きんもくせい50+20号
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災害復興住宅団地に関する調査研究について

連載【復興団地コミュニティ調査1】

京都大学 高田光雄

三度目の都市住宅学会調査

 二年あまり前から、 都市住宅学会関西支部に設置された復興住宅団地コミュニティ研究委員会で、 神戸市、 芦屋市、 西宮市にある大規模な災害復興住宅団地の学際的調査を進めている。

 実は、 都市住宅学会による震災関連調査は今回で三度目に当たる。 第一次調査は、 震災直後の住宅被災実態調査であった。 住宅復興政策を立案するためには被災住宅戸数の把握が不可欠であったが、 当時それを知る十分な資料はなく公的な調査も行われていなかった。 そのため、 都市住宅学会では、 阪神・淡路大震災住宅復興問題研究部会(部会長:住田昌二)を組織し、 日本建築学会と日本都市計画学会が合同で作成した被災度別建物分布状況図をもとに、 被災程度別の住宅戸数を町丁別・建て方別にカウントする作業を行った。 この結果を分析し、 1995年3月に調査報告と提言を発表した。

 ついで、 被災地の住宅復興状況と復興住宅ニーズの把握を目的とした第二次調査を実施した。 この調査では、 第一次調査を基礎に、 激震地である神戸市、 芦屋市、 西宮市から住宅種別と被災程度の視点から抽出した14町丁を対象として、 住宅復興状況調査、 被災前居住者約840戸の追跡アンケート調査、 および、 その約1割の世帯に対するインタビュー調査を行った。 また、 マンションの被害と復興過程および応急仮設住宅の居住問題に関する追跡調査を行った。 これらの調査結果は、 1997年1月に報告書として取りまとめた。

 今回の第三次調査では、 過去二回の調査結果をふまえ、 恒久住宅としての災害復興住宅団地の実態把握を行うことを目的としている。 調査対象団地の居住者属性を分析するとともに、 たびたび議論の対象となったものの実態が十分解明されていなかった災害復興住宅団地における高齢者居住やコミュニティ問題について、 量的分析より質的分析を目指した詳細なインタビュー調査をもとに議論を重ねてきた。


過去の調査から見えてきたこと

 震災直後、 これまで住まいやまちづくりを専門に研究してきたつもりでいたわれわれは、 徹底した自己批判を余儀なくされた。 また、 その後の調査を通じて、 生活の基盤としての住まいやまちの重要性を繰り返し再認識することになった。

 そもそも、 震災後の住宅問題のほとんどは、 第一次調査で実態を確認した住宅の倒壊によってもたらされたものであった。 本来は人々の生命を守るはずであった住宅の倒壊によって少なからぬ死者がでたということを、 われわれは先ず、 重く受けとめなければならない。 また、 住まいやまちづくりの研究には、 災害危険度が極めて高い老朽住宅や劣悪な住環境が今なお放置されている現実に対して何ができるのかが厳しく問われているのだということを自覚せねばならない。

 つぎに、 生きのびた被災者にとっても、 住宅の倒壊は単なる物の滅失、 財産の喪失だけを意味するものではなかった。 住まいを失うということが、 生活の基盤を失うことを意味し、 人々のアイデンティティの対象を失うことを意味するのだということを、 われわれは、 第二次調査を通じて、 多くの被災者の苦悩に満ちた生活再建過程から学んだ。

 一方、 住宅の倒壊は、 それが連担することよって、 生活の場としての「まち」の破壊を招いた。 住宅はかけがえのない環境要素であるが、 住宅だけでは人々は生きてはいけない。 住宅が「まち」を作り、 「まち」が人々の生活を支えているのだということも震災は我々に再認識を迫った。

