きんもくせい50+16号
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遅々とした密集住宅地での
まちづくりの進行ですが

―東京での状況から―

東京都立大学 高見沢 邦郎

 東京(という地方!)の新聞に「阪神淡路」が載るのは、 今や極くたまのことです。 1月の「5年目」は別として、 最近では6月に(いずれも朝日)被災者の住宅再建支援策(国土庁)の検討が難航している、 仮設賃貸工場が入居期限切れになった、 この2件が出たくらいです。

 ましてや、 阪神において被災の帯が直撃した地域に類似した、 東京の、 木造密集地への取り組みが記事になることはめったにありません。 でも、 都や区(ご承知のように東京の特別区は市に準じた独立の自治体で、 23もあって施策を競い合っています。 千代田区等2、 3を除いて全て密集木造問題を抱えている)はこれを傍観しているわけではありません。 震災直後から検討を始めて、 これまでの対応を強化した「防災都市づくり推進計画」も97年度から実施されてきています(「造景」14号に特集)。 その後3年、 計画実施はそう順調ではありませんが…。 その主因はご多分にもれず緊縮財政。 例えば昔から知られている東池袋4・5丁目地区では、 都市計画道路と沿道の再開発に漸く地元の合意が固まってきたら「道路事業は当面凍結」で、 永年の地元協議会もフリーズ状態。 解凍には時間がかかりそうです。 実績のあった新宿区や杉並区のまちづくり公社も財政難で解散しました。

 そんな状況にあって、 住環境整備への対応にも新たな、 というか腰を据えた取り組みが必要なように思います。 その第1には、 公共事業としての道路や公園整備はとりあえず置いといて、 専ら住宅建替えを促進しようとの動きがあります。 街並み誘導型地区計画、 連担建築物設計制度、 法43条1項ただし書きの運用といった近時の法改正事項をうまく(?)使うと、 殆ど何でもありの世界のようです。 とは言え、 ・行政の制度運用の能力、 ・街区程度の規模での地権者合意、 が必要なのはもちろんとして、 ・そのような建替えでもぎりぎりの住環境が確保されるのかの確認、 が必要と思います。

 第2には、 既に進行していることですが公団をパートナーとして巻き込み、 その技術力と資金力を活用する方法です。 とは言え、 区画整理、 再開発、 さらには住宅街区といった手法の適用の可能性、 公団賃貸住宅も含めた事業採算性の確保、 集合住宅に不適切な宅地を民卸しするなりしてミニ戸建て用に使えるかなど、 走りながら考えるべき事項も多々あります。

 上記二つに共通して言えるのは、 大きな敷地の活用や共同化による高層集合住宅=大量の床の供給という従来の路線とは異なる「ミニ戸建てによる建替え・住宅供給」が選択のパーツとして浮上してきていることです。 昨年の西出・東出・東川崎をモデルとした「まちづくり設計競技」(住宅生産振興財団主催)の本(宮西さんが編集した)も取り寄せて、 協調的なミニ戸建ての妥当性について、 私自身もあれこれ考えている最中です。

 それにしても第3には、 あるいは最も基本には「地域コミュニティの維持再生なくして何の住環境整備事業か」を再確認すべきことでしょう。 カネがなければ知恵を、 は正解ですが、 所詮事業は事業。 住民の福祉を含めた総合的な幸せを、 住民自身の意識において実現するのが基本で、 事業は手助けであることを痛感します。 「手段である事業を目的化する危険性」を自戒しています。

 第4にはこの他の動きとして、 阪神にならったプランナーや行政専門家のネットワークづくりも少しは進み出しましたが、 これの報告はまたどなたかから別の機会に。


 

非常事態のまちづくりから
日常のまちづくりへ

まち計画山口研究室 山口 憲二


◆節目を迎える非常事態のまちづくり

 震災後、 区画整理事業など大きく町をつくりかえる重点復興地区のまちづくりをお手伝いしてきた(尼崎築地、 神戸松本)。 また、 震災を契機としてマンション建設が起こった住宅地で、 建物高さの制限を主眼とした地区計画づくりにも係わってきた。

