京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(1997年8月号 掲載)
講 演


 谷口明広さんの講演では、「障害をもつ子ども達の素敵な親になるために」と題して、ご自身の生い立ちのこと、今の教育のこと、自立について、「個人別プログラム計画」、子どもの自立のためになすべきこと、などについてのお話をうかがいました。以下はそのテープおこしです。
 文章では絶妙な語り口がお伝えできないのが残念です。講演などは、やはり実際に足をはこんでいただいて、お人柄なども肌で感じていただくのが一番だと痛感しました。
 テープおこしは今回と次回の2回に分けて掲載します。
                             
「障害をもつ子どもたちの素敵な親になるために」(前編)

−谷口明広さんの講演のテープおこし−


 こんにちは。昨日、奈良の方に行って夕方6時まで仕事をしていました。台風がきているということを聞いていたのですが、会場を出た時にはまだパラ ッとしか降っていなくて、駅まで歩いて15分と書いてあったのですが、迷いまして、結局、台風にぶつかってしまい、上から下までビショビショになりました。帰ったら帰ったで、テレビをつけると神戸の事件の容疑者がつかまったとかで、中学生でした。最近、大人は子どもをいじめて、子どもは障害をもった人達をいじめるという構図ができています。それをなんとかしなければいけないと思っています。今日のお話は、「障害をもつ子ども達の素敵な親になるために」という題をつけさせていただきました。

 私は41才になりました。よく、若く見えると言われます。障害をもっている人達はわりと若く見られますよね。でも、突然、年をとりますね。私もいつ年をとるか楽しみにしてるのですが、なかなか年をとりません。うちの妻が私より11才若くて、私も若くないと置いていかれるので、がんばっています。

 私は京都の四条御前というところの酒屋の長男としてうまれました。はじめての子どもで男の子だったので、すごく期待をもって生まれてまいりました。幼稚園はカトリック幼稚園に行く予定になっていて、小学校はノートルダム小学校にいく予定になっていて、中学校は同志社中学に行って、大学は京大医学部に行く予定になっていて、親は全部そこまで考えていました。それで生まれてすぐ黄疸が出て、1ケ月ぐらい続きました。でも7ヶ月くらいまで障害が全然わからなかったのです。私が今、自分の小さい頃の写真を見ると、3ヶ月くらいで「この子、障害をもっているな」とわかります。やはり私はプロですから。でもうちの母は素人ですから、全然わからなかったのです。それで7ヶ月目頃に、食べ物やおもちゃを渡しても苦しそうに片手で取りにくるので、おかしいなと思って病院に行ったのです。小児科に行っても、昔は障害をもっているのがわかりませんでした。私も1才をこえるまで小児科へ行っていて、わかりませんでした。それでマッサージをしなさいということだったのですが、今考えれば無駄なマッサージでした。

 うちの妻は病院につとめているのですが、小児科はあまり子どもの時以外は信用してはだめだと言っています。小児科の先生方は子どものことは専門ですが、障害については専門家といわれる所に行った方がいいと思います。障害をもっているお子さんをお持ちの方というのは、小さい時にかかったお医者さんに一生かかろうと思う方が多いようです。最初かかったお医者さんがいいと思うと、その方から離れませんね。お医者さんに対する信仰というのがあります。私の小さい時は、あっちの先生がいいと言うとあっちへ行き、こっちの先生がいいと言うとこっちの先生へ行きました。よそのお子さんはその先生に合っても、自分の子どもは合わない場合もあります。ドーマンでもボイター法でも、合う人は合うし、合わない人は全然合わない。

