京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2013年4月号 掲載)
「南正一郎さん (40才) のトーク & 空手の型 と 長谷川知子先生のお話」
テープおこし 第2部

2012年11月3日 京都市障害者スポーツセンター


<長谷川先生のお話>

 皆様、改めて長谷川です。私はもともと小児科と遺伝が専門の医者なのですが、日本ダウン症協会の理事もしています。今年8月に世界ダウン症会議がありまして、日本ダウン症協会の理事として、他の4人と一緒に南アフリカのケープタウンに行ってきました。その時のことを少しお話します。

 この会議には3年前にも行ったのですが、その頃から比べると成人の生活や仕事の可能性がずいぶん増してきたのではないかと思います。それから自分でしっかり主張する人が増えてきました。今日は南さんが講演しましたけれど、こういう人が世界にはごろごろいまして、会議では発表の1割はご本人で、立派に講演されていました。そういう自分で主張する人たちを「セルフ・アドボケイト」という名前がつけられていました。自分のことを主張するためには教育や研修がとても大事で、一般の人達は教育を受けてきているのだから、ダウン症のある人も教育を受けるべきであるという発表もありました。

 それから、ご本人が自分の気持ちを出せるように支援していく、「意志決定支援」といいますが、それを世界中で進めていこうということになってきています。
 それから、ダウン症協会では「出生前検査」という、生まれる前の検査の普及を抑止するという活動をしていますが、今まで話したことも抑止につながるということで、世界中で親御さん達が頑張っておられるのです。

 出生前検査については、1990年代に母体血清マーカーという問題が出てきたときに、トライアングルの皆さんに一番お世話になりましたね。おかげさまで世界的にも最先端の見解というものを厚生省から出すことができました。今、アメリカやイギリスの各ダウン症協会が、やっと同じことを始めました。ですから、日本の見解は世界でも斬新な早い時期にできている。もしそれができていなかったら、新しい出生前検査が台頭している時にどうなっていたかと思うと、ぞっとするのです。トライアングルのみなさんのお蔭です。

 今度はもっと手ごわいのですよ。今出されている会社以外にもいくつもの外国の会社が日本を狙っています。また産婦人科の中には、「1990年代の失敗を繰り返したくない」という言い方をする人もいます。上手に導入しようと虎視眈々と狙っている産婦人科もいます。母体血清マーカーを促進させたかった人たちが「あの時はうまくいかなかったけど、今度こそ」と思っているのです。私は、前はダウン症協会に入っていなかったのですが、今は入っていて、今回はダウン症協会も全国的に頑張っていこうと思っています。今回も皆さまによろしくお願いしたいと思います。

 出生前検査は今いる人達を否定しないと言う人たちもいますが、それは詭弁だと思います。なぜかというと、ダウン症に対して検査するのが当然という世の中になったら、ダウン症であるということだけで生きていいかどうかまで周囲が勝手に判断していいということになるからです。本人が生きたくてもその意思は無視されてしまう。他の人からは、皆さんのお子さんを見て「ああ、気の毒ね。今なら生まれて来なくて済んだのに」という、蔑みとか憐れみの目で見られるようになる可能性があります。生んだ親御さんたちに対して、責められることがおこるのではないかと思います。これは私の勝手な思いではなく、いろんな人も言っています。アメリカのハーバード大学の有名な政治哲学者でTVにもよく出ているマイケル・サンデルという方も、そのことをはっきり書いています。

 ダウン症候群の染色体を初めて見つけたフランスのレジェンヌという方がいるのですが、自分が見つけた染色体の変化で、生活や生命が脅かされるような出生前検査につながったからと非常に怒って猛反対の運動をされました。 ダウン症のある人達の人生や生活を守っていこうとしている偉い先生達もいるのです。私たちも「ダウン症のある人達は、立派な人間なのだ」ということを言っていかないと、そこがわかっていない人が多いので、みなさん、ぜひ地域の中でつなげていってほしいと思います。