 住宅は「まち」の要素であり、 都市居住者は「まち」に住んでいるのである。 「まち」の中の一つひとつの住宅と他の住宅や様々な施設が互いに結びついて生活の場が実現している。 「まち」の中で人と人とのつながりが生まれ、 それによって人々の生活が支えられていることも改めて明らかとなった。 住宅と「まち」とは不可分一体であり、 既成市街地では、 「まち」の中の要素同士の結びつき、 人と人との結びつきが生活を支え、 アイデンティティを形成してきたのである。 住宅の倒壊は、 結果として、 それらの結びつきをずたずたに引き裂き、 「まち」の機能とアイデンティティを喪失させたのである。

 もっとも、 そのような結びつきがもともと希薄な地域やそのような結びつきが形成できない被災者も存在していたことを忘れてはならない。 震災は、 「まち」の中の人とまち、 人と人の結びつきの重要性も示したが、 同時にそうした結びつきの希薄な状況も顕在化させたのである。


災害復興住宅団地の課題

 震災は社会の大きな転換期に起きた。 バブル経済の崩壊、 少子高齢化の進行、 地球環境問題の深刻化などを背景として、 人々の価値観が大きく変わろうとしているときのできごとであった。

 一方、 この時期は、 わが国の住宅政策の大きな転換期でもあった。 すなわち、 第二次世界大戦後の戦災復興期に成立し、 その後の高度経済成長期の住宅の大量供給を推進してきた公営、 公団、 公庫の三制度を柱とする住宅政策の枠組みの限界が見え始め、 公的住宅建設を中心とした住宅政策から住宅市場全体を対象とした総合的住政策へ移行しうる政策体系を確立することが求められていた時期であった。

 しかし、 住宅復興は、 避難所→応急仮設住宅→恒久住宅という単線的プログラムを基本として進められ、 恒久住宅については、 公営住宅を中心とした公共住宅の大量供給によって対応するという方針がとられた。 すなわち、 戦後体制ともいえる従来のハウジングシステムに依拠した復興プログラムが策定されたのである。

 別の言い方をすれば、 20世紀後半のマスハウジングによってもたらされた様々な問題の再発が予測できたにもかかわらず、 現状では公営住宅の大量建設をもってしか住宅復興は実現できなかったともいえる。 公営住宅は、 日本の戦後住宅政策のいわば大黒柱であり、 マニュアル化されたところも多くわかりやすい上、 制度運用上の工夫も蓄積されている。 民間賃貸住宅市場が十分成熟し、 良質のストックがあるという状況にない以上、 当面、 最も多くの国費を引き出すことができ、 計画戸数を消化できるという確実性が高い方法として公営住宅の直接建設が真っ先に選択されたのはむしろ当然であったともいえるのである。

 さらに、 震災の翌年行われた応急仮設住宅入居者調査や一元募集時登録調査等によって低所得者層の住宅確保と家賃負担の軽減がより強く求められていることが明らかとなり、 復興住宅計画は公営住宅の割合をより大きくするという方向での見直しが行われたという経緯もあった。 その結果、 災害復興住宅団地における低所得者層や高齢者層の集中はより必然的なものとなった。

 結局、 災害復興公営住宅は兵庫県下で約4万2千戸が供給された。 これらを中心とした災害復興住宅団地は、 少なくとも二つの重要な課題を抱えていることが推測される。 第一は、 画一的で大規模な高層高密の住環境が被災者の生活に与える影響である。 あるいは、 これらの影響を緩和するために行われた設計・計画上の工夫の効果である。 第二は、 多数の被災者の一斉入居および所得階層や年齢の偏り、 とりわけ災害復興公営住宅にみられる低所得者層や高齢者層などの特定階層集中に伴う管理問題の発生である。 あるいは、 これらの発生を制御するために行われた供給・管理上の工夫の効果である。

 上記の二つの課題の内、 前者については集合住宅計画研究の課題としてこれまでにも繰り返し論じられてきた事柄である。 これに対して、 後者は、 むしろこれから一般の公営住宅団地などで深刻化する可能性が高い課題であり、 必ずしもこれまでの住宅研究の中で十分論じられてきた事柄ではなかった。 それゆえ、 今回の調査では特に注目しなければならない事柄であるといえるのである。


