京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2012年2月号 掲載)
健やかな成人期のために


河内園子さん講演会のテープおこし本編へ

質疑応答 テープおこし

質問  42年前の社会状況をお聞かせください。施設に入れるのは一般的だったのですか?

河内  そうだと思います。知的障害者の教育権というのがまだ無かった時代なのです。「仲良し学級」のある学校が少なかった。彼らに入学猶予や免除という制度があったということは、入学する場所が準備されていなかったということです。学校教育権を得て全員入学が出来るようになったのは昭和48年。皆さんは、義務教育は全員の子どもが学校に行けると思ってらっしゃると思いますが、そうではない時代がつい最近まであったのです。
 学校教育を受けないで過ごせる所は施設しかなかったのです。私も若いときにダウン症の人達を見たのは施設の中だけでした。だから、ダウン症ということがわかった時点で、この人達は将来は施設というのが一般的だったのです。
 娘が入学するときも就学猶予という制度があり、夏木は入学前の12月に手術をしたので、1年は就学猶予しました。今は、医療的ケアが必要でも、病院内学級や訪問教育という形で教育を受けられるようになっています。

質問  施設に預けるのが一般的だったところから、家でみるのが普通になったのは、どの辺が転換期ですか?

河内  夏木が幼稚園に入った頃、昭和48年くらい。この頃に海外から、障がい者のための教育法が渡ってきました。障がいのある人達が教育をすれば発達するんだよ、と言われ始めたのです。

質問  夏木さんはガイドヘルパーとか使われないで、一人で外出されるのですか? 子どもの頃は、出かける時に使われたのですか?

河内  一人で活動することが好きな人なので、ガイドヘルパーは使っていません。また、彼女がガイドヘルパーを必要とする時代には、ガイドヘルパーはありませんでした。小学校へ通うときは毎日送り迎えをして、中学校は家の近くだったので、バスに乗ることがなくなり、お稽古事を遠いところにして、バスの乗り換えを練習するようにしました。それで、学校を卒業する頃には、自分でバスの乗り換えをして目的地に行くことが出来ました。今は静岡市内はどこでもバスで行きます。隣の市や町の友達の所に泊まりに行くこともあります。
 彼女は東京に一人で行きたい! という夢を持っていたので、旅行によく行くようにして練習をしました。自分で指定席を見つけて座るとか、指定席を自分で選ぶとか。私が駅まで送って行って、いとこ達にホームまで迎えに来てもらって車中を一人で過ごさせるとか。とにかく、やりたいと思ったことは自分でしてしまう子で、一人で行ってしまう心配があるので練習しました。そして一人で体験すればそれで満足する。
 自分一人で行くというときに、私も心配でこっそりついて行って、自動販売機の影にいた私を見つけて、夏木がものすごく怒ったこともあります。その次の時には、家から駅までバスで行って、新幹線に乗って、大学に行っている妹のとこまで一人で行きました。最近では、大磯という所に住んでいる娘の所に私達が行って、夏木がそこで一泊したいと言うので置いてきました。帰りは自分一人で帰って来たのですが、その時に列車の人身事故があって、どこかで止るというアクシデントがあったのですが、なんとか工夫をしてちゃんと静岡まで帰って来ましたね。そういうことを自分でやりたい子なので、失敗をしながら覚えました。

質問  今の仕事は、体力的にくたびれませんか?

河内  9:00〜3:00を週5日です。10年経った時点で、会社の方の意向もあっての時間設定です。今、それが彼女には合っていてとても健康状態が良いようです。弱かった小さい頃には考えられないほど元気です。年齢より若く見えるように、本当に若いですね。

質問  身体が丈夫になったのはいつごろからですか?

河内  高等学校に入ってからですかね。

質問  健康な状態を維持するために、お母様が気を付けてられたり、本人が自分自身で気を付けていることはありますか?

