きんもくせい50+22号
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HAT神戸・灘の浜復興団地の
コミュニティ形成

復興団地コミュニティ調査研究会灘の浜ワーキンググループ
伊藤亜都子、 和田真理子、 田端和彦、 三輪康一、 吉川健一郎

灘の浜復興団地における調査の概要

 神戸市の東部新都心HAT神戸に位置する灘の浜災害復興住宅団地(団地概要、 居住者属性については「きんもくせい」00年12月号を参照。 )では、 1998年4月の入居開始以来、 2000.7現在で3,388人が暮らしている。 ここで、 人々はどのように生活を再建し、 コミュニティを育んでいくのだろうか。

 復興団地におけるコミュニティ形成の課題をさぐる今回の調査方法は、 現地におけるヒアリング形式をとったことが大きな特色である。 灘の浜でのヒアリングは、 住宅管理・支援団体、 コミュニティ組織、 居住者を対象として99年6月から翌年10月まで順次行われた。 このうち(1)管理・支援組織については、 生活復興相談員、 高齢世帯支援員、 神戸市住宅局に対し居住サポートや管理状況を訊ねた。 (2)コミュニティ組織については、 各棟自治会、 老人クラブ、 ふれあいのまちづくり協議会、 灘の浜ガーデンクラブ、 こども会、 子育てサークルの役員に対し、 発足の経緯、 活動状況などを聞いた。 (3)居住者への個人ヒアリングは3つのルートを通じて実施した。 自治会等の役員やそのつながりを介した居住者11名、 高齢世帯支援員の紹介による高齢者13名、 小さなこどものいる若い世代3名である。 その結果、 個人ヒアリング対象者は、 県営8名(公団借上げ2名を含む)、 市営12名、 公団7名の計27名である。 なお、 居住者に対する質問項目は、 同時に調査された西宮浜、 南芦屋浜と共通し、 居住歴、 近隣関係、 コミュニティ活動、 日常生活、 交際範囲、 困ったときの対応、 団地の交流環境、 生活環境としての評価が基本である。 灘の浜ではこのヒアリング調査をもとに4つの視点から分析を行った。 その概要を以下に記す。


地域コミュニティの重層性とネットワーク構成

 地域コミュニティは、 人と人の個人的な関係、 団体組織、 施設、 機関が同時に同じ場でいくつもの層となって存在し、 それぞれが互いに関わりをもって多様に形成されている。 灘の浜復興団地でもそこに重層した地域コミュニティが認められた。

 

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図1 灘の浜における地域コミュニテイの構成
 
 まず(1)原則として地域住民全員が構成員になる地域を代表するフォーマルな組織がある。 自治会がその代表であるが、 目的や構成員のひろがりが地域全体を包括するという意味から私たちはこれを「包括的アソシェーション」と呼ぶ。 灘の浜には県営、 市営と公団の一部に棟ごとに結成された自治会があり、 さらに、 灘の浜全体の組織として「ふれあいのまちづくり協議会」がある。 これに対して(2)個々の居住者属性や生活スタイルや趣味に応じてつくられる組織があり、 これを「個別的ボランタリーアソシェーション」と呼ぶ。 灘の浜では、 婦人会、 老人クラブ、 こども会、 子育てサークルなどの世代別組織とガーデンクラブ、 さらに書道、 俳句、 囲碁・将棋、 手芸、 カラオケ、 フォークダンス、 歩こう会などがある。 (3)親族、 友人、 近隣、 趣味、 仕事などによる個人的なつながりがパーソナル・ネットワーク(PN)であるが、 極めて個人差があり、 しかも必ずしも地域を基盤するとは限らない。 新開発住宅団地である灘の浜では、 このPNがいかにつくられていくかが問われている。 さらに(4)生活支援サービスや生活関連施設などの社会サービスも地域コミュニティの大きな要素である。 公共や民間、 NPO、 ボランティア組織などによる支援、 サービスのなかで何を相互扶助システムとして確立し、 何を専門処理システムに依存していくかが適切に選択されなけれなならない。

 

