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終わりのない出立
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エッセイ集
終わりのない出立


内藤 惠子
Keiko Naito
「日本でドイツ文学を学び、カント・ゲーテ・シラーの理想主義にふれていた」著者。到着した途端、現実のドイツに直面する。そこで出合った「ドイツ」を考える。ほかエッセイ4選。 
I 出立一九四六年のベルリン『戸口の外で』/『幻想』/二つの記念碑 
   / 無駄な死 
  
    ドイツの思い出  デーク家/ドイツについての話/エリカ・ナーゲル夫人のこと

  ゲルハルト・リヒター/ドイツの旅/求婚広告ブルーノ・ワルターの矜持    
   
  ポルシェ
/ドイツを考える/黒い教育学

II 「情緒」/ー直線と曲線ー  (友人Aとの対話)

III   お地蔵様と戦争/自主・自律・自己思考


2025年3月31日  石下典子氏(詩人)
 (略)
 ドイツのカルチャーも歴史も知り得ないことばかりで、読み進めるごとに納得できたのも、現場で実見した記述だからだと思いました。
 書名〈到達することのない旅への出立〉の重要な知恵で、人間本来の知的追求は高齢になろうと保持していていいのだと大変励まされる記述でした。知れば知るほど深淵な世界にたじろぎながらも、歩を進めることで喜びとわくわく感が授かれるのですね。
 デーク家でのご夫婦の借家暮らしでは、まるで須賀敦子のエッセイのような冒頭から、世界大戦後のベルリンで起きた不幸な事件に結ばれ、内藤さんが胸を痛めたことと同様にウクライナの現状をも思いました。
 驚いたのは宇都宮空襲を経験されていたことです。七月十二日の夜、雨の降る中、避難された方々が詩に書いていましたので、戦後派の私どもも実体を知ることができましたが、あまりに多くの死者と壊滅の県都でしたから、その後の暮らしは想像以上に苦しかったと感じ入ります。
 ドイツ語は難しいという定評ですから、高校生時代に関心を持ったことは明晰な頭脳の持ち主である上に、学ぶことが得意な方なのだと思いました。これだけの経歴をお持ちの詩人は少ないです。(以下、略)

2025年3月29日  K.G.
 
(略)
 カント・ニュートン・ユークリッドの世界、つまり昔の教科書だけを支えにして、文、思考を紬ぎ出していることが一読しただけでわかります。平行線は交わ らないと信じ込んでいませんか? 頭の中の純粋な世界ですよ。これは中学でお勉強するユークリッド数学です。ニュートンはユークリッド数学を唯一の数学だ と信じて公式なるものを記述してます。カントもこの世界を基盤に置いてます。だから「絶対時間」と「絶対空間」と絶対を2つも想定しているのです。ものさ しは「光の速さ」一つで十分。時間も空間も相対的。「光の速さ」にスポットライトをあてると、相対性理論ではなく「絶対性理論」です。「現実は、重力で空 間は曲がる」ので平行線は交叉します。
 「平行線は交わる」という非ユークリッド数学で記述された式から核兵器や携帯電話が生まれました。GPS機能も同様スマホのメールで「平行線は交わらな い」と送信している人は、「私は小さい声でしゃべってます」と大声でどなってる人、あるいは「私は今、日本語をしゃべってません」と日本語で言ってる人と 同じです。こういう人達だけでおしゃべりをするのは当人達の世界でまとまって楽しいでしょうが、仲間に入る気にはなれません。
 「たまに息抜きを」とか、「人生には遊びも必要だ」とか言う人は、実は思いつめてる人でしょう。本当に遊んでいる人は「ヤバイかな、たまにはまじめになろうかな」と不安になることがあります。(以下、略)

2025年3月26日・I . T.氏より
 〈出立〉を読んで  

 〈昔は良かった〉と郷愁を持って眺める過去は、ともすれば美化され た理想の過去であり、それを丸ごとの現実としての未来に置いても、そこには絶対に辿り着けない。むしろそこを目指して無批判に進めば、容易に過去の国家主 義や軍隊文化に取り込まれ、あちこちで悲惨な世界が再生産されるー懐古的ユートピアについて、そんな解説を読んだことがあります。本当にそこらじゅうで そういった回帰運動が起きていて、きっとドイツも日本も例外ではなく、長らく両者を見てこられた著者にはページに収まりきれない思いや分析がおありでしょ う。
 ですが提示いただいたように〈出立〉の寓話を〈人間の抑えがた い知的追求の旅への衝動〉として読んだ時、〈辿り着けないこと〉の意味はレトロトピアへの警戒から逆転します。先が見えず、行く道の保証もなく、途方も ない旅であることが、そのまま真の意味で〈幸せなこと〉なのです。以前、NHKのヒューマニエンス〈記憶〉の回で、〈記憶は、過去を参照して未来を予測するために形作られる〉という実験結果がありました。理想の過去に耽溺するのではなく、学びの旅を生き続けることで人は人類の膨大な過去を蓄積し、本当に向かいたい未来をも描けるのではないでしょうか。

