きんもくせい50+4号
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土地区画整理事業と密集市街地整備の融合に向けて

越澤 明(北海道大学大学院工学研究科教授)

改行マーク土地区画整理事業については、 これまで大きな議論と世間の注目の的となってきた。 すでに、 多くの地区で仮換地が終了し、 戸建て住宅ばかりか、 集合住宅の建設まで進んでいる。 土地区画整理事業については、 むしろこれから、 都市計画決定から住宅復興に至る過程、 現在の地元住民の考え・感慨などに関するフォローアップを行い、 全国の防災まちづくりに対する貴重な教訓とし、 必要な法制度の丁寧な見直しや心のこもった優しい運用改善に役立てるべきである。

改行マーク一方、 区画整理が実施されなかった伊丹、 宝塚などの都市においても、 家屋倒壊が多数にのぼり、 幅員4メートル未満の狭隘道路が大半を占める被災地区が随所に存在している。 これらの地区では復興に向けての努力が、 区画整理のような世間の注目を浴びずに、 粛々と着実に進んでおり、 すでに、 生活道路の拡幅と住宅の復興がほぼ完了した。 その結果、 地区の姿は見違えるよう一新されており、 まさしく<復興>という言葉にふさわしい成果が現れている。

改行マークこのような密集市街地整備促進事業の適用によって復興された地区には、 駅に近接した市街地のスプロール地区と旧農村集落の2つのタイプが存在する。 前者は宝塚市の川面、 売布地区などがあり、 後者は伊丹市の鴻池、 西野、 荒巻中央地区である。

改行マーク昨年12月と本年6月、 兵庫県と地元両市にお願いして、 これら密集市街地の復興の姿を自分の目で確認する貴重な体験をさせていただいた(後者は小林郁雄さんも一緒)。 拡幅新設された地区内の<幹線道路>は幅員5メートルであり、 道路に沿って民有地をセットバックしていただき、 その後退用地を買収することを基本的な整備手法としている。 また、 転出希望者の敷地を買収してポケットパークを設置した個所も存在する。 この復興道路の選定は地元住民との十分な協議、 合意形成を経て、 実施されたことはいうまでもない。

改行マーク区画整理との対比で、 大変興味深いことは、 密集事業による復興道路は線形が曲がりくねり、 また、 細かく上下にアップダウンしていることである。 これは、 現況の道路や敷地境界を尊重している(つまり、 区画の整理をしていない)ため、 生じた現象である。 つまり、 セットバックによる生活道路の確保に徹して、 ほどほどの水準の復興を目指している。

改行マークとは言っても、 特に旧農村集落の復興の姿は大変立派なものであり、 本瓦葺きの邸宅、 石垣や生け垣、 高級外車が随所に見られ、 <品があってかつ美しい高級市街地>が出現している。 幅員5メートルの復興道路の必要性とその恩恵は高級外車を置けることにより、 地元住民に実感されていることは間違いない。

改行マークこのセットバック方式の災害復興は、 実は戦前では全国で頻繁に実施されていた。 それには市街地建築物法の後退建築線の制度を災害跡地に適用している。 このたび宝塚、 伊丹両市の復興の取り組みを確認して実感したことは、 生活道路の確保という共通目標の点で、 区画整理と密集事業の融合を図るべきであること、 そして、 10年前の旧著『東京の都市計画』で述べたように、 建築線制度を復活させるべきである、 ということである。

改行マーク伊丹市の3つの地区ではすべて復興史まで刊行しており、 この点でも、 すばらしいと感じた次第である。


 

全焼地区・長田区御蔵通5・6丁目における
共同再建住宅と「コミュニティプラザ」構想(上)

小野 幸一郎(まち・コミュニケーション)

はじめに

改行マーク「きんもくせい」の読者の皆さま、 初めまして。 私は震災後、 神戸市長田区御蔵通5・6丁目の支援を柱に活動している者です。

改行マーク震災前は東京に住み、 いわゆる(のちに呼ばれるところの)「震災ボランティア」として震災一週間目に長田に入り、 仲間と共に「デイリーニーズ」という手作り日刊新聞を発行、 その後その新聞は「ピースボート」というNGOが現地本部を置きながら2ヶ月半に渡り発行し続けました。 その後新聞は地元グループ「すたあと−これからの長田を考える会(のちに「すたあと長田」と改称)」に引き継がれ、 週刊(のち隔週刊)の「ウイークリーニーズ」として発行、 これが何度か形が変わり98年3月まで続くわけですが、 私はこの新聞の最後の編集長を努めました。 「ウイークリー」は全8巻「阪神大震災復興市民まちづくり」にも掲載させていただきましたので、 皆さまにはこちらの顔の方がうれてる(?)かもしれません。

