「京町家」を語る本についての読書感想文とエッセイ
階段箪笥〜宮川筋の京町家にて〜  §『京の町家』上田賢一著・廣済堂出版刊

   §『京の町家めぐり』蔵田敏明著/柴田佳彦撮影・淡交社刊

   §『杏の木のひとり言-油商家に生まれて』山中恵美子著

     §〈エッセイ〉茶わんと町家

   §『東京育ちの京町家暮らし』麻生圭子著・文藝春秋刊

   §『極楽のあまり風-京町家暮らしの四季』麻生圭子著・文藝春秋刊

   §〈エッセイ〉町家の思い出、一つ二つ・・・


§『京の町家-次の千年続けます-』上田賢一著・廣済堂出版刊
 「京町家って、どんなんかなぁ・・・? どんなんやって住んだはるんかなぁ・・・?」と思っておられる方に、この本はゼヒお薦めです!
 実は、本屋さんで手に取ったとき、「著者は京都の人じゃないし、また、よくある『町家ブーム』にのっかったヤツかなぁ・・・?」と思ってしまいました(今では深く反省しております。sorry・・・!)。
 何がお薦めというて、話を聞いた方の人選が素晴らしい。文化財として保存云々どうこうというような形だけの町家ではなくて、そこにはほんとうの暮らしがあるような気がする(ただ、中の「style 03 エコハウス町家」はちょっと違う感じ・・・)。本の中で印象的だった箇所を二箇所ほど挙げておこう―(注:表記ママ)
<style 01 うなぎのおぜき>「暮らしやすい」というのは家の中の造作なんかよりも、隣近所との関係の方が大切なんや。家の中のことは、金をかけてそうするのやから、それに応じていくらでも暮らしやすくなる。それよりもご近所さんとのお付き合い、地域とのお付き合いの方が大事ではないやろか。子供がこの町にどう根を下ろして生きていけるかが、暮らしやすいか暮らしにくいかの一番大事なところなんや。
<style 08 京繍「長艸」>「ぼくの衣装は残すというよりも、使ってほしいんです。ものの美しさに、『静の美』と『用の美』というふたつの美しさがあります。いまこの部屋にある衣装が美しいとしたら、それは静止した美、『静の美』です。ぼくの衣装は用いた時に、なんと見事な、と見ていただくことが何よりの喜びなんです。だから、ぼくの衣装は動きの中で見る『用の美』をめざしているんです。こういう水玉の衣装で舞わはったら、それはそれはきれいですよ、まして、蝋燭能なんかのそうそくの灯りで舞うと・・・」
「静の美」と「用の美」。
 きものと町家は似ているようだ。町家の美しさはまさに「用の美」なのだ。

 衣桁に掛けられた着物がただの飾り物でしかないように、町家も、そこに住んで仕事をしてこその町家なんです。町家を旧い時代を物語るための道具にしてしまってはいけません。「町家ブーム」だから「町家に住みたい」とか、「町家は京都の財産だから残さなきゃ」ではなくて、「町家で仕事をして暮らしていきたい」から、「皆さん、もう一回、町家に住むということはどういうことか考えてみませんか?」〔エステイト信店主妻記〕
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§『京の町家めぐり』蔵田敏明著/柴田佳彦撮影・淡交社刊
 写真・地図もしっかり入っていて、分かりやすい。今まであまり紹介されていなかったものも載せられており、興味深い。総花的すぎるきらいはあるが、ガイドブック的要素を考えると、こんなものかなとも思う。
 ただ、「エッ? これも町家?」というものもあって、どうかと思う部分もある。「町家」とはどういう形態のものを指し、どの基準で著者が取捨選択しているのか、明示しておかないといけないのではないか・・・。
 杉本氏との対談は少々物足りなさを感じる。「町家」ということを前提に人選をするのなら、今現在その町家で商売をしつつそこで暮らしている人と話をしないと、本当の「町家の暮らし」というのは見えてこない。「職住一致」のための住まいが、「町家」の基本である。〔店主妻記〕
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§『杏の木のひとり言-油商家に生まれて』山中恵美子著

