京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2011年8月号 掲載)
歩かれへんけど歩いてる

……素晴しきかな、障害者の世界…… 

牧口 一二さん講演会のテープおこし本編へ

質疑応答

質問  お話を聞いていると、キリストの洗礼を受けたということなんですが、ご両親がキリスト教だったのですか?

牧口  全然違います。うちは日蓮宗やったんです。姉がミッションスクールに行くことになって、姉が教会の日曜学校に通いだしたのです。それで、教会の牧師さんにボクが障害者だということが知られるようになって、その牧師さんが気にとめてくれまして、しょっちゅうボクところへ遊びに来てくれたんです。クリスマスとかイースターの時にプレゼントを持って来てくれるようになって。ボクも、どこかでご恩返しせなあかんと思うようになっていて、大人になった時にちょっと教会に行ってみようかと、ボクから教会に行き出したんです。だけど、その頃は神なんかおるもんかとずっと抵抗しててね、神がいたら世の中に不幸な人がおれへんはずやとか青臭いこと言うてました。そんな時期があって、姉の旦那になる人が牧師を養成する学校に行くことになって、だんだんキリスト教というのが近くなった。ほんまに偉そうな言い方になりますけど、ボクが聖書を読んでいてね、これはホンマにイエスが言ったことやというのと、これは後で誰かが作ったエピソードやというのが、ボクの中で区別できるようになったんですね。後でそのことを牧師に言うたら、「おまえ、なんちゅう偉そうなこと思っていたんやな」って叱られましたけどね。それがきっかけで、「ボク、キリスト者になるわ」と姉の旦那になる人に言うたんです。その時に彼が、「お前が選んだのと違う。神様がお前を選んだんや。」と言われて、「あ、ほんまや」と素直に思えた自分がいて、キリスト者になったしだいです。

質問  ご両親は反対されなかったのですか?

牧口  障害者はね、よく宗教にやられるんです。小学校の時にね“太陽教”とかいう人がボクを呼びとめて、ボクの足を心配してくれてるんやから聞かなアカンと、子ども心に思ったわけですよ。それで「はい、はい」と聞いてると、ボクを前に立たせて歌いだすんよ。周りが人だかりになりましてね、恥ずかしかった。宗教とはわりに関係ありますね。でも、両親は我関せず。
 ボクはこういう席とか、障害者の話をする時に、あまりキリスト者とは言わないんです。言うたらね、なんか身も蓋もなくなっちゃう気がする。妙な先入観を持たれてしまう。

質問  先ほどの新幹線の話で、不意の事故が起こったときに新幹線を何台も見送ることになるということでしたが、隣の人に「すみません」と、どうして声をかけられないのですか? すごいジェントルマンだからかなーと思ったりもするのですが。

牧口  ボクがジェントルマン? まったく逆の風貌ちがいますかぁ。それはそうと、たとえば、どういう声のかけ方をすればいいのでしょう。「新幹線に乗りたいんですけど、私の席をとってくれませんか?」ですか? 声をかけた人が自分の席をとるのに躍起になっている時に? ほ んとうはもっといんろな方法があると思うんです。何回も同じ目にあっていたら、そのうちに知恵は出て来ると思うんですよ。けど、動き合っている人同士の依頼は思っているより難しいと思います。タイミングと適切な言葉、これがキーポイントでしょうね。

 ボクは日常生活でラッシュアワーが困る。死ぬほどの思いをしたことがあります。降りたいところで降りられなくなって、もうドンドン押されて。そんなことがあってから出来るだけあの時間帯は避けるようにしてるんやけど、どうしても乗らないかん時があるのね。その時に、車掌さんか運転手さんのスペースのどこかに、じっとしてるから、ちょっと入れてください、と頼んでみようかな、と思ったことはあるんです。運転手さんは運転の邪魔になるというので拒否されやすいと思うから、車掌さんやったら入れてくれるかな・・とね。それでも、こっちのドア開けたり、あっちのドア開けたりして、忙しく動いたはりますやん。あれを見ると、つい言葉が鈍っちゃう。でも、いっぺん言うてみてもええなぁ。そういう、特別な人のためのスペースを、どの列車にもそういう配慮があればね、もうちょっと楽になる。

