診療日記(2004, 6, 20更新)


この日記は、医院での診療の様子をお伝えするものです。ホームページを見て、受診した患者さんから、日頃の診察の様子や、医者がどんなことを考えているかがわかると、受診する時の参考になるということで、このコーナーを開設しました。



6月X日

台風が近づいているせいか、真夏のような暑さです。
クーラーをガンガン言わせています。
まあ、「言うまいと思えど、今日の暑さかな。」です。
「言うまいと思えど、京の暑さかな。」でもあります。

まあ、ここで急に寒さのお話。
いつもお寒いギャグばかり言っているので、医院の職員からは嫌われています。
それでも冷静さを誇るスタッフが時々間違えて、笑ってしまうので、やりがいもあります。

「言うまいとおもえどギャグの寒さかな。」
「ユーモアとおもえどギャグの寒さかな。」


江戸時代の狂歌などを思い起こすと、あれは低成長時代のレクレーションだなあと思います。
何しろ、お金はかからないし、みんなで楽しめるし、教養もためされるし。
色々ですね。




5月X日

今日やって来た患者さんは、色々と難しい質問をするので、困りました。
それで、しばらく聞いていて、「あなたねえ。わかっているかどうか知らないけど、私はあなたの質問に即座に答えられるほど、頭が良くないんですよ。」と言った。
瞬時に返ってきた答えが、「それは知っています。」
う〜ん。そうか、知っていたのか。
それなら、そんな難しい質問をしないでほしいなあ。
・・・・・




5月X日

今日は、大丸京都店で行われている『藤原新也の聖地』という写真展に行きました。
藤原新也という写真家には、刺激されるところがあるので、
雨の中でしたが、写真展を見ることができてよかったです。
若い頃から、現在までの写真を流れの中で見られて、
いつもながら刺激になります。
そこで、藤原新也のホームページがあることを知りました。
エッセーなどおもしろいので是非ご覧下さい。
特にメメント・モリのページなどよいですね。
リンクフリーらしいのでご紹介します。

実は、私は赤瀬川原平氏の路上観察学も好きなんです。
藤原氏の写真ばかり見ていると、ちょっと離魂体験しそうですので。
トマソンの方が安全なような。・・・
ということです。


5月X日

この連休は、どこにも行かず、人と会う他は本ばかり読んでいました。
久しぶりにフロイトの「精神分析学入門」を読み直しました。
古典と言われている本は、読むたびに印象が変わります。
それで、以前に読んだときは、本当のところが読めていなかったなあと思うのです。
今回気付いたのは、フロイトがこの本で、技法的なことに全く触れていない点です。
この本を読んで、療法としての精神分析を理解しようとか、理解したと考えたら、まったくの誤解だなあと思いました。
それにしても、フロイトが留保しているところと、断定しているところの区別がここまではっきりしているとは驚きでした。
誤解をまねかないように、細心の注意をはらっています。
治療可能なケースとそうでないケースの区別もはっきりしています。
やっぱりフロイトは天才的な人なんだなあと思いました。
でも、以前読んだときは、そういう配慮にはまったく気付きませんでした。
その点では、フロイトの考えている「入門」というのは、とんでもない高水準なのだと思いますね。



5月X日

イラク戦争で、ファルージャが大変なことになって、
気になっていたのですが、ホームページにファルージャ・リンクを作ったら、
とたんに米軍が撤退に決まったようです。
自分で言うのも何ですが、どうも私は
反応が遅いなあと考えています。

それにしても、毎日インターネットを見ていますが、
まず見るのは、イラク情勢ですね。
ここ一年以上はそんな感じです。
さて今日は、インターネットでこんな画像を見付けました。
イラクでの戦死者の写真を組み合わせて作った
ブッシュ大統領の顔です。
いろいろと想像力を刺激しますね。
それぞれの戦死者のデータはこのページで見ることができます。
でも、一人一人を識別するのはよほどの根気がないと難しいですね。


ファルージャが一段落したと思ったら、
今度は、イラクの刑務所での虐待が問題になっています。
刑務所の責任者だったのはカルピンスキー准将という女性なのですが、
どんな人なのかなあと考えて、リンクを見ていたら写真がありました。


 

