きんもくせい50+30号
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Planning During Rebuilding: A U.S. Planner's View

Topping and Associates Cambria, California
Ken Topping(Planning Consultant)

 The U.S. has experienced a horrible disaster in New York City through destruction of the World Trade Center by terrorists. No one yet knows how many people are dead or injured and how much damage has been suffered. However, a question by a reporter at a press conference on the day of the disaster was "When will we have our skyline back?" Restoration of normalcy and familiar surroundings is a common human desire following disasters everywhere.
 Kobe, Japan and surrounding cities experienced extreme devastation in the Hanshin-Awaji earthquake of January 17, 1995-over 6,000 deaths, 40,000 injuries, 111,000 housing units destroyed, 137,000 housing units damaged, and 300,000 households displaced.
 As former planning director of Los Angeles City and a former resident of Japan for ten years, the rapid and massive rebuilding after the Hanshin-Awaji earthquake seemed to me an astonishing achievement. Over 160,000 housing units were constructed within three to four years.
 However, in the rush to restore normalcy the urban pattern was changed by construction of many tall high-rise residential buildings replacing low wooden housing which had been destroyed. This brought about permanent changes in living environments, especially for older people who found difficulty adapting to new conditions and for people not able to afford such replacement housing.
 In rebuilding after the earthquake, the major role of the central government was to finance reconstruction of roads, the port, railways, parks, and public schools. The major role of city governments was to guide urban planning during rebuilding. Seventeen restoration promotion districts were quickly established in Kobe City and other affected areas of Hyogo Prefecture.
 Planning for rebuilding presented many opportunities for safety improvements, new parks, and wider roads. The first phase of planning undertaken by Kobe City was from mid-January to mid-March when basic citywide plans for major centers, trunk roads, and parks were made. The second phase emphasized review of local street and park plans with local residents through the Machizukuri (town building) citizen participation process. The third phase featured finalization of plans after citizen input.
 This planning sequence reflected a common post-disaster dilemma: how can quick action be taken to restore normalcy while also taking time to hear citizen ideas about rebuilding? The first planning phase sped up decisions normally taking much longer to make but did not allow for citizen ideas. In the second phase citizen opinions offered through the Machizukuri process had a beneficial influence on plans for streets, parks and other features in many neighborhoods.
 For example, citizen involvement in the Shin Nagata district led to establishment of the Pararu temporary shopping center and later to formation of a citizen design review committee in another section of that district. Citizen objections to official development plans for the Rokko Michi district brought about substantial modifications in building and park designs.
 What can we learn from this experience in preparing for future disaster recovery? One lesson is that it may not always be possible or desirable to restore familiar surroundings exactly as they were. A more important lesson is that involvement of citizens in planning for development is beneficial. This lesson is very important for Japan where planning has been so centralized.
 Finally, it is important for planners from cities in other countries to understand what happened during reconstruction in Kobe from different viewpoints-residents, business, and city government-to prepare for the best possible reconstruction after future disasters.


 

再建かつ計画へ〜米国人プランナーの視点から〜

トッピング事務所 カンブリア、 カリフォルニア
ケン・トッピング(都市計画コンサルタント)

 どんな街でも、 災害の後に人々は平常感と馴れ親しんだ環境を取り戻そうとする。

 米国ニューヨーク市は世界貿易センターがテロリストの攻撃を受け、 大惨事を経験した。 死者および負傷者数、 被害の全貌はいまだ掴めていない。 しかし、 事件当日の記者会見では次のような問いかけがあった:「いつ我々のあのスカイラインは戻るのでしょうか?」。

 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災では、 神戸市とその周辺の市町は死者6000人以上、 負傷者4万人、 全壊住宅11万1000戸、 損壊住宅13万7000戸という大惨事に見舞われ、 30万人の住民が避難を余儀なくされた。

 震災後、 16万棟以上の住宅が3〜4年以内に建設されるという大規模で急ピッチの復興は、 元ロサンゼルス市の都市計画局長として、 また10年間日本に滞在した元住民である私にとって、 驚くべき快挙に映った。

 しかし日常への回復を急ぐなかで、 倒壊した低層木造住宅は多くが高層マンションに建て替わり、 都市の姿は変貌した。 これは、 とくに新しい暮らし方を受け入れることの困難な高齢者や建替え住宅の家賃の支払いが困難な人々にとって、 生活環境に決定的な変化をもたらした。

 地震後の再建において、 国(中央政府)の主たる役割は道路、 港湾、 鉄道、 公園、 学校の再建事業実施であった。 市(政府)の大きな役割は再建と併せて都市計画へと誘導していくことであった。 神戸市・兵庫県の他の被災地域では17の復興促進地域がすみやかに確定された。