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図2 地域コミュニティとの関わり
 
 この地域コミュニティの重層性を以下の分析の基本的な認識、 枠組みとし、 まず個々の居住者が重層的な地域コミュニティにどう関わっているかを把握する必要がある。 そこで図2のように地域への関わりと生活の自立性から、 個人のネットワーク構成のあり方を類型した。 その結果「地域活動積極型」「広域ネットワーク型」「近隣扶助型」「支援サービス依存型」の4つの典型的タイプを見いだした。 (伊藤)


つきあいの継続性と生活の空間的範囲からみた
コミュニティ形成プロセス

 第2の視点はつきあいにおける震災前後の時間的な連続性への注目である。 震災前のライフスタイルや震災後の体験は、 新しい生活形成のプロセスに投影される。 そこで震災前からのつきあいや生活の継続性・空間的広がりという時系列・空間的側面からライフスタイルの形成過程をとらえ今後を展望する。

 

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図3 コミュニティの現状と今後の課題
 
 まず、 過渡的な状況としての現在のつきあいの重点がどこにあるかをもとに分類を行った。 過去のつきあいはあまり継続しておらず、 生活の空間的範囲が仕事、 買い物など団地外に及ぶタイプがあり、 これをア)つきあい現住地・生活広域型(子育て世帯)とイ)つきあい現住地・生活広域型(高齢世帯)、 ウ)つきあい現住地と団地外・生活広域型に分けた。 つぎに、 入居前のつきあいが継続し生活空間的範囲が狭いタイプで、 エ)つきあい仮設および現住地・生活狭域型、 オ)つきあい前住地および現住地・生活狭域型がある。 さらに、 仮設や前住地の評価が高く、 現団地になじめていないタイプとしてカ)つきあい仮設・生活狭域型とキ)つきあい前住地・生活前住地型がある。 最後に、 まったくつきあいがなく、 健康状態もよくないため生活も団地内にとどまっているのがク)つきあい困難・生活狭域型である。

 さらに、 現在、 過去のつきあいのきっかけから各類型の今後の展開をみた。 その結果、 現在のアからクの8類型と、 将来想定される(1)から(5)の5類型の関係は図3のようになる。 たとえば今は前住地とのつながりが強くても、 団地が成熟すれば(3)近所づきあい・生活狭域型や(4)支援あれば自立可能・生活狭域型へ移行の可能性がある。 また高齢化がさらに進行すると、 相互扶助的コミュニティで支える段階を超え、 公的支援に依存する(5)支援中心・生活依存型の不可避的な増加が予想されるのである。 (和田)


復興団地のコミュニティにおける行政の影響と役割

 第3の分析はコミュニティ形成における行政の関わりに視点をおくものである。 復興団地におけるコミュニティの形成過程や役割において行政がどのような影響を及ぼしたかについて検証している。

 

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表1 復興住宅におけるコミュニティ・リーダーの経歴
 
 行政は下町的なコミュニティの形成と、 NPOなどの協力を得ることで、 復興団地における問題の解決にあたることを想定し、 自治会がそれを担うことを期待した。 確かに仮設住宅において自治会は大きな役割を果たしたが、 それは行政との窓口の機能が中心であったからである。 表1のように仮設住宅のリーダー達が復興住宅でもリーダーとなっているが、 このことは二つの意味を持つ。 まず仮設住宅から復興住宅へ連続性があり、 仮設住宅同様、 自治会結成に行政の影響力があったということである。 住民側も生活全般に関わるコミュニティには、 自治会しかないと考えてしまい、 自発的服従による下方排除、 つまり行政におもねて住民が自治会以外のものを自ら進んで排除してしまうという、 一種の自主規制に陥っている。 もう一つは、 震災前のコミュニティ運営の手法が復興住宅では用いられないということである。 震災前の居住地に下町的なコミュニティがあったのかといった点は別としても、 少なくとも復興住宅のリーダー達に震災前のコミュニティ運営の影響はない。 新しい方法でコミュニティが運営されている。 行政への依存が減ることは、 財政上の面から行政も望んでいることである。 とはいえ、 現状をみる限り地域のコミュニティが成熟したとはいい難く、 LSAなど公的機関への依存は強いと思われる。