河内  今、肥満で悩んでいるのです。毎日朝起きると、体重計に乗って、カレンダーに体重を記しています。学校卒業した時に40キロで、「この体重を維持したいね」と言っていたのですが。缶コーヒーが好きで、缶コーヒーを飲むと太ってくるのです。そこが今一番ネックですね。
 3ヶ月に1度はペースメーカーの電池の検査に行かなければいけないのですが、それには自分一人で行っています。問診を受けて、心電図やレントゲン等の検査をして、会計を済ませるところまで、全部自分でやってきますね。それから、歯医者も自分一人で行って、次の予約もして、受診日の2日くらい前には会社に「病院に行くので休みます」と申告しています。
 私が一切タッチしないで、その辺は自分で管理しています。

質問  すごいですね。

河内  やっぱりそれも1つずつ、病院へ付いて行って、練習しながらできるようになったのですけどね。
 命を守るのは自分しかないわけだから。皆さん、自分の健康を自分で守る事は身につけておいたほうが良いと思います。それから、虫歯がなくても歯医者さんへ行く習慣をつけることは大事です。うちは、6ヶ月に1度は歯医者さんに行っています。そうすると虫歯になりかけたところに直ぐに診てもらえるし、痛くない状態で口を開けて、「あっ綺麗だね」と褒めてもらえる。家族みんなで、歯医者さんへ行くのを習慣にしておくと良いと思います。けれど、耳鼻科は嫌いですね。

質問  夏木さんは、とても素晴らしく自立されていますが、他のダウン症の30代、40代のお子さんはどんな感じなのでしょうか?

河内  いろいろですね。閉じこもりになっているお友達もいます。元気にやっている人達は、いろんな地域のグループ活動にも参加している人が多いかな。

質問  河内さんや、いろいろ先輩方の状況を見ますと、お母さんの社交性とかでダウン症のお子さんの育ちが変わってくるような気がするのですが、それって勘違いでしょうか?

河内  社交性は、あんまり関係ないとは思うのですが。
 ただ子どもさんに「障害」という名前が付いてしまうと、それに対するくくり方の姿勢には違いがあると思います。ダウン症ということを大事に思うのは大切なのだけれど、それをあまりに前に出すぎるのは、逆に大事にされている分、周りからの態勢に弱いという状況が出来てしまう。
 今もお付き合いしている仲間の中に、落ち込んでいる人達もいるのですが、お母さんの活発さとは関係ないように思います。

質問  私は、家族と周りとの係わり合いが子どもの将来に大きく影響するかと思ったのですが、それでは何が一番影響していますか?

河内  環境の受け止め方かなと思います。
 例えば、子どもが落ち込んだりした時に、「今まで一生懸命育てて来たのに」と、母親が落ち込む。そのことをマイナスに思って、「うちの子はこうなっちゃった」と思うのではなくて、「今はそういう時期ね」と考えられることも大事だと思うのです。
 さっき「失敗経験」と言いましたけれども、家族にとってもそれが失敗経験にならないことが大事じゃないかな。それは悪いことではなくて、その人にとって必要な時期だから、ゆっくり待って。「ゆっくり考えたいんだよ」と本人が言っているのかも知れないととらえてあげることが大事かなぁと思います。

質問  うちの子は今中学部三年生で、男の子です。完全房室ブロックで2年前にペースメーカーを入れました。
 土日の過ごし方が高学年になってくるとすごく大事で、自分の趣味も持たせてやりたいし、好きなことが出来る環境を何か1つ作ってやりたい。音楽が大好で、小学校の育成学級にいた時に和太鼓をやっていて、先生がすごく熱心に取り組んでくださっていました。中学部になって、太鼓を教えて下さるところを探したのですが、うちは京都市内じゃないので、そういうサークルとかもあまりなくて、京都まで一度来たこともあったのですが、通うのに大変で。心臓疾患もあるので、太鼓って体力もいるし。去年に、今の支援学校で太鼓のクラブが出来たので、良かったなぁと思って行かせ始めてまだ2.、3回。小学校の時はすごく楽しんで、本当に一生懸命だったんですけど、今のクラブでは、嫌ではないんですけど、「今日、太鼓の日やで」って言うと「ない!」とか言って、行きたくない感じなのです。中学部3年なので思春期も入ったりして。行けば一生懸命やっているのですが、行くまでが億劫なのか。本人が嫌がるのを連れて出るのもどうかなと、ちょっと葛藤しているんですけれど。