かなりおっかない顔の人ですねえ。
単に怒っているだけなんでしょうかね。
それともこんな人でないと、アメリカ軍の中では出世しないのか。



4月X日

医院の隣は、ドジハウスという喫茶店です。
その隣が、動物病院になっています。
その動物病院は窓ガラスに緑色が使われています。
その点は、私たちの医院と同じです。
それで雰囲気もちょっと似ています。
ときどき、犬やネコを抱えた人がやってきて、自動ドアが開くと同時に、「このワンちゃんに予防注射をしてもらえますか。」と聞いたりします。
待合室に待っている患者さんもみんなびっくり。
それでも、最近はそういう訪問者にもだいぶ慣れました。
最近は、「動物病院は二軒隣です。」などと言うのにも芸がないなあと思うようになりました。
「当院は人間専門です。」では、ありきたりだし、何かセンスあふれる答え方はないものでしょうか。
読者のみなさんのアイディアを募集します。




4月X日

最近医院を受診した患者さんの年齢別構成を調べてみたら、圧倒的に若い人でした。
どういうことなのか、色々な見方があると思いますが、私には今の時代が、若い人にとって生きづらい時代なのだと感じられます。






4月X日

通勤途上に交番がある。
朝にはお巡りさんが立っていて、その前を小学生が通る。
子供たちが通る時「おはようございます。」と頭を下げる。
お巡りさんは軽く敬礼して、頭を下げる。
爽やかな朝の光景だ。
今日も同じ光景だった。
いつものように、小学生がお巡りさんに「おはようございます。」
と、その時、小学生の一人がお巡りさんに「チャック開いてます。」
お巡りさんが自分の股間を反射的に覗いた瞬間、子供たちは「ワアー」と走って行った。
警官をだますなんて、恐ろしい子供たちだ。




4月X日


医院の前の歩道が、三色のコンクリート煉瓦敷きとなりました。
ちょっと、おしゃれです。
こういう煉瓦敷きの歩道は、最近色々なところで見かけます。
私は、その煉瓦の模様がどうしてデザインされるものなのかこれまで疑問に思ってきました。
下書きがあるのか、偶然のパターンなのか。
今回は、その謎を知ることができました。
担当のおじさんは、三つの色の煉瓦を7〜8個積んで、その山から無造作に、ランダムに選んで、並べていくのです。その様子を見て、そういうことだったのかと感心しました。
日頃の謎が解けるというのは、気分の良いものです。
まあ、あまり大した謎ではありませんでしたが。




4月X日

はじめて、少年鑑別所へ面会に行きました。
患者さんには色々な人がいるので、色々な行動を取らないと行けなくなるのです。
それで、こんな仕事をしなければ、とても行けそうもないところへ、行くことになります。
これまで、拘置所や刑務所、少年院などに面会に行ったことはありましたが、少年鑑別所は初めてでした。
拘置所や刑務所との違いは、面会室に仕切が無くて、直接面会相手とテーブルをはさんで話せるという点です。
多分、拘束しているという雰囲気を減らすためなのでしょう。
ただし、面会中には面会室に鍵をかけてしまうので、外へは出られません。
窓もないのです。
プラスチックの板を隔てて話すという不自由さはありませんが、部屋に閉じこめられるのもなあと思いました。
でも、未成年者を対象としているということで、色々と工夫はしているんだなあと思いました。
面会室の隣は、待合室です。
大きなドリンクの自販機があって、モーターのぶんぶん言う音がしていました。
最初はうるさいなあと思いましたが、面会室の中での話が、その音に邪魔されて、よく聞こえません。
なるほど、防音効果をかねて、うるさい自販機が置かれているのか、そう気付きました。
やあ、なかなか配慮して居るなあ。
それとも古い自販機で、単に、うるさいだけなのか???





3月X日

待合室での患者さんの会話を聞きました。
「精神科医は楽だなあ。『あせらずに。』『ぼちぼち行きましょう。』『無理したら駄目です。』それだけしゃべれたら、仕事になるんだからなあ。」
本当に、それをわかってもらえたら、こちらの仕事の半分以上ははたしていることになるんじゃないかなあと思いました。