 これらに共通するのは、 外乱により大きな変化を受けてしまった、 あるいは受けつつあるまちの将来の環境づくりへ向けて、 なんらかの方法やルールついて合意を形成していくということである。 そして合意形成の場は外乱に対する非常事態のコミュニティであった。

 地震という大きな外乱によってその物理的環境が壊滅したまちでは、 復旧だけでなく、 従来からの環境課題の改善も含めて、 将来のまちのビジョンの共有化を出発点において、 その実現のために様々な工夫が重ねられてきた。 その過程で、 従来からのコミュニティが強力に機能した地区(尼崎築地)、 あるいは従前<向こう三軒両隣り>のレベルに止まっていたものが、 まちづくり協議会を母体に自治会が結成され、 まちレベルに拡大した地区(神戸松本)と多様であるが、 いずれにしても、 大きなダメージを跳ね返すための強力なエネルギーが、 コミュニティを場として発揮された。

 一方、 マンション建設という外乱が契機となって起こった地区計画づくりの地区では、 従前からの比較的良好な環境を維持するうえでこれ以上の傷を防ぐ道具として地区計画が決定されれば一安心ということで、 まちづくり活動は終結する。 あるいは、 「やっぱり皆で活動することはええなぁ。 これからもつづけいきましょ。 」と中心的メンバーは勇んでも、 いざ進めようとすると具体的な活動目標を欠き霧散する。

 いずれにしても、 非常事態に対する緊急動員令によるまちづくりは節目を迎えつつある。 これが平時のまちづくりとそれを支えるコミュニティへと継続していくためには、 その目標と方法をしっかりもっていなければならない。


◆日常のまちづくりは元気づくり

 では、 まちづくりとはなにか?コミュニティとまちづくりの関係は?などと考えても私の頭の中では堂々巡りするばかり。 今のところの結論は「町のなかで元気に暮らしていく。 その環境をつくり維持するために、 ひとりではできないことを皆でやる」ということだけである。 それで、 具体的にどんなことがあるのだろう。 みんな家の中で結構満足していて、 あるいは満足していなくても、 まちなんかに何の期待もしていないのではないだろうか、 と悲観的にもなる。 「緊急動員令が出たら、 しゃーない、 出て行くけど…」というのが正直なところであろう。 しんどいと感じるのは<元気>に反するから、 まちづくりではない。

 まちづくりには、 必要性/義務としてのまちづくりと可能性/希望としてのまちづくりの二つの側面があるようだ。 たとえば、 災害復旧・防災・防犯などのまちづくりは前者の側面が強く、 商店街近代化・町並み景観形成・緑化などは後者が強い。 そして震災復興まちづくりは両者をあわせたまちづくりである。 高層住宅反対に端を発するまちづくりは、 残念ながら必要なルールとしての地区計画決定の段階でとどまることが多い。

 各地区・場所で可能性/希望としてのまちづくりの芽を発見していくことが重要ではないか。 そして、 まちづくり活動そのものが楽しく、 元気の源になるような方法が組み立てられないかと考える。


◆日常風景からまちづくりの芽をひらう

 さて、 能書きばかりで…という批判が聴こえてきそうなので、 重い(痛い)腰を上げて、 愛犬にひっぱられながら、 わが居住する町のなかでの具体的なまちづくりの芽探索に出かけよう。

 まず眼に付くのが、 最近、 花や緑を飾る家が増えていることである。 塀際や玄関脇に鉢植えを置いたり、 とくに多いのがハンギングタイプのもの。 ブロック塀やネットフェンス、 門扉にまでたくさん。 どうもこれは伝染している様子で、 すぐお隣でも、 1軒が始めてしばらくすると数軒置いた家の前にも出現した。 そしてどんどん鉢の数が増えている。 奥さんが朝夕水やりなどしていると、 前のおばあさんが先輩として指導していたり、 通りがかりの人が「まぁきれいに咲いてるねぇ」などと声をかけていく。 井戸端会議ならぬ花端会議が盛り上がる。 気持ちのよい光景である。 僕も元気になる。


