住吉川・過去から未来へのタイムトラベル この写真は、 住吉川周辺に残る歴史の足跡をたどったものです。 この住吉川には、 上流に昔の風景があり、 下流とその先には六甲アイランドという未来都市があります。 写真を見ながら、 歴史を振り返ってみたいと思います。 今からお見せするのは、 残念ながら、 震災前のものです。 ですから、 現在はないものもあります。 住吉川上流
今からお見せするのは、 残念ながら、 震災前のものです。 ですから、 現在はないものもあります。
住吉川上流
この水車小屋は、 灘の酒造りとも関連があります。 酒を造る米の精米を水車小屋でしていたのです。 また、 菜種を絞って菜種油を作ったり小麦粉もつくっていました。
実はここで一つの特産品ができていたのです。 今は完全に消えていますが、 この小麦粉を使って素麺をつくっていたのです。 意外なことですが、 この辺りでは江戸の末から明治、 大正にかけて、 灘目素麺(なだもくそうめん)という素麺がたくさん作られていました。 この素麺は、 明治時代の万国博覧会にも出品され金賞を受賞しています。
ところが、 大正時代に電気ができ、 水車は要らなくなったのです。 そして、 昭和十三年の阪神大水害で多くの水車が流されてしまい、 ほとんど消えてしまいました。 そして昭和五十四年に、 最後の水車が火事でなくなってしまいました。
住吉川中流
これは、 白鶴美術館の横にある徳本上人にちなむ徳本寺です。
住吉駅付近
明治七年に大阪・神戸間に鉄道がつくのですが、 その頃の政府は、 今の阪神電車辺りに鉄道を通したかったのです。 ところが「蒸気機関車の煙で酒が腐る」ということで酒屋さんが全部反対し現在の位置になりました。
六甲山の川は全部天井川ですから、 土地より川底が高いため、 橋を架けるのではなくトンネルを掘ることになりました。 ですから、 住吉川、 石屋川、 芦屋川と三つのトンネルを掘っています。 石屋川の鉄道トンネルは、 日本で一番最初の鉄道トンネルとして鉄道マニアに知られています。
ここでは、 家の周りに遊園地にあるような鉄道が走っていて、 門ごとに駅があり、 中で自家発電をしたりしていました。 明治末から大正にかけての頃にです。 住吉川から冷水を引いてクーラーにしたり、 田んぼを持ち、 畑があり、 その中で全部暮らしができたのです。 そういう、 とてつもない金持ちがこの辺りに住んでおりました。
魚崎・御影
移された時、 そのまま移されていたら、 おそらく重要文化財に指定されていたのですが、 少し規模を小さくしたため、 元の建物ではないということで指定されませんでした。 中の道具だけが重要文化財に指定されました。
六甲アイランド
だんじり
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