きんもくせい50+23号
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私の復興まちづくり検証

ジーユー計画研究所 後藤 祐介

連載にあたって

 私は、 阪神地域をホームグラウンドとしているまちづくりコンサルタントで、 阪神・淡路大震災は自分のグラウンドで起こった天変地異であり、 平成7年1月以降、 この復興まちづくりに無我夢中で全面的、 長期的構えで取り組んできた。

 しかし、 震災後6年を経過した現在、 まちづくりコンサルタントとしての仕事内容も徐々にポスト震災復興に移行しつつある。 ここで、 この6年間の震災復興まちづくりで何が出来たのか、 何が得られたのか、 何が今後につながるのかを振り返って整理してみようと思う。

 内容としては、 下記の6つのテーマについて2ヶ月に1回7回にわたって書かせて頂く予定である。

 

・第1回:白地地区の復興まちづくりは、 戦災復興土地区画整理がベース(2001年2月・今月)

・第2回:震災復興まちづくりは平常時(震災前)からの取り組みが有効だった。 (2001年4月)

・第3回:共同再建事業等の成就は復興特別支援のおかげ(2001年6月)

・第4回:西宮市で環境整序型まちづくりが流行(2001年8月)

・第5回:震災復興まちづくりがやらなかったこと、 出来なかったこと(2001年10月)

・第6回:震災がまちづくり専門家のネットワークを育てた(2001年12月)

・第7回:ポスト震災復興まちづくりの総括(2002年2月)

 

 この作業は言うまでもなく、 自分自身にとってのポスト震災復興へ向けての作業であり、 報告「きんもくせい」読者の皆さんに少しでも興味を持って頂ければ幸いである。


第1回 白地地区の復興まちづくりは戦災復興土地区画整理がベース

 

1)事業地区と白地地区の復興まちづくり

 阪神・淡路大震災復興まちづくりの特徴の一つに事業地区と白地地区の早期方向づけによる取組みがあげられる。

 これは兵庫県南部地震が、 大都市直下型地震であったため、 被害が甚大であったことに加え、 モザイク状であったため、 復興まちづくりにあたっては、 土地区画整理事業や市街地再開発事業等の建築制限等を伴う法定の面的事業が取り組まれた地区(これを事業地区という)とそうでない個別の自力復興に委ねられた地区(これを白地地区という)に被災後早期に方向づけられたことをさす。

 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいて、 神戸市では震災復興促進区域が約5,887haに対し、 震災復興土地区画整理事業等の事業地区は、 7地区、 約150ha(約2.6%)が指定された。 残りの約95%は白地地区であった。

 なお、 事業費投入の視点からは、 土地区画整理事業の事業地区が一般にha当たり約10億から市街地再開発事業では約100億が投じられるのに対し、 白地地区は零に等しいもので、 その落差は大変大きいものであった。

 

2)私は白地地区の復興まちづくりを支援

 私は地元のまちづくりコンサルタントとして、 震災前より支援していた地区の多くが白地地区として自力復興を促されることとなったため、 行政の支援が手薄なこれらの地区の復旧、 復興を全面的に支援をすることとなった。

 

3)「事業地区」は「戦災復興土地区画整理事業」を補充する地区

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図−1 神戸市震災復興促進区域及び重点復興地域図(平成7年3月21日神戸市発表)
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図−2 空襲による罹災区域図
 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおける復興土地区画整理事業等が実施されている事業地区は、 図−1に示す通りであるが、 これらの地区は今回の大震災で被害が甚大であった地区であることに加えて、 多くが昭和20年の空襲による罹災を免れた地区であり、 いわば戦災復興土地区画整理事業が実施されていなかった地区が多い。 即ち、 今回の阪神・淡路大震災復興まちづくりにおける事業地区は、 先の戦災復興土地区画整理事業でとり残されていた部分を補充するものであった。

 阪神・淡路復興まちづくりは、 大正末期からの昭和初期にかけて実施された耕地整理事業と戦後の復興土地区画整理事業によって築いてきた都市の基盤整備の完成度を一段とレベルアップするものとなる。

 

4)東京における「震災対策」が反面教師

 このことに気づいたのは、 伊藤滋先生が東京の震災対策における「事前復興」の必要性、 すなわち「震災対策は地震が起こってからでは遅い。 地震が起こる前から事前復興としてまちづくりに取組んでおく必要がある。 」といったお話を神戸でお聞きした時であった。

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図−3 東京都墨田区の市街地図
 越沢明先生の「東京都市計画物語」によると東京は、 後藤新平の大正末期から昭和初期にかけての帝都復興土地区画整理事業は概ね実施出来たものの、 戦災復興土地区画整理事業は設計図は出来ていたが、 主要な駅前地区を除いてほとんどが実施されなかったそうである。

 そう言われれば思い当たるのが、 図−3の東京都墨田区の全域を示す市街地図である。 この図の南半分が帝都復興土地区画整理事業施行地区であり、 北半分が非土地区画整理事業地区(スプロール地区?)である。

 このような非土地区画整理事業地区が全面的に広がっている東京の「事前復興」は大変なご苦労が予想される。

 

5)阪神地域のまちづくり(基盤整備)は東京より50年先に進んでいる。

 この墨田区北部のような市街地勢状に比べると西宮、 芦屋、 神戸に展開している阪神地域の市街地は数段レベルが高い。 阪神地域では、 大正末期から昭和初期にかけて、 芦屋や西宮においても大阪の郊外地として組合施行の耕地整理≒土地区画整理が広く実施された。 戦後も空襲による罹災地域において、 戦災復興土地区画整理事業が広く実施された。 今回の阪神・淡路大震災の復興まちづくりは、 これらの先人の蓄積をベースにした復興まちづくりと言うことが出来る。

