きんもくせい50+32号
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臨港都市の再生と景観―釜山を訪ねて―

神戸大学工学部 安田 丑作

 この秋、 韓国の釜山をはじめて訪れる機会を得た。

 よく知られるように、 アジアのハブ港を目指す釜山は、 港湾機能の拡大とともに、 現在人口約450万人の広域市を構成する韓国第二の都市として目覚しい都市発展をとげつつある。 空港からの道すがらにも見られる超高層住宅群の林立する郊外住宅地開発や副都心の建設が、 そのことを何よりも如実に物語っていて、 郊外での低層戸建住宅群に馴染む私たちの目をまず驚かせた。 その一方で、 船舶の大型化とコンテナ化に対応するため物流機能自体の中心は、 市域西部に新しく造成されている港湾地域に移りつつあって、 旧市街の再開発とその前面に広がる釜山港を囲む旧港湾地域一帯の再編がこれからの大きな課題となっている。

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釜山の山麓密集市街地
 神戸と同様に海岸線に並行して帯状都市を形成する釜山の旧市街では、 人口の空洞化が進んでいるが、 都心や中心市街地での商業系再開発は相変わらず活発である。 釜山の市街地の多くは戦前の植民地時代以来、 土地区画整理事業による都市基盤の整備がされてきたが、 その背後の山麓斜面地一帯には、 戦後の混乱期とそれにつづく跳躍期に都市基盤の未整備なバラック街が形成された。 この地域の環境改善整備のため、 70年代には全面再開発地区、 改良地区、 緑地地区からなる高地帯再開発事業が実施され、 一部のバラックの撤去と移住とともに、 傾斜度20度以下の宅地化、 20度以上の緑地化が図られ、 生活支援のための山腹幹線道路が開設されてきた。

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左が望洋路、 右が高度地区規制のある住宅地
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釜山港と旧市街
 この山腹幹線道路は「望洋路(マンヤンロ)」と呼ばれ、 旧市街を貫く「中央路(ジュンアンロ)」、 港湾産業道路の「忠壮路(チュンザンロ)」とともに都市軸を形成しているが、 その名の通り眼下に旧市街と釜山港が眺望される景観道路でもある。 望洋路沿い一帯では、 これまで大庁公園から釜山港への眺望確保のために5段階の高度制限が敷かれ、 特に望洋路から海側では最高高さがその路面以下という厳しい建築制限が課せられてきた。 ところが、 90年代になるとこの一帯にまだ残るバラック街を対象として住環境改善のための住環境整備事業地区の指定がなされ、 その結果、 公的な場所(望洋路)からの眺望を塞ぐような高層集合住宅の建設が容認されはじめた。 臨港都市・釜山は、 その都市としてのアイデンテテイともいえる大景観(公的眺望)を守るか生活改善かの選択を迫られているといえよう。

 もっとも、 私たちに同行し案内してくれた研究室の女子留学生(彼女の研究テーマは臨港都市の眺望景観)の話では、 行政や市民の眺望景観についての関心はいまひとつ高まっていないという。 その後彼女には、 一律な高度規制ではなく、 アメリカのニューヨーク(バッテリーパークシテイ)、 サンフランシスコ、 シカゴなどのビューコリドー(眺望回廊)政策などの有効性についても検討してはと助言してみたが、 一部の歴史都市でのランドマーク景観問題が話題になった他には、 公的な眺望景観の課題にこれまで本格的に取り組むことのなかったわが国の都市景観政策を通じて直接教示できるものはない。

 ただその時の私には、 眼前の釜山港への眺望と、 あの震災直後に皮肉にも神戸の街がつかの間垣間見せた、 六甲の坂の上から南の海に向けて視線の抜けた「都市の原風景」の記憶とが混ざり合った戸惑いの方が大きかった。

 いずれにせよ、 わずか2泊3日の短い滞在で多くを語ることはできないが、 神戸と釜山が同じような臨港都市として、 港と都市との再生への課題を共有していることを強く感じた。 釜山港を囲むウオーターフロント開発自体については、 昨今の経済情勢のためやや開発スピードをスローダウンしている感があるものの、 これからの神戸における、 ハーバーランド―メリケンパーク―新港の1〜4埠頭―PIの1〜5バース―三菱・兵庫埠頭・川重と連なる内港都市地域(インナーハーバー・タウン)の形成の可能性とも重ねるとき、 臨港都市再生の将来像が構想されるようで特に興味深く思われた。


