曼陀羅の臨床
(1)はじめに
もしひとりの人が、生まれてから死ぬまでに経験することすべてを、一枚の絵巻物にしてみるとする。それは巨大なものとなるだろうが、もしその絵巻物をクルクルと巻いて、一本の筒にして、望遠鏡を覗くようにして真ん中から覗くと、いったいそこに何が見えるか。その答えは、「そこに見えるものはマンダラである」ということだ。このことは、人間存在が時空を越えてその内部に孕んでいる、根源的な秩序があるということを意味している。そして、それは生命、物質、宇宙、を貫いているものでもある。
人間は、その秩序を深いところで感覚し、自覚している存在であるといってよい。生きているということは、その秩序を生きているということでもある。だから人間は、その秩序を常にくりかえしなぞっているのだ。しかし、それは生命の秘密でもあるから、その感覚が、意識の表面に近づくこともあるし、深い無意識の世界に横たわったままであることもある。
マンダラが自覚されるのは、多くは、あたかもその秩序が壊れ、拡散していくかのように思えるときである。つまり、深い危機の状態に置かれた時である。危機がさしせまってくるがゆえに、危機の底にも根源的な秩序が存在することが、意識にのぼってくるのである。つまり、マンダラを考えるという場合には、その背後に、崩壊しそうな秩序の建直しというテーマが存在してることが多いのである。このことを十分押さえておかないと、マンダラを取り上げるということが、一層の混乱と神秘主義への傾斜を生んでしまうだろう。
(2)生きられるマンダラ(食事のマンダラ)
マンダラというのは、個人の経験の中にしか宿らないのだが、その内容は個人的経験のわくぐみを越えたものでもある。個人の経験を離れて論ずると、本当の一般論になってしまい、その衝撃力がなくなってしまう。しかし、その個人の経験にこだわっている限りは、単なる経験の羅列の終わってしまうのである。それで私自身の経験から、マンダラの存在にせまってみたい。
ある、神経症の患者に自由連想法を行なっていたときのことである。その患者は、しばしば、食事の話をした。そして、その詳細な料理の内容を述べたのである。最初は、何気なく聞いていたが、やがてその食事の料理と、その時患者が取り上げている患者の精神的な問題とが、対応してることに気付いた。それはこういうことである。つまり、ミルクやお粥を話題にするときは、母親との一体感が問題であり、口唇期的な問題だと思えた。次に、卵、野菜、お菓子などが出ると、母親との対立や家族の影が現われ、肛門期が問題と思えた。そして、鳥や魚の肉が出てくると、父親の問題が現われ男根期の問題。牛肉、特に骨つきの肉、バ−ベキュウなどが現われると、それは性器期の問題というふうに思えたのである。やがて、自由連想の中で、患者が食物の話をすると、それに対応した話題が出るということが予想できるまでになった。そして、その話題は決して固定するとことなく、口唇期から肛門期へ、また男根期へと常にくるくると変化し発展していくのだった。このような現象が、すべての患者の連想にあてはまるとは思えないが、食物が、それをはじめて口にした時点での人生体験と強く結びつ いているらしいということが予感されたのである。
こういうとらえ方をしてみると、実は我々の食事というものも、一つのサイクルを持っていることに気付く。まず、乳児のころ、母乳や牛乳ばかりを取っている。それから離乳食となり、少しずつ固形物となっていく。やがて成人していく。時間が経つて、老人となると、少しずつ食物の好みも変わってきて、最後には、幼児のころの食事に似てきてしまう。こうして、人間が生まれてから死ぬまでに取る食事は、一つの山を昇ってまた下りてくるようなものであることがわかる。
そして、この見方をよく考えてみると、人が一日のうちで食べる食事も、一つのサイクルを取っていることがわかる。朝は、ほとんど人がご飯と味噌汁、漬物といったあっさりした食事を取っている。昼の食事は朝に比べ、いくぶんお腹のたしになるものだろう。本格的な食事と言えばやはり夕食となる。そして、夜食はあっさりしたお茶漬けなどとなる。このサイクルを人が一生にとる食事と比較してみると、同じようなサイクルを作っていることがわかる。人の一日は、食事のありかたに移し替えてみると、一生のアナロジーでもあることがわかる。