3月X日

最近、どういうわけか、またメールにウイルスが送られてくることが重なっています。
怪しげなメールは中身を見ないで、即削除しています。
アンチウイルスソフトを使っているのですが、どうも自信がありません。
以前、知らずにウイルスソフトを開けてしまい、結局HDを全部交換したこともあります。
さて、医院で使っているパソコンにウイルスがやって来て、削除するつもりが、開く方をクリックしてしまいました。
段々、パソコンがおかしくなり、とうとうわけのわからない動きをするようになりました。
リカバリしようとしましたが、操作に反応しません。
HDの読み込み段階で、F2ボタンを押しても反応しません。
おまけにスキャンすると、不良クラスターがあるというのです。
面倒なので、電気屋に持っていって、HDの交換を頼みました。
データもすべて消しての上です。
ところが見積もりで45000円だというのです。
その値段なら、YAHOOオークションで中古の同じパソコンが買えるではないか。
かくて、やめたということで放置しておりました。
ところが、知人にパソコンに強い人がいて、見て上げましょうと見てもらったら、F2ボタンの押すタイミングの問題だったことがわかりました。
それで、リカバリ成功となり。
無事、パソコンは動くことになりました。
パソコンメーカに勤めている人に聞いたら、
メーカーの検査室などあてにならない、少し詳しいパソコン好きの方が頼りになるとのことでした。
専門家というのは、思ったほどでもないのか。
そういうわけでした。
精神科医ももしからしたら、少し詳しいアマチュアより頼りにならなかったりして・・・。

そういうことが無いように、努力したいものです。



3月X日

先日、面接中に怒り出して、私をほしいままに罵った患者さんから、謝罪の手紙が来ました。
「失礼の段、お許し下さい。」
 (そうなのか。)
「私は先生が大好きです。」
 (それは知らなかった。それならあんなに怒るなよ。)
「人間的にです。」
 (そうなのか。)
「動物的にです。」
 (えっ!!)
「だって、たぬきみたいですもの。」
 (うーん。ほめているのか、けなしているのか。)




3月X日

最近、ホームページの更新がないので、体調が悪いのか、忙しいのかとお問い合わせが多い。
「どうせ内容がないから、あまり見ていませんが、それでも更新がないですね。」
と、だめ押し。「早速、今夜更新します。」などと言ってから、もう一週間。
しゃべった人ももうあきらめているかも。
なんだか最近疲れがたまって、ホームページ更新どころではありませんでした。
ちょっと、忙しすぎたかなあ。
4月からは、少し仕事を減らす予定です。
ただし、ホームページを更新できるかどうかはわかりません。




2月X日

日曜日を利用して、マグマグ通信の03年11月〜12月、04年の1月分をアップロードしました。
これはリラックスコ−ナーに載せました。
「『西遊記』を考える」という文章を、院長の横顔のページの万休の部屋というコーナーに載せました。
興味をもっていただけるかどうかわかりませんが、ご紹介しておきます。
専門外の文章を書いても、どこにも発表できないのが残念です。
専門分野には、それぞれルールがあるので、そのルールに則っていないと、雑誌には掲載されません。
学術論文でも、書いたけれど、没になったものがかなりあります。
掲載不可となると、めんどうくさくなって、書き直しする気がなくなってしまって、
お蔵入りです。
半年ぐらいして、気を取り直して書き直すこともありますが、最近は仕事も忙しくて、
文章を書く気力も衰えています。
まして、書き直しする気力も出てきませんね。
西遊記の文章も、どこかに載せようと思ったのですが、あてがはずれて、
ホームページで公開することにしました。
読まれた方はどう思われるでしょうね。
自分では結構おもしろいと思っているのですが。




2月X日

まだ、医学部の学生だった頃、内科実習の時間に、
ベットに横になっている患者さんを前にして、
「この患者さんの心臓の位置を打診で、調べてください。」
と指示された。
左の中指を患者さんの左胸胸に当てて、右の中指でトントンと叩いて、その音の響きの変化で、心臓の位置を調べるのである。
「さあやってください。」と言われて、やり出したが、音の変化がない。
これはおかしいと繰り返す。
周りの学生も私の指先を見ている。
緊張が次第に高まっていった。
私は思いきって言った。
「ありません。心臓がありません。」
指導の先生が言った。
「馬鹿!心臓がない人間が生きているか。」
周りの学生もみんな笑い出した。
しばらくして、先生が言った。
「そうなんだなあ。この人の心臓は左にはない。つまり、内臓がすべて右左逆になっている人なんだ。人間の心臓がいつでも左にあると思うと大間違いだ。まず、触診して、拍動の位置を調べるのが基本だ。わかったか。」
私は、その先生はなんと意地悪なんだろうと思った。
教えてくれれば良いのに。
しかし、恥をかいたおかげで、右に心臓がある人もいることがわかった。