 

『復興住宅・コミュニティ応援団』の設立と
社会実験として『コミュニティ茶店』を開店

石東・都市環境研究室 石東 直子

<復興住宅・コミュニティ応援団設立趣旨>

 震災から間もなく丸7年が過ぎようとしています。

 現在、 復興公営住宅では、 新しい住宅に移り住んだ後、 新しい環境に馴染めないで、 隣人や地域とのつながりをもてずに、 住宅に閉じこもってしまっている高齢者を中心とする居住者が少なくありません。 また、 健全な食生活ができないで、 日中からお酒を飲んだりしている人もいます。 このような人たちが、 隣人や近隣とのふれあいをもち、 安心して、 健康な暮らしが維持できるようなきっかけをつくることが、 緊急の課題です。

 一方、 近隣とふれあって何かをしたい、 生きがいを見つけたいと思っている意欲のある居住者たちに対しては、 その場がないということも、 課題のひとつです。

 このような課題の解決策のひとつとして、 居住者たちが日常生活の中で、 いつでも、 身近な場所で、 自然なかたちで隣人たちとふれあう場=協同リビングをつくるために、 自治体と協働できる組織『復興住宅・コミュニティ応援団』をこの秋に立ち上げました。

 応援団の設立は、 「復興住宅等のコミュニティ形成に関する中間支援組織のあり方」をテーマに、 被災者復興支援会議IIの住宅部会が開催した井戸端フォーラムに参画した多様な支援活動団体や個人の有志によります。


<社会実験としての具体的な事業展開>

 復興住宅・コミュニティ応援団は、 社会実験として、 期間と地域を限定して、 地元自治会や行政と協働して、 復興住宅・コミュニティ再生事業『コミュニティ茶店』を既成の枠に囚われずに実施してみることにしました。 その第1号の実験成果をもとに、 地域を広げたり、 居住者たちの自律したコミュニティを育むための事業展開やそれを支援する新しい施策の実現に結びつくことを目ざしています。

 そのために、 復興住宅の空住戸や余り有効活用されていない集会所を自治体に提供してもらい、 そこでモデル的に「居住者の協同リビングづくり=コミュニティ茶店」をスタートさせます。 これは、 外部のボランティアやNPO等の支援に全面的に負うものでなく、 上述したような課題からみると、 居住者自らが参画した事業として推進していくことが望ましいと考えます。 そこで、 まず事業展開に向けての有効な方策等を探るために、 応援団が第1号事業として新在家南復興住宅でスタートさせました。


<コミュニティ茶店・新在家南(3号棟)の開店>

 新在家南復興住宅は、 阪神電車新在家駅の南、 国道43号線を越えたところに、 陸の孤島のように位置する、 658戸の復興住宅(神戸市営、 県営、 公団)です。 団地内には日常利便施設は何もなく、 43号線以北まで行かなければなりません。 3つの住宅供給主体のため、 団地全体を対象とした集会所はなくて、 3棟の市営住宅には各棟の1階に小さな集会室があり、 公団住宅には独自の集会所があります。

○ 場 所   神戸市営住宅・新在家南3号棟の集会室
○ 期 間   11月16日〜12月14日の月、 水、 金、  開店時間は 10時30分〜15時30分
○ メニュー  クッキーつきのコーヒー・紅茶・煎茶が1杯100円と無料のほうじ茶


<開店状況は繁盛しています!>

 
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コミュニティ茶店の様子1 コミュニティ茶店の様子2 コミュニティ茶店の様子3
 
 開店してから5回目の26日までの状況は、 日を追う毎に和やかないい雰囲気が出てきています。 1日の来客数は20人〜30人余りで、 朝の開店を待ち構えての来客、 1日に2回みえる人、 折り紙学習組、 将棋対戦組、 2杯注文される人、 ご夫婦組、 毎日来られる人、 長居をされる人など、 常連客が増えています。 居住者どおしの話が弾み、 15席が満席になる時もあります。 学童が放課後にオヤツ持参で来て、 宿題やカード遊びをして楽しみ、 学童保育所にもなっています。


 