実はこのサイクルは、正式な食事にも同じように繰り返されているのである。フルコ−スの内容を考えてみれば、そのサイクルが容易に見て取ることができるだろう。
一回の食事というものは、その中に一日のサイクルがあり、また人の一生のサイクルが含まれているものでもある。このように、一つのものの中に全体があり、全体がまた一つのものを形づくっている。そして、一瞬の中に永遠があり、永遠は一瞬でもある。そのことが成立していることを、マンダラ的な構造と呼んでみたいのである。
以上は、時間軸の中でのことである。次に当然、空間軸のことに触れる必要があるだろう。食器の姿に注目してみたい。およそ、西洋の食器であれば、そのデザインが一種のマンダラ的なものとしてあるということは、すぐに見て取ることができるだろう。盛り付けられる材料も、中心をもって左右対象である構図に並べられやすい。特に、正式の食事や儀式的な食事にその性質はよく現れる。
食品の配列のマンダラには、中心がある。そして、その中心は、食品が食べられるということによって、食べた人の身体の中心と重なってくるのである。つまり、それらの食品は、食べた人の消化管にそって運ばれていく。その消化管は、中空の管である。口から肛門まで、中空の管である。その管には中心がある。そして、その中心の見えざる糸は、食品の並べられたマンダラの中心と重なるのである。食べられた食品は、そのマンダラの見えざる中心に引き寄せられていく。そして、この中心に近付くことによって、食品は消化され分解されて、簡単な要素に変わっていく。その結果、食品はその姿を、食べた人間の身体と区別できないところまで、変えてしまうのである。ここで、食べられたものは、人間の身体と外界の自然物の境のところにやってくる。このあわいの部分にいたることによって、食物は身体の自然の両方にまたがることになる。この融通無碍の変化を許すところ、そこにマンダラの中心を形作る一本の線は通じているのである。このことは、身体外にある自然と身体内である人間の身体が、自由に入れ替わる点を示している。
このように検討してくると、食事の時空間というものがマンダラをなしていて、一瞬が永遠であり、一点が全体であり、それが自他の境界を越えるものでもあるということが示されるであろう。食事を取るということは、このマンダラを生きるということなのである。
おなじようなことは、衣食住という人間の営為のすべてにあてはまるだろうし、セックスや誕生と死、また物の生産のレベルにもあてはまるものなのである。およそ、本質的な営為は、同じ事なのである。このように見ると、人間の営為の全体がまたマンダラをなしているだろうということは、容易に予想されるであろう。
(3)マンダラの顕在化
このようなマンダラというものが、たとえ潜在的であっても、その性質を常に明らかとして動いていれば、何も問題はない。しかし、時と場合によって、また誰かにとっては、このような性質が曖昧となり、拡散してしまうような事態が生ずる。それはきわめて危機的な状態である。そしてその危機状態において、潜在的だったはずのマンダラがその姿を図形の形をとって現われることがあるのである。
筆者がマンダラに興味を持ったのも、自分自身が中年の危機にあって、瞑想や宗教的な行を実践してみたことと大きな関連がある。それらの実践中や、その前後に宗教的体験をしたが、その一つとして目をつむると目蓋の裏に、幾何学的な模様が現われることに気付いた。それらを観察すると、一般にマンダラと呼ばれている図形に似ていたことから、マンダラに関心を持ち出したわけである。もちろん、筆者の体験したマンダラのような図形というのは、密教で使われるマンダラと比べるとはるかに単純で、とても同列に論ずることはできないだろうと思われるし、ユング2)がその精神的な危機状態で描いたといわれるマンダラとも比較にならない程度のものである。しかし、その内容が単純であっても、本質は変わらないだろうと思えたのである。そして、自分自身が体験してみると、マンダラというのは決して固定して静止したものではないと思えた。