先日、ある女性の患者さんが3週間ぶりに受診した。
名前を呼ばれて、診察室に入っていた様子が、いつもとどうも違う。
雰囲気がおかしい。
髪型も、服の趣味も微妙に違う。
しかし、顔は同じだし。
女性は3週間で人間が変わるのか。
それとも、解離性同一性障害なのか。
もしかしたら、わたしの記憶がどうかなったのか。
めまいがするほど、混乱してしまった。
なんと言えば良いのかわからないままに、適当に動揺を隠しながら
話をしていくうちに、謎は解けた。
彼女は双子だった。
お姉さんの代わりに妹さんが受診したのだ。
心臓が右にある人に出会ったときのようにびっくり。





2月X日

ある会合で、「三度の飯より、ミーティング」という言葉が語られました。
患者さんを含めた集まりでの考え方のことです。

私は、「三度の飯より、寒いギャグ」と考えました。
ミーティングでは、どうしてもしゃべりの上手な人が目立ちます。
口の下手な人は、出番がありません。
それにくらべ、お寒いギャグなら、笑うこともできるし、眉をしかめること、聞かないふり、色々な関わり方ができます。
やっぱりお寒いギャグが良いと、おやじギャグ擁護の旗色が鮮明となりました。

それで、以前病院で働いていたころのことを思い出しました。
私があまりにもお寒いギャグばかり言っているので、
とうとうある患者さんが
「先生みたいな馬鹿な人が、どうして医学部に入学できたのですか。裏口ですか。」と言いました。
私は、とうとう馬鹿と信じるしかないほどの、お寒いギャグを言えるようになったのかと、満足しました。
でも、後で聞いてみると、その患者さんは、冗談ではなく、本当に私を馬鹿だと思ったようなのです。
こりゃ、薬の効きすぎだ。
とほほ。





2月X日

ある女性患者さんが段々元気になってきて、顔色も良くなった。
「最近は表情も明るくなって、元気になりましたね。」というと、その患者さんがこういった。
「最初に受診した時、すっぴんだったのですよ。
急にお化粧して来たら、先生がびっくりするので、少しずつメイクをして来てたんですよ。
今でもお化粧を落としたら、先生は、『こりゃ、悪くなった。』とびっくりするでしょうね。
先生は、女性のことなんかちっともわかっていないのですよ。」

そうだったのか、表情が明るくなったと思ったのは、お化粧が増えていただけなのか。
「う〜む。」

でも、お化粧をする気になったというのは、良くなっていると言うことではないのか。??
聞いてみると、「じゃあ。そういうことにしておきましょう。」
そう慰められて、わたしのプライドもかろうじて、保たれました。
めでたし、めでたし。




1月X日

イラク戦争以後、イラク国内は大混乱が続いているらしい。

フセイン政権下では一種の社会主義状態で医療は基本的に無料に近かったらしい。
米軍占領下で、そういうシステムが崩壊して、薬代は10〜30倍に上昇した。
失業者も多く、失業率は60パーセントにも上る。
当然、薬を手に入れられなくなる患者も多い。
高血圧、てんかんなど薬の中断が深刻な事態を招く患者が、放置されている。
おそらく、精神障害者にとっても、深刻な事態が起こっていることだろう。
インターネットのそういう情報を知った。
阪神大震災のとき、薬を手に入れられなくなった、障害者への援助が問題とされた。
同じことが、イラクでも起こっているのだ。
さて、そういう事実を知っても、何をどうすれば良いのかわからない。
無力感といらだちを感じてしまいます。


詳しく知りたい方は、下記をご覧下さい。
http://www.irinnews.org/report.asp?ReportID=39076&SelectRegion=Iraq_Crisis&S



1月X日

半年ほど前、医院の開院5周年のパーティを行いました。
その時、私はもみあげの付けひげならぬ、つけもみあげを貼り付けて、「イェ〜」などと踊ったりしたのです。なかば、やけくそですね。
ところで、今日、外来に来ている患者さんが、
「実は、ここ半年考えてきたのですが、どうしてもわからないので聞きます。パーティの日に、先生は何故、味付けのりをほっぺたに貼っていたのですか。」
と言いました。