◆花づくりとまちづくり

 ここで考える。 どうして花づくりが増えてきているのか?「ガーデニング」の流行現象か?流行といってもその根はなにか?。

 以前、 自分が子供の頃は、 鉢植えといえば盆栽や菊などが主役であったように思う。 これは「じいさん園芸」ということになっていた。 今は「奥さん園芸」である。 年齢層は(子細に観察していないが)自分と同じくらい、 いわゆる団塊の世代が多そうである。 子づくりは終わり、 子育ても一段落してきた。 小さいながら家づくりもかなった。 なにかつくりたい・育てたい。 花や。 ということではないか?「家のまわりを飾りたい。 (庭がないから家のまわりしか飾れない?)」という気持ちもあるだろう。 この「なにかつくりたい・育てたい。 飾りたい」という人間の欲望の実現が人を元気づけ、 癒し、 他人を楽しませ、 つながりをつくっていく。 いい構図である。

 「花もええけど、 ああ思い思いでは乱雑で…」とか「側溝や道路に置いて、 危ないやないか…。 そもそも公共の場やで…」とか、 当分混乱もあるだろうが、 いずれ、 生け垣に変わる住宅地の緑化スタイルがそれぞれの場所で定着して行くことが期待できる。 花は生け垣よりもまちづくりに有効である。


◆最初から共同・共有でなく…

 そこで、 また考える。 「花」というけれど、 このように飾れるのは戸建て住宅だけではないか?すでに都市部では共同住宅居住世帯が多数を占める時代なのに…と。

 共同住宅でもバルコニーに飾られている花を見るが、 やはり少なく花端会議などは無理だ。 最近ガーデニングを楽しめるマンションも出現しているようだが、 限界がある。 団地では共同花壇や菜園を設けているところもあるが、 まち中のマンションでは難しい。 が、 色々な工夫は考えられるだろう。 まずは、 そのような希望が多くの住民から出てくることだ。 これに関連して、 聞いた話だが―ある町で緑の広場をつくった。 花壇や芝の手入れは老人会でやろうということだった。 しかし、 始めてみると老人会では体力的に荷が重かった。 家の庭の手入れが精一杯で、 という人もいた。 そこで、 自治会で緑を育てる会をつくり、 その広場も含めて町の緑化活動を始めた。 なんとかやっているけれど、 その主役はマンション居住者だ。 ―ということである。 示唆のある話しである。

 それで、 「コミュニティ花壇制度」といったものが各市にあり、 一定の場所で一定の住民団体が共同して花を植える場合は、 苗などを提供しましょうということになっている。 しかし、 これが各家のまわりの鉢植え緑化に代わるものになるかといえば、 大事なところが欠けている。 「自発的に、 各自の思い・考えで」というところ、 つきつめれば「我が子を育てるのと同じように、 我が花を育てたい」という欲望に応えられないというところだ。 個人の自然な意欲や行動が隣人・他人との良き関係につながっていくような仕掛けとしては無理な部分がある。 最初から「共同・共有」ではしんどい。 緊急動員令のない平常時では、 動く人・参加する人は少ない。


◆ミニミニ・クラインガルテンでよいから…

 以前、 市街化区域内農地に関連して、 市民農園をもっと増やせないかと提案したことがある。 「百の病院よりも、 ひとつのクラインガルテンを」という言葉がドイツにあるらしい。 たまたま、 ドイツなどへ行く機会があって、 列車から見ていると、 なるほど都市の縁辺部にある。 まわりは集合住宅。 各人が借りている菜園のなかに小屋があって、 パラソル立てて読書している人などもいる。 これはいいと、 次いで行ったベルギーで、 市の担当者にクラインガルテンを案内してもらった。 そこは工場ゾーンと住宅ゾーンの緩衝緑地を利用したものだった。 広い。 1区画が広い。 小屋なしで、 たしか100m²は有ったと記憶する。 「これじゃ、 参考にならない。 自分の家より広い。 もっと狭く区画したのはないのか。 」というと、 少し困った様子で「参考になるかもしれない。 」と連れていってくれた先は墓地だった。

 いや、 やっぱり墓の前に、 日々元気に暮らせるための場所・まちがほしい。 そんなまちをつくろう。 というのが、 老後が気になりだした自分自身の素直な思いであり、 震災を経験した人たちにとってはとくに強い気持ちだと信じている。