図示されたマンダラはマンダラ本体の影のようなものでしかない。マンダラは常に変化し脈動している。たとえて言えば、万華鏡を回しながらのぞいているようなもので、二度と同じ図形のマンダラは生じないのである。だから、真言密教で使われる マンダラの図形も、たとえ胎藏曼陀羅だとか金剛界曼陀羅と言ってみても、密教行者の観相するマンダラの一断面というほどのものでしかないだろう。絵巻物がマンダラを含もうとするように、マンダラは緻密化すると、その内部に絵巻物を含もうとする。そのことによって、マンダラは崩れていく。マンダラの形式を固定したまま、内容を豊かにしようとしても、それは不可能だからである。密教のマンダラにはその傾向がある。
精神科の治療でマンダラに直接出会うとしたら、それは絵画療法や箱庭療法の場面であると思える。特に箱庭療法の場面では、治療の転機にマンダラ状の配置が出現するということは、しばしば経験することで、取り立てて珍しいというわけでもない。よく観察すると、正常者の箱庭にはマンダラ的なものが比較的簡単に出現するが、その抽象度も低く、象徴的な力も乏しい。逆に言えば、治療が必要であるということは、マンダラの出現が困難ではあるけれども、その出現の時には象徴的な力が強く働くということでもある。このことは、色々なレベルでマンダラの成立する可能性があることを示唆していよう。治療的にマンダラが問題になるのは、心のより深いレベルでのものの関与が必要であるということになる。
箱庭療法の治療の経過の中でマンダラ的な配置のものがときどき現われて、そのたびに治療が進展していくということもある。その場合には、マンダラ的な配置が、箱庭全体に広がっていくとか、動きが出てくるとか、多彩な物や色彩が使われるとかの発展が見られるものである。中には、図形から「音楽が聞こえる」というような形に発展していく場合もある。つまり、そこには豊かさが増していくのである。
このような自発的なマンダラの出現は、治療的な転機になると言われている。しかし、マンダラの出現が常に改善を意味しているのではないということは、よく指摘されるところである。たとえば、分裂病の患者などで、病状の悪化の直前にマンダラが出現することがあるのである。そのために、マンダラさえ出現すれば、改善するというほど単純なものではないことがわかる。また、マンダラを外から促して描かせてみても、ほとんど意味がないとされるのである。この場合は浅いレベルのマンダラしか出現しないからである。悪化につながるマンダラは、言ってみれば最後の統合の試みであり、その内容も貧困なものが多い。この場合は深いけれど、統合の象徴としては力が弱いのである。単に形のレベルでマンダラを問題にしても限界があるということであろう。
しかし、筆者自身の体験を考えてみると、マンダラの出現を促すような試みのすべてが無意味であるとは思えない。宗教的な行などには、そのような指向性をもったものも存在するのであるから、その適応の可否についてなんらかの基準があるのではないかと思えたのである。こうした発想にたって、マンダラ様の図式に対する塗り絵を試みてみた。ここでは、その要点を紹介するに止めざるをえないので、詳細に興味のあるかたは直接論文4、5)にあたってもらいたい。
さてその塗り絵であるが、彩色前の元の図式としては、市販されているアメリカのデザインの本から、マンダラ的な中心を持った幾何学的な模様で、具体的な形態につながらないようなものを選んだ。彩色のやりかたとしては、いくつかのモデルを候補として選んでおいて、その中から選択してもらう方法をとった。彩色の材料としては、塗り重ねが可能なクーピーペンシルを主としてもちいた。この試みを拒絶する人はほとんどなく、ただ色をぬるだけなので困難を感ずる人も少ないようだった。すでに確立したマンダラとしての評価を受けているような図(チベットのマンダラやインドのヤントラ図など)を下図として用いると、彩色に困難を示す人が多かった。このことは、マンダラとして完成された図の場合は、それにかかわることに大きな心的エネルギーを必要とするからだと思われる。つまり、深さと豊かさのバランスにかかわるのであろう。
