京
都精華大学芸術学部専門講義:写真史
初期写真の諸相(図版入り)
以下の【】内の数字は、ジ
ル・モラ『写真のキーワード』における項目番号を示す
写
真の基本的な技術用語については、印画紙【005】、カメラ【015】、カラー写真【017】、現像【029】、潜像【063】、調色【073】、乳剤【079】、光【088】、引伸し【089】、フィルム【095】、フォーマット【105】、プリント【107】、レンズ【124】の項目を参照のこと
カメラ・オブスキュラ【016】は、
ルネサンス以来、
光学的な原理を利用した描画装置として使われる→フェルメール、カナレットなど
カメラ・オブスキュラの図解
1826年
ニ
セフォール・ニエプス、カメラ・オブスキュラに、光に化学的に反応する感光面
【020】を組み合わせることによって、世界初の写真を発明するも、実用化には至らず
ニエプス《窓からの眺め》
1839
年
ル
イ=ジャック=マンデ・ダゲールがダゲレオタイプ【069】を発明
科学者アラゴーがフランス科学アカデミーにて発表し、特許権をフランス政府が買い上げる
特徴=銀メッキした銅板に像を定着させる、一点限りの(焼き増しできない)イメージ
(左)《ダゲール像》 (右)《少女像》
*ダゲレオタイプの廉価版としてアンブロタイプ【003】やティンタイプ【074】が後に開発される
同年、イポリット・バヤールもダイレクト・プロセス【068】による
写真術を発明するも認められず
抗議のため、自ら水死者に扮したポートレートを撮影→ステージド・フォトグラフィ【055】
バヤール《水死者としてのセルフ・ポートレート》
同
年、イギリスにてウィリアム・ヘンリー・フォックス・トールボットが、カロタイプ
【019】を発明
*ネ
ガ=ポジ法【083】を採用し、ソルテッド・ペーパー・プロセス
【066】で印画=焼き増しが可能
→写真集『自然の鉛筆』(1844〜48年)を作成
(右)トールボット『自然の鉛筆』より (右)トールボットによる
ネガとポジ
*
トールボットは、先立つ1834年にカメラなしで写真を作成するフォトジェニック・
ドローイング【099】を開発している
トールボット《フォトジェニック・ドローイング》
1848年
フ
レデリック・スコット・アーチャーが湿式コロディオン法【036】を
開発
*
ガラス・ネガからアルビュメン・プリント【002】で印画する
1850年
ス
テレオスコープの製造開始→立体写真【121】
(左)ロンドン万博のステレオ写真 (右)専用ヴューア
同
年、マクシム・デュ・カンによる写真集『エジプト・ヌビア・パレスティナ・シリア』発刊→旅行写真【178】
(左)デュ・カン《ラムセス二世の墓所》 (右)《ラムセス二世大神殿の巨像》
1851
年
フ
ランス歴史的建造物委員会が、写真によって国内の重要な建造物を記録するミシオン・エリオグラフィックを組織
→建築と写真【030】
エドゥワール・バルデュス《ニーム、メゾン・カレ》
1854
年
ロ
ジャー・フェントンがクリミア戦争を撮影→戦争写真【064】のはじ
まり
フェントンによるクリミア戦争の記録
同
年、アンドレ=アドルフ=ウジェーヌ・ディデリがカルト・ド・ヴィジット【018】の
特許を取る
(左)《ディデリ像》 (右)《婦人像》
*ポー
トレート【114】→人の顔の諸相
ナ
ダールやエティエンヌ・カルジャによる〈個〉と〈内面〉の表象
1872年
イード
ウィアード・マイブリッジが連続写真を撮り始める。82年には、エティエンヌ=ジュール・マレイがクロノフォトグラフィーを開発
→運動
と写真【009】、科学写真【012】
マイブリッジ《レスリング》
マレー《クロノフォトグラフィー》