公営住宅管理問題からみた今回の調査の意義

 今回の調査の意義は、 現実の恒久住宅としての災害復興住宅団地の居住実態を明らかにすることによって、 直接的には、 被災者の生活再建がどのように達成できたか、 あるいはどのような困難が存在するのかを明らかにし、 災害復興住宅政策や災害復興住宅団地管理の改善に寄与することにある。 一方、 災害復興公営住宅の管理問題は、 居住者の特定階層集中に伴う今後の公営住宅管理問題の発生を先取りしているとみることができる。 従って、 今回の調査は、 居住者の特定階層化に伴う今後の公営住宅管理問題の検討と対策に示唆を与えることにもなるはずである。

 低所得者層や高齢者層などの特定階層の集中により、 公営住宅において新たに発生すると考えられる管理問題とは、 主として以下の三点である。 第一は、 低所得者層の集中に伴って発生する共益費未納者の増加などの経済的問題である。 家賃については、 応能応益家賃の導入によって問題の発生が緩和されるが、 共益費については未納者を巡るトラブルの増加は避けられないと考えられる。 第二は、 高齢者層の集中に伴って発生する生活支援ニーズの増大などの福祉的問題である。 団地内の要支援階層の相対的増加は、 従来の相互扶助による問題解決を困難にし、 より高水準のサービスが求められるようになる。 第三は、 低所得者層、 高齢者層を含めた特定階層の集中に伴って発生する自治会活動の困難化などのコミュニティ問題である。 コミュニティ・リーダーやその支援者の候補者が相対的に減少するだけでなく、 特定階層の増加に伴って自治会運営などが困難化することが予想される。

 災害復興公営住宅では、 これら三点の管理問題の発生は不可避であると言わねばならない。 特に、 今回の調査で注目したいと考えているコミュニティ問題は、 居住者の特定階層への集中によって深刻化することに注意したい。

 もちろん、 こうした問題の発生は、 これまでもある程度は予測可能であった。 事実、 国および各自治体は災害復興公営住宅の管理問題に対して様々な対策を講じてきた。 家賃の引き下げ、 グループ入居などの募集方法の工夫、 コレクティブ・ハウジングの導入、 シルバーハウジングのLSA業務の拡大、 自治会の立ち上げのための人的支援、 入居前イベントの開催、 コミュニティ活動の財政的支援など、 震災復興にあたって初めて試みられた施策も少なくなかった。

 しかし、 調査を進めてみると、 大規模団地に一斉入居した多様な条件の被災者が安定した生活に至るまでには、 なお考慮すべき数多くの問題が山積していることがわかる。 加えて、 新たに適用された何れの対策も財政負担を大きくする方向での解決であり、 その拡大には一定の限界があると言わねばならない。 さらに、 自分たちの居住環境は自分たちで決定・運営していくという自律型管理、 参加型管理の促進という視点からは、 公共サービス拡大による問題解決が必ずしも最善であるということにはならないという指摘もある。

 結論が簡単に出るとは思えない。 今回の調査からわかる事柄も限られている。 先ずは、 調査によって得られた個別具体的な問題をていねいに検討することからはじめてみたい。

 現在、 研究委員会で進めている作業は、 大きくは二つから成っている。 第一は、 対象三団地の空間特性および管理方法などを資料分析、 管理者インタビュー調査などから明らかにした上で、 居住者の属性分析を行っている。 第二は、 各団地の居住者等に対するインタビュー調査に基づく学際的共同研究を進めながら、 災害復興住宅団地の居住問題とコミュニティ問題についての検討を深めている。 調査結果は本年度中に公表し、 報告会を開催する予定である。


 

新たな展開を始めた公営コレクティブハウジング

2001年1月「ふれあい住宅連絡会」の発足予定

石東・都市環境研究室 石東 直子

はじめに

 震災後に事業化された10地区341戸の公営コレクティブハウジング(ふれあい住宅)は、 入居後の生活が長い住宅で3年余り、 最も短い住宅でも1年半が経ちました。 このところいくつかの新しい展開が始まっていますが、 そのひとつを報告します。