2025年3月26日・I . K.氏より 「一九四六年のベルリン」を読んで  
 一九四六年での一事件「フリッシュの日記」を取り上げた内藤氏の見識から様々のことを想像させて頂いた。
 戦前、戦中、戦後のベルリンに関わった人々は、何百万、何千万、いや億の単位になるのではないでしょうか。その人々にはそれぞれの物語があったに違いない。その物語の一コマとしての事実がこの「フリッシュの日記」ということになるのでしょう。
 「あなたがロシア兵であったら、この「フリッシュの日記」ということになるのでしょう。
 「あなたがロシア兵であったらどうするであろうか。」という内藤氏の問いかけに、果たしてどのような行為が可能であろうか考えてみる。
 観念として行動や行為を想い描いたところで事実としての選択は一つ、そしてそれは常に想定を超えている。
 「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり。」と述べられている 『歎異抄』の言葉を思い、その時々の選択は常に「その人の業縁による」となれば、「あなたがロシア兵であったらどうするか」という問いの応えは、その人自身 の業縁による。選択という行為になるから、勿論、私自身、こうするかもしれないと思い描くことは出来るとしても、事実、自分自身の行為は、全く想定は勿 論、善悪を超えて為されるに違いない。
 存在の闇を何を灯として生き続けるのか。ここから私自身(各自)の物語が始まることになりそうだ。

2025年3月26日・H. S.氏より
  内藤恵子さんという方は初めて知りましたが、衝撃的な詩とエッセイで、内に何かを呼び起こされる、というと大げさですが…。(略)
カフカの引用されていたエッセイの冒頭部分に、私の浅学な知識では知り得ないものが世界にはあり、軽く実存などといってはいけないような気持ちになりました。(略)社会性と個のあいだの問題で、ひどく裂け目があり、そんなタイミングでこの詩に会えたことは暁光でした。

2025年3月26日・O. S.氏より
 「エッセイ集」なら私でも大丈夫かなと思って読んでいくと、興味ある内容もあり楽しかったです。一般的で、読みやすく…。特に「ゲルハルト・リヒター」、「求婚広告」、「ドイツを考える」など興味ありました。
 「ゲルハルト・リヒター展」は東京でも開催され、感動して観たのを覚えています。その囚人によって撮影されたモノクロ写真も展示されていて大変ショック でした。「ドイツの思い出 デーク家」では、ドイツ人と日本人は生真面目、几帳面、等と言われ、似ていると思うのですが、誕生日のお祝いの電話が40年以 上も続いたとの事、ずっと忘れないでいる事が愛情や友情の現れで、心打たれます。
 ★表紙の銅版画についてですが、とても良い作品と思います。この新野耕司氏の個展を観に行ったら私もファンになるかもしれません。強い線が魅力的です。表紙にぴったりです。

2025年3月16日・M.C.氏より
 たおやかに美しい装丁を開けると、岩のように強靭な宇宙のようにはるか彼方に 届くような言葉たちが並んでいて、うわあ、密度が高いと思った御本でした。さすが京大でドイツ文学の博士号、シュトゥットガルト工科大学マスターコース で学ばれさらに京都大学で教育学を修められた すごーい先生の御本でした。一つ一つの言葉を理解しながら、たくさんの光の矢のように流れてくる膨大な読 書経験と感動の波をまともに受け止めるには読者も襟を正し、正座して読まないといけないと思いました。春の雨の音を聞 きながらサーっと読ませていただきました。2度3度と通りすぎた文章を反芻しながら、ああ、すごい先生の心のうちをみせていただいているのだな…と感動 しました。  
 もう少し自分の言葉で表現が許されるのなら、とても深い深すぎ る言葉が並び、完全に理解するには何度も読み返し、人名とか本の名前とかギリシャ神話の神様の苦悩を自分で理解できるまで調べて、初めて内藤恵子さんの文章 を理解できるのだろうと思いました。内藤さんの偉大さは、私がいつも出会って語り合ってきた普通の女性の方たちと比べて、かけ離れた経験から出てきたもの だと心を打たれました。 
 戦時のアメリカ軍の爆撃を覚えておられる幼年時代をお過ごしになり、ドイツ留学を経て京都での教育に携ってこられて、高齢になられても素晴らしい経歴を鮮明に語り、本の形に残されるうらやましい老後だと尊敬します。
 どの部分に共鳴させていただいたか、まだまだ何度か読ませていただければどんどん言いたいことは増えるでしょうが、私の思ったことを羅列させてください。   

