最初に、 後藤さんを介して戸澤さんにお会いし、 いろんな夢をお聞きしました。
後藤さんも私も、 こういう路地の奥にある隠れ家的なシチュエーションが気に入っていました。 彼は彼なりにアプローチの作り方に夢を持っていましたし、 私は私なりに隠れ家の奥にあるホールにいろんな思いを抱きながらやってきました。 最終的には諸々の事情や時間とか費用とかで至らなかった面があるのですが、 戸澤さんがおっしゃったように、 時間をかけてそれなりの修正をし、 皆さんのお力添えを頂きながら、 ここにこのような場が実現した事を出発点にして、 我々の思いも少しずつ実現の方向に向かって行けばいいと今は思っています。
では「TOZAWAコート」の設計主旨について簡単に説明させて頂きます。
戸澤さんのお話や、 この狭い岡本という街、 大学生・若者の街、 密度濃く構成されている街並みの中で、 ホールにはどういう表現手段が良いかを私なりに考えました。
若い人の力を喚起したいと思い、 「知の生産工場」というコンセプトを持ち込み、 かなりハードな表情になるようにと考えました(資料1ページ目)。 外観にはその面影が若干残っていますが、 残念ながらできあがった建物の見えがかりもホールも当初イメージしたものとは違うものになってしまいました。 空間や建物の質が人を引き付ける要素になると思いたい設計者としては、 中途半端で本来の役割が果たせない状況になった分、 心残りな思いがしますが、 これには困難なホール運営を担われる振興組合さんのいろんな思いや試行錯誤、 迷いもありました。 これから振興組合さんが大変な目に遭われるわけですから、 我々が控えなければならない面かと今は受け止めています(資料2ページ目)。
建て方としては、 時間を越えてゆける事に腐心している分、 変わりうる部分を十分考慮しながら、 建物の骨を大事にするのが私の考え方です。 骨格がくずされないように、 動かせない骨組のみがコンクリートで造られています。 一方、 いろんな状況に応じて対応し、 変化していくというかたちを考えています(資料3ページ目)。
できるだけ大きな空間を取る事を主眼にしていますので、 梁とか柱とかを極力少なくするためボイドスラブという工法を採用しました。 会議をしているこの空間は、 今は廊下との間に間仕切りがございますが、 とってしまえば一階をほとんど一つの空間にできます。
この建物の骨がいつまでも生き続け活かされて社会資本として残っていってもらえればというのが、 設計者としてのささやかな願いです。
「建築設計者」から
計画工房INACHI 高月昭子
私と後藤さんは水谷頴介先生の同門の弟子という関係ですが、 それぞれ思っている方向と歩んできた道がなかなか一致せず、 今回初めて一緒に仕事をさせてもらいました。 同門ですから、 お互い遠慮の無い分ものづくりの手法の違い、 考え方でやり合う事もありました。 とはいえ後藤さんがこの地で長い年月粘り強く尽力されてきたこと、 岡本の街づくりを裏方としてここまで実らせてきた事、 そしてここに一つのホールを作るという仕掛けをされたことがまずあるわけですから、 これをなんとか実現させて後藤さんの思いを実らせるために、 力を尽くしお手伝いをする事が今回の主眼であり、 私の役目であったと認識しています。
“TOZAWAコート”Page 1
“TOZAWAコート”Page 2
“TOZAWAコート”Page 3
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