震災後、 半年余りの台湾の復興状況を訪ねて都市計画学会 防災・復興研究委員会/計画技術研究所 林 泰 義 |
本年3月30日から6日間、 台湾大震災の被災地を都市計画学会防災・復興研究委員会の若手研究者6名による調査団と共に訪ねた。 その結果、 台湾と比較して阪神淡路の震災復興が、 あらためて特殊日本的だという感を深めたのである。 阪神淡路が大都市災害、 台湾が主として小都市・集落災害だという基本的な違いを考慮したとしても、 両者の復興への思想と取り組みには大きな差がある。
その第1は、 台湾では住民の生活と心情を中心に据えた復興の基本的考え方が貫かれていることである。
台湾政府は、 下から上への復興を原則とする方針を震災後いち早く示し、 復興プロセスを「救難」「安置」そして「重建」の三段階に分けて取り組んできた。 住民の状況、 心情をふまえ第一に配慮している。 99年末迄には家を失った被災者も、 賃貸住宅、 自力再建、 仮設住宅入居のいずれかへの目途が立ち、 「安置」の段階に入ったという。 この段階から復興計画を各地区毎に考えるという手順である。
第2は、 復興の過程を通じてコミュニティを尊重し、 コミュニティを主体として復興を考えている点である。 台湾ではコミュニティを「社区」と言う。 「社区」の概念は、 1994年以降、 政府の政策に取り入れられた。 この面では、 台湾は欧米先進諸国と政策のレベルが並んでいる。 現在、 社区毎の復興まちづくりの検討を積み上げた上で郷(鎮・市)の復興計画、 さらには縣の復興計画へとまとめる作業中である。 計画は、 「公共建設、 産業重建、 生活重建、 そして社区重建」を内容とするほか、 文化財・記念物・文化地景の保存・再建が含まれている。
日本の場合、 「社区」に当たる概念は、 復興の基本方針はもとより、 具体の事業においてもまったく位置づけられなかった。 このため阪神では仮設住宅の遠隔地への立地、 抽選による入居方式が被災したコミュニティを完全に解体してしまった。 これほどのコミュニティの解体は、 現在では国際的に見ても特異であろう。
第3は、 台湾では民間非営利セクターと政府・行政の連携:「新しい公共」方式が進んでいることである。
台湾では民間非営利セクターが、 NGO、 NPOとして救難や安置の段階でマンパワーとして活躍しただけでなく事業面でも際立った役割を演じた。 宗教団体、 ライオンズクラブ、 さまざまな基金会が多額の寄付を募り、 救援物資を供給し、 各地に仮設住宅団地を建設している。 行政はこれを位置づけて連携している。
これは、 復興過程の仕組みを行政が考える際に、 民間の力を組み入れた弾力的な仕組みを国レベルから社区のレベルに至るまで取り入れた結果でもある。
社区のレベルでは、 社区発展協会を住民が立ち上げると国が法人として認める。 NGO、 NPOが住民の心と生活の再建を支える拠点を社区につくると「社区家庭支援中心」に位置づけて運営費の支援をする。 また社区が社区財源委員会をつくって寄付を募り基金をつくる仕組みもある。 国レベルでは全国からの義捐金(約230億元=約800億円)のうち、 100億元の使途の監督にNPOのネットワーク組織「全国民間災後重建連盟」があたっている。
第4は、 これらの取り組みの本質でもあるが、 復興の仕組みが複線的になっている点である。 被災者に複数の選択の機会が与えられるともに、 支援活動の多様な機会も民間企業、 NPOに広く開かれている。
これらの点を、 日本と比較すると「旧い公共」意識に閉じた日本の行政と、 「新しい公共」を制度化している台湾との根本的な違いが明らかである。 その違いは日本と欧米先進諸国との違いでもある。
復興はもっぱら行政が独占的に行うべきことと日本の行政は考えていた。 「旧い公共」独特の閉じた意識が、 住民参加を排除した震災2ヶ月後の大規模再開発と区画整理を中心とする都市計画決定を生んだといっても過言ではない。 「公共を独占する行政の閉鎖性」こそ、 特殊日本的現実なのである。
