きんもくせい50+29号
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パートナーシップ

兵庫県知事 井戸 敏三

 この8月1日から貝原前知事の後を受けて知事に就任いたしました。 21世紀の兵庫づくりに「参画と協働の県政」を推進してまいりますので、 よろしくお願いします。 そして震災復興は、 大変な課題です。 支援ネットワークの皆様、 どうぞともに協力、 復興を進めさせて下さい。

 あの阪神・淡路大震災から6年が軽過し、 7年目に入っている。 震災直後の避難所対策などの緊急対策、 そして仮設住宅の提供などの応急対策、 続いて仮設住宅から恒久住宅までの生活再建という移行期対策と各ステージを経てきた。 今や本格的復興の時を迎えて、 まだ厳しい被災者、 特に高齢者の生活再建と地場産業や商店街などの地域振興という残された課題に取り組み、 創造的復興を成し遂げる段階を迎えた。

 これまでの震災復興過程をふり返ってみて、 大きな特色があるとすれば、 行政と民間とのパートナーシップをもとにした共同作業をすることができたこと、 被災者の生活復興のために何が必要であり、 どのように実行すればよいかを真剣に追求してきたこと、 まさしく協力復興の新しいスタイルをつくったことにあるのではないか。 2つの例をあげたい。

 まず、 被災者復興支援会議である。 平成7年7月に発足したが、 震災直後の応急対応期においては仮設住宅の整備など住まいを中心とする緊急課題の解決に集中的に取り組んだ。 平成11年4月に発足したパートIIは、 非常事態から日常生活への移行の過渡期において、 被災者の支援を継続する一方、 コミュニティ形成、 心のケア、 しごとの復興など、 日常課題の解決に多面的に取り組んだ。 平成13年4月からは、 パートIIIが発足している。 本格的な生活復興期を迎え、 個別、 多様化した被災者の生活復興支援、 市場・商店街の活性化や雇用の創出、 安全・安心で魅力的なまちづくりなどの課題に対応していこうとしている。

 運営の基本は、 被災者と行政の間に立った第3者の機関であるが、 その活動の中心は「アウトリーチ」である。 被災者の生活復興について直接現場に出かけて生活実体の把握や意見を聴く「移動いどばた会議」を基本に、 支援団体などとのフォーラムとか意見交換を繰り返す「現場中心」を貫いている。 そして、 行政のプロジェクトチーム等の協力を得て、 行政施策の考え方や取り組み状況をチェックし、 被災者の視点に立って、 生活復興に関する提言、 助言を行うのである。 そしてこのことが「復興かわらばん」を通じて情報提供されるシステムである。

 行政システムにはどうしても課題把握に時間がかかったり、 制度の枠組みを越えて発想できなかったり、 一面的で総合力を欠いたりなどの問題点を抱えているのだが、 これらの問題に被災者復興支援会議の活動が、 効果的に機能していただけたのではと感謝している。 パートIIIにも大きく期待しているところである。

 もう1つは、 県・市町生活支援委員会である。 これは、 平成9年7月から発足したものであるが、 仮設住宅等での仮住まい対策と恒久住宅での生活再建の支援にあたって、 被災者の生活再建や維持においてどうしても多面的なアプローチが必要となる。 例えば、 住まいの環境から始まって、 健康チェック、 食事の心配、 人々との交流、 社会参加、 仕事など、 全生活にわたるのである。 このように個別・多様化する被災者の生活復興に、 相談、 見守り、 生活支援、 健康など地域の第一線で被災者に接している専門家をはじめNPO、 ボランティアなど関係者が一体となって最もふさわしい対応をするために、 まず、 市町において、 関係者が集い行政の枠を越えて情報を共有して検討する市町生活支援委員会と、 県に、 市町レベルで解決しにくい制度やシステム上の課題への対応や被災者の方々の苦情相談等を担う県・市町生活支援委員会がつくられた。

 行政内部につくった機関であったが、 メンバーが第一線で被災者と接して現実課題にあたっておられる方々だけに、 個別事例に対して適切な解決アプローチをとることができた。 現場感覚と課題解決への取組みがいかに大切かが被災者の生活復興という点で凝集しえたのではと思っている。

 いずれも、 私達にとっては新しい共同作業、 行政と民間とのパートナーシップを基本とする取り組みであった。 21世紀は「新しい公」を「参画と協働」により実行していく舞台だといわれる。 私達も、 県民の方々とともに、 その舞台に立ちたいと願っている。

