『健やかな成人期のために』 2009.6.28
皆さん、こんにちは。今ご紹介いただきました長谷川です。佐々木さんとは長いおつきあいです。何年前でしたでしょうか、ボランティアでフリーマーケットにおられたところへ(わんこそばのお店開いておられました)前触れもなく押し掛けましたら、その時、びっくりされた佐々木さんが「アミを張っておけば、欲しい人は必ず飛び込んでくるんやなあ」と感銘深く言われたのが忘れられません。私自身は親御さんたちに教えてもらっているのです。ご本人たちからも教えてもらっています。だからいろいろなことが言えるのだと思っています。今、JDS(日本ダウン症協会)で個別相談をしていますが、(親ごさんだけでなく)ご本人が相談を希望して来られるケースもありますし、ご本人たちからメールで相談もあります。 佐々木さんが先輩と仰がれている静岡の河内さんが、静岡県立こども病院の外来に入って下さって、ダウン症の子のお母様たちをサポートなさっていたので、私はそばでいろいろ勉強させてもらいました。ですから 皆さんにお伝えすることは、医者(の専門)としてだけでなく、先輩のお母様たちから教えていただいたことが大きいと思います。 今回、資料がありますが、資料通りに話はしないので、資料は後から読んでいただくことにして、基本的なことをまずお話します。 日本語というのは面白くて、「人間」にもいろんな表現があります。 カタカナの「ヒト」というのは生物学的に使う言葉です。一人ひとりになると漢字の「人」。人と人の間と書いて、社会的になると「人間」。平仮名で書くこともあって、人間にはいろんな部分がある。人間とは非常に複雑なものです。皆さんのお子さんはダウン症を持っていたとしても、非常に複雑な人間なのだということをまずわかって頂きたいです。さっき島崎さんが、私から使わないほうがいいと言われたという「刺激」という言葉も、「刺激を与えたら何とかなる」というのは単純な動物実験のとき使う言葉でもあるので、人はモルモットや実験動物とは違うわけですから、そういう意味で言ったので、別に怒ったわけではないのです。 染色体というのは2つずつペアになった1番から22番の常染色体と、XとYの性染色体があります。性染色体は、だいたいは男の人がXY、女の人がXXですが、XYでも女の人もいるし、Xが1つの人もいるし、XXで男の人もいるし、ややこしいのです。染色体が2つペアであるのは、1つはお父さんから、1つはお母さんからもらっているからです。 ダウン症候群は21番染色体が1本多いのですが、21番染色体というのは1番小さい染色体です。ある意味では遺伝子として一番少ない量の情報が載っている染色体だと言えます。だから元気で生まれてくるのです。染色体の異常には、(顕微鏡で見て)増えたり減ったりする数の異常や構造の異常(形の異常)があります。染色体の一部に遺伝子がありますが、遺伝子がいろんな変化をしても、目に見えなければ染色体異常とは言いません。ダウン症の多くは、常染色体の数の異常ですが、一部に構造異常の人もいて(転座型といいます)、ダウン症候群といっても1枚岩ではありません。常染色体異常というのは、1から22番目までの染色体で、それぞれに含まれるそれぞれの部分で違う働きがなされますから、ものすごい種類があるのです。ですから21トリソミーのダウン症候群も特別ではなくて、染色体異常のなかではほんの一握りなのです。 ダウン症というのは略称であって、本当はダウン症候群。「症候群」というのは、先天性疾患や染色体異常においては、原因が明らかで特徴もわかっているけれど、そこに行く過程、どうしてそうなったかはわからないときに使います。他の内科とか小児科とかとで言われる「症候群」とは全然違う意味なので、意外に医師達も混乱していることがあります。 ダウン症候群の中で一番多いのは、21番染色体が1つ多い標準型21トミソリー。転座型という、21番染色体がどこかに転座しているものもありますが、いずれにせよ21番染色体の大部分が1本多いのが原因です。ということは、21番染色体を1つ隠したら、みんなと同じになる。たった1つの染色体が多い(過剰)ということ以外はまったく正常なのだということを、しっかり知って頂きたいのです。それを忘れると、ダウン症という特別な人がいる、人ならまだいいのですが人とも思われていないことが社会の中にいっぱいあります。それは彼らの人間性に対して問題だと思います。 一般には、学校でもそうですが、障害児と健常児とに分けますね。例えば自閉症とダウン症は同じ障害児に入っている。「では、障害児って何だろう」と考えた方もおられると思います。 一方、例えば顔とか身長とか体系から見ると、自閉症の人は普通に見えますから、自閉症児と健常児は一緒のくくりになり、ダウン症は違う枠にいるのです。 ところが、感覚とか、ものの見方、考え方から見ると、ダウン症児と健常児は一緒になり、自閉症は違ってきます。例えば、視線がしっかり合うとか、指差しをした時に「これが欲しい」ではなくて、「これは○○だよね」という共感的な指差しができるというのは、健常児もダウン症児も同じ。人の感情とか考えが読める、「ごっこ遊び」を楽しむ、創造的な劇あそびをする。そういうことでダウン症と健常児はひとくくりでき、自閉症の子とは違う枠に入ります。 そうすると、いったい障害とは一体何だということになりますね。 自閉症は非常に頻度が多いのです。一般に典型的な自閉症といわれる方たちは3000人に1人ぐらい。アスペルガー症候群や高機能自閉症という人達になると、だいたい典型的な人だけでも1.7%。ですから合併しても不思議ではありません。合併していることもありますが、本当にそれが合併なのか、環境に適応できなくて人を避けているのかということは判断していかなくてはなりません。 ダウン症の特色としてよく言われるのは、小さい頃は愛らしい。でも、だんだん頑固になる。思春期に急激な変化が起こりやすい。最近は、「急激退行」とかいう余計な言葉が使われていますが、これは一般の思春期でもあることです。一般にもあって原因があるのに、ダウン症児は特殊だと思うがためにレッテル張りされてしまうのが、今の思春期の一番の問題ではないかと思います。もしかしたら、うつ病によるものかもしれません。うつ病になりやすい人は、5人に1人と言われていますから。ただ、ダウン症の人は本人がコントロールするのは無理ないので発症しやすいかもしれません。または、身体の問題があるかもしれない。皆さん甲状腺はきちんと調べていますか?甲状腺機能異常は低下だけでなく亢進もあります。そのほか、脳の中にちょっとした出血があるとか、脳梗塞などの後遺症。ただし動脈硬化による脳梗塞は、ダウン症の方は少ないかもしれないとも言われています。また、何らかの神経疾患が合併しているかもしれません。身体の問題を除くと、一番考えられるのは、思春期からの発達のアンバランスと不適切な環境によって起こったのではないかということです。 人間というのは、「健常者」と言っても、100%健常ということはあり得ない。誰でも、一生のうちに何かの病気になったり障害になったりします。極端に言えば、外国に行ったら、たいていの人は言語障害者になる。年をとったらだいたいみんな障害者になるので、障害というのはありふれたものなのです。 健常者と障害者は別のものではなく、1人の中に共存している。医者というのは障害の部分だけを診る仕事ですが、一緒に生活している親御さん達が同じ見方をしたら絶望するでしょう。 ですから、最初に診断された時に、医者が病気のことをたっぷり説明して、親御さんが、それだけしかない子どもと思ったら、その子は病気だけの子のようなイメージを持ってしまいます。