され、その結果として言えることは、ある種の人にとって、この図式がマンダラ的なものの発見へのうながしとなっているらしいということである。たとえば塗りおわった被験者の感想を聞いてみると、「絵全体が光っている」「絵にすいこまれそうだ」「宇宙的なものを感ずる」と言った言葉がかなり聞かれたことからもわかる。そして、これらの感想を述べた人は、それらの印象を自分の描いた塗り絵だけに感ずると述べたのである。中には、見ているだけでも見る人に、同じような印象を与える、強い力をもったものもあらわれたが、それでも自分の描いた塗り絵は特別なのである。このことは、色を塗るというかかわりによって、与えられた図形に対する関与が変わったからであろう。
中には、それぞれの色をそれまでの生活史と関連づけて述べた人もいる。「この色は、子供のころ遊んだひろっぱの色。この色は、就職した会社の制服の色」といった具合である。そういう人の場合ははっきりと、塗り絵が時間的な要素と、空間的な要素を統一したマンダラ的なものになっていると言えるだろう。そして、そういうとらえかたをする人が決して少数ではなかったのである。
塗り絵の色の選択、筆圧、塗り方の順序、などからその人の持っている色々の問題をうかがうことができた。そして、なにより、この試みを繰り返しみて、不思議なことだったのは、同じ塗り絵の結果は一度としてなかったことである。ひとりの人の経過を見ても、また色々な人の塗り絵を横断して見ても、同じものはないのである。
治療が進展していくと、彩色の色が鮮やかになる、筆圧が高くなる、動きが出てくるなどの変化が見られた。また、その変化はすでに述べたような脈動を示すのである。またそれは拡散と収縮、流動と静止を繰り返していく。このようなことは、一回ごとの彩色だけでは本人にも、それを観察しているものにも気付かれない。しかし、心の動きを示していると考えると、よくうなずけるものだった。このような感覚は、夢の分析をしていて、長期の夢の経過を縦断的に眺めてみるとき感ずる感覚ときわめて似ている。
つまり、マンダラ的な図式を与え、それに関与をうながすと、マンダラを生み出すような働きが比較的容易に誘導されるということである。種々の患者に用いたが、大きな病状の変化を示した例はなかった。このことは、治療的な意味は少ないというふうにも言えるが、一つの安全性を示してもいる。ただ、緘黙状態でその内面をうかがえないような患者が、驚くほどの鮮やかな色彩を使用したりして、その潜在力に驚かされた場合もあり、決して新しい発見を伴わないような試みではなかった。
(4)マンダラの臨床
マンダラというものを意識して臨床に従事するとどういうことがわかるのか。また、どいうことが可能となるのか。次には、そのことを問題にすべきだろう。
まず、これまでのまとめをするならば、マンダラというものは、形あるものによって作られるものであるのに、それ自身は本質的に形なきものであって、例えあったとしても不断に姿を変え、一瞬として固定しないものであると言えるだろう。形としてとらえられたものは、所詮一つの比喩であり、象徴的な表現にすぎないということである。マンダラというものは、時空を越えた、生命の本質、存在の本質、宇宙の本質、それが顕になったものと言うことができるからである。しかし、人間はその本質を知覚し、例え似姿であってもそれを表現しようとする指向性、傾向をもっているのである。そして、そのことに心引かれ、たとえその似姿であっても、それを求め、時にはその姿に神秘的な体験をするのである。
マンダラを意識するということは、治療者自身がそのような存在の本質に連なっているということを意識するということになる。またそれは当然、被治療者がそのことにかかわっているという意識につながるであろう。また、治療状況そのものが、それらの力の展開する場としてとられられることにもなろう。それは、簡単に言えば、面接室・治療室が、宇宙的な時空の中に存在しているという感覚から、かたときも離れないということでもある。面接室がマンダラに直結している、またはマンダラそのものであるということになろう。面接するということによって、マンダラを産み出している、マンダラを生きている。そういうことになる。これは決して知的理解ではない。身体まるごとの知恵であり、気付きである。
