復刊「きんもくせい」がめざすものまちづくり会社コー・プラン代表小林 郁雄 |
阪神大震災から四年余、 50か月が過ぎた。 復興市民まちづくり支援ニュース「きんもくせい」の終刊50号(1997年8月25日)からでも、 一年半である。
大震災被災地では三年で8割までが戻ったという1998年1月から、 すべての指標は変わっていない。 停滞の一年であった。 というより、 日本全体の低迷経済に合わせて、 それ以上の進展は望めない状況が固定されたといえる。 それでも震災復興都市計画事業は着々と事業が進行している。 遅々としてではあるが停滞・後退することなく、 各土地区画整理地区の仮換地指定に応じ、 個々の建築再建が共同住宅建設などと共に進んでいる。 もちろん復興市街地再開発事業も多くの危惧をはらみながらも、 順次管理処分計画に応じて、 施設建築物の建設が進められ、 新長田南地区では既に2棟が完成し入居も始まっている。 応急仮設住宅からの主に災害復興公営住宅への移転は終盤を迎え、 仮設住宅は三月末で正式には供与終了し、 五千戸を割った入居者も六月末の移行期限後で転居先が見つからぬ世帯は一千戸未満になるという見通しである。 こうした大震災被災地の現状は、 もはや全国版のニュースどころか、 被災地の中でさえ淡々とした日常的な記録・報告でしかない。
私たちは支援ニュース「きんもくせい」を、 「復興まちづくりとともに」(第25号/960311)発行してきて、 「震災復興からまちづくり支援へ−これから本当の市民まちづくりははじまる」(終刊50号/970827)と約束して終えた。 それから1年半、 「情報」と「論集」という形で細々とではあるが「きんもくせい」を継続してきたが、 コミュニティスペース「茶店きんもくせい」の経営、 「復興まちづくり報告'97」(971114〜15)、 その記録「震災復興が教えるまちづくりの将来」の刊行(980225、 学芸出版社)、 「市民まちづくりブックレット」の発刊(NO.1神戸東部まちづくり文化のルーツ990210発行)といった活動に転化してきた。
もちろん、 支援ネットとしての神戸東部や阪神の白地地域を中心にした連絡会やフォーラム、 HAR基金やこうべすまい・まちづくり人材センターなどへの協力、 加えてコレクティブハウジング事業推進応援団の「ふれあい住宅居住者交流会」、 震災復興・実態調査ネットワークの「景観空地調査」、 阪神グリーンネットの「ガレキに花を」といった活動への参画は続けてきたし、 これからもまだまだ続く。
1999年度四月から震災5年を期して、 月刊で「報告きんもくせい」として復刊します。 あのせわしなくも緊迫感と使命感に満ちた第1号〜第50号の時に較べれば、 もう少し丁寧に震災復興を反省しながらゆっくりと「市民まちづくり」支援への取り組みを、 報告していきたいと思う。 巻頭の主張、 2〜3頁にメインとなる報告、 4〜5頁に連載(景空調査、 野田十勇士、 若手ネット、 神戸復興塾など)、 6頁に記録・情報という構成である。 すでに一年12号分のラインナップは一覧表にした。 筆者には順次執筆依頼をさせていただくので、 よろしくお願いします。 (990414記)
1998年の12月の半ば、 久二塚西ふれあい住宅(JR新長田駅南地区再開発事業の賃貸受皿住宅=神戸市営住宅)が入居しました。
震災の年の12月、 長田区二葉いこいの家で、 仮設住宅にいるひとり暮しお年寄りに寄ってもらって、 初めてコレクティブハウジングの話をしてから、 丸3年が経ちます。 その時の様子は、 『そんな住宅、 理想的や。 そやけどわたしら5年も待たれへん!』と題して、 “きんもくせい 23号/96.1.27.発行”で報告しました。 ほんまに長いことお待たせしました。