でも、完全な人間はいないし、健常と障害は共存しますから、医者が障害のことを言ったとしても、一緒に生活する人は、保育園や学校の先生も含め、まず子どもの健常の部分を見て、それから病気・障害部もきちんと知ることで、子どもの全体を見ることが必要です。 例えば、ダウン症のお子さんというのは手先がとても器用です。という話をすると、とても驚かれることが多いのですが、「あ、そうですよ」という人もいます。なぜそれがわかったかと言うと、きょうだいより器用な人がいっぱいいるのです。 この男の子は、1才10か月です。洋服は全部、自分で脱げます。 この写真は、友達のふりふりのパンツが大好きで、一生懸命それをかぶって着ようとしています。彼が1才半の時に、洋服を着せたり脱がせたりする時に、お母さんがパパッと着替えさせていたので、私は意地悪ですから、「お母さん、○○ちゃんは着せ替え人形じゃないのよ」と言いました。一緒にやりながら、自分でやったという気持(達成感)を育てていくことを話しました。それから4か月したら、自分で脱いで着ることができるようになりました。遊びでも、他の子のを見てやっているときに、自分でとても工夫してやっているのに、お母さんが「こうやりなさい」と言うと、そこで自分の自由な考えをピタっと止めてしまうので、発達を遅らせることになります。想像力や応用力も抑えてしまいます。教え込むのではなくて、一緒に遊んであげる。ちょっとちょっかいを出して軽くいじわるしてみるものいいですね。一緒に遊ぶと子どもは知らないうちに覚えていきます。 つまり、まず「普通の面」をしっかり育てるということが一番大切です。健常の部分とダウン症の影響の部分と二つあるのですが、ひとりの人間としての健常の部分をしっかり見ることが大事です。それには、自分と共通したところを知ること。当然ですが、子どもは親御さんと良く似ています。人間としての個性を知る。そして、年相応に関わるべきです。幼く扱っている子はみんな幼く見えます。そして、地域の素晴らしい友人になり、偏見で見ることがなくなります。 一方で、普通に扱うことで危険な面もあります。普通の社会の問題にさらされる。だからそういうことを教えていかなければいけません。静岡にいたときに、サラ金に手を出した青年がいまして、お母さんも「まさか」と思ったと言っていました。性の問題や、いろいろな危険をちゃんと教えていかないと被害者になったり、加害者になったりしますから、気をつけていかなければいけません。 タクちゃんという1年生のイタズラ坊主です。 (写真の説明)小さな車を上からころがすオモチャで、最初、向かって左側に下の出口がありました。机の隅でもあり、降りてきた車は床に落ちる。 そこでタクちゃんは考えて、出口に手を当てて、落ちないようにしました。それからまた考えて、左右を逆に置いてみましたら手を離しても車は落ちなくなりました。でも、隣のお母さんがバッグを机に置くと車はバッグにぶつかってしまいました。タクちゃんはまた考えて、出口に手を当ててぶつからないようにしたのです。すごい知恵! お母さんは何も指示せず見守っていました。これがタクちゃんが伸びてきた理由とわかりました。もし、いつもそばにいて指示していたら決まったことはできるようになるか、または反発するかになり、発達は抑えられてしまったでしょう。5〜6歳の今は二番目の反抗期ですから結構大変です。最初の反抗期はだいたい2才ぐらいで普通の子どもと同じですが、反抗期と思われていないことも多いです。 これは7才の小学校1年生の女の子五月ちゃんです。なにせ7人きょうだいの5番目なので、お母さんはあまり育児に時間をかける余裕がありません。ご両親が焼肉屋さんをしていますが、そこでお手伝いしています。私たちは「若女将だね」と言っています。この重いお皿を一人で運んでくるのです。そして、焼き網を持って来て、さっと手際よくはめて火をつけて、おじぎをして帰って行くのです(笑)。ご飯の丼を3つ持ってきた時は、さすがに私もびっくりしました。それから、追加の注文を取りに来ます。経営に参加しているつもりです。厨房でも何でもやりたいというので、包丁も使っています。お客からチップをもらうので貯金しています。 資料の中にも入れたのですが、進化論で有名なダーウィンの10番目の最後の子がダウン症だろうと言われています。その当時はまだダウン症というのはわかっていなかったので、ダーウィンは特別とは思っていないのですね。ちょっと遅れのある子だと思っていた。ダーウィンは植物も動物もわが子のことも、とても温かい目で細かく書いていますが、この子のことも、とても良く書いています。「聡明で目ざとい」「はいはいの仕方に気品がある」「たとえようがないほど愛らしい」「小さな目がきらきら輝いている」。こういう記述を見ると、本当にダウン症の子なんだなぁと思います。病気や障害のレッテルが貼られなかったので、自然な見方ができたのでしょう。それは子どもに大きな影響があると思います。残念ながらこの子は、猩紅(しょうこう)熱にかかり2才で亡くなっています。 療育のことですが、療育はかならず必要とは限りません。その子が当然できることは特にする必要はないでしょう。家庭でできることもやる必要はない。ダウン症のお子さんで歩けない子、座れない子はまずいないので、歩く練習や座る訓練はまったく必要ありません。それは、療育や訓練をしたために座った、歩いたのだという誤解にもつながります。療育は、一人ひとりの子が苦手なことに対して、まず基礎的な力をつけるために行うべきことです。 例えば、イスやベッドの端に座らせて、足を何にも載せずに、わきを軽く支え(腰をしっかり支えることから始めますが)、自分の体で支えるための力をつけていくこと(端座位)は、低緊張のある子に効果的です。床の上にペタンと座ると姿勢が悪くなって、あまり筋肉が発達しませんが、端座位を毎日何度もやると体の支持(姿勢)が良くなります。それに、親子が向いあうので、お話したり、歌を歌ったりすれば、姿勢だけでなく、いろいろな面が知らないうちに伸びていくでしょう。特別なことをするよりも、基本的な体力をつける。特にダウン症の人は腹筋・背筋が弱いので、それをつける練習をすることはとても大事です。 (スライドは)河内さんのお嬢さんで、今年9月に39才になられます。彼女は、自分で考え、いろんなことを試みて、生活を楽しむ達人です。一般の会社に20年勤め続けていますが、一時、同僚が「遅い」と言っていじめると訴えていたことがありました。こんな時に親御さんはピリピリしちゃいますけど、河内さんはどっしりしていて、お嬢さんに「あなたは何のために仕事に行ってるの?」と聞かれました。そしたら彼女は、「お給料をもらって、買いたいものを買ったり、映画に行ったり、遊びに行ったりとか」と言う。お母さんが「じゃ、いじめられるのはどのくらい大変なことなの?」と聞くと、それから1週間ぐらい考えたあげく(答えが出るまでだいたい時間がかかります)「たいしたことないことだね」と答えを出しました。でもそれで納得はせず、いろんな人に相談していたのです。私も相談されたので、「職場でいじめられるのはよくあること」「いじめる人はどこの職場にもいるから」と話しました。他のお母さんたちにも聞いて歩いたようです。そういうときに、「斜めの関係」はすごくいいですね。親の会での斜めの関係 … 自分の親には言いにくいことでも、他の親には言えることは多いので、そういう関係をつけておくと、本人が困ったときに相談する相手がいるわけです。