写真1:竹を使った仮設住宅 |
地震による被害は大きく、 8割くらいの家が壊れている。 地震後に邵族の各集落の長たちが話し合い、 現在の居住場所に住宅を建てなおすよりも先祖の住んでいた場所に建てなおしたいということになった。 しかし邵族の先祖の住んでいた場所は現在、 国の所有になっており、 今回は地震に伴う緊急措置という扱いで仮設住宅を建設している。
仮設住宅は邵族の伝統的な形態である竹を使った住宅を建設している。 最初に専門家の支援を得てモデルとなる住宅を造ってから順次建設しており、 自力建設で45戸の建設を予定している。 形態は組立式で3つの部屋、 台所で1つの住宅となっている。
写真2:仮設住宅の内部 |
震災前の「火房」 |
しかし昔から農業によって生計を営む客家の人たちは、 生来楽天的であり、 また自己文化への高い意識と誇りがあって、 彼らは何よりもそれを自分達の宝物だと思っている。 わが家が倒壊した劉祥三氏は、 「復興で必要なのは活力である」と言っていた。 私はこの劉氏の言葉から、 石岡の再建計画に期待すると同時に、 台湾全土の現状を、 日本の人々に知ってもらいたい。
今回調査に参加したメンバーのほとんどは、 聞き取り調査ならびに現地調査の中で、 台湾の復興まちづくりにわが国にはないあたたかさを感じました。 それは、 1988年まで戒厳令が引かれ、 1996年にはじめて、 住民直接選挙による総統選挙がはじまった国とは思えない、 「自由で民主的な雰囲気」です。
すでに世界1月号で野田さんが「こころのケア」について、 被災後から市民ベースの支援があったことを報告されています。 ここでは、 調査をとおして感じた「あたたかさ」をトピック的に並べ、 調査の速報とさせていただきます。
仮設住宅の玄関に飾られた赤い球の飾りものや、 赤い文字札シールが印象的でした。 また、 図書館が全壊した中遼では、 仮設住宅地内に暫定図書館が開館し、 子どもたちを中心ににぎわっていました。
FORMOSA(スペイン語で緑麗しい島)からGreen Slicon Island(陳大統領による国家ビジョン)へ、 台湾における被災復興は、 国家主導の動きから、 NPOベースの動きまで、 官と民の緊張関係をもちながらも都市コミュニティを育みつつ、 着実な取り組みを重ねている、 そんな思いを強く感じました。
今回、 お会いした被災地で様々な活動を行っている方々には、 ある一つの共通点があった。 それは、 住民の「共同意識のケア」を復興まちづくりの重要な視点にしていることである。 彼らは、 住民が自分の街への愛着や関心を持てる、 持ち続けられるには、 どうすべきか?を考えながら、 それぞれができる活動を実践していた。 そして、 何より日本と違うのは、 彼らの活動を支える民間(基金など)の強力なパワーが存在していることである。 以下では、 埔里(プーリ)と中寮の活動を一部紹介したい。
台湾における復興まちづくりの印象
日本大学理工学部 市古 太郎
1)既存コミュニティ重視の仮設住宅
被災地に全部で6500戸ほど建設されたという仮設住宅は、 大きいものでも300戸程度であるという。 われわれが足を運んだ仮設住宅は大きいものでも100戸程度、 原住民(高砂族)集落においては20戸程度であった。 震源地に近い集集では、 市街地に接して(株)台湾ナイキにより仮設住宅が建設され、 住宅の建設と同時に共同利用施設(集会場、 福祉医療サービス施設、 宗教施設など)が建設されていました。 台中縣社会局長の許さんによると、 全壊被害に遭われた世帯は、 (1)仮設住宅、 (2)家賃補助、 (3)国民住宅の3つの選択肢が準備され、 (2)を選ぶ世帯も多いが、 同じマンションに住み、 協力しあって生活していた人たち同士、 引き続きいっしょに住むことができるという理由から、 仮設住宅を選択した世帯も多いとのことでした。