 1才をこえた頃、はじめて障害をもっていることがわかりました。先程、司会者の方が出生前診断の事を話されていました。私も講師をしている短大で、「もしも結婚して、妊娠して、6ケ月目でおなかにいる子どもが障害をもっているとわかったら、あなたはどうしますか?」という問題を出しますが、やはり時代によって変わってきていますね。うちの母も私が障害をもっているとわかった時に大変ショックを受けたと言っています。私は京都で生まれて京都に住んでおりますから京都のいやなことはあまり言いたくないのですが、京都って大変ですよね。障害をもっているだけで、みんな特別の目で見ます。うちのおばあちゃんがコテコテの京都人で、私が障害をもっているとわかったとたんに、今まで「でかした、でかした」と言っていたのが急に態度が変わりまして、「うちの家系でこいういう子どもができるわけがない。お宅の家系でしょう」と。うちの母も、きつい母なもので、「うちの家系にもそういう子どもができるはずがない」。私、真ん中で、「オレ、どこの家系?」と思ったことがあります。うちのおばあちゃんは、私を絶対に外へは出しませんでした。うちの孫は・・障害者ではないということで、障害者手帳も7才までとらせてくれませんでした。

 小さい頃、私は外へ行きたい。ロバのパン屋の音が聞こえてくると、外へ出たかったのです。うちの家はうなぎの寝床みたいな長い家なので、奥の部屋から歩行器で玄関まで出てくるのに1時間くらいかかります。玄関ではおばあちゃんが店番をしていますから、そのおばあちんのセンサーにひっかかるわけです。私が通りかかると、私を歩行器ごとかついで、一番奥の部屋まで連れて行きます。また玄関まで行くとセンサーにピピッとひっかかって、また、かついで奥まで連れて行かれる。3回くらい続けると、疲れて寝るのです。このおばあちゃんのバリケードをババァバリケードとよんでいますが、これを破るのに7年かかりました。京都の人で私の知っている方なのですが、近所づきあいも何もなくて、30年間、家から一歩も出たことのない方がいらっしゃいます。そんな方が福祉の充実で表に出ていきます。すごいですよ、太陽光線にあたるだけで、やけどをするのです。今でこそ、「もっと表に出ましょう」と言っていますが、昔は出しませんでしたからね。私はそれから大阪に移り住むことになるのですが、大阪と京都では随分ちがいますね。大阪は吉本新喜劇に代表されるよ・・うに、はずかしい所とか、ちょっと嫌な部分を前面に押し出して生きていますね。はげの人に「はげ」と言い、あごの長い人に「あご」って言ったり、鼻がポットでしたら「ポット」て言ったりします。京都では隠しますよね。お公家さんの文化ですね。けれど、これはかえていかないとダメですね。私も今、努力しています。

 「はずかしがらずに表に出なさい、出なさい」と言いますが、その反面、お母さんが子どもたちによく言う言葉が、「他人に迷惑をかけてはあかんよ」です。僕らもよく言われました。これはすごく矛盾しています。障害をもった人が表へ出るということは、他人に迷惑をかけるということなのです。障害をもった人が他人に迷惑をかけない方法は、家で寝てることが一番です。私も小さい時、いろいろな所へ行って、階段があり、かついでもらったら、「迷惑かけているな、申し訳ないな」と思いました。アメリカでいろいろ勉強をして帰って来た時に、かついでもらった方々に「ありがとうございます」と言ったら、みんなすごくすがすがしい顔をしていかれる。今、僕は障害をもった子どもたちや若い人達に、そんな時、「こっちが申し訳ないなと思うのではなくて、逆に、いいことをさせてあげたと思ってみ」と言っています。手助けをしてくれた人達が家へ帰った時の一杯のビールが旨いやないか。子どもたちに「お父さん、今日はいいことをしてきたんや」と言えるやないか。「逆に、そんな人たちの福祉に貢献していると思え」という話をします。

 私は京都の呉竹養護学校に行こうと思ったのですが、「障害が重いから入れられません」と校長先生に言われました。昔は寄宿制度があり、身の回りのことができないと入れてくれなかったのです。それで、どこへ行こうかと両親とも困りまして、その当時は、訓練しなければいけないということで、施設はびわこ学園しかなかったのです。びわこ学園へ行くと、「この子は軽すぎるなー」と言われました。学校で重すぎると言われ、施設では軽すぎると言われて、結局、入れる学校がないので大阪に移り住むことになりました。昔の障害をもっている人たちの家族というのは、引っ越しますね。いい病院やいい学校の回りは障害をもった人が多いのです。ノーマリゼーションなんてくそくらえでしたね。多すぎるやろ、と思うくらいでした。

