『さらば外務省!』(天木直人、講談社、2003)
私は天木さんを知ったのは、外国特派員協会での講演を聴いてです。
その話の流れ、言葉の響き、質疑への回答など、実に印象的でした。
その講演の中で、この本の出版の紹介がありました。
早速本屋を覗いてみましたが、売り切れでした。
たまたま、新大阪のキオスクに置いてあるのを見て、買うことができました。
今の時点では、もうどこの本屋にも出回っています。
新聞に書評も載りましたが、こんな熱い人がいるのかという賞賛の一方で、
いまだにこんな人がいるという揶揄に似た記事もありました。
昔風の政治に熱を込める人という紹介です。
本の帯に、小泉純一郎を許さないとか、政権交代をと書いてあるので、
この衆議院選挙向けに書かれたというか、売り出したというか、そういう営業方針を感じました。
この本の眼目は、在レバノン大使が、現地の情報を踏まえて、イラク戦争に対する日本政府の方針に対して、
アメリカ、イギリスへの追随は危険であるという意見具申をしたところ、解雇されたというものである。
政府の方針に反対する外交官は必要ないという判断である。
世界には色々な国があるのだし、それぞれの利害を持っているのだから、
それぞれの国に派遣された外交官が、その勤務地の国情に合わせて、意見を述べるのは当然だろう。
その内容が、時の政府の方針を合わないからと言って、一方的に解雇するとは驚きだ。
ともあれ、その事実の背景として、外務省の実態があからさまに描き出されたのが、この本の特徴である
さて、本の構成は、最初が外務省、外交官の実態の報告だが、いささか個人攻撃に類している。
それらを明らかにしないと、外務省の腐敗ぶりを表現できないのかも知れないが、読者目当ての気がした。
次に、外務省の金銭処理疑惑が報告され、最後で外交方針そのものの問題提起となっている。
結局、スキャンダルで人の耳目を引きつけて、根本問題へ目を向けさせようとする方針なのだろうが、
そういうことで本当に良いのかと考えてしまった。
外務省が、官僚的、自己保身的で、組織として完全に空洞化、腐敗していることはわかったが、
スキャンダルを突いていくことで、核心に迫れるのだろうか。
現在、衆議院選挙のまっただ中ですが、国の方針の大転換が、単なるムードと情報操作だけで、
行われることに大きな危機感を感じます。
その事に対決する武器が、本当に貧弱だと想います。
天木氏は外務省に『さらば!』と言って、次はどこへ行くのでしょう。
どこから出発するのでしょう。
なかなかに困難な課題だと想います。
そして、その同じ問いが、読者にも向けられていることを感じてしまいました。
(2003,11,7)
『宮崎勤裁判』(佐木隆三著、朝日新聞社、1997)
お盆休みを利用して、この本を読みました。
1988年から89年にかけて、四人の幼女が誘拐され殺害された事件の犯人として、89年8月に宮崎勤が逮捕されました。
この事件は、家族に遺骨が届けられたり、犯行声明や告白文がマスコミに送りつけられたり、異常な要素が多々あったのですが、犯人が逮捕されてみると、ビデオ収集家で家にこもりきりに近い、いわゆる「オタク」族であることから、時代風俗との関連で、社会の注目を浴びたものです。
その後、犯人の取り調べ過程での言動や、まったく罪の意識が感じられないことから、精神障害の可能性を疑われ、本人の責任能力が裁判の争点になりました。
この本は、作家・佐木隆三が一審の公判すべてを傍聴して、その過程を詳細に明らかにしたものです。
弁護団は事実関係を争わず、被告の理解しがたい言動を解明することを、裁判の目的としたので、精神鑑定が、重要な役割を演ずることになりました。
弁護側の精神鑑定請求の目的には「被告人の刑事責任能力の鑑定という精神鑑定の目的を超え、二度とこのような悲惨な事件を起こさないための方途を、国民の前に提示する必要がある」と述べられています。
さて、この裁判では、精神鑑定を巡って、三つの見解が出されて、注目を集めました。
精神鑑定の結果を見て、判定結果が人によって分かれるのでは、精神鑑定は非科学的で信用できないと言う議論が出ました。
一人の精神科医が鑑定結果を公刊するということも起こりました。
ところで、鑑定結果を巡る議論を読むと、精神科医はこれらの犯罪がいかなる精神状態で行われたかを問題にして、犯罪の背後にある被告のこころの動きを十分にとらえているとは思えません。
つまり、被告にどのような罪を与えるのが妥当かという、責任能力論に議論が集中して、被告のこころの動きを十分描き出すこと、専門家として観察することに成功しているとは思えないのです。
もっと言えば、精神科医は診断と「責任能力」には関心があるものの、「二度とこのような悲惨な事件を起こさないための方途」にはあまり関心がなさそうなのです。
というか、そういう事を考えるような仕事をしていないといった方が良いのかも知れません。
このことはこの本を読んで考えさせられたことです。
精神鑑定が、三つの結果に分かれたという事実の詳細を初めてこの本で知りました。
第一次鑑定は慶応大学の保崎秀夫ら6人の共同鑑定です。
結果は人格障害と拘禁反応で、完全責任能力と判断しています。
第二次鑑定は、帝京大学の内沼幸雄、東京大学の関根義夫、中安信夫の三人による鑑定です。
二次鑑定は意見が分かれ、内沼、関根は反応性精神病と判断しました。
注目すべき点は被告を多重人格者と診断した点です。
これに対し、中安は精神分裂病と診断しました。
しかし、二次鑑定では被告の責任能力を心神耗弱とはしたものの、免責の程度は軽いと判断しています。
三者はそれぞれ相互批判しているので、大きな対立のように見えますが、細かく読むと、一般の人の考えるような円、三角、四角と言った違いではなく、同じものを見ても、そのニュアンスに違いがあるという程度のものだと思います。
そもそも、精神科の診断というものは、治療計画を立てていく上での見立てのようなもので、何に力点を置いて治療を進めていくかの、出発点での判断を示すものです。
治療の中で、見立ては次第に変化していきます。
ですから、どういう見立てから出発しても、最終的にはだいたい同じような方向へ向かうと思います。
そういう意味では、一般身体科の診断の違いとは、示しているものが異なります。
三人の診断が違っても、心神喪失だと診断した人はいません。
ただ、精神鑑定の場合は、治療によるフィードバックがないので、出発点の違いが、あからさまになってしまうのでしょう。
宮崎勤が精神的な問題を抱えているとして、彼を治療できる人がいるのでしょうか。
おそらく鑑定に関わった人が、積極的に名乗り出るとは思えません。
鑑定書の中には、治療意欲を感じさせる部分はありません。
本来精神鑑定とは治療を想定したものではありません。
しかし、では誰がやるのか。たぶん名乗り出る人はいないでしょう。
ここに、精神医学、医療の現時点での限界が示されていると感じます。
(2003,8,16)
『精神科医はいらない』(下田治美、角川書店、2001)
精神医療は、統合失調症の治療をモデルとしている。
