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新しい町並みの兆しを発見する

震災復興・実態調査ネットワーク『景観・空地調査報告書』から

神戸芸術工科大学 齊木 崇人

 震災から5年が経過し、 同じ風景が続いていた被災地の表情にも、 漸く、 それぞれの地域が個性を主張する兆しを見せてきた。

 しかし一方、 プレファブ住宅の急激な増加等により、 どこでも同じ風景が続くことを指摘されていることも事実である。 さらには、 それらの住宅建設が町並み景観の形成にどのような役割を発揮してきたか、 詳細に明らかにされていない。 そこで、 私達、 「震災復興・実態調査ネットワーク」は、 失われつつあるといわれる地域性を探り、 町並みを構成する景観要素を明らかにするため『景観・空地調査チーム』を作り、 その実態を読み解く事とした。

 歴史的に見ると、 個々で展開される建築行為は結果的に町並みとなり、 固有性ある風景を作っていく。 そこには必ず周辺の環境から影響を受ける姿がある。 被災地の約9割は白地地域と呼ばれ、 自力建設を背景として緩やかに再建が進んできた地域と言えよう。 これらの復興地域の町並み景観の特性は以下の通りである。


1.均質化する風景

 狭小敷地いっぱいに総2階として建築された住宅には、 構造・工法に関わらず、 乾式の塗装パネルが広く使われている。 ベージュ系・グレイ系の外壁の質感の軽く、 窓は黒いサッシが使われている。 その形状と色彩は被災地の総てで確認され均質で無機質な町並み風景を作っている。 数十年後は震災復興型プレファブと呼ばれるであろう。


2.敷地と道の関係が作る新しい地域特性

 敷地の規模や形状は震災前と基本的に変わらない。 しかし敷地の前面道路との関係は大きく変わってきた。 ブロック塀は撤去され可視的に開かれたフェンスやプランターにより仕切られ、 或いは、 建築壁面を後退させ植木鉢を並べたり花壇を作るなど、 道路と敷地との間に表出した植栽が積極的に使われている。 その道路への開き方・閉じ方を読むことにより、 最も地域特性が確認される場所となった。


3.確保された駐車スペース

 震災以前は路上駐車されていた車が住宅再建を機会に敷地内に取り込まれた。 建物を後退させて前面空地を駐車場として使用し、 街路に空間的なゆとりを与えた。 しかし、 残念なことに駐車場の配置は個別的で隣家との関係は配慮される事は少ない。 車との共存を前提に町並みの形成に活用され駐車場のデザインは重要な課題である。


4.更地・空地と道

 震災直後多くの更地・空地が出現した。 被災後4年経過しては空地は多様な表情を見せている。 物干し場や広場・花壇や菜園・駐車場・資材置き場・瓦礫放置等が見られる。 そして、 それぞれがフェンスで囲まれたものもある。 これらの空地の多くは街区内部に見られる細街路に面している。 放置型空地の中には所有者が亡くなり権利が移転したものも多く、 現在の所有者を確認できない敷地もある。 空地が出現した事で通風や採光が確保され居住環境が向上した地域も多い。 特に放置型空地を街角広場として活用した景観整備も密集市街地の次なる課題である。


5.まちづくり協議会とまちづくりのルール

 景観からのまちづくりルールは、 まちづくり協定、 景観形成市民協定、 地区計画等がある。 さらに空地からのまちづくりには、 まちづくりスポット創生事業等がある。 これらを活用して景観づくりを活発に展開しているまちづくり集団の多くは震災以前からの組織である。 まちづくりは俄にできない地道な活動が緊急時に生きてくる。


6.新しい町並みの兆し

 私達が確認した5年目の被災地の復興景観は新たな動きを見せつつある。 特に町並み形成のルールや外構協調のデザイン事例も多く現れてきた。 さらに、 震災を契機に展開してきたこの地道なまちづくりが、 インナ−シティの空洞化で悩む他都市の注目の的になってきた。

2000/2/23

 

街かど花苑等の失敗例と成功例

まちづくりコンサルタント(ジーユー計画研究所) 後藤祐介

はじめに

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復興まちづくりりおける街かど花苑等の取組み例
 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいて、 街かどをキレイに美しく緑花する取組みが「ガレキに花を咲かせましょう」運動を先頭に、 沢山展開されている。