 今までは、身体障害の子も知的障害の子も別々に教育するというのが、ずっと長く行われて来ました。最近になって、ここ10年位、インテグレーションとか言われてきて、一緒に学校へ行かなければいけないと言われてきています。私は中学校の時に、生徒会長だったもので、普通学校の生徒会と交流をもちたいということで申し込んだのですが、大反対をくいました。その反対の理由がおもしろかったですよ。「悪いことを学ぶから。悪い影響が君たちにあるだろうから」と言われました。昔は温室育ちでしたから。高校の時、思いましたね、「温室で育つ花はもっときれいやろ」と。でも、そうかもしれません。養護学校には不良はいません。皆さんのお子さんもそうでしょう。とうもろこしに呪われているような頭(茶パツの事)をした子はいないじゃないですか。私は高校の時にパーマにあこがれまして、散髪屋さんへ行って、「今日はパーマをあてたいと思うのですけれど」って言ったら、後ろからお母ちゃんに「なに言ってるの!」と言われました。そう言われたらやるわけにはいかないじゃないですか。お金出すのはお母ちゃんなのですから。服装なんかもそうですね。・・私は親と一緒に暮らしている時は、自分の服装を自分で決めたことがないです。着せられるがまま、なすがまま、というやつです。引き出しを開けたら、真っ赤だったことがあります。うちのお母さん、真っ赤の服が好きなのですよ。

 統合教育、統合教育ってよく言います。私も普通学校に行きたかったのです。それで中学校までは養護学校に行って、高校からは普通学校に行った人がいます。その当時の普通学校の教師は障害をもっている人達がわからなかったのです。結局どういう教育の仕方をしたかというと、手に職をつけなさいと言って、普通の高校へ行っているのに職業指導ばかりされて、大学に行ってもっと勉強したかったのにという子が、つぶれていった時代なのです。皆さんのお子さんはおいくつくらいですか? トライアングルの会の子どもさんは、まだ中学生が最高なのですか。みなさんも迷われたと思います。普通学校がいいのか、養護学校がいいのか。私も仕事上よく聞かれるのですが、私はいつもこう答えます。「どっちでもいいですヨ。好きな方へ行って下さい」と。何故かというと、両方とも完璧ではないからです。

 養護学校へ行きますと、本当の学生らしい生活が送れるか非常に疑問です。知的障害の養護学校によくよばれ高校の授業風景をよく見ますが、あれは高校生じゃないみたいですね。職業訓練校みたいです。朝から晩まで作業着に着替えて、ずーっと木を切ったり、削ったりしています。高校生だったら、もう少し高校生らしい生活ができるような学校でないといけないのではと思います。どうせ学校を出たら一生働くのですから、高校時代には高校生らしいことをして下さいと高校の先生に言うのですが、言ってもあきません。「それが、この子たちの自立です」と言われてしまいます。けれど、作業を嫌がる子、なんにもしない子もいます。そうしたら、そんな子に対する何のプログラムもありません。では普通学校に行くとどうか。普通学校では中学までです。高校からは知的障害をもった子の場合は進学はむずかしい、というか無理ですよね。そうすれば、養護学校へ行かなければいけないということになる。

 統合教育をやっている学校でよく言われるのは、「障害をもつ子がいてくれるので、皆がすごくやさしくなりました」とか、「人を思いやる気持ちが強くなりました」とかです。聞くのは全部、障害をもっていない子どもがかわったという話ばかりで、「障害をもつ子どもはどうなったか」ということはだれも言ってくれません。障害をもつ子は教育の材料かと思うのです。

 知的障害の人が職場で働かれた時に職場の方々がよく、「学校時代にもう少しなんとかやっておいてくれたらいいのに」と言われます。学校の先生は、「もう少し家の方でやっておいてくれたらいいのに」と言い、責任のなすりつけあいです。今の養護学校を見ていると、もう少しやり方があるやろ、「学生よりも先生の方が多いやんか」と思います。もう少しこの教育制度を変えていかないといけないと思います。