改行マーク要するに、 私はこと「まちづくり」や「住まいづくり」に関してはまごうことなき門外漢であり素人です(でした?)。 たまたま自分の活動していたグループの拠点が区画整理の指定を受けた全焼地区であり、 地元の「御蔵通5・6丁目町づくり協議会」の役員会にひょんな事から出席させて戴いたことがきっかけとなって、 「まち」を支援するという恐れを知らぬ大上段な旗を掲げた「まち・コミュニケーション」なる小さなグループを、 大学(しかも社会学)出たての女性と地元中小企業の社長さんとで立ち上げました。 96年4月のことです。

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共同再建住宅計画地
改行マーク前置きがやたら長くなりましたが、 恐らくは本誌に寄稿されてる方々の中ではちょっと異質であろうと思いましたので触れておきました。 また、 これからご紹介する共同再建事業は、 私の力と言うよりは、 事業立ち上げ時に奔走して下さった近畿大学・小島孜教授、 私の相談を快く聞いて下さった宮西悠司先生、 厳しい状況の中でねばり強く計画実現に向けて設計図を十何回も書き直して下さった武田則明先生、 そして目が眩むような諸手続の実務を担って下さった(株)武田設計のスタッフの皆さん、 そして私たちと共に常に最前線で活動して下さる(株)兵庫商会・田中保三代表取締役、 その他多くの専門家・住民の皆さんのご協力の賜物であることを最初に申しあげておきます。

改行マークでは、 共同化ができるまでを、 駆け足にですがご紹介するのと、 その1階で検討している「コミュニティプラザ」について簡単にでありますがご報告させていただきます。


住まいのイメージを求めて

改行マーク12件の地権者による復興共同再建「みくら5」は、 12月竣工を目指しながら、 現在着々と工事が進んでおります。 個人住宅は10件、 店舗が2店舗、 そして"施設"が1件(この施設については後述します)。

改行マーク御蔵通5・6丁目で「共同化による再建」という話が協議会にのぼったのは、 震災から丸1年を経た頃でした。 当時協議会は区画整理の住民案を神戸市に提出すべく頻繁に役員会を開いていましたが、 住民の思いはどうしても「住まいはどうなる?」の方にいき、 議論がなかなか前に行かない状態でした。 「道路・公園の絵」ではなく、 「住宅の絵」が欲しい…区画整理の指定を受けた以上、 まずは基盤整備を整えなければならない事は頭で判っていても気持ちがついていかない…何名かの役員のそんな思いをうけ、 協議会会長が当時何度か御蔵菅原に足を運ばれていた小島孜教授に「住宅の絵」を書いて下さるよう依頼したのが震災の年の冬。 それを受けて、 年が明けた4月に御蔵5・6丁目の1/4相当に当たる6丁目北ブロック全てを共同化で再建する大胆なプランが小島教授から提示されました。  敷地面積7261m²、 住戸15区画、 事務所2区画、 駐車場144台という大プロジェクト案は、 地主・借地・店子が一定のルールに基づく権利配分で取得面積が配分されるという、 御蔵に住んでる(いた)全ての人が参画できる「夢」を映したプランでした。 しかし、 その壮大さゆえ、 神戸市からは「実現不能」というクールな返答しか返ってこず、 案は宙に浮いたような格好になりました。


ヒアリングから準備会へ

改行マークそれから半年がたち、 区画整理の住民案を市に提出後、 やはり何とか御蔵に共同化が実現できないかという気運が役員会で高まり、 そこで当グループの立ち上げ時よりお世話になっている早稲田大学・浦野教授の研究グループの協力を得ながら、 共同化事業の当事者になり得る世帯一件一件を説明とヒアリングで廻ろうということになりました。 まずは、 小島先生と私たちで「共同再建支援チーム」を名乗り、 主旨を説明した文書を送付後、 電話でアポイントをとりながら約40世帯の方々と面談をしました。