久二塚地区の従前居住者には高齢単身世帯が多く、 鉄の扉を閉めると全く外部と遮断されてしまうような鉄筋コンクリートの共同住宅に住むのが初めての人も少なくありません。 新しい住宅に移り住んだ後、 住宅に閉じこもり孤独に陥ることがないように、 日常生活の中で自然な形で住人たちがふれあい、 相互扶助が育まれるような仕掛けをもった住宅の供給が必要です。
それは震災で消失してしまった下町の長屋住まいのようなふれあい生活の再生ともいえます。 一方、 受皿住宅のうち小規模住戸棟(1DKと2DK)には、 住戸面積の狭さを補うためにも、 自分たちの住まいのつづきのように自由に使える大きめの協同スペースがあれば便利だし快適です。 ということで、 『いつでも誰かに会えるし、 いつでもひとりになれる』『ひとりで食事をするよりは、 たまには大家族のように集まって食べよう』という住まい方のコレクティブができました。 しかし、 受皿住宅なので、 コレクティブ生活を好むと好まざるとにかかわらず入居せざるを得ない人もいるので、 ワークショップでは、 新しい生活に移ることや近隣関係等への不安を和らげるために、 入居前にみんなでしゃべり合って、 ゆるやかな協同居住(ふれ合って住むこと)の理解を深めながら、 入居までの長い時間を健やかに待っていてもらうことに重点をおきました。
第1段階は97年2月から夏ぐらいまでで、 必ずしも受皿住宅の入居を心に決めた人ばかりでなく、 当地区の従前居住者たちが気楽に集まり、 ふれあい住宅についての意見交換や協同台所に設置される電磁調理器の使い方実習を兼ねた料理教室やお茶会などをしました。
早いもので、 私たちが「(仮称)若手プランナーネットワーク」として活動を始めてから1年と半年以上が過ぎています。 今は、 もはや何の違和感もなく他のメンバーの皆さんと、 公私にわたり様々な活動(遊びも含めて)を繰り広げるようになっていますが、 もし阪神・淡路大震災がなければ、 こんなようにはならなかっただろうと考えると、 色々と複雑な感慨にとらわれます。 今回「きんもくせい」誌上で、 多くの字数をいただけることになったので、 これを機に、 活動の端緒とこれまでの経緯を振り返ってみたいと思います。
「(仮称)若手プランナーネットワーク」としての活動を始める以前、 主だったメンバー達が互いの顔を意識しはじめたのは何時頃になるでしょうか。 私に関していえば、 神戸復興市民まちづくりネットワークの東部連絡会に出席させていただくようになり(第8回目からでした)、 その関係の様々な集まりで、 何度となく顔を合わせる中で、 自然に見知るようになりました。 特にコープランの吉川さんの独特の印象(丸メガネとモジャロン毛、 バンダナ)は覚えやすいものだったようです。 そして今や毎年の恒例となった東部連絡会の夏のイベントの第2回目、 正確な日時は失念しましたが平成9年の7月ごろに、 復興なった「酒心館」(当日はまだオープン前でした)で行われたまちづくりフォーラムの打ち上げ後(酒心館・安福社長からお酒が振る舞われ、 皆いい気分になっていました)に、 「顔知ってるのに挨拶せんのもなんやなあ」と、 その吉川さんと声を掛け合ったのが最初になります。 話してみると、 仕事であれボランティアであれ自分が関わる「まちづくり」に関し、 活動の中心になっておられる40〜50代のプランナーの方々の感覚ではなく、 より年齢の近い世代の中でもっと自由に話をしてみたいという気持ちがお互いにあることがわかり、 「じゃあ一度、 友人や知り合いに連絡して皆で集まってみましょうか」ということになりました。 