 

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被災者復興支援会議V全体会儀、右が井戸知事、左が室崎座長
(010821県学習プラザ)
震災6周年記念コンサート会場、左が井戸副知事(当時)、右端はピアニストでもある台湾の陳郁秀文化庁長官
(010117県公館)
 
 井戸さん、 第48代兵庫県知事ご就任おめでとうございます。 この寄稿は新知事第1号ではないかと思います。 どうもありがとうございました。
 実は、 この原稿は報告きんもくせいの「6月号」の巻頭を飾る予定で、 当時の井戸副知事に前からお願いしていて、 構成もすんでいたのでした。 しかし突然知事選挙ということで、 井戸さんが6月21日退任されることとなり、 アレレと言ってる間に、 このまま掲載すると公示前の文書配付事前運動となり「明らかに問題です」ということ。 で、 6月号は教えていただいた神戸新聞の松本誠さんに急遽ピンチヒッター原稿をお願いしたという次第です。 折角、 出馬表明前に書いていただいていた井戸さん、 突然に松本さん、 本当にすみませんでした。 ご当選後、 あらためて井戸さんに原稿に手を入れていただき、 めでたく8月号に新知事の玉稿を載せさせていただくこととなりました。
 ところで、 この「パートナーシップ」に記されている「被災者復興支援会議」と「県・市町生活支援委員会」の両方に、 私は参加させていただきました。 支援会議Iでは、 震災直後のダイナミックでドラスティクな四十数カ月の活動期を担当させていただきました。 県当局とはもとより、 メンバー相互でもケンカ腰のやり取りは日常茶飯事でしたが、 その志の高さと緊張感は、 何をおいても優先順位1番の集まりであったと、 今は亡き草地賢一さんとも常々話し合っていたことを、 懐かしく思いだします。
 2001年4月より2年間のブランクの後、 支援会議IIIのメンバーに私も復帰することになりました。 コレクティブハウジングの実現を強くお願いしたり、 復興公営住宅入居者への事前交流事業の必要性を訴えました井戸さんと、 再び高齢被災者の生活再建や経済雇用・商店街再生など後期復興の諸課題を、 <自律と連帯>を基礎に<参画と協働>による市民活動社会に向けて、 またご一緒させていただき、 協力させて頂くつもりです。 (小林郁雄・記)


 

都市公団のあるべき方向

〜都市公団が期待されていること〜

都市基盤整備公団 鈴木 維子

 今回(第5回)のテーマは、 「都市公団のあるべき方向」〜都市公団が期待されていること〜です。 これからの住まいづくり・まちづくりを考えるにあたって、 まず原点に立って、 都市公団のあり方自体をじっくり考えてみる必要があるのではないかという意見から、 このテーマに決まりました。

 今回は、 大阪大学 鳴海邦碩教授、 都市公団 土師一郎関西支社長を講師に、 お話をいただき、 その後関連して討議を行いました。 以下にその一部をご紹介いたします。

 

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講義風景(左が鳴海邦碩教授) 土師一郎都市基盤整備公団関西支社長(当時)
 

<鳴海氏のお話>

■まちづくり7ヶ条

 (1)共通ビジョンの考案
 成功する再生のスタートは、 人々にそれぞれに異なったものの見方をさせることである。 共通の立場の発見は、 かたくなな姿勢を変化させ、 行政はよい方法を広めることにより支援ができる。

 (2)変化のための起動力の確立
 既存の型を破るということは、 より良い場所の創造を願う人々にとって必要であるだけでなく、 変化を起こすための重要な要件である。

 (3)プロジェクトのバランスの促進
 都市域は極めて複雑であり、 長期間にわたって対策を講ずる必要があるために、 従来の計画過程では手に負えない。

 (4)変革を起こすガッツを持つこと
 バイオリンの演奏を学ぶための唯一の方法は、 まず弾いてみることである。 都市計画家や測量技師よりも、 都市の思想家や社会的な企業家が必要である。

 (5)十分な収益を生み出すこと
 プロジェクトは融資に依存しており、 全ての投資家に適切な支払いをする必要がある。 地方自治体は、 資金提供へのより創造的なアプローチを行うために、 PFI を活用し始めているが、 多くは技能が欠けており、 一方、 企業は動機を欠いている。