河内  体力的に大変かどうかは本人にしかわからない。学校は、同年齢か近い年齢の人達の集まりなので、競い合う気持ちが出てきます。単純に楽しむのではなくて、訓練という形で、ちょっと負担が大きくなって来ているのかもしれませんね。学校時代というのは、発表するときには家族皆で聞きに行ったりして、みんなが喜んでくれることが子どものやりがいにもなっている。「大変だね、でもみんな楽しみにしてるよ」みたいに送り出してあげるとか。叱咤激励するばかりではなく、「たまには休んでもいいんだよ」と言うことも時には必要。
 社会に出て楽しみでする場合には、地域でも教えて下さる方は沢山いると思いますし、そういうカルチャーセンター的な所を探してみるのもいいかもしれません。普通の大人のグループの中に入って、すごく楽しくやっている人もいます。知的障害がある人達だけの中に入れなければいけないという風に考えなくても良いかと思います。
 学校で指導されている先生に、「ちょっと今こんな状態です」ということを連絡しとけば、先生が声掛けを変えて下さるかもしれません。本人が好きなら、続けて行くと思いますね。「ない」と言われることには何か意味があるのかな。体力的なのか、それとも心理的なものなのか、ちょっとしばらく眺めてあげたらどうですか。

質問  夏木さんのお話を聞いていると、自分でいろんな所へ出かけて行って、親の手がかからないのがうらやましい。その原点は、やっぱりお母様が手間ひまをかけたことだとお思いになりますか?

河内  それは、あると思います。さっきはサラっと話しましたけど、自然に一人でバス移動ができるようになったわけではなくて、小学校の時には本当に5m、10m刻みで練習をしました。
 例えばバスで学校に通う時に、「行ってらっしゃい」と言って、見られないように同じバスに乗って一番後ろに座っているとか。私が自転車で先に下りるバス停に行って、夏木が降りるかどうか見ているとか。二人でバスに乗った時に、降りる前にボタンを押すことを教えて、次に自分で押して降りることをさせて、私がいると頼りにするので、「お母さんは今日ここで降りないからね」と言って、夏木を一人で降ろさせて、次の停留所で私が降りて帰って来るとかね。そういうことを何回もしながら、「これは大丈夫」という段階をふみながらやってきました。

質問  私は来年、還暦なのですが、「親無き後」ということ。「置いて死ぬんだ」と言っているのですが、実際はなかなか置いて死ねるかな、と。夏木さんは、例えばお父さん、お母さんが亡くなった後、おうちで必要なhelpを受けて、という風に考えていらっしゃいますか?

河内  はい。

質問  たまには、ヘルパーさんとか母親以外の人がお料理を作るとか、今からそういう練習がいらないかなと思いますが、どうでしょうか?