 伊藤滋先生達が、 現在真剣に取り組んでおられる東京の「事前復興」の難しさに比べると、 我々の阪神地域は50年以上も前から「事前復興」を始めていてくれたのだ。

 

6)六甲山と空襲のおかげ

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図−4 神戸市における戦災復興区域整理区域図
 この要因としては、 まず、 昭和初期に大阪の郊外として芦屋等の耕地整理が積極的に展開されたのは、 当地域が阪急、 阪神、 国鉄等の鉄道網の整備等の条件に加えて、 六甲山の南斜面地であるという地勢条件と六甲山からの鉄砲水による水害対策として、 土地区画整理の対策が必要不可欠であったことが想像される。 また、 昭和13年の「阪神大水害」も阪神地域の人々に、 みんなが協力してまちづくりに取り組むことの必要性を促したようだ。 即ち、 六甲山の自然災害の厳しさが、 東京よりも阪神間地域において組合施行の区画整理を促進させたようだ。 そして、 不幸な昭和20年の空襲による罹災もその後の戦災復興土地区画整理事業によって「事前復興」の一助となった。

 このように見てみると近代の都市づくりは、 戦災や災害をバネにして前進していることが改めて思い知らされる。

 

7)白地地区の復興まちづくりは、 戦災復興土地区画整理事業がベース

 私が震災後取り組んできた白地地区の復興まちづくりは、 神戸の深江地区も、 新在家地区も、 西宮の安井地区も、 戦前の耕地整理地区であり、 戦災復興土地区画整理事業施行地区である。 このような一定の都市基盤が整備されている地区において、 「地区計画」制度や「まちづくり協定」制度を活用し、 個々の建築物再建の「作法」としてのルールづくりを進めてきた。 また、 住宅市街地総合整備事業や優良建築物等整備事業制度の活用による共同建替え事業を推進してきた。

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図−5 神戸市近隣住環境計画制度の概念図(うるおいのある路地づくりタイプ)
 神戸市住宅局が震災後取り組んでおられる向こう三軒両隣りからのすまい・まちづくりとして、 ヒューマンスケールの「うるおいのある路地づくり」等を具体化させる手法の「近隣住環境計画制度」も戦災復興土地区画整理がベースになっていることを忘れてはならない。

 本稿を終わるにあたって、 阪神地域において、 大正末期から昭和初期にかけての耕地整理及び、 戦災復興土地区画整理事業を進められてきた諸先輩に対し「感謝」の意を表し、 阪神地域まちづくり基盤の質の良さを喜ぶとともに、 これをベースとしたより味のある「みんなで進めるまちづくり文化」の継続と創造が我に求められている課題であることを確認し、 結びとしたい。


 

住民参加のまちづくり

都市基盤整備公団 楠本 博

はじめに

 「公団まちづくり研究会」の第1回が、 1月24日(水)18時から、 大阪・森ノ宮の都市基盤整備公団関西支社の会議室で開催されました。

 今回のテーマは「住民参加のまちづくり」です。

 当日は、 所用で関西に来られていた早稲田大学文学部の浦野正樹教授をはじめとして、 (予想に反して)公団職員以外からの出席者も多く、 活発な議論が交わされました。

 以下に当日の内容をご紹介します(文中敬称略)。


大阪国際文化公園都市(彩都)センター地区まちづくり勉強会について 
<都市公団 佐藤晶子氏>

 彩都は、 大阪府北部の丘陵地域に位置し、 公団施行の土地区画整理事業により開発が進められています。 地権者の土地活用意向調査を行ったところ、 センター地区への換地を希望する地権者の方がいたため、 平成11年にセンター地区への換地申出を実施しました。 そして平成12年5月、 魅力あるセンター地区の形成のために、 公団と行政とが協力して、 申出された地権者が参加する「彩都センター地区まちづくり勉強会」を立ち上げました。 久先生にはこの勉強会のアドバイザーとして参画していただいております。

 この勉強会が発足した背景には、 センター地区への申出が多かったために、 現在の造成計画を踏まえて換地計画を作成することが困難だったという技術的な問題もありますが、 地域の顔であるセンター地区の将来イメージを共有化し、 一緒にまちづくりを考えるためのきっかけ作りの場、 また情報提供の場、 そしてゆくゆくは合意形成の場になれば、 と考えています。

 関西では、 センター地区に一般地権者の土地を換地したことがないため、 これまでこのような活動の例も必要性ありませんでした。 そんな初めての試みでしたが、 行政サイド(茨木市・箕面市)の積極的な参画を得て、 この5月以降8回の勉強会を開催してきました。

 最初の2回の勉強会(レベル1)はウオーミングアップ(顔合わせ)、 次の2回の勉強会(レベル2)では「生活マスタープランを考えよう」というテーマでの議論、 そして4回目の勉強会からは3つの地区に分かれて「まちのコンセプト」というテーマによるワ―キング(レベル3)というような段階的な活動を、 概ね月1回ペースで行っています。 当初のスケジュールからは若干遅れており、 換地方法にかかわる合意形成の議論までは進んでいないものの、 地権者の想いや考えを引き出す方向で順調に進みつつあります。

 平成13年度には仮換地の個別説明が予定されるなど、 区画整理事業も進んでいきますが、 この勉強会での取り組みが、 地権者による自主的な合意形成の場(協議会)へと移行し、 そのまちづくり活動と事業とが、 有機的につながっていけばいいなと思います。


