京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2002年2月号 掲載)
昨年11月10日『ひなたぼっこ』の上映後に講演して下さった桐野監督のテープおこしです。

 ご紹介いただきました桐野直子です。京都で上映会を開くということでお招きいただきましてありがとうございます。私も楽しみにやってまいりました。地下鉄を丸太町駅で降りましたら大文字さんが見えまして、あー京都だと思いました。高いビルが少ない町でちょっとホッとして、鴨川の流れを見ながらこちらへたどり着きました。ここで、とてもたくさんの方々に映画を見ていただき、とてもうれしく思っています。今日は上手なお話ができるか分かりませんが、この映画を作るきっかけや、制作過程の中で私が感じてきたことを少しお話しをさせていただきたいと思っています。

 ちょうど3年ぐらい前に、この映画の中でドラムをたたいている山田晶生(あきら)くんのお母様と知り合いました。千葉県で人権問題を考えるシンポジウムがありまして、いろんなパネラーの方達が招かれていたのですが、私もそのパネラーの一人として壇上に上がっていました。何故私がそこに呼ばれたかというと、私は千葉県から依頼を受けて県内にある被差別部落の人達のビデオを作ったという経緯がありました。山田晴子さんも被差別の立場からということで参加されていました。

 その時に、山田さんが私の作った作品をご覧になって、「自分の生きてきた道を自分の言葉で語る姿に感銘を受けた」というようなことをおっしゃって下さいまして、「今度はうちの子ども達のことを映画に撮って下さいね」と言われました。私はそれは、「作品が良かったよ」というメッセージと受け取っていましたので、本当に彼女から依頼を受けるとは全然想像だにしていませんでした。ところが、ほどなく山田晴子さんからお手紙をいただきまして、「自分達の子どもを映像にして下さい」という依頼を受けました。

 私は被差別部落のビデオ撮影を請け負った時も、そうことがあると知ってはいたけれど、間近に差別を受けた人の体験を聞いたことがあるとか、いわゆる同和教育を受けた経験もありませんでした。けれど、知らないことは知ってみようという簡単な気持ちで出発しました。山田さんから依頼を受けた時も、知的障害のある人達との付き合いというのは思い返してみても皆無だったので、知らないことは知ってみよう、これはご縁かなと思ってお引き受けしたのです。

 しかし、最初は自然に言葉を選んでいる自分がいました。ぎこちない付き合いをしていたと思います。こんな事を言ったら失礼になるんじゃないかと非常に言葉を選び、おそるおそる近づいていったという感じでした。まず親ごさんとの出会いがあって、子ども達と初めて出会う朝、非常に緊張していました。どんなふうに話のきっかけを作っていけばいいののか、仲良くなれるのか、仲良くならなくっちゃとか。親ごさんからも、「私達の子ども達は自分を理解してくれるなーという人は本能的に分かる」みたいなことを言われるとますますプレッシャーがかかって、私は彼らに本能的に理解してもらえる人間かなーとか、いろんなことをいっぱい考えながら出かけて行きました。

 初めて行った取材場所というのは公園でした。彼らは千葉県の船橋市から委託を受けて月に2回、公園の掃除をしているんですね。それで、公園の掃除の日にはみんなにいっぺんに会えるからということで、カメラを持って出かけて行ったのです。で、会ったらやはり3歩ばかりずーっと引いていたような気がします。おしゃべりをしていたのは親ごさんとばかりで、子ども達の様子は遠くからながめるだけ。だけど、カメラマンも連れてきたし、何か撮影しなければと考えていたのです。その時、子ども達は10人ぐらいいまして、みんな同じように見えたんですね。障害のある子ども達というふうに見ていたのでしょうね。いっぺんに名前と顔を覚えることが出来なかったので、記録しておけば、後で見てこの子は何ちゃんだと分かるぐらいの気持ちで、とにかく自己紹介をしてもらおうと、ようやくカメラマンに監督らしい指示をですね、普段はあまり指示なんか出したりしないんですけど、カメラマンが「どうするんだ」という格好で立っているので、とにかく自己紹介をしてもらおうということで、カメラの前にそれぞれの家族に立ってもらったんですね。それがこの映画の冒頭の部分です。子ども達が一人ずつ、または親子で自己紹介をしているシーンが、まさに私が彼らと初めて会った一日目の映像です。