 もう1つ、総合支援法という新しい法律が作られています。政府で障害者制度改革会議と作られていまして、その会議で、何と!知的障害というのはないのだ、ということを決めたのです。人間には身体と精神しかないのだから知的障害はあり得ない、知的障害には支援はいらない、ということになったのです。なぜかというと、会議の委員である当事者がうまく発言できなかったからです。

 ダウン症の人や知的障害を持っている人は精神障害に入れられそうになったのです。これは大変なことです。全然違いますし、とんでもないことですよね。日本ダウン症協会を含んだ東京都の関係者と東京都の社会福祉協会が立ち上がり、それと親御さんと本人が声を上げました。「知的障害のある人は身体や精神障害と違う」と。この人達に必要なのは、ご本人に寄り添って意思を汲み取って支援する、意思決定支援であることを主張して、超党派の国会議員にもその声を聴いてもらったのです。その結果、閣議決定で意思決定支援の必要性を法律に入れることに決まったのです。危ないところだったんですね。やはり当事者が声を上げないと何もできないし、だんだん無視される。当事者が声を上げることで法律を変えていくことができるのです。

 日本ダウン症協会でも、総合支援法対策の委員会を作りまして、私も入っているのですが、その会で出生前検査の問題も含めて対策を練ろうということで、徹底的に話し合いをしながら進めています。西日本でも、ダウン症協会員で総合支援法対策委員になっておられる、冠木(かぶき)さんという弁護士さんのお父様が、その問題にきちんと取り組んでくださっています。大阪のダウン症協会支部が中心になって勉強会を始めていると思いますので、ぜひ皆さんも勉強してください。

 皆さん、わが子の将来のために、移り変わっていく現状をしっかり押さえていただき、その対策をぜひ話し合っていただきたいと思います。簡単に今の状況を話させてもらいました。また、質問があればお受けさせていただきます。


司会者  南さんのお母様です。先ほどは、「40男のそばで話を聞くのはよろしくない」ということで、保育の方に行っておらました。ここで、皆さんのお聞きになりたいことを質問していただけたらいいと思います。


<南さんのお母様からの一言>

 こんにちは。南正一郎の母です。67才になりました。最近は意欲がなくなって、若いお母さん達を見て、「ああ、昔は私もそうだったなあ」と言ってたけど、「昔そうだった」とばかりも言ってはいられないと思いました。

 この子生んだ時は、ダウン症候群という言葉も知らなくて、「ダウン症ですよ」と言われてから本を読んだり、お医者さんの話を聞いたり、先輩の親御さんの話を聞いたり、療育のグループに入って自分で勉強していった感じです。

 そんなに必死になって育てた記憶がないのです。もともと、几帳面なタイプでもなく、わりと横着な性格なのです。だから、子どものできそうなことを「がんばんな」とやらせてきただけなのです。特別この子の療育に合わせてやったのでなく、家族の一人として、できることはやらせる、今できなさそうな時はやらせない。時間がもったいない。とにかく楽しく、子ども達、いとこ達、近所の人達、私の友達とかの所に連れていって、「うちの子だから、まずは覚えて」ということで。心配する、恥をかくのは親の仕事だと思って、そういうふうに生きてきました。口が達者でよさそうに思えますけど、だらしないんですよ。親子で。(笑)でも、それでいいんじゃない。人間が好きで、こうして呼んでいただいて。おかげで、「何日に京都行くんだよね」と二人で相談したりして、「持ち物どう?」と言ったり、私よりも先に用意するようになってきましたね。だから頼りにしながら、私もとぼけてお世話になるようなふりしながら、もう少ししっかりしてもらおうと思っています。

 今日は、隣の部屋で小さい子ども達と一緒に遊んでいたのですが、うちの子はこの歳には、こんなに機敏に動かなかった。こんなに、「いやだ」とか「こうだ」とか「次これやる」とか言わなかった。本当にそうなんです。「南君は軽いからいいわよね」とよく言われたのですが、軽かったわけではないんですよ。だから、今日来られている大勢の子どもさん達はもっともっとやれるようになるでしょうね。本当に意思がはっきりしてるし、よく動くし、楽しみだと思いました。私も遊んでもらって楽しかったです。今日はありがとうございました。


<質疑応答>

質問   お肌のケアも気にされているようですね?