河内  私もそう思っています。今、一泊旅行、二泊旅行を主人と二人でするようにしています。最初のうちは、ちょっと不安になって、留守の間にお友達の所に電話をかけまくっていたようです。それで、お友だちに「私達旅行するので、また電話がかかるかもしれなから宜しくね」と言って出かけると、「電話かかってこなかったよ」と言ってくれるようになりました。この頃は、二晩留守にしても大丈夫で、自分でご飯の支度をして食べています。今はコンビニで買って来たり出来る時代なので。私はヘルパーさんを使って、うちでやれることを練習してもらいたいのですけれども。私が目の黒いうちにね。
 私も、子どもを先に殺すわけにはいきません。絶対に親より後に死んでほしいので。今の所、「私は出来るから」って言っています。どのくらい出来るかはわからないですが、電子レンジにシリコン鍋を使って、火を使わなくても出来るお料理だとか、そんなことです。
 父親がやったり私がやったりしているのを見ていて、「夏木もやる?」と言うと、「いい、いい」と言うのだけれど、何となく吸収はしている。生野菜は嫌いなのですが、私達が留守をすると、生野菜なんかもちゃんと買ってきて食べているのです。だから、「野菜は食べなくてはいけない」というのは、ちゃんと知識として持っている。親がいるとワガママをしているかなと思います。
 自炊が毎日のことになった時に、どういう監督が必要かなということで、おっしゃるようにヘルパーさんも活用出来るような力を付けたいと思っています。それが今、私にとっても一つの課題です。自立しなさいとか、自分でできるようになりなさいというのではなく、人の支援が上手に受けられるのも一つの大切な能力なのです。

質問  下の子がダウン症で今1才3ヶ月。どんな風に育つのか、まだ育ちの全体像が見えません。半年後にこの子はどういうことが出来るようになっているのかわからず、すごく不安もたくさんあります。でもなんか、42才の夏木さんがバスでいろんな所に行ってられるとか、お仕事されているとか、元気に暮らされている様子を伺って、すごく嬉しく思いました。

河内  やっぱり今は、「可愛い」と思って育てることが大事だと思います。来年になると、「え!こんなになると思わなかった」というのが、大体すべてのお母さんの感想なんですよ。子どもってね、見守っていれば育つ、準備が出来ていれば成長するのです。だけど、無理に引っ張り出そうとすると、かたつむりみたいに、ぎゅっとなる。「わぁ、素敵、素敵」と思っていると、自然に、子どもがそれ以上の力を発揮してくれる。とにかく「可愛いね。素敵!」って言うこと。それだけで十分だと私は思います。

質問  告知された時は、愛せるかどうかも不安だったのですが、やっぱり、そばにいてると本当に可愛らしくて、1年前の私に、「可愛いと思って育てられるよ」と言いたいなと思います。

河内  そうですね。私が今、本当に良かったのは、自分の価値観とか、ものの見方とか、感じ方がいろいろ変わってきたのは、彼女がいたお陰だと思えるのです。それを今、貴方に「思え」と言ったって無理なのだけれど、でも確実に思えるようになるから大丈夫です。

質問  今2才6ヶ月の男の子です。私は里親ですので、18才まで育てることになっているのですが、可愛くて、たぶん18才になっても手放すことなんて出来ないと思います。だから、おうちで3人で暮らしているというお話を聞いて、もうなんか、主人と私と子どもと3人で暮らしているのを想像して、すごく幸せな気分になりました。
 今日ここに来ておられるのは殆どお母さんだと思うのですが、うちの主人が、あまり可愛く思ってくれてないのです。皆さんのお宅はどうなのでしょう?
今日も、一緒に話を聞きに行こうと言ったのですが、来てくれなくて、こんないいお話を本当にもったいないと思います。私がうまく今日の話を主人に伝えられるといいんですけど。
 みなさんのご主人は、どのように支えて下さったのでしょう。これは先生に聞くと言うよりは、皆さんにお聞きしたい。