その治療法、リハビリの方法については、ほぼ確立したものが作られている。
ところが、その実施のために資金を提供する社会的同意が行われていないために、患者、障害者の多くは、何がなされるべきかがわかっていながら、放置されている。
ところで、精神科を受診する人すべてが、統合失調症のモデルで治療できるかというとそうではない。
医学的に分類しがたい、病理というものも存在する。
現在、ボーダーライン、不登校、引きこもり、家庭内暴力、摂食障害などと呼ばれている状態の多くが、それである。
そうした病理、困難な事例に対して、精神科医の態度には三つの立場がある。
一つは、それらの病理を無理やり、過去の疾病概念を当てはめ、関わろうとするものである。
もう一つは、過去の疾病概念に当てはまらないのであるから、治療対象としないという態度である。
最後に、治療を求めてくる患者や家族の要請に合わせて、疾病概念や治療法の開発を行おうとする立場である。
この本に扱われている例は、ほとんどが一番最初のケースである。
そこから、一足飛びに精神科医はいらないと発想するのだから、乱暴な話である。
もちろん、一番のような横暴な精神科医のやり方は批判されるべきだが、そういう姿勢では、困っている患者や家族に対して、「それは病気ではないから、関われません。」と言って、知らん顔をする精神科医を許してしまうことになる。
また、むくわれぬ努力を重ねているパイオニアとしての三番目の医者を、一番の医者と同じに切って捨てることになる。
この本では、前にあげた困難な事例に、あたたかい配慮と、見守りが必要であって、ことさらな治療は必要ないとしている。
しかし、多くの引き籠りの事例では、家族の基本的態度は、そのようなものであって、それが5〜10年続いてもなんら打開されないので、医療機関の門を叩いているのである。
カウンセラーの中には、そうした見守りの態度を勧める人もいるが、それで解決できなかった時どうするかに、責任を持ってくれる人はいないに等しい。
精神科医はいらないと言うのはやさしいが、いらないはずの精神科医がこの世に存在するのは何故かに答えてもらわないといけないだろう。
(2003,7,20)
『死の処方箋』(ラムダス著、雲母書房、2003)
ラムダスの最新作です。
と言っても、講演集なので、実際の話は1978年から1997年までのものです。
「死の処方箋」という表題にわかるように、死や老いをテーマとした講演が中心です。
わかりやすい語り口ですが、内容は実に深いものがあります。
1997年2月ラムダスは脳卒中で倒れました。
その後、リハビリを行い、現在は車いすの生活をしています。
この講演の最後のものは、その発作の直前のものです。
私は1994年にラムダスのワークショップに参加したことがあります。
ラムダスは肥満していました。
そして、こんなことを言っていました。「私は精神分析を長期間受けました。しかし、肥満には全く効果がありませんでした。精神分析は無効です。」そして、大笑いをしました。
そのワークショップでラムダスとハグをしましたが、ラムダスの身体は、浮き袋みたいにぶくぶくでした。
そのラムダスが、脳卒中で倒れたのも、うなずけます。
発作の前の彼の講演には、発作の予見はありません。
しかし、そんなこととは関係なく、彼の長い射程が、発作どころか、衰弱して死ぬまでの自分の姿に届いていることがわかります。
この本の最後の講演は次のように締めくくられています。
「あなたが、もし自分という存在のどこに基盤を置くかがわかっていれば、地獄にあっても心をひらくことは可能です。あなたは人生に深くかかわっていき、なおかつ完璧に心静かでいられます。そして、このような平和や静けさ、喜びこそが、個人としてのあなたが、社会にもたらすことができるものなのです。」
この「地獄にあっても心をひらく」という言葉は、すごい言葉です。
この本のめざしているものは、その時に開かれる「静けさ、喜び」です。
芥川龍之介に『蜘蛛の糸』という小説があります。
主人公のカンダタは血の池地獄で、天から下がっている一本の蜘蛛の糸を発見します。
その糸を登っていくと、下から登ってくる沢山の人々を見付けます。
「登ってくるな。これは俺の糸だ、」そう叫んだときに、蜘蛛の糸は、カンダタの手の先からプツリと切れてしまいます。
最初に蜘蛛の糸を発見したときに、カンダタが横の人に「おさきにどうぞ。」と糸を譲っていれば、そこはもう地獄ではなくなっていたでしょう。
「地獄にあってもこころをひらく」ことを理想にしているラムダスが、発作の後の半身不随の危機を乗り越えたとしても、何の不思議もないでしょう。
むしろ一層の静けさが加わったことと思います。
この本を読んで、かってのワークショップを思い出しました。
ある晩の講演が終わって、灯りを消した会場から、去っていく彼の姿がシルエットになって見えました。
踊りながら去っていったのですが、それは布袋さんの姿でした。
(2003,7,13)
『将軍の娘』(ネルソン・デミル著、文藝春秋、1994)
新聞の書評に、ネルソン・デミルの作品がおもしろいと書いてあったので、図書館で探したところ、この本しか見つけられなかった。
以前、ビデオでジョン・トラボルタ主演の映画化されたものを見ていたので、あまり期待もしなかったが、どんどん釣り込まれて読んでしまった。
ストーリー展開と文体の力だろうか。
結論としては、映画は失敗作で、原作は結構いけるということか。
この作品は、米軍基地内で若き女子将校(もちろん絶世の美女!)が全裸の絞殺死体で発見される所からはじまる。
それを軍隊内の警察が捜査する話である。
軍隊内の警察というものがどういう機能を果たしているのか、小説を読みながら勉強出来るわけである。
さて、偶然のことから、主人公の元恋人が捜査のパートナーとなるので、二人の心の動きも興味深い。
何と言っても、興味深いのは、アメリカ軍の中身がどんなものなのか、基地の中の生活がどんなものなのかを教えてくれるところだろう。
小説の舞台がアメリカ南部の基地で、お話のほとんどが基地内で展開するので、ストーリーの背景として、それらが詳細に語られるわけだ。
自分がそうした場所に暮らしているかのような錯覚に陥るほどだ。
それと軍隊内部の人間関係、組織の対立と協力関係。
これもあたかも、その交渉現場に立っているかのような気分にさせられる。
アメリカの犯罪捜査の基本はともかくデータの収集にはじまり、科学捜査で徹底的に脇を固めていく。
そして、要所要所では、さまざまな取引が行われる。
しかし最後の詰めになると、直感とはったり、ひっかけである。
その駆け引きはみごとなものだけれど、所々、強引すぎて、勝つことの分かっている将棋の棋譜を読むような感じのところもある。
犯罪被疑者には人権を守る規則はあるが、証人にはそれがないことを初めて知った。
犯人ではないが、何かを知っているらしい人物は、証人として呼び付けて徹底的に痛め付ける。
まあ、そういう方法があるのかとびっくりした。
この小説のストーリーの底にあるものは、女性を排除して作られていたはずの、米軍の中枢に女性兵士が入り込むことによって生じた混乱、それに引き続くドタバタ劇ということだろうか。
