きんもくせい50+13号
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震災後、 半年余りの台湾の復興状況を訪ねて

都市計画学会 防災・復興研究委員会/計画技術研究所 林 泰 義

 本年3月30日から6日間、 台湾大震災の被災地を都市計画学会防災・復興研究委員会の若手研究者6名による調査団と共に訪ねた。 その結果、 台湾と比較して阪神淡路の震災復興が、 あらためて特殊日本的だという感を深めたのである。 阪神淡路が大都市災害、 台湾が主として小都市・集落災害だという基本的な違いを考慮したとしても、 両者の復興への思想と取り組みには大きな差がある。

 その第1は、 台湾では住民の生活と心情を中心に据えた復興の基本的考え方が貫かれていることである。

 台湾政府は、 下から上への復興を原則とする方針を震災後いち早く示し、 復興プロセスを「救難」「安置」そして「重建」の三段階に分けて取り組んできた。 住民の状況、 心情をふまえ第一に配慮している。 99年末迄には家を失った被災者も、 賃貸住宅、 自力再建、 仮設住宅入居のいずれかへの目途が立ち、 「安置」の段階に入ったという。 この段階から復興計画を各地区毎に考えるという手順である。

 第2は、 復興の過程を通じてコミュニティを尊重し、 コミュニティを主体として復興を考えている点である。 台湾ではコミュニティを「社区」と言う。 「社区」の概念は、 1994年以降、 政府の政策に取り入れられた。 この面では、 台湾は欧米先進諸国と政策のレベルが並んでいる。 現在、 社区毎の復興まちづくりの検討を積み上げた上で郷(鎮・市)の復興計画、 さらには縣の復興計画へとまとめる作業中である。 計画は、 「公共建設、 産業重建、 生活重建、 そして社区重建」を内容とするほか、 文化財・記念物・文化地景の保存・再建が含まれている。

 日本の場合、 「社区」に当たる概念は、 復興の基本方針はもとより、 具体の事業においてもまったく位置づけられなかった。 このため阪神では仮設住宅の遠隔地への立地、 抽選による入居方式が被災したコミュニティを完全に解体してしまった。 これほどのコミュニティの解体は、 現在では国際的に見ても特異であろう。

 第3は、 台湾では民間非営利セクターと政府・行政の連携:「新しい公共」方式が進んでいることである。

 台湾では民間非営利セクターが、 NGO、 NPOとして救難や安置の段階でマンパワーとして活躍しただけでなく事業面でも際立った役割を演じた。 宗教団体、 ライオンズクラブ、 さまざまな基金会が多額の寄付を募り、 救援物資を供給し、 各地に仮設住宅団地を建設している。 行政はこれを位置づけて連携している。

 これは、 復興過程の仕組みを行政が考える際に、 民間の力を組み入れた弾力的な仕組みを国レベルから社区のレベルに至るまで取り入れた結果でもある。

 社区のレベルでは、 社区発展協会を住民が立ち上げると国が法人として認める。 NGO、 NPOが住民の心と生活の再建を支える拠点を社区につくると「社区家庭支援中心」に位置づけて運営費の支援をする。 また社区が社区財源委員会をつくって寄付を募り基金をつくる仕組みもある。 国レベルでは全国からの義捐金(約230億元=約800億円)のうち、 100億元の使途の監督にNPOのネットワーク組織「全国民間災後重建連盟」があたっている。

 第4は、 これらの取り組みの本質でもあるが、 復興の仕組みが複線的になっている点である。 被災者に複数の選択の機会が与えられるともに、 支援活動の多様な機会も民間企業、 NPOに広く開かれている。

 これらの点を、 日本と比較すると「旧い公共」意識に閉じた日本の行政と、 「新しい公共」を制度化している台湾との根本的な違いが明らかである。 その違いは日本と欧米先進諸国との違いでもある。