 しかし仮設住宅と違い復興住宅ではコミュニティに対する考え方も多様である。 自治会で考える、 組織で考える、 あるいは灘の浜団地という地域だけで考えるからこそコミュニティが成熟していないとなるのではないか。 つまりこれまでのコミュニティの考え方に限界がある。 しかも自治会の設立過程における行政の影響は、 自治会が公的な組織であるという意識を生み、 自治会長が高齢者の面倒をみる、 あるいはボランティアに頼らないことが自立と考えるといった状況に繋がる。 自治会であるがゆえに柔軟な対応ができなくなっているのである。 (田端)


コミュニティ形成と団地空間構成

 最後の論点は復興団地の空間に注目した検討である。 住戸、 住棟から団地内施設さらに団地外にひろがる物的空間をコミュニケーション空間ととらえ、 そこでの生活行動領域とつきあいがどのように対応し、 重層的なコミュニティを支えうるかを論じた。

 

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表2 生活行動領域と交流場所によるタイプ
 
 居住者の主な生活行動の領域とつきあいの空間はそれぞれの年齢や健康状態などに応じて、 住戸内、 住棟内にとどまる場合、 住戸から団地内にあるもの、 団地外におよぶものに大別される。 このような生活行動の領域とつきあいの場との関係から表2の6つのパターンを抽出した。 このうち重層的なコミュニティ活動を空間に対応してバランスよく形成しているのはタイプI(広領域・重層的コミュニティ形成型)であり、 それ以外は程度の差はあれ偏っている。 とりわけ、 タイプIIIやタイプIV(限定領域・PN形成型)さらにタイプV(限定領域・ネットワーク疎外型)は生活行動領域が限定され、 住戸回りあるいは住棟内に限定されたPNにのみ依存しているか、 ネットワークをまったく形成できない状況にある。

 こうした偏り発生の要因の一つとして立地や住宅形式など住環境の変化が考えられる。 ヒアリング対象者の震災前の住宅形式は長屋、 文化住宅、 木賃アパートが多く、 交流環境として、 長屋など低層で柔らかな共同居住形式や仮設住宅の開放的な集住形態から、 一挙に閉鎖的で堅固な環境に変化したことのギャップは大きい。 ただ、 このギャップに対する順応の仕方はかなり個人差がある。 さまざまな要因からコミュニケーションの困難な人にとって、 このギャップは重くのしかかっている。 とくに住戸回りの閉鎖性に対する不満が多く、 仮設住宅の解放性と比較して現住宅により閉鎖感を感じている。 PNの欠如した人ほど復興団地の物的空間がコミュニティ形成を阻害していると感じているのである。 (三輪)


おわりに

 ヒアリングという手法が全体像をつかめるかという問題はあるにしろ、 住宅を訪問し直接話をうかがうことで数字に示す以上に多くの含みある内容を感得した。 そこから得られた課題は多岐にわたる。 ただ灘の浜はようやく3年目を迎える。 コミュニティの成熟を結論づけるにはあまりに時期尚早である。 提言については別途機会を得たい。 最後に調査にご協力いただいた灘の浜の皆さまをはじめ数多くの方々に感謝いたします。 (本稿は灘の浜WG各メンバーの論文をもとに三輪がとりまとめたものです。 )


 

台湾被災地調査報告/住みつづけたくなるような仮設住宅村を訪ねて

石東・都市環境研究室 石東 直子

 阪神・淡路大震災から7年目を迎え、 台湾921集集地震から1年4カ月になります。 まだまだ深い傷痕が残っていますが、 1月がくると、 わたしたちは悲しみを新たにし、 殊の外、 進む復興がほんまもんかどうかを気にかけます。

