『やさしい心をもっていますか?』 2009.11.22
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皆さんこんにちは。私たちはいつもは4人ですが、今日は3人で来ました。 今、滋賀県の東近江市(旧能登川町)に住んでいます。その町の丁度真ん中に、止揚学園という知能に重い障がいをもった人たちの家があります。「止揚」の意味を簡単に説明すると、ヘーゲルという哲学者が使っていた言葉で、ドイツ語の「Aufheben」(アウフヘーベン)、直訳すると「上に持っていく」、それを漢字で「止揚」と訳したのです。2つの相反するもの、違ったものがぶつかって1つになり、今までの古いものを捨てて新しいところに飛び移って、そこで1つになったものが力を合わせて前に進んで行く、という意味があります。ヘーゲルは、そういう形で歴史も社会も人間も進歩して来たと考えた人なのです。私は知能に重い障がいを持った仲間たちと障がいを持たない私たちがぶつかって1つになり、差別が強い次元の低い日本の社会が、両者が力を合わせて全ての人が胸を張って活き活きと生きられる社会へ、そういう社会を作れないかなぁと思って「止揚」と名づけました。 止揚学園は今年で47年目を迎えます。そこにいる人たちは、5才から10才くらいで私たちの仲間になりました。この止揚学園ではほとんどの人がやめなかったので、そこでみんな大きくなりまして、今1番年下の人が30数才、大きい人が60数才になりました。ずっと一緒なのです。そんな仲間の人が40人、職員が36人、職員の子どもや家族がいて、だいたい90人近い者が仲良く力を合わせて生きている場になっています。今、1番小さな人は職員の子どもで3才の男の子。一番大きい人は私の父親で104才、とても元気で介護はほとんど要りません。 止揚学園には年間3千人くらいのお客さんがありまして、よく来られる方が「ここは心の避けどころになる」と言われます。「ここに来ると疲れた心が休められて、活き活きとしたものを感じて明るくなる」と。私たちは見学に来られた方たちを笑顔で迎えて、笑顔で一緒に食事して、笑顔で送り出す、それ以外は考えていないのです。とても笑顔の多い、明るい、美しい場所です。 止揚学園では、仲間の保母さんたちは自分の両親が老化したら施設に入れないでそばに連れて来て、そして天国か地獄か知らないけれども送ろうやないかと考えています。すでに保母さんたちのお父さんやお母さんの何人かが止揚学園にいます。老人がいてくれるのはとてもよい事です。確かに若い人には忍耐が要りますが、忍耐というのは優しい心がないと生まれないですから、老人を通して優しい心を持つことができる。そして老人がいると時間がゆっくり流れる。 赤ちゃんもいますから、今は3才になりましたけれども、いろんなところで笑顔がいっぱいあります。入園している仲間たちが精神発作を起こしたりいろんな事があっても、赤ちゃんがいてくれるとすぐに治ります。老人がいてくれて赤ちゃんがいてくれて若い人がいて僕たちのような者がいて、みんなが力を合わせる。それが施設やないかなぁ・・・と考えています。 私は大学2年生の時からこの仲間と共に生きて、今年で57年目になります。いつの間にか半世紀少し過ごしてまいりました。その57年間の思いをこれから皆さんにお話しながら、いろんな事を考え合ってみたいと思います。 止揚学園に「イチロウさん」という僕の友だちがいます。言葉がほとんどなくて、「おーい、おーい」しか言いません。でも彼はマラソンを走る事がすごく得意です。外国のマラソンにも出たことがあるし、全国のいろんなマラソンに参加した事があるのですが、一度も優勝した事もなければ10番以内に入った事もなくて、いつも尻から数えたほうが早くて、時には1番最後ということもあります。スタートの時はすごく勢いよく走り出し、「わぁー、これだったらひょっとしたら2.、3番になれるかもわからんなぁ」という勢いなのです。しばらく走っていると、疲れたりお腹が痛くなって道端にしゃがみこんでいる人がいる。イチロウさんはそこへ走って行って、「おいおい、おいおい」と言って、「立ちなさい、一緒に走ろうよ」と一生懸命励まします。その人が立ち上がって走り出すとニコニコして一緒に走るのですが、その間に多くの人がドンドン抜かして行ってしまいます。また走って行くと道端に倒れている人がいる。するとまたそこへ行って、「おいおい、おいおい」と励まします。その間にまた多くの人が抜かして行きます。多くの人は優勝したい、勝ちたい、その一心で人を抜かして走って行ってしまう。結局いつもゴールに着く時は尻から勘定した方が早いのです。 人間の社会は過酷ですね。優勝すると金メダルがもらえて、テレビや新聞でワァワァと言われ、みんなから賞賛の声を受けて、「私もああいう風になりたい」「私の模範や」なんてみんなから騒がれるのに、このイチロウさんは一度もテレビや新聞に取り上げられた事もなく、「イチロウさんが私の模範や」と言われた事もないのですね。この間、野球の選手のイチローさんがこう語っていました。