 復興はもっぱら行政が独占的に行うべきことと日本の行政は考えていた。 「旧い公共」独特の閉じた意識が、 住民参加を排除した震災2ヶ月後の大規模再開発と区画整理を中心とする都市計画決定を生んだといっても過言ではない。 「公共を独占する行政の閉鎖性」こそ、 特殊日本的現実なのである。


 

政府の対応と復興計画

東京大学生産技術研究所 村尾 修

 2000年3月30日から4月4日までの間、 都市計画学会防災・復興研究委員会の調査団として台湾集集地震後の復興調査のため現地を訪れた。 詳細な報告は、 他のメンバーに譲るとして、 ここでは政府の対応と復興計画について述べる。

 1999年9月21日午前1時47分に発生した台湾集集地震は、 死亡者2,429人、 負傷者8,735人、 行方不明者56人(行政院統計1999年11月10日現在)、 全壊家屋47,503戸、 半壊家屋36,346戸の被害を出した。 地震発生後政府は直ちに「救済センター」を開設し緊急対策措置をとったほか、 人命救助を主体に多方面の活動を開始した。 被災地及びその近辺に駐在する軍隊は、 地震発生後20分で救援活動を開始。 行政院長は地震発生15分後に中央防災センターに到着し、 当面の対応を検討。 午後には関係閣僚会議を召集、 15項目の救済重点項目を設定した。 9月23日には「921地震救災指導センター」を設置、 25日には憲法に基づき、 税の減免、 復興資金の調達、 用地の使用制限など12条からなる「緊急発令」を発布した(3月24日までの6ヶ月間)。 また27日には「行政院921震災災後重建推動委員会」を設置した。 救済措置は、 死傷者見舞金、 被災者の居住支援、 住宅購入資金の低利貸付の他に、 融資資金の返済期間延長と税制上の優遇策、 疾病の防止とと緊急医療及び被災者医療費の免除、 住宅安全検査の実施、 物価安定策の推進、 慰問物資の円滑受入、 被災地学生の復学と補導、 各種問い合わせ専用電話の開設、 義援金特別口座の開設、 軍の救済活動への投入、 環境衛生体制の強化、 被災労働者の就職支援、 死傷者リストの整備と情報公布、 児童問題の解決などから成る。

 中央政府の主導で復興計画の策定が急ピッチで進められており、 美しく安全な国づくりに向けた諸政策が展開されようとしている。 9月25日に発令された総統による「緊急発令」に基づく当面の対応策とは別に、 中長期的視野に立つ復興計画を打ち出すため、 政府の「災後重建推動委員会」を中心に検討が進められた。 復興計画は「地域再建計画」、 「生活再建計画」、 「産業再建計画」、 「公共建設計画」の4分野から構成され、 5年以内に計画の完了を目指している。 また目標としては、 「互いに助け合う新社会創設」、 「新意識に立つ地域建設」、 「永続性のある新環境創設」、 「防災・防震新規範の確立」、 「地方産業の多角化発展」、 「農村情緒豊かな生活圏の建設」の6項目が挙げられている。 これらを実施するために、 法制面(特別法令の制定や法律改正及び税制面の運用改定など)、 財源措置、 再建人力の増強が順次進められている。

 調査を終え、 いろいろな面で台湾の復興にかける足取りの軽さが印象的であった。


 

台湾原住民「邵族」の復興活動報告

東京都立大学大学院都市科学研究科 照本 清峰

1)台湾原住民とは

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写真1:竹を使った仮設住宅
 台湾原住民は17世紀に漢民族が台湾に移住を始める遙か昔から住み着いていた先住民族の総称であり、 現在、 人口は台湾の総人口約2200万人の2%弱程度である。 漢族の統治期、 日本の統治期の同化政策により、 民族独自の文化や言語を失っていった経緯がある。 また1960年代から始まる経済発展により山間部で急速に過疎化が進み、 そこに住む原住民の村々も衰退していった。 このような状況の中で1980年代半ばより、 原住民の権利回復、 文化の復興を求める気運が盛り上がっている。