 これは殺伐とした被災地において、 少しでも早く生活者に潤いと安らぎをもたらすまちづくりとして有効であり、 特に、 昨今の財政逼迫状況の中では、 比較的軽微な費用で事業化が可能なことから、 各地のまちづくり協議会で自律的事業として多く取組まれている。 私自身も複数地区のまちづくり協議会を支援する中で、 まちづくり協議会の主体的、 自律的事業として、 また、 行政と地域住民の共働事業として、 下表のような街かど花苑、 広場等の整備事業の推進を支援してきた。

 本稿では、 これらの取組み事例を、 事業目的、 維持管理主体、 支援制度、 地主の反応、 近隣対策、 整備時期、 維持・管理、 運営実態といった視点から失敗と成功の理由を整理し、 報告することとする。


1。 実現しなかった事例

1)深江地区

(2)深江南町4丁目街かど広場計画(平成9年)

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深江南町4丁目街かど広場計画(案)
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同左 A−A'断面図
 この街かど広場の計画は、 深江まちづくり協議会の企画で、 まず、 地主から借地の内諾を得、 阪神グリーンネット等の協力で計画図を描き、 六甲アイランド基金等による整備費の準備を始めていた。

 しかし、 近隣説明の段階で、 周辺の自治会及び住民から「地域柄、 健全な維持・管理面に不安が多い」という理由で実現に至らなかった。

(3)工場外壁緑化計画(平成10年)

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工場外壁緑花のイメージ図
 この計画は、 深江まちづくり協議会区域の中心部に立地する工場のコンクリート外壁が、 まち並みとして殺風景なため、 つた類とハンキングプランタ等による外壁緑化を企画したものである。 これも阪神グリーンネット等の協力を得、 計画案を作成し、 まちづくり協議会として工場側に協力を求めたが、 これも整備後の健全な維持管理に問題、 不安が多いとの理由で実現に至らなかった。

(5)深江本町2丁目菜園、 苗圃計画(平成11年)

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深江地区内位置図
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深江本町2丁目菜園、 苗圃計画
 この計画は、 深江まちづくり協議会区域の震災空地における菜園、 苗圃計画として事業化を検討した。

 まず、 地主から苗地の内諾を得、 計画案を作成し、 近隣説明も行った。 しかし、 整備資金の段取りが付かず約6ヶ月間事業化を保留していた期間に、 地主側が土地の処分を決め、 実現に至らなかった。


2。 実現した事例

1)深江地区

(1)深江駅前花苑(平成9年)

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大型樽プランタと組合わされた深江駅前花苑
 この駅前花苑は、 阪神深江駅前の震災空地で、 震災後、 鉄道高架事業用地として神戸市に買収されていた。

 しかし、 事業時期が数年先であるため、 この間、 駅前空間として余りにも殺風景なので、 深江まちづくり協議会が主体となって、 神戸市から借地し、 街かど花苑として整備し、 維持管理している。 (この取組みが、 その後の神戸市「まちづくりスポット創生事業」創設の一つのきっかけになったと聞いている。 ) その後、 この街かど花苑に自転車の放置、 露天商の出店等があったため、 現在は地元商店街対象の「フラワーほっと」事業による大型樽プランタの設置と組合せている。

(4)旧西国浜街道沿い修景スポット(平成11年)

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旧西国浜街道沿いの修景スポット
 深江まちづくり協議会の第2期「まちづくり提案」(H11.1)に基づき、 深江財産区の土地に、 旧西国浜街道を顕彰する修景スポットを、 六甲アイランド基金等を活用して、 深江まちづくり協議会が整備した。

(6)深江駅前多目的広場(平成11年度事業中)

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深江駅前花苑につづく多目的広場計画
 深江まちづくり協議会が、 深江駅前花苑につづく事業として、 震災空地2敷地を借地し、 神戸市の「まちづくりスポット創生事業」制度の適用を受け、 駅前の集い、 バザール、 各種催し等を行う多目的広場の整備を平成11年度事業として進めている。

2)岡本地区

(7)岡本駅前街かど花苑(平成11年)

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来街者用駐車場と一体に整備された岡本駅前花苑
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位置図
 美しい街岡本協議会が、 阪急岡本駅前の震災空地を活用し、 実施した事業で、 民間の土地を借地し、 神戸市の「まちづくりスポット創生事業」の適用を受け、 まちづくり協議会が整備し、 維持管理している。

 なお、 この事業は、 震災空地が約1,000 あり、 広すぎるため敷地を2分し、 一方を地元の商店街が来街者用駐車場として借地、 整備し、 管理運営している。

(8)岡本コミュニティホールのエントランス(平成11年)

