京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2000年2月号 掲載)
講 演

                             
 11月27日、静岡の河内さんが京都へ来て、楽しい素敵なお話を聞かせてくださました。そばにいて、もっともっとお話を聞いていたい・・。講演会を聞きに来た参加者のほとんどはそう思いました。また、来てください。


河内園子さんの講演(前編)


 今日はよろしくお願いします。私はひかえめなたちで、いろいろな社会の不備はあるけれども、闘いとるという姿勢はあまり好きではないのです。子育ての中で自分の子どもも、どの子も限らず自分の人生を楽しく、生きてよかったという人生を送ってもらいたいなーというのが基本であって、ダウン症であろうがなかろうが、それは同じことだと思って3人の子どもを育ててきました。私も仕事がらいろいろな障害をもつ子どもさん(ダウン症だけではなく)と小さい時からずっとおつき合いしてきて、重度の障害を持っている子どもさんとも関わりながら、お母さん方と一緒に歩んできました。私も小さい時は、ダウン症でこういう所へ行けばいいと聞けばたしかめて、のばしたかったということもありました。そして、いろいろな事をやって来て10年たってみると、「あ、本当に大事な事ってそんなにたくさんではないけれど、それをわきまえていることは大事だな」と感じ始めています。

私たち親は最初に何と感じるのでしょうか
 お母さん達はダウン症の子どもさんが生まれてすぐに何が不安かというと、それは単なる不安なのだと思います。不安なのだけれど、その不安が何かは分からない。私がそんなお母さん方と会っていきなり質問されることといえば、「この子は学校へ行けますか?」「この子は結婚できますか?」。まず赤ちゃんを抱いたとたんに将来のことが頭に出てくるのですね。親は、学校へ行く事、結婚という事が世の中でいろいろな事を決める価値観の基準になっていると思っているんです。だけど、この30年で世の中がすごく変わってきていますよね。考え方も変わっていますし、価値観も変わっています。女性はどう生きるべきか、女性や男性の最高の幸福は結婚生活にあるかということも、結婚してみればわかるのですが、そうとは言えないところがありますよね(笑)。けれど私もいとこ達やお友達が結婚する所に招待されると、「この子はウエディングドレスが着られるのかしら?」と、ふっと頭をかすめたこともありました。

今、輝いて
 今は安倍川で『ユニーク』という授産所をしています。授産所を始めて10年たったので『ユニーク』という十周年記念誌を作りました。みんなが自分たちが歩んできた道は楽しかったねーと見られるように、みんなの思い出の写真を入れて作ったものです。これは授産所で出来た作品なんです。こういう色合いって素晴らしいですよね。ここでは商品として一般化していて、いろいろな物を作って売っています。ユニークの中には今はダウン症の方が6人いらっしゃいます。ユニークを始める時には、うちの娘は心臓の疾患を持っているので外には働きには出られないかれしれないということで、織物だったら家で出来るし、外に創作物を出して外ともつながってやっていけるかなと思った事が発端でした。それから3年、10年とたって授産所になってから10年たったというものです。

 今、夏木が30才になって、この間もNHKの夕方の番組に『静岡この人』というコーナーがあるのですが、8分間、彼女一人の舞台がありました。『静岡この人』というのは福祉ということではなくて、特にジャンルを決めずにこの人にスポットをあてましょうというものです。その中の一人として、知的障害をもちながらボランティアをする人ということで選んでいただいて生放送出演したんです。「知的障害」という冠がとれるといいねと言ったのですが・・。

 30年前に夏木が生まれた時は、そういう所に出すの当たり前の世の中になるとは思いませんでした。その家庭にそういう子どもが生まれてくると、その子を外して写真を撮るという時代だったのです。今は、お正月には輝いた子どもさんの成長の様子を年賀状にして送ってこられます。30年前にはとても考えられなかった時代なんです。そういう所に夏木が出たということは1つの画期的なことかなぁと思いました。