2)「邵族」の活動状況

 邵族は台湾中部の山地に居住し、 人口は7000人程度、 原住民の中でも少数民族であり、 10の集落がある。 地震の起こる前には、 文化の伝承と邵族の権利の獲得を目的として「邵族文化發展協會」をつくっている。

 地震による被害は大きく、 8割くらいの家が壊れている。 地震後に邵族の各集落の長たちが話し合い、 現在の居住場所に住宅を建てなおすよりも先祖の住んでいた場所に建てなおしたいということになった。 しかし邵族の先祖の住んでいた場所は現在、 国の所有になっており、 今回は地震に伴う緊急措置という扱いで仮設住宅を建設している。

 仮設住宅は邵族の伝統的な形態である竹を使った住宅を建設している。 最初に専門家の支援を得てモデルとなる住宅を造ってから順次建設しており、 自力建設で45戸の建設を予定している。 形態は組立式で3つの部屋、 台所で1つの住宅となっている。


3)おわりに

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写真2:仮設住宅の内部
 邵族の活動において、 復興は地震が起こる前の生活を取り戻すことを意味するのではなく、 被害からの復興過程も一つの契機として捉え、 自分たちの文化を取り戻すことであると感じられる。 しかし活動の中では、 政府との土地の所有権をめぐる問題、 同化教育による言語・習慣の風化などの問題とともに、 存続の基盤となる産業を確立しなければいけないという問題もある。 また世代や考え方の違いによる、 文化の復興に対する意識の相違はないのだろうか。 いずれにせよ、 多くの問題のある中で台湾の政治・経済状況とも絡み合いながら文化の再活性化運動と震災復興は同時に進んでいくのであろうが、 一族が一体となって新たな伝統文化を築きあげてほしい。


 

客家の村:石岡郷土牛村を訪ねて

東京大学大学院工学系研究科 Hsueh-wen Wang

 昨年9月21日の大地震から、 ほぼ6カ月あまり経った3月下旬、 私達は台湾では、 現在どのような復興まちづくりが行われているのかについて、 実際にこの目で見、 肌で確かめたいと台湾へ渡った。 訪ねた石岡郷は、 台中県の東北に位置した人口約15,000人の街である。 今回の地震によって174人の死者を出した。 この地域は歴史的にも長い伝統を持つ客家人(客家-ハッカとは中国の広東省を中心として南東部の諸省で、 かつて華北から南下してきた漢族の子孫で、 他の漢族や少数民族とは違った独特の風習、 伝統を持つ)の集落であり、 特に「石岡土牛社区」(石岡にある”土牛”という村)は、 客家人による初期段階からの開拓地であり代表的な集落である。 この集落の劉氏の家族は、 伝統に従った共同体を有し「劉屋火房」に住み、 劉一族として先祖を祀る習慣を守りつづけて「祭祀公業」という共同組織体で土地を所有している。 今回の大地震によって、 「火房」の建物はすべて倒壊したが、 地震による物理的な被害だけでなく一族の精神的結びつきに対する挑戦状をつきつけられたといっても過言ではない。