 昨年12月に、 「阪神・淡路大震災および台湾集集大震災における復興まちづくり国際共同研究(研究代表者:神戸芸術工科大学齊木教授)」の研究協力者のひとりとして台湾の現地調査に参画し、 当地のいくつかの仮設住宅の現状を見る機会に恵まれました。 その中のひとつ「馨園一村」では、 神戸・阪神間の被災地で御用済みになった仮設住宅が海を渡り、 当地でハードとソフトの手が加えられて、 みごとに輝いていました。 わが地で機能していた時とは雲泥の差をもった住み心地のいい仮設住宅村の中に納まり、 南国の気候と被災地全域にネットワークされた支援組織「台湾基督長老教会921社区重建関懐站」のサポートのもとに、 しっかりと2度目の任務を担っていました。 台湾の仮設住宅村の建設・運営の状況は、 次の災害に備えた復旧復興のための事前計画として学ぶべき点が沢山ありました。

 それらの状況の一端を写真を添えてビジュアルに報告します。 なお、 写真の多くは同行の小林郁雄さんの撮影です。

◇「馨園一村」仮設住宅村
 台湾の台中県東勢鎮は人口約6万人の町で、 1999年9月21日の大地震で、 385名の死者と99名の重傷者、 全半壊家屋率66%という大きな被害を受けました。 仮設住宅は3カ所に建設されていますが、 そのうちののひとつ、 町はずれにある旧軍隊病院の敷地に「馨園一村」という名の100戸のプレハブ仮設住宅村が建設されています。

 

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写真0 「馨園一村」の案内板 写真1 「馨園一村」の入口からみた風景。右の木陰に電話ボックスが並んでいる。
 
 仮設住宅村は写真0で見るように、 40棟ほどのプレハブ仮設住棟が平行配置で並び、 中央部にいくつかの施設棟(コンビニエンスストアの7ELEVEN、 事務室と会議室、 活動センター、 保育所・幼稚園や児童保育のためのセンター、 母親活動教室、 診療所)とプレイグランドなどがあります。 続いて木陰の芝生休憩場があり、 敷地奥には大きな駐車場もあります。 仮設とはいえ生活利便施設が整った快適な住宅団地です。

 余談になりますが、 団地計画などのプランナーでもある私は、 震災後わが地のいくつもの仮設住宅地を訪れた時に、 なぜプランナーの手が建設に携わらなかったのかと悔やんだものです。 わが地の仮設住宅地で指摘されたような初歩的な居住環境の不備は、 ここ台湾の仮設住宅村では生じておらず、 仮設住宅といえども人生には仮設の生活はないはずだということを実感させてくれました。

◇安親班・幼稚園
 被災した子供たちが健やかに育つようにと、 保育所、 幼稚園、 学童保育教室などが設けられて、 それぞれの年齢に対応したケアがなされています。 仮設住宅以外からも子供たちが通って来ています。 ここでは、 保育所や幼稚園などの有資格教師以外に、 地域の婦人たちが再就職(現地では「婦女二度就業」と言う)の場として雇用され、 子供たちの課外活動の指導をしています(コミュニティビジネスのひとつです)。 また、 被災した親たちの心のケアや生活再建のための母親教室も開かれています。

 このような子供たちを慈しむサポートが行き届いているのをみて、 子供たちは今回の地震による心の痛手の速やかな回復に加えて、 災害があってもこのように護られるのだということを体験して、 防ぐことのできない自然災害に脅えることなく健やかに成長することができるのではないかと感動しました。

 

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写真2 安親班・幼稚園の案内絵 写真3 積み木で遊ぶ幼児クラスと先生/後ろには大人向けの健康機器が並ぶ 写真4 発音記号を勉強する幼稚園児の学習/教材や壁に貼られた絵が楽しい
 
 
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写真5 同 写真6 学童の補習室/学校から帰って来たら、補習や宿題をしたり、遊具で遊んだりする 写真7 冬至にお雑煮を食べるという台湾の風習で、この日は学童たちが指導員のお姉さんやおばちゃんと一緒におもちを丸めお雑煮のおやつを作った。これは楽しい生活実習でもあり、小林郁雄さんもお相伴。
 
 
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写真8 同 写真9 同 写真10 子供施設前のプレイロット。人工芝が敷かれて、遊具がある。
 
