きんもくせい50+21号
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21世紀よ、 こんにちは、 震災6周年へ

まちづくり会社コー・プラン代表 小林 郁雄

 あと5日間で20世紀が終わり、 6日目に21世紀がやってくる。 千年紀だ、 世紀末だ、 新たな年だと言ってみても、 まあ地球の一巡り、 連続した時間の流れの中での人工的な一区切りに過ぎないのだが。

 昨年震災復興5年目の一区切りで、 復興総括検証が国際検証だ、 草の根検証だとやかましかったが、 すでに震災から6年が過ぎようとしている(市民検証はまだまだ継続中のようであるが)。 その5年検証と対比して、 私達も震災経験の整理・伝達がようやく必要な時期がきたという気がする。

 そのひとつが、 この「報告きんもくせい」で、 もう月刊で21号、 1年9ヶ月になる。 リアルタイムの切迫した情報交換のための「きんもくせい」に比べ、 「報告きんもくせい」はこれまでの自分達の携わってきた復興再生への取り組みを、 きっちりと整理総括しようというものである。 まだまだあと1年や2年は続けていかねばならない状況で、 それだけ密度高い活動だったということのようだ。

 今ひとつは、 「HAR基金(阪神淡路ルネッサンスファンド)」の総括である。 5年間の時限約束で始めた、 市民まちづくり支援基金として緊急の役割を終え、 約6000万円という額は少なくとも志の高い基金活動が、 公開審査会というあくまでも透明な助成決定方法とともに、 多くの影響を復興再生システムに与えたと言えよう。

 3つ目が、 来年の1月末から2月末にかけて神戸市内の3ヵ所で行うように現在準備におおわらわの「ド映祭(第1回世界震災復興ドキュメンタリー映像祭)」である。 その開催主旨にあるように「自分たちの6年間を振り返り、 これからのことを考えるときに、 これまでいろいろなところで起こった震災復興の模様を知りたい、 これまでの被災地の人々はどんな体験をされ、 どんなまちづくりをして来られたのかを具体的な映像で見てみたい」というものである。 震災復興経験の全国的・全世界的な共有化でもある。

 震災復興10年計画とすれば、 あと4年。 これまで5年余の越し方20世紀での震災復興教訓の整理伝達をするとともに、 来し方21世紀の当初の4年の震災復興課題はなにか。 以下の3つの活動がその焦点であると思っている。

 20世紀の年の瀬に、 プログラミングからマネージメントへの転進を前提に、 21世紀の抱負を、 環境改善運動である「市民まちづくり」を目標にしていこうと考えている。 よいお年を!。

(001227記)


 

新長田駅北地区(東部)

土地区画整理事業まちづくり報告(12)

久保都市計画事務所 久保 光弘

XI。 杜の下町いえなみ賞

1。 まちづくりビジョン実現の主導的事業

1)杜の下町構想

 ・平成7年、 震災直後につくられた「杜の下町構想」というキーワードは、 各協議会で共同建替準備組合設立の一応の目度のついた平成9年頃から共有できるまちづくりテーマとして協議会で検討が始められた。 平成10年は1月に「シューズギャラリータウン構想」の提案、 7月に「いえなみ基準」の提案、 10月に「アジアギャラリー構想」の提案といったように協議会傘下の各グループが検討してきた検討内容が協議会から次々と提案された年であった。 それは、 当地区のもつマイナスイメージ(本当の評価が得られていない状況)からプラスイメージへの転換を図ろうというものであり、 住工商混在や在日外国人との混住を「まちの魅力を生みだすまちづくり資源」として積極的に捉えようとするものであった。

 ・このような経緯を経て当地区のまちづくりコンセプト「お年寄と子供が遊ぶ杜の下町」は、 「森のように緑豊かな環境を基盤に福祉に配慮し、 住工商が相乗する魅力あるまちづくり」として、 序々に定着しつつある。 現在、 細田神楽松一道路部会でコミュニティ道路等、 環境整備について検討される中で、 水や緑等自然との共生が語られており、 今後公園づくりや個人の敷地での緑化等の展開も期待されている。 これらを含めると杜の下町構想は現在、 図1のように示しても良いだろう。

 