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震災前の「火房」
 ところで、 「石岡人家園再造工作站」(站はセンター)の副団長の劉漢卿は、 もともと台北の「無殻蝸牛聯盟」という団体で借家人支援活動をしていたが、 今回災害地石岡郷行政側の委託をうけ「土牛村劉家火家重建計画」を立案するために赴任してきた。 この計画は、 震災で倒壊した伝統的な客家建築を再建して「客家文物館」としたり、 伝統的な祭祀施設の建設を行ったり、 震災で倒壊した伝統的な「火房」に住んでいた住民の住まいを移転させて再建したりするなど、 住居・観光・祭祀等の複合的な機能をもたせた再建計画である。 しかし、 現在、 計画の進行とともに、 いくつかの問題点が出てきている。 例えば、 土地所有権の問題であり、 それに関係して発生する資金調達の問題である。 政府の提供するローン融資は”所有権利証明書”一通ごとに上限が350万元と定められている。 しかしこの被災をうけた土地の所有権は、 同族共同体である「祭祀公業」がもっており、 個人個人に所有権はなく、 すべては劉氏親族共有のものである。 そのため、 これらの複雑な土地の所有権の問題が大きな障害となり、 現状では政府のローンを利用できないのである。 実際に、 複数のローンを利用できなければ、 再建が不能となってしまう。 ここでは、 同族共同体としての精神的な連帯感(結束?)は強固であるものの、 現在約160人の住民が住んでおり、 それぞれの住民の合意形成が難しく、 再建資金調達が大きな問題となっている。

 しかし昔から農業によって生計を営む客家の人たちは、 生来楽天的であり、 また自己文化への高い意識と誇りがあって、 彼らは何よりもそれを自分達の宝物だと思っている。 わが家が倒壊した劉祥三氏は、 「復興で必要なのは活力である」と言っていた。 私はこの劉氏の言葉から、 石岡の再建計画に期待すると同時に、 台湾全土の現状を、 日本の人々に知ってもらいたい。


 

台湾における復興まちづくりの印象

日本大学理工学部 市古 太郎

 今回調査に参加したメンバーのほとんどは、 聞き取り調査ならびに現地調査の中で、 台湾の復興まちづくりにわが国にはないあたたかさを感じました。 それは、 1988年まで戒厳令が引かれ、 1996年にはじめて、 住民直接選挙による総統選挙がはじまった国とは思えない、 「自由で民主的な雰囲気」です。

 すでに世界1月号で野田さんが「こころのケア」について、 被災後から市民ベースの支援があったことを報告されています。 ここでは、 調査をとおして感じた「あたたかさ」をトピック的に並べ、 調査の速報とさせていただきます。


1)既存コミュニティ重視の仮設住宅

 被災地に全部で6500戸ほど建設されたという仮設住宅は、 大きいものでも300戸程度であるという。 われわれが足を運んだ仮設住宅は大きいものでも100戸程度、 原住民(高砂族)集落においては20戸程度であった。 震源地に近い集集では、 市街地に接して(株)台湾ナイキにより仮設住宅が建設され、 住宅の建設と同時に共同利用施設(集会場、 福祉医療サービス施設、 宗教施設など)が建設されていました。 台中縣社会局長の許さんによると、 全壊被害に遭われた世帯は、 (1)仮設住宅、 (2)家賃補助、 (3)国民住宅の3つの選択肢が準備され、 (2)を選ぶ世帯も多いが、 同じマンションに住み、 協力しあって生活していた人たち同士、 引き続きいっしょに住むことができるという理由から、 仮設住宅を選択した世帯も多いとのことでした。

 仮設住宅の玄関に飾られた赤い球の飾りものや、 赤い文字札シールが印象的でした。 また、 図書館が全壊した中遼では、 仮設住宅地内に暫定図書館が開館し、 子どもたちを中心ににぎわっていました。


2)社区営造アプローチ

 伝統的な客家農村集落の復興に向けて取り組む石岡や、 まちづくり雑誌「新故郷」編集部がある埔里などで、 さまざまな大学教育を受けた青年が「まちづくり」で一致し、 活動を行っていました。 アーキテクトや都市計画プランナーだけでない幅広い人々が交わるキーワードとしての「社区営造」運動は、 発災直後の避難生活から復旧、 そして復興まちづくりまでを一連のものとしてサポートしうるという意味で、 非常に有効と思いました。