 (6)一致協力した行動の組織化
 資金の提供が必要不可欠であり、 開発トラストやネットワークが21世紀のカギを握っている。 挑戦すべきは、 ディベロッパーや企業のエネルギーやひたむきな責任感と、 行政の公的関心を組み合わせることである。

 (7)結果のモニタリング
 モニタリングと、 より広い視野での評価が必要である。 もっとも重要なことは、 投資者や他の株主と同様に、 地元の人々の態度にも変化が現れるということである。

<土師氏のお話>

 ここ数年で都市公団の就職希望ランクが上がってきている。 なぜ人気があるのだろう?それは、 「都市」に関してやるべき課題があると考えている人が多いからではないか?また、 「都市再生本部」の発足等、 政策が「都市重視」に転換しているからではないか?
 そのような前置きの後、 これからの都市公団の仕事について次のように述べられた。

■前提として

 (1)「都市」に関する課題の抽出作業はもう終わっている。 震災で実証もされた。

しかしその課題にはまだ手がつけられていないのが現状。 今度の都市再生本部発足にみられるように政策転換してきている。

 (2)抽出された課題が多い反面、 資源(人・金)は有限であるため、 重点化することが必要。 そのためには、 優先順位とその明快な理由を国民へ提示することが必要。

 (3)都市での課題を解決するには、 私権と公共性のバランスの見直しが必要。 特に日本特有の土地にまつわる私権の制限は重要。 同時に国民の連帯性への意識改革も必要。

■これからの都市公団の仕事

 (1)都心部における居住環境の向上
 空洞化している都心部だが、 もともとインフラがしっかりそろっており、 住めれば快適・住んでこそ街である。 募集結果からも、 好立地の住まいへの需要は多い。

 (2)安全な都市づくり
 地方公共団体の基本的な役割であるが、 震災で露呈したとおり課題だらけ。 都市公団も積極的に手伝っていきたい。

 (3)賃貸住宅ストックの見直し
 必要とされる住まいをつくるべく(ミスマッチ住宅とならないよう)、 形式やボリュームの見直しを大胆にやっていきたい。

 (4)ニュータウンの活性化
都心回帰によって戸建需要が減ったが、 新しい価値をつくり、 需要の創造が必要。 また、 千里ニュータウンの再生は重要なテーマ。 都市公団も積極的に手伝っていきたい。

 (5)事業間の連携
 例えば国際文化交流都市と千里ニュータウン、 ベイエリアとインナーエリアなど、 面的ボリュームがある事業と受皿を必要とする事業とを連携していきたい。 これにより難解な事業も解決できる。

 そして、 最後に、 「都市」に関わる我々の仕事は普通の仕事とは違って大変公共性が高く、 携わることができるのは大変幸せなことである、 諸君がこの仕事を選択した初心をこれからも忘れず高めていってほしい。

<討議での指摘>

 1. 大阪の船場での地主は、 土地を持っているがどうしたらいいのか、 わかっていない。 でも、 処分したくないから、 そこでとりあえず青空駐車場として経営している。 新しい公団はこういう場所で、 イギリスにおけるギネストラスト住宅協会のように、 社会住宅を供給するような組織になることを期待されているのでは。

 2. 新しい都市基盤整備とは、 単なる空間的なものではない。 売らんかなの商業主義だけでは生まれてこない発想が、 初めての出会いで生まれることがある。 果敢にいろんな機会に参加すべき、 そこで思ってもいないバッチリの出会いに会うかも。

 3. かつて、 K市元住宅局長は、 「公団はもっと路地に入ってほしい。 市といっしょに、 成算性が見通せない段階でも、 地道に地元に入ってほしい。 」と公団に期待していた。

 地元はいつも、 「こいつはどこまで付き合ってくれるか」と冷静に公団を見ている。 しんどくても泥沼に入って一緒に悩むスタンスがないと信用されない。

 4. 公団は部分的には事業化のプロだが、 担当個人が全てを見通せるわけでもない。 だが、 どんな場面でも絶対「それは知らない」とは言わないでほしい。 自信を持って対応し、 そこにいるだけで、 信頼される形であってほしい。 そういう熱意と自信が住民に安心感を与え、 多少の間違いなど帳消しとなる。

 5. 船場デジタルタウン構想のように、 点から面への展開が求められる。 地域ビジネスを形で社会に示すことで、 そのリアクションを含めて変えていこうとの姿勢でしか、 現在社会は先が見えない。 まずこちらから提案することがスタートとなる。 こちらのイメージを出さねば、 「タナぼた」で答が見つかることなどありえない。