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図-1 新長田駅北地区(東部)まちづくりビジョン
 

2)杜の下町構想実現の主導的事業

 ・杜の下町構想の実現を図るための主導的事業としては、 図-2に示すように4つの事業があげられるが、 これらの事業は平成11年から平成12年にかけて具体的な形が見え始めている。

 

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図-2 まちづくりビジョン実現の主導的事業
 
(1)まちづくりルールの実現
 ・当地区のまちづくりルールとして「地区計画」と「景観形成市民協定・いえなみ基準」が定められているが、 特に、 いえなみ基準に関しては建築主からいえなみ委員会への建築事前報告書の提出、 街なみ環境整備事業による助成が平成11年4月から始まった。 そして、 平成12年11月「第1回杜の下町いえなみ賞」の授賞式が行われた。

(2)先導的施設創造
 ・「シューズギャラリー構想」と別途ケミカルシューズ業界が提案した「くつのまち;ながた復興構想」に基づく見える工場(見学工場)1社が12年1月に操業開始、 またシューズ産業の先導的施設としてアンテナショップや人材育成・生産支援機能を備えている「シューズプラザ」が平成12年7月にオープンした。 また、 アジアギャラリー構想の先導的施設「アジアギャザリー神戸」や「神戸アジア交流プラザ」も平成12年7月にオープンした。

 ・また、 当地区5ヶ所の共同建替住宅も平成12年相次いで完成し、 残る1ヶ所も来年早々に完成することになっている。 このように平成12年は、 杜の下町構想の先導的施設が形を見た年であった。

(3)道路・公園環境創造
 ・地区活性化の先導的役割を果たすものとして、 上で述べた先導的施設とともに環境基盤としての道路・公園等の環境整備が重要である。 しかし、 これらが少し後になるため、 先導的施設の集客はまだ不十分な状況であるが、 本報告の前号(報告きんもくせい00年9月号)で報告したようにまちづくり協議会からコミュニティ道路等、 道路整備構想が提案され、 現在もその実現に向けて努力されている。

(4)まちづくりイベント
 ・当地区の各まちづくり協議会は、 それぞれでふれあい祭りが行われていたが、 平成12年11月、 始めて地区全体としてのふれあい祭り「新長田駅北地区東部ふれあい祭り」が開催された。

2。 「杜の下町いえなみ賞」の経緯と主旨

1)「いえなみ基準」の概要

 ・まちづくりビジョン「杜の下町構想」の実現は、 物的には、 「個々の建築」と「道路・公園等の公共施設」によって行われる。 特に望ましい土地利用やいえなみ景観は、 「個々の建築」によるものであり、 そのためのルールづくりとして協議会は、 民々間の協定としていえなみ基準をつくった。

 ・このいえなみ基準は、 平成10年10月、 神戸市都市景観条例による「新長田駅北地区東部景観形成市民協定・いえなみ基準」として認定を受けた。 このいえなみ基準の締結は、 6協議会で行われたが、 平成11年、 平成12年にそれぞれ1協議会づつ参加が増え、 現在当地区9協議会中8協議会がいえなみ基準の協定区域に参加することになった。

 ・いえなみ基準の協定を結んだ協議会合同で自治的な「いえなみ委員会」を結成し、 建築に際しては、 建築事前報告書を提出するとともに専門家のアドバイスが受けられるしくみとなっている。

2)建築事前報告書の提出状況といえなみ委員会の対応

 ・建築事前報告書は、 建築主(多くはその代理人である設計者)がいえなみ基準の適合性を自主的にチェックした用紙を含めた建築資料をいえなみ委員会に提出するもので、 大規模建築物と街なみ環境整備事業助成等の助成建築物に対しては特に提出をお願いしている。

 ・この建築事前報告書の提出率(建築事前報告書提出件数/建築確認申請件数)は平成11年度は64%、 平成12年4月〜10月は68%である。 これは、 当初の予想以上に高い提出率である。 なお建築事前報告書提出の実施を始める前の平成11年3月以前の確認申請を含めた全建築物に対する建築事前報告書提出率は、 48%となっている。

 ・この提出された建築事前報告書に対しては、 専門家のアドバイザーも参加したアドバイザー部会で検討され、 改善のお願いを「建築事前報告書受取通知書」に記載し送付する他、 大規模建築物等については、 設計者と面談しアドバイスが行われている。