 再建のための計画は安全性向上、 新しい公園、 道路の拡幅といった多くの都市環境改善の好機でもあった。 1月中旬から3月中旬までに神戸市が実施した重点地区、 幹線道路、 公園等の市全体の計画は「計画第1段階」であった。 「第2段階」では市民参加方式による「復興まちづくり」を通して地区道路や地区公園の計画に力点が置かれた。 「第3段階」は第2段階を踏まえた最終とりまとめとして特徴づけられる。

 このような計画の推移は災害後に共通する次のようなジレンマを招いた。

 「再建に関する市民の考えにじっくり耳を傾ける時間をとりつつも、 いかに迅速に平常感を取り戻すための実施に移れるか?」

 第1段階では、 通常はもう少し時間をかけるところを即断により計画を決定し、 市民の考えを受け入れることはしなかった。 第2段階において「まちづくり」のプロセスを通して示された市民の意見は、 道路、 公園その他の近隣環境を計画するにあたり、 有益な効果をもたらした。

 例を挙げると、 新長田地区における市民の参画はパラール仮設商店街の実現を導き、 後日同地区において市民によるデザイン委員会を北側エリアで形成するにいたった。 政府が提示した六甲道地区再開発計画に対する市民の反対は、 建物と公園のデザインに重要な変更をもたらした。

 今後の災害復興に備えて、 私たちはこのような経験から何を学ぶことができるだろうか?
 教訓の一つとして挙げられるのは、 以前とそっくり同じような「なじみある環境」をつくりなおすことがいつも可能であるとか、 望ましいとは限らないということである。 さらにもっと大事なこととして、 市民の参画が非常に有益であることを学んだ。 これまで極めて集権的に計画が実施されてきた日本において、 これは特に重要である。

 最後に、 他国の都市に関わるプランナーにとって重要なのは、 神戸の復興過程において起きたことがらを、 住民・ビジネス(産業人)・行政それぞれの視点から理解し、 将来の災害に、 最もふさわしい復興策へ活かしていくことである。 (010913記、 大村紋子さん訳)

 

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トッピングさんの自邸でのnsf調査討議、左端がトッピングさん(000311カンブリア)
 Kenneth C.Toppingさんとはじめてお会いしたのは、 1995年6月9日、 IPA(ニューヨーク・行政研究所)のDavid Mammenさんを団長とする阪神・淡路大震災の国際調査団で神戸に来られた時である。 翌1996年5月には「お礼まいり」を兼ねて、 青池監督らとボストン、 ニューヨーク、 サンフランシスコなどで震災復興の映像報告に行って、 マメンさんやトッピングさんらと再会した。
 トッピングさんは1994年のノースリッジ地震の時にロサンジェルス市の都市計画局長をされており、 震災復興計画の専門家です。 1998〜2000年に、 NSF(米国科学財団)助成の「震災復興まちづくり/ノースリッジと神戸の経験から」という日米共同調査に、 ご一緒させていただくことになり、 2000年3月には室崎さんらとアメリカ西海岸を訪れ、 カンブリアの自邸で討議したこともあった。
 1999年度に兵庫県が行った震災対策国際総合検証事業では、 「まちづくり」分野の「復興まちづくりをめぐる課題とあり方」というテーマの検証委員を、 伊藤滋先生と共に勤められました。
 背高のっぽのケンさんは、 小さい頃姫路で育ち、 日本語も日本の習俗もよくご存じです。 パサディナから、 風光明美な太平洋を望む小さな町カンブリアに移り、 悠々たるリタイア人生かと思っていましたが、 依然として全米を飛び歩いておられます。 「Planning for Post-Disaster Recovery and Reconstruction」という冊子を1998年12月にAPAから共著で出されたり、 BIDにも詳しいです。 <小林郁雄・記>



 

新長田駅北地区(東部)土地区画整理事業まちづくり報告(15)

久保都市計画事務所 久保 光弘

XII 制度(その3)

4。 区画整理に関する施策

 ・まちづくりコンサルタントの視点から復興区画整理における施策について整理しておく。

1)段階型区画整理手法

 ・2段階方式都市計画は、 現場のコンサルタントとして以下の3つの点からわかりやすく、 建設的なものであったと思っている。

 (1)都市計画とまちづくりの結ぶ役割
 (2)当地区の都市原型(条里地割)との整合性
 (3)段階型区画整理手法
 ・(1)については、 本報告(14)で述べているので重複をさけるが、 1段階目の都市計画決定(1次都市計画決定)は地域の根幹的施設整備である。 震災直後は、 地区を越えた広い視点で議論することは雰囲気的に困難さがあるだけに、 1次都市計画決定は、 地域形成の視点から十分に説明しうるものとして決定されていることが必要である。 そして、 コンサルタントは難しくともその視点から説明しなければならない。

