遠 望
詩・エッセイ・評論集成
内藤 惠子
Keiko Naito
|
回顧的視点の背景にざわめく無数の歌
懐かしさに溢れた過去の糸をゆっくりと紡ぎ、編み上げていく、詩とエッセイと評論の刺繍
I 詩
・遠望 The white Kobushi-flowers 白いこぶしの木/遠望/揺れる/バニラアイスクリーム/疎開/堰
/零れるもの
・異郷 Altweibersommer /エトランゼ/マドリガル/ フュルス(一)/フュルス(二)/ヴッパータールのケーブルカー/廬山寺
・惜別 高野川の桜並木/約束/散歩/消炭/春眠
・花 ヤマボウシ(一)/ヤマボウシ(二)/蝋梅/雨/ドライフラワー
・風 白い雲/春風/Somewhere
・命 病床記(一)/病床記(二)/ひかり
・虫 毛虫と汗/同居人/蜘蛛
・永遠 作品「ドローイング 紫」/古都/軽く 澄明に/古家/何を 誰を
・献詩 香山雅代氏へ/S・T氏へ
I エッセイ
ゴブラン織/おやつの思い出(一)/おやつの思い出(二)/おやつの思い出(三)/指揮台をたたく音/おばとの別れ/久保田一竹美術館/追悼 大西宏典氏へ/追悼 松尾直美さんへ
III 評論
日本人の詩情/四十年前の思い出/俳句雑感1 外的風景と内的風景/俳句雑感2 切字「かな」とや」/短歌雑感1 掛詞/短歌雑感2 詩的技術としての錯誤
あとがき
亡き友松尾直美氏に勧められて詩誌『メシエ』同人となって、もう十年になる。
その間、同人の方々の叱咤激励を受けながら、何とか年二回の刊行に詩を提出してきた。それをまとめて詩集を編むことにした。
『メシエ』同人の香山雅代氏を初め、皆様にその都度私の詩を読んでいただき、感想や批評を頂いた。未熟な私の作に困惑なさったこともあったと思うが、十年の歳月に多くのことを学ばせて頂いた。
同人の皆様そして元同人の藤倉孚子氏に心からお礼を申し上げる。
この詩集を編むにあたって作品は改作せず、未熟なもの、不完全なものもその時の真実を表すものとして、そのままにしてある。
十年を機に詩集を出すことによって新しい出発となってくれることを望んでいる。
なお表紙には新野耕司氏の銅板画を使わせて頂いた。アートへの愛が刻印出来たこともうれしく思っている。
|
■2021年5月13日、中田紀子氏(現代詩人会理事)
(前略)御詩集は九つに分けられた詩作品とエッセイ、評論からなり、充実した内容に感動いたしました。幼い頃の体験からの「望郷」、「揺れる」、ご家族の
別れを余儀なくされた「疎開」などにとても魅かれました。異郷、のなかでは、「Altweibersommer」がことに心に残りました。異郷で心の通じ
あう友人との出逢いと別れに共鳴いたします。花のなかの『ヤマボウシ」には草木や花を愛するお人柄が感じられ、「古都」では矢内原伊作の言葉とともに厳冬
や盛秋の京都の美しさが顕されていて共感を覚えました。(聖書研究会で矢内原忠雄の著書を読んでおります故か)。エッセイのなかでは、「ゴブラン織」がと
りわけ好きな作品です。評論では、「短歌雑感 掛詞」「俳句雑感 外的風景と内的風景」などから学ぶことが多くありました。繊細な息遣いが感じられる詩作
品と秀逸なエッセイ、評論、と拝読でき感謝申し上げます。
■2021年2月17日、K.S.氏
(略)。『遠望』というタイトルはとても好きです。年齢を重ねることは、体力知力の衰えを嫌というほど思い知らされますが、幼い日を遠く思い起こし、ずーっと引きづってきたある感情が、ほろほろとほどけていく、それをよしとする自分を見つめるのは、心が静まります。
心に深く沈み込んだままの、言葉に出来なかった感情、或いは、あの言葉では表しきれなかった想いを、年齢を重ねた今だからこそ、覚めた目でもう一度言葉
に落としてみる。すると、幼子の自分と、その私を取り囲む人々の心境をも、咎めるのではなく、まるで愛しい自分の孫を見るような目で見つめている自分に気
づきました。
活字の中に納まっておられた幼い日の内藤さんが、うす黄緑を帯びた、そう、陽のあたっている水槽の水を通して見える画像として立ち現れ、時折揺らぎなが