住民主体のまちづくりの実践に向けて
<近畿大学理工学部土木工学科助教授 久隆浩氏>

 「まちづくり」というとすぐに「事業」と捉えられてしまいます。 たしかに事業化段階にならないと行政も組織(=予算)がつかないし、 住民側も何を議論して良いのかが分かりません。 しかし事業はまちづくりのための単なる手段です。

 「事業まちづくり」は、 課題解決型の対処療法で、 いわば手術です。 その段階では時間的・精神的なゆとりがありません。 そこで、 病気を予防することと同じように、 事業が見えない段階での、 初動期のまちづくり活動、 いわば「予防まちづくり」が重要になると思います。 その事例として八尾市で取組もうとしている事例(社会実験)をご紹介します。

 現在、 八尾市では、 新しい総合計画策定を契機に、 地域経営システムの構築を行おうとしています。 ここでは地域コミュニティの活性化を目的とするために、 小学校単位で「まちづくりラウンドテーブル」という話し合いの場を設けることにしました。

 ラウンドテーブルには市民も行政も参加していますが、 旧来のように自治会長が中心になっているのではなく、 肩書にとらわれずにやる気のある人を主要メンバーに選んでいます。

 各市民は生活ニーズをラウンドテーブルに持ち込みます。 今までは各市民の生活ニーズを全て行政が聞いて解決するという構図になっていましたが、 ここでは、 話し合いの中で市民同士で解決できる問題もあるし、 場合によっては事業者という立場で解決できる問題もあるかもしれません。 そしてそのような対話を通してまちづくりのビジョンや具体的な計画が生まれてきます。

 重要なことは、 ラウンドテーブルはあくまでも対話の場であって、 そこで活動を行うことはありません。 そこでハード的な都市整備の課題があるという認識が生じ、 共有化されれば、 「街づくり協議会」などを別に組織する必要があります。

 ここで「街づくり」と「まちづくり」を区別する必要があります。 前者は地区の土地利用構想や事業にかかわる展開を、 後者はその前段にある、 もっと総合的な、 広い範囲のものを想定しています。

 たしかに解決すべき問題が明確になっていない時点でまちづくりを議論しようとすると困惑する人が殆どですが、 それぞれの人が持っている要求の裏にある実現したい生活像、 すなわち「生活マスタープラン」を探ることが重要なのです。 住民が提案した生活マスタープランを踏まえて、 行政がまちづくりマスタープランを計画するのです。

 このような初動期のまちづくりにおいては、 専門家は一歩引き下がって支援(ファシリテーター)にまわるべきです。 また、 絵を見せるとそれに議論が集中してしまうので、 この段階では見せないこと。 そしてあくまでも住民側に主体性を持ってもらうこと(=「お客さん」にならないこと)が必要です。 まちづくりラウンドテーブルも、 住民側からの発意の無い地区には作りません。 専門家側から計画を持ち込むと、 住民側は「お客さん」になってしまい、 「そっちがやりたいだけだろ」ということになってしまいます。 ただし、 事業段階になれば、 技術を持った専門家としての役割が必要になってきます。

 なお、 専門家にはファシリテーターとしての訓練が必要ですが、 住民側にも対話の訓練が必要です。 これからはコミュニケーションを通しての、 住民主体のまちづくりが求められてきます。


長田区御蔵通5丁目地域交流拠点「プラザ5」の現場から 
<兵庫商会 田中保三氏>

 【田中氏からはスライドで震災直後の地区の様子、 震災後のボランティア活動の様子などを紹介していただきました。 また御蔵通5丁目地区の共同再建事業と、 同事業の権利床部分を「プラザ5」として地域活動拠点に開放している様子などの紹介がありました。 】

 震災から6年経ちましたが、 人はまだ戻ってきていません。 ボランティア活動でイベントを開催しているのは、 震災によって散り散りになった住民を、 イベントを通して集めようとしたためです。 そのような活動を通して地域のレベルを上げたいと考えています。 「子供はみんなで育てて、 年寄りは皆で見守る」という視点が重要です。

 自分自身ができることについては、 やるべきです(不作為の悪という言葉もあります)。 まちづくりについても、 自分でできることは自分で、 自分でできないことは地域で、 地域でできないことは市に頼むというスタンスであり、 市に頼むことが最初ではありません。

 公団の人には、 まちづくりの中に自分自身を埋没させてほしい。 本気で取組めば、 誰かが味方になってくれます。 仕事から逃げようとしたら、 逆に追いかけられて潰されてしまいます。 まちなかに出ることによって解決策が出ることもあります。

 

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研究会の様子
 

意見交換

 市民に対する説明責任をどうするのかという議論があり、 田中氏からは「相手を信頼するという懐の深さが必要で、 相手に不信感を持つと、 それが鏡のように自分に跳ね返ってくる」という意見が、 久氏からは「説明者が十分に納得できていないから説明できないのであって、 組織の中で十分議論することが必要。 」という意見がありました。

 また、 実務を行っている担当者からの意見として「親身になって説明しても理解してもらえない場合が多々ある、 また日本は欧米に比べて公共性の概念がまだ育っていないのでは」というような意見(悲鳴)がありました。 それについて「自分の利益だけで意見を言っている人は周りの人も解ってくる、 公共性ということも話をすれば浸透していく」(久氏)という暖かい励ましの言葉を頂きました。

 また、 コープランの小林氏から「ラウンドテーブルはともすればサロン化してしまい、 本当にやるべき行政的課題に対応できるのだろうか」という質問があり、 久氏は「雑談するだけのサロンでも良い、 ここで全てが決まる必要はない。 しかし3時間の雑談の中に5分でも重要な問題が含まれている場合もある。 」という旨の回答がありました。

