土地区画整理事業と密集市街地整備の融合に向けて越澤 明(北海道大学大学院工学研究科教授) |
土地区画整理事業については、 これまで大きな議論と世間の注目の的となってきた。 すでに、 多くの地区で仮換地が終了し、 戸建て住宅ばかりか、 集合住宅の建設まで進んでいる。 土地区画整理事業については、 むしろこれから、 都市計画決定から住宅復興に至る過程、 現在の地元住民の考え・感慨などに関するフォローアップを行い、 全国の防災まちづくりに対する貴重な教訓とし、 必要な法制度の丁寧な見直しや心のこもった優しい運用改善に役立てるべきである。
一方、 区画整理が実施されなかった伊丹、 宝塚などの都市においても、 家屋倒壊が多数にのぼり、 幅員4メートル未満の狭隘道路が大半を占める被災地区が随所に存在している。 これらの地区では復興に向けての努力が、 区画整理のような世間の注目を浴びずに、 粛々と着実に進んでおり、 すでに、 生活道路の拡幅と住宅の復興がほぼ完了した。 その結果、 地区の姿は見違えるよう一新されており、 まさしく<復興>という言葉にふさわしい成果が現れている。
このような密集市街地整備促進事業の適用によって復興された地区には、 駅に近接した市街地のスプロール地区と旧農村集落の2つのタイプが存在する。 前者は宝塚市の川面、 売布地区などがあり、 後者は伊丹市の鴻池、 西野、 荒巻中央地区である。
昨年12月と本年6月、 兵庫県と地元両市にお願いして、 これら密集市街地の復興の姿を自分の目で確認する貴重な体験をさせていただいた(後者は小林郁雄さんも一緒)。 拡幅新設された地区内の<幹線道路>は幅員5メートルであり、 道路に沿って民有地をセットバックしていただき、 その後退用地を買収することを基本的な整備手法としている。 また、 転出希望者の敷地を買収してポケットパークを設置した個所も存在する。 この復興道路の選定は地元住民との十分な協議、 合意形成を経て、 実施されたことはいうまでもない。
区画整理との対比で、 大変興味深いことは、 密集事業による復興道路は線形が曲がりくねり、 また、 細かく上下にアップダウンしていることである。 これは、 現況の道路や敷地境界を尊重している(つまり、 区画の整理をしていない)ため、 生じた現象である。 つまり、 セットバックによる生活道路の確保に徹して、 ほどほどの水準の復興を目指している。
とは言っても、 特に旧農村集落の復興の姿は大変立派なものであり、 本瓦葺きの邸宅、 石垣や生け垣、 高級外車が随所に見られ、 <品があってかつ美しい高級市街地>が出現している。 幅員5メートルの復興道路の必要性とその恩恵は高級外車を置けることにより、 地元住民に実感されていることは間違いない。
このセットバック方式の災害復興は、 実は戦前では全国で頻繁に実施されていた。 それには市街地建築物法の後退建築線の制度を災害跡地に適用している。 このたび宝塚、 伊丹両市の復興の取り組みを確認して実感したことは、 生活道路の確保という共通目標の点で、 区画整理と密集事業の融合を図るべきであること、 そして、 10年前の旧著『東京の都市計画』で述べたように、 建築線制度を復活させるべきである、 ということである。
伊丹市の3つの地区ではすべて復興史まで刊行しており、 この点でも、 すばらしいと感じた次第である。
共同再建住宅計画地 |
では、 共同化ができるまでを、 駆け足にですがご紹介するのと、 その1階で検討している「コミュニティプラザ」について簡単にでありますがご報告させていただきます。
御蔵通5・6丁目で「共同化による再建」という話が協議会にのぼったのは、 震災から丸1年を経た頃でした。 当時協議会は区画整理の住民案を神戸市に提出すべく頻繁に役員会を開いていましたが、 住民の思いはどうしても「住まいはどうなる?」の方にいき、 議論がなかなか前に行かない状態でした。 「道路・公園の絵」ではなく、 「住宅の絵」が欲しい…区画整理の指定を受けた以上、 まずは基盤整備を整えなければならない事は頭で判っていても気持ちがついていかない…何名かの役員のそんな思いをうけ、 協議会会長が当時何度か御蔵菅原に足を運ばれていた小島孜教授に「住宅の絵」を書いて下さるよう依頼したのが震災の年の冬。 それを受けて、 年が明けた4月に御蔵5・6丁目の1/4相当に当たる6丁目北ブロック全てを共同化で再建する大胆なプランが小島教授から提示されました。 敷地面積7261m²、 住戸15区画、 事務所2区画、 駐車場144台という大プロジェクト案は、 地主・借地・店子が一定のルールに基づく権利配分で取得面積が配分されるという、 御蔵に住んでる(いた)全ての人が参画できる「夢」を映したプランでした。 しかし、 その壮大さゆえ、 神戸市からは「実現不能」というクールな返答しか返ってこず、 案は宙に浮いたような格好になりました。