 その番組で、「どういった所で活躍しているんですか」とアナウンサーに聞かれた時に夏木が、週に5日間会社にお勤めして11年になる。金曜日の夜はお母さんとお茶のお稽古に行き、土曜日はクッキー作り、第一の日曜日は『ききの会』という編み物の会で、第二の土曜日はおもちゃ図書館のボランティアがあって、そのあとでボランティアのグループでハンドベルの練習をして帰ってくる。それから県立子ども病院の療育外来というのが月1回あり、そこでボランティアとして赤ちゃんと遊んであげたりしている。それから『さんぽの 会』というのがある。これは、ダウン症の会でもう大きくなった人達が誘いあってハイキングへ行ったり、クリスマスがあるとプレゼントにするクッキーを焼いたり、10人くらいでボランティアさんを中心にして2か月に1回ぐらい行事がある。それから地域の知的障害者の手をつなぐ育成会というのがあり、その中の成人の部で宿泊研修をしたり、バス旅行をしたりというのにも参加して、それから地域の身体障害者の集まりで『ひまわり号』というのがあり、そこではバスや電車に乗って身体障害者が歩きにくい場所を検証しながら旅をするということが年に1回あり、その実行委員をしたり、それを成功させるために募金活動をしたり・・と言っていました。私とはほとんど別行動でしているのですが、もう、ほとんど週末はそういうものでうまっているんですね。それでアナウンサーに「こんなにしていて忙しくありませんか?」と聞かれて、夏木は「忙しくない、それで楽しい」と答えていました。

 そういうのを見ると、夏木が特別に何かが出来る才能をそなえた子どもであるわけではなかったですよ。でも、一般の人でもそんなに活躍する事は少ないですよね。そういう風にしてやっていると、「夏木は本当に輝いているな」と思います。3年程前から私のキーワードは『輝く』ということなんです。この子達にその時、その時を輝かせてあげたいなというのが私の願いなんです。夏木の小さい時の生活がどんなものかをみなさんに話してみて、それは河内家の育て方、生き方であるけれども、その中でこれはやってみようかな、出来そうかなというものがあれば一緒にしていただきたいし、どのくらいの時からどういう体験をしたのかと興味があれば聞いていただきたいなと思います。

 子どもが輝いているというのは、その時その時で輝いていると思うのです。だけど若い時を振り返ると、私たちは先の方だけを心配しながら生きていたような気がします。いつかトライアングルで安藤先生が一緒に講演なさった事があるのですが、その時、安藤先生が「みんなは子どもの写真をいつ撮ろうとカメラを構えているのだけれど、こうなったら撮ろう、こうなったら撮ろうと、結局、何も写真を撮れないで過ぎてしまう。歩いたら、話すようになったらとその瞬間をねらって、結局はシャッターをおせないでいるのではないか」という話をされていて、とても印象的だったのが実感としてわかりました。やはり、その時、その時で大事にしなければいけないことがあると思います。

 今、青年期にさしかかって問題が起きている方があり、「青年期の心と行動の変化」ということが最近、問題になっています。私の回りの子どもさんの中にも、とても元気な人と、今までいろいろいなことが出来ていた人が、お話が出来なくなったり、行動が緩慢になったという事があります。そんなのを見ていると、同じような思いで育ててきたのにどうしたのかなと思います。それが必ず原因とは限らないけれども、所々、こういう事に気をつけた方がいいのではないかなという所があります。