 ・そのようないえなみ基準の適合性をチェックする過程を通して、 敷地条件等からいえなみ基準の適応に無理な状況がある場合には「いえなみ基準取扱内規」をつくり、 いえなみ基準の運用をできるだけ無理なく客観的に行われるように工夫されている。 これまで取扱内規には、 (1)狭小敷地共同住宅を新たに用途分類に含めること。 (2)2方以上の前面道路を有する敷地で2方ともの壁面後退距離確保が困難な場合は、 いずれか必要と考えられる一方を遵守すること。 (3)規定の壁面後退距離の確保が困難な場合、 規定の後退距離よりはみだした面積分をまとまった緑地で確保すること等が定められている。

3)杜の下町いえなみ賞設置の主旨

 ・「杜の下町構想は、 それぞれの建築によって実現される」とともに、 「個人個人にとって建築する時が最も具体的なまちづくり参加の機会」でもある。

 いえなみ基準は単に景観形成市民協定として締結されたということだけでなく、 それが適切に活用されていく工夫がなされなければならない。 その役割をもついえなみ委員会が「杜の下町いえなみ賞」の設置を検討しはじめたのは、 平成11年11月頃からである。

 ・いえなみ賞設置の主旨は、 おおむね以下のように集約される。

3。 杜の下町いえなみ基金

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図-3 杜の下町いえなみ賞銘板(デザイン:森崎輝行)
 ・いえなみ委員会は、 各協議会の意見を聞きながら検討を続け、 平成12年9月、 「杜の下町いえなみ賞設置規約」を定めた。 いえなみ賞は、 賞の対象となる建築物壁面に取りつける「賞の銘板」と建築主及び建築関係者に「表彰状」を授与するもので、 その財源は「杜の下町いえなみ賞の主旨に賛同する人々からの寄付金等による」ものとし、 これを「いえなみ基金」と称することにした。 (図-3)

 ・いえなみ委員会は、 同時に「いえなみ基金要領」をつくり、 平成12年10月、 いえなみ委員会が発行する「いえなみニュース」で郵便振込用紙を同封し寄付を呼びかけた。 当初、 募金状況は低調であったが、 11月19日のいえなみ賞表彰式を契機に順調に募金は進み、 3ヶ月で100万に近づきつつある。 これには、 いえなみ委員の企業への働きかけもある。

 ・寄付をした人々は、 役員でない一般の住民、 企業、 建築関係者、 行政マンなど多様である。 貴重なお金を寄付することは、 まちづくりへの関心を高めることになる。 役員中心になりがちであるまちづくり協議会であるが、 これによってまちづくりへの関心が広がることが期待される。

 ・寺院だけでなく、 かつては学校、 幼稚園、 公民館等、 地域の人々の寄付によって心のこもった立派なものがつくられた。 今日の助成主義のまちづくりは、 何か違和感を感じる。 まちづくりへの寄付金の税の控除等まちづくりの時代にふさわしい税制も必要だろう。

4。 第1回杜の下町いえなみ賞表彰式

 ・毎年恒例となっていた「細田神楽まちづくり協議会ふれあい祭り」を11月19日に行うことで準備が進められていたが、 杜の下町いえなみ賞の表彰式をそのふれあい祭りですることが話合われ、 その結果、 初めて当地区全体のイベント「新長田駅北地区東部ふれあい祭り」として開催されることになった。

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図-4 杜の下町いえなみ賞表彰式
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図-5 新長田駅北地区東部ふれあい祭りの屋台
 ・この地区のふれあい祭りの企画力とバイタリティにはいつも感心するばかりであるが、 今回はまちづくりイベントとしてより一歩展開したもののように思える。

 それは、 先導的施設であるシューズプラザをメイン会場としてコミュニティ道路予定道路に屋台やフリーマーケットが並び、 いえなみ賞表彰式が行われる等、 図-2で示した4つの主導的事業が有機的に結びついたイベントとなりつつある点である(図-4、 図-5)。

 ・新長田駅北地区東部ふれあい祭りの基本テーマとして「(1)新長田駅北地区を活力と魅力のある街に実現、 (2)地域住民の心のふれあい」を掲げておられる。 これこそ、 この地区がめざすまちづくりテーマが端的に示されている。