 

神戸元町周辺地区

株式会社まちづくりワークショップ 吉田 薫

◆ミナト神戸・元町周辺地区のたちあがり

 地区は、 神戸市中央区元町通・栄町通・海岸通の約45haである。 初動期は「救命救急」から「住まいと生活」を中心に立ち上がってきた。 都心部でも相対的に被害が少なかった当地区では、 不眠不休で「食」と「衣」のオール神戸生活必需物資供給基地としての役割を担っていた。


◆復興・みなと元町タウンオアシス構想

 地区では、 震災4年前にまちづくり団体である「みなと元町タウン協議会/会長関一雄氏」が、 町会・商店街組織20団体、 法人企業74社で設立されていた。

 復興まちづくりの方向づけが「構想」としてまとまったのは、 震災後約1年半を経た'96年5月である。

 ハードな事業の網かけのない当地区では、 ラフなまちの将来目標とイメージを共有し、 ルールづくりに基づく着実な個別事業の積重ねによる方法が選択された。 「神戸都心の谷間をオアシスに」甦らせるために、 (1)自然と調和したアメニティの高い界隈性のあるまち(2)伝統ある歴史・文化を磨き、 未来に継承するまち(3)情報発信性のあるショッピング・ビジネスと生活感覚にあふれたまちをめざしている。 社会経済の低迷と都心の空洞化等で、 不確定要素を抱えた復興事業は、 そのプロセス自体が可能性を切り拓く「連鎖型まちづくり」に期待をよせてスタートした。


◆クラシカルモダンなシンボルロードづくり

 現JR神戸駅開設の前年(明治6年)、 近代都市神戸の都心に位置する東西道路として栄町通が誕生した。 無電柱の10間道路(18m)で、 延長は約1.2kmである。

 かつては市電(昭和46年廃止)が走行し、 銀行・生保・証券など金融サービス業と神戸支社級の企業が集積したオフィス街として発展し、 倒壊した第一勧業銀行や中国銀行などの近代洋風建築物がミナト神戸の風情をかもしだしていた。

 沿道関係者が一堂に会する組織母体はなかったが、 みなと元町タウン協議会の呼びかけで「栄町通周辺まちづくり懇談会」が'94年11月発足し、 翌年1月大震災は起こった。


◆栄町通景観形成市民協定の締結

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 栄町通は、 クラシカルモダンなシンボルロードづくりがめざされた。 魅力あるオフィス・アメニティ環境を備えた「おしゃれ」「にぎわい」「うるおい」のある新しい複合文化ビジネス街としての再建が目標である。

 平成13年秋の地下鉄海岸線開通にむけた「3点セット」を提起した。

 第1は、 都心を快適に歩ける道づくり。 従前2.5mの歩道を4mとする。 震災復旧で車道部を狭め当面3.5mに拡幅された。 民間の壁面後退(50cm)で将来両側4mの歩行者空間を実現する。

 第2は、 不幸にして撤去せざるをえなかった街路樹に変わり、 おしゃれな街灯によるイメージづくり。 そのための街灯設置基金活動が展開され実現した。

 第3は、 沿道の土地・建物利用や街並み景観のためのルールづくりで、 景観形成市民協定に結実した。 締結への道程は、 立地企業のリストラクチュアリングも重なって苦汁に満ちた状況であった。 地元がそれを克服し約7割の企業等から個別同意書を取りつけ、 '98年7月正式に締結された。


◆市民協定運用の実績(2000年6月末現在)

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地下鉄工事完成後、 栄町通中心街のまちづくりイメージ
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 協定のルール内容は、 「風俗(関連)営業の自粛」「道路境界線より50cm壁面後退」「商業・文化・住宅(宿泊)の誘致による複合魅力なビジネス街づくり」「建物1階のオープンな形態・意匠」「駐車場出入口の工夫」「近代洋風建築物の活用保全」「街かど広場づくり」「看板・広告物の自粛・デザイン向上」等々である。