河内  うちも企業戦士だったものですから、本当に母子家庭でした。だから、私も若い時にこういう勉強会に出て行く時には、「留守番ぐらいはしてやるよ」って、それが最大の協力みたいに威張っていましたね。学校のことも「君の方が適任だ」みたいに言っていました。ただ、次の子を授かった時に、出生前診断のことが話題に上っていて、相談すると、「二人ダウン症でもいい」と言ったのです。今になってそのことを言うと、「他に言いようがなかったから」と言ってましたけれど。
 でも、娘に対しては、他の兄弟とは違う接し方をします。それで時々、私が怒るのです。だけど心を許していると言うか、他の子ども達には遠慮して言えないことでも、夏木には言えるようなところがあって、楽しく関わっている姿を見ていると、これも良いかなと思う。
 夏木は私がやっていることをずっと見てきたわけですから、私に対しては「お母さんには間違いはない」、でも「お父さんは間違いをする」みたいなところがあります。主人と夏木のやりとりが、お友達同士みたいな感じで楽しそうなんですよ。私にはああいう話し方はしないなって思う。
 私は、お父さんとお母さんが同じ姿勢で関わるのではなくていいと思います。父親というのは、ある意味、一般社会の一人。だけど「命」としては大事に思っているような、そういう冷めた見方ができる部分であるかな、と思って許せるようになりました。だから、父親が母親と同じ気持ちになれというのも、それはまた違うと思うので、ここに参加してくださらなくても良いと思います。貴方がこうした会に行くこととか、育てていることに対して、ペケを言う訳ではないですよね。  どうでしょうか。ここに来ていらっしゃるお父様方。
 さっきも佐々木さんと話をしていて、元治君の話をいっぱいしてくれて、「お宅のご主人、いつも出てこないけど、どうなってるの?」って聞いたぐらい。

佐々木  支えてくれるけど、明らかにお父さんとお母さんは違うね。子どもも、絶対違うものと思っている。今、29才になる男の子でね、今ごろ反抗期なのかな、お父さんに逆らう。お父さんがテレビ見ていて文句言うと、子どもが、「お父さん黙りなさい」って言う。聞いてて、ちょっと可哀想やねんけど、私も「黙ったらええ」と思いながら・・・。
 小さい時は、やっぱりすごく手伝ってほしいと思ったけど。まぁ、とりあえず一緒にそこにいて、家族の形態を作ってたら、それでええのと違う? 家族の形態が作れなくなったら話が変わってくるけれど。家族の形態を作りながら、距離を取りながら、必要な時にはお父さんを引っ張り出して、上手に使う。
 ここに来られている父さん、何か一言。

父親A  やっぱり、無理をしないで普通にいくのが何よりと思います。一番重要なのは、子どもは両親の夫婦関係をよく見ているので、トラブルは少なくしたほうが良いでしょうね。子どもは敏感に感じて、非常に心配をします。家庭円満に仲良くやっとくのが一番良いんじゃないでしょうか。

父親B  4才のダウン症の男の子がいてるんです。やっぱり可愛いですけど、まぁある意味、無責任ですね。どうしたって、お袋には勝てないと思いますわ。僕らでもやっぱり、親父は許せへん部分があるけど、お袋は全て受け入れるとかね。母親と子どもの関係というのは、親父なんて足元にも及ばへん。だから僕はそういう意味では、なんか第三者的というか、そういう風になってるんじゃないかなと思いますけど。

質問  9才の男の子ですけれど、やんちゃでやんちゃで、家の中だったら1日に10回は怒られるようなことをやります。トイレに物をつめたり、小麦粉散らしたり、窓ガラスに体当たりしたり、とにかくすごいことをいっぱいします。学校でも、シャワーを先生にかけて、あちこちで怒られまくっている状態です。学校の先生から、「駄目なことは駄目って躾けて行きますからね」と言われたり、リハビリの先生からも、「良いことと悪いことを教えるには、どうやっていくといいのでしょうね」と言われますし、家族からは、今日はあんな悪いことをした、こんな悪いことをしたというのを、仕事から帰って来ると聞かされて。母としての私はどこに腰を据えてこの子を育てて行くと良いのか。良い所もいっぱいあるし、素敵な力もいっぱい出してくれるし、そのたびに「凄いなぁ」って、そうやって育てて行きたいと思うけれど、周りの人からこれだけ「この子はアカン、アカン」と言われると、どうすればいいのか。  学校に振り回されないこと、振り回さないことも、その通りやなぁと思ったり、母としてどうこの子を守りながら、社会とやっていくと良いのか、家族とやって行くと良いのか、悩んでいます。