その後、 連絡をとる準備をしている折り、 別のまちづくりの会合で、 コープランの小林さんがレジュメに「若手ネット」と記されているのを目にしました。 あわてて「吉川さんから何か連絡がありましたか」と尋ねると、 「いや決してそうではない。 勝手に書いたのだ」との御返事でした。 「若手よ、 集まってなんかせんかい」と長老陣(失礼!)に言われて集まったように思われるのも癪でしたので、 「いやー、 丁度皆で集まろうとしてたんですよ」と釈明し、 その場でジーユー計画研究所の中川さんらに声をかけ、 すぐさま準備会を開くように段取りをつけました。
そして平成9年8月25日、 コープランの吉川さん吉原さん、 遊空間工房の山本さん本岡さん、 ジーユー計画研究所の中川さん、 いるか設計集団の浅見と松原が、 世話人会として、 いるかのアトリエに集まり、 今後の進め方について検討しました。 そして同9月5日、 茶店「きんもくせい」をお借りして、 第1回「(仮称)若手プランナーネットワーク」勉強会を開催しました。 以後、 1〜2カ月に1回程度勉強会を行い(現在までに通算12回)、 これを軸に様々な活動を行っています。 神戸市東部の震災後のまちを歩き検証する「M-NET」(既に灘区は制覇)、 阪神間の水系を探る試みである「水ネット」、 「naddism」を中心とした多岐に渡るまちづくり活動を展開されている慈憲一・馨子御夫妻が主催する「水道筋クラブ」との連携、 「港まち神戸を愛する会」の若手中心人物・中尾嘉孝さんの様々な町並み見学、 …。 いずれも主体的な参加を旨としており、 ネットワーク内ネットワークとして、 時にゲストを交えつつ活動を続けています。 また、 メンバーも少しずつ増え、 活動に多様性が生まれつつあります。
さて、 「(仮称)若手プランナーネットワーク」という名称についてですが、 これまでメンバーの間で「このままではいかん」との意見もあったのですが、 代替案は幾つか示されたものの決着がつかず、 ズルズルと「(仮称)」を引きずって来てしまいました。 (「(仮称)」のままでいいのだ、 という意見もあり。 )「若手」なる語を自らに冠するのも不自然な感があり、 また「まちづくり」に関し、 私たちの間で議論を深める段階に達しているように思えるので、 そろそろ別の名称に変えてもいいのではないかと、 個人的には考えていますが、 いかんせん、 メンバー皆さんとの協議になるので、 どうなることやら分かりません。 また最近、 勉強会の進め方についても、 あまりにも穏健でこれでは単なる報告会ではないか、 という意見や、 「勉強」だけの会ではなく何らかの新しい考え方を議論/提示すべきだという意見などが、 出てきています。 お互いの立場を随分知りうるようになった現在、 私たちは次の段階へ足を踏み入れるべき時期に来ているのかもしれません。 以上、 今回はこれまでの経緯を簡単に報告しましたが、 次回から、 より実践的/実験的/啓示的な報告ができればと考えています。
震災後、 住宅再建戸数は、 市街地復興の指標となっていた。 しかし3年を経過し、 再建の動きは停まった。 そして再建できない、 あるいは使い方の決まらない敷地が、 更地のまま地域に点在し、 新たに建てられた住宅がこれまでとは異なる風景をつくりだしている。