 戦 争に赴いて幸運に帰国したドイツ、アメリカ、日本の若い男性たちが、こころの傷を癒しきれずに暗くて痛い精神状態を引きずって生きてきたのだという部分、 私の父もフィリピンで足を銃弾で撃たれて周りの戦友が何人も死んだ戦地で一人野戦病院に運ばれて命を長らえたことを、何度も私と兄に話していたことを思い 出し、日本人が戦争にかかわったこともそんなに大昔のことではなかったのだなと思うと、自分が親たちの苦悩の時代が終わったばかりの世界で、食べ物を与え られ、愛されて、暖かく育ってきたのが本当に奇跡的なことなんだ、と改めて思いました。 
 カフカの出立という文章がこの御本のタイトルになっているのです ね。ここを離れて、まだ見ぬ彼方にむけて歩きだす。人たちは毎日歩きだしているのですね。ここを離れるのが喜びなのですね。私はまだまだここに滞って居た いし、ここにいる子供たちを見ていたい。でも年を取り、心が輝いた遊びも学びもできなくなり、あこがれた先達たちが次々と旅に出てしまった後に、はて何を して心を満たそうか。今までと別の道を、別の人々と語り合いながら、喜んで歩みだすのが正しい、あるいはそれしかチョイスがないのでしょうけど、その道は 「果てしない」という言葉で表現できるほど遠くまでは続かないと思ってしまっているのです。二十歳のころにこの道を歩いてどこまでいけるのだろうか、と胸 をときめかして想像した道が、ひょっとしたら来年の桜が咲く前に途切れてしまうかもしれない。かわいい孫が大きなえらそうな男性になるまでは、この道はつ づいていないのかもしれないと思ってしまうのです。         

 変わりたくない。ここに居たい。そう思うのが普通の人間で、それでも歩みを止めることができないのが人間なんだよな、とBaumannが言っているのですね。日本の戦後すぐには私はまだ生まれていなかったのですが、ある日突 然、学校の先生たちは思想の基盤が、天地がひっくり返るように位置替えされて、先週まで天皇様のために死ぬのが美しいと言われていたのを、今週になれば 突然天皇様は普通の人間だということを、教室のいたいけな2年生・3年生たちにどうやって教えようかと戸惑われたと思います。すべてのものが変化していく のですね。『幻想』の中でトォホルスキーが戦争の不条理を語って、明日再びこれは起こるのかと、隣人を突き刺したり、殺したりする戦場がまた来るのか?と 問いかけていますが、1935年に亡くなったトォホルスキーはその90年後にソビエトがウクライナに侵攻し、イスラエルがパレスチナ自治区の人々を無差別 に殺戮していることを予測していたでしょうか? 明日再びか、明日再びか、と恐れた明日は何度も波のように人々の憎しみを再燃させて、何度も人間の営みを 破壊し、かと思うと生き残った人々は何度も廃墟を立て直し、子供たちを抱いて暖かい暖炉とベッドを作り直す。想像を絶する繰り返しですよね。どうしたら 「これで喧嘩は金輪際やめましょう」という信念がとぎれることなく続けられるでしょうか。語り継ぎ、本を書き、抗議のデモをし、極端には命をかけて戦う人 々の次の世代の人々はまたもや同じことを繰り返す。なぜ、なぜ、なんで? 何考えてんの?と叫びたくなります。  
 私はアメリカ寄りに育ちました。アメリカは、今までほかの民族か ら攻められて自分の国の家が燃え、人々が殺され、あるいは捕虜にされ、あるいは処刑されるという経験のない国です。アメリカの人々の陽気さとスマイルと自 信は私にはまぶしかった。負けたことのない幸せな国だった。私の兄や少し年上の人々はロシア寄りの概念を語っていました。私にはほぼ理解できなかったけ れど、分かったことは、兄を含めあの頃の上級生たちはいつも怖い顔をして怒っていたように思えます。内藤さんはヨーロッパ、特にドイツ寄りにお育ちになっ た方ですね。私などと違い重い歴史の中で若い日を過ごされ、先達の文学者たちの重たい言葉を読みながら育たれたのだと思います。人間の経験はどの時代に大 人になってきたのかと同等に、世界のどの地域で大人に育ったのかも大きな違いを生むのでしょう。それぞれの違いはそのまま大人になっても続き、その溝はや がて相手を殺せるほどの大きなエネルギーを人間という生物に持たせるようですね。  
 隣人を愛しなさい、という言葉に包まれて私は育ってきたのです が、その言葉を生み出した民族が隣人の街を破壊し、子供を含む人々の生活を破壊したのはほんの先日のことです。ロシアとウクライナの憎みあいは続いていま す。人間ってバカなのでしょうかね。なにかんがえてんねん、と一番汚い言葉でわめきたくなります。 
 この本を読んで、内藤さんのような密度の高い女性を知らずにいたのが残念です。考えることを人に与える本をに書いてくださる作家の先生に拍手を送ります。 


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