相談する相手がいるかいないかで、人生ものすごく大きな違いです。彼等が大人になってから、親の会はいっそう重要になりましょう。さっき『あぶあぶあの奇跡』のことを言ってらっしゃいましたけど、映画を観てみると、彼らもみんなで相談したり助け合っているので、それが長続きしている一番の理由ではないかと思います。 河内さんの娘さんはテレビを見ていて、「ダウン症って障害児だったの?」なんて言ってびっくりしましたが、「でも、自分は困っていることは何もない。障害者ってなに?」とお母さんに聞きました。お母さんは、「自分ひとりでは多くのことができなくて、いろんな人の助けを借りること」と言ったら、「私は、いろんな人の助けをもらっているけど、いろんな人を助けている。だから、障害者じゃないのだ」と考えました。そこで彼女は、困っている「障害者」のためにボランティア活動をしようと思い立ち、手話を習ったり、おもちゃ図書館で仕事をしたり、仕事の帰りに社会福祉協議会に通っていろんなことをしています。彼女のことを全然知らなければ、その人の生活や考えを知らなければ、世の中の人からは「何もできない障害者」だと思われるでしょう。これが偏見につながるのです。ですからやはり、お子さんのことは社会に知らせていかないとなりません。誰も知らないことは理解できないのです。 河内さんがおっしゃっていたのは、この子がダウン症だとわかった時には、とても辛く心は灰色になった。でも河内さんは心理の先生なので、その理由をいろいろ考えた結果、「この子は世の中の役に立たないと思っているからなのだ」ということに気づいた。では、「自分はどれくらい世の中のために立っているのか?」と考えたとき「自分が大した役に立っているとは思えない」。だから「役に立つかどうかは生きる価値と関係ないのだ!」そう考えついたら、とても楽な気持になった。ところがそれから1年後、「 ちがう! この子は役に立っている! 大人の価値観を変えるすごい子なのだ」ということがわかった。 ただし。健常部だけを見ていたらダウン症であることを忘れてしまい、ダウン症であるための苦手をきちんと解決できないでしょう。ダウン症の影響の部分もきちっと見る必要があります。ダウン症の部分の特徴を知ると、適切な 関わりができるようになります。 ダウン症の影響というのは病気でも障害でもなく、単なる特徴にすぎません。しかし病気や障害に結びつきやすいのはこの3つです。 @低緊張(筋緊張の低下)と少ない筋量 筋肉ができにくいでので、運動で筋肉ができるまでに時間がかかります。瞬発力(足で蹴る力など)は強いけれど、それは筋肉のすべての力ではないのです。筋肉は体の支持や運動の基礎となりますが、意欲にも影響します。体を支える力が弱ければ「自分はできない」と自信をなくしやすく、そのために、できることもやらないということになります。 A特徴的な発達と発達障害 発達は、とにかくゆっくりです。ものの考え方もゆっくりで、考えていないわけではないのです。また、抽象的なこととか、ちょっと複雑なことになると難しくなるので、理解に時間がかかります。そのため、わかるようにじっくり教えていくことが必要です。ダウン症の人達は目からの理解の方が良いという特性があります。耳からだけの情報は入りにくいのです。ですから、早くから、身近なものや人の文字カードを作って、それを折にふれ読んであげると理解する言葉が増えていくでしょう。言葉が増えたら、こちらが言った言葉、自分が言った言葉を文字にすると表現力が進みます。耳と目の両方から入ると、とても効果があります。 B併発症の可能性 合併症とよく言われますが、合併症というと偶然の合併もあるので、ダウン症に関係した意味で併発したものをこう言うことにしました。個人差はありますけど、別に特殊な病気はありません。いづれも早期発見、適切な治療が必要です。なかには一般の人になかったり、一般の人にはあってもダウン症にはないという病気もあります。たとえば 川崎病とか、アレルギー性のぜんそくはほとんどないのです。白血病は一般よりも多いのですが、大人によくある癌は少ない。その理由は、21番目に癌の抑制遺伝子があるためで、トリソミーになるとその働きが増すので、たとえ癌になりやすい遺伝子を持っている人でも癌になりにくいことがわかってきました。 さまざまな障害を持っている子を親御さんが受け入れていく過程には、2つのタイプがあると言われています。大阪市立大学の要田先生がダウン症の親御さんたちとの面談から出した結果です。第一の受容というのは、我が子という存在を受け入れる。つまり可愛いがって、我が子であるということをありのまま受け入れる「受容」。これは、支援があれば、ほとんど90%ぐらいは到達すると思われます。 第二の受容というのは、障害に対する価値観の変革です。障害というものをきちんと理解していくということで、これは非常に難しいことですが、これが、真の受容ということです(障害ある子の親どうしで優劣を比べるのは受容に至っていないことになります)。 親の会の活動は、この真の受容に向かうことでもあると思います。 「うちの子は大丈夫だから」と思っていても、社会に出た時に大きな壁にぶつかったりします。 受容というのは、子どもを愛して、ちゃんと理解して、ありのままを受けとめるということです。でも「ありのまま」と「ほったらかし」は違います。ありのまま受けとめれば、この子にどういう関わり方をすれば最適かということがわかってきます。それを阻むのは「内なる優生思想」かもしれません。それは誰でも心の中に優生思想を持っているという、大阪府立大学の森岡先生が言われた言葉です。前に佐々木さんに、「自分の持っている偏見との戦いや」と言われたことがあります。優生的な思想は人間がもともと持っている「自分はいい生活を送りたい」「人より良くなりたい」が原点だそうです。それは、当然のことなので良いとか悪いとかではないのですが、誘惑が絶えずやってきます。遺伝学というのは、一人ひとりが「みんな違ってみんないいんだよ」という多様性が基盤にありますが、優生思想は多様性を認めません。優秀で役に立つ人がよりよく生きる権利があるというのが優生思想ですが、誰がそれを決められるでしょうか。とても危ない思想だと思います。 我が子を受容していないと、インチキ商法なども入りやすいのです。「健康でありたい」「やらなければ後悔するかもしれない」という人間心理がよい餌食となります。病気や障害がある人とその家族はワラもつかみたい思いになりますが、ワラをつかんだら溺れてしまいます。医療とか療育とかサプリメントにしても、「この薬を飲んだら頭が良くなる」とか「発達が良くなる」とか言っているものがあります。そんな薬あるわけないのです。アメリカの発達小児科医も言っていました。効く薬は副作用もあります。そういうところから、体も精神も壊されていくおそれがあります。実際そういう例をいくつも見ています。 治療が進み寿命が延びている 豊かな成人〜老年期に向けて 今、医療が進みダウン症の人たちも寿命が延びています。 ダウン症の人は老化しやすいと言われますが、言われていることを疑ってかかるのが科学者で、私も科学者のはしくれですから、本当にそうなのかと思います。老化といってもいろいろです。まず、だれにでもある生物的な老化現象、自然な老化があります。それから、予防とか治療が可能な老化があります。たとえば成長ホルモンですが、運動しないと成長ホルモンが減るから老化します。それから皮膚の老化。ダウン症では色白の人が多いので、紫外線の影響も大きいことが考えられます。ですからUVの予防をしないければ老化が進んでも不思議はありません。