京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)会報


(2012年2月号 掲載)
11月20日、講演会「健やかな成人期のために」の原稿を、河内さんが送ってくださいました。

健やかな成人期のために


河内園子

 トライアングルの皆様には10年前に伺ってお話をさせていただきました。御存知ない方もおいでと思いますので42歳になった娘について紹介をします。
 私の娘は夏木(なつき)と言いますが、3人きょうだいで、上に兄がいて、夏木がいて、妹がいて、それぞれ2つずつあいています。3人を両手にかかえながら育ててきました。今は主人と私と夏木の3人の生活をしています。
 今日は娘の自慢をしに来ました。私が今この年齢になって、子供の自慢ができるのは幸せなことだと伝えたいと思っています。子供が小さいときは、親の会なんかへ行くと大変なことを話したくなる。でも、それは本人がいる所ではしない、ということを皆さんは心に留めておいてください。お父さんやお母さんが大変だった、悲しんだことが自分が原因というのは、すごく子供を悲しませることなので、そういうお話がしたいときには子供を連れて行かない。私は、夏木が今生きている姿を「素敵だな」と思っているから、夏木のことを話題にする時には、夏木に「自慢話をしてくるよ」と言って来ます。今日もその約束は守ろうと思っています。

T 娘 夏木の生い立ちと今の生活
 彼女が生まれた頃は、ダウン症と診断された時点で、将来は施設でということを宣言されました。自分が生んだ子供が育てられないということに疑問を感じて「自分の子供なのだから家族の中で」と育ててきました。

乳幼児期、彼女は重度の心臓疾患のために、ダウン症と言うこと以前の課題で毎日を過ごしていたように思います。ある意味では余計な問題で心を煩わせる時間が無かったことは、今思えば幸いだったのかも知れません。兎に角小さな、小さな命でした。1年目でやっと5sの体重にしか育たず、歩き始めは3歳4ヶ月でした。入院生活が長かったことで、本人にもたくさんの人との交わりがあり、家族にとっても、兄や妹がその間に経験したことは彼らの人生にも大きな影響を持ったことだと思います。たくさんの方々に支えられたことは、家族の皆がその後の人間関係を、温かなプラスの方向に考えられる基礎になっていると思います。

 幼児期に大きな手術を2年に亘って受け、幼稚園の入園時は兄の通っていたにも係らず、受け入れていただくまでには苦労をしました。まだダウン症の子供が地域で同じように幼稚園や小学校にいける環境はありませんでした。しかし一旦入園が決まってからは、幼稚園はきょうだいと一緒に通い、楽しいお友達にかこまれて育ちました。そのときのお友達とは今でもお付き合いをしています。
 幼い時の楽しい人間関係は、人を信じる心、他人を受け入れる心を育てるのだと思います。

学童期
 小学校は学区外の「仲良し学級」のある学校にバスで通いました。与えられた環境をフルに活用して、その時期、そこだから出来ることを大切にしました。バスに一人で乗ることは小学生のときにマスターできました。地元の学校に通えなかったので、地域の塾を利用して学童クラブ代わりに活用し地域の顔見知りも出来ました。

 小学校5年生のときに心臓ペースメーカーを着装しました。それ以後は全く病気知らずに今日まで来ています。現在は3ヶ月ごとの検診と10年間隔での電池交換の手術を受けなければなりませんが、たくさんの方々によって守られた命は、大切に守らなければいけないという気持ちを持って生活しています。現在は肥満対策に頭を痛めるほどの変わりようで、自分の健康管理には毎朝体重計に乗る努力はしているのですが、確実に増加しているのは何故でしょうか?時々「みんなに助けていただいた命!」と警告を発している今日この頃です。

 中学校・高等学校は歩いて通える場所にあった養護学校(今の特別支援学校)に通いました。のびのびと楽しい学校生活を送ることが出来ました。この頃は自分と妹との「違い」を認識するようになって、妹の受験時期に「Mちゃんはこの学校を受験しても受からないよ」 とアドバイスしていました。なるほどと感心しました。彼女の自己認識の確かさに学びました。

 学校生活というものは人格形成にとって本当に大切な時期です。これは全ての子供に言えることだと思っていますが、子供を育てるということは、「何をどのように育てたいか」のイメージを持つことが大切だと思います。その中で、親は、家庭の役割、学校の役割をきちんと自覚して、“学校に振り回されない”“学校を振り回さない”ことが大事だと思います。これはさまざまな方からの学校との関係での相談を受けるたびに感じることです。

 学校時代は、一番豊かな成長の時期であり、先生方や家族の見守りの中で安心できる期間です。この時期を充分に使って多くの経験をすることが大事だと思います。「失敗体験」をたくさんすることがとても大事なことだと思います。子供にとっては失敗ではなく、全てが「体験」であり豊かになることではないでしょうか。 彼女は、通学にバスを利用していましたがたくさんの失敗はありました。新しい体験をする時は必ず予想外のことが起こります。正しいやり方を教えるだけに一生懸命になり勝ちですが、必ず“その通りに出来なかった時は・・・”を想定して、失敗したときの対策を話しておくことも大事です。例えば帰りにバス停を乗り越してしまった時は急いで降りてしまわないで、終点まで乗ってしまって運転手に相談すること(静岡はその点バス会社が1社なのでとても助かりました)など、好奇心が強く、何にでも挑戦したくなる彼女への対策のひとつでもありました。

