日本人で初めて実際に原資料の調査を行い、マイクロフィルムで記録した国際的評価の高い著者による『ソシュール自伝』、アナグラムについての『事前に読む
べき最初のノート』等の全訳をはじめ、『一般言語学はどのようにして書かれたか』、『もう一人のソシュール』、『ソシュール研究のために』等の論考、そし
て言語学と記号学と神話学を結び合わせている『ホイットニー』、神話のディスクール『トリスタン』の原テキストの掘り起し全文を収録。
序文は、小松英輔氏の『一般言語学講義』の掘り起し作業に携わり、日本を代表する国際的なソシュール研究者である名古屋大学大学院教授の松澤和宏氏。
目 次
序文 松澤和宏
I ソシュール自伝
ソシュールの原資料
ソシュールの神話・伝説研究および未刊資料の公開
ソシュール『一般言語学講義』はどのようにして書かれたか
もう一人のソシュール(I)
――ソシュールの「アナグラム」について
もう一人のソシュール(II) ――ソシュールの「原典資料」の調査から ソシュール研究のために(1) ソシュール研究のために(2)
セシュエ著『理論言語学の素案と方法』についてのソシュールの書評の下書 ソシュール原典資料目録解説 ソシュール原典資料目録解説(続)
II Essai semiotique du texte de Jean RACINE ――rythmique et semiotique―― 文学とオノマトペ 源氏物語の固有名詞 言語学と失語症
III Notes pour un article sur Whitney" de F.de Saussure
TRISTAN-Notes de Saussure
序文 松澤和宏氏 『小松英輔氏とソシュール文献学』
本書は、元学習院大学教授の小松英輔氏がこれまでに発表されてきたソシュールに関する主要論文およびソシュールの自伝的回想の邦訳を収録したものである。
フェルディナン・ド・ソシュールの名が冠せられている『一般言語学講義』は、弟子にあたるシャルル・バイイとアルベール・セシュエの手によって編纂・執
筆されて、ソシュールの死後三年目にあたる1916年に刊行された。現代言語学の公認聖書のごとき権威を賦与され、現代思想の原点などと評されるこの編著
書は、学生の聴講ノートを参照しつつも、三回の異なる講義を「有機的全体」に仕立て上げたもので、その成立そのものにおいて深刻な問題を孕んでいた。小松
氏は、「一般言語学講義」に出席した学生の聴講ノートを判読転写して三回の講義の校訂版を世界に先駆けて刊行したことで、国際的に令名を馳せた研究者であ
る。パーガモン社から刊行された校訂版には見開きで英語の対訳が付されており、刊行当時から国際的反響を呼び、パリ言語学会誌の書評欄でも取り上げられ、
現在でも研究論文で頻繁に参照されている。日本の読者は今日この校訂版を日本語で読むことができる恩恵に浴している。
(略)私が小松氏からの誘いに応じて、「一般言語学講義」の校訂版作成に協力したのは、
1994年から95年にかけてのことであったと思う。(略)小松氏が、フィルム230本、8200コマにも及ぶ厖大な量の原資料へのアプローチを決意し敢
行された経緯は、本書収録の「ソシュールの原資料」で詳しく述べられている。原資料の評価において丸山圭三郎氏との間に齟齬をきたしたというエピソード
は、読者には意外に思われるかもしれないが、今から振り返ってみると、実に象徴的である。なぜならば、そのエピソードにはソシュール研究の相異なる二つの
方向が凝縮されて示されているからである。(略)
小松氏が精緻な分析によって明らかにしているように、『一般言語学講義』の編著者は第一章の「言語学史一瞥」を執筆する際に、これまでの言語研究の歴史
をラング(言語規範、言語体系)を唯一の対象とする科学(本書42頁以下を参照)へ至る過程として提示すべく、聴講ノートを巧妙に書き換えていったのであ
る。そこに一般理論を扱うラングの言語学、すなわち一般言語学こそ師の「決定的な思想」であるという編著者の予断ないしは固定観念が窺えよう。事実、管見
の限りでは、自筆草稿においても、ソシュールがみずからの研究を「一般言語学」として積極的に規定している箇所は一つも見あたらない。ソシュールが「一般
言語学」の樹立を目指していたという通説は、少なくとも現時点では文献学的な裏付けをまったく欠いているのである。(略)本書の目次にも明らかなように、
小松氏の文献学的研究は、晩年の「一般言語学講義」の復元に限られていたわけではない。ソシュールのトリスタン神話やアナグラムをめぐる考察をすでに
1980年代に視野に収めて、濃霧の立ちこめる自筆草稿の原野への探索の旅をすでに開始されていたのであった。加筆や削除にしばしば覆われている草稿は、
初歩的な知識を持ち合わせていない学生を相手にした「一般言語学講義」の聴講ノートとは趣が大きく異なり、暗中模索の探究の過程を生々しく伝えている。当
時の言語学の埒には到底収まらない、広範囲にわたるこうした探究の底流には、しかしながら、つねに記号や言語の同一性とは何か、という根本的な問いがある
ことに留意しておきたい。(略)書庫の奥で一世紀余り眠っていた文字が目覚め、ゆっくりと身を起こし、それらが光源となってどのような光をいかなる方向に
発することになるのか、ソシュール文献学は、ソシュール没後一世紀を迎えようとしている今日でもなお道半ばなのだと言ってもおそらく過言ではないだろう。
(略)言語一般への問いをあくまでも具体的な言語事象の分析と表裏一体のものとして深めていったソシュール、饒舌な抽象的思弁を潔癖に斥けると同時にみ
ずからの学的操作に潜んでいる暗黙の前提への徹底した反省を深めていったソシュールを他でもない言語学的思考の先蹤としえないとすれば、言語研究にとって
不幸なことである。日本の研究者は、言語論の渦中の単なる泡沫でないためには、小松英輔氏の先駆的な文献学的探究の成果を貴重な財産として所有することを
誇りとすべきであろう。(略)
|