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岡本好文園コミュニティホールのエントランス
 岡本地区に、 民営の岡本好文園コミュニティホールを建設し、 地元の商店街振興組合が運営している。 このホールのエントランスは、 公共性の高いセミパブリックスペースとして、 家主のT氏が景観ルネッサンス事業等を活用し、 修景整備を行った。

3)新在家南地区

(9)新在家南町3丁目街かど広場(平成11年)

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位置図 スポット創生事業によりオープンした新在家南町3丁目街かど広場 新在家南町3丁目街かど広場の青空市場
 

 この広場は、 新在家まちづくり委員会が地区住民の集いの広場 兼 憩の広場として、 民間の土地所有者から土地を借り上げ、 神戸市の「まちづくりスポット創生事業」制度の適用を受け、 整備し、 維持管理、 運営を行っている。

 平成11年8月の開設当時は、 当地区が国道43号に分断された立地条件を勘案し、 八百屋さん主体の青空市場を開いていたが、 営業不振で中止になってしまった。  現在、 本来的な地域住民の集いの場、 憩いの場として、 春に向けて“花と緑のフェアー”や“うまいもんフェアー”等のイベントの開催に取組んでいる。

4)西宮市安井地区

(10)JR線沿いフェンス緑花修景事業(平成11年)

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JR線沿いのフェンス緑花修景事業
 安井まちづくり協議会が、 まちのC.G.F(クリーン.グリーン.フラワー)作戦の一環として、 JR沿いのフェンスに木製トレリス等を設置し、 廃品のペットボトルを活用したハンギングプランタで飾花する整備を行い、 沿道住民の参加を得て、 維持管理を行っている。

 この事業では、 事業費としてまちづくり協議会の2分の1持出しを前提として、 景観ルネサンスまちなみ保全事業の適用を受けて2分の1補助を受けている。 また、 西宮市が仲介し、 安井まちづくり協議会とJR西日本が協議文書を交わしている。

(11)分銅町ポケットパーク(平成10年)

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位置図
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分銅町ポケットパーク
 安井地区内の山手幹線の整備に伴って、 分銅町3番に約180 の空地が生じ、 そこを分銅町自治会と安井まちづくり協議会が日常の維持管理を行うことを前提に、 街かどポケットパークを街路事業で整備してもらった。


 

「M-NET」〜若手ネット発

震災後のまち・すまいづくりの検証

いるか設計集団 松原 永季

端緒

 小森星児氏の発言であったと思う。 「被災地の現況は日本の都市の未来を先取りしているのだ。 」という趣旨の意見を最初に聞いたのは。

 その洞察は、 様々に体験し考えるほどに妥当であり、 「白地地域」で四苦八苦していた身としては、 しみじみ深く励まされた。 そして「どのように被災を記録すべきか」という震災直後からの個人的な懸案事項に一つの方向性を見出すことができた。 すなわち「白地」の激甚被災地をくまなく歩き回り、 その復興(?)過程を記録することで、 現代都市なかんずく既成市街地の課題と現況さらには将来の姿を透視することができるのではないかという視点を得たのだった。 幸い、 既に「(仮称)若手ネット」が活動を始めていたので、 関心を共有する有志と共に、 まちあるきと記録の若手ネット内企画・M-NETを開始することになった。


調査方法

 神戸市灘区と東灘区の阪急以南の激甚被災地の全ての道を踏破し、 興味深い事例を全てスライドによって記録するという悉皆調査を旨とした。 神戸市東部を対象としたのは、 私たちがネットワークを形成する母体となったのが長老陣のいわゆる「東部ネットワーク」であったこと、 「白地地域」が多く、 また復興のスピードも比較的早いこと、 メンバーの活動フィールドが数多くあること、 などを理由としている。 また採集する事例について、 調査開始以前に議論を重ねたが、 テーマを決めるよりはテーマを現地に求めたほうがよいのではないか、 という意見に傾き、 網羅的採集を試みる事となった。 (これは後々まで議論の対象となった。 )対象エリアは9カ所に分割し、 各箇所1日を費やして北から南へと下るスタイルで調査をすすめた。


