魚崎郷は酒蔵地域です。 酒蔵地域とは、 本当は西宮の二郷と神戸の三郷を含めてのことなのですが、 私が関わっておりますのは、 神戸市内の魚崎郷、 御影郷、 西郷の三郷です。 お話する数字などは、 その三郷に限っているとご理解ください。
この懇談会から、 平成二年に共同事業化、 灘の酒のPR、 酒と食文化のまちづくり、 といった提言が出されます。 ただ、 この提言はどちらかといえば酒造業の振興のための提言でした。
これは、 灘三郷の将来像を酒造会社が集まり検討したものです。 その内容は、 一言で言いますと「伝統のインダストリアル・リゾートエリアを目指す」ということです。 言い換えると、 三百年もの昔から酒造の中心である灘で、 酒を造り続けるのを基本としつつ、 観光化を進め、 酒をPRしていこうということです。 正しい日本酒の姿、 あるいは正しい灘の酒蔵地域の姿をPRすべきだという考え方です。
一番目は道路の整備です。 これは「酒蔵の道」と名付けまして、 整備事業は神戸市が進めておられますが、 これと協調していこうとするものです。
二番目は集客核です。 先ほども観光客を集めたいと申しあげたのですが、 灘には住宅も多くありますし、 他の商業、 工場も多くあります。 そこに何も考えずに観光客を集めますと、 まち全体がガタガタになってしまいます。 ですから、 観光客の集まるところを限定するための集客核をつくろうとするものです。
三番目は地区景観の形成です。 震災前から、 木造や煉瓦造の古い酒蔵がだんだんと少なくなっていましたので、 その景観をどのようにして守っていくのか、 あるいは新たにつくっていくのかということでした。
このように、 三つの重点プロジェクトが決められていたのですが、 その半年後に、 地震がきてしまいました。
酒を生かすまちづくり懇談会
酒懇とまちづくり
二百年から三百年ほど前に、 この辺りで酒造業が定着しました。 しかし昭和四十年ぐらいから、 日本酒離れが起こります。 ビールが好まれるようになったとか、 若い人は日本酒を飲まないとか、 そういった現象が起こったのです。 そのような状況の中で、 酒造業社は各社で対応していたのでは、 日本酒の振興にならないと考え、 平成二年に「酒を生かすまちづくり懇談会」をつくります。 西宮も含めた灘五郷の中では、 灘五郷酒造組合というものがありますが、 その中で神戸市内の魚崎、 御影、 西郷という三郷が集まったのです。
新・酒懇とまちづくり
提言を実現させるためには、 まちとして共同で取り組むことが必要だということで、 二年後の平成四年に「新・酒を生かすまちづくり懇談会」がつくられます。 この懇談会は、 長い名前なので、 いつも新・酒懇と省略されています。 一年間以上の検討期間を経て、 この新・酒懇から平成五年三月にまちづくり宣言がだされます。
まちづくり計画
その後、 震災の半年ぐらい前の平成六年五月に、 まちづくり計画がつくられます。 この中で、 重点的に取り組むべきプロジェクトが三つ挙げられました。
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