まちの姿が見えてくるにしたがい、 塗装パネルの箱形のプレファブ型住宅が多くなったことにより、 阪神間でも長田でも同じような街並みとなってきたことや、 点在する更地が空地のまましばらく残るであろうことが気になり始める。 大量の自力再建を支えた現在の住宅供給システムによって、 とりあえず建物はできたが、 生活の場としてのまちづくりはこれからである。
被災地再建からまちづくりへと移行していくにあたって、 次のまちづくりにつないでいく手がかりを、 空地の活用や個々の家の敷き際や外溝の作り方をつないでいくことによる街並み形成のなかに見いだしていこうと、 震災復興・実態調査ネットワークが主体となって「景観・空地調査チーム」をつくり、 空地活用や景観形成の提案につながる調査と検討を始めた。
再建市街地の現状を見ると、 「どこでも同じ風景になってきている」といわれるが、 ほんとうにそうなのだろうか。 密集市街地では、 再建によって住宅性能は向上しているが、 基本的な街区構造や敷地の密集性は変わらない。 街区の基本構造は住宅の建て方に影響するし、 住み手の暮らし方が違えば、 景観にも地域性がでるのではないだろうか。 再建市街地の中に、 これからの町並みにつながる芽があるのではないか。
こうした議論を踏まえ、 (1)どこでも同じような街並みができているといわれる再建市街地の実態を確認する、 (2)そのような再建市街地のなかで、 新しい街並みの兆しを示す景観要素やこれからの街並み形成につながる事例を発見することを目的に、 景観の実態調査を始めた。 調査対象は、 これまで実態調査や復興まちづくり支援を行ってきた住宅系市街地とし、 長田(齋木)、 野田北部・味泥(三輪)、 兵庫(吉川)、 水道筋(天川)、 灘東部(浜田)、 深江(辻)、 芦屋(小浦)、 西宮(伊勢)の9地区である。
どこでも同じ風景となっている要因として、 リブ型ブロック塀と黒い柵、 囲いのない敷き際に建つ玄関ポール、 敷き際のコンクリート敷きの駐車スペース、 塗装パネルに覆われた箱形住宅、 木賃に代わってできてきたプレファブ・アパート、 ゴールドクレストやレッドロビンといった緑化材料に注目して、 地域性の喪失を確認する作業を行っている。
空地については、 これまでの実態調査結果や灘区のスポット創生事業の経過を踏まえ、 まちづくり資源としての空地の可能性を検討することを考えている。
今後の連載のなかで、 地区ごとの景観・空地の実態とこれからの街並み形成の可能性について報告していく。 (なおこの調査はHAR基金の助成を受けて行っているものである)
4月9日(金)、 阪神白地まちづくり支援ネットワークの7回目の連絡会が行われました。 今回のテーマは、 「コミュニティと商業」で、 次の3人の方々から報告がありました。
このブックレットは、 学芸出版さんの編集協力で発行しますが、 通常の書店販売ルートにのらない自主出版です(神戸の大手書店では販売しています)。
「松本地区・森南地区」(辻信一)、 「若宮地区・西宮北口北東地区」(後藤祐介)、 「六甲道駅北地区」(岩崎俊延)、 「築地地区」(山口憲二)、 「六甲道駅南地区」(有光友興)
小森星児(神戸山手大学)、 伊藤喜栄(神奈川外大)、田口芳明(大阪府立産業開発研究所)、 矢田俊文(九大)、 石原照敏(阪南大)、 辻悟一(大阪市大)、 森川滋(大阪経済大)、 川島哲朗(大阪市大)、 加藤恵正(神戸商大)
■ 阪神大震災復興 市民まちづくり支援ネットワーク 事務局
●「きんもくせい英語版」のインターネットアドレス:
長いことお待たせしました!
久二塚西ふれあい住宅が入居
長田区の下町居住の再生
コレクティブハウジング石東・都市環境研究室
石東 直子
なぜ久二塚にコレクティブハウジングなの?