 協定は、 その効果を着実に発揮している。 新築による壁面後退・1階店舗化等々では、 神戸中郵・大同生命・住友海上・三和銀行・協栄生命・大一産業・篠崎ビルなど11件、 看板・広告物4件、 自動販売機自主撤去・1階店舗再利用1件である。 まちづくり気運を背景に、 読売新聞新社屋が進出、 旧大林組レンガ造のメモリアル・壁面活用保全(駅出入口)が竣工したのも画期的だ。 主要交差点部の街かど広場も実現の見通しである。 地元懇談会には、 新たな協定への賛同や入会があり、 タウンマップづくり('99年10月発行)や元町夜市への参加(今年7月)なども併行しながら、 活動が継続中である。


◆元町商店街の復興事業

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 JR神戸駅〜灘駅間の鉄道不通時、 元町商店街(約330店)通りは安全・安心の歩行者軸となり、 一日数十万人が往来する黒山の人通り。 忘れられたかと思われた元町の存在が、 改めて幾千万人に認知された。

 商店街の若手経営者を中心に、 昼は店を開き、 夜間はまち警備のボランティアという日々が続いた。 各単組では、 まず路面(レンガタイル基金の協力/2000枚程)やアーケードの破損部を復旧した。 その後、 一番街では東ゲート新装架替、 三番街は暫定テント小屋「元気村」の建替(仏風ケーキ店/グレゴリ―コレ)とまち角プラザの実現、 4丁目は鉢植とバナーによる復興気運づくり等に取組んできた。 全ての店舗が何らかの補修を余儀なくされたが、 '92年5月締結した「元町通まちづくり協約」に基づき、 ジャヴァや元町時計店を始め20件余の建替協議を実施した。 パチンコや風俗営業の自粛と魅力ある商店街への再生に寄与してきたが、 現在不況下での空店舗化への対応にも努めている。


◆不思議な道づくり・マリンロードの修景

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 元町4丁目と5丁目を南北に走るマリンロード(幅員約11m・延長約250m)は、 地元が名付け親であるが、 その修景が今年5月竣工した。 「沿道の皆さんでまず掃除ぐらいしてはどうか」との問いかけに、 チャイナドレスの娘さんなど有志により自主的なクリーン作戦が始まった。 不思議なおもしろ道づくりは、 参加型道路修景事業の試みから生まれた。 横のつながりが、 沿道で「マリンロードを考える会」を組織させた。 一路線に3つの平面形状をもった計画は、 利用者の意向をくみあげ、 地域の実情に即して、 より多面的な検討を加えた結果到達したコミュニティ・デザインとも言える。

 沿道関係者は通りの変化を実感、 竣工後も月1回のクリーン作戦を実施し、 道路の使い方や沿道の賑わいや景観づくりに取組むことが決定している。


◆新たに元町ミュージック・ウィークを開催

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 まちづくり協議会が参加協力した「元町ミュージック・ウィーク」は、 '98年10月第1回が開催され、 まちの文化復興事業が新たに創出された。 風月堂ホールやファミリア・WADAホールなど地区の官民ホール・フリースペース(12会場)や街角を舞台に、 クラシックを中心にした手づくりの音楽祭典。 昨年は北野ジャズフェスティバルと連携、 第3回目の今年は会場を増やし、 神戸市の懐古行列とのジョイントを模索するなど、 全市のルミナリエ同様定着発展し、 恒例行事化しつつある。


◆周辺地域との連携と都心部再生の一翼

 通り(線)の修景をすすめてきたが、 今や既設建物のリフォームによりブティックや飲食店等の出店でゾーン(面)展開のまちづくりが芽生えている。

 また、 ゾーンやテーマ毎に対応したまちづくり母体を、 協議会の下にその都度発足させながら推進してきたが、 未組織ゾーンに「栄町・元町6丁目自治会」が昨年1月創設されたことも特筆すべきことである。

 '99年の居留地返還百周年事業への協力をはじめ、 神戸駅やハーバーランドとをつなぐ「みなとハーバー協議会」の発足、 山手にある花隈ゾーンや海のメリケンパークとのつながりについても研究と実践がはじまっている。

 周辺地域と連携しながら、 神戸都心部再生の一翼を担って地道に活動されてきた協議会は、 21世紀を迎える来年で設立10周年(震災満6年)である。


 