 震災直後にコレクティブハウジングを発想してから、 2000年初めまでの様子は、 「コレクティブハウジングただいま奮闘中/石東直子+コレクティブ応援団著/学芸出版社」に集大成して、 この秋に出版しました。 本書は子育てで言えば、 出産前から育児期までのてんやわんやの様子を綴っています。 現在は安定期(成人)に入る前の成長期を迎え、 居住者は自律した新しい展開を始めようとしています。 コレクティブハウジング事業推進応援団は、 これまでは先導してお節介(居住サポート)をしてきましたが、 そろそろ後方支援に廻ろうとしています。


「ふれあい住宅居住者交流会」の歩み

 10地区のふれあい住宅のうち7地区が入居した98年7月に、 県営片山ふれあい住宅におじゃましてスタートした「ふれあい住宅居住者交流会」は、 2000年5月の尼崎市営久々知コレクティブでの第10回交流会をもって、 すべてのふれあい住宅を一巡しました。

 ほぼ2カ月ごとに順繰りに各ふれあい住宅におじゃまして開催してきた交流会には、 毎回ほとんどのふれあい住宅から出席があり、 多いときは50名ちかくの居住者が出席し、 さらにサポーターやその時々の見学者も加わり、 協同室は満員になりました。

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10号まで発行してきた「ふれあいネットレター」の表紙
 交流会では各ふれあい住宅の近況を順番に紹介し合い、 うれしい報告内容のときもあれば、 つらい現状報告のときもありました。 それぞれの協同居住の様子について情報交換ができ、 住宅内も見学させていただき、 各ふれあい住宅の建物の造りも知ることができました。 当日の会合の様子は、 「ふれあいネットレター」として発行し、 全戸に配布してもらっています。

 何よりうれしい成果は、 10地区のふれあい住宅の人たちが知り合いになって、 交流の輪が結ばれ、 時には電話で相談しあうこともあり、 ふれあい生活の力強い支えになるという声が聞かれるようになったことです。

 これまでの交流会はコレクティブ応援団が主催して、 居住者のみなさんに出席してもらっていました。 今後はふれあい住宅の居住者が自主的に交流し、 生活のアイディアや楽しさを交換したり、 時の経過とともに生じてくるであろうさまざまな課題については、 個別に悩むのではなく、 共通の課題として協同で対応策を考えたり、 求めていけるように、 自律した「仮称・ふれあい住宅連絡会」を立ち上げることになりました。


新生「ふれあい住宅連絡会」発足準備

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「ふれあい住宅連絡会準備会の意見交換の様子」
 すでに数回の準備会をもち、 会合にはふれあい住宅から30名〜40名の参加があり、 活発な意見交換をもって、 「ふれあい住宅連絡会」の大まかな方針を、 下記のように確定しました。

 ・今までやってきた交流会を風化させないで、 寄れる人だけでも寄って、 自分たちで自由な集まりをもち、 手をつないでいこう。 今までコレクティブ応援団に 「ふれあい住宅居住者交流会」を2年間指導してもらったので、 10地区のふれあい住宅をもうひと廻りしてみよう。

 ・自治会の役員が変わったら連絡会に出てくる人の様子が一変するということになっては困るので、 原則として居住者の自主参加が望ましい。 しかし、 今のところ自治会運営がうまくいっていて自治会の賛同が得られる住宅は自治会単位で加入し、 自治会の賛同が難しい住宅は個人加入ということにして、 おいおい自治会に話をしてもらうことにしょう。

 ・連絡会の運営費などが必要となるが、 世帯当たり50円以上になると、 自治会としては出しにくいので、 自治会単位の場合は、 月額50円×入居世帯数とするが、 個人加入の場合は、 50円×加入世帯数とする。