 浦野氏からは「人と人とが話す場が少なくなってきていることが問題。 まちづくりを男性だけで議論すると手続論だけに偏ってしまうので、 女性の話も必要」という意見が出ました。


最後に

 今回の活動は始まったばかりであり、 今後どのような展開になるかは分かりません。 第2回は神戸市市民活動支援課の井上課長と、 龍谷大学の広原教授との対談を予定しており、 また本欄をお借りして内容をご報告します。


 

盛大に祝った「ふれあい住宅」の成人式
−「ふれあい住宅連絡会」が発足

石東・都市環境研究室 石東 直子

 1月21日の午後、 三宮フェニックスプラザで「ふれあい住宅連絡会」発足記念の集いを開催しました。 居住者39名に、 来賓と一般参加者とで合わせて約100名が集い、 第1部はふれあい住宅連絡会の会則の検討・承認と世話役の選出をおごそかに行い、 第2部は片山ふれあい住宅の居住者によるコント、 港島婦人会のコーラスとポー住宝寿会の大正琴の演奏に、 来賓の方々からのひとこと声援をいただき、 なごやかでかつ盛大に発足を祝いました。

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【ふれあい住宅連絡会】発足記念の集い 案内チラシ 選出された各ふれあい住宅の世話役 世話役代表(南本町・牛島さん)のあいさつ 片山ふれあい住宅居住者(岩熊さんと近江さんの名コンビ) 港島婦人会コーラスの特別出演
 


成人式/子離れ儀式

 震災で芽生えた全国初の公営コレクティブハウジング(ふれあい住宅)10地区341戸は、 入居してから長い住宅で3年半あまり、 最も短い住宅でも間もなく丸2年になります。 協同居住という新しい住まい方に対して、 入居前後から居住者の戸惑いは多々ありましたが、 コレクティブハウジング事業推進応援団や関係者たちの居住サポートのもとに、 少しづつ独自の協同居住を育んできました。 そしてこの度、 ふれあい住宅の居住者たちがサポーターの手を離れて、 自律した「ふれあい住宅連絡会」を発足させることになりました。

 コレクティブ応援団は震災の年の9月に発足し、 復興公営住宅にコレクティブハウジングの事業化を提案し、 定期的な公開ミーティングを開催して被災地にコレクティブハウジングの情報を広め、 多くの応援団メンバーを募り仮設住宅への出前説明会をしたり、 神戸市や兵庫県とは計画立案のために協働してきました。 住宅が建設され、 入居者の顔が見えてからは、 入居前から現在にいたるまで、 多種多様な居住サポート(お節介)を続けてきましたが、 わたしたち応援団のサポートの最終目標は、 「居住者たちが自律して、 独自の協同居住が展開できるように」というものでした。 そのためのお節介プログラムを居住者と共に楽しんでやってきましたが、 「応援団さんのお節介はもうええよ。 自分たちでネットワークを組んでやってみるわ」ということになりました。 ふれあい住宅の成人式です。 応援団からみれば子離れ儀式です。

 震災直後にコレクティブハウジングを発想し、 現在まで喜んだり、 悲しんだり、 失望したり、 また喜んだりして続けてきた先導的なサポートは7年目にしてひと区切りがつき、 今後はコレクティブ応援団は後方支援にまわります。


ふれあい住宅連絡会の効用と期待

 現在、 10地区のふれあい住宅の協同居住の状況はさまざまです。 下町長屋のように隣人との自然な行き来がなされている住宅、 月ごとにみんなで食事会や誕生会をして賑やかで和やかなひと時をもっている住宅、 餅つきや新年会、 雛祭りなどが慣例になっている住宅、 愛好者たちによるガーデニングや手芸教室、 料理教室を楽しんだり、 ボランテイア登録をして助け合い活動をしている住宅もあります。 しかし一方、 まだ居住者の中に協同居住の良さが理解されず自分の部屋に閉じこもってしまっている人たちが少なくない住宅もあります。 自治会長が代わるたびに状況が一変し、 また自治会長が自由に協同室を使わせないという横暴が続くようになった住宅もあります。 もう自分たちの住宅だけでは解決が難しいような状況に陥っている住宅に対しては、 「ふれあい住宅連絡会」が一緒にいい協同居住を育もうよと呼びかけて、 少しでも明るい方向に歩み始めるようになることが期待できます。 これまで外部のコレクティブ応援団等が呼びかけていたよりも、 ふれあい住宅居住者どうしの誘いはずっと効果があると思います。

 ふれあい住宅の居住者の悩ましい問題は、 居住者の中に協同居住を阻害するような人・状況が生じてくることです。 既に現実の問題になっているのですが、 ひとつは共益費(協同居住運営費)を払わない人がいるということです。 入居前に県からの説明を受けて納得して入居したにもかかわらず、 入居後に払おうとしません。 この対応は自治会に負かされてしまっていますが、 自治会では対応しきれない状況に陥っている場合は、 ふれあい住宅の入居資格がないということで、 住宅供給主体(県や市)に然るべき対応策を求めなければなりません。 他の住宅に移ってもらうための受皿住宅の用意なども必要ですが、 現行制度では適応できません。 また、 入居してみてふれあい住宅の住まい方が自分に合わないので出て行きたい人にとっても他の公営住宅に移ることが制度上できません。

 次に、 加齢によって自立して生活ができなくなった居住者、 例えば寝たきり状態や痴呆症がひどくなった人が出てきて、 全体の協同居住のリズムを崩してしまうような状況があります。 一般の住宅に比べると、 居住者相互の支え合いでしのげる度合いは大きいですが、 限度を越えてしまうような状況になった場合の対応については、 一緒に生活してきた居住者だからこそ、 適切な施設への入所を勧めにくいということもあります。 また、 居住者の身内の中にはふれあい住宅は世話が必要になっても誰かが世話してくれる住宅だろうと勘違いしている場合も少なくないと聞いています。