3)生活の場としての中小店舗

 台湾の町家は、 騎楼と呼ばれるピロティをもち、 ここで飲食店が営まれています。 早朝から夜市まで、 飲食をする人々があり、 このような中小の飲食店が、 発災時に助け合いの場として利用されたと思われました。 都市部にも農村部にもいわゆるスーパーはなく、 中小商店による生活関連物資の供給が行われたのでしょう。 私たち調査隊も、 集集にて聞き取り調査をしつつ、 庶民的で美味しい料理を堪能しました。

 FORMOSA(スペイン語で緑麗しい島)からGreen Slicon Island(陳大統領による国家ビジョン)へ、 台湾における被災復興は、 国家主導の動きから、 NPOベースの動きまで、 官と民の緊張関係をもちながらも都市コミュニティを育みつつ、 着実な取り組みを重ねている、 そんな思いを強く感じました。


 

台湾式(?)共同意識の
ケア活動について

東京大学大学院工学系研究科 野澤 千絵

 今回、 お会いした被災地で様々な活動を行っている方々には、 ある一つの共通点があった。 それは、 住民の「共同意識のケア」を復興まちづくりの重要な視点にしていることである。 彼らは、 住民が自分の街への愛着や関心を持てる、 持ち続けられるには、 どうすべきか?を考えながら、 それぞれができる活動を実践していた。 そして、 何より日本と違うのは、 彼らの活動を支える民間(基金など)の強力なパワーが存在していることである。 以下では、 埔里(プーリ)と中寮の活動を一部紹介したい。


1)埔里の婆婆媽媽之家

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ガレキの中から拾ってきた鍋ふたのオブジェ
 埔里では、 図書館などの公共施設の多くが被災し、 公園はテント村や仮設で覆われ、 住宅が全壊した住民が転居していく中で、 住民と街とのつながりが希薄になってしまうとの危惧があった。 婆婆媽媽之家は、 新故郷文教基金会から支援を受け、 心のケア、 住民同士の交流スペースの提供などを行う民間の組織として震災後設立された。 初期の活動として、 埔里の女性(総勢130人)で、 道路の掃除を行った。 この活動により、 基金会から若干のお金がもらえるだけでなく、 住民同士の交流ができたという。 事務所には、 掃除の中で、 ガレキの中で見つけた鍋のふたなどに絵を描き、 オブジェとして飾っていたのが印象的だった。 日本で心のケアと言えば、 ソーシャルワーカーによるカウンセリングと捉えがちであるが、 彼らは、 このような活動を通した交流こそが心のケアであると考えているようであった。 …私はこの活動を聞いて、 神戸の「ガレキに花を咲かせましょう」を思い出した。


2)中寮の社区(コミュニティ)家庭活動中心

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学生ボランティアの部室のような社区家庭活動支援中心
 この活動の中心人物の張さんは、 他の地域で街づくり活動を10年してきた女性で、 震災後に中寮に来た。 彼女はまず2週間、 住民と一緒に生活することから始め、 街づくりの第一段階として、 喫茶店を作った。 農業しか産業のないこの街では、 若者の多くが都会へ働きにでていってしまうという問題があった。 そこで、 若者たちが自分たちの街とのつながりを意識できるように、 喫茶店を手伝ってもらうようにした。 気軽に集える喫茶店をすることで、 住民が今、 何を困っているのか、 また街の復興上、 どのような問題があるのかを発見できたという。 この活動は、 県から「社区家庭活動中心」として認められ、 人件費など運営費の補助がでている。 現在は第二段階として、 農業を産業として発展させる方法を住民と共に試みている。 …私は、 5年前の阪神大震災当時、 大学院生だった私に、 コープランの小林氏が茶店きんもくせいを手伝わんかと冗談(?)めかして言われたことをふと思い出してしまった。


3)共同意識のケアの必要性

 家族や家を失った被災者にとって、 なぜ共同意識のケアが必要なのだろうか?被災者にとっての共同意識とは、 この街で生きていく私をイメージできる感覚であると思う。 「この街で生きていく私」がいる街なのだから、 人や街に対して精神的・物的な気遣いができ、 更にその中で、 お互いの生活再建エネルギーを高めあっていけるものなのではないか。 震災6ヶ月後の台湾では、 被災者の共同意識のケアを行いながら、 空間としての復興街づくりが始まっているように私は感じた。