それにしてもこの小説の書かれたころは、東西冷戦の終結と、湾岸戦争の勝利によって、アメリカが軍隊の力によらず、世界を牛耳ることができると感じられていた時代であったようだ。
軍隊というものが無用の長物の様に描かれている部分がある。
アメリカのイラク攻撃が秒読みに入っている、現在の段階で読むと、遠い遠い昔話のように感じられて、時の移り変わりに感慨を持ってしまう。
(2003,3,11)
『心が雨漏りする日には』(中島らも著、青春出版社、2001)
この本は、外来通院中の患者さんから勧められた本です。
中島らもが、自分の生活史と闘病の経過をそれこそ赤裸々に描いたものです。
赤裸々というのは、何度か彼が裸になってしまう場面があるからです。
裸になる理由というのは、彼がアルコール漬けの生活をしていて、そのうえ躁鬱病を発症したからです。
おまけに、躁鬱の薬を服用して、その影響もありますから、いつもぼんやりした意識状態のなかで、すべてが進んで行く印象があります。
本の最初に出てくるのは、躁病だった父親の話です。
ある日突然、庭にプールを作ると言って、地面を掘り返す。
その隣にスケートリンクを作る。
乱杭歯の入れ歯をはめて、子供を驚かせる。
そういうエピソードから全体が始まるので、後は何が出てきても驚かない心の準備ができます。
この本は全体として、精神障害者の日常を語るものです。
それも、躁状態の混乱の中の体験が語られるので、支離滅裂、前後脈略喪失なのです。
高槻迷子というエピソードなどは、大阪と東京の間を、思いつきで行ったり来たりする話です。
自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。
こうしたむちゃくちゃな行動が、ちゃんと本になっているのですから、著者はすべての体験を、冷静に距離を持って見る視点を持っているのです。
そこが彼の才能の豊かさを語っている所でしょう。
本の始まりの部分では、使い道のないフリーターの青年という乗りですが、途中から才能を全開し、劇団を作ったり、小説をどんどん書いたり、テレビやラジオで大活躍したりと怒濤のごとく仕事をこなしていきます。
IQ 160とも書いてありました。
そんな彼が、文字が読めず、文章も書けず、常時便失禁の状態に陥ります。
その原因はやがて、躁状態を予防する薬による、過鎮静であることがわかります。
それでも、薬を投与し続けた医者を恨んだり、非難したりする様子は見えません。
精神症状も、薬の副作用も、病気の症状によって引き起こされるもろもろも、すべてが距離をもってみられているのです。
この本から、うつ病や躁病の典型的な体験を把握しようとしても無理です。
この本はあくまでも中島らも氏の体験したことの報告だからです。
あくまでも、彼個人の一回限りの体験です。
しかし、うつ病や躁病の患者に関わるポイントはちゃんと押さえてあります。
励ますな!
早めに受診しろ。
自殺の危険の切実さ。
ちょっとした偶然が自殺を予防すること。
などが体験者ならではの表現で語られています。
中島らもを知る人は、彼の背後にある病的な世界をかいま見て驚くでしょう。
病気の世界を知る人は、病気にもかかわらず、開花した彼の才能に感心するでしょう。
その二つを知らない人は、大変な体験の中でも、生き抜いていく人があることを知ることができるだろうと思います。
(2003,2,4)
『日中十五年戦争史』(大杉一雄著、中公新書、1996)
この本を書いたのは、東大の経済学部を卒業して、日本開発銀行に籍を置いた人のようです。
詳細はわかりませんが、ともかく歴史を専門に勉強した人ではなさそうです。
その最大の特徴は、歴史を語るのに、if を考える点です。およそ、歴史家らしくありません。
ただし、その論の展開は、思いつきを述べるのではなく、できるだけ当時の資料に当たって、現実におこったこととはまた別の選択がなかったかを探ります。
満州事変の後の処理はどうだったのか、蘆溝橋事件の後の処理はどうだったか、戦争以外の選択はなかったのか、途中で講和はできなかったのか。
それらについて、権力内部の議論を検討して、最終的に誰の責任が一番思いかを評価しています。こうした仮説は、得てして無い物ねだりになりますが、そうした理想論は慎重に排除されています。
つまり、現実的にありえた選択を検討しているのです。
たとえば、もっと国民が反戦の意志を持つべきだったとか、労働者が立ち上がるべきだったとか言った議論です。
現実にそのような可能性はなかったのですから、排除されているのです。
このような検討の過程を読んでいくと、社会の大きな流れも、その時点その時点で、舵取りに責任を持っている人がいるということがわかります。
ただ単に、時代の流れや、社会の動きなどと言うものではありません。
内閣の中枢の議論で、誰がどう言ったか、または沈黙したか、それらによって、国の方向が決まっていくのです。
これらの言動の一つ一つの重大さを、強く感じさせる本です。
満州事変を計画し、実行した石原莞爾の評価などは、多方面から、色々な時点で、繰り返しなされています。
そして、それぞれの時点の身の処し方を検討しています。
そういうことを通じて、歴史を、不可抗力の動きに解消するのではなく、選択可能なものとしてとらえようとしています。
こういう視点が出てくるのは、おそらく著者が、経営上または組織運営の上で、色々な決断に実際に関わってきた経験があるからでしょう。
議論の展開に、無理が感じられないこと、多様な視点、立場を検討していることからも、そのことはわかります。
著者は、15年戦争をひとつらなりのものと考えるのではなく、満州事変、日中戦争、太平洋戦争それぞれを分割して、それぞれの性質を吟味しようとしています。
その視点は正しいのでしょう。
特に、それぞれの段階を次に進めさせないために、何が必要であったのかを考えるならば、そこからは多くの教訓が得られるでしょう。
しかし、これらを分割して、一つ一つを妥当なもの、止む得ないものとして評価し、もう一度、それらを寄せ集めて、全体が止む得なかったのだという議論につなげるとしたら、そこには危険性があるでしょう。
こうした議論は、さらに突っ込んで、それぞれの政治家、経営者、組織の指導者の資質にまで触れて、その意義を明らかにしてもらいたいと感じます。
それらの作業は、実際に自分自身が、そうした作業に関わった人間の手によって、行われることが必要でしょう。
たとえば、歴代の総理大臣は、数代前、あるいは50年前の総理大臣の言動を評価して残すという作業を義務づけられるということにしたらどうでしょうか。
読者は、著者の考えと、対象となった政治家二人の行動の意味を知る手がかりを得られることでしょう。
自分が書かなくても、文責とすれば良いのです。
そうすれば、政治や歴史に対する人々の認識も変化していくのではないでしょうか。
(2003,1,25)
『チョムスキー 9・11』(ジャン・ユンカーマン監督、シグロ、2002)
これは本ではなく、ビデオです。