 このような状況が生じているふれあい住宅ではそれが固有の問題として悩むよりも、 ふれあい住宅全体でその経験を共有し、 適切な外部からの支援も得てふれあい住宅連絡会で対応策を検討していくこと必要でしょう。

 なお、 何よりうれしいことには、 この震災で芽生えた新しい住まい方は日本中で注目されているのだから、 自分たちで学びながら、 日本的なコレクティブハウジングを根付かせ、 広めていきたいという想いをもっている居住者が、 ふれあい住宅連絡会の世話役になっておられます。 居住者の加齢や社会状況の変化に伴って、 これから生じてくるであろう様々な生活上の課題については、 当事者の居住者どうしが解決策を検討するのが第一です。

 わたしは時々訪ねて、 居住者たちの自主的な展開を見つめていきたいと思っています。

<ふれあい住宅連絡会ではいろんなことができると思っています。

 何ができそうなのか、 夢を語ってもらって、 それを少しづつかたちにしてほしいと期待しています。 例えば、 相互助け合いのためのふれあいチケット(エコマネー)の発行、 近くのふれあい住宅どうしが定期的に食堂をオープンして会食や配食サービスをする、 合同の小旅行やレクリエーションを楽しむ、 ......。 もっと先には、 ふれあい住宅居住者だけを対象とするものから範囲を広げての活動も期待しています。 例えば、 協同居住したい人たちへのコーデネイトなどは体験者としての知恵が発揮できます。

 10地区のふれあい住宅には優れたリーダーや発想豊かな人、 堅実な人や優しい人、 楽しみ上手な人など、 人材が豊かです。 ゆるやかなネットワークを組んで、 深刻ぶらずに仲間が500人近くもいるんだから心丈夫だと思って歩んでほしいと思っています。

 「あっ、 せっかく子離れしたのに、 またお節介の口出ししてる...!」 >


ふれあい住宅連絡会の会則

 ふれあい住宅連絡会の準備会で草案を練り、 21日の発足会で検討・承認された会則は12条からなります。 会則にはふれあい住宅連絡会の目的と事業(=活動)を次のように謳っています。

 第2条(目 的)

  1. 本会は、 1995年の阪神・淡路大震災の復興事業として建設された、 全国初の公営コレクティブハウジング(以下「ふれあい住宅」と称す)の居住者たちが相互に交流し、 親睦を深め、 共通の課題の対応策を考えたり、 時には共にイベントを開催するなどして、 安心して楽しく暮らせる協同居住を育んでいくことを目的とする。

  2. 本会は、 歳月の経過によって生じてくるであろうさまざまな協同居住の問題、 とりわけふれあい住宅の居住者だけでは解決が難しいような問題に対して、 関係機関や支援者などに対応策やアドバイスを求めるときに、 居住者を代表した組織となることを目的とする。

 第4条(事 業=活 動)

  本会は、 前条の目的を達成するために次のような活動をおこなう。

  1. ふれあい住宅間の連けいを保つためにの交流活動をおこなう(たとえば、 定例交流会、 親睦のための合同イベントなど)。

  2. 協同居住にかかわる課題を検討するための会合や関係機関などと会議をおこなう。

  3. 安心して楽しく暮らせる協同居住を育むための情報収集や提供、 専門家などのアドバイスを受けるための活動をおこなう。

  4. 協同居住がうまくいかないで困っているふれあい住宅を支援するための活動をおこなう。

  5. 震災で生まれた新しい住まい(ふれあい住宅=コレクティブハウジング)を拡げるための活動をおこなう。


決意表明とたくさんの声援

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学生応援団(神戸大・新田さん)からの声援 応援団(森栗さん)からの激励のひとこと 世話役副代表(大倉山・岩崎さん)のあいさつ
 

 当日は、 各ふれあい住宅の世話役の中から選ばれたふれあい住宅連絡会の世話役代表と副代表からの決意表明と来賓の方々からひとこと声援をいただきました。 以下にいくつかを記します。

 「震災時は近くの小学校に避難し、 その後仮設住宅に入居し、 南本町のふれあい住宅に入居した。 入居直後は新しい住まい方に戸惑い、 一時はどうなることかと思ったが、 コレクティブ応援団や県担当者などのアドバイスがあり、 少しづつふれあい生活といものに慣れてきた。 入居者は65歳から90歳までおり、 これから先どうなることかと心配しているが、 やれるだけやってみる。 できなければまた応援団の支援を求めたい。 世話役代表として力になるよう努力します(世話役代表)」

 「ふれあい住宅の居住者の皆さんがこのような自律したネットワークを組むのはすばらしい。 全国へ発信したい。 東京で活動しているグループにとっても大きな励みになる(東京からの応援団)」

 「新しいスタートおめでとうございます。 行政と居住者というのは対決する場面が多いが、 今日はうれしい。 震災直後に応援団からふれあい住宅の提案があり、 事業化することにした。 入居前から今まで応援団がサポートしてくれたが、 居住者が自律してスタートすることは喜ばしいことだ。 ふれあい住宅連絡会が圧力団体になるのでなく、 行政とも一緒に協同居住を育むために必要な対応策を考えていくようになることを望みます(神戸市職員)」

 「被災者が自分たちで立ち上がって問題解決していく第一歩を踏み出したことはすばらしい。 そのために必要な支援は大いに支援しよう!(被災者復興支援会議 のメンバー)」

