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住吉川・過去から未来へのタイムトラベル

改行マークこの写真は、 住吉川周辺に残る歴史の足跡をたどったものです。 この住吉川には、 上流に昔の風景があり、 下流とその先には六甲アイランドという未来都市があります。 写真を見ながら、 歴史を振り返ってみたいと思います。

改行マーク今からお見せするのは、 残念ながら、 震災前のものです。 ですから、 現在はないものもあります。


住吉川上流

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◇1 住吉川の上流にある水車小屋の跡1

改行マークこれは、 住吉川の上流にある水車小屋の跡です。 六甲山の山麓には急流を利用した水車小屋がたくさんありました。 灘区の都賀川の上流に、 今でもまだ水車新田という地名が残っています。 東灘の住吉川の上流にも、 このような水車小屋がありました。

改行マークこの水車小屋は、 灘の酒造りとも関連があります。 酒を造る米の精米を水車小屋でしていたのです。 また、 菜種を絞って菜種油を作ったり小麦粉もつくっていました。

改行マーク実はここで一つの特産品ができていたのです。 今は完全に消えていますが、 この小麦粉を使って素麺をつくっていたのです。 意外なことですが、 この辺りでは江戸の末から明治、 大正にかけて、 灘目素麺(なだもくそうめん)という素麺がたくさん作られていました。 この素麺は、 明治時代の万国博覧会にも出品され金賞を受賞しています。

改行マークところが、 大正時代に電気ができ、 水車は要らなくなったのです。 そして、 昭和十三年の阪神大水害で多くの水車が流されてしまい、 ほとんど消えてしまいました。 そして昭和五十四年に、 最後の水車が火事でなくなってしまいました。

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◇2 住吉川の上流にある水車小屋の跡2

改行マークこれも同じです。

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◇3 水車小屋をモデルにしたトイレ

改行マークこれは、 住吉川にある水車小屋をモデルにした公衆トイレです。 かつてここに水車があったことは知られておりません。 水車があった事実を伝えるために、 このようなものをつくり、 まちづくりに生かしていくことを考えました。 震災前に造りました。

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◇4 水車のうす

改行マークこれは水車で使われていた臼(うす)です。 これは住吉川沿いに並べてあります。


住吉川中流

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◇5 住吉霊園

改行マークこれは上流にある住吉霊園の墓地です。 この真ん中に丑(うし)供養の碑があります。

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◇6 丑供養の碑

改行マーク上流の水車小屋に荷物を運んだ牛が、 川に転落死することがよくあったのです。 それを葬り供養した碑です。

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◇7 阪神大水害の碑1

改行マークこれは昭和十三年の阪神大水害の記念碑です。 住吉川の上流の白鶴美術館の上にあります。

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◇8 阪神大水害の碑2

改行マーク記念碑の側面なのですが、 中央に見える線のところまで水がきたそうです。 水位が書いてあります。

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◇9 ヘルマンハイツの案内図

改行マークこれは、 白鶴美術館の対岸にあり、 ヘルマンハイツと通称されている住宅街です。 今の西岡本七丁目になります。 一九一四年、 シーメンス事件という海軍の汚職事件がありました。 ロッキード事件の大正時代版ですが、 そのシーメンス事件の張本人が、 ドイツのシーメンス社という軍艦を売る会社だったのです。 その会社の日本支社長とも言える極東支配人のビクトル・ヘルマンという人がここに住んでいたのです。 その洋館が昭和四十年代まで、 お化け屋敷のような感じで残っていました。 それも壊されて、 現在このような住宅地になり、 ヘルマンという名前の住宅地として名残をとどめています。

