トップページへ   山彦の部屋目次へ   ←戻る
 ひとしちゃん

 苦行の富士登山
標高差60mの1500m級
 平成8年7月13日(土)夜、関東地方ARDF競技大会に参加するため京都を出発する。前夜に発って13日は移動運用をしたかったのだが遅れてしまった。中央自動車道諏訪湖SAにて仮眠、14日(日)7時に集合場所の山梨県北巨摩郡大泉村美し森駐車場に着後、受付場所の清泉寮駐車場に移動。高原だから涼しいのを期待していたが暑い。競技は暑くて思うように走れなかった。
 競技終了後、美し森駐車場に戻る。目の前に「美森山」(1,543m、八ヶ岳東部)があり、駐車場からの標高差は約60m。登りたいのだが頭痛がしてきた。ポカリスエットを競技前に2本、競技後に1本飲み、頭も冷やしていたのだが効果がなかった。近くにも標高差の小さい山があるのだが、あきらめて休むことにする。

 翌15日(月)、もやが晴れてから美森山の山頂で1局と交信。4年前に同じ北巨摩郡の観音平で交信した相手だった。
 天候も体調も良かったので富士山に登ることにして富士スバルラインで5合目に向かう。食堂で甘ったるいカレーライスを食べて、16:30登山開始。快調に歩き出したのだった。

これが高山病なのか
 ところが快調だったのは7合目まで、8合目付近から調子がおかしくなってくる。数歩進んでは立ち止まり、また数歩進むの繰り返しとなる。やっと山頂に着いたが10時間が経過していた。山頂は風が強くて寒い。売店のひさしの下で風を避け、地図を取り出し各山頂の位置を確認する。この時はまだ移動運用をする気力があったのである。

 一番近くの久須志岳へ行こうとしたが、あまりにも風が強いので断念。風を避けている男性が一人いたので、そばに行って話をしながら御来光を待つことにする。とにかく寒いが星だけはきれいだ。大日岳にて寒さに震えながら御来光を迎える。食事をしてから久須志岳で運用しようとするが早朝で応答がない。風も強いので運用を断念。すぐに下山しようかとも思ったがここまで来たのだから運用はしなくても最高峰の剣ヶ峰に行くことにした。

 上り坂では同じように休み休み進み、剣ヶ峰に着いたころには風も治まっていた。少し休んでから1局とだけ交信する。この休憩でさらに頭痛もおこり体調の悪化を感じる。ここでやっと歩けないのが「高山病」だとわかる。(なんと鈍感なことか)とにかく下山口へ戻らなければならないのだが、今度は下り坂でも歩けなくなる。休みながら時間はかかったが自力で下山口に着き、売店で酸素缶を買うが効果は感じられない。

 正午に下山を開始するが、足取りは重く吐き気ももよおしてくる。少し進んでは休みをとる繰り返しで、私を追い越していった人の姿はすぐに小さくなってしまう。延々と続く下山道、先は見えなくて途方に暮れるが、歩かなければ帰れないんだと自分に言い聞かせて少しずつではあるが前に進む。ジグザグのブルドーザー道が終わり6合目手前で馬に乗る。元気な登山時は感じなかったが5合目までかなりの距離がある。今の私には乗馬料1万円は高くない。5時間の下山路程であった。

 5合目に着いたら駐車場まで楽に歩けるではないか。さらに御殿場市内で食事を終えたら頭痛も治まり、東名高速の清水付近を走るころには完全に回復していた。やはり典型的な高山病であった。

教 訓
◎高山病 基本どおり途中の山小屋で十分な休憩が必要であった。

◎寒 さ 下半身は薄手のストレッチパンツの下にタイツだけで十分だったが、上半身は持っていった服を全部着ても寒かった。タイツと同じようなニットの長袖シャツまたはフリースあるいはダウンが必要。また大型のビニール袋はツェルトの代用になるので有用。
 山頂直前の山小屋の前で休んでいたら後から来た男性2人組の一人が寒さに震えていたので使い捨てカイロを譲った(この時はまだ他人を気遣う余力は残っていたみたいです)が、5合目で買ったカイロはシャツの上に貼る形式で、シャツと皮膚に隙間ができると熱が伝わらないので暖かさを感じなかった。一般的なもむ形式のカイロが良いようです。

◎日焼け 日焼けというよりも火傷の領域の状態になりました。顔は腫れ、唇は荒れて出血、帽子が野球帽型だったので耳が完全に露出してしまい耳の頂部には水疱ができるほどでした。薬局で買った薬を塗って4日でほぼ回復。太陽を遮る雲は遥か下であり、下界よりも日照時間が長い富士山では海よりも激しい日焼けだった。

山ラン対策
 荷物を軽くし、山頂滞在時間を短くするには、軽量ハンディ機で同業者8名のパーティーで「奥の手」交信が最適ですね。
 山ランでは登山手段は自由です。剣ヶ峰直下で止まったブルドーザーから中年女性の集団が降りてきました。御殿場からブルが利用できるようです。また、馬は7合目までなのですが、一緒に風を避けた男性の話では「15万円くれたら秘密で山頂まで行く」と馬子が語っていたそうです。

決意は固い?
 こんなにも苦しいのなら二度と富士山には登りたくない。もう絶対に富士山には登らないぞと決意して下山した私ですが、今は今度登るときはうまく登ってやると考えています。今回はARDF競技会後の月曜日に登ったのだが、次は競技会前の金曜日に登ってみようかなぁ。…懲りない性格です。

[平成8年7月22日初出]


 トップページへ   山彦の部屋目次へ   ↑ページ先頭へ   ←戻る