きんもくせい50+34号
上三角
目次へ

 

社会的コストから考える耐震・バリアーフリー住宅改善

関西福祉大学教授・京都大学名誉教授 三村 浩史

 神戸震災の記憶は今でも生々しい。 そして復興から多くの教訓が導かれた。 ここでの体験と教訓を日本の都市は学べているだろうか。 耐震基準以前の住宅の崩壊で多くの生命が奪われた神戸の記憶で京都のまちを見ると、 随所で、 これは危なそうだと直感が走る。 旧い木造建物が密集し街路も路地も狭い。 しかし同時に、 それらの市街地は歴史的都市の魅力でもある。 伝統的な町家と町並みを保存再生する提言に私も加わっているが、 現実にこのままで大地震がくれば学者も責任を免れないだろう。

 ともかく住宅ストックの耐震水準の向上が急務であり、 昨年の京都市住宅審議会答申でも強調したところである。 耐震診断士を派遣する相談窓口を設けているが、 年間百件未満、処方箋を書いて工事に至るのはその数分の一でしかない。 市民の自発性だけに到底任せてはおけない課題である。 それが私有財であっても社会的資産と見て、 社会保険などの公的介入が必要である。 東京大学の目黒公郎先生の研究では、 耐震補強に先行投資しておけば、 災害後の社会的コストは住民支出で70%、 行政支出で25%も少なくなれると試算されている(朝日新聞11月25日)。 旧い住宅建築を不適格建物と見放すのではなくて、 耐震改修する基準を定めて、 公的支援を行なうことの根拠はあきらかである。

 社会的コストの計算は、 福祉の見地からする住居改修でも試みられている。 関西大学の馬場昌子先生の研究によると、 住宅を理由に在宅生活が送れなくなり施設入所した場合と、 バリアーフリー改善してそれなりに自立的な生活を続けた場合との、 累年社会的コスト負担の差は数千万円にも及ぶとのことである。

 私は、 防災と福祉の両目的を総合するような住宅改善について、 すでに先進自治体が始めているように、 個人住宅であっても社会的コスト対効果が適正と評価できる範囲で、 積極的に公的支援すべきだと考える。 また関連する税制や保険制度からの応援も求める。 備えあれば安心で、 憂いも軽減される。 こういう平常時システムがあれば、 災害後の住宅復興にとっても大きな力になるはずである。 広まればローカルな雇用と市場にも良い影響が及ぶに違いない。

 

画像34s01
三村浩史先生
 三村先生とはじめてお会いしましたのは、 今から14〜15年前に西山夘三先生や向井正也先生たちと石東直子さんの旗印のもと11人での中国江南への旅でした。 まだまだ西山先生もお元気で、 3人の巨匠が街の景色をせっせとスケッチをされたり、 カメラに納められたりする姿に、 ものをよく見、 触れ、 自分で筆を動かすことは先生達のお仕事に向かわれる姿そのものなのだということをその時知り、 感動したことを今もなつかしく思い出します。 そして私の旅を楽しむ原点にもなりました。
 きんもくせい1月号の巻頭は、 「専門家」として「学者」としての先生のご指摘と最後の一行にこめられた若い人たちへのメッセージに頭が下がる思いです。 (天川佳美・記)


 

まちづくりと女性:地理学の視点から(その2)

広島大学総合科学部 フンク・カロリン

4. 現地に向かって:まちづくりのグループ(その2)

 次に現地調査で出向いたところは、 須磨区の月見山であった。 ここでは、 まちづくりの構造が非常にややこしくて、 3つの自治会の範囲にまたがる西須磨まちづくり懇談会、 部会をいくつか持っている月見山自治会、 そして山陽電鉄月見山駅の周辺を対象にした月見山本町2丁目とその周辺まちづくりの会がある。 集まっていただいた5人の女性は自治会のまちづくり部会に関わっている他に、 西須磨まちづくり懇談会から発生した福祉NPOだんらんなど、 様々な活躍をしている。 一週間のうち7日間、 地域活動に関わっているというメンバーもいた。 一方、 自分が年をとらないうちに、 いろいろコンサートなどを楽しみたいので、 自分の地域活動をもう少し抑えたいという声もあった。