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◇10 古墳の石室

改行マークこれはヘルマンハイツのちょっと南にある野寄の群集墳の跡です。 これは、 古墳の石室をそのまま公園の中に移築したものです。

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◇11 白鶴美術館

改行マークこれは白鶴美術館です。 御影公会堂をつくった白鶴の、 嘉納治兵衛さんのコレクションを集めている美術館です。

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◇12 徳本寺

改行マーク江戸時代の後期ですが、 全国に行脚をして浄土教を広めていた徳本上人というお坊さんが住吉村に来ました。

改行マークこれは、 白鶴美術館の横にある徳本上人にちなむ徳本寺です。

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◇13 徳本上人の蔦名号

改行マーク徳本上人独特の字で南無阿弥陀仏と書いてありますが、 これは蔦名号(つたみょうごう)といいます。 このような碑が今でも徳本寺に残っています。

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◇14 火伏地蔵

改行マークこれは、 徳本寺の中にあります火伏地蔵です。 旧住吉村から火の災いをなくそうと愛宕さんを奉ってあるものです。

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◇15 柿の木地蔵

改行マークこれは白鶴美術館の下にある柿の木地蔵です。 横にあるのが柿の木なので、 この名前がついています。 このお地蔵さん本体は新しく大正年間につくられたのですが、 下の台座には幕末の嘉永年間の銘が入っています。 大正時代にこのお地蔵さんに牛を括り付けておいたところ、 牛が暴れてお地蔵さんが折れたそうです。 そのため後から作り直したということです。

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◇16 文禄三年の石仏

改行マークこれは、 住吉中学の横の小林墓地にある東灘区内で一番古い銘のある石仏です。 石仏の左に薄い文字で文禄三年と書かれています。

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◇17 本山にあった茅葺きの家1

改行マークここは住吉川から少し外れるのですが、 旧本山村です。 この村には震災前まで二軒の茅葺きの家がありました。 これはその一つで井上さんのお宅です。

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◇18 本山にあった茅葺きの家2

改行マーク同じく増田さんのお宅です。 残念ながら二軒とも震災でつぶれてしまいました。


住吉駅付近

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◇19 住吉川の鉄道トンネル1

改行マークこれは、 住吉川の鉄道トンネルです。 川の下を鉄道が通っています。 鉄道は普通、 川の上を通るものなのに、 ここでは逆です。

改行マーク明治七年に大阪・神戸間に鉄道がつくのですが、 その頃の政府は、 今の阪神電車辺りに鉄道を通したかったのです。 ところが「蒸気機関車の煙で酒が腐る」ということで酒屋さんが全部反対し現在の位置になりました。

改行マーク六甲山の川は全部天井川ですから、 土地より川底が高いため、 橋を架けるのではなくトンネルを掘ることになりました。 ですから、 住吉川、 石屋川、 芦屋川と三つのトンネルを掘っています。 石屋川の鉄道トンネルは、 日本で一番最初の鉄道トンネルとして鉄道マニアに知られています。

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◇20 住吉川の鉄道トンネル2

改行マーク川の下を鉄道が走っています。

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◇21 旧久原邸

改行マーク左上にオーキッドコートという超高級マンションがありますが、 これはもともと日立財閥の創設者の久原房之助(くはらふさのすけ)さんの邸宅だったのです。

改行マークここでは、 家の周りに遊園地にあるような鉄道が走っていて、 門ごとに駅があり、 中で自家発電をしたりしていました。 明治末から大正にかけての頃にです。 住吉川から冷水を引いてクーラーにしたり、 田んぼを持ち、 畑があり、 その中で全部暮らしができたのです。 そういう、 とてつもない金持ちがこの辺りに住んでおりました。

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◇22 水車の広場

改行マーク住吉駅の横にある水車の広場です。

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◇23 埴輪の広場

改行マーク区民センターからすぐのところの、 古墳にまつわる埴輪の広場です。

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◇24 鉄道の広場

改行マーク住吉駅の鉄道の広場です。 歴史をわかってもらおうという意図で、 JR沿いにこういった広場をいくつか設けました。 これもまちづくりの一つではないかと考えています。

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◇25 嘉納治五郎の碑

改行マークこの碑は灘が嘉納治五郎さんのゆかりの地ということで、 灘高の中に建てられています。 柔道の講道館の創設者であり、 世界に柔道を広めた人で、 御影の出身です。 菊正宗の嘉納さんの一族にあたり、 灘中、 灘高をつくるのに尽力されたそうです。 この辺りですと、 御影幼稚園創設にも、 嘉納さんが尽力しました。