改行マークこの時、 小島先生からは「マンション暮らし」に拒否意識を持ってる方の先入観を変えるための「集合住宅カタログ」の作製、 浦野研には住まいにまつわる様々な事が判る質問票の作製を協力していただき、 年が明けての97年2月から開始され、 御蔵の地区内は勿論のこと、 市内・市外に散らばった方々を訪ね歩きながら行われました。

改行マークそして97年4月、 千葉大学(当時名城大学)・延藤安弘教授のお力を借りて二度に渡るワークショップと勉強会を開催。 その際に強い関心を示した4世帯で6月に「準備会」を結成することになります。

 

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ワークショップ風景
 

仲間増やしと候補地選定

改行マーク準備会はほぼ1〜2週間の一回のペースで開かれ、 参加者自らが「仲間増やし」をしていく事を目指すと共に、 建設予定地の具体的な検討に入りました。

改行マーク当初は「小島案」の流れを受け、 6丁目北ブロックでの実現を目指しました。 この6丁目北ブロックは、 狭小宅地所有者が御蔵5・6の中では最も多く、 また不在大地主が数件ある地区で、 震災の火災で一部を除き全焼した地区です。 また「そごう」の倉庫や自動車修理工場、 鉄工所などが建ち並ぶ(んでいた)地区でもあります。 そして既に神戸市が、 一件の大地主から区画整理による用地買収を済ませていました。

改行マークそこで、 神戸市の土地を仮換地の「種地」にして、 大地主・企業を巻き込んだ共同化を目指すべく、 支援チームは関係する地主・借地人に積極的にアプローチしました。 ところがそこで、 「藪をつついて蛇が出る」ケースに遭遇することになるのです。 (つづく)
 

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模型写真(小島案)
 

 

神戸のNPOの方向性

大津俊雄(神戸復興塾委員長)

改行マーク我々も含めたボランタリーな団体を今後の市民社会の中でどう位置づけるべきかは、 重要なテーマである。 塾は京都市からの助成研究で、 神戸のNPOを相対的に見る機会に恵まれた。 一つ一つのNPOはヨチヨチ歩きで未熟でも、 被災地全体で束ねるとすごい躍動が見え、 日本一の先進地であると理解できた。 海外のNPOの視察・交流の感想を加えてコメントしたい。 (研究には「きんもくせい」が記録・情報として最も役立ち「再生きんもくせい」もねばり強く発刊されたことに敬意を表します。 )


I 神戸のNPO

活動の内容、 活動の条件、 活動の作風は長期恒常化へ発展した

改行マーク震災直後に被災者の緊急支援に立ち上がった団体が、 2年目に恒常的活動団体へ脱皮し、 専門化してきた。 その内容は生活直接支援系、 福祉医療系、 まちづくり系の現場型三本柱を軸にして、 全体横断的内容の人権多文化系、 文化・情報系、 インターミディアリー系を加えた6系統に及んでいる。

改行マーク現在も活動しているNPOは、 拠点事務所を持って有給専従者をかかえ、 恒常的活動目標を見いだしている。 ニュースを発信し、 活動助成を受けていることは社会的責任や事務能力の反映でもある。

改行マーク活動の作風として次の4点が見うけられる。 (1)普通の市民が自分で気付いたテーマに身の丈で取り組み、 新しい課題を発掘するという全く新しい市民活動形態を生んだ。 (2)従来のトップダウン行政の下請けではなく、 市民ベース・コミュニティベースで、 市民の、 市民による、 市民のための活動を創った。 (3)各NPOが独自のテーマを深化させ、 他のNPOとネットワークを組んでバーチャルな効果を上げた(4)コミュニティで専門化したプロ的ニュービジネスの方法を徐々に身につけ、 「新しい公共」の分野を開きつつある。


II ドイツのNPO

コミュニティニーズへの的確で、 速い対応は社会の安全装置に

改行マークハンブルグ市の下町のNPOは、 空き家を占拠している貧乏な若者へ公的住宅を建て与える運動を経て、 トルコ人の多い地域で保育所・職業訓練校・ドイツ語教室・地域博物館。 食堂・ホテル等を運営している。 市当局は外国人の流入したスラムで「麻薬→貧困→犯罪」の悪循環が起きないよう、 環境改善の能力があるNPOを容易に認めて手厚い助成をしている。 市が対策を行うより、 NPO経由の方がより安く、 速く、 的確にニーズに対応できることを市当局は知っている。 行政権力の強い欧州大陸社会でのNPOは、 行政補完型とも言え、 日本社会からは分かりやすい。 (ちなみに、 趣味の会にすら補助金を出す程行政サービスの行き届いた北欧では、 NPOが発達していない。 )