「自分の全てをぶつけて、私はこれだけの記録を作る事ができた」と。みんなが感動していました。自分もあれだけの真剣さを持って努力して生きなければいけないよなぁ・・・なんて涙を流す人もいました。でも、私はいつも思うのです。止揚学園のイチロウさんを見ても、他の仲間を見ても、自分のものを必死にぶつけて真剣に努力していると思うのです。野球のイチローさんにも負けないくらい努力していると思います。だけど誰も認めてくれません。それは、いつも尻から1番か2番になってしまうからなのです。でも止揚学園のイチロウさんは、そんなこと少しも構わないのですね。そして苦しみ悲しんでいる人がいたら、そばに行って一生懸命励ましている。私はその姿を見ながらこう思っています。「イチロウさんって、報いも望まないで苦しみ悲しむ人に仕え捧げているんやなぁ、これが本当に“優しい心”やなぁ、絶対にイチロウさんが金メダルやなぁ」と思っています。私はイチロウさんの姿を通して、報いを望まないで捧げ仕えていく、「これが福祉の世界やなぁ」とずっと教えられてきました。 私は止揚学園を作るときに、とても有名な方にお出会いしました。教科書にも載っています。その人の名前はいろんな本にも書かれているし、いろんな人が講演であるいはテレビでその人の名前を言っています。私はその方にお会いして、脳に重い障がいを持った仲間のお話をいたしました。すると、その人はこう言われました。「私は国に役に立ち、いろんな人に役に立つ子どもたちにお金を出すことは少しも惜しみません。でも福井さんが言っている子どもたちは、国に役に立たないし、誰にも役に立たないではないか。そういう子どもに私は絶対にお金は出しません。生き金は出しますけれども死に金は出しません。」と言われました。あの言葉は今も心に残っています。生き金は出すけれども死に金は出さない。私たちの仲間の子どもは「死に金」と言われたのです。その時、私は思いました。「この人はすごく偉い人だけど、立派な人ではないなぁ」と。イチロウさんは偉い人ではないけれど、でも立派な人間だと思うのです。そして、どんな小さな事にも大きな愛を持って真剣に生きていると思います。 僕の作った『小さなことに大きな愛を』という歌を、西竹さんに歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
楽器を弾いてくれているのは、西村美紀さんです。長崎から止揚学園の仲間に入りました。この人は大学を卒業する時にまだ自分は何をするか決めていなくて、求人室に行くと止揚学園の募集があった。「あ、これ本読んだことある」と思って資格のところを見てみると、「よく寝て、よく食べて、よく笑う人」としか書いていなかった。この人はそれを見て、「寝ることなら任しておいてくれ」ということで試験を受けに来ました。本当によく寝るんです。この間も、舞台で僕が歌を歌おうと思って伴奏が鳴らないので見たら、この人はグランドピアノの前で寝ているのです。私、「西村さん、早よ起きて、歌うよ」と言ったら、ぱ〜と弾いてくれたのですが、後ですごく叱られました。「福井さん、私は寝ているときの方がピアノが上手に弾けるのです。ああいう時は起こさないでください。」と言って。とっても面白い人です。ピアノが本当に上手です。 次に、西竹めぐみさん。この人は福岡の人で、2人とも九州人なんですけども、この人は中学の時から大阪で、高校の時に僕がその学校に講演に行って西竹さんと出会いました。あの時は高校2年生で、とっても可愛らしい女の子でした。この2人とも大学は声楽科です。西竹さんは声楽を4年して、福祉を2年して、止揚学園に来ました。止揚学園には350曲ぐらい手作りの歌があり、その歌をこの人たちが歌ってくれています。年間、5、60回歌いに出ますが、歌手ではありません。止揚学園に帰ったら仲間たちの大小便をお便所で見たり、台所で炊事をしたり、洗濯をしたり、そういう仕事をしています。その合間に歌を僕と一緒に、あるいはこの人たちだけで、あちこちで歌っているグループで、「止揚シスターズ」と言います。 私は母親を高校2年生の時に亡くしました。母親は38才で子宮がんで亡くなりました。私はその母親がとても嫌いだったのです。母親はクリスチャンだったものですから、僕もクリスチャンです。母親は、その時分第二次世界大戦の激しい時で、「戦争というのは間違いや。命を犯すということは間違いなんや」、「天皇は神様ではない、人間や」こういうことを言ったものですから留置場に入れられたのです。それで私の母親は「非国民」と言われ、私は「非国民の子ども」と言われていました。私はその母親のためにいじめを受けたり、いろいろなことがありました。ただ有難いことにひねくれずに明るく育って来ました。僕を守ってくれた幼稚園の先生や小学校の先生がおいでになり明るく育って来たのですが、いろんな苦しい目にあいました。 だから母親のことをいつもこう思っていました。「この母親は自分の好きなことを言って、好きなことをしている。子どもに対して愛情を持っていないやないか。」それで好きになれませんでした。その母親が僕が高校2年生の時に天上へ召されました。