 著者の生家・山中油店は、うちと同じ下立売通に面している。息子・斐文は、第二日赤への行き帰り、山中油店の表の様子や水車の廻る様を眺めるのが大好きで、しばし、足止めをくらう。
 本文に対応する模写図や、家内外の写真も豊富で文章の理解が深まる。個人的には同世代なので、著者の幼い頃の写真には非常に懐かしいものを感じる。その上、文章の歯切れが大変良くて、とても読みやすい。難を言うと、各章の配列をもう少し工夫されるとよかったのではないか・・・。更に希望としては、お家の間取図を載せておいていただければ・・・と。
 「町家」とは、「職住一致」のための住まいである、という観点からすると、まさに著者は「家の奥」と「店」の間、「だいどこ」で大きいならはった人やなぁ・・・と思う。この本の中でも、「だいどこ」という章は、絶品である。すこしばかり引用しておこう。
 (前略)  「だいどこ」にいれば、店への人の出入の気配がよくわかる。「ごめんやす」と言って入って来るお客さんには「だいどこ」から返事をすれば、声が届く。また逆に犬や鵞鳥など、庭で飼っている動物の声もよく聞こえるから、わざわざ見に行かなくても「庭を近所のねこが横切った」とか「いたちが来た」などと声によって聞き分けることができる。このように多目的に使われる「だいどこ」は人が集まる情報収集発信基地と言えるかも知れない。 (後略)
 杉本節子著『京町家の四季』と比べてみるとよく分かるが、同じような大きな京町家に生まれた育った女性でも、家業を営む傍ら育てられた人とそうでない人とは、こうも「町家」に対する考え方が違うものかと思う。同じ「しきたりを守る」という作業ひとつをとっても、そこに流れる意識は異なるのではないか・・・。
 「町家」に住みたいという若い人が増えている。うちの店にも「町家に住みたいのですが・・・」という問合せが多い。そういう方々と膝をつめて話をしたことはないが、ただ漠然と「町家に住んでみたい」というだけの方もいらっしゃるようだ。その一方、「町家に住んで物を造りたい」とか、「仕事場にしたい」という方も多い。職住一致なればこそ、夜中に思い立って仕事の続きをしたり、営業時間外にお客様のお相手ができたりするのですよ。「町家」をお探しのみなさま、どうか、「町家」とのよいご縁が得られますように・・・!〔店主妻記〕
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§〈エッセイ〉茶わんと町家
 ふと、思った。抹茶茶わんと町家は似ている。
 雑貨屋さんの店先でいくつも重ねられて、「一ツ300円」とか張り紙をされている茶わんもあれば、重要文化財に指定されている古いものから、有名な人の手によって造られて、ン百万円の値がつくものまである。でもやっぱり、茶わんは茶わんなのである。美術館のガラスケースの中ですまして鎮座している姿を眺めるよりも、お茶席で実際に茶を点てられた茶わんが手許へやってきた時の方がわくわくする。一服いただいた後の茶わんの中の景色もすばらしい。疵を修理した金つぎの様さえ、美しい。茶わんは、やはり、茶を点てていただくための道具なのである。
 町家は、どうだろう。平家で二畳と三畳、もちろん風呂ナシの小さな町家から表屋造りの立派なものまで・・・。今もごく普通に表の店の間で糸くりをしているお宅から、文化財になってしまったもの。
 「町家」としては、どちらが幸せなんだろう・・・。家が傷もうが、維持修理にお金がかかろうが、町家は、商家としてできるだけたくさんのお客さまに出入していただき、家業の繁栄を求める人が暮らし、かつ仕事をするための器、道具なのではないだろうか。町家は町家として造られた以上、町家としての使われ方をしてほしい。
 町家がブームになり、文化財として保存するとか見学会をするとかかまびすしい。家の公開のために予約を募ったり、「順路」を設けて見学させるなら、家ごと明治村に引越しすることをお勧めする。文化財的価値があるとかないとか、その評価は別として、ガラスケースを通して眺めるだけとか、家中に「ここから先はご遠慮ください」と結界がおかれている様は、あまりに寂しい。茶わんも町家も、それ本来が持つ役割を決して忘れてはならないと思う。
 道具は、使われてこそ、道具である。〔店主妻記〕
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§『東京育ちの京町家暮らし』麻生圭子著・文藝春秋刊
 まず、「不動産屋が仲介に入っている物件は、必ずと言ってよいほど中途半端なリフォームが入っている(25〜26頁)」との指摘は、その通りです。町家の文化的価値への認識がない不動産屋がほとんどです。古い手付かずの町家に住みたい、などといったら、「ちょっとおかしいンとちがう?」と、白い目で見る不動産屋や家主さんもいます。また、借主がその費用を負担して町家を改修するから貸してほしいといっても、出ていくときにその費用を家主から請求できるため、結局、この申し出で町家を借りることはできない(26頁)、と書かれていますが、これは誤りです。借主の費用償還請求権・造作買取請求権を契約上否定しておけばOKです。
 町家がどんどん解体されていく手助け(町家殺人教唆・幇助?)をしているのが、残念ながらわれわれ不動産屋であるというのは否定し難い事実です(37〜39頁)。全く同感です。
 単に個々の町家の保存にとどまらず、より高次な町並み保全という視点からの取り組みが必要だと言うのに、嘆かわしい限りです。