 

被災地における
NPO・ボランティア活動

東京都立大学都市研究所中林研究室 福留 邦洋

 台湾は総面積約3万6千km2で九州よりやや小さい。 今回の地震を九州で例えると、 台北が博多、 台中が熊本、 震源地は阿蘇山か五木の山麓といったところだろうか。 日本のテレビは台北や台中の模様を伝えていたものの、 被害は主に地方中小都市、 農山村地域で大きく広がる。 ここではNPO・ボランティア活動について埔里と集集の事例を中心に紹介したい。

 埔里鎮は、 人口約8万8千人。 家屋の全半壊率が半分に達する。 埔里では新故郷文教基金会の事務所を訪ねた。 廖嘉展さんは現在、 社区営造学会の機関誌「新故郷」の編集・発行を行っている。 台北に本部がある学会の雑誌が埔里で編集・発行されていることは新鮮に感じた。 東京や大阪に事務局のある学会・団体等が松本や津山で雑誌を発行している例があるだろうか。 「新故郷」はカラー写真が豊富に取り入れられ、 記事も広く一般読者を引きつける内容となっている。 このような雑誌が発行できる一因として、 エバーグリーン(ポートアイランドなどで見かける緑色のコンテナ)など企業や財団などの協賛があげられる。

 この事務所は埔里のまちづくりの拠点としても機能している。 地震発生直後は、 地域外からのボランティアの受け入れ窓口や救出チームへの情報提供を担った。 王元山さんたちで被害調査やテント村の混乱収拾などを行ったそうである。 また地元の大学と協力して仮設住宅における児童への家庭教師、 教育相談などを無料で行っている。 社会士の資格を保有する李詩詠さんは、 小学生の世話を行う活動など心の問題に関心を払っている。 各地に住んでいる埔里出身者に対し故郷へ関心・愛着を持つように働きかけてもいるとのこと。 このように幅広い活動がさまざまな分野の人々により行われているのは、 台湾の社区営造(まちづくり)の多くが文史工作室(自分たちの文化や歴史など)を前身としていることに影響されていると思われる。 また多くの活動を支えているさまざまな企業や団体による補助金や基金の存在が見逃せない。 今回の地震では多くの義援金を全國民間再後重建聯盟という組織で一元管理している。 これらの仕組みを把握することは、 日本における今後のNPO活動を考えていく点においても重要なのではないだろうか。

 一方、 集集鎮(震源地に最も近い町、 人口約1万2千人)では民間プランナーの廖明彬さんに会った。 廖さんは他の市や町の再建計画に行政派遣のプランナーとして携わっているが、 集集についてはボランティアとして行っている。 主な内容は住宅再建・補修、 法律相談、 地域文化を知る教室など。 再建にあたり、 なぜその家、 部屋がつぶれたのか説明している。 権利関係が複雑、 不明確な建物もあるらしい。 実際に見学させてもらった建物も全壊して解体するようにみえたが、 補修するとのこと。 補修の方が安くすむだけでなく、 借地権の消滅を防ぐためでもあるとのことだった。 阪神大震災の被災地でも耳にしたことかと思う。 似ているといえば、 仮設住宅の横に高級乗用車(ボルボ)が止まっている景色や石岡郷のある集落再建では、 道路などの基盤整備は農業委員会(日本の農水省)の農村集落改善事業のような補助事業で行い、 伝統的な建物については文化建設委員会(文化庁)の援助を適用するなど複数の事業の合わせ技で進めることも・・・。 いろいろな面で台湾地震から学ぶことは多そうである。


日本都市計画学会 防災・復興委員会若手研究者による台湾調査団

 


 