文化支援のための財源をどうするか

アート・エイド・神戸実行委員会事務局長/海文堂書店 島田 誠

3−1 マンション型コミュニティ財団の必要性について

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『無愛想な蝙蝠』風来舎、 1993年11月14日刊行 『蝙蝠、 赤信号をわたる』神戸新聞総合出版センター、 1997年11月1日 『忙虫旅あり』株式会社エピック、 2000年1月17日刊行
 

 芸術文化の支援は、 本来は国や、 地方自治体に頼ることなく、 自分たちでやる気概をもちたい。 文化に限らず、 自立自助により支えるべき社会を自らが選択していくことが、 何より人間に文化という背骨を与えることになる。 そのためにも、 私は、 以前から神戸にマンション型コミュニティー財団の設置を訴えてきた。 そのことは拙著「蝙蝠・赤信号をわたる」(注5)に書いているのでこれ以上ふれないが、 平成4年に発足した公益信託・亀井純子基金(注6)と平成7年に発足した神戸文化復興基金(注7)、 双方の事務局長を努めている経験からも、 前段のインターミディアリーな市民活動を支える社会的な認知と、 それを具現化したファンドの設立が急がれる。

 今、 設立を急いでいる「しみん基金・KOBE」は、 その一つの可能性を探るもので、 昨年末成立した「特定非営利市民活動支援法案」の果実として、 草の根の市民の寄付から、 企業の支援、 行政の助成まで幅広く基金としての受け皿を準備し、 審査委員会での公開審査をへて市民活動を支援しようとするものであり、 神戸青年会議所が参加の意向を示したことによって現実となった。 その幅広さゆえに、 私が考えているマンションとしての共同住宅における各部屋の独立性の尊重が後退し、 全体としての規律、 すなわち大家族の共同生活としての側面が強調されているのが課題として残る。

 もう一つ、 兵庫県ボランティア支援センター構想とのかかわりの中で検討されている「コミュニティー基金」構想については、 非常にオーソドックスな構想であり、 「資金交流市場」という考え方を導入し、 ほぼ私の理念に近いが、 もっとも肝心な基金をどう集めるか、 それに企業や行政がどのようにかかわるのかが明瞭ではない。 いろいろな基金があることは望ましいことではあるが、 まだ寄付の文化が育っていない現状において、 競争し切磋琢磨する以前の課題として、 両構想のすり合わせと役割分担の確認が必要ではないか。


3−2 企業メセナ協議会関西支部への試案

 企業メセナ協議会は、 文化庁から「公共法人、 公益法人等その他特別の法律によって設立された法人のうち、 芸術の普及向上に関する業務を行なうことを主たる目的とする法人で、 公益の増進に著しく寄与するもの」として認可を受け、 1990年2月に設立された。 企業のメセナ{芸術文化支援}の活性化をめざす、 わが国初の企業の連合体{社団法人}である。

 企業財団も公益信託も原則として基金の収益、 または寄付金で助成事業を行うのであるが現在のような超低金利では運用益では事業を行うことは不可能である。

 したがって事業継続のためには寄付金に対する免税措置が大きなインセンティブになるのだが、 実際には特定公益増進法人(法人税施行令77条)による指定をうけているのは約2万5000の公益法人のうち974件(3、 9%)にすぎず、 このうち芸術文化の普及向上を目的とする法人は42件に過ぎない。 このなかで1994年に社団法人・企業メセナ協議会がこの資格を得たことは、 認定事業方式により幅広く恩典が及ぶことでもあり、 画期的である。 認定事業方式とは、 企業メセナ協議会が公益の増進に著しく寄与すると認定した活動に対して水戸黄門のお墨付きのごとき特定認定事業としての認定書を発行し、 申請した本人が企業や個人から助成を求め、 結果として寄付行為者は、 ある条件のもとに免税処置を受けることができる。 メセナ協議会自身は助成金を出すことなく、 こうして集まったお金をスルーさせるだけである。

 私がこの方式を高く評価するのは、 これからの自律社会にふさわしい制度であるからだ。 すなわち、 活動団体は事業認定を受けるために説得力のあるプレゼンテイションをしなければならない。