◇日常の生活環境の利便性と快適性
 わが地の仮設住宅地の殺伐とした状況や生活利便性の欠如は、 多方面から指摘されました。 恐怖に遭遇した人たちに雨露を凌ぐ住宅を提供しただけでは、 余りにも非情です。 この地の住み続けたくなるような快適な住環境を備えた仮設住宅村を歩きながら、 わが地との落差を思い出し、 恥ずかしく感じた次第です。

 この「馨園一村」だけが特別に優れた環境を備えた仮設住宅村だというわけではなくて、 訪れた他の2カ所の仮設住宅でも大差なく快適空間が創出されていました。 仮設住宅で美容院の営業も見つけました。 わが地の仮設住宅では針灸や按摩などの生業の看板を出すことすらも禁止されていましたが、 ここでは分かりやすく大きな看板を掲げていました。 仮設住宅でもできるような生業が許されれば、 被災者の生活復興が促進されます。

 

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写真11 100戸程の小規模仮設住宅なのにコンビニエンスストアが設けられている。車椅子の人も利用できるように配慮されている7elevenの前。 写真12 メインストリートに面した芝生休憩所の緑陰下でくつろぐ高齢者たち。絵になるような光景。 写真13 阪神・淡路大震災の仮設住宅は海を渡り、帽子を被せられた。雨漏りがひどくなったので、大屋根が被せられ、それによって断熱効果も良くなり、深い軒が連なり、住み心地が抜群にアップしたようだ。
 
 
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写真14 妻側の住棟間にも大屋根が連なっているので、涼しい通路となり、雨が当たらないのでバイクや自転車がおかれたり、洗濯物が干されたりしている。 写真15 大屋根によって軒が連なり、長屋のような暖かい雰囲気ができたし、深い軒下に便利な生活スペースができた。 写真16 ゆったりした住棟間は木陰の芝生広場であったり、みごとな花園が作られたり、洗濯物がなびいたり、さまざまな快適空間が創出されている。
 
 
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写真17 同 写真18 同 写真19 軒先で娘の散髪をする家族。
 
◇「台湾基督長老教会921社区重建関懐站」

 これは、 大震災の救援と復興のために設置された台湾基督長老教会による「地域復興ケアセンター」で、 被災地全域に17カ所(2000年末)が設置さています。 その設置経過や活動内容などについて、 説明パンフレットには次のように記されています(一部略)。 <1999年9月21日の大地震は、 台湾中部に重大な損害をもたらし、 親戚同胞の命の喪失(死亡あるいは行方不明者2488人)、 全半壊家屋10万戸余り、 地域からの離散、 産業の停止、 失業と、 さらに多くの人々の心に恐怖と不安をもたらしました。 震災直後から、 国内外の長老教会の奉仕と使命に賛同する友人や各地の信者たちがかって例をみないような多額な献金を捧げてくださいました。 台湾基督長老教会は震災の初期に積極的な緊急援助をし、 また全半壊した教会堂の再建に仮設住宅を建てて協力し、 さらに「地域復興ケアセンター」を設置するという長期計画を立て、 震災後2カ月してケアセンターを設立しました。

 地域復興ケアセンターの役割と任務は、 (1)地域の人文や地理変化の記録 (2)地域住民の訪問 (3)住民のさまざまな質問への対応や他機関への連絡紹介 (4)被災後の心理指導と復興 (5)居住地の老人のケア (6)地域コミュニティの組織化などですが、 さらに、 各地域の特性によって、 各々のケアセンターが独自の活動を発展させています。 例えば、 地域婦人を募って居住地の老人へのホームケアサービスをしたり、 ボランテイアによって夏休みや冬休みに児童や青少年のため活動を催します。 >というものです。

 前述の「馨園一村」は政府が建設した仮設住宅村ですが、 その居住者たちの居住サポートは主として「台湾基督長老教会東勢社区重建関懐站」が行っており、 既述したような仮設住宅村でのサポート以外に、 町中にある教会堂が地域復興ケアセンターとして地域に開放され、 地域の居住者に対するさまざまなサポート活動を行っています。 地域の高齢者や婦人向けのパソコン教室、 単親家庭の訪問、 在宅居住者の家庭訪問、 青少年の日々の学習と休日の課外活動、 父母対象の成長教室、 地域住民へのお茶会などをとおして、 震災による心のケアと回復、 活動サポーターとして雇用し婦女の再就職の場の提供、 コミュニティの再建などに取り組んでいます。 神戸の鷹取コミュニティセンターととても似通っており、 昨年12月には、 台湾基督長老教会の各地のケアセンターで活動している人たちが神戸を訪れ、 関係活動団体や支援者たちと交流をもちました。