 ・(2)については、 本報告(11)で述べているのでこれについても重複をさけるが、 当地区の都市原型である条里制地割のシステムと2段階方式都市計画システムがよく適合することである。

 ・2段階方式都市計画は、 区画整理手法からみれば、 段階型区画整理手法である。 段階型区画整理手法については神戸市では昭和50年代前半に西区玉津地域の市街化区域農地において「2段階区画整理」又「粗い区画整理」として調査研究が行われ、 私も参加した。 その後、 昭和57年に「段階土地区画整理事業」(建設省都市局通達)が生まれたが、 その仕組みは考えていたものと異なっており、 その後、 具体化されることがなかった。

 ・神戸市に限らず、 関西の市街化区域農地には、 条里制遺構がみられるものも多い。 しかし、 スプロール的に宅地開発が進行し条里制遺構が失われていく状況をみるにつけ、 条里制遺構の保存、 活用するうえからも、 また住民参加の観点からも段階型区画整理の必要性を感じ、 大阪府下等、 機会あるごとに提案もしたが、 その後具体化したとは聞いていない。 平成5年、 私はこれを「条里制土地区画整理事業」として、 日本都市計画学会「都市計画(181号)」に投稿した。 これらの段階型区画整理は、 新市街地における手法であったが、 はからずも今回「都市計画とまちづくりをつなぐ区画整理手法」として既成市街地においてその実践を経験する機会に恵まれた。

 ・この段階型区画整理は、 本報告(III)において述べているように、 まちづくり協議会における段階的な計画形成とそれに対応した行政の対応(都市計画決定、 事業計画決定、 諸制度の導入等)といったわかりやすい計画プロセスをつくることができるものといえる。

2)ツイン区画整理手法

 ・平成4年都市計画中央審議会は、 「土地区画整理事業による市街地整備の方策」を答申されており、 その中に「ツイン区画整理事業」の提言がある。 この「ツイン区画整理」は「一つの土地区画整理事業の中で密集市街地と新市街地の整備にあわせて行い、 密集市街地からの転出希望者に対して新市街地にゆとりのある換地を確保するとともに、 新市街地において先導的な住宅、 商業施設等の立地による宅地利用を促進する手法」である。

 ・新長田駅北地区は、 JR新長田駅に接した密集市街地であり、 指定容積率が高い地区であることもあって、 新しくつくられる幹線的道路や近隣公園などにより、 大幅に公共用地が増加する。 (注1)増加した公共用地は、 土地の先買いにより確保されているが、 その量が多く、 かつ商業系用途地域、 工業系用途地域が指定されている地区では住宅地に比べてその代替の土地を他に求めることが難しく、 他の住居系区画整理区域に比べて用地買収が難しいといえる。

 ・神戸市は、 平成8年11月、 新長田駅北地区の当初の新長田北エリア(42.6ha)にJR鷹取駅北側のJR鷹取工場跡地の鷹取北エリア(17.0ha)を加えることとし、 新長田駅北地区の区域について都市計画決定の変更を行っている。

 鷹取北エリアは、 新長田北エリアに比べ、 地価の低い飛び地であり、 「ツイン区画整理手法」が具体化された事例となる。 鷹取エリアの1/3が新長田北エリアからの飛び換地に利用されることになっている。 新長田北エリアの地権者にとって、 換地面積が従前面積より増加することから地権者にとって有利な面もあり、 地区の工業施設等地権者には飛び換地の意向もみられる。

3)減歩

 (1)政策的な減歩率
 ・当初、 市が協議会に提示した平均減歩率は10%であったが、 鷹取東第一地区で減歩率9%の要望を市に示したことから、 当地区各協議会のまちづくり提案においても平均減歩率9%の要望が行われ、 そのように決まった。

 関東大震災における復興区画整理では、 減歩率が「1割」、 東京戦災復興区画整理の減歩率では「1.5割として施行後の宅地価格の総額が施行前の宅地価格の総額に比して減少した時は、 減価補償する」(注2)とされていることをみれば復興区画整理の政策的な減歩率として「1割」が一つの指標であるようにみえる。