 お母さん達は先を見ながら、出来るだけ子どもに苦労をかけたくない、出来るだけ楽しくということを考えているのだけれども、子ども達にとってどういう事が楽しいことなのか、自分の楽しさと彼らの楽しさとをごっちゃにしていることがあると思います。娘が30才になって、もう私の人生の半分を彼女も生きてきたのですが、「ああ、私の人生と夏木のダウン症としての人生とは違うのだな」ということが、この頃すごくよく分かるようになってきました。知的な障害を持っているということは、いろいろな感じ方が違うわけです。それは神様がそれ以上感じるととても生きていけない程の痛みを受けるかもしれないから、そこを少しアウトフォーカスできるように与えているのではないでしょうか。だから、人が夏木に対してすることに私がものすごく腹を立てても、夏木はそれ程、腹を立てていないことがあります。ですから、人生の感じ方は人それぞれで、彼らが独り立ちしていく時には何が必要かと考えながら育てていくことが大事だと思います。これが出来るようになって欲しい、あれが出来るようになって欲しい、算数が出来るようになって欲しいと思うのだけれども、それはいったい誰の為なのかな、何の為なのかな、この人にとって大事なことなのかなということを。

幼児期〜成人期
 夏木のお友達の中には算数を勉強してかけ算もわり算も出来るようになったダウン症の子どもさんもいらっしゃいますが、夏木はどうかというと、10までの数のたし算がなかなか難しいまま高校まで卒業しました。くもんに高校2年生まで、毎週2日行っていました。別にそれは算数が出来るようになる為にというのではなくて、近所にいる友達が行くからということで。ずっと1年生の教材を使っていたのだけれど、彼女は全然、それには問題なくて、とても楽しみで行っていました。それでも算数はそれくらいの事しか出来なかったんですね。それが今、社会に出てどうかというと、そんなに不便を感じていないのです。中学生くらいの時、くもんの宿題を一生懸命やっているなと思ったら、お父さんの計算機を使って答えを書いていました。夏木が機械を扱うことを知ったのはすごい発見です。自分の足りない所はこれで助けを借りるということを学んだのはすばらしい事だと思いました。今は、お給料をもらってくるとノートにそのお給料を書くのに、数字をお給料袋から写します。それからCD買ったら「CDが2000円」と書いて、引き算をする。使った時は引き算、もらった時にはたし算ねと教えておけば、ちゃんと書いています。今はずいぶんさぼっていますが、働き始めた頃は一生懸命小遣い帳をつけていました。

 そうすると算数をやることは、この子にとって本当に必要なことだろうか。夏木にとっては苦手なことだったら、それにお金と時間をかける必要はない。文字を書くことについてはどうかというと、小学校に入る時に、なかよし学級という養護学級に入りました。家の近くには歩いて5分の所に養護学校があったのです。養護学級のある学校へはバスに乗っていかなければならない。主人は、そんな送り迎えしなくても、そこに養護学校があるのだから行かせればいいじゃないかと言ったのですが、小学校の時にはいろんな刺激があった方がいいということと、バス通学を6年間すれば、バスに乗ることは覚えられるかな、それだけでもラッキーだと思って養護学級に入れました。だから、小学校に入って6年生を卒業するまでに字が覚えらればいいやと思っていました。

 小学校に入ったら、クラスのみんながとても可愛がってくださって、ちょうど入った時にはクラスに5人お友達がいて、全部男の子だったのです。そして夏木が一人女の子で、小さいし、色は白いし可愛いじゃないですか。だからお人形のように上級生が教室まで来て可愛がってくれるのです。着替えをしようとすると着替え室がいっぱいになる。担任の先生が、それではこの子が育たないということで、今は着替え中だから入らないようにと立て看板を教室の前に置くくらい人気者だったそうです。そして、ある時、先生が遅れて行って立て看板を出すのを忘れていたら、夏木がちゃんと出していたという・・。それくらい可愛がっていただいた上級生が手紙をくださるのです。それで帰ってきて私が手紙を読んでやる。じゃ、このお友達に返事を書こうよというので、夏木がなぐり書きした所に私が「手紙をありがとう」と書いて、そのお姉さんに渡してごらんと言って渡していたのですね。そうしたら、そのお手紙を読みたくて字を覚え始めました。五十音の表を広げておくと、なつきの「な」という感じで字を拾うようになって、お友達の名前も覚えて。字が覚えられるようになると、お手紙が書きたくて書くことにつながりました。そうして、1年生のうちにひらがなを覚えて、書けるようになったわけです。