2001,9,11以後、多くの人が発言しましたが、ノーム・チョムスキーほど、歯切れ良くアメリカを批判した人はいないでしょう。
そのチョムスキーの肉声を伝えてくれるのが、このビデオです。
2002年、アメリカ各地での講演の様子と、インタビューから、構成されています。
驚かされるのは、チョムスキーの明るさ、わずかにただようユーモアの感覚。
いつでもにこにことしている感じです。
力みだとか、悲壮感だとかがまったくありません。
チョムスキーが世界的な有名人であることがその支えになっている部分もあるかも知れませんが、
それよりむしろ、彼の知性がそうさせているのだと思います。
彼は、アメリカという国家を、完全に相対化しています。
100年、200年の幅で、アメリカを、9・11以後のことを考えているのです。
彼はアメリカを最大のテロ国家と呼びますが、
それはすべての大国、覇権国がそうだったからで、そこには善悪の判断はありません。
歴史的に、すべてそうだったから、アメリカも例外ではあり得ないというだけのことです。
かって、イギリスがそうであった、フランスやソビエトもそうであった。
今は、アメリカのそういう面が強く出ている。
そういう評価です。
マスコミが取り上げたり、重視しないような事実が次々と指摘されます。
アメリカが国際政治で、いかにご都合主義か、二重基準か。
声高にあげつらわれるのではなく、淡々と、そうしたものですとコメントされます。
それは、彼の反戦運動が、40〜50年の歴史を持っているからです。
その体験をふまえて発言されているのです。
チョムスキーはアメリカの未来に希望と明るさを持っています。
1960年代の始め、アメリカがベトナムに介入し始めた頃、
チョムスキーは反対運動を行いますが、賛同者はまったくなかったそうです。
今、アメリカがイラクを攻撃しようとして、事前に反対運動が起こる。
そこにチョムスキーは希望を見ています。
歴史の動きは変えられないと言う確信です。
それが知性だなあと思います。
そこには押しつけがありません。
知性は希望を発見する。
そういう事です。
ビデオの他にDVDがあります。
DVDは2500円です。
(鶴見俊輔とダグラス・ラミスの対談付き。)
問い合わせはここ。
(2003,1,13)
『勝つ日本』(石原慎太郎、田原総一朗、文春文庫、2002)
駅の売店で買った本です。
この対談は2000年の11月に行われた対談です。
文庫本の帯びには、「21世紀の戦略を徹底討論」とうたってあります。
この対談の行われた時点ではまだブッシュ政権は誕生しておらず、アメリカの大統領選挙の行方も定かではありませんでした。
しかし、その後のアメリカをはじめ世界の動向を考えると、世界戦略の必要性を指摘しながら、イスラム原理主義への言及が全くないのが、奇異に思えます。
この本の中で検討されているのは、もっぱらアジア戦略であって、それも中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカを対象にした極東戦略にすぎません。世界戦略と言いながら、とても世界全体に目がむいていないのです。
日本人は平和ぼけだと言われますが、世界戦略だとか何だとか言う政治家の、発想の幅の狭さに失望して、期待していないと言うのが実情ではないでしょうか。
二人が、世界の中で日本の位置を考える場合の準拠枠は、日本の日露戦争以後の動きであり、とりわけ太平洋戦争以降の話です。
日本の将来を考えようとする人が、自分の身近な体験や、せいぜいが周囲の人々の体験の延長でしか、世界を考えていないことに驚いてしまいます。
これでは一般庶民の床屋談義と大して変わらないでしょう。
私は海外旅行が好きで、よく外国へ行きますが、そこで同行の旅行客と話をする機会があって、多くの日本人が気軽に、大量に海外に出ていることに強い印象を受けました。ちょっと大型ショッピングセンターへ行って来ようという程度の感覚で、海外へ行く人も結構多いのです。
どこのおばあちゃんかしらと見えるような人が、世界中で行っていないのは北極だけと言うのを聞いて驚いたこともあります。その人の世界の国々の評価は、極めて特異なものでした。自分の尺度ですべてを見ているのです。
あるワークショップで、若い参加者の一人が、「私はとても傷ついた体験をしています。」と言ったので、どうせ大したことはなかろうと思ったら、その内容というのが、内戦下のユーゴスラビアでボランティアをして、自分の無力を知ったということだったので、衝撃を受けたことがあります。
日本人のすべてが、平和と繁栄に酔っていると思ったら大きな間違いです。
日本人の中には、マスコミの想定するような浅薄な印象を得るために、海外旅行をしている人間ばかりではありません。また、単なる観光であっても、意外な認識を得ている場合があります。そうした人の声は今は表面に出てこないかもしれませんが、やがて大きな力となって現れる時があるのではないでしょうか。
海外ボランテイア活動の経験にしてもそう言えるのではないでしょうか。
この本の二人には、そうした予感や恐れは感じられません。自分たちがジャーナリズムの牽引車であり、未来を予感しているかのごとく感じているとすれば、大きな勘違いだと思います。
(2003,1,3)
『碧巌録全提唱』(山田無文、禅文化研究所、1983)
夏休みには講義がないので、余った時間を利用して、今年はこの本を読みました。
全10巻ですが、最後は索引なので実質的には9巻です。
一冊8000円ですから、全部で8万円。9巻だけでも7万2千円。
ちょっと個人では買えませんね。
こういう時は、やはり図書館は便利です。
さて、「碧巌録」という本は、北宋初期の雪竇重顕が選んだ公案百則に頌をつけたものに、その後圜悟克勤が垂示・著語・評唱を加えたものです。
頌というのは、詩の一種で、文章の内容を簡潔にまとめた韻文です。
それに圜悟克勤が序文としての垂示・コメントとしての著語・解説の評唱をつけているわけです。
これらは実に綿密なものであって、読み解こうとすると、それだけで多大な労力と時間を要するわけです。
それで、その後に出た大慧というお坊さんが、こんな本があるために、ちゃんと修行をする禅僧が減ったというわけで、あるだけの「碧巌録」を集めて、みんな燃やしてしまいました。
その後に、断片の残った「碧巌録」を集めて、復元したのが、今の「碧巌録」ですが、元の「碧巌録」とはどうも一致しないようなのです。
そのため、この本は、元の公案の問答のレベル、雪竇重顕の選択眼、圜悟克勤のコメント、復元した人の眼力、その後の人のコメントと言った具合に、読むための焦点が幾重にも変わるのです。
これらを全部読み解こうとするととてものことではありません。
岩波文庫に入っている「碧巌録」は単に書き下し文にしただけのものです。
現代語訳は出たのですが、これは旧来禅の修行で使われてきた読み方(「読み癖」と言います)を無視して、語学的な観点から読んでいるので、禅修行という本来の意味をはずれている可能性があります。
というわけで、このむつかしい本を、ともかくも全面的に解説しようというのが、この『碧巌録全提唱』なのです。