5。 第1回杜の下町いえなみ賞の選定

1)いえなみ賞選考委員会

 ・いえなみ委員会は、 平成12年9月に「杜の下町いえなみ賞選考委員会設置規約」をつくり「選考委員は、 第3者の立場を基本とし、 学識経験者、 専門家等とする」ことを決めた。 これに基づきいえなみ賞の選考委員は以下の各氏があたった。

 選考委員長:三輪康一(神戸大学)、 選考委員:三上晴久(神戸芸術工科大学)、 小林郁雄(コー・プラン)、 森崎輝行(森崎建築設計事務所)、 松下慶浩(環境緑地設計研究所)、 倉橋正己(神戸市アーバンデザイン室)、 久保光弘(久保都市計画事務所)

2)いえなみ賞の選考結果

 ・杜の下町いえなみ賞は、 (1)杜の下町構想の先導性 (2)いえなみ基準の適合性 (3)今後建築される方々の参考となる工夫等のモデル性 (4)地区景観形成の先導性 (5)建築としての評価等、 総合的に選定の検討が行われた。 なお、 「いえなみ大賞」については、 そのうち広く社会一般からみても一定水準以上であるものとされた。 「いえなみ基準に適合している優れた建築物」が基本であるが、 いえなみ基準にすべては適合していないが、 それを上回ってこれから建築される方々に参考となる優れた建築物も若干選ばれている。 これらの建築物については、 将来において機会があれば、 いえなみ基準の不適合部分の改善をお願いしたいところである。

 ・なお、 いえなみ賞選定対象建築物は、 建築事前報告書をいえなみ委員会に提出された建築物のうち、 平成12年9月末までに竣工した建築物を対象にこの中からいえなみ賞の選定が行われており、 建築事前報告書が提出されていない建築物の中にも優れたものがあったが賞の対象とされなかった。 いえなみ賞の建築事前報告書提出への促進的役割も期待している。

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図-6 「住宅部門・いえなみ賞」の一例
図-7 「アジアギャラリー商業系部門・いえなみ賞」の一例
いえなみ賞の部門構成
 

 ・いえなみ賞は、 杜の下町構想の実現をめざして、 6部門毎に分けられた。 第1回杜の下町いえなみ賞受賞作品は、以下に示すようにいえなみ大賞4点、いえなみ賞10点、合計14点である(図-6、 図-7)。

6。 期待されること

 ・復興市街地については、 「どこも同じで地域性がなくなった」とはよく言われることである。 これには、 住宅の商品化、 生産システムや建築設計者の地域性へのこだわりのなさ等現在の建築業界の状況を映すものである。 まちづくりは、 単に地域の住民・企業だけでなく、 地域で建築する建築事業者の影響はたいへん大きい。 建築事業者に当地区のまちづくりビジョンを共有してもらい、 ぜひ杜の下町構想を先導する建築物をつくってもらいたいものである。

 ・杜の下町いえなみ賞を毎年続けることは、 杜の下町構想のよりよい実現に貢献することだろうし、 その受賞作品の集積の中からこれからの建築のあり方も見えてくることだろう。

(’00.12.10記)


 

復興団地コミュニティ調査対象団地の概要

まちづくり会社コー・プラン 吉川 健一郎

 本調査は、 従来慣れ親しんだ居住環境から、 仮設住宅等の居住環境を経て、 新しい復興住宅団地に移り住んだ被災者等のコミュニティがどのように形成されていくのかを追跡調査し、 今後の計画・支援策等の資料を得ることを目的とし、 調査対象団地はHAT神戸・灘の浜(神戸市)、 南芦屋浜(芦屋市)、 西宮浜(西宮市)の3団地である。

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3団地の位置図
 3団地はいずれも臨海部に位置する大規模団地で、 被災者に早期に、 大量に住宅を供給するために、 工場跡地や埋立地の土地利用を変更して建設された、 それぞれの市における震災復興のリーディング的なプロジェクトである。 また、 入居時期も平成10年の3〜4月とほぼ同時期である。 さらに、 各団地の市営、 県営住宅の約2〜3割がシルバーハウジングとなっており、 高齢者の占める割合が高いと言われている。