2)社区営造アプローチ
伝統的な客家農村集落の復興に向けて取り組む石岡や、 まちづくり雑誌「新故郷」編集部がある埔里などで、 さまざまな大学教育を受けた青年が「まちづくり」で一致し、 活動を行っていました。 アーキテクトや都市計画プランナーだけでない幅広い人々が交わるキーワードとしての「社区営造」運動は、 発災直後の避難生活から復旧、 そして復興まちづくりまでを一連のものとしてサポートしうるという意味で、 非常に有効と思いました。
3)生活の場としての中小店舗
台湾の町家は、 騎楼と呼ばれるピロティをもち、 ここで飲食店が営まれています。 早朝から夜市まで、 飲食をする人々があり、 このような中小の飲食店が、 発災時に助け合いの場として利用されたと思われました。 都市部にも農村部にもいわゆるスーパーはなく、 中小商店による生活関連物資の供給が行われたのでしょう。 私たち調査隊も、 集集にて聞き取り調査をしつつ、 庶民的で美味しい料理を堪能しました。
台湾式(?)共同意識の
ケア活動について東京大学大学院工学系研究科 野澤 千絵
1)埔里の婆婆媽媽之家
ガレキの中から拾ってきた鍋ふたのオブジェ |
学生ボランティアの部室のような社区家庭活動支援中心 |
台湾は総面積約3万6千km2で九州よりやや小さい。 今回の地震を九州で例えると、 台北が博多、 台中が熊本、 震源地は阿蘇山か五木の山麓といったところだろうか。 日本のテレビは台北や台中の模様を伝えていたものの、 被害は主に地方中小都市、 農山村地域で大きく広がる。 ここではNPO・ボランティア活動について埔里と集集の事例を中心に紹介したい。
埔里鎮は、 人口約8万8千人。 家屋の全半壊率が半分に達する。 埔里では新故郷文教基金会の事務所を訪ねた。 廖嘉展さんは現在、 社区営造学会の機関誌「新故郷」の編集・発行を行っている。 台北に本部がある学会の雑誌が埔里で編集・発行されていることは新鮮に感じた。 東京や大阪に事務局のある学会・団体等が松本や津山で雑誌を発行している例があるだろうか。 「新故郷」はカラー写真が豊富に取り入れられ、 記事も広く一般読者を引きつける内容となっている。 このような雑誌が発行できる一因として、 エバーグリーン(ポートアイランドなどで見かける緑色のコンテナ)など企業や財団などの協賛があげられる。
この事務所は埔里のまちづくりの拠点としても機能している。 地震発生直後は、 地域外からのボランティアの受け入れ窓口や救出チームへの情報提供を担った。 王元山さんたちで被害調査やテント村の混乱収拾などを行ったそうである。 また地元の大学と協力して仮設住宅における児童への家庭教師、 教育相談などを無料で行っている。 社会士の資格を保有する李詩詠さんは、 小学生の世話を行う活動など心の問題に関心を払っている。 各地に住んでいる埔里出身者に対し故郷へ関心・愛着を持つように働きかけてもいるとのこと。 このように幅広い活動がさまざまな分野の人々により行われているのは、 台湾の社区営造(まちづくり)の多くが文史工作室(自分たちの文化や歴史など)を前身としていることに影響されていると思われる。 また多くの活動を支えているさまざまな企業や団体による補助金や基金の存在が見逃せない。 今回の地震では多くの義援金を全國民間再後重建聯盟という組織で一元管理している。 これらの仕組みを把握することは、 日本における今後のNPO活動を考えていく点においても重要なのではないだろうか。