 6. そう言いながらも、 公団は地域の人と認識度に差を持っておくべきで、 迎合的に地域に埋没してしまっては全体が見えなくなる。 もう少し高いスタンスで全体を眺め、 常にリスク負担はどう求めるべきか考えておくことも重要である。

 以上のように、 公団職員全体にかなり手厳しい指摘や注文がなされ、 ユックリしておれない叱咤激励を頂戴した。 今後地域での活動でその回答を示して、 生きたい。

 (注:土師公団支社長は6月公団を退職されました。 「討議での指摘」は田中貢さんが作成)


 

都市と防災・規制をこえて

都市基盤整備公団 太田 亘

■はじめに

 公団職員を中心とした勉強会である「公団まちづくり研究会」の第6回会合が、 6月27日(水)18時から、 大阪・森ノ宮の都市基盤整備公団関西支社の会議室で開催されました。

 今回は、 防災の専門家である室崎益輝氏(神戸大学都市安全研究センター教授)と、 京都市内でコンサルタントをされている上林研二氏((株)地域生活空間研究所所長)をお招きし、 都市と防災を中心テーマに様々な思いを語って頂きました。

 

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室崎益輝氏 上林研二氏
 

■担当者の問題意識

 阪神・淡路大震災を機に制度改善や市民活動等、 防災についてある程度の成果はみられたものの、 そこから何を学んだのかを問われると、 はなはだ心もとない。 ”喉元過ぎれば熱さ忘れる”ではないが、 優先順位の問題で、 とりあえず元に戻りたいという気持ちが強く、 防災はその後でと考えてこなかっただろうか。 「命」をめぐる問題を軽視してこなかっただろうか。 もちろん、 要因を市民意識だけに求めるのはお門違いというべきで、 行政側の制度運用不足(例えば、 耐震改修)や専門家の認識不足(コンクリートで固めることや道路を整備することだけが防災ではない)など様々な要因が絡み合っていて、 ひとつの技術論で解決できるようなものではないのだろうが。

 また、 『防災』を語るとき、 どうも法を盾に街並みや景観・地域性を無視した全国一律的な指導等、 否定的な文脈で語られることが多いが、 防災の本質に目を向ければ、 防災と文化は対立的な図式ではなく、 共存的な図式で解決できることも多いようだ。 例えば、 ハードをカバーするソフトの仕掛け(初期消火活動など)や防災理論を背景としたデザイン力(うだつや虫籠窓など)。 我々がそこから何を学べるのか。 その一助となるよう、 お二人に御講演願いました。

■まちのあり方/2つの骨格と4つの視点【室崎氏】

 都市と防災を考えるとき、 「命」「暮らし」「文化」の3つのファクターのバランスが必要である。 例えば、 姫路城は「文化」的には世界遺産であるが火事に弱い、 公団住宅は「暮らし」を考えていても、 デザインそこそこ、 「命」は考えていないのではないか。

 また、 近代主義(モダニズム)について、 画一性・不変性に対して多様性をどう捉えるか。 利便性・効率も大事だが、 それをのりこえて、 まちのあり方・デザインについてどういうビジョンをだすか。 お金だけでなく、 環境・人権・福祉等もいれた全体的な「ものさし」でなければならない。 以上の2つの骨格を踏まえた上で、 まちのあり方4つの視点について話したい。

 (1)都市の性能・機能論
 建築において、 住み手の要求がプラン・間取りなら、 都市におけるそれは何なのか。 都市に要求される機能は何なのか。 例えば、 安全性。 阪神・淡路大震災で6,000人亡くなったが、 交通事故では毎年10,000人亡くなっている。 地震、 交通事故、 犯罪等、 総合的に死亡のリスクを考える指標がない。 建築にとってブレース(筋かい)が大事なのは誰でもわかるが、 都市にとってのブレースが何なのかよくわかっていない。 例えば、 都市にとってオープンスペースがどういう役割を果たしているか、 局部的には理解していても、 全体的な性能評価はなされていない。 トータルに全体をみた科学的手法を確立する必要がある。