この再開発事業の受皿住宅にコレクティブの導入を提案したのは、 当地区の再開発事業の設計・監理を受託し、 コンサルタント業務もボランティアしている森崎輝行さんです。 彼は長田の再開発にはコレクティブ的な生活再建が必要だと提案し、 神戸市都市計画局を動かし、 コレクティブが事業化されることになりました。 計画が本格化してから、 久二塚6まちづくり協議会住宅部会はコレクティブの勉強会を始め、 97年2月からは受皿住宅の入居希望者たちに集まってもらって、 「ふれあい住宅のつどい=入居前協同居住の学習・体験ワークショップ」を続けてきました。
ワークショップの流れ
ワークショップは森崎・石東コンビで進めてきましたが、 まちづくり協議会、 京都府立大住居学科の学生、 事業担当の神戸市スタッフをはじめ、 時々に沢山のサポーターが参画してくれました。 2年間のワークショップは事業の進捗に沿って3つぐらいの段階があります。
部屋の位置は好きなところを選びました
料理づくりはみごとな包丁さばきのお好み焼き屋のお父さんや、 さっちゃんとかよしちゃんとか名前で呼び合う仲良しもいて華やぎました。 97年8月の起工式を終えてから98年初夏までの第2段階は、 建物完成模型を見てふれあい住宅の造りを知り、 少し真剣になってふれあい住宅について気になっていること、 協同室の使い方や管理のについて話し合ったり、 真野ふれあい住宅(98年1月末入居)を訪ねたりしました。 毎回のワークショップはふれあい料理づくりとしてお節料理の会やお雛様昼食会、 お茶会などを組み込んで、 食をもってふれあう心を育んでいきました。 しあわせの村の温泉へバスツアーもしました。 この間は毎回30名前後の参加者があり、 会合の様子を伝える「ふれあいだより」も発行しました。 98年夏に住宅の入居申し込みが始まり、 入居内定者が決まってからは第3段階になります。 入居までに決めなあかんこと、 入居後に決めることなど沢山あり、 月に1〜2回のペースで名称も新たに「久二塚西ふれあい住宅のつどい」とし、 入居後の現在もまだ続けています。 この間の主なテーマは、 住宅見学会、 入居時の必要品(カーテン、 照明器具、 網戸など)の共同購入、 みんなで住戸位置決め、 協同室の備品購入、 引っ越し日程調整などで、 竣工記念パーティもしました。 入居後は自治会役員の選出、 協同室の運営規則の検討と運営委員の選出などと、 現在は路地広場の花壇づくりが進行中です。 なお、 共同購入では大量購入で安くしてもらったお金の一部を入居後の協同居住の運営費に貯えました。
こんな造りの住宅・入居者たちです
場所は腕塚町6丁目、 南北棟2棟(構造的には1棟)が向かい合っており、 棟間の2階レベルは人工地盤で屋外コレクティブスペース(路地広場)があります。 この広場に面して東棟の2階に屋内コレクティブスペース(楽笑室と名付けた)があります。 ふれあい住宅は58戸で、 西棟(5階建で1階は店舗、 2〜5階に住戸28戸)と、 東棟(7階建で1階は駐車駐輪場、 2階は楽笑室、 3〜7階に住戸30戸)で、 住戸は1DKが45戸と2DKが13戸で、 現在は45戸の入居です。 楽笑室は約200m²で協同台所、 食堂、 談話室、 趣味室(和室)と広縁があります。 路地広場は約300m²で楽笑室の前には木製デッキがあります。
現在の居住者はふたり世帯が13とひとり世帯が32で、 男が16人、 女が42人です。 年齢構成は65歳以上の割合が73%で、 75歳以上でみると27%です。 40歳代以下が4人、 50歳代が5人、 60歳代が21人、 70歳代が19人、 80歳代が9人で、 最高齢者は88歳、 最年少者は18歳です。 ワークショップでは元気なおばちゃんが多くにぎやかなおしゃべりにあふれていたので、 下町の人々がこんなに歳をとっているとは気がつきませんでした。
久二塚西ふれあい住宅の特徴