これだけ細かく解説した本は、「碧巌録」に関する限り、他にはないのではないでしょうか。
それだけで、この本の大変さがわかろうというものです。
さて、提唱というものは、禅をマスターした老師が自分の境涯を大衆に見せるというものですが、大衆と言っても色々なレベルの人がいるので、それぞれになるほどと言ってもらわないといけません。
それで、どこにレベルを当てるのかがまた問題になってきます。
この提唱は、読んでみると、垂示・本則・頌で一通り、さらに著語・評唱を一通りと二回のコースをまとめたもののようです。
また、この提唱を聞いていたのは20人ぐらいの修行僧、50人ぐらいの一般聴衆のようです。
そのため一般の人向けに禅の基本を述べている感じの所もあれば、修行僧一年生に焦点を当てているところ、修行がかなり熟した人向けのところと色々とあるわけです。
ただでさえややこしいいのに、一層わけがわかりません。
それに、禅の提唱というのは、ほんとに大事なことはしゃべらないのです。
ですから、何がなんだかわからない。
おまけに「碧巌録」は他の公案録と同じように、入門的なレベルから上級コースへと内容が深まる並べ方ではないです。
浅い物やら深い物やら渾然一体。
前の回の話はわかったけど、今回は判らないと言っても、それが正しいのか、間違っているのかそれもわからない。
実にややこしい。
まあ、そういう本があると言うことですね。
こういう本を読んでいると、人間が段々進歩していくという考え方を無条件で受け入れることはできません。
昔の人がいかに困難なことに挑んでいたのか、その一端を感ずることができるからです。
(2002,9,23)
『花の歳月』(宮城谷昌光、講談社、1992)
宮城谷昌光の小説は、中国の春秋、戦国時代を題材にしたものが多い。
この作品は漢代初期の皇后姉弟の話である。
幼くして別れた姉弟が奇跡的な再会を果たす。
姉は皇后になっており、弟は数日前に奴隷の身から解放されたばかりである。
二人の再会は、宮廷で行われた。
皇帝直々に、皇后の弟と自称する男の、人物吟味が行われた。
皇后は物陰からその様子を見ていたが、男の話を聞くうち、弟であることを確信し、あたりをはばからず走り寄って、抱き締めるのである。
「侍御左右、皆、地に伏して泣き、皇后の悲哀を助く。」と『史記』に描かれている。
皇后ともなる人が、姉弟と生き別れになって、長期にその消息を知ることができないということは、どれほどの混乱がその時代に存在したかを示しているだろう。
姉弟の再会はそうした混乱が収まりつつあることの証しであろう。
皇后の悲しみと喜びが、その場にいた臣下の人々すべてに、共有できたことが、『史記』の簡潔な言葉に表現されている。
花の歳月は、再会に至る話である。
そのことに尽きるのである。
短編小説にしたのでは物足りず、長編小説にするにはテーマが凝縮しすぎている。
そこのところを、宮城谷昌光が処理した筆の力が、この作品の見所だろう。
珠玉の小品と呼ぶ人もある。
わたしは以前『史記』全編を読んだが、この話を記憶していない。
小さなエピソードなので見落としてしまったのだろう。
しかし、宮城谷昌光にとっては、印象深いエピソードだったのだろう。
小説が書かれる前に、エッセーの中で、いつか小説にしたい話としてこのエピソードが紹介されているからだ。
この小説は味わい深いものである。
一読を勧めたい。
しかし、わたしには宮城谷昌光のエッセーを読んだときの印象の方が強かった。
簡潔さにおいて、エッセーのほうがすぐれていたからだろう。
しかし、小説には小説の味わいがある。
欲を言えば、森鴎外にこのエピソードを小説にしてもらいたかったなあと思う。
(2002,9,6)
『東京大空襲』(E・バートレント・カー、大谷勲訳、光人社NF文庫、光人社、2001)
東京大空襲の記録は色々読んだが、アメリカの側から描いた作品を初めて読んだ。
B29の戦略爆撃については、アメリカ軍内にも有効性や人道上の立場からの議論があって、
必ずしも、最初から一致して行われていなかったことを初めて知った。
この本は、そうした議論に対して、事実を持って結論をつけるという流れで書かれている。
アメリカ人の立場なら、「ほらやっぱり、B29の爆撃は有効だったんだよ。」と言ってしまいたくなる書き方である。
しかし、空襲を受けた立場から言うと、そうした議論は空疎に思える。
まして、空襲をやりとげて帰還した飛行士などが、基地で歓迎を受けるシーンなどは複雑な思いを持ってしまう。
この本の最初の部分には、焼夷弾の有効性を確かめるために、アメリカのユタ州の砂漠に日本家屋を建てて実験をしたことが書いてある。
何から何まで、日本家屋の材料を使って、畳まで持ち込んだらしい。
それも、強制収容所に入れられて主人不在となった、在米日本人の家から持ち込んだという。
そして、焼夷弾の大きさや爆薬の材質などを決定したのである。
こうした記述はなかなか冷静には読めるものではない。
それにしても、あらゆるものを焼き尽くす兵器を作り出すという思想には、原子爆弾につながる思想を感ずる。
私はこの本で、日本で焼夷弾と呼んでいるものが、ナパーム弾であることをはじめて知った。
その時、ベトナム戦争のジェット機の空爆と、B29の空襲とがひと連なりのものとして見えてきた。
私には、第二次世界大戦の戦争中ということと、戦後の世界で起こったことというものが、まったく別の世界の出来事であるという思いこみがあって、関連づけて考えられなかったのだ。
東京大空襲で逃げまどった人と、ベトナムでナパーム弾に追われた農民とは同じだったのだなあと納得がいった。
日本の指導者は戦争をはじめたものの、終結の方法を持ってはいなかった。
結果から見ると、自分たちが戦争を終結させるためには、敵に自国民を数十万単位で殺してもらわなければならなかったということになる。
戦争というのは、実に恐るべきものである。
この本の最後には、空襲を受けた日本人の体験が具体的に書かれている。
それは、B29を下から見上げた立場からの記録である。
しかし、本全体の中では、空襲する側の上からの視点と、空襲を受けた下からの視点は併記されているだけで、交差はしていない。
おなじことは、原爆の開発過程を描いた「0の暁」を読んだ時に感じたことである。
それにしても、こうした戦略思想を取ってしまったアメリカは、長い歴史の経過の中で、必ずその報いを受けるだろうと思う。
それを回避する手がかりは、この本の中には書かれていない。
(2002,9,1)
『日の名残り』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、中央公論社、1990)
カズオ・イシグロの小説を続けて読みました。
(飛田茂雄訳、「浮世の画家」、早川書房、1988。入江真佐子訳「わたしたちが孤児だったころ」早川書房、2001)
抑制された感情が淡々とした表現の中に、にじみ出てくるのがカズオ・イシグロの文体です。
これまで読んだ中では、「日の名残り」が一番の作品と思います。
構成もしっかりしていて、計算されています。