 (2)制度論
 なぜ長田があんなに燃えたのか。 それは建築基準法の運用に問題があるからだ。 4m道路に接していないと建替ができない、 10坪の土地に建ぺい率制限があるため建替られない、 結果として違反建築をつくる。 建築は全て一品生産であり、 違った気候・風土に全く同じことをやれというのに無理がある。 木は日本の気候風土にあっているにもかかわらず、 性能規定化・画一的押しつけにより、 RCは善で木造は悪になっている。 西洋的合理主義が日本的美意識を圧殺している。 一定の水準にあげるまでは画一化はよいが、 今問われているのは、 地域性・国の独自性ではないか。 法律を地域で運用する柔軟なソフトのシステムをつくらないといけない。

 (3)デザイン論
 計画のファクターが無数に増えている現在、 多様な要素を統合化した市民が共有できる空間言語としてのパターンランゲージに傾注している。 ひとつの性能規定として、 設計をする際、 完全なオーダーメードではなく、 デザインのパターンから選択するのである。 例えば、 京都。 総二階の漆喰、 瓦屋根の傾斜、 うだつ等美しいものはすべてパターンランゲージを踏まえている。 そうすれば、 防災も景観もコミュニティも同時に考えることができ、 結果として市民がうけいれることができるまちづくりが可能であろう。

 また、 都市計画が制度論・手続論にだけ固執し、 形の議論をしていないのも問題である。 例えば、 阪神大震災の後、 提案した建築家は安藤忠雄さんくらいである。 それは、 空間のデザイン論がなく、 語る言葉をもっていないからではないか。

 (4)まちづくり運動論
 まちの主体である市民に対して、 プランナーがどうつきあっているか、 主に2つのタイプの人がいる。 ひとつは、 これだけルールを知っていると市民を見下すタイプ。 もう一つは、 完全に市民の言う通りにするタイプ。 価値基準がないからそうなる。 そうではなく、 市民と議論して成長を促すプロセスが必要。 市民意識をどう高めていくかを整理しないと、 本当の意味でのまちづくりはできないのではないか。

■京都市内における取組【上林氏】

 上林氏は、 長年、 京都市内を主なフィールドに、 袋路再生、 まちづくり・再開発方針や景観条例の策定等に関わられ、 幅広い活動をされている。 町屋に代表される歴史的街並みをどうやって守っていくのか。 歴史的背景も交えながら、 現在の取組について語ってもらった。

 京都市の景観施策について。 1996年に制定された「京都市市街地景観整備条例」(新景観条例)は、 1972年に制定された「京都市市街地景観条例」(旧景観条例)を制度拡充したもので、 制度の中でも要となる「美観地区」については、 よりきめの細かな景観整備を目指すため、 種別が2種から5種に増えた。 特に、 東山を仰角5度以上で眺望できる鴨東地域の景観を整備する「第3種地域」(鴨東美観)、 それ以外の旧市街地の景観を整備する「第4種地域」(都心美観)を骨格としている。 また、 旧市街地では、 その地域の歴史や産業の立地などにより地域ごとに景観特性を異にしているため、 美観地区を10の地区に分け(鴨東美観を鴨川・鴨東I・II・IIIの4地区、 都心美観を西陣・御所・二条城・洛央・本願寺/東寺・伏見の6地区)、 それぞれの地区に相応しい市街地景観の整備をするため、 地区別の基準が設けられている。 <図1、 表1、 2参照>

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図1 景観整備地区指定図 表1 美観地区の種別規定と承認申請 表2 美観地区の行為基準
 

 京都市内でも、 とりわけ洛中を中心とする地域では木造2階建て以下の建物が多い。 例えば、 祇園町では8割程度。 歴史的にも洛中はたびたび火災にあっている。 燃えるときは、 庇ではなく簾から燃える。 簾に着いた火が軒裏にうつることが多い。 市民も火災に敏感ということもあり、 私設消火栓の設置及び消防訓練等の初期消火活動等のソフトアプローチと建物の屋根勾配や素材、 軒の深い庇、 壁面の後退等のハードアプローチがなされている。 <図3参照>

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図3 祇園町南側地区 町内私設消火栓配置図 地区協議会で出している「私設消火栓の取り扱い方」 (参考)新聞記事(読売新聞、 1996年8月11日)
 

 京都には、 町屋が3万軒くらい残っているが、 ほとんど荒れ果てている。 制度の指定をうければ補助を受けられるので救うこともできるが、 大半の建物は救えない状態にある。 3万軒全てを救うとすれば、 景観の制度では救えないと思っている。 世論が救うことに意味があると認めないと税金を投入できない。 木造の建物をどの様に維持・更新していくのか。 皆さんの意見を聞きたい。