 月見山本町2丁目とその周辺まちづくりの会は震災後のマンション建設計画に対する反対運動からスタートした。 それまでも、 地域内に計画されたマンションに対する反対運動の経験があったが、 今回ははじめて成功したことが刺激になった。 マンションが建つと電波障害、 日当たりなど、 生活に密接した問題がおこり、 または立ちのきのための補償金の使い方が周辺の女性達の反対を呼んだ。 関東大震災、 阪神大水害、 戦争、 阪神大震災を経験した90歳の女性がマンションの計画地のすぐ隣に住んでいたが、 その方の力が大きかったようである。 地域内の他の空き地でも小さなマンションが建ち、 このようなことについて男性は仕方がないという態度が強く、 女性のほうが反対する。

 月見山は静かな住宅地で、 高齢者も多い。 まちづくりの大きな課題が道である。 一方は狭い路地が多く、 他方は震災後に中央幹線、 須磨多聞線の計画が復活し、 駅前の商店街を18mに広げる計画も再登場。 インタビュー参加者のなかには、 「生活の匂いがする」狭い路地が好きだという意見もあれば、 車が入らないから不便、 そのため家の建て替えのときかなり建設費があがったという意見もあった。 一方、 広い道路に対しては反対の意見で合意していた。 路地や道路の問題、 または多く残っている空き地の問題は今後のまちづくりのテーマである。

 月見山は女性にとっていきいき活動できる場所だという。 月見山自治会では徐々に役員の選挙や任期のシステムを改革したこともあって、 2000年には役員17人のうち5人は女性であった。 男性は公園管理、 女性は福祉や文化という、 役割分担がみえるが、 まちづくりにおいて女性が独自の立場を持っているといえよう。

まちづくりと女性:本人達の声

 以上の二ヶ所の他に、 岡本の商店街組合の会長を六年も勤めた女性の方や、 深江で活躍されている方を訪れ、 まちづくりの経験が長い地域の話を聞くことができた。 また、 直接まちづくりグループに参加していないが、 甲南市場の再建に関わった方や、 まったくまちづくりに関係ない方々にも、 まちづくりについての考え方を聞いた。 面白いことに、 まちづくりと関係ないはずの知り合いを五人集めたグループにも、 松本地区のまちづくり協議会の会計を担当した方が入っていた。 神戸で五人も集めれば、 まちづくりに関係する人が出てくるということかもしれない。 これらのインタビューにおける男性と女性の特徴についての発言に以下のようなものがあった。

 まず、 まちづくりにおける男女の違いをあげると、 男性と女性はまちの見方が違うと言われた。 毎日地域にいるのが女性だから、 まちづくりに関わるべきだ。 当り前の表現かもしれないが、 他の地域では女性が役員をやるべきではないと思う人が多く、 実際に自治会会長をやっている女性が夫に反対されているという話も聞いた。 震災後、 男性のほうが落ち込み、 女性のほうが前を見て活動した経験や、 女性が働くのが当り前になったことで、 力が付いたという声も。 女性の時代だから、 女性がだんだん進出していかないといけない。 また、 実際にまちづくり活動をやっているなかで、 女性であることが役立つ場合もある。 市役所などとの交渉、 または地域内の調整の際、 女のほうが本音で接するから、 建前のなかで本音が有効だったことが多いと、 経験者が話す。 ただし、 再開発や区画整理のような大きな事業を抱える地区では、 各世帯の代表が男性であることが当り前のようで、 男性のいない世帯のみ、 女性が役員として活躍する傾向がみえる。

 次に、 生活環境についていろいろ話を聞かせていただいた。 震災後、 マンションが急に増加してきているが、 それに対する不安が大きかった。 まちづくりグループの関係者は、 マンションの住民を地域活動に参加させることに苦労する。 まちづくりと関係ない女性は高層ビルのスラム化の恐れや、 震災後の電気・ガス・水道なしの生活経験から学んだ高い建物に対する不安を感じるという。 また、 震災後の一つの変化として商店街や小さな店が消えつつあることを惜しみながら、 仕事との都合もあって、 自分の買い物はスーパーで済ますような、 だれの生活にでも存在する矛盾もでた。 まちのなかのつながりについて、 まちづくりの理想は人間関係が暖かい下町だとされることが多い。 しかし、 自分はマンションとコンビニの生活でなんの問題もなく、 近所の人に「いつ結婚するの」と聞かれるのもいやだという、 若い女性の声もあった。 まちづくりにおいて、 男女の違いだけでなく、 世代の違いも大きいような気がした。

ボランティアからプロへ、 プロからボランティアへ

 自治会や、 それに関係の深いまち協では、 住吉浜手や月見山のように特別な条件がないかぎり、 女性の活躍がかなり限られている。 それに対して、 NPOは女性が多い。 今まで社会にでた経験があまりない女性なら、 小さなNPOやボランティアグループがちょうどなじみやすいサイズであり、 徐々に活動を広げていける。 一方、 日本の企業では女性が能力を最大限にいかせない場合が多く、 NPOでチャレンジをしたい人も多いと、 CS神戸の関係者がいう。