その1週間ほど前に、僕たち4人の子どもを病院へ呼びました。僕は行きたくなかったんですけれども、父親がどうしても行けと怒るもんですから、嫌やなぁと思いながら仕方なく母親のところへ行ったのです。母親がその時、4人の子どもに言った言葉があります。1つは、「偉い人よりも立派な人間になりなさい」。もう1つは「見えるものより見えないものを大切にしなさい」。私は高校2年生で意味がわからなかったし、母親が好きではないから真剣に聞いていませんでした。この言葉が僕の心の中に生きてきたのは、知能に重い障がいを持った仲間と共に歩み始めてからです。母親は子どもにこういうことを言ったのだと思います。見えるものは、地位や財産やお金、それをたくさん持った人は偉い人。見えないもの、それは命や理想や情熱や心、それを豊かに持った人を立派な人間。母親が子どもに託しておきたかった事は、「眼に見えるものをたくさん持った偉い人になるより、見えないものを豊かに持った立派な人間として生きる事の方が素晴らしいよ」ということ。それを伝えたかったのだと思います。 20才の時に知能に重い障がいを持った子どもたちに出会ったとき、「僕と同じやな」と思いました。私は子どもの時、人間としては存在していました。「実存」と言います。実存には2つの要素がいります。1つは「存在する」という要素と、もう1つは「所属をする」という要素。私はその時分、日本人の子どもとしては存在していました。だけど僕は、今も小学校・中学校の友だちが1人もいません。何故かと言うと、僕と遊ぼうとするとその友だちのお母さんが出てきて、僕は「達雨」という名前ですから「たっちゃんと遊ぶと怖いことが起きるよ!」と言って連れて帰ってしまうのです。あの時、僕は日本人の子どもとしては存在していたけれど、日本人の子どもの仲間に入れてもらえませんでした。所属を奪い取られました。所属を奪われるということは、人間として生きられないことだと思うのです。僕は「差別」と「区別」の違いは「所属があるか無いか」だと考えています。例えば、僕が皆さんに「仲間に入れてくれよ」と言います。皆さんは「知能に重い障がいを持っているから邪魔になるから向こうへ行け」って追い出してしまう。その時、僕は「生きられへん」と思うのですね。男と女、これは区別発言です。障がいを持っている持っていない、これも区別発言と思います。でも「障がいを持っているから、邪魔になるから仲間に入れてやらないよ」とか「僕は男やけど女は人間の下や」とか、こう言い出したら所属を奪いますから差別の発言だと思います。僕はこの「所属」というのはとても大切だと思うのです。これを奪うか奪わないか、それが区別と差別の大きな違いではないかと考えています。それは母親から教えられたことだと思います。あの時、小さな僕は日本人の子どもとして存在はしていたけれども、日本人の仲間には入れてもらえなかった。知能に重い障がいを持った仲間に初めて出会ったとき、「この子どもたちは日本人の子どもやのに日本人の中に入れてもらってないな。僕と同じやな。僕と同じ悲しみを持っているのと違うかなぁ」と思いました。 中学校の時に、母親が僕に話したことがあります。「今、みんなは平和を願ったり、「戦争は間違っている、天皇は人間や」と言っているけど、何故あの戦争が激しい時に、この人たちがそれを言ってくれなかったんやろう。あの時にそれを言ってくれていたら私は非国民と言われなかった。でも、あの時にそれを言うと、自分がとても損をした。人間というのは自分が損をする時は、みんな沈黙してしまう。そして、そういうことを言っても損をしなくなったら、「平和は素晴らしい」「天皇は人間や」とみんな言う。一番大切な事は、どんな時にも正しい事をきちっと言うことなんだよ。」そんな事を、中学生の僕に話したことがあります。「どんな時にも正しい事はきちっと言っていかなければいけないんだよ。自分が損をしても言っていかなければいけないんだよ。」その言葉が心の中に深く残っていて、僕は「あの時、母親は本当に孤独だったんやなぁ」と思いました。でも母親はすごく明るくて、いろんな人が来て、いつもみんなが笑いながらいろんな話をしていました。 病院にいるときも、病室はいつも明るい笑い声が満ちていました。私はこう思っています。孤独には2つの種類がある。自分が人間的に作る孤独は人に迷惑を掛けたり苦しめたり人を暗くしたりするけれども、天から授けられた孤独があって、それは多くの人を幸せにして多くの人を明るくする。 「優しい心」というのはきれいな「言葉」ではない。温かくて美しい「行動」から生まれてくる。行動の伴わない愛なんて、優しい心なんて虚しいなぁと思いました。「愛」というのはきれいな「言葉」ではないんや。温かくて美しい行動から生まれてくるものなんや。私は母親を思うときに、しみじみとそのことを感じます。西竹さんに『愛、それは行動です』という歌を歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
