関西の人・まち
編集の長谷さちあと申します。折に触れ、関西の人や町を取り上げてシリーズで書き記していきたいと思います。第1回目は「道修町」と書いて「どしょうまち」と読む薬の町を取り上げました。
(1)
道修町の薬の神様
いつの頃からか御堂筋は美しいものとして記憶に留まっていた。沿道の建物には高さ制限(100間=30m)がありかつモダンであるオフィス街。いちょう並木。
御堂筋を道修町まで南下し、300mほど境筋側へ歩くとそこに少彦名(すくなひこな)神社がある。ビルとビルの間に境内へと続く細い路地と、「くすりの道修町資料館」が建っている。この神社の別所俊顕宮司に話を聞いた。
江戸時代中期、薬種仲買仲間の人々は道修町一丁目から三丁目までの間に住むことを決められていた。講を作って全国の和・漢の薬商いの総元締をしていた仲買人たちが医薬品の鑑定・品質の安全性を祈願して祀ったのがこの神社の始まりである。
祀られているのは、少彦名命と神農神(じんのうしん)である。少彦名命は、その昔海の向こうから長さ約十センチ、幅約二センチのガガイモの莢に乗って
やって来て、国造りを行い、医療・禁厭(まじないで病気や災害を防ぐこと)の法を定め、酒を造って、後に常世の国に去った、といわれる。一方の神農神は、
中国古代の三皇五帝のひとりで医療をよくしたといわれる神である。
道修町には現在も多くの製薬会社がある。かつての仲買人に代わって、毎年十一月二十二日、二十三日に行われる神農祭を始め神社を守っている。「商う」から「作る」へと近代化されても信仰の姿勢は変わらない。
「漢方など効力が長期的にしか現れないものは商うのも難しい」と別所さんは言う。
組織による信仰とは別に、個人で病気平癒などのためお参りに来る人も多い。記帳簿には豊中など大阪のものに混じって東京板橋区などの住所も見うけられた。お守りは一個七百円。家族や親せきの分まで買っていく人も多いという。
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