    京町家またひとつ消え京都からKyotoに變(か)はる春は曙        

 町家を、所有者が空家にしてそのままおいておく理由がいくつか書かれていますが(40〜41頁)、いわゆる定期借家法や前述した借主に改修費用を負担してもらう方法で、所有者の持つ、貸すことによる不安は解消できる場合が多いでしょう。ただ、古い町家をそのままで貸すと、世間から、そんなことをしなければならないほど生活に困っているのか、と邪推されるのが嫌だから貸さない、というのは、いかにも京都人らしい理由で、同じ京都人である私にもよく解ります。しかし、世界でも有数の文化都市、京都の住人としては、はなはだ情けない。
 しょうもないプライドは捨てろ!
 逆に、古い町家を放置して利用できないほどあんたは金に困ってんのか!といいたい。町家が泣いている!

 さて、麻生さんは友人のツテで一軒の町家を借りたところ、改修工事の途中で、貸主が町家の所有者ではないことが判明し、結局、借りられなくなってしまった(90〜94頁)そうですが、こういうケースを聞くと不動産屋の私としては、こんなことを思ってしまいます。縁故や友人・知人のツテだと、ついつい信用してしまい、所有者を調べたりすることはないでしょう。われわれ不動産屋の仲介なしで借りたほうが、手数料はいらないし入居審査もなく、手続きも簡単な市販の契約書を交わすか、口約束だけで済ませられて、貸主・借主、お互い好都合と思われるかも知れません。しかし、貸主・借主の利害を調整し、後日のトラブルが生じないように、また生じても円満妥当な解決を図れるように見守ることがわれわれ不動産屋の重要な仕事です。
 麻生さんのこのケースでも、不動産屋はまず、物件の所有者ないし賃貸権限の有無を調査しますから、仲介業者が入っていたら、こんなことにはならなかったでしょう。

 何と言っても、麻生さんが借りられた町家の改修の様子は、スゴイです。
 壁塗り、床板の漆塗り・・・etc.脱帽です。
 ただ、麻生さんはご近所付き合いが嫌いらしいですが、「京町家暮らし」というためには、ご近所付き合いができないとダメだと思います。ご近所付き合いができないなら、それは「暮らし」ているのではなく、ただ単に「住んでいる」にすぎません。
 この本では、町家探しと町家改修について書かれているだけで、暮らしについては続編として執筆される予定とのことですので、次著が楽しみです。〔店主記〕


 麻生さんの町家ぐらしは、キャンプである。
 山の雰囲気が味わいたくて、ハイキングをしに行って、夜はキャンプをはり寝袋で寝る・・・。山菜を摘んで天ぷらにし、清水でのどをうるおす・・・。ああ、山の自然はすばらしい!
 でも、これは山の生活では決してない。林業や猟を生業とする人から見れば、山にとっては「お客さん」に過ぎないのではないか・・・?
 もし、今、私が一人(or夫と二人)暮しで、身体に何不自由なく時間的拘束もなければ、麻生さんのような町家ぐらしもしようと思えば可能だと思う。電子レンヂがなくてもゆるゆる煮物をすればいいし、毎日買物に行けば冷蔵庫も要らない。冬の冷たい朝、外の洗面所の氷を割る事だって楽しいかもしれない。
 でも現実は、熱が出たときのために冷凍庫には氷も作っておきたいし、哺乳瓶の消毒には電子レンヂも欠かせない。介護の必要な年寄りが居れば屋外のお風呂は危険だし、走り(流し)へおりる段差は、妊婦にとっては鬼門である。
 麻生さんは、人生の何年間か切り取った年月を、キャンプ生活をするように町家で体験生活してみる・・・という感じでしょうか・・・。自分の環境や体調が変わったら、それはその時にはHOME TOWNへ戻ってしまう・・・。
 扶養家族がふえようと不調になろうとずっと町家で暮らしていく・・・、そういう類の者にとっては、読後、少々違和感を覚えないではない。日々の暮らしは、「晴れ」ではなく「褻(ケ)」の連続なのですから。〔店主妻記〕
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§『極楽のあまり風-京町家暮らしの四季』麻生圭子著・文藝春秋刊
 よそさんに「京町家の暮らし」って、こんなものと思われると、ちょっといややなぁ・・・とか、本にして出版してしもてもいいんかなぁ・・・と思うところが随所に出てきた。京都、特に洛中に住む人以外の方々にいろいろ誤解を与えてしまっているのではなかろうか・・・!?
 前著でも非常に気になっていたことを一つ。御本人がまえがきの中でも書いておられるように、麻生さんの家は京町家ではない。門(かど)口が通りに面していない上に、洛中にあるわけでもない。そういう、いわゆる民家を「京町家」と謳う(まして、題名に!)のはどうかと思うのだが・・・。
 それと、もう一つ。「中京以外は京都におへん」という一文があるのだが、そういうことは言うたらあきまへん!
 京都はむかし、上京と下京しかなかったんです。中京は、その上京と下京の一部でできているだけのこと。
 事の真偽は存じませんが、四条通より上(かみ)の町内は中京区に、と市が言うたところ、「うちは鉾町やから、下京のままでいんといやや」とのことで、結局中京にはならへんかったらしい・・・・。中京以外は京都やないなんて言うたら、上京や下京の人が怒らはりますえ!
 麻生さんが「町家暮らし」でなく、「町家遊び」をしておられるのはどのページからでもよく分かる。
 それでも、やっぱり私としては、今はもう形だけしか町家でなくなってしまった杉本家や吉田家を見学して町家暮らしの師匠にするのではなく、今でもごく普通にお商売をして生活をしておられる町家にごく普通に日常的に買物に行って、「町家」というものに触れて欲しい。奈良漬を買いに田中長さんへ、うなぎを買いにおぜきさんへ・・・。
 そして、夫君、何でも建築家らしいが、仕事としても町家の再生をプロデュースしようとするのなら、なぜご自身は生活をしている町家で事務所をしないのか・・・? 町家は職住一致、自営業を営むための家ということをお忘れか?
 