 新幹線の個室ご存知ですか? 一度、乗ってください。いちばん新しいN700系が非常に快適。個室の中で車椅子が回転できる。トイレも回転できる。余計な話やけど、丁度ね、トイレのドアと個室が向かい合わせにセットされているんです。お客さんの中で、あのトイレを開け閉めできない人がいっぱいおられる。ボクはその度に「下のボタン、下のボタン」て、乗っている間、私はトイレ案内係(笑)。あれ、キーの構造がよくない。ああいうややこしい構造になってるから迷われる。車椅子トイレってご存知でしょ。いろんなタイプあってね。なんであれぐらい統一しといてくれへんのかって思うんやけど。

質問  うちの子どもは小学校4年生です。幼稚園や小学校1、2年のときは一生懸命やっていたのですが、最近はまわりとの差が自分でもわかってきて、だんだん手を抜くようになってきたのです。まわりが見えてきて、できないことはやろうとしない。私としては、できなくてもあきらめてほしくないのですけれど、どうすればいいでしょう。

牧口  花の小学4年生やね。ボクも一緒に悩むね。できないことをやらないということはね、生きる知恵でもあるわけでしょ。そやけど、なんかのきっかけがあるのと違うやろか。これは面白いから、できないけどやってみたいという魅力的なものに出会った時に、人って無理をするでしょ。その無理で飛び越えられる時ってあるのね。そやけど親から言われたり、先生から言われて、飛び越えられるとは思えない。自分でそう思わんとね。

 障害者の中に結構、そういう人多いんですよ。どこにも行かれへんと思い込んでいる人が、さだまさしのファンでね、地元にさだまさしが来た時に、這いながらバスに乗ったという人がいます。上から押し付けられたら嫌なんよ。だからハネ退ける。ハネ退けるのも生きる力やからね。何で嫌なことをさせられならんのかとか、周りから笑われるよりはじっとしてたほうがマシやとか、子どもなりに掴んでいるんだと思う。ドジをやったら、周りがどう来るかというのがわかっているから、始めからやめとこ・・・と。ところがその子が、「どうしてもあれだけはしたい!」というものに出くわす時があると思うんです。それを、待ってほしいんです。ボクはそう思うけど。この意見が正しいとは限りません。だってね、子育てほど難しいことないもん。子育てにハウ・トウがあるんなら、みんな苦労せえへんと思います。ないから楽しいわけでしょ。

質問  障がいをもっていて、こんなイヤなことがあったということと、こんなに得したということを聞かせてください。

牧口  あ〜難しいな。まず、嫌なことからいきましょうか。  嫌なことでいうとね、ひとつだけあるんです。それは、美術学校を出てね、自分の自慢と違うんやけど、美術学校を首席で、壇上で総代として賞状もらってますねん。だから、ちょっと自信があったんですけど、就職するときに、松葉杖ついてるだけでどこの会社も雇ってくれなかった。1年半の間に面接を54社受けて、全部落とされた。

 これはね、あの時期的なことも一つ不運やったと思います。面接のときに、学生時代の作品を持って来いって言われるんだけど、ボク、作品が持てなかったんです。今やったらね、だいたい1年間で200点くらいの作品を作っていたから、全部ほどほどの大きさにプリントしてファイルに入れて持って行けるわけです。ところが、あの時はカラー写真が出始めた頃やったから色が悪いんです。自分が一生の仕事を決めるような時に、いちばん気に入った作品の写真で、とんでもない色が出てたら嫌でしょ。そしたら現物を持って行くしかないわけです。現物はB全版、ご存知かな、73cm×1m3cmのパネルなんです。これを自分で、松葉杖ついて持つことがてきない。困ってたら、お袋が、「なんやったら私が持っててあげよか?」と言ってくれたの。お袋はね、ボクが半人前だから、障害者だから面接に付き添ってくれたのと違うんよ。ボクは荷物が持てないから代わりに運んでくれただけなの。ところが世の中は、障害者が半人前やから親が付いて来てる、としか見てくれへんのね。いくらボクがしゃべってもアカン。こういう決められた観念の壁は、そう簡単に取れへんのです。