作品の主人公はあるイギリスの貴族の邸宅付きの執事です。
その貴族の邸宅は、第二次世界大戦まではヨーロッパの著名人が非公式に集まるための外交ホールのような役割を担っています。
その執事が、休暇を利用して、20年前に退職した女中頭を訪問するというお話です。
旅行の間に、主人公は色々と過去の思い出にふけるのですが、その中で、次第に主人公の背景が明らかとなります。
それと同時に、仕えたイギリス貴族の生活も浮かび上がってきます。
イギリスの社会の中で、貴族の生活が時代遅れになっていくこと、それと平行して、ヨーロッパの中で、そして世界の中で、イギリスの立場が低下していくこと。
それらが象徴的に描かれて行きます。
主人公は「品格」を持った執事になろうとして、あらゆる犠牲を払っていきます。
それは、同時に自然な感情の抑制と決断の放棄を意味していました。
主人公の仕えた貴族は、第二次大戦勃発後、ドイツの協力者として批判され、活躍の場を失っていきます。
やがては、失意の中に惨めな最後をとげます。
そうした主人につかえた主人公の自己犠牲の意味はいったい何だったのでしょう。
振り返るときに生じてくる、そうした問いと、執事としての誇りの間で、主人公のこころは揺れ動きます。
しかし、それは淡々とした思い出の中にとけ込んでいます。
過去を振り返るのはよいが、それにおぼれてはいけない。
後悔はいかなる場合も、意味を持たない。
たとえ後で幻影であることがわかるとしても、その時の華やかさに身を任すのが本当なのだ。
そして、思い出として味わっていけばよい。
どの作品にも共通した気分があります。
著者は日本生まれ、イギリス育ちの作家です。
幼くして日本を離れ、日本のことはほとんど知らないようです。
それでもどこか日本人の感覚はあるような気がします。
(2002,6,2)
『風景構成法の事例と展開』(皆藤章、川嵜克哲編、誠信書房、2002,)
風景構成法は中井久夫先生の考案による描画テストですが、本来箱庭療法の適応を探る目的で作られたものですから、箱庭療法に準ずる利用のされかたがあっても不思議ではないと思います。
この本は、風景構成法を治療の中にとりいれた事例を具体的にあつかったものです。
治療の事例報告論文を、皆藤章、川嵜克哲両氏が治療者としての蘊蓄を傾けて語ったものと言えましょう。
事例へのコメントは対談の形で語られますので、論理的脈略と言うより、その場での直感的な思いつきが自由に語られるという印象が強いです。
そのため、ベテランの心理療法家がどのようにケースを見ているか、相互に討論しているかが伺えて興味深いものがあります。
コメントの内容にしても、適度に距離があり、ひいきの引き倒しや仲間褒めの傾向が感じられないのも、なかなかなものだと思います。
今後の展開に待たなければならない点については、ちゃんと抑制が利いています。
この本の書かれた目的は心理療法の操作主義的な理解への批判ということのようですが、この本の流れに従う人にとっては、あらためてそういうことを指摘するまでもないと思います。
二人とも、京大教育学部の臨床心理教室に縁のある人なので、研究室の雰囲気の一部が感じられるように思います。
そうした点では、類書の少ない、貴重な本だと思います。
惜しいなあと思うのは、そこまで作業が進んでいるのに、どうして事例提出者がこのコメントに関わってこないのかなあという点です。
これらの対談コメントを読んで、事例提供者はどう考えたのでしょうか。
そこを知りたいなあと思いました。最後の事例は皆藤章のものに、川嵜克哲がコメントをつけているのですが、これだけは二人の対談になっていません。
何か意図があってのことでしょうか。
折角なのに残念に思います。
こうした事例が具体的に語られるということは貴重なことでしょう。
同時に、いろいろな危険性も感じます。
自分の事例を発表した人は当然そのことをわかっているでしょうが、コメントをつけた人はどうでしょうか。
自分のつけたコメントがどういう作用をもっているか、把握のしようがありません。
しかし、そこには考えるべき大きな問題があるように思います。
そういう点からも、事例提供者からのコメントがないことを残念に思います。
(2002,6,2)
『ライフ・レッスン』(エリザベス・キューブラー・ロス、デーヴィッド・ケスラー著、上野圭一訳、角川書店、2001)
キューブラー・ロスの本『人生は廻る輪のように』を紹介したところ、読者からこの本の紹介を受けた。
この本の優れている点は、共著であるという点にある。
キュブラー・ロスとデーヴィッド・ケスラーの共著だが、それぞれの著者名が明らかなところもあるし、はっきりしないところもある。
いずれにしろ、二人の人間が文章を書いて、違和感なく一つの本にまとめることもなかなか大変なことだと思う。
それだけの相互理解、相互信頼が必要なのだから、前提となっている努力も大きなものだと思える。
ターミナルケアという微妙な領域を考えると、並大抵のことではあるまい。
それを踏まえて、まずは共著であることを評価したい。
すでに取り上げて、評価したことのあるラム・ダスの本もほとんどが共著である。
それに引用が多数で、どこからどこまでがオリジナルなのかわからない。
そして、主たる内容は種々のエピソードの紹介である。
そういう本の書き方をあきたりなく思ったこともあるが、最近では本来人間の思考内容というものはそういうものかもしれないと思うようになった。
オリジナルだけでは、自分らしい表現をすることはむつかしいのではないか。
『ライフ・レッスン』には、そうしたラム・ダスの本と共通する表現方法を感じた。
スピリチャルな世界を表現しようとするとこうした形を取るのかもしれない。
多分、前著を読んでいなければ感じなかったキューブラー・ロスの性格を感じ取った部分がある。
たとえば、彼女が脳血管障害でほとんど動けなくなった時、自宅に看護するために入っていた看護婦が、彼女の持ち物を盗み出す場面がある。
彼女はそのことを憤りを持って書いている。
しかし、どうしてそんな看護婦に世話をしてもらうことになったのか、納得がいかない感じがした。
そして、彼女が受容する人と言うより、不正と戦う人であるという印象を受けた。
彼女はピンクが嫌いだという話にもそういう感じを持った。
彼女はたぶんA型人間なのではないか。
彼女に受容的な人間像を感じてしまったのは何故かを考えさせられた。
本全体の記述を読んで、いつも死に照らされているという書き方が多かった。
すべての価値を吟味するのは死であるというところがあって、それが重苦しく感じられた。
もっと気楽にならないものか。
あまり真剣に生きてこなくて、それでも安心して、納得してこの世を去っていけるような、そんな風なありようも大切なんじゃないかなと考えたりもした。
そういうことを考えるのは、いつもあまりにも真剣すぎる人々、つまりこころ病んだ人々と接しているからかもしれない。
(2002,4,17)
『金瓶梅』(笑笑生著、小野忍、千田九一訳、平凡社、1969)
数多い中国の長編小説を、いつかは全部読破したいと考えていて、機会をとらえて読んでいます。