まちづくりと女性:地理学の視点から

広島大学総合科学部 フンク・カロリン

1. なぜ、 まちづくりに興味を持ったか

 私はドイツの大学で地理学と歴史学を専門に院生を出た後、 いろいろなことで日本で生活することになった。 現在、 広島大学で地理学と地域研究を教えている。 なぜ、 ドイツ人の地理学者が神戸のまちづくりについて研究するのか、 最初に多少説明が必要かもしれない。 まず、 ドイツの地理学では、 地域開発、 都市計画、 まちづくりなどが重要なテーマで、 地理学を専門にした人の多くはその関係の仕事をしている。 日本を研究対象にしている地理学者は何人かしかいないが、 このようなテーマに集中している。 それは学問的な背景で、 個人的な背景は震災のときに西宮市に住んでいたことである。 1992年から西宮市に住みながら神戸のいろいろな大学で教え、 また神戸駅の近くにある合気道の道場に通い、 仕事や趣味の関係で神戸が生活の中心であった。 外国人にとって非常に住みやすい神戸や芦屋、 西宮は、 震災からどう立ち直るか、 神戸を離れてからもずっと気になっていた。 そこで震災6年後やっと、 その研究にとりかかることになった。

 震災復興のなかで、 神戸・阪神はまちづくりの先端地になったといえよう。 生活環境を取り戻す巨大な課題をかかえながら、 新しい構造やアイディアがたくさん生まれた。 ドイツでは、 この10年間、 環境というテーマが都市計画やまちづくりにおいて、 つまり行政からも、 市民からも非常に注目を浴びるようになったが、 神戸では、 震災後、 同じような傾向があったかどうかはまず私の関心の一つであった。

 まちづくりの先端地というのは、 新しいテーマをとりあげるだけでなく、 今まで参加しなかった人もまちづくりに関わるようになったことが条件である。 インタビューのなかで、 隙間という言い方を使った方(コープランの天川佳美さん)がいたが、 震災によって社会が揺られ、 隙間ができて、 それを利用して今まで活動しなかった、 できなかった人たちが活動するようになった。 伝統のあるまちづくりのグループを見れば、 男性が中心であることが目立つが、 震災後、 活躍される女性が増えたことが確かである。 そこで、 私のもう一つの視点は、 女性のまちづくりへの参加であり、 そのため、 まちづくりに関わっている女性のインタビューを続けてきた。 インタビューを元にまとめた話をきんもくせいに載せ、 この場をかりて、 お忙しいところ、 インタビューに応じていただいた多くの方々、 また、 コンサルタントとしての自分のフィールドを紹介していただくなど、 神戸の事情について丁寧に教えていただいた多くの方々に感謝を申し上げたいと思います。


2. 地理学におけるジェンダー論からみたまちづくり

 ここで地理学におけるジェンダー論をまとめるつもりはないが、 一つの視点を提供したい。 それは、 プライベート・スペースと、 パブリック・スペースの視点である。 現代社会では、 女性の活躍範囲がプライベート・スペースに集中し、 パブリック・スペースは男性の世界である傾向がいまだに強い。 阪神大震災復興まちづくりセミナー2000の報告書には、 現地からの各報告に対して、 石東直子さんのコメントが次のように書いてある。 「今までの話に、 ...女性の姿が全然ありません」(神戸まちづくり協議会連絡会・阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク編「震災復興まちづくり5年と今後」2001年、 p.40)。 つまり、 裏で活動を支えたり、 または家庭で決定権を持っているに違いないが、 パブリック・スペースで行われるまちづくりには、 女性が参加しにくい面がある。 場所的に、 パブリック・スペースがかなり限られている日本の都市では、 組織として確定している自治会や財産区などが会館のようなスペースを持っているが、 ボランティアグループになると、 場所の確保に苦労する。 利用する組織、 使い方のルールが確定していないパブリック・スペースが創生されれば、 女性のまちづくりへの参加に新しい展開がみえるのではないだろうか。


3. まちづくりにおける女性の参加:データからの検討

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グループ名簿にみる女性の参加
 女性がまちづくりに関わっている程度が、 非常に計りにくい。 以下で出している数値は目当てにすぎないが、 いくつかの傾向が見えると思う。