お母さんという言葉は、男の僕にとっても、知能に重い障がいを持った仲間の男の人にとっても、特別な意味があるような気がします。止揚学園は入園している仲間の人たち、天上に召されてからも止揚学園でみています。納骨堂がある のです。今、その納骨堂に60数人の人がお入りになっているのですが、ほとんどが入園している仲間のおじいちゃんやおばあちゃんやお父さんやお母さんです。止揚学園の納骨堂はキリスト教の納骨堂ですけれども、入っている方のほとんどが仏教徒。私は、イエス様は優しい人やから、宗教が違うから知らないなんて言われない、どんな人でも抱きしめて下さる、だから誰でも入って良い納骨堂だと言っています。 亡くなられる時に、おじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さんが僕に言われます。「亡くなったら止揚学園の納骨堂にお骨を入れてくださいね」と。私はそれを聞くと、とても心が憂鬱になります。何故かと言いますと、おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも、知能に重い障がいを持った孫や子どもを持っていて、いろんな悲しみや苦しみをお持ちになったと思います。だから天上に召されても、自分の孫や子どものそばにいてやりたい、そんな思いがとても強いのだと思うのです。私はこういう思いを両親や祖父母がしなくても良い日本の社会、それが本当の福祉の社会やないか、人間の社会やないかと思います。 私は、知能に重い障がいを持った仲間と生きはじめた時、この仲間たちは両親よりも先に天上に召されると思っていました。実際にその時分は、多くの仲間たちは両親よりも先に亡くなっていったのです。でも、それは誤算でした。この頃では、両親よりもはるかに長生きしますね。両親の方が先に逝ってしまう。先日も、1人のお母さんが癌でお亡くなりになられました。4ヶ月間、止揚学園の近くのホスピスにお入りになったのですが、その子どもさんのNくんを毎日お母さんのところへ連れて行きました。僕も時々はNくんと一緒にお母さんのところへ行っておりました。亡くなる少し前、お母さんがNくんにこんな事を言われました。 「あなたは有頂天な人間やから謙虚にならんとだめですよ。そして40何年間も止揚学園で生活してきたのだから、あなたにとって家は止揚学園ですよ。」私はその場にNくんのお父さんがおられたものですから、「えらいことを言われるなぁ・・・」と思ってドキドキしたのですが、そしたらお父さんも「そうだ」とおっしゃっておられました。「もしも私が亡くなったら、福井先生をお父さんと思って、なんでも相談して生きなさいよ」とおっしゃいました。Nくんは知能に重い障がいを持っているのですが、俳句を作ることができるのです。その時に作った俳句があります。 流れ星 病室からの 笑い声 「お母さんは流れ星のように消えていくけれども、今この病室には笑い声が溢れている。お母さんの明るい声と明るい顔で、みんながニコニコして、幸せにしてくれている。お母さんたちは私たちを幸せにしてくれている。本当にお母さん有難う」こんな思いでこの俳句を作ったと、Nくんは言っていました。 お母さんが亡くなったとき、祭事場でも俳句を作りました。 お母さん みんなの笑顔 虹の空 Nくんは、「虹の空というのは天国のことや」と言うのです。「お母さんは天国に行ったけれども、そこから明るい声で僕たちにいろんなことを語ってくれていて、僕たちを幸せにしてくれている。本当にお母さん有難う。」この2つの句には、Nくんのお母さんに対する感謝の思いが深くあると思いました。 Mさんという仲間がいるのですが、そのお母さんが突然、止揚学園を訪ねて来られました。「Mに会いに来たんや」と言われました。お母さんもはもう80いくつにで止揚学園へ来るのも大変になられ、「将来のことが心配やろ」と言うと、お母さんは「少しも心配していません」と言われました。「Mは長い間、止揚学園にいて、みんなに本当に大切にしてもらった。それを実際に見てきたから、何があってもMは、みんなの中で明るく生きることができると信じています」とおっしゃいました。その次の日に、お母さんは脳梗塞でお倒れになって、すぐにお亡くなりになられました。お棺の中にお母さんを入れて、花で飾りました。それを見た時にMさんは、ほとんど言葉を持っていないのですけれども、突然大きな声で叫びました。「お母さん綺麗やなぁ。お母さん綺麗やなぁ」何度も叫びました。「お母さん綺麗やな」僕はその言葉の中に「お母さん、今まで僕を守ってくれて、そしてこれからも僕を守ってくれて、本当に有難う。お母さん本当に綺麗だよ。お母さん本当に有難う。」と言っているようでなりませんでした。 僕は不思議な癖がありまして、感動したり悲しみや怒りを感じると、心の中に詩が湧きます。詩が湧くとそれにメロディを付けて、そして西竹さんたちに歌ってもらうことが多いのです。その時も、フッと詩が湧きました。 『お母さん綺麗やなぁ』の歌が生まれました。西竹さんに歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