 ・コレクティブ応援団には、 ニュースの発行や会合の案内連絡、 適切なアドバイス等、 後方支援を続けてほしい。

 ・10地区のふれあい住宅がしばしば集まるのは大変なので、 まず近くの住宅どうしが集まって、 気軽に話しあえるように、 地域ごとの3つのグループをつくったらどうか。

というグループ分けにして、 真ん中の位置にある南本町ふれあい住宅に本部を置くというのはどうだろうか。

 ・年月の経過とともに生じてくる居住者の問題、 たとえば、 痴呆症になった人、 協同居住にどうしても馴染めない人などに対して、 ふれあい住宅の協同居住の中でどのように対応していくのかは、 居住者だけのレベルでは解決が難しいので、 行政などに対応策を交渉していく団体にしたい。

 以上のように新生「ふれあい住宅連絡会」の方向性がほぼ確認されたので、 規約をつくり、 年明けに会を発足させることになりました。

 震災で芽生えた新しい住まい「コレクティブハウジング・協同居住型集合住宅」の居住者による自律したネットワークを、 2001年1月に震災追悼・記念として発足させ、 いつまでも震災を忘れずに、 より快適な協同居住を住みこなしていけるような知恵を出し合ってもらいたいと願っています。 コレクティブ応援団も成長を見つめながら、 しばらくは後方支援を続けるつもりです。


コレクティブ学生応援団による催し

 京都府立大学の学生たちは、 県の「復興住宅コミュニティプラザ活動支援事業」を申請して、 久二塚西ふれあい住宅で「ふれあい楽笑会」を企画しています。

 コレクティブ学生応援団はコレクティブハウジング事業推進応援団を応援する学生たちによる応援団として、 2年程前に結成されました。 それ以前からも京都府立大学の学生をはじめとする何人かの学生たちはコレクティブ応援団の居住サポート活動を共にやってきました。 一方、 毎年夏休みになると、 全国の大学から学生たちが卒論や修論のテーマとして協同居住をとりあげ、 ふれあい住宅に調査に押しかけて来ます。 そんな学生たちの情報交換をしようということで、 京都府立大学の学生の呼びかけで学生応援団としてネットワークを組んでいます。

 「ふれあい楽笑会」は、 次のような企画です。

 特にクリスマス会は久二塚西ふれあい住宅の居住者も例年開催していますので、 今年は学生たちと共同企画をして盛り上げようという声が上がっています。

 久二塚西ふれあい住宅では毎週金曜日にミニデイサービスのために協同室を地域に開放していますが、 今回の「ふれあい楽笑会」も隣接の市営住宅や真野ふれあい住宅、 片山ふれあい住宅、 ミニデイサービスの利用者にもお誘いをし、 地域交流を図ります。

 ご関心のある方は覗いてみてください!


 

神戸都心再生に向けて/個性あるまちの連携

連載【神戸都心再生】最終回

地域問題研究所 山本 俊貞

地区ごとのさまざまな取り組み

 これまで5回にわたって、 神戸都心地域における各地区のまちづくりへの取り組みを、 各々の活動に関わっている数人が分担して報告してきた。 どの地区も固有のテーマを持ち、 まちの魅力化と活性化に向けて様々な方法で実践を続けている。

 旧居留地では、 中枢業務地の風格ある賑いの形成を目指しての街なみが形づくられてきており、 従来からの会員相互の親睦活動をベースに、 将来的にはTMOを念頭に置いた動きも芽生えつつある。

 南京町では、 細街路整備や街灯柱美装化などのハード整備が一段落し、 まちの使い方という根幹的な部分にテーマが移りつつある。

 元町周辺地区では、 栄町通の地下鉄海岸線敷設にあわせた道路整備やルールに基づく沿道景観形成、 あるいは元町ミュージックウィークなど新たなイベント開催にも取り組まれており、 東西1.2kmという大きい地区の中で、 通り(線)からゾーン(面)へという縦横の視点からゾーンごとの細組織化を図る一方、 ハーバーランドなど地区外とも連携し、 テーマに応じた多様な活動が展開されようとしている。