 まず、 兵庫県で活動しているグループを集めた「グループ名簿」(市民活動センター編、 2000年)で神戸市内のグループを見た。 グラフで明らかになるが、 まちづくりをテーマにしているグループでは代表者が女性である、 または女性の会員が男性より多いグループが少ないが、 福祉に関わるグループの場合は逆に女性の活動が集中している。 また、 1995年に数えられた88まち協のうち、 女性のリーダがいたのが5ヶ所のみ(日本建築学会近畿支部環境保全部会「住民参加のまちづくりを目指して」1996年)。 プロの世界をみると、 母集団になる兵庫県の建築家のなかではわずか6%が女性である。 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワークでは16%、 阪神グリーンネットでは22%と、 少し割合が高くなる。 つまり、 プロのなかでは、 女性はボランティア精神が強く、 特に緑化に関心を持っている傾向がみられる。


4. 現地に向かって:まちづくりのグループ

 正式に都市計画地区にまち協として活躍するグループ、 長年活動を続けて、 まちづくり提案や景観ガイドラインの策定までいたったグループ、 活動をはじめたばかりのグループ、 自治会との対立から生まれたグループ、 インタビューに訪れたところは様々であった。 世帯が単位となって、 市に対して代表生が求められている都市計画地区のまち協では、 女性が役員として活躍する場が少ない。 役員は男性で、 それを影で支えるボランティアは女性の仕事。 都市計画のプレッシャーがかかっているなか、 往来の自治会方式を変える余裕がなかったかもしれない。

 最初に調査で訪れたところは、 それとは全然違う。 住吉浜手まちづくりの会(東灘区)の女性10人に集まっていただいた。 こちらから質問をしなくても、 2時間はあっというまに過ぎるような元気さ。 メモをとってくれている神戸大の伊藤さんはついていくのが大変。 話が3つのテーマに集中した。 生まれてからここに住んでいるメンバーが5人もいたが、 昔、 砂浜で泳いだところは今埋立地の工業地帯、 おまけに産業廃棄物処理場が最近できた。 まちづくりの会の範囲は43号線に横切られている。 子供のころ、 住みよい町だから「住吉」だと思っていたほど環境に恵まれていた場所は、 現在自分の子供にも住む場所として進められないほど、 公害が激しい。 もう一つ気になっているテーマは、 町の人口構造。 高齢者が多く、 若い人が少なく、 またはまちづくりには興味を持っていないので、 昔に比べて人間関係が薄くなってきた。 この2つのテーマは、 ノスタルジアの感じが強いが、 現実から目をつぶっているわけでもなさそう。 もう一つの課題は、 自治会との関係。 祭りのためにしか動かないなど、 厳しい批判も出るが、 将来に向かって協力する体制はどうしても必要だという意識もある。 実際に、 まちのなかをいろいろ案内していただいて、 自分の、 今まで持っていた「浜手」のイメージが変わってきた。 狭くて落ち着いた路地もあれば、 緑も多い。 路地は女性にとって重要な生活空間であり、 地震後ほとんど舗装されたが、 それは返って、 夏に暑いというマイナス面も指摘される。

 彼女らのまちづくりへの熱心な取り組みの根本は、 やはり地域への愛着だろう。 食べ物がおいしくて、 文化が盛んで、 山も海もみえる神戸全体への愛着と、 生活環境であり、 自分の土地がある住吉浜手への愛着が重なっているようにみえる。 その愛着を行動に移すようになった刺激は産業廃棄物処理場の問題、 つまり外からの刺激であったが、 その刺激は往来の自治会構造を揺すって、 女性が参加しやすい新しいグループが生まれた。


 

「住んでいた土地に家を建てる」施策のその後
−鳥取県西部地震被害の住宅復興策
(県が三百万円、 溝口町が百万円を上乗せする、 住宅復興補助金を交付する施策)

株式会社 クレイ 深田 健夫

□はじめに

 地震から1年が経ち、 被災地の住宅復興状況は、 どうなのか?
 鳥取県溝口町で、 復興住宅第1号の方、 ビニールハウスでの仮住まいが報道された方、 費用のほとんどを補助金で建設した方などに話を聞くことが出来た。


□再建された方にその後の暮らしについて話を伺った

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復興住宅第一号の安達一孝さん

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安達さんのおばあちゃん

安達一孝さん(溝口町畑池地区 御夫婦 二人住まい)

 ・被災後は納屋を改造して仮住まいをしていた。

 ・再建時、 役場の福祉保健課の人には、 たいへんお世話になった。

 ・再建後は、 建物は以前よりも狭くなったので、 始めは不便を感じていたが、 今は慣れた。 それ以外は、 住み慣れた土地なので、 これまでの暮らしが出来ている。

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ビニールハウスで仮住まいをした長尾さん

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「もうこの先、 家はありません」の長尾さんの復興住宅

長尾 忍さん(溝口町畑池地区 1人暮し)