河内  一昨日、特別支援学校のシンポジウムにお話を聞きに行った時に、ある先生が話して下さいました。
 「持っている力」、「持っていない力」、「持っているけれど機能しない力」というのがある。「持っていない力」については、こういう力があるということをその子に教えなければいけない。「持っているけど機能しない力」については、こうすると上手に機能するという方法を教えてあげる必要がある。その2つを、「出来ない」という形でくくってしまわないこと。
 シャワーで先生に水をかけるということは、シャワーで水を撒く能力はあるわけです。その能力をこういう風に使うといいよって。たとえばお風呂のお掃除にシャワーでやってもらって、「あ、綺麗になったね」「ここで使うと素敵なんだけど、先生にかけるとペケだね」って。そういう、良いことの部分を少しずつ作って行ってあげる。悪戯をするということは、悪戯をしない子の能力を引っ張り出すよりは、やりやすいのです。その力の方向を変えてあげればいいのですから。
 悪いことがいっぱいあったら、それは、どういう能力がこの子にあるのか、何ができるのか、生活の中で役に立つものに振り向けていく。ただ口で言うだけではなくて、お母さんと一緒にやってみる。悪戯する子は力があるのです。教えれば、必ず力がつく。今一番、学校とか家の中で皆が困っていることは何か、そこから手を付けて、1つずつ片付けていく。今、彼が出来そうなこと。全部を今直すのではなくて、高等学校に行って直ることもあるし、知識が身につくこともあるし、そういう部分をお母さんが見てあげるといいかなぁ。
 子ども達が出来ない力を持っていると、親の頭の体操になるのです。「何ができるかな」って。それを発見すると、親が嬉しくなる。やってみて出来なかったら、なぜ出来ないんだろ? 他の方法はあるかなって。お母さんが、いろいろ試してみてください。私もいっぱい失敗を繰り返して、夏木にこうしたんだけどダメだった、身につかなかった、いうようなことをたくさんやって来ました。

質問  河内さんの、細心の注意を払って、いろんな所に目を配って、用意周到に準備されるということは、ものすごく参考になりましたけど、私にはとてもストレスになってできないなと思いました。そんなに準備出来たら嬉しいわ、と思うけど、私は出来ない。今日のお話はとても参考にはなったんだけれども、多分自分のやり方が変えられないと思います。
 「学校に振り回されないことと、学校を振り回さないこと」というのは、とってもわかりやすくて良かったです。うちはもう学校は終わったのですが、振り回されたり、振り回したりしてしまいました。それから、兄弟の話もとても印象的でした。うちは真ん中なので、上下に姉妹がいるのですが、みんな性格が親に似たのか、自分のことしか考えない人間達で、バラバラで、それでも時々、ちゃんと配慮しているみたいなところも見えるので、良いのかなぁとか思いながら、これはこれで仕方ないなと思いつつ、羨ましかったです。

河内  人間だれしも、得意・不得意は必ずある。不得意な所を頑張るのは凄く大変なことです。自分が楽しめること、自分が楽しんで関われる方法を見つける。楽しめることというのは、自分本位になることではないと思います。放っておいても子どもは育つ。だけど放っておいただけでは嫌だと思ったら、自分はそこに力を注ぐ。子どもがこうなっているのは嫌なのだけど、「でも仕方ないよね」と言うのではなくて、やっぱり嫌だと思ったことは是正して行かなければ、ストレスはもっと溜まる。だから、ストレスが無いような方法を自分なりに考える。子育ては大変です。だけど、それなりに人間ってその環境の中で工夫して生きていく。その環境を準備するのは家族では。
 私も親にこういう風に育てられたくなかったなぁと思うところがいっぱいあって、70才になっても、小学校の時に言われた母親の言葉を覚えているんですよね。完全な親はいないけれど、でも、心を注いでいたことだけは伝わってくれれば良いかな、と思っています。  是非、良い人生を送ってください。


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