この時、 小島先生からは「マンション暮らし」に拒否意識を持ってる方の先入観を変えるための「集合住宅カタログ」の作製、 浦野研には住まいにまつわる様々な事が判る質問票の作製を協力していただき、 年が明けての97年2月から開始され、 御蔵の地区内は勿論のこと、 市内・市外に散らばった方々を訪ね歩きながら行われました。
そして97年4月、 千葉大学(当時名城大学)・延藤安弘教授のお力を借りて二度に渡るワークショップと勉強会を開催。 その際に強い関心を示した4世帯で6月に「準備会」を結成することになります。
ワークショップ風景 |
当初は「小島案」の流れを受け、 6丁目北ブロックでの実現を目指しました。 この6丁目北ブロックは、 狭小宅地所有者が御蔵5・6の中では最も多く、 また不在大地主が数件ある地区で、 震災の火災で一部を除き全焼した地区です。 また「そごう」の倉庫や自動車修理工場、 鉄工所などが建ち並ぶ(んでいた)地区でもあります。 そして既に神戸市が、 一件の大地主から区画整理による用地買収を済ませていました。
そこで、 神戸市の土地を仮換地の「種地」にして、 大地主・企業を巻き込んだ共同化を目指すべく、 支援チームは関係する地主・借地人に積極的にアプローチしました。 ところがそこで、 「藪をつついて蛇が出る」ケースに遭遇することになるのです。 (つづく)
模型写真(小島案) |
神戸のNPOの方向性大津俊雄(神戸復興塾委員長) |
我々も含めたボランタリーな団体を今後の市民社会の中でどう位置づけるべきかは、 重要なテーマである。 塾は京都市からの助成研究で、 神戸のNPOを相対的に見る機会に恵まれた。 一つ一つのNPOはヨチヨチ歩きで未熟でも、 被災地全体で束ねるとすごい躍動が見え、 日本一の先進地であると理解できた。 海外のNPOの視察・交流の感想を加えてコメントしたい。 (研究には「きんもくせい」が記録・情報として最も役立ち「再生きんもくせい」もねばり強く発刊されたことに敬意を表します。 )
現在も活動しているNPOは、 拠点事務所を持って有給専従者をかかえ、 恒常的活動目標を見いだしている。 ニュースを発信し、 活動助成を受けていることは社会的責任や事務能力の反映でもある。
活動の作風として次の4点が見うけられる。 (1)普通の市民が自分で気付いたテーマに身の丈で取り組み、 新しい課題を発掘するという全く新しい市民活動形態を生んだ。 (2)従来のトップダウン行政の下請けではなく、 市民ベース・コミュニティベースで、 市民の、 市民による、 市民のための活動を創った。 (3)各NPOが独自のテーマを深化させ、 他のNPOとネットワークを組んでバーチャルな効果を上げた(4)コミュニティで専門化したプロ的ニュービジネスの方法を徐々に身につけ、 「新しい公共」の分野を開きつつある。
人口70万人のサンフランシスコ市でも3000のNPOが活動している。 訪問した分野は防災系、 スラム対策とまちづくり系、 福祉系、 情報系等であったが、 市民は元気で自信を持って我が町づくりに参加していた。 各NPOは経営・宣伝・事業では会社のごとき専門性を持ち、 大学卒業者の就職先であり、 行政とも人事交流をし、 会社勤めの3/4の給料を払える立派なビジネスに成長している。 その結果例えば、 市当局は公営住宅建設をあきらめ、 コンペで選んだNPOにすべてを任せているが、 その方がニーズ対応に有効でアカウンタビリティ(予算説明責任)は確実である。 堂々たる図書館も市民が建設と運営の主役を担ってきた。
在米評論家 岡部一明氏によれば、 レスター・サラモンは次の様に言い切っている。 “アメリカのNPOは「政府の失敗」や「市場の失敗」に対する代替公共サービスの提供やセイフティー・ネット論(社会の安全網)のごとき「副次的対応」を超えている。 呼称もNPOとか第3セクターといった対概念でなく、 独立した「ボランタリー・セクター」を求める。 ボランティアは市民社会の本質であり、 政府はボランティアの補完機構というべきである”。
この内容は痛快であるが、 日本社会ではパラダイムシフトしないと理解されにくい。
npoが建てた低所得者向け住宅。メンテナンスも丁寧に行われている=米国・サンフランシスコ(98.8.17神戸新聞) |
市民が、行政からの資金と寄付金で建て、npoが運営する図書館=米国・サンフランシスコ(98.8.17神戸新聞) | 公聴会の風景 |
要は行政任せで来た市民が「自分のことは自分で決めて実行する」方向へ発想転換するかどうか、 である。 神戸のNPOは地震カタストロフィーで目覚めた市民と共にようやく今日まで到達した。