 ・被災後はビニールハウスで仮住まいをしていた。

 ・再建後は、 狭くなったが、 今まで以上の暮らしが出来るようになった。 ただ、 家に縁側が無くて残念です。

 ・地震直後は、 1人では何も出来なかったが、 その後、 ボランティアの人が片付けや屋根養生などを手伝ってくれた。

 ・役場の保健婦さんや福祉課の人が、 いろいろやってくれたので、 たいへん助かった。

 ・地震の後、 知事が直接視察に来られたので、 たいへん感謝している。 ぜひ、 お礼が言いたい。

 ・大阪と和歌山で暮らしている子供達が、 盆に帰って来たときに、 倉庫を建ててくれた。

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新しく家が建つまでの藤嗣さんの仮設住宅

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写真の苦手な藤嗣さんの復興住宅

藤嗣カネヨさん(溝口町福岡地区 1人暮し)

 ・被災後は納屋を改造して仮住まいをしていた。

 ・今年は、 目を患って入院をしていたので、 まだ、 これまでの生活に戻っていない。 今後は、 米を減反した土地で、 野菜や豆を作ってやっていくつもりだ、 年金が5万円ぐらい入るので、 贅沢をしなければ、 まあまあやっていけると思う。

 ・地震直後から、 保健婦さんや役場の人に、 いろいろお世話になった。 たいへん感謝している。

 ・家を建て替えるときに、 いろいろなものを捨ててしまったので、 とても残念だ。 今は、 家が狭くなったので、 物を入れる場所が無くて困っている。 まだ、 片付いていないので、 どこに何があるのか解からない。

 ・今でも、 地震の時のことを思い出すと大変恐ろしい。

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石垣さんの復興住宅

石垣久子さん(溝口町福岡地区 1人暮し)

 ・地震直後、 弟が近所に住んでいたので世話になった。 娘は松江、 長男は大阪に住んでいる。

 ・再建時、 区長さんにお世話になった、 役場に相談に行ったのが良かった、 たいへんお世話になった。

 ・再建後は、 これまで通りの暮らしが出来ている。 ただ、 以前は家が広かったが、 今は狭くなり、 物を入れるところが無いので不便をしている。

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藤山さんの復興住宅

藤山正之さん(溝口町福岡地区 御夫婦 二人住まい)

 ・被災後は、 これまでの家に、 修理をして住んでいた。

 ・再建後の暮らしは、 以前は牛を飼っていたが、 体の調子が不安なので、 もう飼う事が出来ないのが残念だ。 農地の被害が心配だったが、 田んぼも畑もこれまで通り出来た。 家もたいへん明るくなり、 こんな快適な暮らしが出来るとは、 地震直後は考えられなかった。 住み慣れた土地での暮らしが、 今まで以上に楽しく感じられる。

 ・再建時、 子供に金銭面などいろいろ世話になった。


□住宅復興補助金の効果について市町村のコメント

 日野町
  ・心配された人口の町外流出が最小限に止められている。
  ・居住の確保が進んでいる。
  ・精神的にも経済的にも被災者の支えになっている。

 西伯町
  ・人口の流出防止効果があった。
  ・経済的に安心感が得られ町民に喜ばれている。
  ・役場の職員が住民と接する機会が増え、 住民サービス意識が高まった。

 溝口町
  ・経済的にも精神的にも町民に喜ばれている。
  ・町民の町外流出が防げた。
  ・住宅の再建、 補修が順調に進んでいる。
  ・役場の職員が奉仕の精神で取り組み、 町民から見直したと評判が良くなった。

 米子市
  ・再建等住居の確保が円滑に進んでいる。
  ・補修も進み、 住みやすい環境になっている。
  ・収入の少ない高齢者等にとって精神的に大きな支えになっている。

 境港市
  ・精神的にも経済的にも支えになり市民に喜ばれている。
  ・住宅の建設、 補修が順調に進んでいる。
  ・地域経済への効果が出ている。


□おわりに

 今回、 私は藤山さんの建て替えを手伝うことが出来た。

 藤山さんの娘さんと私が中学の同級生という縁でのことだ。

 初めて藤山さんの家に、 伺った時に、 そこでの暮らしに驚いた。 牛を飼い、 ふんを肥やしにし、 食べるだけの米を作り、 畑でいろいろな野菜を作り、 裏山で燃料の薪を拾い、 牛のえさの草を刈り、 冬には、 わらやカヤでムシロや袋物を作り僅かな現金収入の足しにしている暮らしがそこにあった。