そこのところをクリアして、そして町内のいろんなこと・・・例えば愛宕さん詣でだったり、地蔵盆だったり・・・をこなしていって、町内の人と交わってこそ、本当の「京町家暮らしの四季」という題名に相応しい本となるのではないだろうか?〔店主妻記〕

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§〈エッセイ〉町家の思い出、一つ二つ・・・
 
 下京の諏訪町通に面したろうじの一番奥の小さな平家の町家(6畳・3畳・6畳に通り庭)にいたことがあります。父は、丹後ちりめん製造卸仲介業(いわゆる「糸店・いとみせ」)をやっていて、その京都支店でした。
 諏訪町通というても、京都の人でもご存知ない方が多いのではないでしょうか・・・。「すわんちょう」と読む、その通りは、烏丸から一本西側の高辻から花屋町までの南北の細くて短い通りです。住所は、諏訪町通高辻下ル東入ル小島町。むしろ、京都銀行本店の西隣というと、分かりやすいでしょうか・・・。
 私が幼児だったころですから、昭和四十年代前半。高度成長期とはいえ、市電がまだまだ健在でした。付近は大きな会社のビル以外はほとんどが町家で、大きい小さいはあっても、どの店(家)も似たような造りでした。夜になると、煙出しの天窓から月の光が入ってきて、電燈をつけなくても歩くくらいは不自由しませんでした。
 家のトイレは水洗化されてはいたものの戸外にあり、廊下続きではなかったものですから、いちいち履物をはいて出る必要がありました。へっついさん(おくどさん)はもうなかったのですが、通り庭は土間のまま(コンクリート)で、寒い寒い家でした。冬の夜など、おしっこはしたいし、でも素足に下駄で外に出るのはつらいし・・・、かというて靴下をわざわざはくのは面倒だし・・・。いったい私はどうすればよいものか、幼心に一生懸命悩んだものです。
 その上お風呂がなかったので、お風呂屋さんへ行っていました。ごく近所にはなかったので、烏丸通を渡って仏光寺通の薬師湯へ。烏丸通は何というてもオフィス街、夜分には人通りが極端に減ります。京都銀行の高辻通側では痴漢が出るとかいう噂もあって、お風呂屋さんへ行くのはとてもいやでした。
 夜、お布団に入ると、市電のがたごと走る音や警笛が聞こえてきます。丁度、京都銀行の前に「烏丸松原」の電停がありましたので、夜になってあたりが静かになるとよく聞こえました。私にとっては、「諏訪町の家の思い出」=「市電の思い出」です。

 結婚して嫁した家がこれまた古い町家(築80年以上とか・・・)で、お風呂はあったもののトイレは戸外の廊下伝い。もちろん、洗面所も洗濯機も外でした。何よりつらかったのは、台所でお湯が出ないこと。10余年に亘るマンション暮らしで、便利な生活に身体が馴れきっていたからかもしれません。換気のよいのはよいのですが、通り庭に流れる風はほんとうに冷たく、流しに立つのに足許にストーヴが欠かせませんでした。一年で一番寒い寒の時期を過ごした後、家は改築いたしまして、今ではそんなことも笑い話になってしまいましたが・・・。〔店主妻記〕

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