 初めての撮影の冒頭シーンがとても彼ららしい個性が溢れているというのを編集しながら実感したのは、少し時間がたってからでした。この時は、10人ぐらいの子ども達に自己紹介してもらいました。その中から最終的に5人になるだろうということを私は想像していたわけではないし、この子を撮影したいなとか、この子は特別な才能があるとか思ったわけでは全然なくて、誰をこの映画の構成メンバーに入れるかなんていうのは最後までありませんでした。なぜこの5人になったかというと、学校の許可がおりた所に通っている子ども達の撮影が出来たという結果にすぎないですね。

 この冒頭を何度見ても5人それぞれ五人五様で、非常に個性的であるし、何故私はこの子たちをみんな同じ顔だと思っていたんだろうなって、今は思えます。ものすごくパフォーマンスの派手なよっちゃん。真面目にドラムの練習をするあきらくん。寝てばかりいてしょうがないあゆみくん。ボーとしているようで、だけどいつもお友だちに囲まれているえみちゃん。じゅんくんは、いろんな事が出来ない青年だけれども、何故か彼の周りにはとってもチャーミングな仲間達がいっぱいいる。出会った日には個性を見抜くことは出来なかったけれど、撮影を通して彼らと一緒に過ごす時間の中でいろんなことを感じるようになってきました。私は一人一人と出会う前は何だかよく分からなくて、障害者という1つのくくりの中で彼らを見てたんだなあと改めて今思うのです。

 学校の撮影はすごく大変なんですね。あそこは撮るな、ここは撮るな、この授業だけにしてくれとか、いっぱいいろんなことを言われました。それでも、少し時間がかかりましたが、「すいません」と言いながらだんだん何回も何回も行かれるように学校との関係を作っていきました。学校での撮影の段取りができて初めて取材に行ったのは、習志野市立習志野高等学校定時制のドラムを叩いていたあきらくんの音楽部の部室だったんです。いったいどんな練習をしているんだろうなと行ってみたら、あきらくんがどうのとかいうレベルじゃなくて、みんなものすごくヘタくそなんですね。高校に入って初めて楽器を持ったみたいな子どもが多くて、「これで音楽になるのかな?」と正直心配でした。

 最初は、まわりの人たちがあきらくんをどんな風に見ていて、どんな風に接するか、どこかでお世話をしているシーンを自分の中で想像していたと思うんですね。手取り足取りあきらくんに親切にしているシーンとか、いろんな葛藤がある場面とか、けんかをしたりとか、そういう映像的に派手な部分を勝手に想像していたのです。けれども、行ったらみんなヘタくそだし、そんなシーンはないわけです。とにかくあきらくんがいるのが当たり前で、最初はそれもなんだか物足りないような感じがしました。それでも回数を重ねていくうちに、これはもしかして、当たり前に一緒にやってるからこうなのかなーと思えるようになってきました。あきらくんは、音楽というアンサンブルの中の一人なわけですから、彼の音が合わないとなれば、何度も何度も練習するわけです。私も個人的には音楽をずっとやっていたので、何度も練習することが当たり前のこととしてありました。文化祭の前に、あきらくんが何回やっても出来ないのを、彼らが怒りもせずに合うまでやるという作業をずっと続けていたんです。この部分は編集して短くしましたけれども、たぶん30分ぐらい同じところをやってたんですね。それをずーっとカメラで撮っていて、本当に最後に1回だけだったんですけれど音がぱっと合ったんです。その時に「やった、OK」ってあきらくんがニコッと笑うその笑顔を見たときに、あ、自分もこうだったよね、自分も音楽やっていた時には合うまで練習した、そう思った時にフッと肩の力がぬけていきました。あきらくんを特別なメンバーの一人として仲間達は見ていたわけではない、というのを彼らに言葉で聞いたりはしなかったのですが、とにかく、「こんばんは」と挨拶して撮影して、「お疲れさま」と言って帰るという作業を何回も何回も重ねていく中で、自分も身体で分かるようになっていきました。