■最後に

 災害について現状復旧が原則であるので、 災害が起きてからお金をだすというのがこれまでの考え方であった。 これを人間の体に例えるとわかりやすい。 普段は暴飲暴食・不摂生をしていて健康に何も配慮していないのに病気・怪我をして初めてお金を出す、 これと同じようなことではなかろうか。 健康に配慮し、 普段から体をメンテナンスし、 なるべく将来の医療費がかからないようにするのと同じで、 街・建物も普段からメンテナンスし、 防災への備え・魅力の向上に努めた方が、 長い目でみればコストはかからないのである。


 

共同再建事業等の成就は震災復興特例のおかげ

−平常時にも望みたい積極的取り組み姿勢と予算処置−

ジーユー計画研究所 後藤 祐介

・はじめに

 私は都市と建築分野のまちづくりコンサルタントであり、 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいては、 白地地区における多数の倒壊した建物等の個々の再建にあたっての“作法”としての「まちづくり協定」や「地区計画」等のルールづくりを支援する一方で、 個別には再建できない幅員4m未満の接道不良宅地等における小規模家屋の共同再建事業等を積極的に支援してきた。

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表 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいて成就した共同再建事業等(コーディネーターとしての後藤担当分)
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写真 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいて成就した共同再建事業等
 この6年間の共同再建事業等に関する私のコーディネーターとしての成果は表に示すとおりであり、 成就した事業数は12件、 延べ445人の権利者と対話、 調整を図りながら計547戸の耐火造共同住宅の建設を支援してきた。 今、 振り返ってみれば今回の阪神・淡路大震災復興まちづくり全体からみれば“焼石に水”のようなちっぽけな成果であるが、 私個人としては、 貴重な経験に出合い、 まあまあ“よく頑張った”ように思う。

 本稿では、 私のような“俄かコーディネーター”でも何故、 このような数の共同再建事業等が成就できたのか、 その要因は?このことが、 今後のポスト震災復興のまちづくりに生かせるのか等を考えたいと思う。

1)行政の共同再建事業支援の積極的取り組み

 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいては、 国、 県、 市の連携により、 一部の重点地区において土地区画整理事業や市街地再開発事業等の法定事業手法がいち早く適用されたが、 同時期に他の多くの被災地域においても倒壊した住宅の再建等を支援するため、 住宅市街地総合整備事業(以下「住市総」という)や、 優良建築物等整備事業(以下「優建」という)、 密集市街地整備促進事業(以下「密集事業」という)等の予算配分、 地区指定等が積極的に処置された。

2)震災復興特例としての制度の柔軟運用

 このことが阪神・淡路復興まちづくりにおいては、 上記のような各種(任意)事業制度の運用にあたっては、 以下のような震災復興特例としての柔軟かつ拡大運用が実施され、 事業の円滑な推進に大変寄与した。

 (1)補助率の拡大
 一つは、 補助率の拡大で、 「住市総」や「優建」の助成において、 平常時では補助対象額の2/3が補助額となるが、 阪神・淡路震災復興では、 震災バージョンとして4/5に拡大された。 この処置は、 (1)〜(7)の住市総補助事業は勿論のこと、 (8)の湊川中央周辺地区組合施行市街地再開発事業にも適用され、 これら民間自力再建事業にとって事業費面で大変助けられた。

 (2)補助金申請手続き等の簡便化
 二つ目は、 これら補助事業の補助金交付申請作業において、 共同施設整備費に関する補助金算定方法の特例が設けられる等、 手続き上の簡便化が図られた。 このことは、 私のように日頃からこのような実務に慣れていない者にとっては大変有り難い処置であった。

 (3)「小規模共同化助成制度」の対応
 三つ目は、 「住市総」や「優建」事業として補助を受けるには、 一定の要件を満たしている必要があるが、 敷地面積基準において、 一般に「500m²以上」、 震災特例では「300m²以上」であったが、 共同再建しかできない小規模住宅等の再建を支援するため、 更に「200m²以上」とする制度が処置された。

 私の場合、 この処置によって、 (5)鹿の下通3丁目(195m²)と、 (6)西宮北口北東−B(245m²)が補助対象事業となり、 事業化に結びつけることができた。