 ・新長田駅北地区において従来の区画整理の減歩率算定によれば、 減歩率は二十数%になるようである。 従来、 区画整理の減歩は、 区画整理後の土地価格の上昇による増進がその根拠となっているが、 近年の地価動向からみてその根拠が危うくなっているうえ、 復興区画整理という緊急時に減歩についての議論は混乱を招く大きな要因となることを考えれば状況にあった政策的な減歩率設定の役割は大きい。

 (2)減歩率についての現場での説明
 ・協議会などまちづくり現場における減歩率の説明は、 もっぱら建築基準法における接道義務の規定で説明している。 すなわち、 当地区における町街区のアンコの中は2〜3mの私道であり、 平均的な敷地をモデルに道路中心線より2m壁面後退すると、 実際建築敷地として利用可能な敷地は、 9〜10%減歩された敷地面積と変わらないという説明である。 その場合、 そうすれば町街区のオモテはどうかということになると説明に窮するが、 不思議とその反論がでなかった。 それは、 町街区のアンコの地権者が圧倒的に多いということによるものであろうか。 当地区においては、 全体としてみれば減歩率をめぐっての大きな紛糾はなかった。

 (3)減歩率設定のまちづくりにおける効果
 ・通常であれば、 道路や公園面積は減歩率と相関関係にあるため、 地権者が生活道路の幅員を考えるにあたって減歩率を切り離して考えることは難しい。 その点、 この復興土地区画整理では、 「道路が広くても狭くても平均減歩率9%ですよ。 」ということは、 住民に純粋に生活道路のあり方を考えてもらうことができるものであった。 町街区内の生活道路は幅員6mとする協議会がほとんどであったが、 その根拠として「3階建を建てるに合った道路」「ガレージに車を容易に入れられること」等が聞かれた。 JR駅前にある町街区内には、 将来のことを考えてみちひろばとして8m道路が提案されたが、 「減歩率が変わらないのなら広い方が良い」という意見で決定した。 一方、 1町街区のみであるが、 そこでは生活道路の幅員を4.5mとして決定している。

 (4)狭小敷地への対応
 ・密集市街地の区画整理は、 狭小敷地における再建が重要な課題である。 当地区の敷地規模別分布(H8)をみると40〜60m²の土地所有者が最も多く全地権者の6割を占める。 狭小敷地に対する施策と当地区での状況は以下のとおりである。

 (1)私道の評価と狭小敷地での減歩
 露地等私道部分の1/2を整理前の画地地積(基準地積)に含めている。 また基準地積が65m²以上を減歩率9%とし、 25m²未満を減歩率0%その間(65m²〜25m²)を傾斜減歩としている。

 (2)共同化・協調化
 共同建替が共同化希望者に対しておおむねカバーして建設できた。 (本報告(7)・(8))その参加地権者の中には保留床を買増し従前の住宅水準を向上させたものも見られる。 協調建替、 協調的建替も狭小宅地の再建に対して有効な手段であるが、 協議会等で努力が払われたものの現段階では、 4軒協調的建替1件のみであり、 本報告(7)でふれているように区画整理における協調化については計画技術上検討の余地があると思っている。

 (3)神戸市インナー長屋街区改善制度による建ぺい率緩和
 震災前まで敷地いっぱい建てられていたものが多く、 狭小敷地では建ぺい率が再建において厳しい制約となる。 地区計画を定めた場合インナー長屋街区改善制度の適用によって街区全体を角地敷地扱いにより建ぺい率が緩和される。 当地区の指定建ぺい率60%区域は、 この制度を活用し、 建ぺい率緩和が図られている。

 (4)地区計画による敷地面積の最低限度
 (3)で述べた区域における地区計画において敷地面積の最低限度を60m²(仮換地として受けた土地は除外)として狭小敷地の再発生を防いでいる。 (この項続く)

 (注1)新長田駅北地区全体(鷹取エリアを含む)の従前公共用地率18%、 従後公共用地率40.2%
 (注2)石田頼房「日本近代都市計画の百年」自治体研究社、 1987

(01、 09)

 報告(I)〜(4)は「きんもくせい」(創刊号〜50号)を、 (5)は「論集きんもくせい」第4号を、 (6)〜(14)は「報告きんもくせい」第3〜27号を参照してください


 

快適な都市空間をつくるために・・・

茨木市都市計画課 大塚 康央

■はじめに

 
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青木仁氏 著書「快適都市空間をつくる」(中公新書、2000年6月)
 
 第7回のまち研。 公団本社の青木次長(国土交通省から出向)に、 氏の著書「快適都市空間をつくる」での主張などを主に、 スライドを使いながら、 その想い、 提案を熱っぽく語っていただきました。