今回は明代の小説『金瓶梅』を読みました。
この小説は、ポルノ小説のような扱いをされていて、文学的な評価は低いようです。
しかし、実際に読んでみると、そういうとらえ方は実に低次元と思います。
ともかく、描写が詳細です。
食事、衣服、金銭の使い方、権力の行使法など。
何を食べて、何を着るか、いかにしてねらいの女性を手に入れるか。
実に細かいのです。
その流れで、セックスの描写も詳細になっただけのようです。
セックス描写に注目するのは偏っています。
この小説の味は、ともかくそう言った描写の緻密さにあります。
宴会の席が眼に見えるように
また、この小説は前の部分4/5をしめる権力や富の乱用に、物語のおもしろさがあるとされていて、後半での主人公の死後、一家が離散していく過程は因果応報的でおもしろくないと言われていますが、私はまったく逆で、終わりの1/5の崩壊過程を描くために、この小説は書かれたのだと思います。
権力の中枢が崩壊したとき、すべてがいかに簡単に崩れ去っていくか、その描き方は尋常ではありません。
実に驚くべき小説です。
セックス描写が詳細だと言うなら、主人公に関わる人物の臨終の描写も、ただごとではないと言うほかありません。
血を流し、もだえ、あえいで死んでいくのです。
その描写は、実際の臨終を詳細に観察した人にしか書けないものです。
それも、ひとそれぞれに書き分けているのですから、その観察力はプロのものとしか言えません。
人間の運命を描いて、鬼気迫るものがあります。
一方で、庶民感覚の描写も実に詳細です。
私はそのことを、小説にちりばめられた「ことわざ」の紹介に感じます。
『金瓶梅』における「ことわざ」の意味という文章を書いてみたいくらいです。
(作品のおわり1/3のことわざをリンクで付けてみました。興味のある方はご覧下さい。)
こうした小説を読むと、中国文化の底深さを感じてしまいます。
(2002,3,31)
『人生は廻る輪のように』(エリザベス・キューブラー・ロス著、上野圭一 訳、角川書店 、1998)
世界的なベストセラー『死ぬ瞬間』を書いた、キューブラー・ロスの自伝です。
彼女は自分は2003年に死ぬと予言しているので、この本を絶筆と考えて書いたようです。
数年前に出版されていたのに、知りませんでした。
先日、本屋で偶然見つけて、早速買って読んでみました。
彼女が『死ぬ瞬間』を書くまでの部分は、一気に読みました。
最初は、三つ子として生まれた話です。
体重わずか900g、やっと生き延びたような感じです。
そのうえ何でもおそろいの生活で、自分の独自性を見つけるのに、苦労した話など、体験者でなければ書けない特殊な体験だと思います。
三姉妹の中で、彼女が一番学業優秀で、父親の事務所を手伝うように言われて、それを拒否して、家出をしてメイドとして働くエピソードなど、若いころからの彼女の頑固さを表現していると思います。
第二次大戦の終了後、ボランティアとしてヨーロッパ各地を巡る話には、その後の彼女の行動力を予想させるものを感じます。
やがて、彼女は病んで苦しむ人の力となるため、医師となることを目指します。
父親は、なかなかそれを許そうとはしません。
彼女は、医師となる道を、文字通り闘い取ります。
彼女が、医師になるまでにたどった道は、その後の彼女の進んでいった道を予想させるものです。
彼女は弱者を愛する愛の人であると同時に、そのために闘う人でもあるのです。
彼女が『死ぬ瞬間』を書き上げるまで、彼女の二つの側面は、お互いに強化しあいながら、彼女を世界的な名声の世界へと押し上げていきました。
彼女が、『死ぬ瞬間』を書き上げたとき、死を宣告されて、病棟の片隅に追いやられていた患者達に、世の光が差し込む大きなきっかけを作ったと思います。
その仕事は、実に大きな仕事だったと思います。
それだけでも、十分に評価されてしかるべきでしょう。
しかし、彼女は更にその先へと進んでいきました。
彼女は「死は存在しない」と述べ、、やがては霊との交流をはかるチャネリングの世界へと入っていきます。
同じく医師をしていた彼女の夫は、その行動についていけず、ついに離婚となってしまいます。
彼女はひるむことなく、ガン患者のみではなく、その当時よくやくその存在を知られだしたエイズのターミナルケアに乗り出します。
広大な農園を購入し、そこにエイズの子供達の施設を作ろうとしました。
しかし、その試みは、地域の住民の反対と拒絶に会います。
彼女はさらに力をこめて前進するのですが、数々の嫌がらせは、とうとう事故をねらった、殺人未遂まで引き起こしてしまいます。
そして、ある晩、キューブラー・ロスの施設は放火され、数々の貴重な資料とともにすべてが灰となります。
この本の冒頭は、その燃え上がる建物の描写から始まります。
キューブラー・ロスは、その体験から、すべてを失うことは悪いことではないと書いていますが、その部分を読むと痛ましいという思いが湧くことを禁じ得ません。
キューブラー・ロスは何故そのような目に遭わなければならなかったのでしょうか。
簡単に言うと、彼女は時代の先へ進みすぎたのだと思います。
周囲がついていけないところまで進んでしまったのでしょう。
そして、彼女は闘う人です。
大きな反作用、反動を生んだのでしょう。
彼女はこの本の中に、多数の神秘体験を述べています。
しかし、どこかその体験に飲み込まれてしまった感じを持ちます。
彼女はグルもババもなしにそれらの体験をしたと書いていますが、それはある意味で危険な誘惑に出会ったということだと思います。
この部分には、我々が十分に考え抜かなければならない問題が孕まれていると思います。
キューブーラー・ロスが医学生となったころ、チューリッヒの町でよくユングの姿を見たと言います。
しかし、彼女はユングに声をかけようとはしませんでした。
もし、声をかけていれば、自分は精神科医となってしまっただろうというのです。
その時点で、精神科医はもっともなりたくない分野だったのです。
しかし、長い時間の果てに、彼女は結局精神科医となりました。
もし、彼女がユングの導きで精神科医となっていたら、彼女の人生はどうなっていただろうかを、ふと考えてしまいました。
(2002,3,9)
『紛争の心理学』(A・ミンデル著、青木聡訳、講談社現代新書、講談社、2001)
POP(プロセス指向心理学)の提唱者、A・ミンデルの本が、新書になりました。
紛争の心理学ということだが、実際は紛争解決の心理学である。
心理療法家が、個人の悩みや苦しみを解決するだけでなく、民族対立や人種差別、性差別などの現場に踏み込んで、自分たちの実践を問うたのが、この本である。
心理療法家が、個人療法の過程から得た知識を、集団に当てはめて、色々と解釈する本はいくらでもあるが、紛争のまっただ中に入って、その認識の真価を問うという試みには、驚くべきものがある。
ミンデルは当初、物理学者だったのだが、心理学に方針転換し、ユング心理学を経て、今や政治と心理学を直接結びつける作業を行っている。
その基礎になっているのは、次のような考え方である。