止揚学園に入園している仲間の両親やおじいさん、おばあさんは皆、自分が亡くなった後、心配はないと言われます。止揚学園で皆が仲良く生きていくことができ、その仲間が亡くなった時、止揚学園でお葬式をして納骨堂へ入って、その後も守ってもらえる。そういう安心感があります。 そういう中でこの頃、国は私たちに「サービスをしろ」と強く言うようになりました。この福祉の世界で「サービス」という言葉が使われるようになりました。そしてこのように言われます。「あなたたちは入園している仲間たちに上手に利用してもらって、サービスをきちっとしなさい」。だから入園している人たちを「利用者さん」と呼ぶのですね。だけど私はそういう呼び方は嫌です。私たちは、サービスしようなんて全然思っていません。私たちは、知能に重い障がいを持った仲間と、障がいを持たない仲間が共に手を握り心を合わせながら、人間として歩んでいきたいのです。そういう社会を、両者で共に歩みながら作り出していきたいのです。止揚学園は利用してもらう場所でもなければ、サービスする場所でもない。 この「サービス」という言葉は、非常に宗教性を持った言葉だと思います。キリスト教では中世の時から報いを望まないで捧げ仕えてきた。苦しみ悲しむ人たちや弱い側に立たされた、僕らが立たせた人たちを、報いを望まないで仕え捧げていく優しい心・・・それをサービスと言ったのだと思います。日本語に訳すと「奉仕」です。日本の場合でもそこには仏教的な意味があって、「慈悲」という世界の中から「サービス」という言葉が生まれたのだと思います。 すなわちサービスの頂点にあるものは、「優しい心」「愛」なのです。しかしこの頃のサービスという言葉は少し違うのですね。サービスをして、上手に利用をしてもらって、お金を儲けなさいというのです。国は私たちに赤字は悪ですよ、黒字にしなさいと言ってきます。今や福祉は「福祉企業」という企業に変わってしまいました。だから大きな会社、お金を上手に儲ける所が施設の経営をやるのです。お金や人間の欲を頂点にしたサービスという言葉が非常に流行しています。しかし、施設は経営する場所ではないですよね。そこにいる者が力を合わせながら共に歩んでいく所であって、上に立ってその人たちのために何かをしてやる場所ではないですよね。 今、止揚学園は入ってくる仲間からお金を取ります。そういう法律なのですね。福祉企業という企業に変わりましたら、お金を取って利益を出さなければいけないのです。利益を上げるためには、どうしても商品というものを動かさなければいけない。それは無形であっても有形であっても、商品を動かさなければお金は儲かりません。私たちにとって商品は何か。それは入園している仲間、人間です。人間を商品にして、それを上手にサービスして、お金を儲けていく。こういう国の考え方の中で、止揚学園はなんとしても福祉を守り続けたい。「心」を頂点にしたサービスを守り続けていきたいのです。 今、とても苦悩しています。私はこの57年間で、今ほど楽しくない、辛い時期はありません。過去には経済的に苦しい時はありましたが、やり甲斐があり、生き甲斐があり、喜びがあり、とても楽しいひとつの世界を持っていたと思うのです。しかし今は本当に楽しくないですね。そして、悲しいことや苦しいことばかりです。私はこの若い人たちはとても可哀想やなぁと思うのです。僕が過去に与えられたものがほとんど与えられない。そして、お金儲け、上手にサービスしろ、利用してもらえ、と言われる。私は利用者という言葉は嫌いです。サービスという言葉も嫌いです。使い方が間違っていると思います。そんな中で、止揚学園は真のサービスを守り続けていきたいなぁと思っています。 止揚学園の仲間はとても明るくて、仲間の保母さんたちもすごく明るく活き活きとしています。それは福祉を守り続けようというひとつの世界があるからだと思います。この若い人たちが一生懸命、私と共に力を合わせて歩んでくれている。止揚学園の明るさは福祉を守り続けようとするひとつの心だと思います。 利用してもらってお金を儲け、利用者と言われる人たちを商品として扱っていく。そこには人間というものが生きていないと思います。そして「人権」と言う言葉も花盛りですね。どこに行っても、人権・人権。今の日本の社会は、人権だけが先行してしまって人間を忘れてしまったと思うのです。人権というのは正義です。「正義」って本当に人間の好きな言葉ですね。正義は勝つ。正義の戦い。でも正義だけでものを進めて行きますと、人の命を犯してしまうと思うのです。何故なら、正義は自分は正しくて相手が悪いという形でものを進めていきますから、強い人の主張の方がとても大きくなって、弱い側に立たされた者は切り捨てられてしまう。正義で戦争をして、たくさんの命がなくなります。今は日本とかアメリカとか中国とか、強い豊かな国が弱い貧しい国を、強い側の正義で押さえつけています。そして、たくさんの命がなくなります。弱い側は正義をもってテロをして、また命がなくなります。正義というのは恐ろしいものだと私は思います。でも私たちは、この知能に重い障がいを持った仲間が差別を受けたとき、正義でぶつからなければいけないのです。