 「平成8年の仮設住宅居住者の調査で、 協同居住についてのニーズが11.5%あったので、 被災者復興支援会議などの提案もがあり、 事業化に踏み切った。 これから独り立ちしていくことをうれしく思う。 (県職員)」

 「片山ふれあい住宅の入居前から担当している。 様々な問題に対して出来る限り支援してきたが、 行政なので踏み込めないという限界がある。 現在、 県営コレクティブハウジングの空家入居については入居希望者の登録受付を行っており、 登録受付後に説明会や書類審査をして、 抽選により住宅の斡旋順位を決定し登録者名簿を作成する。 有効期限は1年間。 (県職員)」

 「神戸大学灘地域活動センターとして、 岩屋北町ふれあい住宅と隣棟の県営住宅とのお茶会を継続してやっている。 片山ふれあい住宅のコントのように、 楽しく生活してほしい。 (学生応援団)」

 「がんばってネというとしんどいので、 できるだけちょぼちょぼ、 楽しく住んだらいいと思う。 100人のうち5人、 6人が同じ気持ちになってもらったら楽しいのではないかと思う。 今を楽しむ仲間を増やしてほしい。 (応援団のMさん)」

 最後に世話役副代表からは、 「たくさんの力強い声援をありがとうございました。 お互いに今日のこと忘れずに必ず成功させたい。 ふれあい生活はまだまだ未熟だが、 一人ひとりの悩みを連絡会にぶつけてほしい。 連絡会で検討して、 前に進んでいきたい。 今日出演してくださったコーラスの皆さんの背筋がピンと伸びているのは、 楽しくなる場を共有しているからだと思う」という決意表明がありました。

 たくさんの方々が応援しているので、 安心して歩みだしてください。 できれば毎年こんな楽しいイベントが開かれたらいいなと思います。


 

南芦屋浜復興団地のコミュニティ形成

復興団地コミュニティ調査研究会・南芦屋浜ワーキンググループ
小浦久子 秋月裕子 渡邊としえ 渥美公秀
 山崎古都子 小伊藤亜希子 吉川健一郎

南芦屋浜団地の概要とコミュニティ形成支援

 南芦屋浜団地は芦屋市域の南端に位置する埋立地にあり、 周辺整備が進んでいないため、 生活関連施設利用が不便な立地にある。 市営400戸(シルバーハウジング144戸)・県営414戸(同120戸)が建設され798世帯1,510人(2000年3月)が暮らしている。

 居住者の多くは芦屋市内で被災した人で、 65歳以上の高齢者のいる世帯が60%(高齢のみ世帯44%)と、 高齢化率が非常に高く、 また住み慣れた地域を離れ、 多くの人が一挙に入居したことから、 生活支援とコミュニティ形成が大きな課題になると考えられた。

 このため、 南芦屋浜団地では、 計画段階からコミュニティ形成支援が検討され、 (1)入居前の暮らしのワークショップ、 (2)コミュニティアートとだんだん畑、 (3)ゆとりのある共有空間、 (4)LSA(ライフ・サポート・アドバイザー)の24時間常駐といった試みが行われている。

 なかでも24時間LSAサービス(支援住戸260戸)は高齢世帯の生活の安定に大きく寄与している。 基本業務は安否確認(訪問)、 緊急通報への対応、 生活相談であるが、 買い物やシップ貼り、 荷物の出し入れなど一時的家事援助が、 生活の自立を支えている。

 だんだん畑(写真1・2)は居住者が野菜や花を育てることで完成するアートとして構想され、 居住者が主体的に関わることでコミュニケーションや付き合いの機会づくりにつながることが期待された。 ボランティアの支援を得て、 積極的に畑づくりに関わる人だけでなく、 通りがかりに声をかけたり、 部屋から眺めたり、 収穫祭に参加するなど、 多様な関わりが見られるようになっている。

 

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写真1 住棟間にもうけられただんだん畑 写真2 だんだん畑のコミュニケーション
 
 98年3月の入居後、 県営では99年2月、 市営は98年9月に自治会ができた。 当初は共益費の徴収と団地の共用空間の管理を担う主体という役割が強かったが、 多くの問題をかかえながらも次第に地域活動型の自治会へと移行しつつある。

 入居当初は、 高齢者の外出機会の創出と付き合いのきっかけづくりに、 ボランティアやLSAによるお食事会等が開催されていたが、 現在は開かれていない。 集会所を利用した趣味の会やお稽古が行われている。


調査の概要

 このような南芦屋浜団地のコミュニティ実態を事例的にとらえるため、 (1)多様な高齢者の生活実態と地域関係を把握すること、 (2)できるだけ年代、 生活タイプの異なる事例をとらえることに配慮し、 LSA支援世帯から12名、 その他一般住戸世帯から18名についてヒアリング調査を行った。 調査内容は他地区と同様である。


パーソナルネットワークと地域コミュニティ特性

 地域コミュニティは居住者の個々のパーソナルネットワークの集合的関係としてみることができる。 そこで南芦屋浜団地の地域コミュニティ形成の状況を検討するために、 個々の居住者がどのようなパーソナルネットワークを形成しているか、 そのなかで地域との関わりをどのように位置づけているかに注目した。

 団地内で顔見知りやつきあいのきっかけとなっているのは、 (1)住棟内やバス停での挨拶や立ち話、 (2)掃除や団地の管理運営活動への参加、 (3)お食事会やお茶会(いずれも高齢者向け)への参加、 (4)地域イベントへの参加、 (5)趣味やお稽古の集まりへの参加、 (6)子供のつきあいを通して、 (7)自治会役員など地域組織の運営参加がある。