入居前に先人に学んでスタートした
県営脇の浜ふれあい住宅

石東・都市環境研究室 石東 直子

◆入居前に先人に学ぶ

 HAT神戸のコレクティブハウジング・県営脇の浜ふれあい住宅は、 10地区のふれあい住宅のうちの最後の入居で、 1999年4月に入居しました。 44戸の住宅は単身世帯用が32戸、 家族世帯用が12戸で、 すべてがシルバーハウジングです。

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脇の浜ふれあい住宅/庭側の外観 協同室前の庭/立体花壇とテーブルがある快適な空間です 協同室の平面図1(奇数階) 協同室の平面図2(偶数階)
 

 97年11月の募集にはわずかな応募しかなく、 続いて補充募集が2回ありましたが、 入居待ちの間、 入居予定者たちは先人のふれあい住宅に学びました。 コレクティブハウジング事業推進応援団が98年7月から始めた「ふれあい住宅居住者交流会」に出席され、 先発のふれあい住宅の様子を知って自分たちの入居後の協同居住の準備をしょうという前向きの姿勢で、 それは入居前後からその効力を発揮しました。 第4回の交流会に出席された時、 「ふれあい住宅の住まい方について80%ぐらいイメージできたと思う。 自治会役員の行動が大事だという気がする」と、 発言されています。

 99年末の入居者は31世帯36人で、 男女比はほぼ半々で、 平均年齢は男67歳、 女69歳で、 60代が22人と多くて、 全般に若い人たちです。 まだ勤めいる人も少なくありません。

 建物は6階建で、 2階ごとのグループでひとつのコレクティブ単位を想定して設計されています。 従って、 3つの奇数階には2層吹き抜けの大きな協同室と共同洗濯コーナー、 便所、 倉庫があり、 偶数階にはサブ協同スペース(共同洗濯コーナー、 たまり場など)があります。 このようなぜいたくな協同空間の取り方は現実の協同居住に適応せず、 入居者にとってはやっかいもんになっており、 ここではとくに設計についての不満が多いです。 なお、 現実には1階から6階がひとつのコレクティブ単位として協同居住を進めています。


◆コレクティブ棟だけの独立した自治会になりたい

 入居後はじめての大きな協同活動は、 4棟の県営住宅からなる自治会から独立して、 ふれあい住宅だけの自治会になるための活動でした。 HAT神戸の脇の浜地区には災害復興県営住宅4棟(253戸)が建設され、 入居直後に県の指導のもとに4棟がひとつの自治会を結成しました。 コレクティブハウジングは1棟だけです。 自治会役員は各棟から選出されていますが、 自治会費の使途などをめぐって当初からいざこざが起きました。 ふれあい住宅は協同居住の運営や協同スペースの維持管理のために、 他の住宅にはない独自の共益費の徴収や居住者活動があります。 全体の自治会の中に組み込まれてしまうと、 自治会費の2重払いをしていると感じている人もいます。 ふれあい住宅という独自性を大事にした自治会運営をするためには独立した自治会になって、 4棟の県住による連合自治会をつくって、 連合自治会として必要な経費は収めたいという声がでてきました。


◆まぁまぁの生活よ、 でも設計上の問題が多いわ!

 ここにはガーデニング愛好家たちがおられて、 協同室の前に広がる庭はいつも手入れがいきとどいていて、 とてもみごとです。 花の苗を買うと高いので、 種からまいて育てており、 種、 用土、 肥料などは共益費で購入しているということです。

 Aさんを訪ねて1階の協同室で話をしていると、 2階からわたしたちを見つけたおひとりが、 お茶菓子をもって来てくださいました。 「もらいもんやけど、 召し上がって」と。 陽がよく当たる協同室の窓辺にテーブルを並べてお布団が干されています。 しばらくしてBさんが現れ、 「うちの部屋は陽が当たらへんから、 時々ここに干さしてもらってるの」と言って、 取り込んで行かれました。 協同室が自分の部屋の続きのように使かわれているようです。