正義が無ければぶつけられません。 「正義」と「愛」「優しい心」は、ひとつのものではないかと思うのです。正義があって愛があり、愛があって正義がある。正義だけでは相手の命を犯してしまう。愛だけでは人を甘やかして、また命を犯してしまう。だから、正義と愛はひとつのものでなければいけない。だから正義をもって戦う人間は、愛というものを深く持っていねければいけない。正義だけで生きると、こういうことが起きてまいります。先日のことです。 私たちの町にはJRの能登川駅があります。その駅で、朝8時ごろ止揚学園の仲間みんなで電車に乗りました。明石に行く予定だったのです。僕らが乗った電車には大学生がいっぱい乗っていました。みんな居眠りしたりしゃべったりトランプしたり、ワイワイとなっていました。私たちの仲間は足が弱いのに、なかなか代わっていただけません。見たところでは、そういうのはわからないのですが・・・。仕方が無いので私たちが抱えて立っていたのですが、だんだん電車が満員になってきて、私たちの仲間が立ちにくくなりました。そこで仲間の保母さんがその大学生に「良かったら席を代わってもらえないか?」とお願いをしました。そしたら大学生はジロッと見たのですが、また下を向いてしまいました。僕はあれは耐えられません。そこへ行きまして、「ちょっとその大学生さん。この女性の言った言葉が聞こえなかったの?」と聞いた瞬間でした。「おい、おっさん。僕らかて疲れてるんやで。僕らかて座る権利がある。障がい者やと思うて甘えるな」と言われました。確かに電車の席は全ての人が座る権利があります。だけど強い側、多数側の者が権利があると座ってしまったら、弱い側に立たされた、私たちが弱い側に立たせた少数側の人たちは永遠に座れないと思います。僕はその時、「この人たちは正義は持っていても愛は無いなぁ」と思いました。正義は持っていても愛が無ければ、弱い者が全部切り捨てられていってしまうと思うのです。そして命が犯される。命って本当に大切なものですよね。誰にも犯せないもの。それを私たちは正義という形で犯してしまう。 『命』という歌を歌ってもらいます。命って本当に大切なんだという歌です。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
先日の朝でした。仲間のKさんという女性が、ニコニコしながら僕の所へやって来ました。Kさんが、「私、止揚学園の花に毎朝、水やってんねん」と言うのです。「へえ、花が喜んでるやろ」と言ったらニコニコして「うん」と言いました。しばらくして彼女が、「花って、命やで」と言ったのです。この人たちとの話し合いは、禅問答のようでわからないことがよくあるのです。「花って命やで」何を言っているのかなぁと思って、「Kさん、教えてえなぁ、花って命て、どんなことや?」と聞いたら、「いきいき生きてんねん」と言いました。「いきいき生きてんねん」あっ、そうか。花は神様から命を与えられて、いきいきと生きている。そやからあんなに美しいんや。その美しい心が僕らの心を安らげてくれるんやなぁ・・・と思いました。 私はこのやりとりの中でとても深いものを感じたものですから、それから1週間後、ある女子大学でこの話をしたのです。学生たちは感動するかなぁと思ったのです。話を終わり控え室に帰りましたら10人ぐらいの女子学生が、ドアをノックもしないで入って来て言いました。「福井さん、この学校にはもう二度と来ないでください。あんな嘘の話は聞きたくない」と言われました。「僕、嘘を言うた?」と聞くと、「神様なんているはずないでしょう。美しいものは神様が創ったなんて、嘘の話はしないでください。花は自分が美しく咲いているから美しい。人間が美しく咲かせているから美しいんや。」と言われました。 僕は悲しかったですね。それは「神様がいない」という言葉が悲しかったわけではないのです。人にはいろいろな考え方があって、僕のように、イエス様は神様だという信仰を持たされている人間もあれば、神様がいないという人間もいる。いろんな人間がいて心を合わせていくのが素晴らしい社会だと思うのです。 「この女子学生たちは「感情」は強く持っているけども、「感性」がとても弱いなぁ。」と思いました。「感情」とは人間的なもの。自分の立場から出てくる喜怒哀楽、主張、要求。「自分の人権守れ」「自分を幸せにしろ」。いつも自分を中心にしてものを考えている人的なものを感情と言うのだと思います。「感性」とは相手の立場に立ってものを感じてやれる優しい心。それを感性と言うのだと思うのです。 私はこう思いました。この大学生たちが、Kさんの立場に立って、「あの人は知能に重い障がいを持っていて何もわからないと思っていたら違うんやなぁ。そんな心をもっているんやなぁ。すごいな。」こういうふうに言ってくれたら、Kさんがニコニコして、自分も明るくなったと思うのです。でも自分の立場から感情的に、「神様なんかいないのに、そんなこと言うな」と言ったら、Kさんは悲しい顔して、自分も暗くなると思うのです。 