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台湾921集集大地震2年目の
社区営造型復興活動

国立台湾大学工学院、 建築都市研究所 陳亮全

 1999年9月21日1時47分台湾の中部にM7.3の大規模な地震が発生し、 死者2471人、 有形の被害総額百億米ドル以上の大災害をもたらした。 それからほぼ二年に達する今日、 行政と民間はともに全力をあげて、 復興事業を続けている。 この状況の中、 過去には台湾のあいだで「社区営造(まちづくり)」が最も欠けているといわれているこの被災地域では、 変化の兆しが見られた。 震災後初期の緊急救助がほぼ終えたあと、 外から来た社区営造の経験を持つ専門家や民間団体の助け、 及び社区住民自身の反省と自覚などにより、 いくつかの集落や部落が社区営造的手法の復興活動や事業を始めた。 しかも徐々にほかの集落や部落にも影響を与えた。 これらの社区営造型復興活動が全て順調に進んでいることや成功とは言いにくいが、 以下に三つの事例を取りあげて、 その経験を皆に分ちたい。

1. 中寮郷永平村主婦達の植物染め生産グループ

 永平村は集集大地震の中で、 被害状況が最もひどい場所の一つであり、 住宅や学校、 役場などの建物がかなり倒壊し、 住民の中にも多くの死亡者が出たのみならず、 農業、 商業等既存の産業もほとんど被害を受け、 住民の仕事と収入は瞬間にして奪われた。 従って、 如何に新しい就職機会と収入を得られるかが震災復興の最大課題の一つとなった。 そこで、 村に助け合い(ボランティア)に来た民間団体等の協力により、 村の主婦達が一緒に議論、 試作、 修正などを経て、 現地に生長している数種類の植物を染色材料とした染め物の生産を新しい地場産業に決めた。 そして台湾工芸研究センターの協力で、 参加者が植物の色の調合、 布の染め方、 作品のデザインなどのスタディを行ない、 実物の試作を続けた結果、 今では多様な作品を生産し始めた。 これら作品の色彩ははなやかであり、 デザインもクリエイティブであるため、 消費者に歓迎されている。 今後は、 産品の宣伝と流通を強化すれば、 当村の特色ある産業にもなり、 震災復興に貢献できると信じている。

2. 軍功寮の住宅共同再建

 南投市の軍功寮社区は集々大地震により、 ほぼ1/3の住宅は全壊、 1/3は半壊の被害を受けた。 そのため被災者達は社区を離れて、 実家や親戚のところ又借家など、 あちこちに散らばった。 このような悲惨な状況を目にして、 いかに崩壊した家園を再建できるかと考えた数人の住民が「社区再建工作隊」を組織した。 これらのメンバー達が日曜日や仕事の終了したあとの時間を利用して、 散らばっている社区の人々を探し訪ね、 各々一緒に帰って、 再建のことを相談するよう説得した。 ある日曜日、 社区を離れた住民達が帰ってきた。 皆が無事で生きていることを確認し喜びあったあと、 社区を再建できるかについて議論を始めた。 その後、 工作隊メンバーの継続的な努力と説得、 また再建経費の捻出と節約方法、 設計者と施工者探し、 隣同士の意見調整など様々な問題の解決により、 一本の「巷弄」(Laneや横路)の住宅を一単位とした共同再建方式の解決原則に辿りついて、 本格的な再建作業を進めはじめた。 今日、 地震発生から二年目の終りに近い今では、 四本の巷弄の連続住宅や社区内のほかの個別的な住宅の再建はかなり進んでいるし、 多くは二年目の終りに入居できるよう工事を急いでいる。 このような巷弄ごとの住宅共同再建は被災住宅再建事業の中で、 最も速く注目されている事例であり、 そのうらに黙々と住民達の説得や解決策を探す工作隊メンバー達の努力は無視できないと言えよう。

(編集注:月刊「まち・コミ」2001年7月号の『木村明子的台湾報告』にも紹介されています。 )