 藤山のおばあちゃんは、 「ここでの暮らしが楽しい、 家が傾いていても、 どんな不便があってもここでの暮らしを捨てる訳にはいかない」と地震で被害を受けた真っ暗な家の中で話してくれた。

 それから1年、 訪ねた時に、 おばあちゃんはカヤ取りに出かけた後だった。 作業場として作った土間に網かけのカヤの袋があった、 弓ヶ浜で生産される白ねぎの収穫に使うものだと主人から伺った。 そして、 家の廻りには、 たくさんのカヤが干してあった。

 晩秋の中国山地の山間の暮らしが戻って来た。

 暖かな日差しの午後、 そこここで畑作業をする人を見かけ、 道端で、 話し込むお年よりの姿が印象的でした。


 

西出町自治協議会
−まちなか倶楽部/歴史を活かしたまちづくり
(西出町歴史資料館の建設)

神戸市住宅局住環境整備部地域支援課 大西 稿

 小さなビッグプロジェクト!それが『まちなか倶楽部』です。 これからその内容をご紹介します。

【まちなか倶楽部とは】

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まちなか倶楽部
 西出町自治協議会が主体となって進めてきた、 歴史を活かしたまちづくりの一環として建設された拠点施設です。

 まちの歴史を紹介・展示したり、 地域の交流の場として活用することにより、 まちの活性化を図ることを目的としています。


【位 置】

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まちなか倶楽部 位置図
 まちなか倶楽部は、 JR神戸駅の南約700mに位置し、 神戸ハーバーランドにも近く、 交通至便なところに建設されました。 (兵庫区西出町1丁目)


【まちの歴史】

 西出町周辺は、 古代から国内海運の要衝の地として発展した「兵庫津」に隣接した所で、 明治以降は産業の発展に伴い急激に都市化が進みました。 その後、 第2次世界大戦の戦火から免れ、 また、 兵庫県南部地震においても、 壊滅的な被害を受けなかったため、 古くからの町割りと、 歴史を感じさせる神社や建物、 石碑などが数多く残されています。

 特に西出町には、 「平経俊」や「海の豪商・高田屋嘉兵衛」にまつわる石碑などが残されており、 また、 兵庫木遣音頭に見られる由緒ある芸能文化も受け継がれています。

 そのほか、 小磯良平氏が描いた、 第2回「こうべみなとの祭(昭和9年)のポスターや千石船の模型もあり、 歴史と伝統を感じられるまちです。


【まちづくりの歩み】

 西出町を含む約22haの地区において、 昭和60年に住民等から成る「西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会」が発足し、 約15年余り住民と専門家、 行政が『協働』の精神でまちづくりを進めてきました。 これまで、 公的住宅の供給や共同建替が行われてきたほか、 細街路の整備を順次進めています。

 また、 平成12年5月には、 西出町が中心となり、 「入江の歴史委員会」をまちづくり協議会の部会として立ち上げ、 地域のガイドマップの作成や、 歴史講演会の開催など、 歴史を活かしたまちづくりにも取り組んでいるところです。


【まちなか倶楽部の概要】

 平成13年6月8日に着工し、 雨が少なく暑い夏の約4ヶ月間作業を行い、 10月14日に完成しました。 (コンクリート打設の日だけ雨、 という幸運(?)にめぐまれました。 )

 敷地は約3.6m×約11mと細長く、 面積は約40m²で、 現在、 神戸市が整備を進めている都市計画道路湊町線(幅員27m)に面しています。

 建物は木造平屋建てで、 延べ面積約24m²、 間口は約9.3mと立派ですが、 奥行きは約2.6mしかなく、 軒の納まりは敷地に対してぎりぎりの設計となっています。

 淡路花の博覧会パビリオンの解体材(柱、 壁パネル)や、 住宅モデルルームの設備機器、 神戸市電の敷石を再利用するなど、 経済性と資源の有効活用を目指しました。

 外観は、 いぶし瓦葺きの屋根に銅製の樋、 漆喰と豆砂利洗出し(腰)の外壁です。 アクセントに袖壁風の"うだつ"が付けられ、 玄関には欅の館名板と格子戸。 面格子はベンガラ塗りといった具合に「西出町歴史資料館」にふさわしい外観としています。