 それでもやはりまわりの子達はどんな風に見ているんだろうというのはすごく気になりました。だから、インタビューなんかも試みたんですよ。あきらくんだけでなく、彼らと付き合ってる健常児といわれる人達に結構いろんな場所で話しを聞いて、それをカメラに収めたものもあるんです。けれども何度聞いても、返ってくる答えは、「どう?」と聞いたら「普通」とかね、「友達だから」「別にあまり深く考えたことない」とか、そういうふうに言うわけです。インタビューになってないし、答えはなかなか出てこない。この子たちは言語能力が少し欠けてるのかなあと思ったりしたんですけれども、彼らにとっては言葉にする必要はなかったんですね。私が長い時間彼らと一緒にいる中で感じたようなことを、彼らは自然に身につけてきたのかなあと思います。だから、仲間の学生達にとって障害のある彼らというのは特別な存在ではないというのが、言葉ではなくて態度として現れていました。「弁当が食いたかったんだ」って抗議する場面でも、「ああいいじゃん、今から食べればいいじゃん」と言うわけです。「じゃ、あきらくん、こっちでこうしましょうね、ああしましょうね」というような、いかにもという場面は全然ないんだけれども、そこには対等な感じというのがすごくあって、私はあの場面が好きです。

 この映画は、そういう意味ではドラマチックなシーンというのはあまりなくて、そういう日常をただただ重ねていっただけなのです。でも、まさにその中に一緒に生きていくというのはどういうことなのかということがあるのではないかと、この撮影を1年半ぐらい続けた中で感じるようになりました。

 あきらくんの学校に行かれるようになって、それから多少いろんな制限はあったのですが江美子ちゃんの学校にも行かれるようになって、やはり級友達にマイクをむけるんだけど、「なんで、おばさんそんなこと聞くのかな?」みたいな対応なんですね。それは、なんか見事にしてやられたという感じでした。若いって本当にすばらしいことすね。柔らかくて、なんでも対等に受け入れることが出来る、若さならではのものだなと思いました。そういう周りの子達といろんな話をしていく中で、最初は言葉通じるのかな、こっちの言ってることが分かるのかなとか、いろいろ思っていたんだけれども、大丈夫じゃん、おもしろいじゃん、って思うようになってきました。

 大人は入口に立った時にすごく意識しなければいけないかもしれないし、緊張もするかもしれません。特に教育の現場にいらっしゃる先生達なんか、うまくいくんだろうかとか、いろんなことをお考えになられると思いますし、お考えになるからこそ、なかなか彼らが受け入れられる学校がないのが現実です。けれども、付き合ってみればいろんなおもしろいことがあるというのを、まさに自分は経験しました。若い人たちは"吸い取り紙"とよく言いますが、大人になったらちょっとそんなふうにはいかないかもしれないけども、大人でもだんだん変わっていかれます。彼らの力によって自分がだんだんに解放されていくというか、それはもうものすごく心地のいいことでした。

 この映画のタイトル『ひなたぼっこ』というタイトルをつけたのは一緒にいたカメラマンです。ひなたぼっこというのは時間に追われたり、お金のことばかり考えていたりすると、なかなかできないことなんです。「桐野さん、ここに座ろうよ」って、いつもあきらくんや、えみちゃんや、じゅんちゃんや、あゆみくんや、よっちゃん達に言われて来たような気がします。そういう、時間とか余裕みたいなものを彼がいつも私にくれるというか。子どもの時は別に意識もなくひなたぼっこしているのだけれど、大人になると、ひなたぼっこをするにも時間を作って休むとか遊ぶとかになりますが、時間を作る努力も必要だと思うのです。やってみたら気持ちいいですね。そういう意味でも、彼らと付き合ってみたらすごく楽しくて気持ちいいし、そういうのを自分は味わってきたから、私と同じように付き合ったことのない人達には、この映画がその入口に立つきっかけになれば嬉しいなあ、映画を作った甲斐があるなあと思います。