III アメリカのNPO

市民は元気で自信を持って我が町づくりに参加している

改行マーク全米のNPOは、 会社の寄付などによる予算が連邦予算の40%に匹敵し、 大学や病院も経営し、 社会サービスの主体である。 しかし大手を除くと、 日本のNPOと同規模のものも数多い。 歴史的には自治体ができる前から民間サービス(警察・消防・教育等)が先行し(自治体すらNPOの一つと言われている)、 社会的には社会保障の少ない中で成功者が失敗者へ寄付をして救済する伝統が宗教習慣や節税手法として定着し、 文化的には市民によるディベートで物事を決める参加制度を市民が身につけていること等がNPOの成立背景にある。

改行マーク人口70万人のサンフランシスコ市でも3000のNPOが活動している。 訪問した分野は防災系、 スラム対策とまちづくり系、 福祉系、 情報系等であったが、 市民は元気で自信を持って我が町づくりに参加していた。 各NPOは経営・宣伝・事業では会社のごとき専門性を持ち、 大学卒業者の就職先であり、 行政とも人事交流をし、 会社勤めの3/4の給料を払える立派なビジネスに成長している。 その結果例えば、 市当局は公営住宅建設をあきらめ、 コンペで選んだNPOにすべてを任せているが、 その方がニーズ対応に有効でアカウンタビリティ(予算説明責任)は確実である。 堂々たる図書館も市民が建設と運営の主役を担ってきた。

改行マーク在米評論家 岡部一明氏によれば、 レスター・サラモンは次の様に言い切っている。 “アメリカのNPOは「政府の失敗」や「市場の失敗」に対する代替公共サービスの提供やセイフティー・ネット論(社会の安全網)のごとき「副次的対応」を超えている。 呼称もNPOとか第3セクターといった対概念でなく、 独立した「ボランタリー・セクター」を求める。 ボランティアは市民社会の本質であり、 政府はボランティアの補完機構というべきである”。

改行マークこの内容は痛快であるが、 日本社会ではパラダイムシフトしないと理解されにくい。

 

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npoが建てた低所得者向け住宅。メンテナンスも丁寧に行われている=米国・サンフランシスコ(98.8.17神戸新聞)
 
 
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市民が、行政からの資金と寄付金で建て、npoが運営する図書館=米国・サンフランシスコ(98.8.17神戸新聞) 公聴会の風景
 

IV 日本のNPOの方向

「新しい公共」のフィールドは開けるか

改行マーク21世紀には凡米をスタンダードとした自由市場の急激なグローバル化が進み、 地域社会の軽視や過度な自由競争・自己責任化を起こす気配がある。 これに対する行政や大企業は社会安定化装置を準備しなくてはならないが、 個別多様な対応は不得意で非効率な分野である。 ここにおいてNPOが行政の下請け論を卒業して、 独自の領域「新しい公共」を探求できるフィールドがありそうである。 これは副次的対応かもしれないが19世紀の福祉事業や20世紀の環境事業も始めは「負のスタート」であったことを考えると、 NPOも出自はともかく、 21世紀の主幹事業になることは間違いなさそうである。

改行マーク要は行政任せで来た市民が「自分のことは自分で決めて実行する」方向へ発想転換するかどうか、 である。 神戸のNPOは地震カタストロフィーで目覚めた市民と共にようやく今日まで到達した。

改行マーク今後も実践と勉強を重ねて、 神戸のNPOのトレンドに夢ある市民社会像を描きたい。


 

若手ネットの「若年寄」
と呼ばれて

中尾 嘉孝(港まち神戸を愛する会)

改行マークまちづくりプランナーや建築設計を職能とされている「若手ネットワーク」(以下、 「若手ネット」という)のメンバーの中で、 私の存在は少しばかり変わっています。

改行マーク普段の私の仕事は、 直接まちづくりに関係がありません。 しかし高校時代に街角の近代洋風建築に興味を持ち始め、 神戸・旧居留地周辺で建物や町並み保存をテーマに活動する「港まち神戸を愛する会」のお手伝いに加わって9年程になります。