 (1)は日常環境型の出会いであり、 (2)(7)は団地に住むうえでの共同性にもとづくある種義務的な参加である。 (3)(4)(5)は選択型の参加であり、 このようなきっかけづくりは地域外からの支援やネットワークとの連携により、 多様な展開が可能である。 こうした出会いが必ずしも友人・つきあい関係につながるとは限らないが、 地域内の顔見知り関係は広がっている。 また、 従前地やこれまでの人間関係も維持されており、 必ずしも地域内のつきあいを必要と感じていない人も見られた。

 個々人のパーソナルネットワークは、 身体的条件や生活行動範囲など様々な条件により異なる。 これを地域関係をみるという観点から、 住戸、 住棟、 地域内、 地域外における関係形成を類型化した(図1)。

 

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図1 パーソナルネットワークの類型
 
 大きくは家族中心またはLSA支援依存型で、 住戸外に親密なパーソナルネットワークが見られないタイプ、 地域内の近所つきあいや友人関係が中心の地域内関係タイプ、 地域内外にパーソナルネットワークが広がる地域内外関係タイプ、 地域内につきあいを求めない地域外関係タイプに類型できる。 また、 地域内外にパーソナルネットワークが確認できないタイプには、 仕事や趣味の活動が生活の中心になっていて、 こうした活動を介した関係以外に地域での関係形成にあまり関心を示さないタイプが含まれる。

 個々のパーソナルネットワークは多様であり、 それらが地域において重層化されている。 必ずしも居住者は地域内でのパーソナルネットワーク形成を求めるわけではなく、 地域内のパーソナルネットワークに対して地縁型相互扶助関係を期待していない。 しかし挨拶や立ち話程度の自然な近所つきあいの関係は発生している。 団地の住民という意味において何らかの共同性への意識は認められ、 可能な範囲での掃除や自治会への参加が行われている。

 

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図2 地域コミュニティの可能性
 
 ようやく自治会が地域関係づくりの活動へ向くようになってきた段階である。 多様な主体と連携しながら、 地域に開放された選択性の高い活動を積み重ね、 パーソナルネットワークのなかに地域関係を形成していくことを支援することが、 コミュニティ形成につながるのではないだろうか(図2)。 地縁型相互扶助関係への依存傾向が弱く、 多様なパーソナルネットワークを持つ個人が集まり住むことを前提に、 専門サービスやNPO等と連携し、 共感できる地域活動や共有できる地域の価値(環境や文化など)をつくっていくことも、 コミュニティ形成につながるのではないだろうか。  (秋月・小浦)


共同性に注目したコミュニティ支援

 コミュニティ概念には、 「地域性」と「共同性」という2つの概念が含まれているといわれる。 従来のコミュニティ研究の多くは地域性に着目し、 コミュニティを物理的・地理的に固定したものと理解する傾向があったが、 社会的ネットワークが拡大した現代社会においては十分に機能しているとはいえない。

 ここでは共同性の要素に着目し、 コミュニティの境界をダイナミックにとらえてみると、 「属地重視のコミュニティ観」に拠らないコミュニティ支援策が必要であり、 コミュニティ形成においてボランティアやNPOの果たす役割が大きくなってくる。

 南芦屋浜団地では、 計画・建設段階から、 行政や公団、 専門家や芸術家、 ボランティアなどが積極的にコミュニティ形成支援策を行ってきた。 24時間のLSA導入も支援策の1つである。

 ヒアリング調査から、 高齢入居者は、 (1)LSAや訪問看護などの専門サービスや、 親族の支援、 趣味を通じた交流を重視している、 (2)LSAなどからの支援があるので、 あえて積極的に近隣居住者と関わる必要性を感じていないことがわかる。 コミュニティ形成支援策が実施されてきているが、 居住者は必ずしも居住者どうしの交流を志向しているわけではないことがわかった。 それでは、 コミュニティ形成は、 住民どうしの交流のみで成されるのだろうか。 住民同士の関係づくりの促進だけで、 十分なコミュニティ形成支援といえるのだろうか。

 グループダイナミクスの枠組みでは、 コミュニティも集合体の1つであり、 集合体はそれを構成する人々の動きによって、 常に生成・変容する。 コミュニティ形成支援とは、 この生成・変容を支援することである。

 南芦屋浜団地の居住者は、 ヒアリング調査から明らかなように、 近隣居住者だけでなく、 多様な人々との関係を結ぶなかからコミュニティ形成をしている。 重層的なコミュニティ形成の支援は、 住民どうしの交流だけでなく、 ボランティアやNPO、 行政、 民間業者などとの多様な接触によるコミュニティ変容・生成を考える必要がある。 自治会がすべてを担うのではなく、 多様な人々が関与することで形成されるコミュニティがある。

 そのためには、 (1)行政、 民間業者、 ボランティア、 NPOなどの多様な支援策の提示が求められる、 (2)「被災者=被被災者」「地縁=コミュニティ」を当たり前の構図とする発想を問い直し、 何が支援になるかを十分考慮することが重要である。 支援自体の多様性を認識したうえでの方策の検討が大切である。  (渡邊・渥美)


「独り言」にみる居住実態と環境評価

 ヒアリング調査では、 調査者の質問への対応とは異なる様々な会話が交わされた。 これらの会話を「独り言」と総称して、 そこから住環境との関係を論述する。

 ヒアリングのなかでは様々な「独り言」があらわれてくる。 その主なものは、 新しい場所で生活を再建していくときに、 その現実とどのように折り合うかといった生活形成における思い、 近隣関係や地域の人間関係形成に対してどのような姿勢や考え方をしているかということ、 新しい環境についての評価や思いがあった(表1)。

 