 都市計画事務所に事務のスタッフとして働き、 震災後、 独自のボランティア活動をおこしたことにより、 専門家のなかで自分の出る幕を作ったという話もあった。 つまり、 CS神戸や市民活動センター神戸のようにボランティアがプロになり、 「ガレキに花を」のような活動でプロがボランティアになり、 芦屋喜楽苑のように女性園長が作った特別養護老人ホームが地域ボランティアの拠点になるなど、 ボランティアとプロの境界線がはっきりしなくなり、 それによって女性が活躍できる形が増えた。 インタビューで何人かの方々に話を聞くことができたが、 それぞれの活動の内容は神戸であまりにも有名で、 こちらで改めて紹介する必要はない。 ただし、 アイディアの豊富さ、 考え方の柔軟性、 活動の積極性が私に深い印象を与え、 地方大学の研究者の生活にさらに疑問を持つようになったといえる。

プライベート・スペースからパブリック・スペースへ

画像34s11
住吉浜手のまちづくり見学の様子
 活躍の形が多様化しただけでなく、 活躍できる場所も多様化した。 それはもちろん、 女性にかぎらないが、 上にふれたように、 公民館など、 使い方が決まっているところのほうが、 新しい活動を展開することが難しく、 場所の多様化が活動の多様化を支えているといえよう。 御影市場の空き店舗を利用した図書室や弁当屋、 岡本で民間の人が作って、 商店街組合が管理するコミュニティーホール、 深江駅前の花苑やほっとスポット広場、 住吉浜手でデイケアに利用されている元幼稚園での会議室、 月見山で西須磨だんらんが作ったデイケアセンターやビオトープに変身した公園など、 数多くの事例が見られた。 そこで神戸市のまちづくり創生スポット事業がよく活用されているが、 その問題点は時間の制限である。 活動の内容が震災復興活動から長期的なまちづくりに変わりつつある現在こそ、 長期的に利用できる場所が必要である。

 ただし、 長期的な利用になると、 場所の管理問題が登場する。 実際訪れた現地の多くでは、 公園や会館などの共同管理に関する悩みをよく聞いたが、 共同で管理し、 利用できる場所があるからこそ、 地域の関わりができるという意見も多かった。 地域内で多くの時間を過ごす女性にその管理がのしかかる恐れがあり、 せっかく新しく創出されたパブリック・スペースが女性の負担にならないように、 今後注意が必要。

(本連載は今回で終了です)


 

震災復興すまい・
まちづくりで出来なかったこと、 しなかったこと

ジーユー計画研究所 後藤 祐介

・ はじめに

 この「私の復興まちづくり検証」では、 これまでは、 阪神・淡路大震災復興すまい・まちづくりにおいて取り組んできた主として白地地区における住民主導型まちづくりとしての「ルールづくり」や「ものづくり」等の出来たことについて整理してきたが、 今回は、 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいて、 何が出来なかったか、 しなかったかを振り返り、 今後のまちづくりのための反面教師としたい。

1. 災害公営住宅の新しい住戸プランの取り組みをしなかった

 阪神・淡路大震災復興すまい・まちづくりでは、 兵庫県下全体で、 約7万戸の公的賃貸住宅が建設されたが、 その住戸プランは、 一部のコレクティブハウス等を除き、 殆どが規格統一型で、 21世紀を迎えての新しい取り組みはされなかった。

画像34s21
神戸市災害公営住宅の型別供給方針表
 これは“平成7年3月に、 当時の建設省、 住宅・都市整備公団をはじめ、 兵庫県、 神戸市他被災市町、 住宅金融公庫、 住宅供給公社等から構成される災害復興住宅供給会議により、 円滑、 かつ速やかな復興に資するため、 標準間取り、 部品の規格化・標準化を行った”ことによる。 即ち、 阪神・淡路大震災において、 大量に供給された災害公営住宅は“工事費削減を図りつつ、 大量、 かつ迅速な供給を行う”ため、 住戸プランについては何も考えられなかった。 加えて、 供給サイズは下表に示すような4タイプとし、 約40m²の1DK、 約50m²の2DKで全体の6割を占め、 約60m²の3DKを含めると9割までが約60m²以下の小規模住宅を供給する方針とされた。

 私が係わった、 災害公営住宅は、 (1)神戸市の湊川中央周辺地区第一種市街地再開発事業における保留床としての災害公営住宅(150戸)と、 (2)芦屋市の若宮地区震災復興住環境整備事業における市営若宮町住宅(92戸)である。