 お袋は、ボクが面接を受けている間、後ろにパイプ゚椅子を置いてもらって座っているわけです。それで、ボクが面接の人の問いに答えるのやけど、作品のことを聞いてくれた人はいなかった。みんなね、「松葉杖でどれぐらい歩けますか」って言われる。ボクは、「美術学校は電車に乗らなければ行けないから、電車にも乗れます」って言うたらね、「松葉杖で階段が昇れますか?」って言うの。「ボクは三階の教室の時もありましたから、一段飛びで昇ったり降りたり出来ます。時々杖が滑って落ちてました」。これを言わんといたら良かったと後で思ったけどね、その時は正直に言うたわけ(笑)。そしたら今度は、「松葉杖で荷物が持てますか?」ときた。「自分で持てないから、お袋が運んでくれました」って説明するのね。それで、「わかりました」って終わっちゃうんですよ。お袋がわざわざ、ボクより小さい身体でパネルを運んでくれてるわけでしょ。お袋に悪くてね、「ボクの絵を見てくれませんか」って言わないといかんのやけど、それは分かってるのに声が出ないんです。わかってくれますか? あのね、「私の作品を見てください!」って言えるのはね、よほど自分の絵に自信のある人。ボクはね、それほど自信がなかった。だってね、美術学校に入ったら、めちゃめちゃ上手い学友が沢山いるんです。ボクはどっちかというと絵が下手。これは謙遜で言ってるのではなくて、本当に下手なんです。世の中に、“ヘタウマ”というのもあって、下手そうに見えて上手いという人もいるんだけど、ボクの場合はホンマに下手なんです。それでもね、仕事としてやっていくぐらいはできる、それぐらいの自信はあったんです。事実、あれから40年あまり、デザインで飯を食ってきましたもんね。

 ところが、やっぱり誰も雇ってくれへん。面接では松葉杖のことしか聞かれへん。 54個目の会社の社長さんがね、「お前、なんで落ちてんのかわかってんのか」て言われたんです。ボクは、「よくわからへんのですけど、松葉杖ついてるのがいかんのでしょうか」て言ったんです。そしたらその社長は、「そんなもん、決まってるやないか。お前、松葉杖ついてるからあかんのや」って言われた。ボク、カ〜ッとしましてね、「松葉杖ついてたらデザイナーになれないんですか」と言うたんです。そしたら「お前エライ元気やな。明日から雇ったる」って言われてね、ボクはもう、飛び上がるほど嬉しかった。「明日、何時に出て来たらいいんですか?」と言うたんです。と、社長さんは、「明日から出てきて、お前、何をすんねん?」っておっしゃる。「デザインの仕事やないんですか?」、「お前、明日からすぐに一人前の金がもらえる仕事が出来る自信があるのか?」、「いいえ、学校出たてですから、3年間くらいここで修行させてもらったら」と言うたんです。と、「誰でもそうやないか。学校出てすぐに役立つって思ったら、世の中そう甘くないで」て言われた。「わかってるつもりです」「じゃあ3年間、お前はなんで俺から給料取るねん」、ボクは、社長がおっしゃってる意味がわからんかったんです。その社長さん、なんておっしゃった、と思います?

会場  遣い走り?

牧口  そう。ボクね、それが念頭になかったんです。その時にね、「あ〜、そうだ」と思った。お茶いれてあげなあかんのや。掃除せなあかんねん。初めてわかった。その時にボク、女性差別をしてしもた。それやったら大企業を狙おう、そうしたら女性がちゃんといて、お茶を汲んでくれるって思った。そういう自分がいるんですね。

 それが一番嫌な思い出ね。理由がわからんと自分が社会からオミットされたこと。これは辛いですね。それは人間にとって普通の辛さと違います。だけどね、生き延びる力のある人はまだマシなんよね。ほんまに辛い人はね、その間のことを語ることすら出来ないと思う。つまりね、ホンマの辛さは思い出として残らない。だから、ボクなんかこうやってしゃべれてるから、きっとまだ余裕がある状態だったんでしょうね。

 で、 いちばん嬉しかったことはですね・・・ちょっと照れくさいなぁ。
 ボクは30才で結婚したんですけど、彼女にね、今のツレですけど、プロポーズした時に、ツレがなんて言ったと思います? 「私はあなたの身体の中で、あなたの右足がいちばん好きです」って(拍手!)。 ちょっと見せますね。やっぱり、ここまで言わさせたら出さずにおれない。言わされたんやなくって、自分で言うたんや・・・(笑)。

 これ、ホンマに不思議な足なんですよ。動かへんでしょ。そやから役に立たないわけですよ。それで時々、ブラブラするからね。松葉杖をついてる時、よく足で松葉杖をひっかけてコケてたんです。邪魔もするのね。そんな足やのにね・・・こんなに可愛らしい足なんです。あのね、1才から全く使ってないの。ボクがびっくりするのはね、1才の大きさからよくこれだけ成長してくれたなぁって。で、可愛らしいからチューするの。