今後も実践と勉強を重ねて、 神戸のNPOのトレンドに夢ある市民社会像を描きたい。
まちづくりプランナーや建築設計を職能とされている「若手ネットワーク」(以下、 「若手ネット」という)のメンバーの中で、 私の存在は少しばかり変わっています。
普段の私の仕事は、 直接まちづくりに関係がありません。 しかし高校時代に街角の近代洋風建築に興味を持ち始め、 神戸・旧居留地周辺で建物や町並み保存をテーマに活動する「港まち神戸を愛する会」のお手伝いに加わって9年程になります。
「愛する会」世話人の多くは、 神戸のまちづくりの担い手ですが、 私がまちづくりを見つめ始めたのは、 やはり震災がきっかけでした。
実は半ば個人的に、 学生時代から神戸市内の近代化遺産悉皆調査を続けています。 その関係で神戸の方々に足を踏み入れていた私は、 被災地の町がどのように再建されていくのかに関心があり、 やがて復興まちづくり関連の勉強会にも参加するようになりました。
ある時、 「きんもくせい」で、 東部被災市街地の再建状況を町歩きで検証する「M−NET」(若手ネットの分科会的活動の一つ)の記事を目にしました。
もともと町歩きは嫌いではない、 というより骨の髄まで染みついている私からすれば、 方法論的に共通する「M−NET」は、 まちづくりをより深く考える入り口になるのではと考えたのです。
初めて参加した第3回目「M−NET」現地調査の時、 28歳の「素人」の筈なのに、 やたら町の歴史に通じていて、 「そこの薄荷工場は・・・」と言ってしまう私の「素性」を、 かの「建築探偵」の弟子・M氏はすかさず見破り、 以降、 私は「若年寄」等と言われながらも、 「若手ネット」の勉強会に参加するようになったのです。
というわけで、 「若手ネット」の数ある活動でも「M−NET」の町歩きが、 私の中では大きい位置を占めています。 また勉強会も、 自分なりに「町のしくみ」を知る上で大いに参考になっています。 ある意味で「若手ネット」に入ってからのこの1年余は、 学生時代より濃密な週末を過ごしています。
さて、 若手ネットを通じて、 私が 考えていきたいのは、 やはり「まちづくりと保存」というテーマになります。 銭湯や郵便局、 銀行、 学校や住宅などといった街角の近代化遺産の「登録文化財制度」が、 定着しつつあります。 この制度の趣旨は、 優れた建築ストックの積極的な活用を促し、 同時にそうしたストックのリストづくりを進めようという側面もあります。
震災後の神戸のまちにおいても、 この登録文化財制度がもっと活用される余地があるように思います。 数こそだいぶ減りましたが、 それでも、 大黒様のほほえむ風呂屋や神戸市内現役最古の郵便局舎、 アールデコの元の町役場などが今日も町角を見守っています。 そうした町角の近代化遺産の台帳づくりにひと区切りつけることが目下の私自身の宿題です。
さてリストづくりの次の段階ですが、 リストアップされた建物の保存活用に加えて、 それを軸にした周辺街区のまちづくりを起こしていく仕掛けが出来ないものかなと考えています。
観光資源としての保存活用ではなくふつうの町の中で、 使い続けながら、 或いは住み続けながら近代化資産を生かしていく。 さらには、 その周辺の住環境をリノベーションしていく・・・。 言うは易し、 の典型かも知れませんが、 これからの「若手ネット」の中で、 みんなと考えていきたいと考えています。
報告者:中尾嘉孝
被災地ではプレファブ住宅が増えたと言われている。 これと並行したように、 敷地の外構を形作る材料の画一化とまでは言えないまでも、 個性に乏しい意匠の建物数をはるかにしのぐ頻度で外構材料の類似例が見られることが指摘できる。
レッドロビンは、 「常緑樹」ではあるが枝の先端付近の新芽がほぼ年中赤く、 独特の色合いを楽しむことができ、 春先や秋口には鮮やかな赤い葉が印象的である。 その原因は建築主の趣味にあるとも思えず、 コスト面など経済性や管理面での容易さなどから住宅メーカーや造園業者の勧めでこうなってきているのではないかと考えている。 公営住宅などの大規模敷地にもよく利用されており、 「赤い生垣」は被災地の風景になりつつある。
一方、 目隠しフェンスは、 ブロックやリブ付きブロックなどの低い塀の上部に設置する金属製のフェンスで、 外部から敷地内を見通せないようにすき間をずらしている。 多くの場合、 色は黒又は濃い茶色である。
我々の調査でも、 各地域でこれらの外構材料がよく使われていることが確認されている。 道路を歩く人から見た最も身近な部分の類似性は、 地域の町並み景観の特性にとって重要な要素であるはずなのであるが、 外構材料でも「どこにでもある風景」になりつつある。