 (1)湊川中央周辺市街地再開発事業では、 150戸の住宅のうち、 120戸を公団に買い上げてもらい、 それらを今後20年間神戸市の災害公営住宅として利用するという仕組みをとってもらったものである。 従って、 住戸サイズの配分は下表の通り約40m²の1DKと約50m²の2DKで76%を占め、 約60m²の3DKを含めると92%となっている。

画像34s22 画像34s23 画像34s24
湊川市街地再開発におけるタイプ別住宅供給戸数 湊川市街地再開発ビル(2階から上が災害公営住宅) 湊川災害公営住宅の基準階平面図
 

 (2)芦屋市の若宮町住宅は、 存置住宅や再建される戸建住宅と融和するよう、 小規模分散配置、 住棟の分棟、 分節化等キメ細かい住棟配置や外部空間の構成に配慮した設計を行ったが、 住戸プランは規格統一型の次のような内容であった。

画像34s25 画像34s26 画像34s27
若宮町住宅の間取り図 変化に富んだ外観の若宮町住宅 芦屋市若宮町住宅のタイプ別供給戸数
 

2. 多様な事業手法の組み合わせが出来なかった

 阪神・淡路震災復興まちづくりでは、 多くの土地区画整理事業(16地区)、 第二種市街地再開発事業(10地区)、 住宅地区改良事業(3地区)等の法定面整備事業が実施されたが、 尼崎市築地地区における土地区画整理事業と市街地再開発事業の合併施行以外は、 それぞれの単独事業として実施された。

 これは、 震災復興にあたって、 国、 県、 市の行政サイドの予算配分における縦割りの単純な仕組みが反映された結果であり、 当時の建設省の区画整理課、 市街地再開発課、 住環境整備課等それぞれの部課が単独で予算化を図り、 県を経由して、 被災市町と短期間に調整されたことによる。

 私が係わった芦屋市若宮地区では、 住宅地区改良事業が予算化された。 ここでは、 存置住宅と改良住宅の融和を図るため、 地区内移転者の一筆ごとの等価交換を行ったが、 今考えれば、 本来、 当該地区では、 住宅地区改良事業と土地区画整理事業の合併施行が検討されるべきであった。

 同じく私が係わった西宮北口北東土地区画整理事業では、 隣接して市街地再開発事業が全く別事業として施行されたが、 このケースも本来両事業の組み合わせが企画されるべきであった。

 震災時においては、 一日も早い復興が第一儀であるため、 2つ以上の事業手法の組み合わせを避けることは、 ある程度止むを得ないことであった。 しかし震災7年目の今となっては、 行政の縦割りに基づく一地区一事業手法の単純な取り組みが、 既成市街地のまちづくりの権利調整等において、 かえって多くの時間を費やし、 空間構成等にも問題を残した。

3. 白地地区の細街路の拡幅が出来なかった

 密集市街地における生活道路・細街路の整備は、 21世紀の都市再生にとって重要な課題である。

 私は、 阪神・淡路大震災復興まちづくりにおいても、 多くの地区でこの課題に取り組んだが、 白地地区では殆ど成就しなかった。 (このことについては(1)報告きんもくせい00年5月号「細街路拡幅整備の挫折と成就」及び(2)報告きんもくせい01年4月号の中で「復興まちづくりの成果」として報告している)

 このことは、 住民主導型まちづくりの事業における全員同意(合意集約)の難しさを痛感させられるものであった。 今後は、 密集市街地における生活道路拡幅の公共性を確認し、 生活道路拡幅のための柔軟、 かつ有効な推進手法の確立が期待される。

・ おわりに

 本稿では、 阪神・淡路震災復興まちづくりにおいて、 出来なかったことの主な3点を挙げてみた。

 「1. 災害公営住宅の新しい住戸プラン・・・」と「2. 多様な事業手法の組み合わせ・・・」は、 “一日も早く”という目標からは止むを得ないことであったが、 次世代に申し送る内容としては物足りなさを感じるものであった。

 「3. 白地地区における細街路の拡幅・・・」は、 改めて、 土地区画整理事業の偉大さを思い知るとともに、 今後のまちづくりにおける難しい課題であることが再確認させられた。


 