 今回は、 本調査の対象となった3団地の概要について簡単に報告する。


HAT神戸・灘の浜

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HAT神戸・灘の浜配置図
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HAT神戸・灘の浜/灘の浜モール
 HAT神戸・灘の浜は、 震災前から土地利用転換の動きがあった神戸製鋼の工場用地に整備され、 震災からの市街地復興におけるシンボルプロジェクトとして位置づけられた「東部新都心地区」の一部を構成している。 約6.2haの敷地に県営、 市営、 公団賃貸あわせて1,886戸の公的復興住宅と居住者のための商業・サービス施設や特別養護老人ホームを始めとする福祉施設が建設された。

 居住者は、 平成12年7月現在で3388人であり、 65歳以上の高齢者の占める割合は、 灘の浜全体では26.6%で、 県営・市営住宅の合計では42.2%となっている。

 団地内の住民組織・各種活動としては、 自治会が入居1年後までに県営、 市営に各棟単位で結成され、 主に共益費の徴収や清掃活動を行っている。 集会所やコミュニティプラザの運営については市営、 県営とも各棟から運営委員を選出して、 運営している。 公団エリアについては、 防犯のため12番館が自治会を設立したが、 他の棟では呼びかけたものの結局は結成されていない。

 灘の浜全体の組織としては、 老人会や婦人会に加えて、 花の好きな人たちによる灘の浜ガーデンクラブが横断的な組織として団地内にある花壇やプランターの花の世話をしている。

 また、 平成11年10月には、 各自治会、 老人会、 婦人会、 子供会、 子育てサークル、 ガーデンクラブ、 民生委員、 なぎさ小学校など地域組織からなる「なぎさふれあいのまちづくり協議会」が地域福祉センターの自主運営を目的に結成され、 事業交流・福祉部会、 防災部会、 施設管理・広報部会に分かれて活動している。 地域福祉センターでは、 ふれあい喫茶・ふれあいサロンがそれぞれ月2回開かれており、 当初は役所や周辺の老人会等の支援を受けていたが、 現在は自主運営となっている。 書道、 囲碁・将棋、 手芸、 カラオケ、 フォークダンス等のサークル活動も盛んであるが、 参加者は固定化されているようである。


南芦屋浜

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南芦屋浜配置図
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南芦屋浜/県営のだんだん畑と住棟
 南芦屋浜団地は、 震災前に兵庫県が芦屋浜の沖合いを埋立て、 マリーナを核とした海に親しみアメニティに富んだ新しい都市空間の創出を目標に土地利用計画を策定していた南芦屋浜地区の北部(約4.2ha)に建設され、 県営、 市営あわせて814戸からなる。

 居住者は平成12年6月現在で1510人で、 65歳以上の高齢者の占める割合は41.2%である。

 南芦屋浜では、 入居後にできるだけ早く住まいや街に愛着を持ってもらうために、 「コミュニティ&アート計画」を導入し、 入居前にワークショップを行い、 入居予定者、 ボランティア、 計画に関わる専門家の参加により、 共用空間をどのように利用するのか、 入居後の生活環境づくりにおける参加の問題、 共同生活におけるいろいろな課題についての話し合いが持たれた。 また、 花や野菜の好きな人を中心に「楽農講座」を開催し、 アートワークの1つであるだんだん畑の入居後の活動について話し合われた。 こうした試みを受けて、 入居後すぐに自治会結成に先駆けて、 だんだん畑の活動グループが県営と市営のそれぞれにできた。

 団地内の住民組織・各種活動としては、 南芦屋浜では自治会が、 灘の浜のように棟ごとではなく、 市営(H10. 9)、 県営(H11. 2)にそれぞれ設立された。 どちらも、 共益費の徴収と清掃活動が主な活動であったが、 平成11年より県営、 市営、 公社の共同で盆踊りを開催するようになり、 また平成12年からは同じく共同で夏休みのラジオ体操を行い、 秋には県営、 市営共同でフリーマーケットが開催され、 少しずつ活動内容に広がりが出てき始めている。 老人会は県営、 市営にできたが、 子供会は県営のみ、 婦人会は市営のみで結成されている。