 この研究会に公団職員でもないのにお邪魔して、 しかも、 今回は報告まで。 ホントにいいの?と自問自答しつつ、 感想でよいとのことなので、 勉強させていただいているお礼をかねて担当させていただきます。 行政の一員としての反省も込めつつ、 個人的な意見、 感想に終始すると思いますが、 お許し下さい。

■語られたこと

 青木氏の主張は、 市民、 行政、 専門家が「都市生活者として、 同じ視線で考えてみよう」。 そして、 「あらゆる制度は変更可能であり、 市民の持つ権利(納税者、 有権者、 消費者しての)を自覚し行使することによって快適な都市空間の形成が可能になる」。 「都市空間を快適なものにするために、 できるところから始めてみよう」ということでした。 その背景には、 産業都市から生活の場としての都市づくりに人々の関心が移っているということがあるとのことでした。

 高度成長期に、 欧米にキャッチアップするという国家目標のために、 民間では「経済性」、 公共では「公平性」という大原則を掲げ、 効率性、 合理性を追い求めてきたことが、 結果として、 現在の決して豊かとは言えない都市空間や都市住民の生活を作り上げ、 また、 このような社会(人々の意識がバブルを生みだし、 今の経済状況をもたらしたのではとさえ、 考えるときがあります。

■民間の「経済性」

 行政にいると、 日に数件、 開発協議が回ってきますが、 計画思想の根底に流れているのは経済原則です。 バブル崩壊後は、 不良債権の回収という点で経済の論理がより鮮明になっているようで、 投資した資金をいかに回収するかという視点はあっても、 快適な都市空間を作ろうという想いを感じることが出来る計画は稀と言わざるを得ません。 建築敷地の中で、 いかに効率的な土地利用を行うかが重要で、 これは「公園」が建物配置の難しいところ(有り体に言えば「ヘタ地」)に設けられ、 公園としての機能や周辺地域からの使いやすさは二の次で計画される傾向があることに端的に現れています。 また、 高密度の計画が、 建築紛争をもたらすこともしばしば。 周辺にも目を配った快適な都市空間の形成が採算性確保の支障になるとは思えないのですが・・・。

 先日の歌舞伎町の火事も根は同じなのかなと考えると、 何とも言えない気分になります。

■公共の「公平性」

 一方、 公共(行政というほうがいいでしょうか)も、 制度に寄りかかって、 前例を重視し、 新たな対応は避けたがる。 このときの基本原則は「公平性」です。 多少おかしくても、 定められたルールに合致しているのだからOK。 もちろん、 扱う案件によって対応が異なることがあってはならないのですが、 問題は、 そうすることによって生まれる「おかしさ」に自ら気がついていないことなのかもしれません。 (自戒も込めて)

■専門家の「自負心」

 専門家は、 都市づくりのプロである我々に任せておけという姿勢や使命感が強いあまり、 市民の気持ちを忘れてしまったこともあったのではないでしょうか?特殊法人の改革問題についても(確か、 今回の研究会でも指摘があったと思いますが)都市公団が、 住宅・宅地供給のプロの視点で対応していては限界があるのでは?と老婆心ながら思います。 また、 この研究会全般に流れているのは、 「生活の場を、 住まい手の立場にたって考えていかないと駄目ですよ」ということではないかとも。 そういう意味からも、 住む人や納税者の視点から、 今後の都市公団の役割を論じていく必要があると思います。

■木をみて森をみず

 このように、 開発計画では敷地内での計画に意を払い、 隣や周辺は二の次。 一方、 行政も制度の運用を重視し、 その結果、 手段が目的化し、 本来目指すべきことを忘れていることもしばしば。 幸か不幸か、 私は都市計画とか建築のことを学校で学んできた人間ではなく、 仕事の中で勉強してきたのですが、 制度を理解するためには、 その目的、 趣旨を知ることが大切で、 それが理解の早道とも考え対応してきました。 目的実現のための制度であるはずだからです。 このことは、 今後もしっかり考えておきたいと思います。 ただ、 建築基準法は難しすぎて今でもわかりません。 こんな難しい法律を扱うことができる専門家だけが都市をつくるのではないことを、 もう一度考えてみる必要もあるのでは?