調査過程

 
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写真1「対面緑化」ベランダ下の緑化が実は…
 
 当初は1年程度で踏破する予定だったが、 「若手ネット」としての他の調査も重なり、 結局2年がかりとなった。 調査の過程で「緑化」「素材」といった比較的設定しやすいテーマとともに、 「群住宅」「小モノ」など新たなテーマも見出された。 特に「対面緑化」という言葉が自然発生的に私たちの間で生まれたことは意義深いと思う。 住戸(特に玄関)に対面する公共領域をあたかも私的領域のごとく占用(緑化)する事例を指すが、 一般性を持つ概念と思われるので、 ここに書き留めておきたい(写真1)。

 これまでに記録したスライドは3000枚をはるかに超える。 現在、 デジタルデータ化を進めており、 メンバー共有の財産として活用できる体制を整える予定である。


調査結果と報告

 調査結果は、 これまで何度か報告させていただいているが、 私たちの特徴は、 その都度、 発表方法を変えていることにあると、 今になって気づいた。 調査方法を反映しているのであろうが、 以下にその概要を示す。

第1回報告(1999年9月3日:東部ネット第29回連絡会にて)

 
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写真2「群住宅」シャッフルタイプ 写真3「小モノ」町のディズニーランダイゼーションは秘かに進行する
 
 この報告では「灘区白地 まち・すまいづくりの現況」と題し、 「住宅」と「住宅以外」の現況をそれぞれテーマに分けて報告した。 「住宅」は、 (1)戸建(2)集合住宅(3)群住宅に分け、 閉鎖化や高密化の進行などの形態的特徴、 震災を生き延びた住宅との比較などの報告を行った。 なお「群住宅」とは「あるまとまりを持つことによって何らかの特性を示している一群の住宅」という、 私たちの造語した新概念であり、 ミニ開発分譲住宅などを対象としている(写真2)。 一方「住宅以外」では、 (1)道路の際を見る(緑化/駐車場/線路際)(2)これもまちのデザイン(無意識系/バナキュラー系)(3)小モノに目を留める(ハンドメイド系/キャラクター系)という分類を設け、 まちの様々な現象を取り上げて報告することとなった(写真3)。 この「住宅以外」で網羅した事例に「まちづくり」への可能性が豊かに示唆されていると考えている。

 なおこの報告会では、 300枚以上のスライドを休む間もなく映写したため参加者の皆さんを疲れさせる事となり、 討論が不発におわるという反省と後悔を残した。

第2回報告(1999年11月8日:東部ネット第30回連絡会にて)

 2回目の報告は「東灘区白地 まち・すまいづくりの現況」と題して行った。 前回の灘区に比して東灘区は地域イメージがある程度明確ではないかという認識をもとに、 御影/住吉/魚崎/岡本/森&深江という調査ブロック別にスライドプロジェクターを5台用意し、 同一テーマの事例を同時上映し比較検討する、 という画期的(?)な方法で報告した。

 結果的には、 あらかじめテーマ設定を行わずに調査スライドを撮影しているため対象が明確とならなかったこと、 調査ブロックと旧村域が一致していなかったこと、 等の理由から少々明瞭性の欠ける報告となってしまった。 しかし前回の反省から充分に時間をとった討論の中では、 地元住民への報告として様々な可能性がありうるなどの指摘をいただき、 今後の展開へ向けての示唆としてありがたいものであった。

「錯乱のNEW KOBE展」(2000年1月6〜17日:建築会館展示ホール)

 東京の専門家へ向けた企画として「錯乱のNEW KOBE展」と名付けたパネル展示会を、 日本建築学会の御好意により、 建築会館展示ホールをお借りして開催した。

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写真4 「錯乱のNEW KOBE展」会場風景
 これまで採集した事例をもとに展示パネル(A1サイズ×12枚)を作成し、 街中に見られる小モノの現物とともに運び入れ、 自動映写のスライドを併せて会場を構成した(写真4)。 開催初日は東京都建築士会の新年会とも重なり、 多くの専門家に御覧いただく事となった。 展示の印象を聞きだし記録する方法が確立されておらず、 反応を知ることが困難であった点、 広報が到らなかった点などが反省として残る。 なお特に「錯乱」の用語に関して幾つかの批判をいただき、 私たちの中でも議論を深めることができたと考えている。

Meomrial Conference in Kobeへの出張展示

(2000年1月22日:神戸海洋博物館にて)