 

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写真20 台湾基督長老教会東勢教会の地域復興ケアセンター 写真21 ケアセンター内部の情景
 
◇台湾の高齢者の状況
 わが被災地では高齢者への対応が大きな関心事のひとつであり、 わたしの被災地サポート活動も高齢者に関わるものが大きな位置を占めています。 台湾では高齢者の状況はどうなんだろうと、 気にしながら見てまわっていたのですが、 あまり高齢者に特化した話は聞けませんでした。 むしろ幼児や青少年の対応がしっかりとなされているのが印象的でした。 たまたま帰路の機内で読んだ新聞(YOMISAT)で、 台湾の高齢者の状況についての次のような記事を目にしました。

 1999年末の台湾の65歳以上の人口は、 約186万5000人で、 全人口の8.4%ですが、 10年前に比べると2.4ポイントの上昇です。 このような高齢化の進行と合わせて、 経済発展や政治の民主化による権利意識の向上によって、 高齢者福祉に対する関心も高まりつつあり、 経済や社会形態の変化によって従来のように高齢者の対応を家庭ばかりに頼っていられなくなってきたと記述しています。 しかし、 現在はまだ台湾では子供が親を扶養することが当然だと考えられているようで、 台湾の内務省が2000年に行った高齢者調査によると、 65歳以上の高齢者では生活費を「子供から援助してもらう」という人が最も多く、 全体の47%を占め、 次いで「退職金、 保険給付金」が15%で、 「労働収入」を得ている人は14%と少なく、 台湾の人は「仕事を引退してからが人生」、 「人生は仕事よりも楽しむもの」というのが、 多くの人のモットーのようです。 さらに調査結果を分析し、 台湾の高齢者は大部分が経済的にも満足、 健康もまずまず、 好きなことができて、 親孝行な子供たちに囲まれて、 なかなか幸せのようだと結んでいます。

 (注釈)ここに報告しました内容は、 私が見聞した台湾の震災復興の一場面です。


 

震災復興で、 神戸から教えられたこと

都市基盤整備公団 田中 貢

 公団は、 神戸でいろいろ鍛えられた。 震災復興事業でお手伝いという立場でスタートしながら、 結果公団が事業主体となりこなした業務も数多い。 ところが反対に公団が神戸から教えられたことがそれ以上により多かったと思われる。

事例をあげれば。

1.神戸にはこわい先生が多い。

 計画の大御所G先生、 かつてはちょんまげだったM先生、 大声のT設計家等に代表される。 みな「何でこんなことを公団ができないの」「権利者意向がまとまれば制度を工夫して組み立てるのは公団の仕事、 できなければ制度を変えればいい」「馬に食わせるほど資料づくりばかりさせ、 肝心の現場は二の次。 」心にずっしり来る注文ばかり。 叫べど応えずの状況だが、 叫びつづけねば時代が変わらない。 継続は力なりの実践をと私も思う。

2.地元まち協リーダーはやさしく力もち。

 東川崎のG会長、 鷹取東のK会長、 味泥のM会長、 そしてヒゲのN連合会長等、 みなさん注文も激しいが、 真剣にまちの将来像がどうあるべきか、 いつも考えている。

ハードの道・公園だけでなく、 商業活性化、 高齢者対応、 まちなみ景観、 まちの情報交換までいろいろ多様なまちづくり仕事をこなしている。

3.学校も実業に協力的。

 地元のK大学が、 震災復興に大きな役割をこなしている。 学究としての学術面の真理追究だけでなく、 実際面でのその学問の生かし方を考えている。 社会から支えられる学問のあり方を基本としているように思われる。 そしてそれは工学、 法学、 経済、 人間科学と多方面で支援している。