ある会で山へ行ったときに、お母さんはしっかりUVクリームをつけていたのですが、娘や息子はつけていない。一般のお嬢さん達は自分でやりますけど彼らはしないので、気を配る必要があります。 それから、精神的な老化というのもあります。これも生物学的な老化現象があり、忘れっぽいなどいろいろあります。しかし年齢が高くなると、環境が悪くなったり、経験が減ったりして、非常に悪い状況になってしまうということも問題です。学校の時はいろいろなことをして、いろいろな関わりがされていたのに、大人になったら仕事だけということはないでしょうか。これでおかしくならないとしたら、そちらのほうがおかしい。そういう当たり前のことが忘れてられがちです。何よりまず、人間として当たり前のことが何か考え、それをすればいいのです。 また、成人になってからどれだけ読んだり書いたりしているでしょうか。趣味もなかったら…とにかく高齢になると脳を使わなくなっているのではないかと思います。ダウン症の人たちはお勉強好きですね。高齢者の施設の話ですが、やっぱり勉強好きだそうです。だから、学校での勉強というのは決して無駄ではないのです。ただしそれが社会とか体験につながってくれば、勉強する意味もはっきり見えてくるでしょう。一般の人でも認知症になり易い環境に置かれてダウン症の人が認知症になったとしても当然でしょう。良い環境の中で生活していてダウン症の人が認知症になるのが多ければ、ダウン症人が認知症になりやすいということを理解できますが、環境も何も改善しないでダウン症とアルツハイマー型認知症の関係を言われても、決して納得できることではありません。 健全な、思春期 〜 青年期 〜 中高年期に向けて ・定期検診をしていますか?(甲状腺、尿酸、眼なども) (思春期ぐらいから、定期健診をきちんとしてください。特に、甲状腺、目の白内障。耳が聞こえにくくなるということもあります。もともと弱かったものの中には成人になって症状がでることがあります) ・肥満の予防やバランスのとれた食生活をしていますか? ・毎日適度の運動を楽しく続けていますか? (太りすぎないよう予防は大切です。ダウン症だから太るとは限りません。食事と運動が決めてです。バランスのとれた食生活をしなければ体にもよくないし、脳にも良くありません。適度の運動を楽しく毎日長く続けることです。 また、水を取らないと脳梗塞などにもなりやすくなります。ダウン症の人は高血圧や動脈硬化が少ないようですが、脳梗塞はそれ以外の 原因でも起こります。一般の人と同じように気をつけることは必要です) ・水分摂取に気をつけていますか? ・大人としての自覚を尊重していますか? (成人になったら、大人としての自覚を尊重するのは当然ですね。これは、大人になって急にやることではなく、小さいうちから、小学1年生なら1年生の自覚、中学1年なら中学1年の自覚。そういうことをきちんと尊重しないでダウン症の子を赤ちゃんや子どもみたいに扱うと、彼らは周りがやってくれるように動くのが得意技ですから、周りがどういうふうに自分のことを期待しているかによって、上手に動く。それは大人がだまされているのだけなのです。でも、先を見るのは子どもたちには無理ですし、まして知的発達の遅れをもっている子には難しいので、自分が楽しいようにやっていたら、将来、自分が損になるんだいうことは、大人の方が気づくべきであって、本人が気づくわけはないですね。そこは大人がやるべきことなのです) ・自分さがし役割さがしが理解されていますか? (この間、相談に来られた方で、20代のお嬢さんが、ダンスクラブでの後輩がチーフダンサーになり非常に悔しい。だからメールで大ゲンカしたらしいです。「あんたみたいなへたくそなんか」と書いてね。でも彼女はその後輩の方がダンスはうまいと自分でもわかっている。だけど自分のほうがダンスが下手だということを受け入れられない。それで、「自分は何なのか、というのを探しているのよね」と言ったら「うん」と言うので、「それは時間がかかるのよ。大人になるためだから。ゆっくりやろうね」と話しました。最近は「わたしは思春期で困ってるの。どうしたらいい?」と言っていますが) ・悩みの相談にのってくれる人が身近にいますか? (悩みは身近な大人に相談をする必要があります。本人どうしでやるのは無理なことです。ですから、悩みの相談にのってくれる人が身近にいるというのはとても大事です。相談を受けても、「こうしなさい」という指示ではなくて、「あなたがどう考えているのか?」ということを訊ね、自分で見つけていけるよう援助していくことです) ・毎日を充実した前向きな生活をしていますか? (充実した毎日の生活というのは当然のことですね) ・家庭の一員としての役割をもっていますか? (ダウン症のお子さんは、家庭の一員でなく、家庭の中心になっている人が多いのではないでしょうか。そうなると自分は何をやっても許されるとか、自分は偉いんだと思ってしまいます。しかし、世の中に出るとそうはいきませんから挫折して、「ああ自分はダメなんだ」と自信を失ってしまいます。社会に出てから辛い思いをしないよう、家庭の一員として毎日接していく必要があります。辛い思いをするのは本人なのです。でもダウン症の人達は、ニコニコして辛くても我慢し、ある日突然起きられなくなって、何もしなくなる。それから、心を閉ざし、引きこもってしまいます。思春期以降にそうなる子は日本にはかなり多いようです) ・余暇を豊かに過ごしていますか? (学校に行っている時から余暇を豊かに過ごすことが大事です。いろいろな活動は、しすぎてもいけませんが、しないでいると学校卒業後の人生が寂しいものになります。 彼らは、自分の経験の中からいろいろなことを見つけて行動していく力はありますが、経験のないことを新たにやるのは苦手です。自分だけでは力を十分発揮できる場を開拓するのが難しいことも多いので、周りでお膳立てしてあげる必要があります) ・年齢相応に遇していますか? (さっきのスライドでもありましたが、1才10か月というと、何にもできないから「みんなやってあげよう」と思ったら、ああいうふうには育たないでしょう。また、よく「他の子と比べてしまう」と言いますけれど、比べてもいいと思うのです。他の子と比べて、この年齢の子は何をしているのかを知っていたほうが関わり方がわかるでしょう。発達の遅れがある部分は、すぐには結果は出ないかもしれませんが、やってみなければ取り組む時期を逸してしまうこともあります。意外に他の子より早くできることがあるかもしれません。ご本人達の自覚につながりますし、自分が尊重されているというのは自信や達成感につながりますから、次のステップに行こうという気持になっていくのですね。 『子どものねがい・子どものなやみ(かもがわ出版)』という本をお読みになった方はありますか?京都の保育園で、子どもたちの本当の発達とは何かということが研究されて書かれた本です。そこにダウン症の子の発達についても書かれています。テーマが京都の保育園なので、ぜひ読んでいただきたい本です) ・同世代との交流はありますか? (同じ年ぐらいの子との交流ですね。たぶん皆さんはされていると思いますが、大人になっても同世代との交流は大事です。一般の人との交流は理解を促しますが、ご本人達の交流や集いも大切です。どんな人にとっても友達は必要ですから。地域で本人の会をやっているところもあります(例えば、静岡、広島、岡山、東京の世田谷…岡山から転勤されたお母さんが始められ、東京中に広げる予定)。JDSは全国組織なので本人の会は作りにくいのですが、地域のご本人さん達の交流会の情報を得たり、少し助言はしています。