まちなか戸建を考える

都市基盤整備公団 西村 嘉浩

■はじめに

 毎週、 週末の新聞の折り込み広告には住宅関係の広告が入っている。 都心に近いマンション、 近郊のマンション、 郊外の大きな宅地の広告などいろいろなタイプの広告が入っているが、 それらの中で、 比較的交通の便のよいところに立地している建売住宅の広告を目にする。 これらの多くは、 3階建てで敷地は100m²に見たないもので、 比較的小規模で分譲されているものであるが、 新築の建物+土地で3,000万円を切るものも多く、 家賃並の支払いでローンが組めることもあり、 比較的堅調に売れているようである。 しかし、 これらの住宅が立地している場所は周りに細い道路しかなく消防車などの緊急車両が入りにくい場所であったり、 通風や採光等居住環境面において問題があることも少なくない。

 そこで、 今回は森本信明先生と藤田武彦先生をお招きして、 話題提供を受けながら、 まちなかの戸建住宅について議論を行った。

1. 藤田武彦氏(株式会社地域づくりネットワーク)

 
画像34s31
藤田武彦氏

 ・ 高度成長期に大量に供給された、 木造賃貸住宅は都市基盤の整備が十分でないところに建てられたものが多く、 防災面で危険な市街地が形成されている。

 ・ これに対して、 行政はこれらの木造賃貸住宅の建て替えに際し、 RC造りの共同化や協調化建て替えを推進することにより、 市街地の防災性の向上をさせ、 土地の有効利用を図ろうとしてきた。 しかし、 共同化は遅々として進んでいない。 また、 地権者の共同化意向も多くはない。

 ・ そのかわりに、 建て替え時期のきた木造賃貸住宅は、 駐車場になったり、 業者に売却されて建売住宅へと変貌している場合が少なくない。 建売住宅に建て替えられる場合、 “問題のある住宅地の再生産”と見る向きもあるが、 実際には需要もあり、 こうした地域で3F建て住宅は増える傾向にある。 こうした住宅および住宅地を“問題のある住宅地の再生産”にしない手だてが必要。

画像34s32
ネイキッドスクエア(寝屋川市萱島東地区)
 ・ 例えば、 寝屋川市の萱島東地区にあるネイキッドスクエアは府住宅供給公社の企画であるが、 容積率の高い集合住宅ではなく、 コーポラティブのタウンハウスとして建設されている。 価格的にも定期借地権の活用により周辺の建売住宅と競合できるものになっており、 「寝屋川の都心住宅」として高い評価を得ている。

 ・ 通常の建売住宅についても、 それぞれの企画の内容によっては、 評価できる点は評価して、 まちづくりに生かしていく視点も必要。

2. 森本信明氏(近畿大学理工学部建築学科教授)

 
画像34s33
森本信明氏
 
 ・ 定期借家制度を導入することにより、 賃貸住宅の供給を推進するという議論がある。 しかし、 社会の発展にしたがって「持ち家化」が進展するのはある意味必然であり、 制度の導入により持ち家率が低下することは考えにくい。

 ・ これは、 所有は最大限の利用可能性を保証するためと考えられる。 “不動産は「所有」から「利用」へ”といわれているが、 「所有」に対応するのは「賃貸」であり、 「利用」ではない。

 ・ また、 戸建ての持ち家指向は根強く、 都市部においても同様である。

 ・ これらを背景に都市部で3階建ての戸建住宅が増加している。 このため、 まちなかの戸建住宅を評価し、 質を高めるという視点が必要である。 しかし、 建物の単体レベル、 集合レベル、 都市レベルで克服すべき課題は多い。 また、 環境への負荷の視点も踏まえる必要がある。

画像34s34
「リサイクル型まちなか一戸建て住宅」リフォーム計画
 ・ これらの視点から住宅というものを考えていかなければならないが、 現在の建て替え動向などを考えると、 「100年もつ住宅」を追求するだけではなく、 寿命は短いがリサイクル可能な住宅を建てて更新していくことも一つの考え方ではないか。 そこで、 まちなか戸建住宅の一つのモデルとして、 大学の遊休地を使って「リサイクル型まちなか一戸建」の実証実験を行う予定である。 大学の地域への関与や民間との共同プロジェクトの意味合いも兼ねている。

 ・ この実験の中で、 まちなか戸建住宅の構造性能の確保・環境性能の確保・リフォーム性能の向上・リサイクル性能の向上等の検証を行う。

■議論から

 ・ 東大阪市で最近売り出された木造3階建て住宅では、 門や塀をなくすなど、 まちなみにも気を配っている物件があり、 人気も高い。 これは工務店だけではなく、 設計事務所も入って企画されたものである。 このように、 工務店と設計事務所、 あるいは工務店同士の連携により、 3階建ての戸建住宅でも良好なまちづくりに資するものを造り出すことは可能である。