3. 龍眼林福祉協会の設立

 多くの社区営造型復興活動の中、 北中寮の龍安村は注目すべき事例である。 震災後、 当村の住民達は村長、 社区発展協会の幹事長等数人の中心幹部のリーダーの元で、 また東海大学建築学科等民間団隊の助けにより、 村の環境修復、 整備を行ない、 村のコミュニティニュースを発行し、 社区学園を開設したうえ、 村民に新知識と技術の勉強チャンスと場所を提供した。 同時に、 これら一連の試みを通して、 住民達の被災心理をやわらげ、 村に対するコミュニティ意識を高めた。 それだけでなく龍安村の努力はその周辺の村に影響を与え、 いくつかの村も社区営造活動を始めた。 しかも村同士の協力や復興にかかわる問題を共同に解決できないかと考え始めた。 そして三ヶ月間ほどの討論と調整を進めたあと、 発起会員が中寮郷の14村(全部で18村のうち)の住民を含めて中寮龍眼林福祉協会がこの7月6日に正式に設立した。 この協会一年目の計画目標としては、 年長者の昼食供給とケア、 新しい産業開発及び社区営造の推進等三つの項目を掲げ、 正式な運営が始まった。 これらの目標をどのくらい達成できるかが注目されるが、 単独村の範囲を超えて、 村同士が協力しあうかたちで社区営造を進めることは、 震災の復興に新しい契機と力を与えると信じる。

 

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陳亮全先生(000720 神戸)
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台北市文山区明興里の社区防災ワークショップの様子(001124)
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文部科学省主催の2000年科学週「認識地震」活動展覧(000918 台北)
陳亮全先生は長年、 早稲田大学で都市計画を研究され、 台湾に帰られてからは、 日本の「まちづくり」活動とも呼応して、 「社区総体営造」活動にとりくまれています。

李遠哲中央研究院長を会長に「社区営造学会」をたちあげ、 1994年以降「社区営造」は政府の政策にもとり入れられています。 社区とはコミュニティ、 営は経営でソフトの、 造は建造でハードの、 まちづくりを意味しています。

1999年9月21日の集集大地震からの復興において、 「社区営造」という概念は決定的に重要な位置づけがなされ、 多くの資金や人材などが結集しています。 これは1995年の阪神大震災において、 その重要性が確認された「市民まちづくり」を参考に、 より高く、 広く、 大きく展開されているものといえるでしょう。 その中核におられ、 獅子奮迅八面六臂の活躍されているのが陳亮全先生です。 <小林郁雄記>


 

「まちづくりNPO」と「NPOのまちづくり」

神戸まちづくり研究所 野崎 隆一

◆はじめに

 昨年12月と今年4月、 市民まちづくり支援ネットワークが主催したNPOとまちづくりに関する二つのシンポジウムがあった。 一つは、 「NPOのまちづくり」であり、 もう一つは、 「始動するまちづくりNPO」である。 いずれのシンポジウムもコーディネーターを担当したが、 会場からの発言者のNPOに対する理解のあまりの低さ故、 発展的な議論を展開できなかったことが、 ずっと心残りだった。 震災後の被災地では多くのボランタリーな活動が生まれ、 NPOとして多彩な活動を展開し、 今日ではそのネットワークも活動の密度も他地域を凌駕していると言っても言い過ぎではない状態にある。 まちづくりの概念ばかりではなく、 まちづくりというフィールドにおけるNPOと専門家の位置付けについても何らかの整理をしておきたいと考えた。

◆「まちづくりNPO」をめぐる論議と現状

 二つのシンポジウムでの会場からの発言は、 「株式会社や有限会社の形で仕事をしているまちづくりプランナーの活動とどこが違うのか判らない」「NPOという隠れ蓑を使った仕事づくり営業ではないのか?」「NPOという曖昧な基盤でどこまで責任をもった活動が出来るのか?」といった懐疑的なものが多かった。 これらの論議の背景には、 まちづくりという分野の持つ次のような固有性があるものと思われる。

 一つは、 まちづくりという仕事の性格上、 まちづくりプランナー達は、 もともと公共性とボランタリーな資質をある程度備えていたことがある。 もう一つは、 都市計画・まちづくりという分野における職能の確立、 専門性の確立が近年やっと形を見たということである。 職能の確立とは、 その資格でメシが食えるということに他ならない。 そのような背景で「まちづくりNPO」を新たな競合者の出現として捉えるのは当然である。