 展示スペースは約15m²、 内部仕上げは、 天井、 壁、 床とも杉板貼りとしています。


【建設の方法】

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建設の様子1
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建設の様子2
 建設にあたっては、 今まで行なってきたまちづくりをより一層進める方法として、
 ●地域にある、 様々な技能や技術力を活かす。

 ●住民・専門家・行政・学生ボランティアなどが一緒に手作りする。 ="セルフビルド方式"
を取り入れました。

 西出町の住民が主体となって、 専門家から建築家の武田則明さん、 神戸市建築協力会の馬田工務店、 市職員、 そして何よりも大きな力となって下さったのが、 神戸芸術工科大学のみなさんです。

 写真にもありますように、 基礎掘りも棟上げも重機を用いず、 みんなの力でやり遂げました。 これも学生さんの若い力なしでは出来なかったと思います。 また、 学生さんの提案により、 作業には出られずとも、 軒先にバナーを掲げて建設を応援するなど、 まちぐるみの取り組みにできたと思います。

 オープンにあたっては、 今まで家の中に埋もれていた貴重な資料がぞくぞくと集まり、 溢れる程になりました。


【プロジェクトを振り返って】

 まちなか倶楽部の建設は、 まちの歴史を地上に表していくことの大切さを実感させてくれました。

 また、 その過程において、 住民が主体となり、 専門家と行政、 そして、 関心を持って外から見つめて下さる方々の相互協力によって、 初めて成し遂げることができたものであると思います。

 最後に、 企画段階から完成までプロジェクトに携わって頂いたみなさまにとって、 この経験が将来に役立つことを念ずるとともに、 お礼を申し上げて「まちなか倶楽部」の紹介とさせて頂きます。


 

松本線せせらぎ設計 レポート

エイライン 横山 あおい

 9月30日に完成(一部)した神戸市兵庫区松本地区(震災復興土地区画整理事業)における松本線のせせらぎ設計の概略を報告させて頂きます。

 

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写真1:9月30日 竣工式
 
 作業は、 松本線のまちづくり提案を受けて、 松本通3丁目から松本通8丁目までのせせらぎに対する計画を行い、 設計を行いました。 このレポートでは、 主に、 7丁目から5丁目におけるせせらぎ設計の部分を報告させていただきます。


1. せせらぎの基本的な考え方

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図1:松本線 基本的な横断構成 図2:松本線 5丁目基本イメージ平面図 図3:松本線 6丁目基本イメージ平面図 図4:松本線 7丁目基本イメージ平面図
 

 松本線の5丁目から7丁目までは、 すでに道路設計の縦横断設計が終わったところから、 無電柱化設計と共にせせらぎ設計は始まりました。 道路横断については、 車道センターから1.5%勾配を振り分け、 車道幅員を確保し、 官民境界ラインから、 約2%の勾配で歩道横断のラインは確定していました。 このことは、 せせらぎ部分で、 道路横断の不都合を吸収することを意味していました。 道路縦断的には、 7丁目が平均4%、 6丁目が平均0.7%、 5丁目が平均0.2%と、 丁毎に縦断的な特徴があり、 このことから、 流れの形は、 丁毎に変わることが予測されました。
 せせらぎの流れのイメージは、 基本的には、 緩やかにさらさら流れる水の流れのイメージを作るために、 流速=0.3m/秒、 水深=3cmを目安として設計を行いました。水の表情については、 縦断の違いから各丁毎に特徴を持つことになるため、 地形に合わせて設計を進めてゆきました。せせらぎの歩道からの高さを神戸市の側溝の蓋掛け基準(30cm以上は基本的に蓋をかける。 )をにらみ、 25cmをなるべく超えない設計となっています。

2. 松本のせせらぎの特徴

 松本のせせらぎの特徴は、 3つあります。
  1. 勝手ができるせせらぎ構造。
  2. 各丁ごとのお守りモニュメント。
  3. 乗り入れは、 蓋ではなく橋を架ける。