3)震災復興仮設公営住宅の利用

 別な視点で、 今回の復興まちづくりの共同再建事業等においては、 震災復興仮設公営住宅の利用が有効だった。 この仮設公営住宅は、 震災3〜4ヶ月後の平成7年5月〜6月頃から被災地周辺で大量に供給された。 新在家南地区の(1)〜(4)の共同再建事業では、 2〜5月の3ヶ月で、 概ねの事業計画をとりまとめ、 その後に仮設公営住宅(無料)に移住し、 共同再建マンションが竣工(約1年後)し、 帰ってきて入居するといった理想的な手順が踏めた。 このことは、 平常時の共同建替事業と比較すると事業費の軽減にもなり、 立ち退き問題の円滑な進行にもつながり大変役立った。

4)緊急時における各種団体、 企業等の協力

 紙面の都合で詳しくは書かないが、 共同再建事業等が成就できた要因として、 都市基盤整備公団や地域型ディベロッパー、 ゼネコン、 銀行等の各種団体、 企業等の緊急時ならではの協力があったことも見逃せない。

・おわりに

 21世紀、 我が国においては、 既成市街地の再生が当面の課題であるが、 多分そう簡単には進まないだろう。

 今回の検証は、 その時、 ここに上げた「阪神・淡路震災復興特例」のような処置があれば推進できる可能性があることを示唆しているように思うのだが。 (それとも、 震災が無ければ今回のような対応は無理?)


 

灘中央地区まちづくり協議会

−住民と商業者の取り組み・エコタウン−

コー・プラン 上山 卓

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灘中央地区の位置
(面積36ha・世帯数3,600世帯)
 「灘中央地区」は、 中央を東西に走る山手幹線の北側に商業地が形成され、 その南北両側に住宅地が拡がる街であり、 なかでも、 商業地は“水道筋”の名前で人々に親しまれ、 「東の台所」として3つの庶民的な市場と7つの商店街による一大商業集積を形成している。

●商業者の活動から地区全体へ

 当地区では、 1992年頃から各単組の若手商業者が中心となり“活性化”の議論が交わされていた。 その過程で「生活者の視点と地域の人々と一体となった取り組みが必要だ」という声があがり、 自治会や婦人会などに協議会設立を働きかけている最中に阪神・淡路大震災に見舞われた。

 そして、 この取り組みを活かすために、 95年11月に灘中央地区まちづくり協議会が設立され、 「地域で生活する“住民”と“商業者”が一体となったまちづくり」への取り組みが始まった。

●住民と商業者の接点づくり−まず身近な問題から

 とはいえ、 住宅再建や個店の復旧が比較的順調にすすみ、 とりあえず商売も成り立ち、 まちづくりに対する考え方にも温度差が生じている状況の中で、 協議会としては、 面的なハード事業にただちに取り組むのはむずかしく、 長期的な視点が必要と考えた。

 また、 「<活力ある>商業と<心なごむ>住環境の共生」という目標は掲げたものの、 周囲からはどうしても商業者中心と捉えられがちで、 それを払拭するためにも、 身近な問題解決による実績の積み上げから、 住民と商業者が共通認識のなかで取り組むことができるテーマを見つけていくこととした。

 当時、 身近な問題の1つは「ゴミ」であった。 空き缶のポイ捨て、 収集エリア以外からのゴミステーションへの不法投棄など、 震災後各地で問題となったことがここでも生じていた。

 そこで協議会では、 定点観測・ステッカー配布による「ゴミステーションの移設」や、 地域の大人と子供が一緒になって街中を見て回り、 ゴミ問題について考える「なだのまちふれあいクリーン作戦」を実施し、 なかよしランドの整備をきっかけに始まった「ケナフの栽培と紙すき」も稗田小学校エコクラブ等との共同作業として定着していった。

 

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「なだのまちふれあいクリーン作戦」の実施 「ケナフ」の栽培と紙すき
 

●エコタウン−取り組みのきっかけ

 このような活動をしている中、 まちづくりの新たな切り口の一つとして、 99年に神戸市環境局が「エコタウン」の取り組みを発表し、 これまでの活動が一定評価され、 モデル地区に灘中央地区が選ばれた。

 そこで、 協議会では、 地域として何ができるのかを検討するとともに、 その想いを表明するために、 2000年の総会で『灘中央エコタウン宣言』を行い、 さまざまな取り組みが始まったのである。

●エコタウン−さまざまな取り組み

 住民と商業者が一緒になって何ができるか、 その手始めが「マイバッグ運動(買物袋持参・ノー包装)」であった。 この運動は、 商業者としても他地区との差別化を図るという意味をもっていた。