一方、 集集鎮(震源地に最も近い町、 人口約1万2千人)では民間プランナーの廖明彬さんに会った。 廖さんは他の市や町の再建計画に行政派遣のプランナーとして携わっているが、 集集についてはボランティアとして行っている。 主な内容は住宅再建・補修、 法律相談、 地域文化を知る教室など。 再建にあたり、 なぜその家、 部屋がつぶれたのか説明している。 権利関係が複雑、 不明確な建物もあるらしい。 実際に見学させてもらった建物も全壊して解体するようにみえたが、 補修するとのこと。 補修の方が安くすむだけでなく、 借地権の消滅を防ぐためでもあるとのことだった。 阪神大震災の被災地でも耳にしたことかと思う。 似ているといえば、 仮設住宅の横に高級乗用車(ボルボ)が止まっている景色や石岡郷のある集落再建では、 道路などの基盤整備は農業委員会(日本の農水省)の農村集落改善事業のような補助事業で行い、 伝統的な建物については文化建設委員会(文化庁)の援助を適用するなど複数の事業の合わせ技で進めることも・・・。 いろいろな面で台湾地震から学ぶことは多そうである。
97年11月の募集にはわずかな応募しかなく、 続いて補充募集が2回ありましたが、 入居待ちの間、 入居予定者たちは先人のふれあい住宅に学びました。 コレクティブハウジング事業推進応援団が98年7月から始めた「ふれあい住宅居住者交流会」に出席され、 先発のふれあい住宅の様子を知って自分たちの入居後の協同居住の準備をしょうという前向きの姿勢で、 それは入居前後からその効力を発揮しました。 第4回の交流会に出席された時、 「ふれあい住宅の住まい方について80%ぐらいイメージできたと思う。 自治会役員の行動が大事だという気がする」と、 発言されています。
99年末の入居者は31世帯36人で、 男女比はほぼ半々で、 平均年齢は男67歳、 女69歳で、 60代が22人と多くて、 全般に若い人たちです。 まだ勤めいる人も少なくありません。
建物は6階建で、 2階ごとのグループでひとつのコレクティブ単位を想定して設計されています。 従って、 3つの奇数階には2層吹き抜けの大きな協同室と共同洗濯コーナー、 便所、 倉庫があり、 偶数階にはサブ協同スペース(共同洗濯コーナー、 たまり場など)があります。 このようなぜいたくな協同空間の取り方は現実の協同居住に適応せず、 入居者にとってはやっかいもんになっており、 ここではとくに設計についての不満が多いです。 なお、 現実には1階から6階がひとつのコレクティブ単位として協同居住を進めています。
Aさんを訪ねて1階の協同室で話をしていると、 2階からわたしたちを見つけたおひとりが、 お茶菓子をもって来てくださいました。 「もらいもんやけど、 召し上がって」と。 陽がよく当たる協同室の窓辺にテーブルを並べてお布団が干されています。 しばらくしてBさんが現れ、 「うちの部屋は陽が当たらへんから、 時々ここに干さしてもらってるの」と言って、 取り込んで行かれました。 協同室が自分の部屋の続きのように使かわれているようです。
Aさんは言われます。 「今はみんなまぁまぁの生活よ。 昼間は働きに出ている人もいて、 それぞれが普通の生活がしたいというのが本音みたい。 悪い人はいないわ。 ひとり共益費を払わない人がいて困ってる以外は。 。 。 共益費は入居当初13000円だったけど、 今は9000円にしているけど、 もう少し下げられそうよ。 コレクティブ棟だけの独立した自治会になってすっきりしたわ。
毎月第4日曜日の朝からみんなで協同スペースの掃除をして、 夕方6時から話し合いを兼ねた夕食会をしているの。 お弁当を取って、 汁物はここで作ってそえているの。 この夕食会をその月のお誕生会も兼ねたものにして、 順ぐりにお祝いしていくのもいいなーと思っているんよ。 食事会の費用は共益費から出している。 共益費は世帯単位なので2人世帯は食事会費用が2倍かかるという見方もあるけど、 2人世帯は2人して協同生活に協力してくれているので追加のひとり分を払わなくてもいいと思ってるんよ」と。 お弁当はコレクティブ応援団のお勧め、 水道筋商店街のお総菜屋さんのものです。