しかし、 突然の被災に続く住宅再建の中で、 資金的にどれだけ外構整備に使えるかと考えるとき、 どうしても建物ばかりが優先されてしまい、 比較的安価にかつある程度見栄えのするようにまとめると、 このような材料が多用されることはいたしかたのないことかも知れない。
それが、 震災後の阪神間・神戸地域の風景の特徴だと言ってしまえばそれまでなのだが、 、 、 、
7月3日(土)、 震災復興・実態調査ネットワーク主催による第3回目の「被災地実態学生発表会」が、 神戸芸術工科大学において行われました。
12の研究発表が行われ、 各賞が以下のように決まりました。
7月11日(日)、 このほどオープンした岡本好文園コミュニティホールにおいて、 神戸東部白地まちづくり支援ネットワーク主催の第4回目のフォーラムが行われました。 今回のテーマは「まちづくりと民間文化施設」で、 神戸東部地区に多くあるこれら施設をめぐって報告と意見交換が行われました。
まず、 今回の会場についてオーナーの戸沢さんや設計者の高月さん(計画工房INACHI)から報告があった後、 松原さん(いるか設計集団)より、 このフォーラムに向けて若手ネットで詳細に調査した神戸東部地域の民間文化施設の実態についての報告がありました。
その後、 復興再建された「沢の鶴資料館」や、「世羅美術館」、 「和田ホール」について、 各オーナーより思いあふれる報告がありました。 角野さん(武庫川女子大)、 庵原さん(東灘文化協会)からのコメントがあり、 フロアーも交えた討論で締めくくりました。
※なお、 このフォーラムの内容は、 「市民まちづくりブックレット」としてまとめられる予定です。
■ 阪神大震災復興 市民まちづくり支援ネットワーク 事務局
●「きんもくせい英語版」のインターネットアドレス:
若手ネットの「若年寄」
と呼ばれて中尾 嘉孝(港まち神戸を愛する会)
神戸市内現役最古の郵便局舎(灘区篠原)
予告
若手ネットワーク勉強会
「神戸の近代化遺産の全貌・1 神戸のまちを動かすもの」
日 時:8月27日午後7時〜
会 場:未定
(後日「きんもくせい」紙上でお知らせします。 )
新しい町並みの兆しを発見する
具体例2「よく使われている敷地まわりの材料−外構事例」
辻 信一(環境緑地設計研究所)
リブ付きブロックと目隠しの塀(神戸市東灘区)
リブ付きブロック、レッドロビン、コニファーが揃った住宅(神戸市東灘区)
レッドロビンとリブ付きブロック(神戸市兵庫区)
生垣
生垣は、 コンクリートやブロックによる塀に比べて景観的に数段優れた材料である。 これまで、 カイズカイブキ・マメツゲ・サザンカなど「常緑」の樹木が用いられてきたが、 震災前ころから、 セイヨウベニカナメモチ(別名レッドロビン、 ベニカナメモチは和種)がよく利用されている。
塀
塀の材料で目を引くのは、 「リブ付きブロック」と「黒又は濃い茶色の目隠しフェンス」である。 リブ付きブロックはいわば従来のコンクリートブロックを加工して、 幅数センチの溝をつくり凸の部分の表面を帯状に骨材が見えるようにしたもので、 溝の影や骨材のテクスチャーによって表情が複雑になり、 やや見栄えよく見せようとするものである。
庭木
庭木にはいろんな樹木が利用されてきたが、 最近とくに目を引くのはコニファー類である。 園芸材料店ではゴールドクレスト、 エメラルド、 スカイロケットなど名称の品種であるが、 多くはヒノキ科の樹種を品種改良して園芸種としたもので、 円錐系の樹形を示し、 西洋風の雰囲気を持っている。 プレファブで和風建築が少なくなった震災後の再建住宅ではよく好まれているようである。
第3回 被災地実態学生発表会
開かれる
優秀賞
審査員特別賞
奨励賞
東部白地ネット
まちづくりフォーラム開催
情報コーナー
HAR基金・第7回助成
HAR基金の当初計画である5年間の最終となる助成が、 以下の要領で募集されます。
阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第9回連絡会
第11回まちづくり塾「村上美奈子の探検塾」
〜防災から始まったコミュニケーションデザイン〜
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「きんもくせい」は月1回発行。
市民ブックレット(年4冊発行)と併せて年間購読料は5,000円です。下記ネットワークまでお申し込みください。
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担当:天川佳美、 中井 豊、 吉川健一郎
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