 夏木は心臓も悪かったから、幼稚園の時はほとんど病院生活だったのです。3才4ケ月でやっと歩けるようになりました。5才と6才で心臓の手術をして、完全には治らなかったので小学校5年生の時に完全房室ブロックで本人が意識を失って倒れて、小学校5年生の時からペースメーカーを入れています。身体障害者1級の手帳も持っているのです。そんなことがあったものですから、小学校の時も入院生活があります。入院すると学校に行けないわけですから、この子は遅れて行くだろうなと思ったのですが、大きくなって思うのですが、病院生活をしたことはすごくよかったなと。病院というのは病気のことしかありませんから、夏木が知的に障害があるかないかは全然、問題にならないで人間関係を結んで下さるのです。お掃除のおばさんと仲良くなったり、看護婦さんと仲良くなったり、ICUによくいて病院中の先生がのぞきに来るので、病院中の先生と仲良くなったりと、すごく人間関係が良くなりました。それから、おじちゃんやおばちゃんからお見舞いの手紙が来るので、その手紙を繰り返し読んでやる。私が読むのを自分でテープレコーダーに録音して、それを聞いていまして。カルタを読んだり、本を読んだり、手紙を読んだり、1日中国語ばっかりやっていたようなものですから、字は教えなくてもしっかり覚えました。

 中学3年生の時に家にパソコンを入れたのです。お兄ちゃんと妹は興味がありますから、お父さんに操作方法を教えてもらっていましたら、夏木も横でジーッと見てるんですね。ジーッと見てるということは非常に危険なことで、後で必ずいたずらをするということです。これをいたずらされたら困るので、一番安いワープロを誕生日に買ってやりました。夏木はおもしろくて、やっているうちに指1本でですが押せるようになって、その頃はワープロも一般化していなくて、学校で夏木がワープロを打てるのが評判になったくらいです。私は機械を扱うのは苦手なのですが、若い方たちは簡単に使えるようになりますよね。ワープロですと漢字がポンと出てくるので、いろんな漢字を覚えられます。それにワープロを使うことによって字が上手でなくても見る人には不便でないような字が書けるわけです。

 機械が大好きというのは、彼女は3才まで歩けなかったので、遊ぶものといえば自分のまわりの物だったということもあります。歌が好きでしたから、テープレコーダーに童謡を入れて聞いて、終わったらポンと押して巻き戻してずっと聞いていたり。自分の聞きたい所でパッと止められる技は天才肌というか・・、機械に関しては本当に上手に使いこなしました。お兄ちゃんがCDをテープに録音してくれるのを見ていて、自分で操作するのです。知能検査をする時の知能とは、本当に幅の狭いものしかはかっていないんだなということが分かります。そういういろんなことを体験の中から覚えていき、それが自分の身についていく。そしてそれが世の中に出ていく時に、いろいろなことの役に立っているなーと思うのです。

 自分はこれは出来そうだなと思うことは興味を持つものです。興味を持った時には出来るというふうに考えればいいと思います。赤ちゃんはよく手で遊んでいるでしょう。赤ちゃんは手をながめている時は何か手にもって遊べる機能が発達している。足を持っている時は、足の機能が発達しているというように、能力がそこまで来た時には必ずその場所に目が行くのです。だから、冷蔵庫に興味を持ち出したら、冷蔵庫に関することを一緒にやるといい。何か買い物に行ったら「一緒に冷蔵庫にいれようね」とか、「牛乳をここに入れて、玉子はここね」とかのお手伝いをやっておくと、自立していくためのものは身についていくと思います。