ら、ショートカットの幼い内藤さんが、大声で呼び、乳母車に掴まり立ちし、木漏れ日を見つめ、アイスクリームを口に入れておられるのです。そして、疎開先
でお父上の乗られた汽車が動き出すと、一緒に声をあげ、手を振る自分がおり、取り残された人々と共にがっくりと座り込む自分がいる。知らず知らずに、読者
がその場にワープする?共感の最高の姿です。
■2021年1月15日、K.S.氏
年を重ねて、不本意なため息が出る中、こういうすばらしい出会いが待っていてくれたのだと思うと、空に向って喜びを叫びたい!気持ちです。ご本
を取り、ぱっと開いたページが『高野川の桜並木』。寒風にふかれ、小雪が白い波形を描く、涙で次が読めなくなりました。内藤さんのことが少しずつ知れて、
人の営みの崇高なる側面を学ばせていただいております。
■2021年1月7日、専門フランス文学
新型コロナのせいでなにかあわただしい毎日を過ごしています。しかし内藤惠子氏の『遠望』のページを夜寝てから読みながら何かほっとした世界にまい戻ります。良い本ですね。
■2020年8月5日、S.H.氏
(略)。未だインターネットなどない時代に、日本の古典から深く異郷で研究され、又文学へのご理解あったからこその素晴らしい翻訳されたこと。日独文学の今日の隆盛を築かれた方として、敬意を表します。
■2020年8月5日
(略)。『遠望』所収の詩は、抑制された文体だからこそ紡ぎ出される詩情にしばし感じ入りました。俳句雑感1の「内的体験の客観化→心象イメージの内的風景現出」とのご指摘は興味深かったです。
■2019年6月20日、S.I.氏
「高野川の桜並木」という詩は、自分が毎日ながめている風景が、著者の目や心にこのように見え、焼きついた時があったのだと引き込まれてしまいます。来年の桜並木の満開は、違った感慨で眺めることになりそうです。
■2017年8月21日、S.N.氏
詩集を何度か読ませて頂きました。日頃詩を読むことが少なくなっていましたが、主題別になっていることで、ある程度理解(?)できたかもしれません。そ
れにしても、恵子さんの多才さにあらためて感服しております。恵子さんの今までのいろんな経験が豊かな感受性や表現力と結びついて、この本になったのです
ね。
■2017年8月21日、I.T.氏
前略。〈異郷〉の章では、胸が熱くなりました。実は私も大決心?をしてパリの第3大学博士過程に入り論文を書きました。だから先生の一篇一篇が身にしみ
ます、友との“光の中での出会いと語らいの一刻”。感じていた「油一滴の浮遊感」かの国への思いがしみわたる〈マドリガル〉。〈惜別〉の章も、特に〈高野
川の桜並木〉は切なる思いが私の思い出と重なり、読後深く共感しました。(略)。1冊にまとめられているのをみると、重いものを感じます。胸が締め付けら
れます。
■2017年7月12日、H.U.氏(独文学者)
おそらくStuttgartという共通の接点がなければ私共とあなたとの出会いもなかったことでしょう。そしてこの州都とかかわる数々の思いでも。それ
だけにこの度の『遠望』は、格別の思いで拝見させて頂きました。美しい詩篇の数々、とりわけ亡きご主人への鎮魂の歌は今の私にとっては惜別の情を一段と喚
起させるものでした。
■2017年6月2日、倉田昌紀氏(詩人)
(略)。前回の『境界の詩歌』とは、また違った身近に感じられる『遠望』でした。
何
気ない日々の生活のなかでの人との出会いや,縁、物事との関係の中に、著者ならではの五感の鋭い働きの下に今、ここの一瞬の刹那が引き延ばされ、その知覚
から認知され、イメージされた風景や心性が彼女の内部を通して、深く原風景へ、また心象の原風景へと時間の流れと空間の移動を伴いながら、彼女ならではの
象徴化された言葉へと簡潔に削られ言語化されていく動きが、読む者に伝わってくる言葉で仕上げられています。
きっと、これは、著者に蓄積されたドイツ語とドイツ文学の研究から、無意識の内に現れ出てきたものではないかと、想像させられます。