 私は10年程前に、アメリカに1年間行っていました。アメリカでは、身体障害者の場合は養護学校へ行っている子は少なく、知的障害の子も普通学校へ行っている子が多いでした。身体障害の場合でも知的障害の場合でも、学校が終わった時間帯から、その後にリハビリテーションや特別教育をやっています。今の日本の場合は、だいたい身体障害者がリハビリテーションを受ける為には午前中に登録をしないといけません。それだと学校へ行くか、リハビリに行くか、二者択一です。それで訓練を選んだ子は、お母さんが訓練に没頭してしまいます。学校の教育なんかほったらかしですよね。子どもが25才とか30才になっても、リハビリ、リハビリと言っている人がいます。そして社会性のない子どもが育ってしまうのです。

 知的障害の人達の自立というのは、なかなかむずかしいのです。身体障害の人達の自立の研究というのは、アメリカでは1960年代からずっと言われてきていて、今までのリハビリテーションの考え方から、随分変わってきています。障害をもったことが決して悪いことではないというところからはじまります。障害をもったまま、楽しく生きていく方法を考えようという訳です。私も今、京都で「素敵な親になるための講座」というのをやっていて、そこで一番最初にお話するのは「明日の朝、起きたら、子どもの障害がきれいになくなっているということを信じているお母さんはいらっしゃいませんか」ということです。みなさんはダウン症のお子さんをお持ちですが、ダウン症というのは障害の理由がわかっていますが、一般の知的障害の方々というのはわかりません。だから突然、明日になったらうちの子はちゃんとしゃべるのではないか、計算できるようになるのではないかと思っているお母さんがいらっしゃいます。子どもの障害を認める、そこからはじめないといけないと思います。今、相談を受けているケースで、知的障害を持っているお子さんを普通の中学に行かせて・・高校は行かせなかったのです。なぜかというと、「そんな知的障害の子どもばかりの所にうちの子を入れたくありません」。「お宅のお子さんも知的障害なのですよね」と言いますと、「そうなのですが、うちの子は違う」と言うのです。やはり、子どもの障害を認めていただかなければはじまらないと思います。

 身体障害の私は、私自身が自分の障害を認めないといけないわけですが、知的障害の場合は、わかりにくい所がたくさんあると思います。ある養護学校の先生が生徒に「僕等の障害は何?」と聞かれたことがあるらしいのです。お母さん方は、自分のお子さんからそう聞かれたら、どうお答えになりますか? そういう事もあると思うのです。お母さんの中には、自分の子どもと長く付き合っていても、知的障害のことをはっきりわかっていない方がいらっしゃいます。ですから、お母さん方がいろいろな勉強をしてほしいのです。

 例えばIQというのがあります。知能指数。知能指数は一生かわらないものか、かわるものか、皆さんはどう思われますか? 知能指数というのは精神年齢というのを出すテストです。その精神年齢を実際の年齢で割ったものに100をかけたものが知能指数なのです。例えば、皆さんのお子さんが、今、知能指数が70だったとします。これが今と同じくらいのテスト結果で年齢が倍になったら、知能指数は35まで下がるのです。

 よく、「うちの子はB判定ですが、Bだと何のサービスも受けられないし、障害者年金ももらえないことが多い。何とかAをとりたい」と言われるお母さんがいらっしゃいます。「検査は何年前に受けられましたか?」と聞くと、「10年前です」と言うのです。それで、もう一回お医者さんに相談をされる様に言って1週間後に会ったら、「Aになりました」と言われます。その担当の先生は、「もう5年前から本当はAでしたよ」と。どうして言ってくれなかったのかと聞くと、「お母さん、AよりBの方がうれしいでしょう」と言われたそうです。お医者さんって、わりとそういう感覚なのです。けれど実際に生活していると、Aの方が絶対得でしょう? 昔は等級が軽い程就職があり、身体障害者の方の募集も、5級、6級の方とちゃんと書いてありました。今は違います。同じくらい仕事ができる方だったら、企業は重い方を採用しますね。1級、2級の場合は2人分として計算されるから企業の方は達成しやすい。達成すると助成金がゴボーッと入ってきます。