 社会に出て行って一人立ちする為の体験を、私たちは意外に省略しています。例えば昨日も、障害のないお子さんだったのですが、学校に行こうとするとお腹が痛くなる。そのお母さんは「何でも自立しています」と言うので、「じゃ、お風呂に入る時に着替えはどうしてますか?」と聞くと、「私が揃えてます」と言う。「給食の道具は?」「私が出してあげます」。全然、自立していない。そういうことをしているから社会に溶け込んでいけないのです。自立していくためには、「お風呂に入ろうね」と言うと、先のことを見通して、自分は何を行動すればいいかということが分かることが大事なんです。私たちは経験の中で、次に何が起こるかということが分かりますよね。それが不安を持たないで生活できることです。

 さっきも京都駅に佐々木さんが迎えに来て下さってここまで来たのですが、佐々木さんは「近くよ、すぐに着くよ」とおっしゃったのだけれども、バスに乗っていくのか、タクシーに乗るのか、歩くのかは全然おっしゃらないわけです。で、「こっちこっち」と言って、こっちの方からバスに乗るのかなと思いながらついて行ったら到着して、「ね、近いでしょ」と言われる。その間、私は不安なわけです。そういう事を私たちはいつも子ども対してしています。夏木は「どこに行く?」と聞くでしょ。「どこどこ」と答えて、「何で行く?」と聞くから「車で行くよ」と答える。私たちの経験としては車で行ったら車で帰ってくるのが当たり前のことなので、その次の質問はしませんよね。でも、夏木は「帰りはどうするの?」と聞きます。「帰りも車だよ」「誰と?」「お母さんと」そこまで聞かないと不安なわけです。夏木は今でも、一緒にどこかへ行く時には、必ず行って帰って来るところまで聞きます。先の不安ということを教えてあげるのはとても大事な事なのです。

 そして私たちは、いろいろな目印とか、何かのきっかけを持ちながら生活しているということを教えてあげなくてはいけません。私たちは外出した時に何でトイレを見つけているか。トイレのマークを見つけながら「トイレはここだよ」と言っているだけれども、マークは自分が納得して、子どもには「こっちこっち」と連れて行っているだけなのです。この子が一人で出かけた時にトイレに困らないようにするには、トイレの時には「ほら、あそこにトイレのマークがあったよ、あっちへ行くとトイレがあるんだよ」と教えておくことが必要です。そうすると、一人の時もトイレはどこだ、エレベーターはあっちだとパッと見てさがすクセがつくわけです。スーパーマーケットでお肉屋さんに行く時には、お肉はお野菜のコーナーにはないという常識があるわけです。食品は食品売り場にあって、お肉売り場は雑貨屋さんのそばにはない。そういう体験をしているから、スーパーに行って手早く買い物が出来るのですね。私たちは常に手掛かりを持って生活しているのです。例えば、「帰る時間ね」といった時は、私たちは時計を見ながら、あと5分したら帰らなくちゃと心の準備をしながら帰る時間を予測して、「じゃ帰ろう」と言っているのだけれど、子どもにすれば「ハイ、帰る時間ね」と突然言われるわけです。だから「いやだ」ということになる。

 私たちはどういう手掛かりで生きているかということを子どもに言っていかなければいけません。そういう手掛かりをいっぱい使いこなせると、行動する時に安心感があり、自立につながっていくと思います。自然に覚えていく能力のある子もいるけれども、そういうことを気がつかない人もいるわけです。今、自然に身につける力を持っているはずの子ども達にそういう力がなくなり、生きていく自信のなさにつながっているような気がします。

 学校に行く時も、「学校へ行く時間ですよ、早くしなさい」ではなくて、 「時計が何分になったら学校へ行こうね」というように。まだ数字が読めない時には、学校の教材の時計を使って「この時計と同じ形になったら学校へ行く時間だよ」と教えてあげるとわかりやすいですね。今は何時? 今は何をする時間? と自分で考えて行動できることが時間を使いこなすということです。何時に集合といった時にも、ただやたらに家を飛び出して行くのではなくて、何時に家を出たらいいかということも時計を見ながら教えていく。時計を見ながら「2時に集合ね。じゃ何時に家を出ればいい。何時のバスに乗ればいい ね」と時計を見ながら判断することを身につけさせていく。時計を判断するには、大好きなテレビ番組と連動していくのもいいですね。うちの娘は50分というのを一番に覚えたのです。毎日、5時50分にドラエもんが始まるので、50分はドラエもんという感じで50分が読めるようになりました。具体的なこと、自分にかかわりのあることはすぐに身につきますよね。