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表1 独り言にみる生活と環境評価
 
 独り言は高齢世帯と若年・中年世帯に大きな違いがみられる。 高齢者には「主体的に選択した生活ではない、 しょうがない」という意識が潜在的にある。 「人のやっかいになりたくない」「放っておいて欲しい」「放っておかれる」「島流しにあったよう」などが多く、 これまでのつきあい体験が追体験されることへの反応が強く働き過去の再現に対する拒絶が大きい。

 中年・若年世代の独り言は新興住宅地に一般に見られる内容が比較的多かったが、 特徴的なことは、 高齢者対応が前面に出過ぎているという指摘である。 集会所は高齢者のための場所という誤解も生じている。

 だんだん畑については概ね肯定的な内容が多かった。 だんだん畑は作業行動と共に語られることが多く、 つきあいを好まない人の参加を容易にしている。 参加しない人も収穫祭などの催しは評価している。 しかしだんだん畑も高齢者のためのものではないかという不満が子供を持つ家庭にあり、 また団地全体が関われるものではないという疎外感も存在していた。

 今や地域社会から生産の共有性が失われ、 地域の中に利害の一致する目的が消失している。 本来地縁がもっていた生活における相互扶助的要素も、 個人の集合体となった地域社会では希薄である。 復興団地は、 あらゆる利害から最も希薄な関係を求められる生活空間といえる。 また、 地域が核家族型になることで、 ライフステージの応じた地域参加によるコミュニティ活動の担い手が現れにくい状況も生まれている。

 このような団地でどのような支援が必要だろうか。 多様性の容認はやもすると求心性を失うことにもなる。 自己責任を可能とするためには、 密度の高い情報を生活空間に届けることが、 まずは重要である。  (山崎)

 様々な暮らしが集まっているところで、 新たに地域の関係をつくっていくには時間がかかる。 緊急の課題と時間をかける環境形成の必要とを意識した取り組みが必要であろう。 なお本稿は南芦屋浜WGのメンバーの論文をもとに小浦がとりまとめたものです。


 

閑話・野田北部地区縁起

まちづくり会社コー・プラン 小林郁雄

 野田十勇士連載も地元生え抜きの面々を終え、 あとは馳せ参じた助っ人を残すのみ。 そこで、 今回は中休み、 インターミッション、 閑話として、 十勇士古里の歴史を写真地図で辿る。

 野田北部まち協の原点は、 大正〜昭和初期の野田村協議会(1915〜1931)活動であることは、 連載開始の99年6月前書で触れた。 五十余戸の一少村が二十年を経ずして一躍戸数三千以上、 耕地・区画整理され、 交通衛生・教育機関・神社仏閣など整備されたのだが、 その内容詳細は野田村協議会残務整理委員会『野田開発事蹟記念写真帳』(昭和10年10月)を参照されたい。

 ここでは、 その写真帳(1990に前川さん・二井水さんから野田北部長寿連合会に寄贈されたものを、 浅山さんから拝見)より、 何点かを拝借し、 合わせて、 本庄中長寿会(藤本富夫会長)『野田北部地区回顧録』(平成5年12月)と、 地図は『コミュニティカルテ 長田区』(昭和48年3月)から引用し、 野田北部地区のルーツ・縁起を紹介する。

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双子池/1885年(明治18年)
野田海岸/1907年(明治40年)頃
鷹取山/1922年(大正11年)春
 

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鷹取駅/1927年(昭和2年)10月竣工
大国神社/1935年(昭和10年)
国鉄と市電/1937年(昭和12年)
 

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1910年(明治43年)/1:25000
1923年(大正12年)/1:25000
1935年(昭和10年)/1:25000
 


情報コーナー

 

阪神白地まちづくり支援ネットワーク
第18回連絡会記録

 2月2日(金)、 神戸市勤労会館において、 阪神白地まちづくり支援ネットワークの第18回連絡会が行われました。 今回は、 「歴史的蓄積のある中心市街地のまちづくり」をテーマに、 従来のスクラップアンドビルトからの脱却をめざすなかで都心を活性化する(元気にする)方策を探るために、 阪神間3都市の先駆的事例の報告がありました。

 (1)「神戸三宮・旧居留地のまちづくり」/山本俊貞さんから、 まちの形成過程を活かした、 企業市民が主体となった街並み形成を中心としたまちづくりの経緯と今後の業務地としての活性化の課題について、 (2)「西宮・酒蔵ルネサンスのまちづくり」/白井利治さんから、 大きな被害を受けた酒蔵地区において、 商工会議所が中心になって行われた“いかににぎわいをつくるか、 人を呼ぶか”をテーマとした取り組みについて、 (3)「伊丹・セントラルクロスパークを軸としたまちづくり」/山口憲二さんから、 4つの核をつなぐまちづくりのマスタープランに基づいて行われている各種事業の経過とその間の苦労や反省、 そして今後の展望について、 報告がありました。

 そして、 報告を受けて、 地域資源を活かした小さな事業の継続やまちのスケールにあった生活観のある風景づくりの重要性などについて意見が交わされました。

 当日はあわせて、 事務局から平成13年のネットワークとしての取り組みテーマと6月の「阪神間都心の復権」をテーマとしたフォーラムの開催予定について発表がありました。 (コー・プラン 上山 卓)

 

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平成13年阪神白地支援ネットワーク・今後の予定(案)
 

イベント案内

グループハウスの可能性−尼崎発震災を経て手を結ぶ高齢者「福祉」と「すまい」

事例に学ぶ建築家のまちづくり

神戸市民まちづくり支援ネットワーク/第19回連絡会

復興まちづくりセミナー「洋菓子文化とまちづくり」

“みんなおいで!フェスタ”

六甲道駅北地区復興まちづくり記録誌《未来(あす)へ》有料頒布

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