 ひと口に「まちづくりNPO」といっても運動型、 シンクタンク型、 事業型といろいろある。 運動型は強いミッション(使命)を中心に活動する。 公園の在り方から釜ケ崎の野宿者問題に取組む「コミュニティー・デザイン・センター」は、 これに近いといえる。 シンクタンク型は調査研究や政策提言を中心に活動する。 「地域デザイン研究会」「神戸まちづくり研究所」は、 このタイプに近い。 事業型は多方面の専門家を集めて具体的な地域まちづくりを具体的に推進しようとする。 運動型やシンクタンク型が活動の帰結として事業型になることも充分考えられる。 この局面では、 当然のこととして従来からのまちづくりプランナーとの競合が生じる。

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コミュニティ・デザイン・センター 地域デザイン研究会 神戸まちづくり研究所
 

◆「NPOのまちづくり」をめぐる論議と現状

 また、 福祉や教育、 人権、 環境、 文化の分野で活動するNPOが地域ネットワークを土台にしてまちづくりを標榜するのに対して「ハードをつくってこそまちづくりではないか」「広域的な公共事業と住民意向の衝突が心配だ」「NPOにそのような力量があるとは思えない」などの意見が出された。 まちづくりはハードとソフトの側面がありそれぞれの行政分野と専門家が担っていけば良いとの考えが根底にある。 参加者の大半を占める都市計画系の行政やコンサルタントの現時点での認識として興味深い。

 しかし、 一方でまちづくりそのものは、 これらハードの専門家達の意向とは関係なく「ふれあいのまちづくり」「防災・福祉コミュニティ」など地域でハード、 ソフトに関係なく重層的、 複合的に展開されており、 すでに都市計画家やまちづくりプランナーの専売特許ではなくなっている。 それらの担い手は自治会・婦人会といった従来型の地縁団体からより強いミッション(使命)性を持ったNPOが中心となりつつあるといえる。 住民参加から住民主体への変化と共に、 TOWN BUILDに合わせてMANAGEMENTを考える時代からTOWN MANAGEMENTに合わせてTOWN BUILDを考える時代に変わりつつある。 「地域力」「サステイナブル・コミュニティ」「コンパクト・シティ」は、 この流れをイマージナルにするキーワードなのだろう。

◆専門家の役割が変わった

 震災後、 飛躍的に拡充され利用の増えた「すまい・まちづくり人材派遣」は、 地域住民と専門家の関係づくりの上でこれまでの行政派遣型から住民指名型への変化を生んだ。 それは、 地域住民の重層的、 複合的まちづくりに対する専門家の役割にも変化をもたらしたといえる。 これまで専門家は、 縦割り行政の中で制度の運用者としての役割を担ってきた。 まちづくりでいえば、 先進的と言われてきた神戸市の「まちづくり条例(1981)」は地区計画というハード中心 の考えに貫かれている。 今後は、 まちづくりにおいては専門家よりむしろ各種の専門家をまとめていくネットワーカーやファシリテーターの役割をするGENERALISTが求められているのではないだろうか。 まちづくりプランナー自体が既に職能を超えて実践してきた事例もあるが、 「まちづくりNPO」や「NPOのまちづくり」は、 専門家に代わってGENERALISTを生み出しつつある動きと捉えることができる。

◆さいごに

 「新しい公共」「協働」という言葉が多く語られる一方で、 行政と地域住民の中間媒介者であった専門家像は大きく変わりつつある。 震災後、 プランナー、 コーディネーター、 プログラマーと様々な呼称で表現しようとしたものは結局GENERALIST像ではなかったのか。 それは、 専門家という領域から外に出ることでもあるし、 支援、 サポートという概念を捨てて対象である地域住民のEMPOWERを最優先することに他ならない。 専門家は、 GENERALISTも含め所詮「七人の侍」であることを忘れてはならない。


 

住吉浜手まちづくりの会

−住吉浜手地区のまちづくりの課題と今後の展開−

遊空間工房 山本 和代

●地区の最優先課題とは?