 実はいろんな事をノートに書いて、こんなことしゃべろうと思って来たのですが、まだ予定の3分の1ぐらいしかしゃべってないんですけれども、時間があと10分ぐらいしかないんです。もし、何かご質問があれば、できる範囲でお答えしたいと思います。何か映画を見て、どうしてここはこうだったのだろうとか、疑問とかあれば伺います。



客席より:障害者が普通の高校で勉強している様子を見て、どう感じましたか。

桐野監督:
 高校というのは選抜ですから、選ばれた学力のある人たちが学ぶ場所とされているわけです。彼らは知的障害があるわけですから、要するに入学試験では0点ですね。映画の中でよっちゃんという男の子が高校受験にチャレンジして、家庭教師の先生について勉強している場面があります。あれは、「障害があっても普通高校へ」という運動を続けている人達と教育委員会のやりとりの中で、「0点じゃ入れない、せめて何点でもいいから取ってくれ」みたいな言い方をされ出した経緯があり、彼は○か×とか、選択で埋められる所とか数字で埋められる所は何か入れておけばまぐれ当たりするかもしれないということで、そんな意味がない勉強をしているのです。象徴的な部分だと思います。

 そういう意味では、学力はないわけです。そういう子ども達が学校に行ってどうか、授業についていけるとかよりも、授業を聞いても分からないだろうから、つまらないのではないかと私も始めは思っていました。たしかに、立石歩という青年は授業中寝てばかりいたんですけれども、「やっぱりつまらないのだろうな」って正直思いました。が、あれはどうも彼のポーズだったみたいなんですよね。本当に寝ている時もあるのだけれども、伏せて寝るということが彼にとってのひとつの自己主張であったのかなって、だんだんに思うようになってきました。それから、数学の授業を何とか撮影させてもらいましたが、これだって、あの女の子は授業中漫画ばかり描いているわけです。数学のことが分からなければつまらないだろうと最初は思ってたんです。けれども、夜遅くまで文化祭の準備で残って、同級生と一緒に帰っていく電車の中でキャーキャー言っている姿を見たり、それから文化祭の準備の中でみんなにおこられながら泰然と筆を握っている彼女の姿を見たり、それから、みんなもうテンヤワンヤで忙しいのだけれど、彼女は仕事をしているのかしてないのか分からないような風情で廊下で踊っているシーンとか、ああいうのを見てると、周りも「何をこんなに焦っているのか」と気付かされたり、そういうふうに思うようになったら、何が一番大切なのかなと思うようになりました。数学の授業で何かが分かることももちろんそれは大切な事だと思うのですが、知的な障害のある子ども達にとって学校という場所は、社会の一員であることをはっきり自覚できる場所なんじゃないかと思いました。

 それは必ずしも授業についていけるとかいけないとかいう尺度では計れないものが学校にはあるのではないかと思います。学校というのはそれぐらい、ゆるくてもいいじゃないのかなって。来年から週休二日制になって、私の子どもが通う学校は遠足をなくすと言ってるんですね。校長先生がそんな風におっしゃっていました。そのうち修学旅行もなくなって、運動会もなくなって、算数と国語と理科と社会と英語というふうになっていったら、どうなるんだろう。そんなこともあわせて最近、ちょっと思ったりもします。

 学校というのは子ども達にとっては最初に経験する社会生活だと思います。社会にはいろいろなヤツがいるわけで、日本はアメリカなんかとは違って多民族国家ではなくて、髪の色が違ったり、肌の色が違ったりと、明らかに違うという社会ではないけれども、いろんなヤツがいるのが社会ですよね。例えば、寝てばかりいるヤツもいれば、何言ってものらりくらりしてるヤツもいたり、そういう中で彼らもいろんな子の一人なわけです。ある映画会の感想の中で、「うちの子は知的障害があるんだー」って簡単に言えたらなんて気楽になるんだろうかというお母さんの感想がありました。障害を個性という言い方をする気は私はないけれども、障害があるとかないとかじゃなくて、それぞれいろんな人がいて、いろんな個性があって、それが社会だし、子ども達が初めて踏み出す社会の中にいろんな人がいるということを、理屈じゃなくて身体で感じて分かってもらいたいと思います。

