◇1 住吉川の上流にある水車小屋の跡1前に 本文へ 次へ
これは、 住吉川の上流にある水車小屋の跡です。 六甲山の山麓には急流を利用した水車小屋がたくさんありました。 灘区の都賀川の上流に、 今でもまだ水車新田という地名が残っています。 東灘の住吉川の上流にも、 このような水車小屋がありました。
この水車小屋は、 灘の酒造りとも関連があります。 酒を造る米の精米を水車小屋でしていたのです。 また、 菜種を絞って菜種油を作ったり小麦粉もつくっていました。
実はここで一つの特産品ができていたのです。 今は完全に消えていますが、 この小麦粉を使って素麺をつくっていたのです。 意外なことですが、 この辺りでは江戸の末から明治、 大正にかけて、 灘目素麺(なだもくそうめん)という素麺がたくさん作られていました。 この素麺は、 明治時代の万国博覧会にも出品され金賞を受賞しています。
ところが、 大正時代に電気ができ、 水車は要らなくなったのです。 そして、 昭和十三年の阪神大水害で多くの水車が流されてしまい、 ほとんど消えてしまいました。 そして昭和五十四年に、 最後の水車が火事でなくなってしまいました。