 ・ その地域のまちづくりには、 結果的に地元の工務店が強い影響力を持つことになる。 このため、 工務店にも積極的にまちづくりに関わりを持つ仕組みが必要。 また、 実際には工務店と設計事務所、 あるいは工務店同士の連携は緊密とはいえない状態である。 この連携を支援する行政側のしくみを考えていく必要がある。

 ・ また、 密集市街地だけでなく、 地価の高いお屋敷街の売却が進んでいるなど、 さまざまな地域で、 まちなか戸建住宅の供給が進む可能性がある。 その場合、 そこにふさわしい魅力づけを持った住宅の供給が考えなければならない。

■終わりに、 感想

 都心居住が叫ばれている中、 地価が比較的高い場所で住宅を供給していく場合、 あるいは、 いわゆる密集市街地を更新していく場合に、 我々は土地を有効に活用しかつ防災性を向上させるため、 RC造の集合住宅を前提に計画を考えることが多い。 しかし、 現実の住宅需要等に即して考えてみると、 このような計画が必ずしも受け入れられるわけではなく、 実際には戸建住宅の需要が高く、 その傾向を抑えることは困難であることから、 うまく計画誘導が行われないという現実に出くわす。

 これは都市経営や都市計画の理論と実際の市場動向や制度が乖離していることに一因がある。 我々は計画を策定する際には都市経営や都市計画的な観点からスタートしがちであるが、 この乖離を埋めていくためにも、 その地域の市場性を踏まえながら、 どのような住宅をまちなかに供給して、 将来のまちを形成していくかを考えていかなければ、 防災面でも実効性のあるまちづくりを行っていくことは難しい。

 今後、 建物の更新時期に入る住宅市街地においては、 RCの共同住宅一辺倒ではなく(必ずしもRCの集合住宅が最適解となるわけでない)、 一定の需要はある戸建住宅の建物の防災性能や空地の取り方等の建て方について議論を深め、 計画論と市場性の論理を接近させていくことが欠かせなくなるのではないだろうか。


 

農と住の共生するまちづくり
―宝塚市山本地区―

兵庫県立姫路工業大学 / 淡路景観園芸学校 林 まゆみ

■はじめに

 宝塚市山本地区は、 古くから日本三大植木産地として有名な地域であった。 近年は植木圃場の多くは生産緑地に指定され、 市街地の中の貴重な緑として植木圃場の保全が目指されている。 しかし、 近年大阪市にも便利なこの地は宅地開発が進み、 地域環境を再考する必要が生じてきた。 植木生産業の停滞など緑地としての植木圃場の維持が難しくなってきていることも一因である。 平成12年4月には、 「あいあいパーク」と名づけられた支所や園芸振興施設(株式会社TGC)、 またイングリッシュガーデンを持つ新池公園などがオープンした。

 「あいあいパーク」を地域拠点とした地域環境改善と植木生産業の振興が期待されていたわけだ。 こうした状況の中、 地域住民の参加によるワークショップ等の開催を通じて、 山本地区を中心とした地域活性化プランとアクションプログラムの実施を支援することとなった。

■住民参加ワークショップの概要

 
画像34s41
写真1:ワークショップの様子
 
 平成12年6月から「花と緑のまちづくりワークショップ」として、 植木生産業者も含めた地域住民が参加してさまざまなワークショップ(以下WSとする)を開催した。 WSは地元住民及び地元グループの構成員、 植木生産業組合の関係者、 市職員や市議会議員、 アルファグリーンネット(淡路景観園芸学校生涯学習修了生のネットワーク)の会員も参加している。 ファシリテーターとして緑のまちづくり支援にかかわるNPO会員、 淡路景観園芸学校教職員・学生達が参加した。

■山本地区・花と緑のまちづくりワークショップの経過

 第1回は、 まちの“好きなところ”、 “問題”、 “夢”の3点に視点を置き、 まちなみウォッチングを行った。 その結果、 歴史的景観や圃場の活用などの課題が挙げられた。 第2回は、 初回の“問題”を考慮しながら、 それらに対する具体的な「改善案等の提案」を目指した。

 ワークショップで検討した結果、 具体的な内容について、 グループで話し合った項目は1:ユリノキ並木の足下緑化、 2: 松尾神社の魅力アップ、 3:オープンガーデン(見本園+散策マップ)、 4:あいあいパークへのプロムナード、 5:天神川の復活についてなどの提案を実現するための討議もした。

 