 7月8日に行われた「まちづくりフォーラム」で、 住吉浜手まちづくりの会(住吉浜手地区)の今までの活動内容を私の方から発表させていただいたが、 質疑の中で、 「ソフト中心の活動だが、 地区計画等のハードについてはどう考えているか」というような内容の指摘があった。

 どうしてもソフト中心の活動が先行すると、 利害調整を伴う話はうまく行かない場合が多い。 住吉浜手地区も例外ではなく、 取り組みべきハードの課題はある。 しかしながら、 何かをしようとしても地区協議会を通してからとか、 よそ者にとっては考えられない昔からの約束や制約があり、 話し合いがスムーズに進まなかった。

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住吉浜手まちづくりの会区域図
 この地区には古くからの住民も多く、 阪神電車や国道43号線など大きな幹線で分断されても、 昔からの領域のつながりが強く存在する。 (地図参照)今年になって初めて地区協議会とも協議ができる体勢になった。 ここに来るまでもっと時間がかかるのではないかと思っていたくらいだ。 確実に地区がひとつになったとは言えないが、 今後、 行政との対応や地区外への交渉がしやすくなるだろう。

 住吉浜手まちづくりの会設立のきっかけは、 産業廃棄物処理場建設への反対運動で、 会の目的は生活環境の向上である。 まちづくりを終わりのない住民活動と認識し、 ようやくスタートラインに立ったと言える

●地区内にある企業との連携

 住吉浜手地区内には全国的にも有名な白鶴酒造と菊正宗酒造がある。 どちらも大きな工場を構え、 道路を挟んで2街区にまたがっており、 地区に占める面積も大きい。 その他、 運送会社、 機械工場、 小さな町工場が地区内に点在する。 これらの関係車両が生活道路を往来し、 また荷さばき等で路上駐車をするなど、 生活空間として危険な状態をつくっている。 会設立当初から、 企業にもまちづくりニュースを配布するなど呼び掛けはしていたが、 まちづくりの会への活動参加はほとんどない。 特に酒造会社は大会社なので、 地元への協力体制は地元企業よりは薄いと思われる。 今後、 まちづくり協定を策定する上で、 事前に協力的な雰囲気をつくっておきたい。

●道路交通の問題

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灘浜線の堤防の切り開いている所から大型車が地区内へ入ってきている
 地区の西側境界道路は六甲アイランドや東部第2工区への入口となっており、 大型車両の往来が激しく、 歩道も恐怖感を与えないほどの幅はない。 さらに、 地区の東側境界道路に関しても大型車両が43号線から灘浜線へ抜けていくが、 灘浜線の入口には昔の堤防があって切り開かれていないので、 切り開きがある場所まで大型車両が生活道路を走行することになる。 人身事故が発生しており、 早急に取り組むべき課題だと認識しているが、 単に切り開けば大きく車の流れが変わり、 地区の境界でもあるので、 隣の地区との慎重な協議が必要である。

●建築物の用途の問題

 幸い震災による空地が少なく、 風俗営業等住環境を乱すような建物はあまり建設されてないが、 この地区は第1種住居地域、 準住居地域、 準工業地域、 近隣商業地域が混在しているので、 今後建設される可能性は大いにある。 また、 隣地区にあった酒造会社が土地を売却し、 14階建ての高層マンションが建てられた。 もし住吉浜手地区内にも建設されれば地区人口が増加するかも知れないが、 低層の落ち着いた雰囲気が失われる。 地区住民が地区はどうあるべきかの協議がどう展開されるか楽しみだ。

●今後の取り組み

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地区内の狭小道路。 意外にも庭木や路地のプランターなどの緑が多い
 地区全体の長期的な課題のほか、 地区内には4m以下の狭小道路問題などももちろん存在する。 今後の活動の一つとしては、 小さな街区ごとで住民に話し合う機会を持ち、 その街区での細かい課題を拾い出してみるのはどうかと考えている。 おそらくどの街区でも共通の課題が見出されると思われるが、 それを皆が共通の課題として認識していけるような過程をつくりたい。

●まち住区とまちの個性

 この地域は震災による被害は少なかったものの、 御旅公園内に仮設住宅が建設され、 毎年行われていた盆祭りや子供たちの少年野球が中断されていた。 また、 地区協議会の閉鎖的な性格で住民の不信感も多少あり、 地区全体の活動も停滞気味であった。 復興関連のまちづくりとは違うが、 コミュニティが薄れつつあった状態を回復させた5年間だった。