 しかも認定を受けても、 それだけでは一円の助成も受けられない。 お金も自分で集めなくては成らないのだ。 市民活動を支援する財源を公的資金の補助金に求めていくことは実はかえって市民活動の依存体質を強める結果になりかねない。 この制度はその危険から遠いことにおいて極めて優れているのだ。

 協議会が助成認定した芸術活動への助成金額は96年度において544社、 5億6千万円に達している(メセナ白書1997)。

 このスルー方式は極めてユニークな制度である。 特増法人の資格を得ることは至難の技である。 ならば、 この制度の恩恵を最大限に利用したい。

 現在、 この事業認定を受けるためには東京の企業メセナ協議会へアクセスしなければならない。 このハードルは決して高くないのだが、 地方の文化関係者にとっては、 やはり距離感はある。 私の提案は、 企業メセナ協議会の西日本支部を神戸に置くことである。 別に北日本の支部が北海道にあっても、 かまわない。

 協議会が西日本支部に難色を示す最大の点は、 京都、 大阪を拠点とする大企業が既に企業メセナ協議会の会員であり、 いまさら西日本に拠点をもつメリットがないということだ。 しかし、 協議会の支部を関西に置くことによって会員そのものの一層の拡充が期待されるし、 なにより大阪コミュニティー財団とともに、 関西における企業メセナ活動を進展させる起爆剤になりうると考える。
 勿論、 このシステムが芸術文化に限定されないで阪神淡路大震災からの復興を目指すあらゆる活動に関して幅広く適用されるためには、 この制度の考え方をそのまま組込んだ「兵庫市民活動支援財団」を目指すべきである。 すでに前例のある制度である。 全力を挙げて取り組む価値のあるテーマである。 これが実現すれば、 日本にも「寄付の文化」が定着する可能性が生れる。


3−3 経済の文化化、 文化の産業化

 これからの厳しい時代を、 さしたる資源も、 産業もない神戸が生き抜いていくには、 豊かな創造性に支えられた文化が生み出すオリジナリティーのある商品、 製品、 人材、 景観、 空気などが地場産業としての日本酒、 菓子、 ケミカル、 グルメ、 真珠、 観光を支え、 ファッション、 情報産業などに高い付加価値を与える以外に方法はない。 その具体的な施策については、 拙著で具体的に指摘したので繰りかえさないが、 こここでは更に一歩ふみこんで文化がもつ経済効果、 雇用効果について触れておきたい。 この延長線上にはコミュニティービジネスとしての芸術文化の可能性があるが、 ここでは社会的インフラとしての文化の検討にとどめておく。

 従来は芸術文化や福祉は義務的経費で、 消費するばかりで何者も生産しないと主張されてきた。 しかし、 こうした一般的風潮は誤りであり、 むしろ投資的経費と考えるべきであるという研究が進みつつある。

 福祉の分野では岡本祐三氏(神戸市看護大学教授)が「福祉こそが経済を開く」(注8)において介護保険制度によって医療が温情主義から、 気兼ねなく社会的サービスを求められる方式に変わったことを指摘、 新消費層として登場してきた高齢者の消費に日本経済は大きく依存し、 高齢者福祉に前向きに取り組むことが地域の経済循環と活性化を可能にすると説く。

 そして下林宏吉氏(茨城県鹿行地方総合事務所次長)は自治省発行の「地方財政」(1998年5月)において、 高齢者福祉への財源の投下は従来型の建設投資よりも高い経済波及効果と特に顕著な雇用創出効果、 そして介護サービスを利用することにより新たに多数の労働力も生み出すことを詳細に実証している。

 こうした研究を受けて、 森定弘次氏(社会福祉法人・神戸聖隷福祉事業団理事)は「福祉への投資の方が経済・雇用に効果的」(注9)の中で兵庫県の産業連関表を基に分析した結果として一千億の公共投資を従来型の道路・土木などの公共工事に使う場合と、 福祉の領域に使う場合を比較して、 福祉への投資は経済波及効果においては、 僅かに、 雇用誘発効果については2.5倍も公共工事よりも上回ることを検証された。 さらに、 この経済波及効果は域内に留まることにより、 地域経済への貢献度はより高いことも指摘されている。 この点については下林氏の茨城県における試算とも一致している。