本当に優しい心、それは相手の立場に立ってものを感じていける、感性だと思います。特に、僕たちが弱い側に立たせた人、少数側に立たせた人の立場に立ってものを感じていける感性、それを「優しい心」と言うのだと思います。正義があって愛がない。感情があって感性がない。自分の立場があって相手の立場に立ってない。今の日本は「人の社会」であって「人間の社会」ではないと思います。 私はインドとかパキスタンによく講演に行きます。確かに貧しいです。今はインドはそうでもなくなってきましたが、やはり格差があって貧しいです。子どもたちが仕事をしています。みんなが可哀想だと言いますが、僕は日本の子どもの方が可哀想に思えて仕方がありません。あの子どもたちは、明るい目をしてイキイキとしています。私はパキスタンとかインドに行きますと、スラムの中の知能に障がいを持った子どもたちの学校へ行きます。朝、校門の所に出て行くと、障がいを持たない子どもたちがたくさん校門の所に来ています。重い障がいを持った仲間をその子どもたちが連れて来てくれているのです。兄弟姉妹ではありません。隣や近所の子どもが連れて来てくれます。放課後、校門に出ると障がいを持たない子どもたちが迎えに来てくれています。僕は、日本の養護学校や通園施設で、ああいう姿をほとんど見たことがありません。 インドとかパキスタンでは、老人が僕によく言います。「福井さん長生きしなさいよ。長生きすることほど幸せなことはないですよ」と。僕は日本人ですから、「長く生きたら大変やわ」と思っています。人生の中で、長生きすることが一番幸せやと言えることは、本当に幸せなことやと思うのです。確かに貧しい。だけど、「長生きすることは幸せだ」と言い切れる。僕たちは言い切れない。「ここには人間の社会がある。日本は人の社会だ」と思ってしまいます。 「人」というのは、自分だけ、自分の家族だけ、自分の子どもだけ、自分の世界だけで生きていく。「人間」というのは、いろんな人が集まって支えたり、連帯を持ったり、力を合わせたり。それを「人間」と言うのだと思います。「人の社会」は強い者、障がいを持たない者、若い者は生きやすい。でも、弱い者、障がいを持った者、老人は生きづらいと思います。「人間の社会」は助け合う社会ですから、弱い者も強い者も障がいを持った者も持たない者も、老人も若い者も、皆が生きやすいと思うのです。今、日本は子どもたちに、「人の教育」はしますが「人間教育」はできないですね。人間を作る教育を取り戻す必要があると思います。 韓国にもよく行きますが、韓国では、年を取ってからは、どんな満員の乗り物でも座れないことはありません。子どもたちや若い人が席を代わってくれるのです。ある時、韓国で足を痛めて荷物を持って地下鉄の階段を降りていたら、若い人や子どもが来て荷物を運んでくれました。そのまま日本に帰って来たけれども、誰も荷物を運んでくれませんでした。私は今まで一度も、若い人に席を代わってもらった事はないですね。この間一度だけあったのですが、聞いたらブラジルの人で、日本人でありませんでした。仕方がないから、「若う見られているんや。50代に見られているんやわ」と思いながら辛抱しています。僕は、「若い者は老人に席を代われ」とか「荷物を運べ」と言っているのではないのです。そんな高慢なことを言っているんやないのです。今、日本は「人」の社会で、「人間」の社会がだんだん無くなってきた。その社会を回復しない限り、私たちの仲間が活き活きと生きられないなぁ・・・と思えてならないのです。 この頃、僕の所によく若い人が訪ねて来ます。ほとんどの人はジーンズをはいています。男の人も女の人もジーンズ。中にはジーンズをビリビリに破ってはいています。それを見ると私の仲間たちは、とっても悲しそうな顔をするのです。「ズボン、痛い痛い泣いてる」と言うのです。そのことを若い人に告げますと、若い人の多くはこう言います。「やっぱりあの人たちはアホなんや。なんにもわからないんや。これは若いものの感覚、ファッションやないか。それがわからないのは、やっぱりアホなんや。」こうして片付けられます。でも僕は、そういうことを言う若い人の方がアホやないかと思っています。何故、ズボンを見て悲しい顔をして「痛い痛い泣いてる」と言うのか。それはズボンの立場に立っているからです。ズボンにも命があると思っています。だから強い側の人間がズボンを勝手にビリビリ破ってやったらズボンが可哀想やないか、命が犯されているやないか、死んでしまうやないか・・と思っているのです。 お茶碗が割れても「可哀想や」と言います。靴の後ろを踏んでいても「靴が痛い痛いと泣いている」と言います。それは、お茶碗の立場、靴の立場から物を考えているからだと思うのです。だけど私たちは自分の立場から物を考えて、ファッションだとか、新しい感覚だとか、現代的だと言っています。相手の立場に立って物を考える私たちの仲間と、僕のように自分の立場からしか物を考えない人間と、本当にどちらが優しい心を持っているのでしょうか。 私はこの57年間、知能に重い障がいを持った仲間から、「優しさって何か」を教えられてまいりました。