「近い将来、教育や階級やお金を有する者が、有能な指導者になるのではなくなるだろう。代わりに、自分が生まれた抑圧された環境を生き残った者が、指導者になるだろう。同時に二つの世界で生きる人々、すなわち多数派の文化において否認された集団の一員である人々は、犠牲者になることを強いられているだけでなく、生き残って多文化の指導者となることをさだめられている」
「もしすべての虐待的な専制者が彼らの権力を放棄し、自由のために闘う人々すべてが権力の座についたとしても、変化はほとんど起こらないだろう。もし、抑圧されている人々が前に出て、抑圧している人々が後ろに下がっても、きっと変化は訪れない。なぜなら、ある力が盲目的に他の権力に置き換わっただけだからである。コミュニティのすべてのメンバーが自分たちの力に関する自覚を高めたときにのみ、本当の変化が訪れるだろう。」
彼はマイノリティを尊重するが、それは彼らが全体を見渡す視座を捕まえやすいからである。
しかし、ミンデルは少数派にも多数派にも、それ自身の価値を認めない。
それらは容易に相互転換するものだからである。
認識の深まりをこそ重視する。
その指し示すモデルは、長老と呼ばれる存在である。
長老は、ネイティブ・アメリカンの伝統と老子の思想を背景としている。
「指導者はトラブルを見ると、それを止めようとするが、長老はトラブルメーカーが何か教えようとしていると捉える。」
「指導者は正しくあろうとして骨を折るが、長老はすべての中に真実があることを示そうと試みる。」
「指導者は賢くあろうとするが、長老は自分自身の考えを持たず、自然の出来事に従う。」
「指導者は知っているが、長老は学ぶ。」
この本は、アメリカの深部に、自己反省しながら世界を根本から変えようとする力が、育っていることを教えてくれる。
(2002,3,7)
『病の語り』(アーサー・クラインマン著、江口重幸、五木田紳、上野豪志役、誠信書房、1996)
慢性の病をめぐる臨床人類学の副題がついている。
この本のテーマは、「病い」と「疾病」の区別であり、「病い」を研究するための方法として、微小民族誌(ミニ・エスノグラフィー)という臨床人類学の方法を駆使しているのが特徴である。
微小民族誌という言葉は、日本語にはなじみにくいと思えるが、簡単に言うと、相手の立場に立った聞き取りの作業とでも言えようか。
近代医学は、訴えの聴取、症状の把握、臨床検査、診断の確定、治療法の吟味、治療の開始、症状改善の評価、治療の調整、と言った具合に進んでいくのを特徴としている。
このパターンに合致していて、症状が改善するような、訴えと症状の組み合わせを、「疾病」と呼んでいるのである。
近代医学が、もっとも得意としたものは、伝染病と初めとした急性疾患である。
医者にとって、「疾病」とはこのパターンにはまるものである。
そして、このパターンからずれるに従って、医者はとまどったり、いらだったりして、最後には無関心となり、拒絶的となってしまう。
これに対して、「病い」はこのようなパターンとは関係なく、それぞれの患者が苦しんだり、不自由を感じたりしていることそれ自体である。
その生き難さが第三者からどう呼ばれようと、実際に存在し、容易に改善しがたいものとして続いているのである。
この「疾病」と「病い」の違いが鮮明になるのが、慢性の病である。
その具体像は、この本の中に、極めて詳細に説得力を持つ形で書かれている。
医者が自分の手に負えない患者の症状にとまどって、やがて患者の人格や人間性を疑い出す様子が、描かれている。
クラインマンは医療関係者をはじめとして、あらゆる人々が「病い」の存在に目をとめ、「病い」に苦しむ人の声に耳を傾けるべきであることを提案している。
彼が、初めて医学生として、患者の前に立ったときから、患者の問題を疾病に限局してとらえようとする、医学・医療のありかたに疑問を感じ、自分の実践を注意深く観察してきたことがよくわかる。
精神医療で対象となるような病気は、慢性の病であることが多い。
この本に書かれていることの多くは、精神医療では日常的に経験されていることである。
翻訳者の3人が、精神科医であることも、そのせいだろう。
現代医学が不信の目で見られ、民間療法が流行するのも、医学が「疾病」ばかりを問題にして、「病い」を省みようとしないからだろう。
そういう事実を、あたらめて考えなおそうとする気持ちを刺激してくれる名著である。(2002,2,10)
『フィロソフィア・ヤポニカ』(中沢新一著、集英社、2001)
昨年末に、日本の思想はその論理的な表現を持っていないと言うような話をした。今年になって中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』を読んだ。
田辺元と西田幾多郎の哲学を、現代哲学の課題を提起したものとしてとらえ直そうする試みである。「彼らの創造は、モダンの構図にもおさまらないし、プレモダンに閉じこめることもできないし、ましてやポストモダンですらない。そうした構図そのもの外、あえて言えば非モダン」であるというのである。
その根拠を主として、田辺元の哲学的営為の検討を行う中から、明らかにしている。私はその作業の当否を判断する能力を持っていないので、検討のあとづけをたどるだけである。それでも、その過程の中で、思考を刺激される言葉にいくつも出会った。
その一部を引用する。一つは「魂」の定義とでも言うべき記述であり、もう一つは哲学と宗教の関係を述べた部分である。
「論理には前論理があり、思考には前思考がその基体となっていたように、存在にはその基体となる前存在というものが、考えられなければならない。この前存在は存在に達することのない力動的な中間体である。その中間体では、どのように深遠な細部にいたるまでも、存在と非存在の対立し矛盾しあるう力が張り合いながら、力学的な均衡を保っている。存在へ向かう動きが生ずると、瞬時にして反対の非存在に引き戻す力が働いて、この相互否定によって、存在に向かう動きはついに存在に到ることなく、その反対にいっさいを非存在の淵に沈めていこうとする否定力も、存在に向かう浮力にせめぎたてられて、そこにはダイナミックな有無の中間体が、つくりだされることになる。この中間的、フラクタル的な「種的質料」のあり方こそが、「野生の思考」や古代哲学以来、「魂」をあらわすさまざまな名称や概念で語られてきたものにほかならない。」
「哲学は有限な人間のおこなう「叡智(ソフィア)」への愛の行為として、もともと有限な権能しか持っていない。哲学者は自らの有限性を、むしろ宗教の賢者たちに対して誇りとしたのであり、その有限性の自覚が「ソフィア」ならぬ「フィローソフィア」の行為に、人間的な意義を与えてきた。だから哲学は、「最後の一般者」としてすべてを包摂する「ソフィア」の不動の光の中に、休らってはならないのだ。哲学は有限者のおこなう有限な行為として、不動の光を求めながらの動き続ける矛盾体そのものであり続けなければならない。」
彼の表現力には脱帽いたします。(2002,1,8)
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