 さらに米本昌平氏(三菱化学生命科学研究所室長)は「知価社会を実現するために」(注10)において、 真理探求権は基本的人権であるとして、 「研究こそは人間最後の最高の道楽である。 (略)、 個人が行う消費としての研究を刺激し鼓舞することで、 新しい市場を創出しよう」と呼びかけ、 自主研究費控除という減税措置を認めるまで国の学術研究費相当分の所得税不払い運動を行おうと過激に提案している。

 「高齢化と同時に情報化が進むこれからの社会にとっての政策課題は医療、 福祉であり、 健康であり、 環境であり、 文化である。 だとすれば、 飽和状態になった自然破壊的な道路やダムの建設から、 個人参加型の観測実験装置、 生産・環境・福祉などのデーター収集や編集作業への投資という形で地方の知的資本を蓄積していくことである。 それは同時に、 個々人の研究活動という省資源省エネ型の消費を刺激することになり、 環境に負荷のかからない形での経済の循環が始まることになる」と説く。

 米本論文は職業研究者に託してきた真理探究権を個々人自ら行使しようという刺激的な論旨で極めて興味深いが、 これを芸術文化と読みかえれば、 拙著(前掲)の「生き生きとした芸術都市づくり」(P210)において創造が創造を生み、 そこから新たなる創造がまた生まれる、 創造連鎖の仕組みをつくるために、 コミュニティー財団設立と減税措置が必要であることを述べた点が重なる。

 以上、 福祉が経済を担うという論証を紹介してきたが、 まちろん芸術文化の分野も、 単なる公的資金の需給者として留まるわけではなく、 成熟社会に対応して経済効果も雇用効果ももっていることは当然である。

 たとえばニューヨークは、 80年代に経済の停滞にともなう荒廃がすすみ、 治安の悪化、 人種の対立などを抱えた問題都市であったが、 おもいきった芸術文化を中心としたまちづくりが成功して劇的に魅力的な街に変わった。 そのニューヨーク州内で95年度に芸術産業が生み出した経済波及効果は約二倍で134億ドル、 17万4000人の雇用を生み出し、 4億8000万ドルの税収を生み出したとしている。

 また同じ年に日本の文化庁が実施した芸術文化産業における産業関連表における経済波及効果は概ね1.8倍であり、 その波及効果は第三次産業に集中して生じる傾向があり、 さらに地域内の産業に波及が多いとしている。 (注11)

 基幹産業としての製造業が衰退し、 空洞化しており早急な産業構造の転換が迫られている神戸市では、 恵まれた自然環境、 明るく先端的な都市イメージにふさわしい芸術文化産業を育て、 その都市インフラの整備をすすめることが極めて有望であることが推察されるのである。


情報コーナー

 

報告

ひょうごまちづくりセンター
「平成12年度まちづくり広域活動助成」団体決定

 ひょうごまちづくりセンターが行う第2回目となるまちづくり広域活動助成団体が決まりました。 7月6日、 神戸市教育会館において13団体による公開プレゼンテーションが行われ、 7団体が決定しました。 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワークも、 昨年に引き続き助成を受けることになりました。

 ・阪神白地まちづくり支援ネットワーク/60万円、 ・特定非営利活動法人街づくり支援協会/30万円、 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク/50万円、 コレクティブハウジング事業推進応援団/50万円、 特定非営利活動法人コミュニティサポートセンター神戸/50万円、 阪神・都市ビオトープフォーラム/30万円、 神戸復興塾/30万円。


■ 情報コーナー

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第15回連絡会

●公開研究会「復興まちづくりへの支援組織と支援基金−HAR基金の展開を中心に」

●講演会「居心地のいい建築をめざして」

●被災者復興支援会議IIフォーラム
ひろげよう!ふやそうよ!震災で芽ばえた新しい住まい

●浜山校区ふれあい夏祭り

●「ハーブ・フェスティバル」ワークショップスタッフ募集

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