 行政、 学校、 コンサル、 地元が一体となり、 住み良いまちづくりを実践しようと4者ががっちりと組み合っているように思う。 神戸の偉大さはそこが一番。 これは、 結果的にコンパクトシティの先取りかも知れないと感じられる。

 以上の神戸での教えに感謝し、 右欄記載の「まちづくり研究」を行う。 事務局は御蔵のNPOまち・コミュニケーションと阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワークに協力をいただいている。 その結果を「きんもくせい」の紙面を借りて発表する(計12回予定)。 ついては数多くの批判、 応援の声を寄せられたい。

Eメール:m-tanaka01@udc.go.jpまで

「公団まちづくり研究会」について

1.趣旨
 住民主体のまちづくりとか安全安心のまちづくりとか叫ばれているが、 果たしてその仕掛けや過程はどうすべきなのか。 地域に住む住民意向を汲み上げる手段をどうするか。 その声が全体の意見なのか。 部分の声なのか。 グループ化された意見なのか。 そしてその声を行政にどうつなぎ反映させれるのか。 NPO世界からみてどうなのか。 そしてその中で公団が果たす役割とはなにかを検討したい。

 総合化の視点からは、 市民と行政の協働のまちづくりが、 まちの将来像とその達成手段を共有化し、 これらの自治体権限の拡大と分権社会のまちづくりに寄与すると思われる。

 市民参加の視点からは、 市民が社会的課題に関心を持つ成熟社会にあって、 その協働のまちづくりが、 市民の政策的知識を高める学習装置として機能することにより、 行政的公共性より市民的公共性を優先したまちづくりの実践につながる。

 自主自立の視点からは、 地域固有の課題を解く仕組みなど、 その協働まちづくりによる独自の試みや主体的な発想が、 市町村の政策形成能力を高め、 行財政システムの自発的変革を促すことが期待される。

 これらの議論展開の結果、 世評を踏まえ、 自らアンテナをあげ、 自ら軌道修正しながらかかる課題をしなやかに解決する気力を創造させる機会(場)としたい。

2.全体テーマ
 「これからの住まいづくり・まちづくりをどう考えるか」

3.進め方
 若手公団職員が主体となって会を組織し、 月1回の講演会及び討論会形式で、 各回2名の講師を招聘しその2者の論争に加わわりながら討論する。

 そして、 その講演及び討論結果を広く世評に問う。

4.結果
 社会からの厳しい反応、 温かい支援を受け、 全体テーマの真理を追究する。 その延長上に「期待される公団論」もあると考えられる。

 そして検討結果ばかりか検討のプロセスを大事にしたい。 与えられたテーマをどう消化するか、 どう関連検討を行い、 どう評価するか。 Plan+do+checkのストーリーを大事にして進める。


情報コーナー

 

神戸市民まちづくり支援ネットワーク
第36回連絡会記録

 今回の連絡会のテーマは、 サスティナブルコミュニティで、 1月10日、 神戸勤労会館において行われました。

 

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 小林郁雄さん(コー・プラン)から「コンパクトシティ−小規模分散自律生活圏のネットワーク社会−」について1時間ほど解説があり、 “コンパクトシティ”は、 環境−コミュニティ−地域経済がつながった個性豊かなまち“コンパクトタウン(自律生活圏)”が多重にネットワークしている社会で、 “コンパクトタウン”は、 5,000〜30,000人ぐらいの規模を持つこと、 被災地では住民主体のまちづくりやコミュニティビジネスなどが活発に展開しており、 こういった活動を今後とも展開していくときの包括的な概念として提唱されている、 といった内容のことが話されました。 その後討議が行われ、 サスティナブルコミュニティとコンパクトシティはどう違うのか、 コンパクトシティと現実の経済社会活動との関係等の疑問、 ニュータウンにおける近年の問題点とコンパクトシティ的考え方によるまちづくりの必要性、 などの意見が出されました。


イベント案内

第1回世界震災復興ドキュメンタリー映像祭

阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第18回連絡会

震災から芽生えた「新しい地域社会像」を考える

復興団地コミュニティ調査報告会

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