 Aさんは言われます。 「今はみんなまぁまぁの生活よ。 昼間は働きに出ている人もいて、 それぞれが普通の生活がしたいというのが本音みたい。 悪い人はいないわ。 ひとり共益費を払わない人がいて困ってる以外は。 。 。 共益費は入居当初13000円だったけど、 今は9000円にしているけど、 もう少し下げられそうよ。 コレクティブ棟だけの独立した自治会になってすっきりしたわ。

 毎月第4日曜日の朝からみんなで協同スペースの掃除をして、 夕方6時から話し合いを兼ねた夕食会をしているの。 お弁当を取って、 汁物はここで作ってそえているの。 この夕食会をその月のお誕生会も兼ねたものにして、 順ぐりにお祝いしていくのもいいなーと思っているんよ。 食事会の費用は共益費から出している。 共益費は世帯単位なので2人世帯は食事会費用が2倍かかるという見方もあるけど、 2人世帯は2人して協同生活に協力してくれているので追加のひとり分を払わなくてもいいと思ってるんよ」と。 お弁当はコレクティブ応援団のお勧め、 水道筋商店街のお総菜屋さんのものです。

 Aさんは続いて声を大にして話します。 「ここの住宅の造りは分からんことばかりよ。 しっかりした建物で感謝はしているけど、 使い勝手が悪いわ。 2階吹き抜けの協同室は冷暖房費がかかりすぎるし、 照明器具を取りかえるにしても電球の位置が高すぎてできない。 太陽熱利用の省エネシステムだと説明に書いてあったようだけどその使い方が分からへん。 ホラ、 2階につづくこの階段の幅の広さ。 両手を拡げても両側に手が届かへんということは、 よろけそうになったとき危ないでしょう。 それに3つも大きな協同室があるのに畳の部屋がないでしょう。 1階には事務室なんかもあるでしょう。 誰が使うの。 共同洗濯コーナーや倉庫、 共同トイレなど無駄なスペースが多いのに、 1階から6階までつづく室内階段はないでしょう(階段は2層ごとのコレクティブグループの連絡だけになっています)。 いちいちエレベーターを使っていたら電気代もかさむし、 万一エレベーターが停まったら大変やわね。 地震の後の建物やのに何考えてはったんやろう。 階段の上り下りは足腰の衰えを防ぐのにいいのよ。 こんな無駄なスペース作るんやったら、 住宅を少しでも広くしてほしいわ。 ほんまに言うたらきりがないほどムチャクチャよ」と。

 ふれあい住宅の設計上のまずさは、 他の住宅でもしょっちゅう聞かされます。 日本の生活習慣に適合したコレクティブハウジングの住まい方をしっかり検討しないままに設計され、 さらに日常生活を実感できない男の手によって設計された結果です。 何よりも協同居住の維持費(ランニングコスト)がかからないような造りにすることが第一です。


情報コーナー

 

●「自然の恵みでアートしよう」


●インフィオラータこうべ2000
(道路や広場に花で絵を描くイベント)


●ウォーターフロントウォッチング〜海から花博を見よう〜


●長田東コープ方式・まちづくりフォーラム
「震災空地を生かしたまちづくり」


●日本造園学会平成12年度全国大会
公開シンポジウム/学術会議シンポジウム

〈公開シンポジウム〉

〈学術会議シンポジウム〉

●第12回まちづくり塾「こうべ復興塾」


「報告きんもくせい」0004-0103の継続申し込みのお願い

 この4月からも、 引き続き「報告きんもくせい」を発行します。 今年度と同じく月1回、 市民まちづくりブックレットも年4回程度発行します。 これらをあわせて5、 000円です。 ご購読の程、 よろしくお願いいたします。

 ◆阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第13回連絡会('00.4/7)の報告は次回に掲載します。

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