社会人になって
 心臓疾患についてはペースメーカーをつけています。医師からは、日常生活をおくれる程度の活動量で、との誠にあいまいな指示を受けているのですが、そのあいまいさを逆手にとって、激しい運動以外は本人に任せてごく当たり前の生活を送っています。心配をすればきりが無いことですから、生活を制限しながら欲求不満になるよりは・・・彼女は絶対にガマンをして家にじっとしているタイプではないので、普通の生活をとことんすることにしています。自分の体力については、旅行に行っても疲れた時は「もういい」といってホテルで留守番を選ぶことが出来るので心配ありません。

 彼女の卒業に間に合う形で作業所を準備したのですが、実習の結果、今の企業が雇用して下さったので23年現在に至っています。最初の3年間は本人もずいぶん大変なおもいをしたようですが、会社との関係で不都合なことは無く過ごしています。現場ではパートで働くおばさんからはつらいおもいもしていましたが、心にかけてくださる方も居て、彼女なりの“したたかさ”で乗り切ってきました。彼女の人間関係を作る巧みさは見事なもので、決して他人を悪く言はない、自分にとって、そのとき必要とする人を必ず見つけて、自分を奮い立たせている様子には驚かされます。会社でつらいことが有った時には、高校生のときにワークキャンプで知り合ったお友達のところに寄って、話を聞いてもらったりしていたようでした。職場でのつらいことを話すと、親が心配したり憤慨することが分かって、親を心配させまいと、家には笑顔で帰るというような気の使わせ方をしてしまうことが分かって、悪い親だと反省したこともありました。

  現在は両親との生活ですが、精神的には自立した生活であると感じています。家庭生活では、両親も高齢の域に達しているので、朝は一人で食事をして出勤。たまに寝坊をすることはありますが、どんなに夜更かしをしても会社を休むことはありません。会社に関しては親が干渉する必要は無く、検診や旅行のために欠勤する時は自分で申告してきます。
退社後は街をたのしんでくることもありますが、ほとんど4時には帰宅、大好きなTVでドラマと情報番組にどっぷり。5時になると洗濯物の取り込みとご飯を仕込みます。

 家族と食事を済ませると、夕食後の片付けは全部してくれます。その後は歌番組、刑事ドラマ、等TVを楽しんだり、千羽鶴折や手紙を書いたりと常に何かに取り組んでいます。そして歯磨きをしてお休みなさいの挨拶まで、じっくり話しをすることはほとんど無く、週日は夕食の時間に少し話しをする程度のかかわりです。金曜日の夜は私との共通の趣味で、お茶のおけいこを23年続けていますので、その間は私にとっては楽しい時間です。おもちゃ図書館活動はボランティアとして共通の友人の話題が楽しめます。週末は音楽活動、編み物、クッキーを作る会、ダウン症の会のお仕事会、ボランティア活動と余暇活動にほとんどをすごしています。旅行等もウイークデイであれば「私は仕事」と言って一緒には行きませんし、休日でも自分が参加している活動が最優先で私の誘いには乗ってくれません。週末はほとんど家に居ることは無く、これが仕事を続ける活力になっているようです。余暇を大切にすることは、社会の中で生き抜いていくためにはとても重要なポイントになると思います。

 このように話していると、全く問題なく過ごしているようですが、全てがスムースに行っているわけではありません。皆さんの支援があって成立しています。「人に迷惑をかけない」ということは大事なことですが、迷惑と感じることは人それぞれ、こちらが決めることではないと思っています。参加している活動で、彼女が迷惑をかけているであろうことは感じても、私が出しゃばることはせず、相手にお任せすることに決めました。特に彼女の頑固な性格や独立心を知っている私の友人達は、彼女への要件について、私を介してすることはしません。必ず電話口に彼女を指名して直接話してくれます。 金銭管理は難しいので、今のところ私が管理しています。給与の中から食費や月謝、は決まった金額を家に入れて貰っています。本人は一定の金額を小遣いとして引き出しそれでまかなっています。買い物はお友達と誘い合って遊ぶということは苦手で、一人で買い物を楽しんでいます。本、CD,こまものは上手に新製品をゲットしてきては自慢しています。
 皆とおしゃべりをすることは好きなのですが、「グループホーム」でお友達と生活をするのはいやだとのこと、マイペースが好きなのです。

 兄も妹もそれぞれに家庭を持つようになり、自分の将来についても自分から考えるようになりました。家族という単位が分かるようになって、「お父さんとお母さんと私は家族?私は家族と生活したい」とはっきり宣言したので、そのように今のところは推移しています。 今後どのようになっていくのかは、そのときの状況で変化することに任せようと思っています。父親に、老後をよろしくと頼まれていますが「それはご夫婦で」とかわされてしまいます。今のところ福祉サービスを使っていませんが、将来のことを考えると、居宅支援を使うことにも慣れて欲しいと思っています。 彼女がダウン症の人生を歩んでいることを尊重したいと思っています。
 ここにたどり着くのには私も、たくさんの失敗もしてきましたが、今はとてもスムースにいっていると思います。

最後に

U 母親として大切にしてきたことは

 ・家族の一員として特別な存在にならないように=家庭の中で役割を持つ
 ・自分の力を発揮して自由に生きて欲しい=幼児期、学童期に生活技術を身につける
 ・楽しい人生を輝いて生きて欲しい=余暇を豊かに

というイメージを持って育ててきたということに尽きます。

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