画像34s42
写真2:公園整備予定地の見学
 
 また、 山本中町2丁目に、 約1000m²の街区公園が平成13年度に整備されることとなった。 ここはWSの検討区域内であり、 公園づくりについても住民参加で検討する必要があると思われた。 その結果第5回WSは、 「公園づくり・ワークショップ」を開催した。 公園というテーマとしては、 1日限りのワークショップとなるため、 これまでの参加者だけでなく、 公園予定地周辺在住の住民を中心に、 新規参加者19名を含む44名が参加した。 老人会、 山本子供会といった団体などさまざまな階層の参加が見られた。

 公園予定地の現況がゲートボール場として利用されていることもあり、 ゲートボール場を確保することが共通意見として挙がった。 そして、 残りの空間を如何に使っていくかという点で「児童図書館」や「憩いのベンチ」、 「山本らしい樹木を使った遊具」等の意見が出された。

■ワークショップの成果

 WSを通じ、 山本地区を中心とした地域活性化アクションプログラムに5つの提案がなされた。 またこの5つの提案を行うために、 住民間での相互理解や共通認識が持たれたといえる。 平成13年度は、 平成12年度の成果を活かし、 今後も継続的に住民参加型の地域づくり活動を行っていくことが重要であり、 より具体的な活動を実施した。

 

画像34s43
写真3:花壇の植え替えの様子
 
 すでに、 「花壇の植え替え」、 「ユリノキ並木の緑化」、 「オープンガーデン」の3つのアクションを起こしている。 あいあいパークの花壇の植え替えは5月と12月の2回行った。

 

画像34s44
写真4:ユリノキ並木の緑化の様子
 
 さらに昨年度から要望の多かったユリノキ並木(県道宝塚伊丹線の街路樹)の足元の緑化も行った。 ユリノキの足元で固くなった土をほぐし、 ベビーローズ、 ラベンダー、 ツワブキなど丈夫で四季折々に花が楽しめる植物を植えた。 今回は約250m区間の作業となったが、 今後区域を広げていくことが望まれている。

 

画像34s45
写真5:オープンガーデン・カフェの様子
 
 そしていよいよこれまでの活動を継続・発展させ地区の環境改善と植木産業の活性化を図るため、 「山本地区オープンガーデン」を開催することとなった。

 山本地区では、 植木生産業者の自邸の庭先や圃場もオープンガーデンとし、 「見る」だけでなく、 その場で「買えることも大きな特色である。 平成14年度の本核的なオープンを前に、 平成13年10月と12月に1回づつ、 「プレオープンガーデン」を行った。 自治会等を通じて広く庭主さんを募集したところ、 植木生産業者を中心とする約50軒の庭主が集まった。

■花とみどりのまちづくりワークショップを支える人

 宝塚山本地区で花と緑のまちづくりワークショップが継続的に行われてきた背景には、 植木生産業を中心とした地域資源がある。 今後も、 あいあいパークを中心としながら、 地域の環境資源を有効活用した環境づくりの視点が必要である。 特に次の3点が重要である。

 (1)植木生産業のまち山本の中の拠点としての「あいあいパーク」の位置づけ。
 (2)地元住民や来訪者にもわかりやすい植木のまち「山本」という共通認識を確認。
 (3)あいあいパークを中心とした活動の継続的な取り組み。

 これまで述べた植木生産業のある「農」と住宅開発の進んだ「住」のあるまちの共生あるいは地域環境の改善にかかわる住民主体型のさまざまな活動は多くの人や組織によって支えられてきた。 地域づくりはまさに、 そのような大勢の人と組織やグループによって支えられて活性化していくものである。

■参加のスタイル

 これまで、 多くの個人や組織が宝塚市山本地区の地域環境改善活動に参画してきた。 ワークショップに参加した人々の所属も実にさまざまだ。 これらの参加者は各WSごとのテーマに応じてその所属組織も変化する。 初期では自治会などのより地縁的な組織の構成員が多かった。 また、 植木生産業の組合関係者など、 いわば役職としての参加者が多く見られた。 しかし、 会を重ねるごとに、 テーマに沿った興味を持つ人材が集合した。 例えば公園づくりワークショップなどでは地域の子ども会にかかわるおかあさん達やゲートボールを愛好する老人会のメンバーなどが多く参加した。 また、 ユリノキ通りの緑化などには当地域の花づくりグループのメンバーが多く参加した。 オープンガーデンは植木生産業者の自邸や圃場と共に、 一般家庭の庭も開放するといっためずらしいものである。 それはとりもなおさず、 地域にかかわる住民が植木生産業の関係者であろうと一般市民であろうと、 当地区の環境を共に良くしていこうという共通の意思表示でもあった。 この目的のために大勢の地域住民が協力し合い、 2年度に亘るWSの経緯において、 参加者による散策ルートマップづくりや、 オープンガーデンの実施にその成果を結集させた。