■効率性と快適性

 快適都市空間の形成に、 都市に関わるものとして出来ることから始めようとされました。 それぞれの行為の積み重ねが「都市」、 「環境」をつくっているのですから当然のことですが、 このためには、 「身だしなみ」とか「公徳心」とか、 死語になったかのような言葉を引っ張り出して「都市づくり」や個々の建築行為を考えてみる必要があるのではないかと思います。 となると、 まち研で時々議論になる「教育」の問題を抜きに語れないかもしれません。 今の教育は、 (入試制度をみても)「効率的に勉強したもの」が「評価される」システムのように思え、 少し心配なところもあります。

 また、 巷では「マニュアル化」が進んでいます。 コンビニとかファストフード店などで「○○でよろしかったでしょうか」という応対を、 いつでもどこでもされると、 世の中全体が、 より画一化、 単純化する方向に動いているように感じてしまいます。 (「よろしいですか」だと分かるのですが、 この言い方には違和感を覚え、 「マニュアル」化されているに違いないと勝手に考えているのです。 実は若者言葉だったりするのかも?)

 画一化により得られる効率性は、 数字ではかることが出来るかもしれませんが、 快適性とか快適な都市空間って、 数字とかマニュアルでは評価できないですよね。 どうですか?

■多様な価値観の中で

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都市ビジョンと建築抑制メカニズムと建築促進メカニズム
 社会が多様化してきていますが、 多様化が混沌化につながってはならないと思います。 都市はみんなでつくるもの、 育てるもの。 青木氏のお話にもありましたが、 この都市をより暮らしやすい空間に再生するためには、 「都市イメージ」「生活イメージ」の共有が重要で、 関係者は全て「生活者」なのだから、 この共通する立場にたてば快適都市空間の形成はそんなに難しくないはず、 ということです。 都市の整備を進めていくとき、 緊急性や当面する課題によって、 「提案型」、 「協議型」、 あるいは「牽引型」と、 いろんな方法があると思いますが、 いずれの場合も「視点の共有」が必要ということなのでしょう。

 また、 見ておかしいところは直していこうということも示されました。 おかしなところは、 おかしいと思える感性やものを見つめる眼を、 養っていきたいと思います。

■おわりに

 「木をみて森をみず」については、 「木」を「プライベート」、 「森」を「パブリック」に置き換えることができるかもしれません。 プライベート空間だけでなく、 セミ・パブリックやパブリックを含めた都市の空間を考える市民は確実に増えています。 この市民に、 行政や都市公団、 開発に関わる民間が、 どのように対応していくかが問われはじめています。 このような中で、 快適な都市空間の形成に向け市民ととともに取り組んでいくための考え方や姿勢を改めて考えさせられた研究会でした。


 

新聞記者から見た公団・まち・すまい

都市基盤整備公団 楠本 博

■はじめに

 小泉首相の「聖域なき構造改革」の下で、 特殊法人は「廃止か民営化」という結論だけを求められています。 平成11年10月に住都公団から改変した都市公団は、 居住環境の向上、 都市機能の増進等の課題に対応するため、 地方公共団体や民間事業者だけでは対応しきれない市街地の整備改善に関する業務および必要な賃貸住宅の供給に関する業務を、 地方公共団体・民間事業者等との協力や役割分担のもとで積極的に取り組もうとしています。

 しかし都市公団としての具体的な成果をまだ十分には示すことができていない中での今回の議論には、 個人的には非常に戸惑っているところですが、 一方ではこの機会に外部の方が公団をどのように見ているのか、 何を期待されているのかを真摯に受け止め、 適切な軌道修正を行う必要があります。

 そこで今回、 8月22日に開催された第8回の研究会では、 公団、 というよりも広くまち・住まい・住み手に対して鋭い目で接してこられた新聞記者のお二人にご登場いただきました。

 一人目は神戸新聞社社会部の磯辺康子記者です。 磯辺氏は震災復興住宅における暮らし、 特に高層集合住宅における高齢者の生活について取材をされてきており、 高齢者コミュニティの問題や、 計画側の計画意図が住み手側の住まい方と合致していない問題などを指摘されました。

 もう一人は毎日新聞社学芸部の西村浩一記者です。 西村氏は「住まう」というシリーズ記事(ハード重視の「住まい」から住み手重視の「住まう」へ名称変更)を担当されており、 一方では現在お住まいのマンション管理組合の理事長をされております。

 当日はお二人とも執筆された記事などの資料をご用意いただき、 事例を通じて非常に具体的にお話をしていただきました。

■復興住宅の取材を通して【磯辺氏】

 
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磯辺康子氏(神戸新聞社)
 
 震災後に新しく生まれたまちの代表格であるHAT神戸は、 一方で最先端の深刻な高齢化問題に直面しています。 HAT神戸を含む災害県営住宅においては高齢化率が40%を超しており、 介護が必要な人たちのコミュニティの出現にどう対処すべきか。 平成13年3月に出た「今後の県営住宅のあり方について」という答申では、 県営住宅をフレキシブルな発想で使うことの重要性を強調しています。