 小学校の時に、ご飯のスイッチを入れるのは6時と決めて「6時になったらスイッチを入れてね」とお手伝いの係にしておくとスイッチを入れてくれました。ある日、スイッチを入れ忘れて、ご飯が出来ていない。お母さんはおかず作ったのに、さあたいへんというと次の日からはちゃんと6時になったらスイッチを入れてました。そういう風に、これをしないとみんなが困るというものをお手伝いの中に加えていく。自分のことだけ出来るのではなくて、常に家族の中で自分が必要な人間という存在においておくのは、すごく大事なことだと思います。やはり、人間って役に立っているということが必要ですよね。

 それから一人で移動が出来ること。大変なことのようですが、意外に文字が読めなくても一人で移動できるものです。ユニークに一人で来ている子どもさん(子どもさんと言っても20才になる方ですけれども)は、高校の時はスクールバスがないから3年間お母さんが送り迎えしていたという方ですが、彼女は出来る人だからユニークに入る時には「一人で通う」という条件をつけたのです。学校の先生はバスで送り迎えできる授産所にした方がいいと言ったらしいですが、お母さんは絶対にユニークに入れたいということで、お母さんも真剣に取り組んだら、3ケ月で1人で通えるようになりました。学校教育は何だったんだろう・・と言っていました。字が読めなくても、話しが上手に出来なくても、自分で体験したことはきちんと分かるものです。だから、出来るだけいろいろな所に一緒に行ってください。今はついつい車に乗ってしまいがちですが、バスや電車などの公共の乗物を使って移動するということを小さい時から体験した方がいいと思います。

 うちの娘は小学校の時に毎日バス通学したことで、バスは自由にあやつれるようになりました。そのかわり、あっちこっち行きました。乗り越してどこかに行ってしまって2時間ぐらい学校から帰って来なかったりとか。そういう時間の感覚というのは、彼女達はそう苦にならないようですね。3年生くらいになると、迷子になるのではなくて、自分でどこかへ行ってしまう。そして遊びまわって帰ってくるとか。でもちゃんとバスのマークを覚えていて、そのマークのバスに乗ればいいと思っていたようでした。

 小学校の時に、バスに乗れるようになるにも細かーく分けて練習しました。どういうやり方で覚えるようにしたかというと、最初は一緒にバスに乗って 「この景色が出てきたら降りる所だから、このボタンを押そうね」と言ってボタンを押して降りる。そのうちには、「お母さんはもっと先まで用事があるから、お母さんは降りないよ」と知らん顔をして、夏木が降りたのを見とどけてから次のバス停で降りる。次には、一緒に乗ると頼ってしまいますから、私はバス停の先の塀のカゲに隠れていて、夏木が乗り込んでから私が飛び出して運転手さんに合図をして乗る。夏木は一番前に座りますから、私は後ろに座って、夏木がボタンを押して降りたら私もすぐに降りるとか。そういう細かいことを小学2年生頃までずい分やりました。それでこれは完全に大丈夫だなと思うと(完全じゃなくいろいろな事はしでかしてくれたんですけれども)、次はバスを乗り換えることを覚えたいと思いました。