筆者自身は、そのような体験をより具体的なものとする試みの一つとして、治療者と被治療者がともに山へ登るという体験を試みてみたことがある。3)それは、日本に古来から受け継がれている山岳宗教の「行」に重なるものであろう。かって、山岳宗教の担い手であった山伏達は、山に入ることによって即身成仏をめざした。即身成仏というのは、この身そのままがマンダラになるということに他ならない。山へ入ることは、あの世への旅立ちであり、そのまま母体への回帰でもあった。誕生と死のかなたへ旅立つことでもある。たとえ条件設定が違っていても、日本文化の中に歴史的に受け継がれた遺産のたとえわずかでも共有できればなあと今は思っている。そして、筆者自身は、自分自身の感覚を磨ぎすまし、賦活したりするためにも、修験道の霊地と言われる大峰山の奥駈けに参加したり、比叡山の千日回峰の道をめぐったりもしている。
しかし、実践してみると、これは別に特殊な体験というべきでもないと思える。あの世が「草葉のかげに」あるという感覚を持てば、すぐここにマンダラはあるのである。沖縄では、ニライカナイ(あの世)は雨垂れの先にあるとか、鍋の底にあるとか言われるそうだが、そういう感覚は、みごとにマンダラ的な世界をとらえていると言えるだろう。こういう感覚の中で面接を行なっていると、患者の側から打てば響く反応が出てくるものである。6)その時の感覚をもし患者が表現しようとすれば、それは図形としてのマンダラの作成というようなものになるしかないだろう。しかし、本当に重要なことは、それらが図形として表されることよりも、むしろ患者自身の支えとして、心の中に刻み付けることであろう。つまり、充分マンダラを生きた面接や治療であれば、マンダラは潜在的なままで、表面には現れないままに終るだろうと思えるのだ。
このことに触れて一例をあげると、アニミズムをめぐる著作1)の中で、一種の神秘的な体験を重視しているという印象を受けた岩田慶治氏と話した時、氏が体験を検討する方法は決して神秘家的ではなく、学者としての合理主義者の立場であることを知ったことをあげてみたい。つまり、マンダラ的な世界は文章表現では表面に出てきているものの、現実検討の際には底に隠されているのである。やはりそのようなものとしてなければならないのだろう。
では翻って、マンダラに注目することが無意味であるかといえば、私はそうであるとは思わない。潜在しているものがなんであるのか、またなんでなければならないかを知っていることには、それ自身で大きな意味があると思えるからである。また、患者の提出するマンダラを支えるより深いマンダラが治療状況の底になければ、そして治療者自身がそのことに深く気付いていなければ、治療そのものが成り立たないからでもある。
ここで、最初の症例に戻ると、この患者が食物をめぐってマンダラ的な言動を示したということの背後には、この患者の母子関係の問題があり、それが深い分離不安を生んでいたからである。治療者は、この母子関係を支えるマンダラを治療の底に持っていなければならない。治療が始まるという事は、そのマンダラが動くということであり、治療者の心身はそのマンダラを生きるのである。治療者も患者もそのことを深く知っていながら、(治療者はいくぶん意識しており、患者は無意識に知っている)そのことが治療の表面に上らない、それが治療が進展していく力になるのである。
(文献)
1)岩田 慶治、「アニミズム時代」、法蔵館、1993、
2)C・G・ユング著、林 道義訳、「個性化とマンダラ」、みすず書房、1991、
3)塚崎 直樹、「『登山療法』についてー治療の転機に山へ登ること」、精神療法、16、239〜244、1990、
4)塚崎 直樹、「マンダラ様図形に対する彩色の試み」、芸術療法学会誌、22、90〜97、1991、
5)塚崎 直樹、塚本 安子、小林 亮太、「マンダラ様図形への彩色の試み(継時的観察)」、芸術療法学会誌、23、17〜23、1992、
6)塚崎 直樹、「精神科主治医の仕事」、アニマ2001、1993、