将来は自分たちで企画した本人部会を運営することもできるでしょう…8月末にアイルランドであった世界ダウン症会議では、アイルランドの成人達が本人プログラムの運営にも参加していて、すでに現実のものになっていることを知りました)。 ・性や結婚について真面目に対応していますか? (思春期を過ぎると、性や結婚に興味持ってくる方が多いと思いますが、それには真面目に対応してあげる必要があると思います。ご本人たちが何を望んでいるかとか、男女交際の注意も必要です。本人たちが被害者にならないように、また加害者にならないように気をつけてあげてください。実際に両方のケースがあります。いまどきですから、何がどうなるかわからないですから、そういうところも教え、見守っていく必要があります。教えただけでは何かあったときに急には対処できないので、実際自分たちで経験してみるとか、ロールプレイをやっているところもあります。 なお、世界ダウン症会議に、ダウン症の娘さんがサークルのダウン症の青年と結婚したオーストラリアの両親が来ていました。そのご両親の書かれた本はJDS本部に置いてあります。どなたか翻訳してくださいませんか) ・紫外線防御などせずに老化が早いと決めつけていませんか? (多くの人は、医療者もダウン症では老化が早いと信じています。その根拠は外見だけで、本質を言っているかどうか検討もされていません。皮膚の老化は紫外線と関係ありますし、白髪は若白髪があるように老化だけとは限りません。「老化」という言葉を、思いこみだけで、安易に使わない方がいいと思います。また、本当は定義があるのに、定義に関係なく一面的な感覚だけで使われるネガティブな言葉…「退行」もそうですけど… それを使うのは本人のためにはならないので、ご家族は使わない方がいいと思います)。 ・大人の誘惑への対処を教えていますか?(サラ金など) (大人への誘惑への対処ですね。そういうことも教えて欲しいです。サラ金もそうですが、ヘンなDVDばかり借りてきて家で見ている人もいて、危ないなーと思います。ただし厳しく禁止するのは逆効果でもあるので、一緒に見て話をするとか…そうすると止めるかもしれませんが…少なくとも何をしているか、年齢相応の行動と考えてすむことかどうか親御さんは知る必要があります) ・ 精神的な問題がある時、医療で診断・治療されていますか? (万一、精神面に支障をきたした時に、どこの医療機関、どの医師がきちんと診断・治療してくれるか、地域の状況を親の会で把握しておくほうが安心です。また、薬の使い方が誤っていたり、過剰に使っているところも少なくないので、医療を受ける側も注意していく必要があります。ダウン症の人は薬の効きが良すぎる傾向があります) 生まれる前にわかる例が増えている胎児スクリーニング技術の問題 以前、母体マーカー検査時にトライアングルさんにも協力していただきました。旧厚生省へのFAX作戦でも頑張られました。おかげ様で、母体血清マーカーに対して、きちんと説明もしないで安易に使用しないようにという通達が作られて、本当に感謝しています。今は母体血清マーカーよりも大変な時代に入ってきています。特に超音波による胎児のスクリーニングで、これはダウン症の可能性があるということもかなりわかってきているのです。急に産科で言われて、妊婦さんがすごく不安になって相談に来る例が増えています。そのため羊水検査をして中絶しようと思う人も増えてきています。そういうことを防ぐためには、ダウン症の人たちはどんなに良い人生を送っているかということを伝えていくしかないと思います。こう時代に「ダウン症には退行現象がある」とかいう言葉だけが広まったりすると、たぶん産みたくなくなると思うのです。 皆さんの受容と子育てを広く知らせることが、これからのダウン症の赤ちゃん達の命を左右することにつながっていることも、ぜひ知っておいていただきたいと思います。 ある時、私の外来に来られた親御さんに質問票で調査をしてみました。そのうち我が子を受容している50人の結果が次のとおりです。なお、質問票の記載については、外来で直接話し合っています。 わが子を受容している母親(50名)の質問票調査 問1現在の子どもへの気持は? その1: とても可愛い 48 可愛い 0 少し可愛い 0 あまり可愛くない 0 可愛いとはいえない 0 同胞と同じに可愛い 2 その2: この子がいてよかった 47 良いこともある 1 特別には思っていない 2 義務感で育てている 0 問2生まれる前にダウン症とわかっていたら? 中絶していたと思う 26 悩んだが生んだと思う 13 悩みぬいた、結論は不明 11 今の子どもへの気持ちはどうかと聞くと、48人が「可愛い」と答えています。「きょうだいと同じに可愛い。何も違いはない」という人が2人。また、「この子がいて良かった」という人が47人。「特別には思っていない(きょうだいと同じと答えた人)」というのが2人です。 では、この人たちは、「生まれる前にダウン症とわかっていたらどうするか?」という質問に対し、半分の人は「中絶していたと思う」。残りの半分のまた半分の人が、「悩んだけれど、生んだかどうか結論はわからない」。そして後の半分の人は、我が子がダウン症なので、中絶とかは思いたくないから結論が書けなかったのでした。実際には、生まれる前にわかっていたら、ほとんどの人が中絶してしまっています。調査でも、わが子が可愛いと思っている人でも、半分はダウン症とわかったら中絶したと言っていますし、生まれた後と生まれる前との違いというのは、ダウン症の子を知って愛情をいだいているかどうかによるところが大きいと思います。 よく出すのはこの絵なのですが … どこに赤ちゃんがいますか? これは 台湾の小児科で臨床遺伝専門のドクターが遊び半分送ってきた絵ですが、出生前診断を考えるのに良いテーマだなと思います。 わかりますか?(木のところ)ここが頭、目、鼻、口 … つまり胎児がいます。 不思議なことに、いったん見えたら、この絵は消えなくなるのです。だから、お腹の中にいるときに、超音波でダウン症の可能性があると説明をすると、その時の説明によって、赤ちゃんを抱いたことのないお母さんは悪いイメージが浮かび固定してしまうのです。お腹の中の赤ちゃんの超音波検査をされる時、「ヘンだな」と言わるだけでも、ヘンな子がバーっと頭の中にイメージされて、もう産むのが怖くなる。後から大丈夫と言われても、そのイメージは消えにくいでしょう。そういう人間心理があるので、生まれる前に疑われるといろんな面で問題が生じることも知っておかなければなりません。 出生前診断というのは、ダウン症を見つけるためにあるわけではありません。それなのにいつも対象になるのはダウン症です。どうしてなのでしょう? また、出生前診断は安心のためにするものでもない。「診断を受けてみて安心したら?」と言われることもありますが、安心のためにはなりません。ダウン症より高率に偶然見つかるものがあります。見つかった変化が障害に通じるかどうか、将来どうなるかわからないものもあります。ダウン症でも染色体が正常でも将来どうなるかはわからないでしょう? 転座型の21番トミソリーを持っているお子さんのお母さんで、次の子を産もうかどうしょうかと悩んでいる人がいました。お母さんが保因者だったのです。最初に次のことを説明しています。「お母さんが保因者の場合は、次のお子さんも20%ぐらいは、またダウン症の方が生まれる」。そのときにお母さんはどう考えたらいいでしょう。