xx そういう関係2 xx   ― ねじれの関係 ― 1

 ただの織の衝動的な言動だと、思っていた。

 織のいつにない笑みが気になった。

 その表情に意識を奪われ、織が出てゆくのを止めるタイミングを逸してしまったくらいだ。

 しかし、俺はそれを、そう重大なこととして受けとめていなかった。

 織の言葉の意味を深く考えようとはしなかった。

 小さなリュックしか持って出なかったことだし、一晩もすれば戻ってくる、とそう思い込んでいたのだ。

 俺は思った。帰って来た織を抱きしめて、耳元で何度も謝って、仲直りして、甘い時間をベッドで過ごして…そうすれば、すべて元通りになる…と。

 けれど、次の日の土曜日。俺が一日中家で待っていたにもかかわらず、織は戻ってこなかった。

 それでも、危機感はなかった。

 今回はハデに拗ねさせちまったなー、なんて苦笑しながら思っていた。

 それなら…と、日曜日は、俺から動いてやることにした。

 織のケータイに電話をかけてみる。

「はい…」

 2日ぶりの織の声に、俺は少々懐かしさとも言えるものを感じながら、口を開いた。

「しーき!悪かったよ。機嫌直して…」

 そこまで言って、それが留守番電話であることに気付いた。

 織の声が「発信音の後に…」云々と言っている。

「くっそ」

 機会相手に、話す気にならず俺は受話器を置いた。

 その日も、織は帰ってこなかった。

 

 月曜日。

 大学では同じ授業も多く、絶対に会えるだろうと踏んでいた俺の予想通り、織は俺の前に姿を現した。

 後ろにいる浅井に笑顔を見せながら、前の入り口から教室に入ってくる。

 仲間達の集まった席から、俺は声をかけた。

「織!」

 呼ぶと、織はこちらを向いた。

 少し遠くて、表情は読み取れない。

 が、織がこちらへ歩いて来たので、俺は少しホッとした。

「おはよう」

 誰にともなく、織は笑って挨拶した。

 いつもなら、自分のほうを見ているのに!

 面白くなくて、俺は憮然とした。

「お前、昨日と一昨日、どこにいたんだよ」

「俺んち」

 後ろから、浅井が応える。

 なるほど。だから、一緒に入ってきたのか。

「それはいいとして…織、まだ怒ってんのかよ?マジで悪かったって、言ってんだろ?」

「怒ってるワケじゃ、ないんだよ。浩二」

 何それ?わかんねーよ。

 織は少し困った顔をして見せた。

「あの…新しい下宿、見つけたんだ。いつでも入れるって。だから、今日にでも荷物取りに行く」

「お前、何言ってんだ?俺たちの”家”を手放す気かよ?」

 織が”家”に執着しているのは知っていた。

 だから、特別な意味をこめて、”イエ”と、口にする。

 しかし、織はゆっくりと首を振った。

「今まで折半していた家賃は、来月までは払うよ。それまでに、もしかわるなら新しい下宿、探しといて」

 親戚のビルの一室を借りていたので、一人で払えないほど高い家賃ではなかった。

 お金のことはどうでもいい。

 それよりも…織があれほど、大切にしていた場所を離れようとしている事実だ。

 俺はここにきて、薄々ながらコトの重大さに気付き始めていた。

 周りの者たちが”喧嘩かぁ?”と口々に囃し立てたが、黙殺してじっと織を見つめる。

 お前、何を考えている?

 織はじっと表情の乏しい顔で俺を見返していたが、やがてパチパチとまばたきした。

「僕、今日眼鏡忘れて、ここからじゃ見えないから前行くね」

 前のほうの席に、一人離れて座る織の後ろ姿をじっと見る。

 織のために空けてあった俺の隣の席に、浅井が座ってくる。

「何、お前座ってんだよ?」

「あれ?空いてないのか?」

 分かってるくせに、ひょうひょうと聞きやがって!

 ワザとらしく、顔をしかめて見せた俺に浅井はフッと笑った。

 くそったれ。すかしてんじゃねーよ!

 すぐに教授が入ってきて授業が始まったが、当たり前のことだが、集中できず、何も頭に入らなかった。

 

 そして、授業後の空きコマ、俺はなぜか浅井と二人で食堂にいた。

「何で、皆来ないんだよ!いつもいっしょにダベってる時間じゃねーか」

「そりゃ、お前。辺りに不機嫌撒き散らしてるもん。近づきたくないっしょ?」

 浅井は苦笑ともつかないニヤニヤ笑いを浮かべている。

「お前は、近づきたいのか?」

「バーカ。近づきたくもないけどね。織が可哀相でな」

「あいつ、俺のこと何かお前に言ったのか?」

「いや、何も。ただ”泊めてくれ”って言われて、一緒にTV見たり、飲んだりしただけ。お前の話はぜーんぜん」

 そこまで言われると、また腹が立つ。

「じゃ、何で織が可哀相なんて分かんだよ?」

「そこは、俺の観察力。まず、俺の所に泊まりに来ることからしておかしいよな。で、お前と痴話喧嘩して出てきたのかな、と思ってたら、かなり深刻そうじゃん。いつもより、微妙に口数多いし、明るいし。無理してるって分かっちまった。あいつって、あまりそういうの外に出す…少なくとも俺みたいな大学のダチに見せるヤツじゃないだろ?だから、よっぽどのことなんだろうなぁ、と。大学ではお前と意味深な会話してるし、やはり織の傷心の原因はお前だな、と思った。お前、何したの?」

 はっきり言って、どうして織が今回のことでそんなに神経質になったのか分からない。

 だから、誰かに聞きたかった。

 しかし、この何でも分かっている風な浅井に聞くのは…何か嫌だった。

「何で、お前に言わなきゃならねーんだよ」

 突き放す、言い方をした俺に浅井はあっそ、とでも言うように吸っていたタバコの火を消し、席から立ち上がった。

「そうだな…俺は何にもわかんねーから、織の側にいてやるとするか」

 背を向けた、浅井のジャケットの裾を俺は掴んだ。

「ん…何だぁ?」

 浅井は素直に引き戻された。

「言うから、聞け」

「最初から、そう言えって」

 呆れながらも、浅井は俺の隣に座りなおした。

 俺が木曜日の出来事を一部始終話すのを、浅井は口をはさまずにタバコをふかしながら聞いていた。

 話が一段落ついて、こちらもタバコに火をつける。

 それを見ながら、浅井は短く言った。

「…お前、神経ないのか?」

「俺の?どこが?」

 食堂の椅子に踏ん反り返って煙を吐いた俺の頭を浅井は丸めた雑誌ではたいた。

「そーやって、自分が悪くないって思ってる所が!だよ」

 不満げな顔をする俺に浅井は苦笑した。

「お前、あいつのこと、どう思ってんの?」

「どうって…そんなコト考えたことねーよ」

「それは…救いようがないぞ」

「何言ってんの?お前」

「俺の方こそ、お前がどうして織の気持ちが解らないのかが、分からないね。あいつは、一生懸命お前に見せてるじゃないか。せいぜい、悩めば?どうせ俺が説明しても反発するだろ?」

 そうだけど…。

 だからって、これだけ説明した俺を残して、何も言わずに帰るか?

 立ち上がった浅井は俺の思いを察したように言った。

「これだけは、言っておいてやろうか?”お前が自分の気持ちに向き合わない限り、何も解決しない”…頑張れよ」

 自分の気持ちに向き合う?

 …面倒だ。

 そう思った。

 嫌いなのだ、そういうことは。

 俺は大きくため息をついた。



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2000.02.27 脱稿



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