 トアロード地区では、 まちづくり計画を実効的に推進するために、 まちづくり会社/(株)トアロードまちづくりコーポレーションを設立して各種の事業が展開されており、 ここでも南北1.2kmという長い地区全体の共通目標を持つ一方で、 エリアごとの特性・機能を明確にすることが目指されている。

 さらに、 三宮駅の東、 JRと中央幹線に挟まれる地区では3つの組織が結成され、 インフィオラータの開催や美緑花活動、 広場づくりなど、 各々のテーマに基づいた実践の他に、 3地区を貫く旧西国街道をシンボルにした共同の活動展開にも発展しつつある。


個性あるまちが重なることによって可能となる都心再生

 都市とは多くの人々が集住することによって成立し、 人口の集積を資産として様々な都市活動を支えている。 そして、 ゆとりやこだわりが尊重され、 経済性よりも文化性、 純化性よりも多様性が重視される近年の社会的流れの中で、 都市の活性化のためには、 とりわけ都市の最も象徴的な空間である都心地域では、 人々の交流を創出・活発化させるための仕掛け・演出が重要となる。 この交流は、 情報通信ネットワークシステムの対極に位置するフェイス・トゥ・フェイスによるもので、 多様な人々が多様な機会を好みにあわせて確保できることである。

 このような人々の多様なニーズに応えるには、 効率性を優先させた時代に形づくられた一極集中型の都心(CBD)では困難で、 ここに内包される機能や形態は、 ますます多様化され、 複合化されなければならない。 勿論、 都心地域における多機能複合化は、 様々な機能が無秩序に混在することを目指すものではない。 都心地域の中に一定の広がりのまちが形成され、 これらが特性を顕在化させるとともに、 互いに連携し、 補完しあうことによって、 都心全体としての様々な機能が蓄積・醸成され、 魅力と活力を引き出すことが可能となる。 そして、 これを持続的に発展させるためには、 各々のまちに住み、 働く人々の自主的・自律的な活動が不可欠となる。

 このような視点にたつとき、 先の各地区における取り組みは、 各々の魅力化・活性化だけでなく、 神戸都心総体の再生にとっても大きく評価できる。


コンパクトな地域の中で、 様々に形づくられてきた
神戸都心部の「まち」

 もともと神戸の都心地域は、 海と山に近いという地理的・自然的条件を活かしながら、 商業や業務だけでなく、 文化、 娯楽、 観光、 あるいは居住といった多様な機能がコンパクトにまとまり、 発展を続けてきた。 東西4km、 南北1kmという手頃な広がりの中に、 様々な性格のまちが形づくられてきたのである。

 この地域が神戸の都心として発展するのは、 1868年(慶応3年)の兵庫開港に端を発している。 幕末期に欧米5か国と締結された修好通商条約は兵庫開港を義務づけるが、 外国人の居住や営業を許可する「居留地」は、 古代以来の港町で当時この地方の中核であった兵庫津を避け、 これから東に約4km離れた神戸村において整備された。 これによってそれまでの農村地帯は一躍日本の近代化の先鋒に立たされ、 以後、 旧来の兵庫津と新しい居留地に挟まれる地域が神戸の都心として栄えることになる。

 明治7年には全国で二番目の鉄道が大阪との間に開通するが、 起点の神戸駅は兵庫津と居留地の中間の位置に設けられ、 明治34年に完了する湊川付替の跡地に形成された新開地とも連担して、 当時の中心地域を形づくる。 また、 神戸駅と居留地をつなぐ栄町大通が明治6年に整備され、 周辺には神戸港の築港にあわせて商社や金融機関が建ち並ぶ。 さらに栄町通の北に並行して通る旧西国街道は元町通と名付けられ、 おいおい拡幅される中で小売店舗も集積する。