日本の風景や何気ない事物の表現の中にも、著者の内部を通した言葉として、単なる抒情でもなく叙事でもなく、知覚から魂までの過程の中に、言葉の深さが感
じられるのは、単なる技法だけではなく、著者の生きる姿勢としての思想、哲学が表現されているからではないでしょうか。
重
くかつ軽く伸びやぐ言葉は、言葉の宿命として停止しながらも、志向性を持って生成し始めるのは、日本人離れしたメタ・フィジカルな力強い思考があるからだ
と私には思われました。もちろん、フィジカルであるからこそ、メタ・フィジカルな言葉が生きて感じられるのですが。特に、「惜別」や「献詩」には、それが
表現されています。著書に収録さられた詩の、各々に光るように感じられる、魂の深さからの言葉が散りばめられてあるからこそ、私には、この本を一気に、そ
して何度も読んでみたいと言う気持ちや想いが、読者である私に残ることとなるのだと思われたのでした。
私
の勝手な想像にすぎませんが、著者はドイツ文学の多くの詩人たちの詩を読まれてこられたのではないかと私には思われます。それが日本的なものとドイツ的な
ものとが無意識的な段階にまで、著者の気付かない心底の段階にまで沈殿し、著者の薬籠に自然な流れとなっているからこそ、著者にしか書けないこのような詩
が、言葉が生まれてきたのでしょう。
私
には、失礼ながら私の好みなので、ニーチェやジュール・ラフォルグの「哲学詩」の断片が浮かんで参りました。私には、エッセイや評論も含めて言葉の持つ詩
情と凝縮度から、この本全体を、この著者にしか書くことの出来ない「詩集」と呼びたい、という残響を与えてくれる、私にはありがたくも共感できる一冊でし
た。
■2017年6月2日、A.M.氏
(略)。読みやすくて、あっという間に読めました…。情景が目に浮かぶ数々の詩、なんとなく、なつかしさを感じるエッセイ…家風は違っても似たような世
界。詩「遠望」でダ菓子禁止をみて、おもしろかったです。…親にダ菓子を買うことを禁止されたりすると、後になって管理する者から解き放たれたとき、おも
いきり はばたくものなのでしょうか?
■2017年5月27日、長谷さちあ氏(エディット・パルク、「シリーズ関西の人・まち」頁にエッセイ寄稿)
(略)。「白いこぶしの花」、これが最初にあって、最も好きな詩です。詩を読むと、こちらの心のありようが、感覚が細かくなっていく感じがするものです
が、本書はひとつひとつの詩に逆に削られ粗くなっていくような気がしました。その中で、この「白いこぶしの花」は、意識の継続、繋がりを感じさせてくれま
す。意識は、渦中にあることを拒んでいる。通りすぎたhapiness
とsadnessは遠くから「遠望」される。また意識は距離をもとうとするはたらきだ。それが私と言う読者に永遠を感じさせてくれる。距離をもつことに
よって、おなじひとつの意識であることが続いていくのだから。
まだ見ぬ経験の中にとびこむのではなくて
重ねた経験を想像するのでもなくて
そこにあるのは意識と永遠である。
以上です。年を取るということはどういうことかについて考えたりしました。
■2017年5月22日、木村草弥氏(詩人)(木村草弥氏のブログ・─新・読書ノート─より引用)
(略)。この本は先に紹介した詩誌「Messier」同人の内藤氏の近刊である。
はじめに、「献詩」として「メシエ」誌主宰者・香山雅代あての作品があるが、その一節に、<高踏美的 難解たれ 強い衝撃に突き上げられる魂の叫びに忠実たれ>というフレーズがある。
これは、まさに香山氏の詩の特徴を言い当てて的確であるが、翻って内藤氏の詩は、それとは反対の平易な、わかりやすいものである。この本の題名にもなっ
ている巻頭の詩「遠望」を引いてみる。(詩・略)この詩「遠望」は内藤氏の郷愁を綴ったものだろう。この一篇の詩が、内藤氏の作品のすべてを代表してい
る、と言っても過言ではないだろう。
続く「揺れる」と題する詩に、(詩・略)というフレーズがある。