 小学生にね、「おっちゃんの足な、生きてるか死んでるか、どっちか当てて」と言うと、初めはみんな「死んでる」て言うんですね。だけどね、「おっちゃんの足な、1才の時の赤ちゃんの足やと思うか?」と言った途端に、子ども達は「あ〜!」って気ぃつくんね。「成長してるわ」と言い出して、「おっちゃんの足、生きてんのとちゃう?」とか言い出すのね。それで、ワァ〜っと寄って来てくれて、ボクの足をさわりだすんです。ボクが「こそばい!」て言うたら、「あっ、やっぱり生きてるわ」。それからむちゃくちゃされるんです。それは他愛もないことですけど、楽しいひと時ですね。

 ボクはね、この足を自分の人生に与えてもらったことは、ものすごい得やと思ってるのね。だってね、役に立たない、使い物にならない、邪魔までするものを、後生大事に抱えながら生きる人生を与えてもらったわけや。こんな素晴らしいことないと思います。ボクにとって、こんなにいいものってないですもん。これはもう冗談抜きでね。だからボク、ほんとチューできるしね。そやけど、やっぱりね、どっか照れくさい。

 いちばん強い価値はここやと思ってるんです。今の世の中、自分の役に立たないものをゴミ箱に放りすぎ。だからこんな殺伐とした世の中になったんよ。もっと、どんなものでも愛おしまないと。ここに石ころがある。石ころには影がありますよね。影があって石ころでしょ。(石の絵をかきながら)これね、光の当たってる白いところが役に立つ部分やと思ってください。それで、影の黒いところが役に立たない部分やと思うでしょ。私達現代人は、この石ころから影の部分を削り取って家へ持って帰っているような生活をしている。本当は、影の部分も抱き込まないと石は持って帰れないのね。だけど私達は、いいもの・悪いものを判断して、いいものだけを残して、悪いものは捨てる。けれど実は、そうではない。いいものを大切にしたかったら、それについてくる悪いものも抱き込まなければ、いいものも手に入らない。これは道理なんですね。それを忘れている人が多すぎる。

 ボクは今ね、役に立たない価値とか、マイナスの価値とか、そういうことを一生懸命になって探してるんです。みんなして、いっぺん探しません? マイナスの価値。例えば、「忘れる」と言う価値があるでしょ。もしも人間が全てを覚えていたら、脳がパンクするんですよ。これはボク、小学校で得意で使うんですけどね。子ども達に、「忘れてええんよ。宿題忘れて先生に怒られたら、あんまり覚え込んで脳がパンクしたら死んでしまうって、牧口のおっちゃんが言うてた」て言ったらええって言ってるんです。そしたらね、先生が後ろで苦虫噛み潰したみたいな顔したはるんです。

 実はボクね、忘れる価値のすごいのを見たんですよ。私達二人には子どもがないのね。11才下の弟に娘が出来てね、姪っ子。正月に、姪っ子がハイハイの時に家へ来てくれた。玄関を「こんにちは。おめでとうさん」って入って来て、ボクは居間のほうでコタツに入ってたんです。「よう来たな。おいで、おいで」言うたら、姪がハイハイしてボクのとこまで来たんです。その時、彼女はコタツの向こう側に転がってるミカンを見つけたんです。彼女は必死になってそれを取りに行こうとした。その時に、なんでか知らんけど立って取りに行こうとしたんですよ。向こうから這って来たんですよ。それを覚えてたら、這って取りに行くでしょ。けど、2本足で立って行こうとしたの。足を突っ張ってお尻を上げて、何回も立ってはバランスを崩してこけるんです。ボクは初めは気がつかなくて、「何してるんや、こいつは」と思ってた。何回やったと思います? 15回こけて、とうとう諦めて、その場でウワァーって泣いたんです。その途端に、ボクも感動で泣いたんです。彼女のお母ちゃんが飛んできてね、「お兄さん、なんかしたんですか」て、ボクを怖い顔でにらみつけるんよ。「ちゃう、ちゃう。ノンちゃんが今、立とうとしとったぞ。必死になって、立ってあのミカンを取りに行こうとしとった。できないから泣きよったんや。こうして人間って立てるようになるんやなぁ。俺、感動してもうたんや」て言うたら、そうだったんですか・・・て。人間って、みんなハイハイを忘れるから立てたんですよ。忘れるから、次の段階に飛躍できるわけです。何かを飛躍するということは、前のことを忘れないとできないことなんですね。
“忘れる”って素晴らしいものなんですよね。


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