「ウ〜ン」

ともかくわかったのは、私にはもみあげが似合わないと言うことです。
でも、どうして聞くのに半年もかかったのでしょう。



1月X日

保健所に行ったら、保健師さんが「13才のハローワーク」という本を読んでいました。
ちょっと見せてもらいました。
中学生が、将来の職業をイメージしてもらうための本らしいです。
村上龍という人が書いています。
職業が色々な角度から取り上げられていて、医者はどこなのかなと思ったら、世のため、人のためになりたいという項目ではなくて、身体に興味がある人の職業でした。
内容には、医者が高収入の代名詞のような時代は終わったと書いてありました。
精神的にも肉体的にも大変な職業であるというのです。
なるほどと思いました。
分類には、けんかが好きな人、エッチなことが好きな人の職業までありました。
「あれ、エッチなことが好きな人という欄もありますよ。」
保健師さんは「それはおもしろそうですね。」
さっそく開いてみました。
すると、エッチなことが好きな人は、人とコミュニケーションを取りたがっているのかもしれないので、精神科医などが良いと書いてありました。
「えっ・・・・ う〜ん・・・」
「先生、何て書いてありましたか?」と保健師さん。
返事は、「はあ、  あの その・・」
保健師さんがそのページを見て、大笑い。




1月X日

京都大学医学部精神科の開設百周年のパーティがあったので、参加しました。
最近は、お酒を飲んで騒ぐのも、煩わしく、なるべくそういうたぐいのものは参加しないのですが、100周年のパーティならと思って出てみました。
先輩諸氏の白髪姿に驚き、同輩の年齢相応の様子に、自分もかくあるかとショックを受けました。
大先輩の中には、亡くなった方も多いのですが、先輩の老人化にも驚きました。
うかつと言えばうかつと言えますが、定年退職の方も多く、自分の番もすぐそこだと感じてしまいました。
わたしも医者になって、もう30年になります。
やっと最近、どんな患者が来ても、対応できるようになったかなと思い出した頃なのに、もう定年かいという気分です。
対応できるというのは、治せるという意味ではなく、自信をもって、自分の手には負えないと判断できるという意味ですが。
それにしても、やっと入門したかなと思ったところで、出口はあそこですと示されたような気分です。
禅宗のお坊さんなどで、死ぬときに揮毫する人がいて、「夢」という字が多いそうです。
それを、なるほどなあと思いました。




1月X日

菊池恵楓園に入所されている方からの年賀状に、
「一泊の里帰りさえ望めぬか 温泉ホテルは 友らを拒みぬ」
という短歌が書かれていました。
新聞報道などでもご存じだと思いますが、今だにハンセン病への偏見が存在して、宿泊を拒否したホテルがあったのです。
かって、同じような体験をした人の話を聞いた、学生達が、
奈良市内に交流の家(むすびのいえ)というハンセン病回復者の宿泊施設を作りました。
私も何度かそのに宿泊しました。
この施設は、地域住民の反対運動が起こって、建設中の建物を一度解体し、住民の説得を行いました。
やがて、そのねばり強い行動に、住民も了解し、建設が再開されたのです。
それはもう、40年ぐらい前のことでしょう。
時間が経っても、偏見が残っているのに驚きます。
それと同時に、ねばり強い活動を続けている人々の存在にも、強い印象を受けました。
精神障害に対しても、強い偏見があります。
医療が発展し、時間が経てば偏見が無くなるかというと、そういうことはないと思います。
偏見を是正しようとする動きによってしか、偏見や差別はなくならないと思います。




1月X日

毎年、沢山の方から年賀状をいただきありがとうございます。
特に、病気が改善して、もう通院されていない方から、様子を教えて頂くと、とても感激します。
病院に勤めているときは、通院しなくなった患者さんのことを、もう良くなったのかなと思っていて、何かのついでに、別の病院へ行ってみると、「ああ、先生!」と呼び止められ、「今は、こっちに入院しています。」などと言われたことがあり、受診していないことが、そのまま改善とは思えないことがあるからです。
外来が中心の方では、別の病院に入院しているというような、そういう極端なことは、そんなにないでしょうが、やはり元気にされているということを知ると、安心します。
治療に困難を感じた人ほどそういう感慨を持ちます。

治療を中断している人は、気になっても、なかなか様子を訊ねにくいものがあります。
治療を中断した人の中には、医院での治療に不満を感じてる人もいるので、不用意に訊ねると、「あんたストーカーか?」と言われてしまったりするのです。
一方で、どうなっているのか気にしていて、実際にも状態が悪くなっていて、助けを求めていたという場合もあり、なかなかむつかしいです。


元へ戻る