 だから、えみちゃんに数学を教えたって分かりっこないのにムダだよ、というふうには私は思いませんでした。じゅんくんは絵本を出して授業を受けていました。彼は絵本が大好きで、いつも肌身はなさず絵本を持っているんですね。けれども、国語の先生は最初は「あいうえお、かきくけこ」を勉強させようと思ったそうです。で、もういろんなことをやったらしいですが、やはり彼の心がどんどん自分から離れていくのがすごくよく分かったし、彼が苦痛だと感じているのが分かったそうです。その時に、どんな風にしたらこの子とまっすぐ付き合っていけるかなと考えて、絵本を媒介にしてじゅんくんと付き合っていこうと、そしてああいう授業のスタイルが出来てきて、じゅんくんと向き合っているわけですよね。それは最初ふざけているようにも見えるけれども、でもちゃんとじゅんくんという男の子の目線で先生は付き合ってるなあと思って、こういうのだっていいじゃん、と私は思いました。答えになったかな?

客席より:ありがとうございます。

桐野監督:
ありがとうございます。
 最初はすごくそういう感想が寄せられます。彼らにとって意味ないんじゃないかとか。絵本で勉強をしている彼はセーターを裏返すことができませんでしたから、あんな身辺自立もできていないで何が高校生だ、みたいなことをおっしゃる方もいました。でも、じゅんくんは、これが裏だということは分かるんだけれども、それをどうやって表に返していいのかができないんですね。ま、一応やらせてみようと友達は見てるけれども、「あ、できねえんだな」と、サッと自分で表に返して、「じゃ、たためよ」「僕がたたむの」と言ってたたむわけです。でも、それでいいんじゃないかと私は思うんですね。そうすると、この子ども達はいつも人の手を借りることに慣れてしまって、自立できなくなるのではないかとおっしゃる方も中にはいるけれども、では、人の手を借りないで生きていける人って世の中にいるのかなって思います。よく言いますよね、「人」という字はささえ合っているんだって。そのささえ合い方というのは人それぞれで、たくさんの人の手を借りなければいけない人もいるし、それでいいと思います。セーターが表に返せるまで彼に訓練を強いるよりも、サッとセーターを返してやって、遊んだほうが楽しいじゃないかと思うんですね。

 映画に出てくる、えみちゃんという女の子のお姉さんが書いてくれたのですが、えみちゃんは指の力がすごく弱いものですから、缶ジュースのプルトップがずっと開けられなかったんですね。それを見てお姉さんは、こんなものも開けられないようでは困ると思っていたんですって。けれど、友達がえみちゃんが開けられないのを見て、パッとジュースの缶をとって開けたんだそうです。で、「えみこ」って言って渡して、もうみんなでジュースを飲んで談笑が始まったって。その風景を見たときに、「あー、自分はプルトップを開けられなくちゃ、えみこは困るだろうから、開けられるようにならなければいけない」と思っていたんだけれども、こうやって、親切だなんだではなく自然に取って開けてしまった姿を見て、お姉さんは目から鱗ではないけれど、姉妹でずっと育ってきたけれど、学校の中での人間関係を見ながら、お姉さんは妹たちにすごく教えられたというふうに言っていました。

 私もうまく言えないのですが、学校でできないことをできるまで残ってやったり、そういうことがその子にとってどれくらい意味のあることかなと思います。成果とか、結果とか、そういうのを私達は重視しがちですけれども、そうではなくて、その過程にあることとか、そういう一瞬一瞬、一つ一つを大切に見ていったら、みんなもっと気持ちよくゆっくり生きていかれるかなって、もうゆっくり生きた方が楽ですよね。私だってラクしたいなと思うし、ゆっくり生きていくために、彼らのような存在が力になるというのかな。出会ってみるというのはとても大事なことで、うちの子ども達を映像にして欲しいと言われて、じゃ知らないものは知ってみようと言って出会ってみて、私は遅まきながら得をさせていただきました。だから、彼らのような人達を排除していくという社会が少しでも変わっていくような力になれたらと思います。私は小さな力だけれども、私はそうやって変わっていきたいし、どんどん変わっていく自分を楽しんでいきたいなあと今、思っています。



夜の部のあともお話しをして下さいました。
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