<勝手が出来るせせらぎ構造>

 各丁ごとのせせらぎには、 住民が、 自分たちの使い勝手のいいようにせせらぎを育てていけるしかけを散りばめています。

 いろいろな形状の深み(水遣りのためのたまり、 菖蒲などの植物を育てるための深み、 魚を飼う為の深み、 防水曹として使うための深み。 何段階かの深みを用意し、 それを石で調整する仕組みになっています。使うときは、 石をのけてせせらぎ側の景色に、 使わないときは、 危険を避けるために深みに入れ込むなど、 さまざまな使い方が出来ます。 )

 

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写真2:魚巣として使っている深み 写真3:魚巣として使っている深み 写真4:菖蒲を育てている深み 写真5:水遣りに使っている深み
 
 水をためる(水をためるために堰板をはめ込む切掻きや、 逆勾配の場所を設けています。 )

 道具箱(道具が入るベンチを各丁ごとに用意しています。 現在は掃除道具入れとして使っています。 )

 花壇(勝手に花壇が出来るよう低木などによる完成した姿の植栽を行っていません。 )

 

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写真6:堰板 写真7:道具箱ベンチ 写真8:住民が置いた花とオブジェ
 

<各丁ごとのお守りモニュメント>

 各丁ごとに、 お守りとなるモニュメント(お守り動物園)を用意し、 せせらぎを作ることとなった思いを親しみやすい形で表現しました。

 7丁目…水や子供の守り神。     河童
      (元あった皿池の水乞いの伝説を復元。)
 6丁目…結婚の幸福を意味する。  カワセミ
      (家族で住まう場所としての幸せを願う。)
 5丁目…復活を象徴する。       カエル
      (豊饒と結び付けられる意味も持つカエルを松本の新しい復活の意味をこめて。)


<橋を架けた乗り入れ>

 数多く出てくる乗入れに対し、 せせらぎに蓋をしたくないという地元の要望から橋を架けるという発想へ転換させ、 イペ材を用いた4t車に対応する乗入れの橋を架けました。

 

画像32s63
写真9:乗り入れ口
 
 ●松本線せせらぎは、 設計プロセスにおいて、 植栽1つ、 舗装材1つとして意味のないものがないほど、 さまざまな物語を重ねて今回の完成を向かえました。 それからさらに、 完成と同時に、 また新たに住民の手によって新しい物語が重なっていることを感じています。



情報コーナー

 

神戸市民まちづくり支援ネットワーク・第40回連絡会記録

 第40回連絡会が、 平成13年11月2日にこうべまちづくり会館において「コンパクト化へのアプローチ−地域社会・地域情報・地域通貨−コンパクトシティをめぐるメディア/ツール(その2)」をテーマとして開催されました。

 はじめに田中正人さん(都市調査計画事務所)から、 コンパクトシティについて自然との共生、 コミュニティ、 地域経済、 景観という4つの観点からの説明が行なわれました。

 稲垣暁さん(関西学院大学片寄研究室)からは「都市の中のシマ〜工業地域周縁部における南島社会〜」というタイトルで都会の中で琉球文化コミュニティが形成されるまでの経緯や、 近年の沖縄ブームによる琉球文化に対する認識の変化、 これから文化、 ビジネス、 社会教育、 ネットワークなどの面で地域とどう関わっていくかなどの報告が行なわれました。

 高木優子さん((株)コベルコピーアールセンター編集部)からは「横丁探訪〜街の個性化PRへの、 企業サイドからのお手伝い」というタイトルで神戸製鋼グループの発行する「ぱるたうん」というタウン誌をもとに企業文化の観点から見た地域貢献活動の現状と今後の展望について報告がありました。

 内藤裕道さん(まつえ・まちづくり塾)からは「地域通貨の流通がもたらす効果」というタイトルで現在松江市で流通している地域通貨「だがぁ」について、 現在の状況として流通量としてはそれほど多くはないが人と人とのつながりやボランティア精神のようなものが育ちつつあることや現在の管理体制について、 また地域通貨の課題とこれからの展開や可能性などの報告が行なわれました。

 山田章博さん(市民空間きょうと)がそれぞれの報告についてコメントを行なった後、 質疑応答では高木さんの報告について「地域の発展は企業の直接の利益にはならないのではないか」などの意見や、 内藤さんの報告については「地域通貨の流通は地域経済の衰退の可能性もある」「トラブルに対応できるシステムの確立をすべき」などの意見が出されました。   (神戸大学大学院生/中井健太)


イベント案内

●花みどり市民ネットワーク総会

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第22回連絡会

●宝塚山本地区 第7回花と緑のまちづくりワークショップ

●生野イルミネーションロード

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