私たちの仲間、人間ですから欠点もあるし弱点もあるし嫌なところもあります。だけども、僕が持てないような優しさや美しさを僕に示してくれて、「あっ、僕はああいう美しさや優しさを持っていなかったな」と教えられます。僕がいつも皆に語ることは、知能に重い障がいを持った仲間から教えられたことなのです。僕の立場から考えたことではないのです。 いつも思うのは、「弱いことって素敵なんやなぁ」ということ。弱いから、弱さを持っているから、こんな優しい心持っているんやなぁと思うのです。 一番始めに、『弱いことってすてきやなあ』という歌を歌ってもらったのですが、もう一度聞いてみてください。いろんなことを考えながら聞いて下さったら嬉しいです。 私の弟が60才で癌で亡くなりました。癌が発覚して6ヶ月しかこの世にはいられませんでした。彼は詩人だったので、たくさんの詩があります。その6ヶ月間、「命」についても一生懸命いろんな事を考えていたのだと思うのですが、こんな詩がありました。
「命」が何故大切なのか。命を大切にしないと、悲しみ苦しんでいる人の声が聞こえなくなると言っています。今、日本やアメリカでは命を大切にせずに沢山の人を殺しています。でも人間の世界は冷酷ですね。あれだけ沢山の人を殺していてもノーベル平和賞をもらえるんですね。強さは力です。だけど私は、あれだけの命を平気で犯していくのは、今苦しんでいる人や悲しんでいる人の声が聞こえていないのだろうと思います。だから平気で命を犯していられるのだと思うのです。そして平和・平和と言葉だけで言っているのだと思うのです。 弟はこう言っています。もっと恐ろしいことに、命を大切にしないと自分がわからなくなります、と。自分はどういう存在なのか、自分は今、何をしているのか。自分の未来は何なのか。自分は人間として何故生きているのか。何もわからなくなると言っています。そうなのでしょうね。アメリカも日本も、今何をしているのかわからないのでしょう。そしてドンドン温暖化が進んで行って、地球は滅びようとしている。自分の国の利益ばかりを求めて、地球を滅ぼそうとしている。私は福祉の極地は、地球を守り続けることではないかと考えています。それは全ての人間の命を守ることになります。そして、すべての命あるものの命を守ることになります。 今、私たち福祉の場で戦う人間、歩む人間は、地球を滅ぼさないことを真剣に思いながらいろんなことを語り、いろんなことを行動して行かなければいけないのではないかと思っています。そのためにも、「命」を大切にしていきたい。命を大切にするとき、苦しんでいる人や悲しんでいる人の声が聞こえてきて、自分が今、間違ったことをしているのか、正しいことをしているのかをわかることができる。バタバタ急いで歩んで行くと、命が見えてこなくなるし、美しいものも優しいものも見えなくなります。一度ゆっくり歩いてみてほしいのです。そしたら見えないものが見えてきて、美しいもの優しいものが見えてきて、「命」が見えてきて、人間が今何をしているかが見えてきて、自分がどういう世界で生きているのか、どういう意味を持っているのか、いろんなことがわかり、悲しみ苦しんでいる人の声が聞こえてくると思います。 どうか、バタバタ急いで歩いている人、心が疲れている人、止揚学園に来てください。ゆっくりしています。ゆったりしています。自分を取り戻すことができるんやないかと思います。止揚学園の世界は、知能に重い障がいを持った人の世界、僕たちの世界ではなくて、非合理で不器用でゆっくり歩いています。止揚学園は素晴らしいことは何もしていません。だけども、知能に重い障がいを持った人を中心に、あの人たちが真ん中にいて歩みます。良かったら一度来ていただいて、そしてゆったりとして頂いたらとても嬉しいです。 最後に、西竹さんに『ゆっくり歩こうな』という歌を歌ってもらいます。 ♪♪♪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
どうも有難うございました。話の内容や歌の内容も大切だと思いますが、もっと大切なことは、聞いて下さる皆さんと歌ったり語ったりする私たちが、今ここで、どんな出会いができるかということ。出会いから新しいものが起こっていくのだと思います。この出会いを作ってもらった主催者の人たち、そして集まって出会いをして下さった皆様に本当に深い感謝を持ちながら、話をさせていただきました。本当に良き出会いをさせていただいたなぁと思っています。アメリカで、亡くなったキングという牧師さんがいます。黒人の差別を無くしたい、黒人の子と白人の子が同じ学校で仲良く歩む世界を夢見ている。そういうことを語った人ですけども、そのキング牧師の言葉にこんな言葉があります。 助けを必要とする他者のために何かをすること、 これ以上に偉大なことはこの世には存在しない。 私はこの言葉を本当に大切にして行きたいと思っています。そして、綺麗な言葉ではなくて、温かくて美しい行動をして行きたい。そう心に思いながら57年間を歩んでまいりました。 今日は本当に有難うございました。これで終わらせていただきます。 質疑応答へ |