災害復興公営住宅のコレクティブは10地区341戸が事業化され、 すべてが入居しました。 その中で久二塚西ふれあい住宅は特徴がいくつかあります。 まずは受皿住宅なので入居者の多くが昔から顔見知りで、 同じ事業用仮設住宅に入居していた人も少くなく、 いくつかのグループが連れもって入居したようなものです(グループ入居)。 しかし、 震災前の久保町、 二葉町、 腕塚町の各6丁目がひとつになって久二塚西ふれあい住宅に入居したので、 各丁ごとのグループは出しゃばったらあかんという遠慮があるようで、 それはワークショップに現れています。 先に手を上げる人はいないけど、 誰かが推されてやりだすとすぐ輪に入ってお世話好きしてしまいます。 また、 同じ下町にいた人たちなので、 立体長屋になっても気軽に隣人の鉄扉を開けているようです。 「こんなええ協同室があるんやから、 使わなもったいない。 宝のもちぐされになる」という声がしばしば聞かれます。 年はとっても、 まだまだ気力も体力もおしゃべりも声の大きさもあふれており、 何よりも旧知の仲が多いので、 楽しみなスタートです。
路地広場の花壇づくりの第一段を終えて
先の雛祭り昼食会は3日前から準備して、 散らしずし、 蛤のおすまし、 カレー、 ギョウザとそれはそれは見事な御馳走をつくり、 30余名が参加して盛り上がったとのことです。 今、 路地広場の花壇、 野菜鉢づくりを居住者の協働で進めていますが、 ここが町なかのオアシスになり、 七夕さん、 地蔵盆、 お月見、 クリスマスなどの野外舞台になることを夢見ている私です。 (4/10記)
若手プランナーネットの活動
〜その端緒と経緯〜いるか設計集団
松原 永季
第1回勉強会(茶店きんもくせいにて)
住宅再建からまちづくりへ
大阪大学
小浦 久子
道路後退部分(神戸市長田区)
道路後退部分(芦屋市)
また新しい景観の芽を探るため、 3軒ならべば街並みであるとして、 調査を始めた。 しかし実際には、 3軒のまとまりでとらえられるような対象を見つけるのはなかなか難しく、 敷き際のデザインや緑のにじみだし、 街並みのポイントなる店やコーナーのデザイン、 2項道路沿道の再建に伴うセットバック空間の使い方など、 景観形成の手がかりになる要素が見いだされてきた状況である。
駐車スペース(神戸市灘区)
駐車スペース(芦屋市)
阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第7回連絡会記録
〜 コミュニティと商業について 〜
片寄さんからは、 衰退が顕著な三田市の商店街に空家を利用した研究室を開設し、 地元商業者と学生さんたちとの活性化に向けた交流というユニークな取り組みについての報告がありました。 曹さんからは、 南京町でのこれまでのまちづくり−区画整理や震災後の取り組み、 春節祭など−について語られました。 三好さんからは、 岡町地区での豊富な取り組みの経験や自身の商業活性化の考え方などについて報告がありました。 次回は、 6月開催予定。
情報コーナー
「市民まちづくりブックレット」発刊!
当ネットワーク編集のブックレットができました。 これは、 復興市民まちづくりの取り組み−主にシンポジウムなど−をまとめたもので、 年4回発行予定です。 定価は500円+税。 1冊目は「神戸東部まちづくり文化のルーツ」で今年2月に発行しました。 2冊目は「震災復興まちづくり・本音を語る」(4月末予定)、 3冊目は「都市の記憶シンポジウムの記録」(5月末予定)のタイトルで発行していきます。
当ネットワークが「関西まちづくり賞」受賞
第39回水谷ゼミナール
経済地理学会関西支部シンポジウム
てんdeアートvol2 バルーン−柔らかな時間−
第3回わくわくワークショップ全国交流会
「きんもくせい」は月1回発行。
市民ブックレット(年4冊発行)と併せて年間購読料は5,000円です。下記ネットワークまでお申し込みください。
〒657-0024 神戸市灘区楠丘町2-5-20 まちづくり(株)コー・プラン内
TEL.078-842-2311 FAX.078-842-2203 E-mail:mican@ca.mbn.or.jp
担当:天川佳美、 中井 豊、 吉川健一郎
◆ http://www.hyogo-iic.ne.jp/~INS93031/
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