これこそ、先に私が書いたことの証左と言えるだろう。
・エッセイについて触れておくと、「ゴブラン織り」「おやつの思い出」などに年少期のことが書かれていて、山の手のインテリ家庭に不自由なく育った環境が、かいま見える。
■2017年4月24日、田中郁子氏(詩人)
(前
略)。「記憶」という誰もが持つ過ぎ去らなかったものをことばとして大切に育ててこられました、耕してこられました数々の御作品と存じました。「疎開」、
「堰」、共感致しました。「高野川の桜並木」、このように感情をはずして悲しい現実を描かれて、とても胸を打ちました。(エッセイ)“おばとの別れ”、感
覚のとぎすまされた文章だと敬服いたしました。(後略)
■2017年4月17日、香山雅代氏(messier代表)
(前略)。貴重な十年の集積が迫りました。また、編集の妙に奏してよい仕上がりになったと存じました。何と申しましても、翻訳でご苦労なさったところがひかりました。そのご苦労があってこそのことばへの拘わりが詩心への導火線かと案じておりました。(後略)
■2017年4月4日、K.S.氏(研究者)
(前
略)1冊の本としてまとめられてみますと、詩人としての内藤さんの新たな側面が理解できるような気がします。内藤さんは、ドイツが好きで、日本でドイツ語
を学び、ドイツに留学されて、そこでドイツ語を学ばれたことを知りました。ドイツ留学先での修士論文は、すでにドイツ語訳がある万葉集の長歌から古今・新
古今和歌集の短歌(和歌)、そして芭蕉や蕪村の俳句のドイツ語訳を、新たな視点から吟味するということであったと理解します。
内藤さんは、これら日本語詩には、掛詞、枕詞、縁語、本歌取り、切字の私的技術があるが、言語構造の異なるドイツ語の詩形式でどのように表されるかを論
じられたと理解いたします。結論は、「日本のこれらの詩を、ドイツ語に翻訳することは難しい」ということであったが、ドイツの指導教授は内藤さんの百二十
ページの論文を深い興味を以って読んでくださいました。(それにつきましては、 『境界の詩歌』に掲載されていますのでご参照下さい。:編集者記)
私がある程度積極的に詩を書き始めましたのは、五十代後半であり、短歌を詠み始めましたのも五十代後半でしたが、内藤さんの文学的興味の持ち方に、私なり
に共感を覚えます。(中略)『Messier』の中の作品は、難しいのが多い中で、内藤さんの作品は私でも理解できる作品があります。それでも、難しい作
品もあります。「理解できたとはどういうことですか」と問い返されるかもしれませんが、ここでは常識的な意味で言っております。私が、内藤さんの作品の特
徴として感じますことは、内藤さんの作品の中には、時々哲学的(多分、ドイツ哲学の)な言辞や、ドイツ語からの直訳的な日本語が使われていることであろう
かと思います。
また、内藤さんは、日本詩は長歌から短歌、さらに俳句へといっそう短い詩形式へと向かう中で、「表現内容の可能な限りの凝縮が行なわれており、それだけ
に一語一語に込められた意味は重い。(俳句の)言葉は象徴語であり暗示である。」を実践されておられるようにも感じます。(中略)内藤さんは、ドイツに留
学されました時に、日本語詩をドイツ語に翻訳する時の難しさを修士論文のテーマにされましたが、いつの間にか日本語の詩を書くときにドイツ詩、あるいは哲
学の発想を無意識のうちに取り入れておられるのではないかと感じます。
そして、自由詩ではありますが、俳句的な発想をも試みられておられるように思います。(後略)
■2017年3月29日、Y.H.氏
(前略)。表紙から「すてき」です。(略)。頁をゆっくりめくり始めました。数々の題名にわくわくいたしました。ここから先は、一頁一頁何回もゆっくりくり返して、私なりの思いに一つ一つたのしませていただいて居ります。(略)。
■2017年3月21日、鈴木漠氏(詩人)
(前略)。幼少時から親しんだ『月下の一群』の影響で、翻訳詩といえばどうしてもフランス詩が主になり、ドイツ詩は茅野蕭簫のリルケ止まりです。(略)。
