飯沼万里子

mariko iinuma

時 々 雑 録
〈その3〉

第16回  2018年9月3日

『オルガンのある美術館』


 7 月の読書会で、メンバーの一人のピアニスト兼オルガニストが「来月オルガンを弾きます。」と言ったとき、すぐに「どこですか?聴きに行きたい。」と言っ た。なかなかオルガンを聴く機会はないからだ。ピアノの演奏会はよくあることだが、オルガンの演奏会というのはめったにない。コンサートホールにはピアノ は備え付けられているが、オルガンの備え付けられているホールはすぐに思いつくのはザ・シンフォニーホールくらいである。
 彼女は岐阜県美術館で演奏するのだという。美術館でオルガンの演奏会があるということにも心ひかれた。日と時間を教えてもらった。岐阜県美術館について 調べたが、オルガンの演奏会の情報はなかった。美術館に直接電話をかけた。応対してくれた美術館の館員はとても頼りなくて、オルガンの演奏会のことは知ら ず、私が詳しいことを聞くと、ちょっと待ってくれといってそれから調べたようだった。そしてこの美術館がJRの岐阜駅からはかなり遠いことも分かった。岐 阜駅から1時間に1回バスが出ているという。それ以外には西岐阜駅からなら歩いて25分だということだった。では西岐阜駅から歩こうと決めた。
 当日1時に西岐阜駅に到着した。美術館への行きかたを聞くと、とても単純だった。ひたすら道を歩くだけである。いいお天気で大層暑い中を歩くのはうんざ りすることだった。たまたま日曜日で、通る人もいない。自分が正しい道を取っているのかも怪しくなってくる。岐阜県美術館への矢印を見つけたときにはほっ とした。
 美術館は公園の中にあった。木々に囲まれて白い建物が静かに建っていた。演奏会は多目的ホールにパイプ椅子を並べて行われた。ホールといっても壁に囲わ れているわけではなく、美術館の中の空間をそう呼んでいるだけで、通りかかる人はすぐさまそこに座ることができる。椅子に座ると目の前の壁にオルガンは あった。勿論パイプオルガンであるが、ヨーロッパの大きな教会にある壁一面にパイプが並んでいて、2階に演奏者の席があるような規模ではない。こじんまり している。あとで知ったことだが、美術館でオルガンを備え付けたのはこの美術館が日本で最初である。1984年から毎月1回演奏会が続けられているとい う。このオルガンはイタリアの地方都市の教会のオルガンと同じものを日本人の手によって組み立てられたものである。白と薄緑色に塗られていて、鉛のような 鈍色のパイプが並んでいる。多分この美術館に近いところに住んでいる人たちであろう人々が、若い人はいなくてかなりの年配の男女が、オルガンを前に座って いる。 A4の紙に印刷されたプログラムが配られた。そして私の知り合いのオルガニストが紹介された。
 彼女はオルガンの前に座った。椅子は木製の箱のような形をしている。ピアノの演奏会のように、聴き手がピアノとピアニストを横から眺めるのではなく、オ ルガニストの背後から眺める形になる。鍵盤は肩の幅くらいでしかない。その代わり、オルガンの横にスイッチというかボタンというか、丸い突起物がいくつか あってオルガニストは時々それを引っ張ったり押したりする。そうすることで音色が変わるのである。
 彼女はまず1曲弾くと、これはイタリアのバロックの作曲家、フレスコバルディの曲ですといい、しかし今日は16世紀17世紀のフランドル、つまり現在の ベルギーの曲を弾きますといった。イタリアのバロックの曲は日本でも聴く機会はあるが、ベルギーの音楽は決して広く知られてはいない。とてもいい曲がある のに日本人にはなじみがないのは残念だという思いがあったに違いない。彼女は当時の政治情勢、つまり宗教改革でプロテスタントの国としてオランダが独立し てしまった後、ベルギーはカトリックのままハプスブルグ家の支配を受け続けた。それゆえに礼拝ではオルガンが演奏され、そのための音楽も必要であったとい うようなことなども解説しながら、フランドルの作曲家を何人か紹介して彼らの曲を演奏した。ゆったりと荘厳な曲もあったが、明るく楽しいものを紹介した かったようで、心地よく聴くことができるものばかりであった。特に最後の曲は小鳥たちのさえずりのように華やかで、にぎやかに終わった。1時間足らずの至 福のひと時であった。
 その後この美術館の展示品を見た。特筆するとしたら、山本芳翠の「浦島」であろう。明治初期に油絵で西洋の神話を描いたものに匹敵する作品を目指した力 作である。他にも近代、現代の日本の画家のすぐれた作品があったし、ルドンやシャガールの版画が多数あった。十分に訪ねる価値ある美術館だと思った。帰り は1時間に1回通るバスに乗って岐阜駅に出て、帰路に就いた。


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