今後

 「せっかくパネルも作ったんだから…」ということで、 今後は全国を巡回的に興行行脚することとなった。 対象は既成市街地に関る専門家や住民の方々(決して限定しているわけではなく、 あくまでイメージとして)。 そして「錯乱展」のパネル展示と同時に、 必ず実施しようとしているのが「スライドショー」である。 つまりこれまで蓄積したスライドを何らかのテーマ毎に選別し、 私たち自身が語り部となって震災後の「まち・すまい」の姿を伝え、 各地の参加者と未来へ向けた議論を深めようという試みである。 これは興行先や語るメンバーによって様々なバリエーションが生じるだろうと思われ、 私自身今から楽しみにしている。 現在交渉中の候補地は次の通り。 (1)世田谷区/梅ヶ丘アートセンター(3月11日〜15日予定)(2)台東区/谷中コミュニティーセンター(4月8日〜14日予定)(3)宇都宮市/倉詩舎(4月22日〜予定)(4)墨田区/会場未定(5月予定)(5)北海道大学(秋予定)。 交渉先に東京が多いが決して関東におもねっているわけではない。 場所さえ与えていただければ、 何処へでも興行に向かいますので、 開催先をご紹介いただければと、 この場を借りてお願いします。


さらに今後へ向けて

 震災後の「まち」を体験的に知ることからは、 様々な事どもを引き出せるように思う。 その作業は他の参加メンバーもそれぞれが行うであろうから、 ここでは個人的感想を少し記しておきたい。

 まちを歩いて得た発見の一つに、 ある小さなエリアが何らかのまとまりを持って「雰囲気」を生み出していることをあちこちで感じた事がある。 個人的には、 それは「まちづくりの計画的意志」のようなものと、 その地域の地理的歴史的人的ポテンシャルの相克の結果生じているのではないかと仮想している。 それを「まち環境」という言葉で捉えたいのだが未だ力不足で明確には説明できない。

 こんな発想から、 今後の「まちづくり」へ向けて、 小さなエリアでの「まちの形成史」の確認が必要であると思うに到った。 「東部ネット」改め「神戸ネット」では「神戸まちづくりの歴史」が通年テーマとなっているが、 このような観点からも接していければ、 と考えている。

★M-NET調査日★

★M-NET参加者★

情報コーナー

 

ネットワーク連絡会記録

神戸市まちづくりの系譜
神戸市民まちづくり支援ネットワーク/第31回連絡会記録('00.1/24)

 神戸市民まちづくり支援ネットワークとなってからの第1回の連絡会が、 1月24日、 こうべまちづくり会館で行なわれました。

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神戸のまちづくりについて語る宮西さん
 真野地区で住民主体のまちづくりに20年以上携わっている宮西悠司さん(神戸・地域問題研究所)からは、 神戸開港以来のまちづくりの歴史や、 真野地区をめぐるご自身のコンサルタントとしての半生が語られました。 また、 小林郁雄さん(コー・プラン)からは、 神戸市における都市計画事業などについての説明がありました。 次回は3/3(金)(→情報コーナー参照)。

市街地居住における賃貸居住
阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第12回連絡会記録('00.2/4)

 被災地では、 住まいの復興をめざして、 この5年間に大量の住宅建設(再建)が行われてきましたが、 今回は賃貸住宅に視点をあてて、 政策主体としての地方公共団体、 供給主体としての民間企業それぞれの立場から報告が行われました。

 出野上聡さん(兵庫県)からは、 平成10年に実施された住宅・土地統計調査と住宅需要実態調査に基づいた被災10市10町の賃貸住宅の供給動向等の報告と、 今後の展開の一つとしての「高齢者向け優良賃貸住宅制度」の紹介がありました。 石井修さん(神戸市)からは、 震災後急増した市営住宅の現状と今後の展開に関して、 現在検討がすすめられている「市営住宅マネジメント計画」の取り組みについて報告がありました。 和田憲昌さん(和田興産)からは、 民間賃貸住宅市場の現状と企業としての賃貸住宅事業に対する取り組みについて報告がありました。 その後、 報告者を交えて、 今後の市街地住宅における賃貸居住のあり方について討論が行われました。 (コー・プラン 上山 卓)


お知らせ

●阪神大震災復興まちづくり報告2000 −震災復興まちづくりの5年と今後−

◆震災復興まちづくり支援の5年と今後
◆第2回神戸市民まちづくり支援ネットワーク連絡会
◆震災復興まちづくり協議会の5年と今後

CA2000研修「すまいまちづくりに携わる人材の育成のための研修 説明会」

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このページへのご意見は前田裕資
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