改行マーク「愛する会」世話人の多くは、 神戸のまちづくりの担い手ですが、 私がまちづくりを見つめ始めたのは、 やはり震災がきっかけでした。

改行マーク実は半ば個人的に、 学生時代から神戸市内の近代化遺産悉皆調査を続けています。 その関係で神戸の方々に足を踏み入れていた私は、 被災地の町がどのように再建されていくのかに関心があり、 やがて復興まちづくり関連の勉強会にも参加するようになりました。

改行マークある時、 「きんもくせい」で、 東部被災市街地の再建状況を町歩きで検証する「M−NET」(若手ネットの分科会的活動の一つ)の記事を目にしました。

改行マークもともと町歩きは嫌いではない、 というより骨の髄まで染みついている私からすれば、 方法論的に共通する「M−NET」は、 まちづくりをより深く考える入り口になるのではと考えたのです。

改行マーク初めて参加した第3回目「M−NET」現地調査の時、 28歳の「素人」の筈なのに、 やたら町の歴史に通じていて、 「そこの薄荷工場は・・・」と言ってしまう私の「素性」を、 かの「建築探偵」の弟子・M氏はすかさず見破り、 以降、 私は「若年寄」等と言われながらも、 「若手ネット」の勉強会に参加するようになったのです。

改行マークというわけで、 「若手ネット」の数ある活動でも「M−NET」の町歩きが、 私の中では大きい位置を占めています。 また勉強会も、 自分なりに「町のしくみ」を知る上で大いに参考になっています。 ある意味で「若手ネット」に入ってからのこの1年余は、 学生時代より濃密な週末を過ごしています。

改行マークさて、 若手ネットを通じて、 私が 考えていきたいのは、 やはり「まちづくりと保存」というテーマになります。 銭湯や郵便局、 銀行、 学校や住宅などといった街角の近代化遺産の「登録文化財制度」が、 定着しつつあります。 この制度の趣旨は、 優れた建築ストックの積極的な活用を促し、 同時にそうしたストックのリストづくりを進めようという側面もあります。

改行マーク震災後の神戸のまちにおいても、 この登録文化財制度がもっと活用される余地があるように思います。 数こそだいぶ減りましたが、 それでも、 大黒様のほほえむ風呂屋や神戸市内現役最古の郵便局舎、 アールデコの元の町役場などが今日も町角を見守っています。 そうした町角の近代化遺産の台帳づくりにひと区切りつけることが目下の私自身の宿題です。

改行マークさてリストづくりの次の段階ですが、 リストアップされた建物の保存活用に加えて、 それを軸にした周辺街区のまちづくりを起こしていく仕掛けが出来ないものかなと考えています。

改行マーク観光資源としての保存活用ではなくふつうの町の中で、 使い続けながら、 或いは住み続けながら近代化資産を生かしていく。 さらには、 その周辺の住環境をリノベーションしていく・・・。 言うは易し、 の典型かも知れませんが、 これからの「若手ネット」の中で、 みんなと考えていきたいと考えています。
 

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神戸市内現役最古の郵便局舎(灘区篠原)
 

   予告
若手ネットワーク勉強会
「神戸の近代化遺産の全貌・1 神戸のまちを動かすもの」

報告者:中尾嘉孝
日 時:8月27日午後7時〜
会 場:未定
(後日「きんもくせい」紙上でお知らせします。 )


 

新しい町並みの兆しを発見する
具体例2

「よく使われている敷地まわりの材料−外構事例」

辻 信一(環境緑地設計研究所)

改行マーク被災地ではプレファブ住宅が増えたと言われている。 これと並行したように、 敷地の外構を形作る材料の画一化とまでは言えないまでも、 個性に乏しい意匠の建物数をはるかにしのぐ頻度で外構材料の類似例が見られることが指摘できる。

 

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リブ付きブロックと目隠しの塀(神戸市東灘区) リブ付きブロック、レッドロビン、コニファーが揃った住宅(神戸市東灘区) レッドロビンとリブ付きブロック(神戸市兵庫区)
 

生垣

改行マーク生垣は、 コンクリートやブロックによる塀に比べて景観的に数段優れた材料である。 これまで、 カイズカイブキ・マメツゲ・サザンカなど「常緑」の樹木が用いられてきたが、 震災前ころから、 セイヨウベニカナメモチ(別名レッドロビン、 ベニカナメモチは和種)がよく利用されている。

