移転の問題も出てくるわけです。 仮設から仮設へ移らなければならないわけです。 その辺りで、 地元のみなさんが敬遠されるというようなケースもあります。
今、 各地区で事業をやっている担当課がそれぞれあるわけですが、 精一杯そういう事業用仮設住宅、 事業用仮設店舗のPRをしながら事業を進めています。 その結果が今の千戸近くの仮設住宅になっていると思っております。
宮西:
区画整理のところで千戸の仮設が建っていると言われますが、 それは普通より多少早く出来たということです。 事業が進んでいく中で仮設を作っていくのは、 普通の区画整理でもやる話です。 前倒しという話ではないわけです。 前倒しをできなかったのかということをお聞きしたいのです。
鶴来:
今、 千戸近くのうちでどれだけが前倒しできたものか、 数字を持っていませんので分かりませんが、 我々も国に「計画決定即事業用仮設、 事業用店舗」ができるようにして欲しいと要望し実現しているわけです。 これは、 そういったことによって、 早く用地を確保するという場合もあるでしょうし、 一方で用地を確保するという時間的な問題がありますから、 考えられる範囲で実施をしてきたのではないかと思います。
宮西:
再開発の話で、 パラールの話を割愛されたのですが、 事業をやっていく上での知恵が重要なわけです。 パラールの場合は借地してやっているわけです。 ですから、 パラールが何故できて、 区画整理では何故できなかったのか。 パラールでそういうアイディアが出てきたのは、 どこかにきっかけがあったのか、 もしご存じでしたらお話しいただきたいと思います。
鶴来:
実は、 パラールは地元の方が、 どちらかというと市より先にやっていました。 それで、 南側の住宅は事業用仮設でやったのですが、 あれは後追い的に、 そういう制度ができたので、 移転の時には公費で対応しましょうということになりました。 地元の方が土地を借地して、 パラールのような共同店舗を建てたということで、 知恵は地元の方が出したということです。
交渉の経過をいいますと、 当然相手は厚生省です。 最初は事業用仮設とかまちづくりとかいう以前に、 まず仮設住宅がいるということでした。 その時には当然のことながら戸数が大きなポイントだったわけです。 数字を出して、 予算要求をしますから、 戸数を的確に把握しなければならないわけです。 神戸市の担当局が作った数字は、 見事にぴったり当たっていました。 これは、 中央も非常に高く評価していました。
それから、 ガレキの撤去を公的資金で全部持つということも非常にもめたのですが、 そのままではガレキの街になってしまうということで、 最終的には全部公的支援になりました。 実はこれが、 最初の公的支援です。
次に、 一戸あたり300万円前後かかると思うのですが、 「そのガレキを撤去した跡地に、 仮設住宅を建てさせて欲しい。 そうすれば地元にコミュニティが残るではないか」と、 前後3回ぐらい東京とやり合ったのです。
その時は厚生省の課長と大臣なんですが、 交渉の中で大臣が政治的決断をしないのです。 課長が「公私というものはこうなんだ、 国は私的財産とのけじめをきっちり分けている」ということを蕩々と説くわけです。 そして大臣は黙っているわけです。 最後に課長は「350万円の厚生省がだす災害援護資金の貸付金があるから、 その支援を借りて、 仮設住宅を建てたらいいのではないか」というわけです。 ところが、 あの当時、 そんなお金が出るという事は、 我々議員は知らなかったのです。 もともと県と市がこういう問題があるからということで、 行政間で検討したことだったわけです。
一方で、 擁壁の処理の民民の問題や、 公民の問題で、 あの時の建設大臣は決断が早かったわけです。 だからある程度の幅を持たせて、 政治決着をつけられたのです。 厚生省のやり方がもし違っていたり、 言葉は悪いのですが、 大臣が別の人だったら、 ガレキを撤去した跡地に仮設住宅を建ててもいいということになったのではないかと、 ものすごく歯がゆい思いをしました。
室崎:
どうもありがとうございました。
できなかったこと
被災市街地復興特別措置法を
もっと有効に使えなかったのか
改良事業をもっと使えなかったか
事業用仮設をもっと作れなかったのか
大臣の政治決断が欲しかった
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