最初の選択は、検査をしないでどんな子でも産む、という「自然な」対応です。それと正反対なのが、出生前診断をして、ちょっと何かあれば全ておろすことでしょう。しかしその間には、多種多様な選択肢があります。選択は、お母さんがどう考えるかによる、ということを最初に話しました。 このお母さんに赤ちゃんができたとき、超音波で見ても元気に発育しているようで、何も異常なさそうだったそうです。でも、お母さんは一応安心のために「羊水検査をしようかと思う」と言うのです。確実にわからないと心配だからと。私は、「安易に検査をしては、将来にも悔いを残すおそれがあるから、検査についてよく知り、しっかり考えて決めてください」と言ってこう話をしたのです。検査では何も出ていなくてその時は安心でも、何があるかわからないこと。また、ダウン症以外何かが見つかることもある。その臨床状態はよくわからないことが多いので、逆に不安材料になるかもしれない。羊水検査が胎児に悪影響を及ぼす可能性もあります。検査をするなら、良く考えてから納得してでないと、ずっと後悔するのではないか、と話をしたのです。 産むか産まないかは妊婦さんの自己決定権だと言われることがありますが、妊婦さんだけが決めることでなくて、家族との関係もありますし、旦那さんが産んでほしくても、お母さんが「子どもはどうしても欲しくない」と思うと産めないし、自分が産みたくても、ダンナさんが「だめ」と言うかもしれない。だから、女性の自己決定というような単純な問題ではないのです。 それから、「生命権」と言われる赤ちゃんの「生きたい」という権利。赤ちゃんがお腹にいて元気だということは、赤ちゃんは生まれたいと思っているに決まっています。胎児が「私は生まれたくない」と思うわけがないのです。女性の自己決定権と胎児の生命権というテーマでせめぎ合いになっても、「そんなものは倫理学者の観念論みたい」と思います。それに、さきほどの「内なる優性思想」と、「障害があれば胎児を消してしまっていいんだよ」という考え方は同じではないのですが、理解や支援がしっかりしていないと、そこがイコールになってしまい、子どもが産めなくなる。しかし一人ひとりの考えていることの違い、その人がどういうふうに人生を送ったか、周りの人がどうかということで最終的に決定していくしかないので、こちらが「どうしなさい」とは言えません。問題は子どもがどんな状態かということではなく、大人がどう思うかなのです。ですから、医者としては命を救って、元気で生きていくのをサポートするのが仕事なのですが、という話はしますけれど最終的にはその人が決めなくてはならないことです。生まれてから親が育てられなくても、私達が代わりに育てるわけにはいかないので、親が最終的には決定することです。しかし、一つ大事な命について、考え、悩んでほしい。安易にやらないでほしい。そこが1番言いたいことです。出生前スクーリングは安易にできるため、説明も理解もろくにされてないので、本当は妊婦さん達の自己決定すらそこなわれているのです。 こういうチラシも作っています。英語ですが。新しい母体血清マーカーを用いた出生前スクーリング検査は外国ではすごく流行っていますので、外国の人に渡したり、学会の時にゲリラ的に配っています。 出生前スクーリングとは、妊婦さんの自己決定を満足させるものだと思いますか? 産婦人科のドクターは、十分な説明をしましたか? ダウン症の人たちは、人間として尊厳あることをご存じですか? ダウン症の人たちは、私達に違った価値観を教えてくれる存在なのだということをご存じですか? ダウン症の人達は単なる遺伝的なバリエーション、多様性の一つだということをご存じですか? そういうことを書いたのです 出生前スクーリングで胎児がダウン症だとわかった時に、突然その子が、可愛い子からモンスターのようなイメージになる。そうすると妊婦さんは胎児に悪いイメージを持って、子どもを拒否してしまう。ネガティブな感情にもさらされる。これはとても問題ではないですか? ということも書いてあります。そして、彼らのメッセージとして、「僕たちは平和の使者なんだよ。テロリストや敵じゃないんだ。僕たちはハッピーなんだ。僕らを消すな!」と、かなりきつい言葉で書きました。英文科出身の方からこのくらいがいいのではと教わった言葉です。 写真は佐々木さんからいただいた元治君です。わかりやすいきれいな写真なので使わせていただきました。 出生前スクリーニング検査の目的は、結局はお金儲けなのです。そのためにダウン症の子の命が犠牲になっていいのでしょうか。(このことは、欧米やアジア、アフリカの、憂慮する医師や親御さんたちも言っていました。収益のためお金で押し寄せてくる企業に正面から対抗は不可能なので、海外ではダウン症の人達の人権宣言したり、彼等の価値や可能性声をあげている、そういう印象を世界ダウン症会議でもちました。そこで私はこのチラシを100枚コピーし、自分のポスターの前に置いておいたら、ほとんどなくなっていました。残りは直接手渡して話もしました) 「人のため」と思っても、本当に人のためとは限りません。「人と為」と書いて「偽(にせ)」にもなるのです。「あなたの為よ」というのが、偽物なのかもしれないといつも考える必要があります。医療もそうですね。「患者さんの為」と言って、本当に患者さんの為になっているかどうか考えていないといけないのです。(ちなみに「信者」と書いて「儲(もうけ)」と読めます。昔の人は偉かった?) 静岡のあるお母さんの話。生まれた子がダウン症とわかり、病棟の看護婦さんから「ダウン症の子は天使なのよ」と言われたら、「へんなことを言うねえ。この子は人間よ」と言ったそうです(笑)。特別なのはダウン症だからではないのです。我が子だから特別なのです。さっきの7人の5番目がダウン症だという子、若女将の子のお母さんですが、一人ひとりがみんな違うし、それぞれ完全でないから、5番目にダウン症の子が生まれた時に何も思わなかったそうです。そのお母さんは、5番目までずっと女の子だったのです。女の子が9人生まれるとギネスに載るからとギネスをねらっていたそうですが、6番目が男の子だったので、それがショックだったそうです。今は男の子って可愛いと言っておられてほっとしていますが。どの子も問題が出ることがあるので、今はその子に手をかける時なのだと思うと言っておられました。子どもが7人いて仕事をしているから一人ひとりに関われないので、夜寝る前に一人ひとり抱きしめてキスするそうです。 (スライド)これは、いろんなお子さん達の写真です。 中学行っている彼はブレイクダンサーになりたくて毎日練習しています。彼はハイハイができなかったのですが、ブレイクダンスがしたいために逆立ちもできるようになりました。やる気になればできるのです。 この3人は、小学校のおすもう教室。この子たちは悪ガキで、言うことをきかない悪戯坊主です。2人が5年生、1人が4年生ですが、汚い言葉や悪態を言いますが、私達の目の前でいうとにらまれるので、陰で言ったりしています。最年長の子は中学校に進学しましたから、彼に「中学生はもうこんな言葉は言わないよ。こんなこと言うのは小さい子だよ」と言うと黙っています。「あなたたち、そんな言葉を言ってうれしいの?」と聞くと「うれしい。楽しい」と言うのです。「そう? こんなの聞いて誰もうれしくないよ。みんな嫌いなのに、あなたたちだけでうれしいのでしょ。」と言ったので、私の前では言わないようにしているようです。 最年少の子は、年上の仲間と悪さをすると大人に叱られる。だけど、彼らの仲間に入らないとお兄ちゃん達から疎外されるので、けっこう悩んでいました。