Aさんは続いて声を大にして話します。 「ここの住宅の造りは分からんことばかりよ。 しっかりした建物で感謝はしているけど、 使い勝手が悪いわ。 2階吹き抜けの協同室は冷暖房費がかかりすぎるし、 照明器具を取りかえるにしても電球の位置が高すぎてできない。 太陽熱利用の省エネシステムだと説明に書いてあったようだけどその使い方が分からへん。 ホラ、 2階につづくこの階段の幅の広さ。 両手を拡げても両側に手が届かへんということは、 よろけそうになったとき危ないでしょう。 それに3つも大きな協同室があるのに畳の部屋がないでしょう。 1階には事務室なんかもあるでしょう。 誰が使うの。 共同洗濯コーナーや倉庫、 共同トイレなど無駄なスペースが多いのに、 1階から6階までつづく室内階段はないでしょう(階段は2層ごとのコレクティブグループの連絡だけになっています)。 いちいちエレベーターを使っていたら電気代もかさむし、 万一エレベーターが停まったら大変やわね。 地震の後の建物やのに何考えてはったんやろう。 階段の上り下りは足腰の衰えを防ぐのにいいのよ。 こんな無駄なスペース作るんやったら、 住宅を少しでも広くしてほしいわ。 ほんまに言うたらきりがないほどムチャクチャよ」と。
ふれあい住宅の設計上のまずさは、 他の住宅でもしょっちゅう聞かされます。 日本の生活習慣に適合したコレクティブハウジングの住まい方をしっかり検討しないままに設計され、 さらに日常生活を実感できない男の手によって設計された結果です。 何よりも協同居住の維持費(ランニングコスト)がかからないような造りにすることが第一です。
◆阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第13回連絡会('00.4/7)の報告は次回に掲載します。
■ 阪神大震災復興 市民まちづくり支援ネットワーク 事務局
●「きんもくせい英語版」のインターネットアドレス:
被災地における
NPO・ボランティア活動東京都立大学都市研究所中林研究室 福留 邦洋
日本都市計画学会 防災・復興委員会若手研究者による台湾調査団
写真左から、 林・照本・周さん・村尾・藩さん・市古・Wang(王)・福留・寥さん・野澤(周さん、 藩さんは魚池社区家庭支援中心の方、 寥さんは学生通訳ボランティア)
計画技術研究所、 千葉大学客員教授、 NPO法人玉川まちづくりハウス委員
hayashi@kgk-net.co.jp
専門分野:住民主体のまちづくり
東京大学生産技術研究所第5部 助手
murao@iis.u-tokyo.ac.jp
専門分野:防災空間計画、 防災デザイン、 公共空間計画
日本大学理工学部交通土木工学科 助手
PXW02152@nifty.ne.jp
専門分野:GIS土地利用分析、 土木史
東京都立大学大学院都市科学研究科 都市防災・安全部門博士課程
terudas@comp.metro-u.ac.jp
専門分野:都市防災計画
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 都市計画研究室博士課程
chiezou@up.t.u-tokyo.ac.jp
専門分野:震災復興まちづくり
東京都立大学都市研究所 中林研究室博士課程
hukutome@comp.metro-u.ac.jp
専門分野:災害発生の地域構造・居住者や建築物からみた地域の変化過程
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 都市計画研究室修士課程
shavery@up.t.u-tokyo.ac.jp
専門分野:都市計画
入居前に先人に学んでスタートした
県営脇の浜ふれあい住宅石東・都市環境研究室 石東 直子
◆入居前に先人に学ぶ