情報コーナー

 

■ 神戸市民まちづくり支援ネットワーク・第41回連絡会記録

 当ネットワークの第41回連絡会が、 年明け早々の1月11日(金)、 こうべまちづくり会館で行われました。

 会の冒頭、 「21世紀−神戸住民参加のまちづくり」を全体テーマとする今年の企画予定について説明があり、 今回はその第1回として“コミュニティ施設”をテーマにした報告と議論が行われました。

 (1)後藤祐介さん(ジーユー計画研究所/「共同建替マンションの共用スペースとしてのコミュニティホール」)からは、 東灘区深江地区で市場の再開発に取り組んだ15年間の経緯と、 その後の震災復興の中で「文化」をテーマに、 住戸価値の低い1階部分に付加価値をつけるとともに高度利用の方策として屋内通路部分を公開空地にし、 地域のゆとりと文化の溜まり場としてのコミュニティホールを確保した共同建替事例の報告がありました。

 (2)重村力さん(神戸大学/「茅葺き農家を復元した八多ふれあいセンター」)からは、 北区八多地区で消えつつある茅葺き農家を移築・復元して、 公民館と地域福祉センター、 児童館が一体となった複合施設を整備し、 その施設が震災直後は被害の大きかった既成市街地への救援物資の提供拠点として大いに活用され、 現在も農村コミュニティの活動拠点として活用されている事例の報告がありました。

 (3)武田則明さん(武田設計/「みんなで作った西出まちなか倶楽部」)からは、 兵庫区西出地区で、 都市計画道路で切り取られ残った約40m²の土地に、 花博で使われた木材を譲り受け、 基礎打ちから棟上げまで大部分を地域の人々と神戸芸工大学生などの応援団が手作りで建て、 そのことが、 学生や地域の人々との交流の場としてうまく活用され始めていることにつながっている事例の報告がありました。

 報告の後、 まちづくりにおいて活動拠点を確保する際のプロセスの重要性ととともに、 学生など若い人が地域とかかわりをもつことができる環境づくりや、 地域の「遊芸空間」として施設や空間をうまく利用し、 維持していくためのソフトなしかけづくりの必要性などについて議論が交わされました。

(コー・プラン/上山 卓)


■ わたしたちのまちにもホームページができた! 〜インターネットで地域活性化を〜

 
画像34s51
西出町自治協議会公式ホームページ
http://www.nishidemachi.jp/
 
 昨年11月、 神戸市兵庫区の西出町自治協議会は、 公式ホームページ『WEBにしでまち』を開設いたしました(アドレスは、
http://www.nishidemachi.jp/ E-mail:webmaster@nishidemachi.jp)。

 人口約1400人の小さな町が町名を冠したドメインを取得し、 業者に依頼することなく、 住民自らが制作・運営するという、 全国的にもまだあまり例を見ない先駆的な試みです。


歴史と伝統、 そして、 進取の精神を受け継ぐまち、 西出町

 “海の豪商”高田屋嘉兵衛が本店を構えた町としても知られる西出町は、 兵庫の港とともに古くから栄えた町です。 市街地の中では珍しく、 歴史をそのまま受け継いだ町並みや伝統ある日本の造船産業を今も見ることができます。

 昨年、 セルフビルド方式を取り入れ建設した『まちなか倶楽部(西出町歴史資料館)』につづき、 現在は、 隣接する東出町、 東川崎町とで構成する西出・東出・東川崎地区まちづくり協議会として「高田屋嘉兵衛本店の地」の記念碑とポケットパークの整備を進めています。 このように、 歴史と伝統を活かしながらも、 嘉兵衛のような進取の精神を忘れない新しいまちづくりに取り組んでおり、 ホームページの開設もその一つと言えます。

 町の見所や歴史、 人物史の紹介のほか、 掲示板ではまちづくりに関する意見交換なども行われています。 『WEBにしでまち』で情報発信し、 地区内外の方と交流を深めることが、 地域活性化の足掛かりになると、 私たちは確信しています。 みなさんもぜひ訪れてみてください。

(西出町自治協議会)


イベント案内

●むすぶ・つなぐフォーラム

●第2回比較防災学ワークショップ

上三角目次へ



このページへのご意見は前田裕資
(C) by 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク

阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク・ホームページへ
学芸出版社ホームページへ