■2017年3月21日、佐伯圭子氏(メシエ同人)
(前
略)詩群はほとんどメシエで読ませて頂いておりましたが、纏まると内藤様の真直な精神がよく表れていると改めて感じ入りました。「蝋梅」「ヤマボウシ」
(一)(二)「春風」が特に印象に残りました。エッセーも味わい深く評論の「外的風景と内的風景」には多くを学ばせて頂きました。
■2017年3月21日、柏木重一氏(詩人)
(前略)ていねいに言葉を選んで書かれた詩作品に感銘を受けました。
■2017年3月21日、H.T.氏
東京、京都と重なる風景に共感を覚えました。「ひかり」が好きでした。久しぶりの自由詩、楽しみました。
■2017年3月21日、N.F.氏
『遠
望』は詩と散文の集成。あとがきによると、過去10年間に同人誌に発表された詩、エッセイ、評論をそのまま手を加えずにまとめたものだという。詩38篇
は、数篇ずつ題をつけて分類され理解されやすくなっている。そして比喩的表現 が巧みで違和感がない。それは当たり前のようだが、ことばを正確に把握し語
彙が豊富だからだと思う。全般的に、観察力、記憶力、想像力の確かさを感じさせられた。
■2017年3月3日、新野耕司氏(カバー掲載上の銅版画作者)
(略)少しずつですが、読ませて頂いてます。制作を続けて良かったなと思いました。
■2017年3月3日、阿部由子氏(メシエ同人)
(略)知的で明快で向日的な言葉の数々。とても良い作品の詰まった詩集の発行おめでとうございます。(略)
■2017年2月21日、齋藤健一氏(詩人)
御詩集『遠望』悉く拝見。しばしば身体の内側の苦悶に立ち止まる。行きつふたたび行きつの如き言葉の角度や。
■2017年2月21日、S.M.氏
感性豊かな詞歌を拝読させていただき深く感銘を受けて居ります。
■2017年2月19日、H.M.氏
(略)
生きてこられた80年の出会いや別れ、死、自然の中の花や生きものに心を注ぎ、よろこび、悲しみ、いつくしみを豊かに率直に語っておられるように感じまし
た。この御本の装丁の表紙と中とびらの赤のコントラストは内藤さんを表していると思います。私たちの年代は多かれ少なかれ「戦争」が影を落していますが、
今の時代、また、「戦前」とならないように努力していきたいと思います。いろいろ考えさせて下さって、ありがとうございました。
■2017年2月7日、K.H.氏
(略)
頂いてから一気に読ませて頂くうちに景色が見えて来、音が聞こえて来、あたかも自分の「今」を味わっている様な気持になりました。詩に対するむつかしい約
束はわかりませんが、私には散文詩的な翻訳的な感性のするどさ、言葉の色に詩情の心を感じました。私は昭和の女でして、風邪をよくひいた娘のアデノイドを
取ってしまった事を悔いている母親なのです。昔を呼びおこす若き日の数々に共感し乍ら拝読させて頂きました。今后も益々メシエでご活躍あられんことをお祈
りしております。
■2017年2月7日、S.O.氏(画家)
「遠
望」を読ませていただきました。私は詩集をほとんど読んだ事がありません。その為、詩を深く味わう力がないと思います。その点をご了承下さいませ。読ませ
ていただいた中で、「バニラアイスクリーム」、「疎開」、「散歩」、「ヤマボウシ」、「蝋梅」等に心惹かれました。ヤマボウシや蝋梅の木があると私も足を
止めてしまう位、気に入っている木です。
エッセイはどれも私にとって読みやすく思いました。「おやつの思い出」、「指揮台をたたく音」等は、著者を想像し、身近かに感じながら楽しく読ませていただきました。
もう一つ、私が興味深く拝読したのが、「テュービンゲン」の事です。実は20年かもっと前かもしれません。私もテュービンゲンを訪れ、近くに大学のある、気持ちの良い所でスケッチをした事があります。
テュービンゲンはオレンジ色の屋根の家と木々が美しい町で、印象に残っています。大学が近かった為、多くの若者が三三五五集まって話していました。そんな思い出と重ね合わせて読ませていただきました。
|