HAT神戸のコレクティブハウジング・県営脇の浜ふれあい住宅は、 10地区のふれあい住宅のうちの最後の入居で、 1999年4月に入居しました。 44戸の住宅は単身世帯用が32戸、 家族世帯用が12戸で、 すべてがシルバーハウジングです。
脇の浜ふれあい住宅/庭側の外観
協同室前の庭/立体花壇とテーブルがある快適な空間です
協同室の平面図1(奇数階)
協同室の平面図2(偶数階)
◆コレクティブ棟だけの独立した自治会になりたい
入居後はじめての大きな協同活動は、 4棟の県営住宅からなる自治会から独立して、 ふれあい住宅だけの自治会になるための活動でした。 HAT神戸の脇の浜地区には災害復興県営住宅4棟(253戸)が建設され、 入居直後に県の指導のもとに4棟がひとつの自治会を結成しました。 コレクティブハウジングは1棟だけです。 自治会役員は各棟から選出されていますが、 自治会費の使途などをめぐって当初からいざこざが起きました。 ふれあい住宅は協同居住の運営や協同スペースの維持管理のために、 他の住宅にはない独自の共益費の徴収や居住者活動があります。 全体の自治会の中に組み込まれてしまうと、 自治会費の2重払いをしていると感じている人もいます。 ふれあい住宅という独自性を大事にした自治会運営をするためには独立した自治会になって、 4棟の県住による連合自治会をつくって、 連合自治会として必要な経費は収めたいという声がでてきました。
◆まぁまぁの生活よ、 でも設計上の問題が多いわ!
ここにはガーデニング愛好家たちがおられて、 協同室の前に広がる庭はいつも手入れがいきとどいていて、 とてもみごとです。 花の苗を買うと高いので、 種からまいて育てており、 種、 用土、 肥料などは共益費で購入しているということです。
情報コーナー
●「自然の恵みでアートしよう」
(「神戸21世紀・復興記念事業」のなかの「ガーデンシティKOBE2001」を推進する“担い手”募集の一環として行われます。
●インフィオラータこうべ2000
(道路や広場に花で絵を描くイベント)
〈北野町広場〉〈ポートアイランド・市民広場〉:4月29日(土)〜5月1日(月)
〈湊川商店街〉:5月2日(火)〜5日(金)
〈六甲アイランド・リバーモール〉:5月5日(金)〜7日(日)
●ウォーターフロントウォッチング〜海から花博を見よう〜
(TEL.078-261-0337 FAX.261-0775)
●長田東コープ方式・まちづくりフォーラム
「震災空地を生かしたまちづくり」
<長田東の復興まちづくりの歩みの報告>
<パネルディスカッション>
高田昇(立命大)、 遠藤剛生(建築家)、 竹原義二(大阪市大)、 垂水英司(前神戸市住宅局長)、 室崎益輝(神戸大)
<設計コンペ応募要領の説明と質疑>
●日本造園学会平成12年度全国大会
〈公開シンポジウム〉
公開シンポジウム/学術会議シンポジウム
〈学術会議シンポジウム〉
<基調講演>鳴海邦碩(大阪大)
<パネルディスカッション>
磯崎泰博(デザイン会議代表、 司法書士)、 小久保正雄(北淡町長)、 武田義明(神戸大)、 前川敬一(JAあわじ島)、 前中久行(淡路景観園芸学校)、 増野俊則(神戸新聞)
<基調講演>中瀬勲(姫路工大)
<シンポジウム>辻本智子、 田中康、 澤木昌典、 木下勇、 増田昇、 一ノ瀬友博、 輿水肇
●第12回まちづくり塾「こうべ復興塾」
〈見学先〉魚崎地区(民間コレクティブ住宅・ココライフ魚崎、 共同化住宅、 他)、 新在家地区(共同化住宅他)、 HAT神戸(水際公園、 復興住宅群、 他)、 野田北部・鷹取東地区(ペーパードーム、 区画整理、 街なみ環境整備事業)、 真野地区、 新長田地区周辺
〈対談〉〈グループ討議〉他
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担当:天川佳美、 中井 豊、 吉川健一郎
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