 また、 婦人会の協力を得て「エコ・アンケート」を実施したことが、 古紙・空き缶の集団回収の地域への拡大浸透や、 エコBOXの設置など商業者も含めた地域全体の取り組みに拡げるきっかけとなり、 なだのまちふれあいクリーン作戦やケナフの栽培も、 エコタウンの取り組みとして位置づけることで、 より地域の活動として拡がりをみせている。

 今年7月には、 「灘中央エコタウン−まちづくりマーケット」を開催し、 各家庭に眠る生活用品のリ・ユースや神戸大学のボランティアグループによる容器を使わないお菓子の販売など、 さまざまなエコの試みが始まっており、 今後とも継続的に開催し、 行く行くは、 商業者によるリサイクル商品の販売やエコクッキングの実演などにつなげていきたいと考えている。

 

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住民と商業者が共に推進する「マイバッグ運動」 「まちづくりマーケット」によるリ・ユースの推進
 

●今後の展望

 このように、 エコタウンの取り組みが何らかのかたちでつながりをもち、 また、 これまで単発的に行われていた活動・事業などが、 「エコタウン」の名のもと、 徐々に地域に浸透しつつあることで、 まちづくりの一つの起爆剤になっていることは間違いない。

 そして、 つながりを活かす中で、 地域の隠れた人材を発掘する「まちづくり・ひとづくりバンク“タウンエンジェル”」が創設され、 エコBOXの設置をきっかけとした地域通貨の導入やこれらの動きを支える従来の協議会組織を超えた新たなまちづくり推進体制のあり方についての検討も始めている。

 ふつうの「まち」のまちづくりの一つとして、 「エコタウン」の取り組みを通じて、 まちで生活している住民と商業者(生活者)の接点・つながりがより増えることで、 一歩ずつ徐々にではあるが、 “<活力ある>商業と<心なごむ>住環境の共生”による、 灘中央地区らしい「コンパクトタウン」づくりに向けてのさまざまな試みがこれからも続く。



情報コーナー

 

阪神白地まちづくり支援ネットワーク
第21回連絡会記録

 
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報告する「プランナーズネットワーク神戸」のメンバー(左から稲垣暁さん、田中正人さん、吉川健一郎さん) 同左(左から慈憲一さん、松原永季さん、中原嘉孝さん)
 
 2001年度の阪神ネットの年間テーマは、 既成中心市街地・都心の再構成・復権です。 8月10日県立生活創造センター(神戸駅前クリスタルタワー6階)で、 その4回目が「まちを楽しむプログラム−新しい発見方法のいろいろ−」と題して、 プランナーズネットワーク神戸、 すなわち支援ネットの若手メンバーの企画によって開かれました。

 山本和代さん(遊空間工房)の司会により、 以下のような内容の発表がありました。

 (1)「兵庫津の道」〜親子で歩いてお宝探し/中尾嘉孝さん(港まち神戸を愛する会)、 (2)「KOBE洋菓子散歩」〜ケーキ屋めぐりでまち歩き/松原永季さん(studio CATARYST)、 (3)「散歩ネット」〜自分だけの散歩道発見/慈憲一さん(六甲技研)、 (4)「屋台ネット」〜南芦屋浜と旧八幡商店街で屋台を出店/吉川健一郎さん(コー・プラン)…南芦屋浜、 田中正人さん(都市調査計画事務所)…旧八幡商店街、 稲垣暁さん(関西学院大学)…三線引き
 (1)と(2)はこうべまちづくりセンターなどの主催するイベントに企画実施協力したもの、 (3)は神戸復興塾(HC財団の助成事業)との共同、 (4)はそれぞれのこれまでの復興公営住宅やまち協の活動への新しい展開協力といった形で参画したものです。

 「まち」を探検(記録)し、 新しい発見を、 「まち」の人たちと共有(流通)していく。 そうした「まちを楽しむ」プロセスが、 まちづくりのスタートではないか、 と若手諸君は主張していたようです。 チト問題意識が乏しいのではと少しキビシイ石東さん、 なかなかやるもんだとニコニコと見ていた後藤さん、 いづれもが印象的でした。 (コー・プラン/小林郁雄)


イベント案内

●神戸市民まちづくり支援ネットワーク/第39回連絡会

●兵庫運河祭ペットボトルいかだレース

●新田園都市国際会議

●まちづくり塾・2001<第3回/NPO行政、 NPOと地縁組織>

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