 現三宮駅を中心する地域では、 明治38年に阪神電気鉄道、 明治43年に市電の前身である神戸電化鉄道(街電)が敷設され、 昭和11年には阪神急行鉄道(阪急)が三宮まで延伸される。 一方国鉄は開通当時は現在の元町駅の位置に三ノ宮駅が設けられていたが、 これも昭和6年に高架化に伴って現在地に移され、 三宮ターミナルが形を成していく。 そして戦後は、 三宮センター街が形成され、 昭和32年に市役所が現在地に移転、 昭和40年には神戸で初めての地下街であるさんちかタウンがオープンするなど、 三宮地区の都心としての地位が確立される。 その中で、 三宮駅より東の地区も昭和57年にサンパルが再開発事業で建設されるなど、 都心としての様相を強めることになる。

 居留地では明治32年に日本に返還されるが、 その後もそれまでの外国商館にかわって日本の企業が進出し、 神戸の中枢業務地として発展を続け、 現在に至る。

 一方、 開港にあたって居留地の整備が間にあわず、 やむなく政府は外国人と日本人が混ざりあって住むことを認める雑居地として周辺9ヵ村を指定するが、 外国人達の多くは、 現在の北野・山本地区をはじめとする山手に好んで住むことになる。 そして居留地への通勤道として通ったのがトアロードで、 明治6年に整備されている。 また、 通商条約が締結されていない清国の人々は居留地に住むことを許されず、 当時その西方に集まっていた地域が現在の南京町である。

 このように神戸都心地域では、 明治以降130余年をかけて、 さまざまな経緯と役割をもつまちが、 その性格や広がりを徐々に変化させながら形づくられてきた。 まちづくりのための組織化とは、 このような地域が本来もつまちとしての今の姿を浮かび上がらせる作業ともいえ、 新たな組織化と活動は今後とも重要である。


待たれる「古くて新しいパートナーシップ」

 「三ノ宮南地区」は市役所の東、 税関線と浜手幹線、 生田川、 中央幹線に囲まれる約54haの区域である。 地区の大部分が第二次世界大戦直後の一時期、 連合軍に接収されていたこともあって、 道路をはじめとする都市基盤施設の整備水準は周辺に比べて高いものの、 低・未利用地が今でも多く残されている。

 明治期以降の神戸都心の東進化傾向の中でその東端部にあたり、 神戸最大のターミナルである三宮駅にも近く、 自動車交通面でも東西・南北の広域幹線動線の結節点にあたるなど、 非常に優位な立地条件にある。 しかしそれにもかかわらず、 とりわけ震災後の相対的な地盤沈滞化は激しく、 まちづくりの必要性を感じた人達が平成10年の夏から検討に取り組んでいる。 従前から同一範囲を区域とする三ノ宮南自治会が結成されており、 これまで自治会の中の「まちづくり部会」という位置づけであったが、 活動の一層の強化を目指し、 自治会とは別に「三ノ宮南まちづくり協議会」として平成12年11月16日に設立されることになっている。

 部会設立以来2年以上を要しているが、 これまでの実践活動は地区パトロールに基づく街灯の球切れ補修やクリーン作戦の実施、 あるいは平面駐車場等の低・未利用地の所有者に対する意向調査程度で、 多くの時間は組織の強化策に費やされてきた。 この地区には大・中規模の企業も多い一方、 ワンルームやファミリー向けマンションも多く、 その中でのまちづくり計画の検討方法や合意形成の方策が不透明であり、 何よりも会員拡大をどのように図っていくかといったことが模索されてきた。 自治会とはいうものの会員は企業が中心で、 その組織率も高くない。 自治会とは何をすべき組織で、 まちづくりとはどのようなことをしようとしているのか、 といった議論が幾度もなされた結果、 当面は自治会とまちづくり協議会を別組織とし、 各々の役割を明確にし分担しながら、 組織の強化と活動の活性化を図ることでその第一歩を踏み出そうとしている。 (実は、 この都心シリーズをはじめた5月時点では、 第6回は三ノ宮南地区の活動状況を報告する予定でいました。 しかし、 このような状況で予想からは遅れてしまいました。 いずれはご報告できると信じていますが。 )