正一郎さん  40才になったのでお肌とか気をつけています。妹がいろいろと教えてくれて、「これをつけた方がいいよ」とか、いろいろ用意してくれます。化粧水と乳液を、ほんの少しをのばして顔につけています。男性ですからひげも生えますので、シェイビングローションをつけると結構違います。 顔を洗うときも、かるーくこするのがいいのです。その後に水分を与え、油もすこーし与えて、気をつけて毎日ケアをしています。

長谷川先生  ダウン症の方たちは、お肌が乾燥しやすいですね。ほうっておくと老化につながりやすいです。ダウン症は老化しやすいと言っている人も多いのですが、老化させていることも多いのではないかと思います。
 強い紫外線に当たらないことも大事です。一般の方はお肌をケアしているのに、こういう方たちがケアしないなのは逆におかしいですよね。そういう感覚は、ぜひみんな持っていただいた方がいいと思います。

質問   私の子供はまだ7才ですで、自分の話したいことなかなかしゃべれないのですが、南さんは言葉を整理しながらしゃべっていこうと思われたのはいつぐらいからですか?

正一郎さん  だいぶしゃべれなかったのですよ。妹がペラペラしゃべってくるのですが、そのうち自分がちょっとしゃべると、「え?え?」と聞き返すので、何とかしゃべろうとするのですが、今のようにしゃべれなくて。

 しゃべるのってあごを使いますね。おふくろに絵本を読んでもらって、はじめはマンガを読んで、絵本を読むようになって、普通の字ばっかりの本になった。それを読んでいるうちに、自分の声が通じるのか、吹き込んで聞くのです。聞いて、相手にどういうふうに聞こえるかなと思って、それを直そうと思っていた時に、NHKのど自慢を見て、練習するのはカラオケかなと思って、カラオケボックスに行きました。カラオケはまず、音程が取れなくてはいけない、歌を覚えなければいけない、あご使います。歌うのは腹の筋肉も使うんですよ。
 しゃべり方にもコツがあって、一気にしゃべるとわからない。ゆっくり小刻みに切ってしゃべる。

南さんのお母様   本当に、しゃべるのが遅かったのです。幼稚園の頃、たまに単語をしゃべるくらいでした。しゃべれなくても、いつも話しかけて、いつもこの子に愚痴を聞いてもらっているくらいしゃべりかけました。この子がわかってもわからなくても、子ども言葉ではなく、普通に話していました。訓練とかはしていないんですよね。

 実際にこんなにしゃべれるようになったのは、2才下の妹が生まれてから。その子がしゃべるのと同じように話し出しましたね。それと、小学校に入って、子ども達の言葉をいっぱい聞いて、真似してしゃべるようになったと思います。

 子ども同士大勢の中に入るということが、一番簡単だと思います。それと、どこへでも連れて行く。映画館でも公園でも駅でも電車でもバスでも、とにかく人間のいるとこ、どこでも連れて行くんですよ。家で靴ひもを結ぶ練習をするよりかね。どうしてもできないことをやらせることはない。何回やってもできないのなら、やらせるだけ時間のムダです。「これはもう少し大きくなってから」と思って小学校に入ってからやらせると、まだできない。靴ひもを自分できゅっと結べるようになったのはつい最近ですよ。今だから、指の力があるし、ここがこうと順序がわかる。でも、そのころに2〜3ヶ月かけて毎日毎日やらせるのは、その時間がもったいないと私は思います。それよりは、公園へ行って、他の子ども達がわぁーと騒いでいるのを見ること、聞くことがいいと思います。

 特別に言葉の訓練とか練習はしなかった。それは私が一番楽だったから。私は自分ができそうな楽なことしかしてきていないんです。「もう少しこうすればよかったかな」と思うのですが、やらないです。たぶん。(笑)

長谷川先生  皆さまのお聞きになったとおり、お母様の話し方がゆっくりです。早口でないというのが大きく影響していると思います。

質問   御本人がダウン症であるということを、どういうふうに思っていらっしゃるのでしょうか?