 ところで「まちづくり」というと技術系の人が技術的な視点に立って面的整備をすることが強調されています。 これは役所の中だけでなく、 震災時には面的整備が必要な地区に技術系のボランティアが集まり、 仮設住宅の地区には福祉系のボランティアが集まるという傾向があり、 ともにまちづくりを考えなければならない地区なのに、 それぞれの交流はありませんでした。

 HAT神戸を見ていると、 ここを作った技術系の人は福祉的な視点が薄いのではないかと感じさせられることがあります。 高齢者のことを考えて作ったつもりの住宅が、 実は非常に使いにくい住宅であったりします。 例えば高齢者仕様として浴室などに手摺が設置されていますが、 人によって必要な手摺の位置が異なるのにもかかわらず画一的に設置されています。 そもそも力の弱い高齢者にとって、 風の強い超高層住宅の玄関扉の開閉は一苦労です。

 また、 県営白川台東高層住宅では全国で初のペット共生公営住宅となっていますが、 主に犬を対象にしていて猫のことはあまり考えられておらず、 3棟のうち2棟だけをペット共生にしたために残りの1棟と摩擦が生じたりと、 細かいところで配慮が行き届いていないところがあります。 また、 コレクティブ住宅を計画しても協同部分が広すぎて維持管理に費用がかかりすぎたり、 地区内に特別養護老人ホームを設置しても地区内の人を専属的にケアするという体制になっていなかったりと、 将来の管理までの配慮が不足しています。

 今は福祉系NPOがまちの中で数多く活躍しています。 技術系の人たちは、 こういった福祉系の人たちとかかわりをもってほしい。 そして公団に期待することは、 オピニオンリーダーとして福祉系の視点に立ったまちづくりを行うとともに、 こういったNPOをバックアップするような活動(例えば空室をNPOに安く貸す等)をしてほしいと思います。

■住むという決意とリニューアルの発想【西村氏】

 
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西村浩一氏(毎日新聞社)
 
 震災直後の仮設住宅で暮らしていた人は隙間風を防ぐためにあらゆる工夫をしていました。 一方、 分譲マンションに住んでいる人は転売する時に資産価値が下がることを気にして壁に押しピンひとつ押せません。 仮設住宅の方が「住む」という決意が高く、 マンションの方が仮住まいのようです。

 そこにずっと住み続けるという決意が無ければ、 隣近所にかかわる必要もなく、 逆にマンションは隣近所との付き合いをしなくても良いのが利点と錯覚して生活をしている人もいます。 しかし、 実際にはマンションは個別では建て替えることもできないので、 本当は戸建て住宅地よりももっと強いコミュニティを持っていなければ、 いざという時に(通常の日常管理においても)大きなトラブルになりかねません。

 ところで今、 建て替えの話をしましたが、 老朽化したマンションを壊して建て替えることについては疑問を抱いています。 例えば裁判になった千里桜ヶ丘住宅の例ですが、 戸当たりの床面積が58m²しかなく、 建物が老朽化してコンクリートが落下するなどの危険性があるといって所有者の97%の人は建替に賛成しました。 しかしながら、 ここでは修繕積立金と管理費を月々2千円しか徴収しておらず、 メンテナンスが不十分だったから老朽化したと言えます。 また、 97%の人が賛成したのはバブル絶頂期の平成2年に立てられた計画で、 58m²の住宅に住んでいる人が無償で80m²の住宅を手に入れられるという今では考えられないものでした。 さらに重要なことは、 日本の産業廃棄物の2割が建設廃棄物であり、 世界の二酸化炭素排出量の1%が日本の建築関係が原因だったりと、 今までのスクラップ・アンド・ビルドの発想は環境面でも好ましくありません。

 そこで建て替えよりもリニューアル、 ということになります。 公団に新しく「トータルリニューアル課」というものができたそうですが、 その考えに賛成です。 リニューアルというとパリのオルセー美術館の例が有名ですが、 日本でも建築家の青木茂氏が、 大分県宇目町で古くなった町民センターを全面改装して町役場にしたという「リファイン建築」を行っています。 これにより環境への配慮だけでなく、 工事費も当初想定していた半分の4億円で済んだという実益もありました。 これは集合住宅にも応用できるのではないでしょうか。