改行マークレッドロビンは、 「常緑樹」ではあるが枝の先端付近の新芽がほぼ年中赤く、 独特の色合いを楽しむことができ、 春先や秋口には鮮やかな赤い葉が印象的である。 その原因は建築主の趣味にあるとも思えず、 コスト面など経済性や管理面での容易さなどから住宅メーカーや造園業者の勧めでこうなってきているのではないかと考えている。 公営住宅などの大規模敷地にもよく利用されており、 「赤い生垣」は被災地の風景になりつつある。


改行マーク塀の材料で目を引くのは、 「リブ付きブロック」と「黒又は濃い茶色の目隠しフェンス」である。 リブ付きブロックはいわば従来のコンクリートブロックを加工して、 幅数センチの溝をつくり凸の部分の表面を帯状に骨材が見えるようにしたもので、 溝の影や骨材のテクスチャーによって表情が複雑になり、 やや見栄えよく見せようとするものである。

改行マーク一方、 目隠しフェンスは、 ブロックやリブ付きブロックなどの低い塀の上部に設置する金属製のフェンスで、 外部から敷地内を見通せないようにすき間をずらしている。 多くの場合、 色は黒又は濃い茶色である。


庭木

改行マーク庭木にはいろんな樹木が利用されてきたが、 最近とくに目を引くのはコニファー類である。 園芸材料店ではゴールドクレスト、 エメラルド、 スカイロケットなど名称の品種であるが、 多くはヒノキ科の樹種を品種改良して園芸種としたもので、 円錐系の樹形を示し、 西洋風の雰囲気を持っている。 プレファブで和風建築が少なくなった震災後の再建住宅ではよく好まれているようである。

改行マーク我々の調査でも、 各地域でこれらの外構材料がよく使われていることが確認されている。 道路を歩く人から見た最も身近な部分の類似性は、 地域の町並み景観の特性にとって重要な要素であるはずなのであるが、 外構材料でも「どこにでもある風景」になりつつある。

改行マークしかし、 突然の被災に続く住宅再建の中で、 資金的にどれだけ外構整備に使えるかと考えるとき、 どうしても建物ばかりが優先されてしまい、 比較的安価にかつある程度見栄えのするようにまとめると、 このような材料が多用されることはいたしかたのないことかも知れない。

改行マークそれが、 震災後の阪神間・神戸地域の風景の特徴だと言ってしまえばそれまでなのだが、 、 、 、


第3回 被災地実態学生発表会
開かれる

 

改行マーク7月3日(土)、 震災復興・実態調査ネットワーク主催による第3回目の「被災地実態学生発表会」が、 神戸芸術工科大学において行われました。

改行マーク12の研究発表が行われ、 各賞が以下のように決まりました。


優秀賞


審査員特別賞


奨励賞


東部白地ネット
まちづくりフォーラム開催

 

改行マーク7月11日(日)、 このほどオープンした岡本好文園コミュニティホールにおいて、 神戸東部白地まちづくり支援ネットワーク主催の第4回目のフォーラムが行われました。 今回のテーマは「まちづくりと民間文化施設」で、 神戸東部地区に多くあるこれら施設をめぐって報告と意見交換が行われました。

改行マークまず、 今回の会場についてオーナーの戸沢さんや設計者の高月さん(計画工房INACHI)から報告があった後、 松原さん(いるか設計集団)より、 このフォーラムに向けて若手ネットで詳細に調査した神戸東部地域の民間文化施設の実態についての報告がありました。

改行マークその後、 復興再建された「沢の鶴資料館」や、「世羅美術館」、 「和田ホール」について、 各オーナーより思いあふれる報告がありました。 角野さん(武庫川女子大)、 庵原さん(東灘文化協会)からのコメントがあり、 フロアーも交えた討論で締めくくりました。

改行マーク※なお、 このフォーラムの内容は、 「市民まちづくりブックレット」としてまとめられる予定です。


情報コーナー

 

HAR基金・第7回助成

改行マークHAR基金の当初計画である5年間の最終となる助成が、 以下の要領で募集されます。


阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第9回連絡会


第11回まちづくり塾「村上美奈子の探検塾」

〜防災から始まったコミュニケーションデザイン〜

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