 まちづくりの推進のためには、 いずれにしろ地区関係者の合意形成が前提となるが、 まちづくり協議会の設立にここまで時間を要したのは、 様々な価値観・利害関係の中での合意形成の難しさが顕著に表れた結果といえる。 そして計画策定や実践活動のためにはこれまで以上の困難が予想される。 しかしこれは三ノ宮南地区固有の課題ではなく、 どのまちも抱えている。 とりわけ多機能複合化を目指す都心地域においては、 避けて通れない問題で、 行政をも含む新たなパートナーシップのあり方が問われており、 共通の課題である。

 ただ、 もともと神戸の都心地域は、 居住機能が他機能に混在・融合することによって魅力と個性を形づくってきた。 このことからすると必ずしも全く新しい形態のパートナーシップが必要な訳ではなく、 昔から引き継いできた良さを忘れず、 これをベースに考えるべきである。 むしろ何よりも大切なのは、 各人のまちに対する愛着と誇りであり、 解決の糸口、 そして“まちづくりの最終点”もここにある。

(連載【神戸都心再生】終わり)


情報コーナー

 

神戸市民まちづくり支援ネットワーク
第35回連絡会記録

 11月10日(金)、 こうべまちづくり会館において神戸市民まちづくりネットワークの第35回連絡会が行われました。 今回のテーマは「神戸市東灘区におけるコミュニティの“重なり”と“ずれ”をめぐる考察/コミュニティ・レイヤーの研究」で、 プランナーズネットワーク神戸より5名の方々から報告がありました(川添純一郎さん(川添デザイン事務所)、 高木優子さん(コベルコPRセンター)、 田中正人さん(都市調査計画事務所)、 中川啓子さん(GU計画研究所)、 松原永季さん(いるか設計集団))。

 この研究は、 「コミュニティ・レイヤー」を「ある特定のコミュニティ関係が持つ空間的広がり」と定義し、 旧村域、 財産区、 小学校区、 婦人会等をレイヤー(=層)とみなして、 その重なりから生まれる地域特性を明らかにしようという試みです。

 まずはじめに、 東灘区全体を対象として、 各レイヤーを重ね合わせ、 住吉川や国道2号はほとんどのレイヤーの境界になっており、 小学校区は団地ごとに人数調整されているのではないかとい推論が出されました。 次に、 そのずれが大きい「本山・青木地区」が取り上げられました。 実地調査の結果、 インフラ(道路、 河川)が境界になるケースが多いが、 各住戸の玄関が向かい合っている道路、 河川で空間的に密接な関係にある場合、 婦人会などでは逆に境界になっていないケースがあると報告されました。

 質疑応答の場では、 各レイヤーの時代ごとの境界を比べる、 ニュータウンの境界のずれが出始めるケースを調べるなど、 今後の研究材料となる意見が交わされました。

(遊空間工房 山本和代)


「野田北部・鷹取の人々」総集編完成

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青池監督、 野田北部まちづくり協議会のメンバー、 そして上映会を続けた港まち神戸を愛する会の面々で、 全てのフィルムの完成を祝った
 青池憲司監督が震災直後から長田区野田北部地区の住民による復興過程を克明に撮り続けたドキュメンタリーの総集編(2時間36分)がこのほど完成し、 11月11日に上映会+座談会がありました。

 監督からは作品に関して、 “まちづくりとは何か・誰がまちをつくったか”をテーマとしたこと、 恣意性を極力廃したこと、 などが語られました。 座談会では、 「実際はもっとどろどろしていた」という地元の方々の意見がある一方、 「実際の区画整理やまちづくりを知るための教科書で、 全国の人に見てもらいたい」「まちづくりは楽しいということを表現してくれていることに感謝している」などの意見も出されました。


イベント案内

阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第17回連絡会

第一回世界震災復興ドキュメンタリー映像祭

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