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毎月1回行われる定例役員会の様子。 参加者は25名前後で約半分は女性
 まちづくりの進め方として、 組織づくり、 まちづくり構想、 まちづくり協定、 地区計画など手順を踏んでいくが、 その進み方が早いほどよいというわけでもない。 まち住区のまちとしての単位をどのようにして設定していくかということで、 まちの歴史や地勢、 生活構造、 経済構造などが組み合わさった単位となるが、 まちの成長の仕方がそれぞれのファクターに影響を与えることは確かであるということは、 まちの変化(成長)速度もひとつのファクターであり、 まちの個性とも言える。 今のペースで進めば、 もう少し早く対応しておけばという課題も多少でてくるかも知れないが、 きっと地区の雰囲気を壊さない、 愛着の持てるまちが次代へ受け継がれて行くだろう。



情報コーナー

 

第6回まちづくりフォーラム記録/神戸市民まちづくり支援ネットワーク
〜 テーマ「まち住区とコンパクトシティ」 〜

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パネラー・コメンテーターの方々(010708 こうべまちづくり会館)
 震災の翌年から始めて今回で6回目となるまちづくりフォーラムが、 7月8日(日)こうべまちづくり会館で行われました。 今回のテーマは「まち住区とコンパクトシティ」で、 毎月行っているネットワーク連絡会の今年の年間テーマにもなっています。

 まずはじめに、 司会で当ネットワークの世話人でもある小林郁雄さん(コー・プラン)から、 「まち住区」と「コンパクトシティ」に関して、 神戸市や専門家間での議論の系譜についての説明がありました。 つぎに山本和代さん(遊空間工房)、 後藤祐介さん(GU計画研究所)、 宮定章さん(まち・コミュニケーション)、 宮西悠司さん(神戸・地域問題研究所)の4名から報告が行われました。

 山本さんからは、 住吉浜手地区(東灘区)において、 住民による手作りのお祭りやまちなみウォッチング・緑のウォッチングなど、 約3年間にわたるまちづくり活動の報告がスライドを交えて行われました。

 後藤さんからは、 「まち住区」を、 J・ジェーコブスのいう近代都市計画のアンチテーゼとしての用途混在や歴史的建物の必要性、 小規模ブロックなどを空間イメージとしてとらえ、 「コンパクトタウン」を、 少子高齢化社会において都市の膨張を抑制しつつ適度な集中や密度を保ちながら自律生活圏をつくっていくという方向に加え、 地球環境問題への対応としてとらえると整理したうえで、 長年地元支援活動を継続している岡本地区(東灘区)、 深江地区(同)、 新在家南地区(灘区)の報告が行われました。 まとめとして、 既成市街地の取り組みは必然的に“まち住区≒コンパクトタウン的”にならざるを得ず、 すべての既成市街地がまちづくりに取り組むべきであるとの考えを提示されました。

 宮定さんからは、 震災で甚大な被害を受けた御蔵地区(長田区)においてまちづくり協議会や共同建替への支援、 また様々な地域コミュニティづくりへの参画についての報告がありました。 最近は、 まち協のエリアを越えて活動せざるを得ない状況にあることも報告されました。

 宮西さんからは、 小学校区をベースとする近隣住区では神戸のまちは語れないため「まち住区」の考えが必要であること、 70年代の神戸市におけるコミュニティカルテ・環境カルテづくりが住民の主体的な取り組みを促し、 真野まちづくりへと進んでいったこと、 最近の真野地区の情勢などが詳しく語られました。

 コメンテータとして、 本荘雄一さん(神戸市企画局総合計画課)からは、 神戸市のコンパクトタウンづくりの取り組みについて、 難波健さん(都市環境デザイン会議)からは、 まちづくりに都市計画を組み込むことの必要性などがコメントされました。

 休憩を挟んで、 参加者全員で討論を行いました。 熱心な議論が行われ、 時間が予定よりも1時間以上も超過しました。 主な意見としては、「まちづくり活動はサークル的なものではだめで、 私権の制限まで伴うものにどう取り組んでいくが大事である」「まち協の活動は必ずしもコンパクトタウンではなく、 コンパクトタウンは理念や思いといったものである」「まちづくりは文化活動であるとともに仕事である」などが出されました。

(中井都市研究室 中井 豊)


イベント案内

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第21回連絡会

●まちづくり塾・2001<第2回/まちづくり協議会連絡会の今後>

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