 ダウン症というのは、わりと知的障害の中ではわかっている方ですよね。でも基本的な勉強会もこれからしていかれる必要があるのではないかと思います。子どもを理解するということは、まず子どもの障害を理解していただかないといけません。うちの母なんかもよく言いますよ。「おまえ、なんかしようとすると、手がふるえてやりにくいなー」って。それが障害なのですね。知的障害のお母さんもよく言われるのですが「うちの子、いくら言ってもわからないんですよ、昨日言ったことを今日は忘れているし」と、それが障害なのです。養護学校の先生がよく子どもをおこっています。「おまえ何回言ってもわからへんなぁー」と。僕はいつも学校の先生に、「先生こそ、なんぼ言ってもわからへんなぁ、それが障害やがな」と言います。


 今日、お渡ししたプリントに、5つの自立を書いています。身辺自立、精神的自立、住環境自立、経済的自立、社会的自立。これは身体障害者の方の自立なのですが、知的障害をもった方でも応用していただけると思います。

 身辺自立は、例えば身の回りのことが全部できる方は多いですね。でも自分のできないことはあると思います。何ができるか、できないか。自分の身の回りのことを、ここはできないから人にたのむ。身辺自立の1つで社会的な能力があります。社会生活力とよく呼んでいます。12+12=がわかるよりも、人に会った時に「こんにちは」と言える子の方が社会では生活していける、ということです。身辺自立でみんなにたのむ、この「たのむ」ということが大事なのです。お母さん方はつねに「自分のことは自分でやりなさい」ですが、自分でできないことは人にこころよくたのむ、人が気持ちよくなるようなたのみ方をする、これが身辺自立の大事なところなのではないかと私は思います。
 私も人に気持ちよくやってもらいたいと思うのですが、そうじゃない時もあるよね?(と隣の介助の人に聞く)

 経済自立ということで考えていただきたいことがあります。お金があればなんとかなると思っているお母さん方がいらっしゃいます。自分が死んだ後にも、お金さえ残しておけばというので、ためていらっしゃる。そんな方のお子さんほど経済感覚が悪いですね。知的障害をもっている子も、むだな買い物をして、おこられる経験がないと経済観念は学習できません。私も小さい時から、お金をあまり持たせてもらえない、使う機会がなかったのです。常に親が一緒で、チョコレートが欲しいというと買ってくれる。普通のお子さんは「100円ちょうだい」と言って100円もって買いに行く。それでヘンなチョコレートを買ってきて、1口食べたら苦くって、冷蔵庫のこやしになる。「こんなチョコレートは二度と買うまい」と思うわけです。これは経験です。そういう経験がないとだめなのです。けれど、お金をためていらっしゃるお母さんは、子どもになるべく使わせない。日本の障害児教育の金銭教育というのはそうです。ためろ、ためろと言われます。僕は「ためろ」って絶対に言いません。1億円ためられるのならためて下さい、と言います。それが1千万円欠けるのだったら・・、ためない方がましです。中途半端に残すと、本当に困る、それを全部使ってからでないと生活保護も受けられないのです。お母さんが相談にきて、お金をためていると言われるので、「どれくらいですか」と聞くと、 800万円とか言われる時があります。「わかりました、明日から、クィーンエリザベスに乗って下さい」と言います。もう一銭も残さないように。今の日本では、お金があるほどやりにくい。お金を残して親が死ぬ、そうしたら、絶対、兄弟がもめる。今、みなさんは兄弟を信じていらっしゃるでしょう。でも相手がつくと変わります。なんぼ素晴らしいお姉ちゃんでも、弟が大事か、結婚相手が大事かと言うと、絶対、結婚相手です。だから、お金は使わないとダメです。使いなれていない子は、めちゃくちゃに使います。財布に10円も残しません。10円残ったとしたら、それでチロルチョコレートを買っています。使い方をおぼえさせないといけないのです。

(次回につづく)   


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