 また、 ボランティアやLSA、 兵庫県栄養士会主催によるお茶会や食事会、 芦屋喜楽苑による介護教室やリハビリ教室が開かれるとともに、 書道、 詩吟、 踊り、 日本舞踊、 茶道、 将棋、 俳句などの活動もそれぞれの集会所で行われている。


西宮浜

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西宮浜配置図
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西宮浜/市営1号棟からの眺め(公団パンフより)
 西宮浜団地は、 震災により大量の住宅不足が生じたために、 震災前からの開発計画である西宮マリナパークシティに、 復興住宅を建設することが決定された。 西宮マリナパークシティは、 新西宮ヨットハーバーに隣接した31.3haの敷地に、 1万人規模のニュータウンを目指して、 県営・市営、 公団、 公社、 民間の6つの「まち」である住区により区分される。 このうち約4.4haの公営住宅街区は県営、 市営あわせて899戸からなる。

 市営住宅のデータが未入手だが、 居住者は平成12年8月現在で県営918人、 公団857人で、 65歳以上の高齢者の占める割合は公団が11.4%、 県営が36.7%となっている。

 団地内の住民組織・各種活動としては、 市営は平成10年6月に自治会が設立されたが、 県営は設立準備のための管理運営委員会が自治会組織を代行し、 共益費を徴収している。 市営では、 自治会ではなく実行委員会主催で七夕、 お餅つき、 夜回り、 クリスマス会などを開催している。

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調査対象3団地の概要
 民間分譲街区の「海のまち」「杜のまち」では管理組合が結成され、 イベントやサークル活動が活発である。

 その他、 老人会と子供会が地区全体の横断的な組織として結成されており、 婦人会、 マリナパーク地区連合会が設立準備中である(H10. 6現在)。

 最後に、 今回の調査を通じて、 コミュニティの形成において、 LSAや高齢世帯支援員の存在が大きいことがわかったが、 それについては各団地の報告にお任せしたいと思う。


 

その7・神父神田裕

教会はまちづくりをめざす

まちづくり会社コー・プラン 小林 郁雄

 
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 1) 神父神田裕はホンモノのカトリック鷹取教会の神父である。 震災の日、 東から迫ってくる火災になすすべもなく、 瓦が落ちかろうじて建っていた教会堂や幼稚園舎が燃え落ちるのを、 パオロさん和田さん達と呆然と見つめているのみであった。 木造2階建ての司祭館を守るかのように、 数年前に建立された屋外のキリスト像が、 火を止めたと後に話題となった。 神田さんは「コンクリ製の像が燃えることはありません、 それだけです。 みんなで火を消したのです。 」と話していた。 お地蔵さんやキリスト像が火を消すわけはない。

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震災で焼失した教会跡地と火を止めたというキリスト像(950319)
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そこに1年後につくられたペーパードーム、 宮沢さん(神戸新聞)の結婚式
 2) 震災直後の1/17朝は鷹取中学に避難したが、 午前中に片付けに教会に帰り、 その午後から夕方に炎上、 その夜から焼け残りわずかに残った司祭館に住み、 「たきび」を囲んで全国から殺到したボランティアの基地となる。 そこで、 風神の如く、 震災後の長田区最大のボランティア拠点「鷹取救援基地」の総大将となった。 現在の「たかとりコミュニティセンター(TCC)」には、 多言語コミュニティ放送局「エフエムわぃわぃ(FMYY)」、 日本語教室・相談業務「神戸定住外国人支援センター(KFC)」、 アジアを活かしたまちづくり「神戸アジアタウン推進協議会(ATPC)」、 「NGO外国人救援ネット(Gqnet)」などがあり、 それにつながる様々な被災者救援活動を、 震災直後から神田さんは進めてきた。

 その他にも、 翻訳・通訳・企画「多言語センターFACIL」、 外国人女性支援「アジア女性自立プロジェクト」、 パソコンリサイクル・パソコン教室「ツール・ド・コミュニケーション」、 くらしの助け合い・高齢者の在宅介護支援「リーフグリーン」、 KOBE外国人支援ネットワーク「ワールド・キッズ・コミュニティ」、 地元の「野田北部まちづくり協議会」といった活動も始まり展開している。