 中学生になって養護学校へ移り、家から歩いて3分の所になったのですが、せっかく覚えたバスを利用できないかと、離れた所にお茶の先生を見つけて、週に1回お稽古に通うように決めたわけです。学校が3時頃に終わってからバスに乗ってバスセンターへ行き、バスセンターでバスを乗り換えてお茶の先生の所まで行くというふうに、プログラムを1つ増やしたのです。週1回それをやり、乗り換えることも身につけました。高校の時の職場体験の時でも、あらためてバスの練習をしなくても出来るようになっていました。今でもバスの乗り継ぎをいろいろ自分で体験してみたくてあっちこっち乗り越したりしていますから、とても詳しいです。バス会社から静岡駅からの地図をもらって来て、この道は何線が通っていると全部知っているのです。お友達に住所なんか聞くと、必ずやらかすなというのがあって、必ずバスで行ってみるんですね。でも、そういうことが身についたおかげで自分で自由にどこでも行けるようになったし、お友達を増やすことにもなりました。私がついて行けなくても自分一人で行けるから、何でも参加できるようにもなりました。

 それから、自分が困った時に、電話が使えるということはすごく便利なことですよ。「おばあちゃんに電話をかけようね」というように練習して、うちの人に電話をかけるとか、電話に出ることを練習しておくといいですね。今は、持っていればどこにいるかが分かる発信器があるそうで、利用している人もいます。でも、電話だとかバスを使いこなすことは、ダウンの子どもさんはわりと直ぐに身につくような気がします。

 それから、誰とでも仲良くなれることというのも大事だと思います。可愛がられている子というのは絶対に人を疑わないから、今は恐い世の中なので危ないかもしれません。でも、疑ってかかれというよりは、やはりみんなやさしい人の方が多いんだよということで対していかなければ、子ども達を育てて行くのにはとても苦しいことだと思います。そして、困った時には人にたずねる対処の仕方を教える。例えば、バスを乗り越した時には、定期券を持っていれば定期券をバスの運転手さんに見せなさいとかね、そういう方法を教えてあげることが大事だと思います。そして病院だとか図書館だとか体育館だとか、社会施設の利用をたくさんしておくというのは大事だと思います。

 夏木はペースメーカーの検査があるので今も病院へ定期的に行かなければならないのですが、私がついていくと1日つぶれてしまうので、一人で行けるように練習しました。病院の中は馴れているので、レントゲン室はどこにある、脳波はどこで撮るだとかはだいたい知っています。最近は病院の中にも病院ボランティアという人がいて案内をしてくれるのですね。その案内をしてくれる人に聞くことを教えたのです。そして最初はボランティアさんにお願いをして「一人で行くのでお願いします」と言っていたのですが、それからは自分で出来るようになりました。今は一人で受診して、血液検査をして、心電図やレントゲンを撮って帰ってくることが出来るようになったので、大変助かります。

 あと、図書館へ行ってカードで本を借りてくる。最初はお父さん、お母さんと一緒に行く。小学校の時、先生が図書館の利用の仕方を教えて下さったので、図書館で本を5冊くらい借りて来ていました。「お母さんのも借りて来たよ」と言って、ちゃんと私の読みたそうな本を選んで来ていて、びっくりしたことがありました。いろんな本の中から私の読みたい本を探すことができるわけです。いつも一緒に借りたりしていると、どんな本をお父さん、お母さんは好きかなというのをちゃんと注意をしているものなのですね。

 私は3人の子どもを育てていますが、やはり夏木に一番手がかかっているのです。一番手をかけたということは一番私のことを観ているのですね。だから私が美容院に行ったことを最初に見つけるのは夏木だし、洋服が変わっていると「それいいね」と言うのは夏木です。母親に対してもですが、おばあちゃんに対しても「おばあちゃんの洋服はどうだ」とパッと言えるのは夏木なのです。それだけ近い関係になっているのかなー。

 私のスケジュールは夏木の中に入っているのです。冷蔵庫の所にスケジュール表を貼っているのですよ。夏木が「今日は何かある?」って聞くわけです。私が「今日は何もないよ」と言うと、「あ、そう、それならいいけど」と言う。でも彼女がそう聞く時には、必ず何か予定があるのを知っているわけで、後から見ると「あ、あった」となります。「夏木、「ある?」じゃなくて「あるでしょ」と言ってくれたらいいのに」と言うんです。この頃は、質問されたら疑ってかかろうと思っているんですけどね 。

次号につづく   


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