正一郎さん  5年生の時に言われたけど、何を言っているのか分からない。おふくろが言うには、「正一郎はダウン症ということがあるよ。遅いけど、成長しているよ」。そして、「できることはやりなさい」と「どうしてもできないことは、今やらなくていいけど、時期が来てできそうならやっていきなさい」と言ってくれたので、それが何よりの励みです。

質問   聞いたとき、ショックとかはなかったですか?

正一郎さん  全然ないです。「ダウン症だということは覚えておきなさい。こんなのだから」ということだけでした。

長谷川先生  ダウン症を親御さんがどう思うかですよね。ダウン症が悪いものだと思って伝えるとショックだけど、「自分のことを知っておきなさい」ということだけなので、それで受け止められたということです。

 完全な親にならないことが大事です。親が立派過ぎて、なにも隙がなくすべてが正しいとなると、子どもがつぶれてしまいます。思春期になると、「親も普通の人間なんだ。よいところもあるし、悪いところもある」とわかって、初めてみんな成長していきます。個別相談を受けているのですが、お母様が絶対的な存在であることが問題の根源ではないかなと思うことがよくあります。

南さんのお母様  社会で生きるためには、「玄関を出たら社会だよ」と身に染みていないと、本人が困ることになります。いけないことをした時は、「ふざけんなよ」という言葉にもなるくらい必死になって言いますね。それくらいしないといけないと思います。わかりやすく、時にはおっかない顔で。

 「いってらっしゃい」と出したら、今日は帰ってこないかもしれないと小学校も中学校も思っていました。次は何をしでかすか、何の文句が来るか、常にそうでしたね。何事かがあったら、学校から呼び出しがあったり、近所にあやまりに行ったり。私が先にあやまっておいて、「申し訳ありません。正一郎を連れてきますから」と言って、「こんなことしたでしょう。じゃ、あやまりに行こうね」と言って、子どもを横において、「本当にすみませんでした。ごめんなさい」とあやまりました。その姿を見て、わかってくれと思いました。

 今はこんなに気楽に話ができますけれど、その時はもう必死、一生懸命。私は素直で真面目に生きてきたので、世の中をどうにか生きてきたと思います。

長谷川先生  「いけないことはいけない」と徹底的にはっきりさせていらっしゃいます。「これだけは絶対ダメ」と一貫性があることが大事なのだと、私も学びました。

質問   5才の男の子の母です。好きなことをとことんすると話されていましたが、好きなことはいろんな体験をされた中で見つけられたのでしょうか?

南さんのお母様  いろいろ体験をさせようと思ってさせたのではないのです。特に探して与えるというのではなく、近所にあって見学にいったら受け入れてくれた。なんでも一生懸命に教わることはうれしいのでしょうね。

 そこが自分に合っていたのか、よく理解していただけたせいなのか、性格的なものなのか、ずっと通いましたね。でも、空手は2度、やめたいと言ったことがあります。「もったいないから、もうちょっと行ってみれば?」と言えば、「うん」と言って、また行く。そのうちやめたいと言わなくなって、また何年かしたときに、「やめたい」「もうちょっと行ってみれば」と言って、そのまま今まで続いています。今では自分から「行きたい」に変わって、「先生になりたい」とか得意になっています。

 病気になった時に、「おれ、もう空手できないんだよな」と言ったけれど、「退院して元気になればいいのじゃない?」と言ったら、「元気になったら行くんだ」と頑張っていました。また今回、京都に来ることになって、「おしゃべりして、空手の型も見せるんだ」と、特別の型を練習して、もっとやる気になりました。


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