子どもの関係って面白いなぁと思ってながめています。そうやってだんだん苦労しながら大人になっていくのですね。彼らが悪いことをしている時は、お母さんも私も、知らん顔をしていて、度が過ぎると怖い顔をしますが、でも、成長したなあとお腹の中では笑っていて、いない所でゲラゲラ笑う。そして良いことをしたら、その「行動」をほめるようにしています。 次にあげるのは、JDSの水戸川真由美理事の息子さんの裕(ゆたか)君が保育園の卒園の時に作られた歌で、歌手の西島三重子さんが歌っている『プレゼント』という歌です。市販のCDに入っています。 きみが生まれたこと きみが笑ったこと きみが夢みたこと きみと出合えたこと なんてささやかな なんていとしい日々 なにもかも きみがくれた かけがえのない プレゼント きみが愛するもの きみが失うもの きみを守りたくて なにも及ばなくて 深く澄みわたる ひとり見上げる空 そしていま わたしからの たったひとつの プレゼント I’m proud of you しあわせ 祈ることばにかえて I’m proud of you それだけ伝えたくて 何と言っても普通の子育てが1番難しいのです。ダウン症や障害を育てるほうが簡単なので、普通の子育てをしなければ、ダウン症や障害がたっぷり育ってきます。普通の子育てがなぜ難しいかと言うと、親も学び成長しなければならないからかもしれません。人間の子育ては本能ではなく学習が必要です。昔はいろんな人が関わってくれたコミュニティがありましたけど、今はコミュニティがないことも、親御さんへの負担になってしまう。だからこそ、こういう親の会で相談にのってもらったり、話したりという環境はとても重要で、親の会が親の成長の場となればいいなと思います。 発達は、うながそうと頑張るとかえって障害が育ってしまうのです。それは、幹線道路を作るようなものなのです。幹線道路を作ってもバイパスがなければ、そこが行き詰った時にはどうしようもなくなってしまう。今までいろんなことができたのに、思春期以降にできなくなることがあるのですね。今までは言われた通りにしていれば良かったのだけれど、思春期ぐらいになって、ハッと自分に気づくのですが、親にも逆らえない、反抗の経験もない子はどうしていいかわからず心を閉ざしがちです。親の言うことをとてもよく聞く子(いい子)には気をつけなければいけません。そういう子は、人の顔色を上手に見て行動を決めていて「これができるからやりなさい」と言われるのに応えられる力があり、その通りに受け入れて伸びてきたのですが、自分の持っている「核」というものは育っていなかったのでしょう。幼い段階から、自分の自立心や個性が育っていなくて、人に合わせて生きていても、それはメッキみたいなものです。メッキというのはだいたい思春期ぐらいになるとポロポロ落ちてきて、もともとの幼かった自分が現れてくる。それが「退行」と言われているものではないかと思っています。 しかし子どもには多くのことを教えていかなければなりません。特に、良いこと悪いことは理由も含め、理解できるようなかたちで教え、毅然とした態度で接することが必要です。そうしないと、この人たちは周りがどう反応するか試すのが得意技で、「この人はこの程度でいいんだ」と思うとちゃんとその通りにしますが、それはその子の将来に大きな損失になるでしょう。 適切な教え方は子どもの気持や考えを知らないとできません。例えば、叱るときに叩くと、大人の思いと反対に「叩いていいんだよ」と教えていることになります。ダウン症の子ども達はとても気が回る、つまりおせっかいですから、他の子が悪いことをしたら注意します。その時に、お母さんがやったように注意します。もしもお母さんが子どもを叩いていたら叩くでしょう。そうすると叩いた方が怒られる。本人は「それって変、向こうが悪いことをしたのに、どうして叱られるの?」と思い混乱するでしょう。 それから、「ノー」をしっかり「上手に」言えることは大事です。お母さんがダメダメとだけ言っていたら、子どもはダメという言葉だけ覚えます。それにただ「ダメ」「イヤ」と言い張るのは幼児の段階です。学校へ行ったら、できるだけ上手に「NO」と言ってほしいものです。中学生になったヨウちゃんという男の子の話ですが、先生が他の子に「ちょっと手伝って」と言ったとき、その子が「ヨウちゃんも一緒に行く?」と言ったら、彼が「僕は本を読むから行かない」と言ったそうです。お母さんも先生もとても喜ばれました。ヨウちゃんは、小学校の低学年のときはチョロチョロ動き回っていました。お母さんが「いつになったら落ち着くんでしょうか?」と言われたとき「高学年になったら落ち着くのじゃないでしょうか」と言ったら、本当に落ち着きました。お母さんは、「自分の気持ちをきちんと表現できるように育ててきたのが実を結んだ」と言われていました。 子育ての目標は、社会に向けてきちんと大人として行動できるということ(良き市民となること)ではないかと思います。そのためには自分が自分の主人公になれるということが大事なのです。大人で問題がおこっている場合を見ますと、自分が自分の主人公でになっておらず、親が子どもの主人公になっていて、さらに親も自分が自分の主人公でなっていない、つまり誰が誰の主人公なのかわからないので皆居場所がないことがほとんどです。自分が自分の主人公になるためには時間がかかります。その時間が必要なのです。それに発達が遅いということは、ゆっくり時間をかけなくてはいけないというメッセージでもあります(発達障害のある子だけでなく、一般の大人も発達は遅くなっています)。 ダウン症の人たちは、とても思いやりがあるのですが、思いやりがおせっかいになってしまうこともよくあります。他の人がやってほしくないことでもやり、うっとうしく思われることがありますから、他の人がどう思っているかということも教えていく必要があります。世の中は優しく親切にすればいいってものじゃないということも知らなければいけません(これは一般の親切心豊かな子も同様ですが)。 幼児期には感覚(極端に言えば五感)と感性を育ててあげることが一番大切です。しっかり見る、しっかり聞く。それから、触わる、嗅ぐ、味わうこと。特に、においが何かということは、日本であまりやられていません。醤油のにおい、ソースのにおい。生活の中で、自然に、言葉にも出して話題にしてほしいです。五感はすべての生活の基礎です。それなしに学習に入っても効果は薄いでしょう。 子ども達には、好奇心や自律心の芽を摘まないようにしながら、よくない時には毅然とした態度でというと難しいとよくいわれますが、これは普通の子育てにすぎないのです。つまり普通の子育ては容易ではありません。人間一人を育てるのですから易しいわけはないのです。それに障害を含め、一人ひとりの特性に応じて育てていく必要があります。ですから人間の親には学びが必要で、我が子の専門家になっていただきたいと思うのです。ここに来られた方々も学ぼうという意欲に燃えておられるのは素晴らしいと思います。 障害をもっているお子さんの苦手に「つなげていく」があります。一つひとつの点を療育訓練で大きくしても、それがつながっていなかったらどうでしょう。使われなくなったときにしぼんでしまいます。大人になってから、しぼんでいる人がいっぱいいます。あんなに出来たのになぜと思われますが、その最大の原因は、つながりと自分の核の欠如と思います。この問題が深刻にならないようにするためには、周囲の人は彼らの苦手な点をちょっとおぎなってあげるだけでいいのです。手をかけすぎると発達を抑えてしまいます。