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◇26 倚松庵

改行マーク谷崎潤一郎が住んでいた倚松庵です。

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◇27 倚松庵の全体

改行マーク同じく倚松庵です。 昭和十年くらいから約十年間谷崎が住んで、 ここで『細雪』を書いたといわれています。

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◇28 旧谷崎邸(クリセル邸)

改行マークこれは、 震災前に本山の岡本にあったクリセル邸です。 ここも谷崎が住んでいたのですが、 残念ながら震災で全壊しました。 地元では基金を募って、 再建に取り組んでいるそうです。


魚崎・御影

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◇29 村界の碑1

改行マークこれは、 旧住吉村と旧魚崎村を分ける道標といいますか、 石碑です。 六甲ライナーの魚崎駅のところにあります。

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◇30 村界の碑2

改行マークその反対側です。

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◇31 東灘区民センター分館

改行マークこれは魚崎にある旧魚崎町役場だった建物で、 今は東灘区民センターの分館です。 東灘の旧五ヶ町村で、 昔の役場が残っているのはここだけです。 この建物は震災でもびくともしませんでした。

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◇32 覚浄寺(かくじょうじ)

改行マーク魚崎にあります覚浄寺です。 江戸時代の建物です。 屋根を数年前に葺き替えましたが、 それが震災で潰れてしまい更地になっています。

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◇33 魚崎郷1

改行マーク震災前の魚崎郷の様子です。 桜正宗です。

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◇34 魚崎郷2

改行マーク同じ魚崎郷です。 赤レンガの建物です。

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◇35 御影郷

改行マーク御影郷です。 御影郷の特徴は、 路地が細いことです。 これも震災で全部なくなりました。

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◇36 御影、 浜街道

改行マーク御影の浜街道の町並みです。 これも震災で全部、 家が潰れてしまいました。 今は更地もあり、 新しい家が建っているところもあるという、 歯抜けの状態になっています。

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◇37 魚崎郷3

改行マークまた魚崎郷です。 桜正宗の山邑さんの邸宅です。 これも震災で潰れました。

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◇38 山邑邸

改行マーク山邑邸の門です。 これも震災でやられました。

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◇39 菊正宗酒造記念館1

改行マーク菊正宗の酒造記念館です。 これも震災で倒壊しました。 今は、 再建の計画中ということです。

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◇40 菊正宗酒造記念館2

改行マークこれも、 菊正宗の酒造記念館です。

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◇41 菊正宗酒造記念館

改行マーク菊正宗の酒造記念館の内部です。 この内部の資料が、 重要文化財に指定されています。 建物は指定されていません。 元々は御影にあり、 国道四三号線をつくる時にその用地にかかるということで、 今の場所に移されました。

改行マーク移された時、 そのまま移されていたら、 おそらく重要文化財に指定されていたのですが、 少し規模を小さくしたため、 元の建物ではないということで指定されませんでした。 中の道具だけが重要文化財に指定されました。

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◇42 菊正宗酒造記念館−水車小屋

改行マーク菊正宗の記念館の中にあった水車小屋です。


六甲アイランド

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◇43 六甲大橋

改行マーク六甲大橋です。 これを渡りますと、 未来都市・六甲アイライドへと行くことになります。

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◇44 六甲アイランド

改行マーク六甲アイランドのビルです。

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◇45 小磯記念美術館

改行マーク小磯記念美術館です。

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◇46 ファッションマート

改行マークこれはファッションマートです。

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◇47 水の公園

改行マーク六甲アイランドは、 海の手六甲といいますが、 実は住んでいても海が見えないそうです。 ですから、 水に親しんでもらうということで、 まちの中に水を使っているということを聞いたことがあります。


だんじり

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◇48 だんじり1

改行マーク東灘の名物のだんじりです。

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◇49 だんじり2

改行マークこれもだんじりです。

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◇50 渦ヶ森から見た東灘

改行マークこれは、 渦ヶ森から見た東灘の全景です。

 

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