 3) 私は長い間、 神田神父のことを誤解していた。 不精ヒゲ面で、 いつも白いタオルを首に巻いた角刈りアンチャン風の神田さんの風貌ゆえのことである。 まともなカトリック司祭が震災直後のあの混乱の中で、 獅子奮迅の働きができる訳がない(何をもって、 カトリック的なまともというか、 これまた誤解ではあるが)。 あの顔つき・しゃべり方・雰囲気からして、 きっと東京から流れてきた素行不良神父が、 たまさか長田区鷹取で震災に遭遇し、 お堅いカトリックの連中を尻目に自律闊達・連帯合議して救援基地を展開してきたと思っていた、 ちょうどピアスにいちゃんが震災ボランティアとして大活躍したように。

 4) 違うんだんなあ、 それが。 尼崎市杭瀬の長屋に1958年4月29日(そうです、 天皇裕仁のヒロシなのだ)、 姉・弟のいる3人兄弟の長男に生まれ、 父・興造、 母・昭子ともに尼崎教会の信者であった。 小さい頃から教会に親しみ、 すでに小学生で神父さんになろうと思っていたそうである。 杭瀬小学校−若草中学校−尼崎小田高校−京都外大(英米語学科)を卒業、 全寮制の東京カトリック神学院から上智大学(神学部)を経て、 1988年神父となった(司祭叙階)。 そして大阪の阿倍野に2年、 玉造に1年、 1991年4月に鷹取に着任。 まさにまっとうな、 がちがちのカトリック神父の典型経歴である(と思うのだが)。 神父になるためにまず英語を学び、 なんて。

 5) 神田さんは、 震災前からベトナム人との共生、 韓国朝鮮人との交流、 あるいはベンポスタサーカス来日以来の街や商店街の人々とのつながりを大切にしてきた。 だが、 震災の朝わかった、 街の人たちとの本当は希薄な関係に愕然としたという。 震災以後この6年あまりの間、 NPOを育て、 協働して地域社会に生きる「教会はまちづくりをめざす」という教会本来の役割に到達したのかなあと思うと、 神田真正神父は語った。


情報コーナー

 

阪神白地まちづくり支援ネットワーク
第17回連絡会記録

 11月10日(金)神戸市勤労会館において「密集市街地における住環境整備の苦闘」をテーマとして行われました。

 はじめに後藤裕介さん(ジーユー計画研究所)から主題解説が行われ、 「密集市街地」「住環境整備」「苦闘」というそれぞれのキーワードについての説明が行われました。

 パネラーの発表はまず、 田中貢さん(都市基盤整備公団居住環境整備部)から「大阪府下の密集市街地における苦闘」というタイトルで、 豊中市庄内地区の事例をもとに大阪府の密集市街地の報告がありました。 密集市街地の住環境整備は星の数ほどある小さな穴を一つ一つ埋めて行くような作業だと報告され、 これまでの苦闘をうかがい知ることができました。

 次に倉本佳世子さん(富島を考える会)からは、 「富島地区における復興まちづくり」についての報告が行われました。 区画整理事業決定後の富島地区でのまちづくり活動の経緯や苦闘を切々と報告されました。

 次に宮西悠司さん(神戸・地域問題研究所)から「密集市街地における整備手法において」というタイトルでの発表がありました。 宮西さん自身が手がけている長田区真野地区での密集事業は個人が建てるレベルの家には全く補助が無く、 公共事業のみ適用されているのが現状だとの報告がありました。 密集市街地は積極的に手を入れなければならないことが震災で証明されたが、 個人の力では限界があり、 今までのやり方では自然に朽ち果てるのを待った方が早く、 他とは違う攻め口を考えていかなければならないとのことでした。

 最後にフロアー討論が行われ、 密集市街地は一点を重点的にやるべきか、 うすく広くやるべきかなど、 これからの方向性についての意見が交わされました。

(神戸大学工学部建設学科学生 中井 健太)


イベント案内

神戸市民まちづくり支援ネットワーク/第36回連絡会

第3回こうべiウォーク

1.17ひょうごメモリアルウォーク−震災6周年追悼のつどい-

公営コレクティブハウジング
「ふれあい住宅連絡会」発足記念の集い

Memorial Conference in KobeVI

六甲道駅北地区復興まちづくり記録誌
《未来(あす)へ》刊行

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このページへのご意見は前田裕資
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