 公団はもっとリニューアルに力を入れるべきだし、 公団の活路というのはそこしかないと思います。 都市公団と言われても、 一般にはやはり今までの住宅のイメージが強いし、 今後の高齢化に伴う新築住宅需要の減衰という背景の中で、 硬直した仕事のやり方では未来はありません。 そこで、 リニューアルによる質の高い住宅を供給するとともに、 リニューアルの際には様々なタイプの住宅を用意してコミュニティ・ミックスを図り、 集合住宅のコミュニティを活性化してほしいと期待しています。

■議論の内容・感想など

 今回のお二人の話をお聞きして、 「都市公団」となった(「住宅」の文字が消えた)としても、 やはり一般には住宅ということで認知されているということを強く感じました。 しかし、 住宅政策というのは長期的な視点に立って取り組むべきことなのに、 日本では経済政策という非常に刹那的な問題と絡められている。 住宅も道路と同じように都市の基盤であるし、 更に言えば「まちづくり」というのはそこに人が住むことを前提に行うのだから、 住宅を抜きにして基盤整備だけを行うというから一般の人たちに理解されないのではないか、 という意見がありました。 たしかに「住宅建設は原則として民間に委ねる」ことになっていますが、 住宅を抜きにまちづくりだけを語るというのは世間的にも理解されません。

 また、 公団には住宅のストックが多数あるが、 そこで公団が行っているのは単に建物の維持管理だけであり、 集合住宅(さらには「まち」)を運営・管理するということは行われていない、 という議論にもなりました。 まちの運営というと六甲アイランドで積水が行っている各種のサービスが有名ですが、 それは集合住宅のコミュニティ形成のために非常に役立っています(それが住宅地としての質の向上にも寄与しています)。 公団が自らこのような事業に手掛けるのは無理ですが、 それなら地域のNPOに働きかけ、 それを公団がサポートするというシステムを構築すべきだという意見もありました。

 新聞報道にもあるように、 永田町・霞ヶ関では公団の民営化は避けられない勢いになってきています。 都市公団に対しては今回に限らず様々なご期待や御提案を頂いていますが、 それに対してどのように応えることができるか、 そしてできるだけ早く分かりやすく行動する、 そうすることによって「やはり公団でないと」という評価を得られるように努力していきたいと思います。



情報コーナー

 

水谷ゼミナール10周年記念フォーラム2001 〜神戸で育ったアーバンデザイナー達による〜 〔報告〕
水谷博士論文 再び、 町住区をめぐって

 
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討論会第2部の様子
 
 9月15日(土)こうべまちづくり会館において、 水谷ゼミナール10周年記念フォーラム2001が行われました。 故水谷頴介氏の弟子や生前に親交のあった方々を交えて、 氏の博士論文のテーマである町住区をめぐり、 報告と討論がなされました。

なお、 パネル展示「都市と建築の提案II」も9月13〜25日に中突堤のまちとくらしのミュージアムで開催されました。

○開会  総合司会/武田則明(武田設計)

○基調講演「町住区とサスティナブルコミュニティ」/室崎益輝(神戸大学都市安全研究センター)

○町住区をめぐる討論会

 第1部 震災復興と「町住区」
  司会/小林郁雄(コー・プラン)
  パネラー/上山 卓(コー・プラン)【灘中央】
         久保光弘(久保都市計画事務所)【新長田北部】
         宮西悠司(神戸・地域問題研究所)【真野】
  コメンテイター/鈴木成文(神戸芸術工科大学)、 小森星児(神戸山手大学)、 広原盛明(龍谷大学)、
            垂水英司(神戸市住宅供給公社)、 小浦久子(大阪大学)

 第2部 遊芸空間と「町住区」
  司会/後藤祐介(GU計画研究所)
  パネラー/中川啓子(プランナーズネットワーク神戸)【まちを楽しむ】
         森崎輝行(森崎建築設計事務所)【建築】
         森田博一(シティコード研究所)【商業】
  コメンテイター/藤田邦昭(都市問題経営研究所)、 富安秀雄(市浦都市開発建築コンサルタンツ)、
            遠藤剛生(遠藤剛生建築設計事務所)、 田端修(大阪芸術大学)、 江川直樹(現代計画研究所)

○まとめ「町住区とコミュニティデザイン」/武田則明(武田設計)

※林泰義(計画技術研究所)メッセージ披露

○閉会   水谷 元(九州産業大学建築学科2年)
        有光友興(環境開発研究所)

★懇親会   18:00〜20:00 WADAホール
         司会/石東直子(石東・都市環境研究室)


イベント案内

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第22回連絡会

●武庫川シンポジウム −武庫川の新しい川づくりをどう進めるか

●第18回兵庫町並み保存会議・龍野大会

●灘中央地区 第2回「まちづくりマーケット」

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