骨折り損のくたびれもうけです。 子どもたちは、成長すると自分と他の人との共通面と相違点に気づきます。早くわかる子もいるし、遅くわかる子もいるし、人と違うことで劣等感を持つ子も大勢いますが、できると優越感だけもってしまう子もいます。親が、我が子はまだわかっていないと思っても、不安を外に出していないだけなのです。親を心配させたくない優しい人達ですから。彼らが、自己主張し、ぶつかり合い、失敗しては学び、協調し、それを繰り返しながら、状況判断し自分をコントロールする力を得て他の人や物事をどう受け入れていいかを学んで、大人になっていくのを援助・支援することが重要です。 発達支援において(最近は療育より発達支援の言葉が使われるようになっていますが)一番大事なことは、発達を促すことではなく、バランスのとれた発達ができるよう手助けすることです。 例えば、買い物に行くときに、どこで買うか、何を買おうか、どう行くか、途中で気をつけること、お店のどこにあるか、買うものを選ぶ、挨拶をする、必要なもの以外は買わない、お金を出して払う、お店では遊ばない、手伝って貰ったらお礼をいうとか、必要なことはつながっています。帰ってきてからは、袋から出してどこに入れるか、食事を作って、食器を並べ、きれいに食べる、後かたづけをするとか、やるべきことがありますね。食事に関することでも、そのようなつながりと広がりが思いつくでしょう。『はじめてのお使い』というテレビ番組に、以前、ダウン症の子が出たのですが、ご覧になりましたか?5才の、就学前の女の子でした。お母さんが、買い物に行くのに、何回も行ってみて、時間をかけて一つひとつ教え、それから一人で行かせたのです。言われたことは全部こなして、そのうえ、お父さんの好きなエシャロットも買ってきていました。お買い物の前に「お友達のところにこれを持っていって」と言われていたのも、それもちゃんとこなしていました。お母さんは、今まで無理と思っていたけど、やればできることがわかったと言っておられました。反対に、親の言っていることをそのまま言っているだけで、一見立派そうに見えても理解しているわけでなく、自分というものがない人も少なくありません。すごくしっかりした20代の人で、難しい言葉を使い、文章も正しく読み書きし、漢字もよく知って正確に書けて、メールのやり取りの文章もしっかりしていて、まるで大人みたいにして何でもわかっていると思っていたのが、25才で初めて一人でお使いに行ったというのでびっくりした例があります。あまり立派なメッキだったので、家族も周囲の人も、何もおかしいとは思ってなかったのです。 (スライド)私のよく知っている成人達をご紹介させてください。まず、職人さんで働いている青年。お母さんのそばにいると子どもっぽくなるけど、仕事をしている時はしっかりした大人です。 次に静岡県の保健所でやっている幼児教室にボランティアで来た女性、「赤ちゃんは首をこうして抱くのよ」と新米ママに教えてくれました(この方は、読み聞かせをしていて静岡新聞に出て、JDSニュースの表紙にも出た町田望さんです)。それから、河内さんの娘さん夏木さんは、静岡のこども病院でのグループ外来のボランティアに来て、子どもたちの世話をしてくれます。子どもたちは大人の言うことは聞かなくても、お姉さんの言うことなら聞いて歩く練習など素直にしていました。静岡では本人部会があって、将来を考える会の総会の時に本人部会代表(いま河内夏木さんですが)が会の様子を報告します。それから 喫茶をやっている作業所で働いている女性2人の様子です。喫茶室が終わってから一人は経理の手伝いをやって、もう1人がアイロンをかけているのが外から見えます。単純作業でなく一連の仕事は張り合いになるでしょう。 書道家の金澤翔子さんをご存じですか?彼女の書はすばらしいですが、特に般若心経は驚きです。代々書道家で、家の中では般若心境は当たり前にあったそうです。彼女は5才の時から書いていて、意味もわかっているし、唱えられるそうです。だから書けるのですね。字は上手ですが、それ以上に自分の理想がしっかりあって、理想に向かって自分と闘ってるという感じです。他の人と比べて上手になりたいとかでなくて、自分としてこんなにふうにありたいと頑張っているので、辛いことも達成感で吹き飛んでしまうそうです。(お母さんは、ダウン症の書家と言われるのに抵抗を感じ、翔子さんに「ダウン症って知ってる?」と訊かれたところ、少し考えてからの答が「字が上手ってことかなあ」だったそうです) 人間が不安をいだくときには、いろんなリスク、つまり、あってほしくないことや、困った事があるのですが、それ以上の資源があれば不安は減少します。資源には、例えば、正しい知識、適正な情報をきちんと選べること、治療やケアを受けられること、人々の支え、自助・支援団体、社会の理解などがあります。 他の人に我が子の説明をする時、「どういう説明をしたらいいのでしょう?」と聞かれることがあるのですが、親御さんが子どものことをしっかりわかってなければ何も説明できないですよね。まず、正しい知識をきちんと集めて、我が子がどういう子か、どこがダウン症の影響かなど … 我が子のことを具体的に説明できなければ、社会の理解を得るのは難しいでしょう。 今はいろいろな公的なサポートも得られる。障害者自立支援法は問題だと言われていますが、でも、支援法ができる前は、障害者は人間扱いされてなかったのです。とにかく措置で施設に入ればいいという時代から、そうじゃないんだ、地域で生活しなくちゃいけないんだという大きな転換があったわけです。支援法というのは、とても大きな1歩を踏み出したのに、資金がなくなってしまったのは、小泉首相が「福祉に金を使わない」と決めたために、支援法の資金がどっと減らされたそうです。そこから問題が起こったのです。支援法を全てつぶしてしまったら、障害者の人たちはまた暗黒に入ります(民主党が支援法を止めると言ってますが、どんな政策にするのでしょうか、良くなってくれればいいですが、混乱のなかで犠牲になる人があってはたまりませんが)。支援法の恩恵を一番受けるのは知的障害をもっている人だそうです。支援法の適用にならない人達が法律をなくして、その代わり介護保険と一緒にするようなことがあったら、知的障害のある人は社会のなかで生活できなくなるかもしれません。昔と同じような施設の中で虐待がいっぱいされているような状態に戻る可能性もあります。皆様は、お子さんが満足のいく将来を保証してあげられますか?それが可能になるには、充分な知識と情報をもって、社会変革のために声を上げていくことが必要です。政治も行政も、黙っているとおきざりにされてしまいます。せっかく良い子ども時代を過ごしておられるのですから、今後もずっと豊かな人生を送ってほしいです。そのためには会で、法律を含め、成人の生活の現状を知り改善策を考える勉強会などもされることをお勧めしたいです。 私なりに、さまざまな経験から、親の会はどうあってほしいか考えています。まず、我が子が社会の中で安心して生活していくためにあると思います。でも、我が子だけ良い生活を営むことはできませんので、障害を持った人たちの社会環境を改善することが第二。それから偏見に満ちた障害観を変革すること、この三つの柱で親の会は支えられるのではないかと思います。一生涯を地域の中で生活していくための支援は、一番理解している親が最初に動かなければ、他人はしてくれません。また、子どもは自立し親より長生きするのが孝行ですから、万一、親御さんが亡くなっても困らないようにしておくということも親の会の大事な仕事でしょう。 質疑応答へ |