まず、 なぜ民間文化施設なのかということについてお話しします。
おそらく阪神間の文化的な土壌は行政主導ではなく、 そこに住む住民の方々が築き上げ、 支えてきたのではないかという点が指摘できるように思われます。 鉄道会社による開発も、 もちろん大きな役割を果たしていますが、 より注目すべきことは、 大阪に住む資産家や住民が、 この穏やかで豊かな気候風土を愛し、 ここがいい場所だと思い、 自宅を構え、 同時にその環境づくりを行ってきたことが、 その基盤を支えていたと考えられる事です。
そうした特徴を示すこととして、 まず、 非常に早い時期に先駆的な個人美術館が建設されていたことが挙げられます。 代表的な「白鶴美術館」(白鶴酒造)は七代目嘉納治兵衛によって作られました。 昭和九年の話です。 また神戸市東部地域ではありませんが、 池長孟がつくった南蛮美術館(現「神戸市文書館」)が中央区に残されています。 個人美術館が全国的にもまだ珍しかった昭和初期に、 このようなコレクションの充実した二つの個人美術館がこの神戸、 阪神間にあったという事実は特筆すべき事であると思います。
もう一つの特徴は、 一流のアマチュア文化人を育てる土壌があったということです。 その一例として教会堂を中心とした日本でも最初期の合唱団が関西学院によってつくられたという事実があります。 おそらくこうした今までに積み重ねられてきた事例、 文化的土壌が、 現在の民間文化施設の発展に繋がっているように思われます。
なぜ民間文化施設か
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