(1)常に流転変化し苦しみ多き迷いの世界を此岸というのに対し、 |
生死を離れた平安 な涅槃の世界をいう。 |
その悟りの境界に至ることが仏教の究極の目的である。 |
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(2)彼岸会のことをさす。春分と秋分の両日を中心として前後七日間に行われる法 会。 |
日本独特の行事で在俗信者は寺院に参詣、墓参し、僧に読経と法話を行っても らう。 |
彼岸会とは |
春分・秋分を中日(ちゆうにち)としてその前後三日の七日間を春・秋の彼岸の節とする。 |
この春・秋の彼岸のときに行う法会を彼岸会という。 |
彼岸に到るための法会という意味で 一般には「お彼岸」と親しんでいう。 |
彼岸は梵語の波羅蜜多pa ̄ra ̄mita ̄の訳で、到彼 岸の略である。 |
「波羅は秦に彼岸と言い、蜜は秦に到と言う。(中略)生死を以て此岸とな し、 |
涅槃を彼岸となす」(『大智度論』第一二)。 |
すなわち、生死輪廻の此岸をはなれて涅 槃常楽の彼岸に到達するという意味である。 |
とくに春分・秋分のときに仏事を営み、 |
これを 彼岸会というのは『観無量寿経』の日想観の説に基づいている。 |
すなわち春分・秋分には 太陽が真東からのぼって真西に沈むところから、 |
この日没の処を阿弥陀仏の浄土である と観じて、 |
そこに往生の本願をとげるために、この時に仏事を行うのである。 |
この他、立 春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の八王日は天地諸神陰陽交代する日で、 |
「この節に持斎して悪事をしなければ増寿益算を得べし」 |
(『法苑珠林』第八八、『浄土三 昧経』)というに基づくという説、 |
あるいは二月、八月の七ヶ日の間摩醯首羅天をはじめ大 梵天王、 |
太歳神等が夜摩と兜率天との中間にある天正樹下に集まって |
一切有情の善悪 を校量するので、このとき彼岸作善の法を行うのであるという説 |
(『彼岸功徳成就経』、『速 出生死到彼岸経』)、 |
また昼と夜との長さが等しいところから仏教の中道に合致するの で、 |
この日に法会を行うとする説など諸説がある。 |
彼岸会は古来からわが国で始められた 行事で『日本後記』一三、 |
大同元年(八〇六)三月辛巳に「崇道天皇光仁天皇の子 |
早良 親王の奉為(ため)に諸国国分寺の僧をして春秋二仲月別七日、 |
金剛般若経を読ましむ」 とある。 |
明治一一年(一八七八)六月以降春分を春季皇霊祭、秋分を秋季皇霊祭としてい たが、 |
現在では昭和二三年(一九四八)七月より「春(秋)分の日」とよんで国民の祝日と している。 |
彼岸の期間中各寺院では彼岸会の法要を営み、 |
人々はこの間に先祖の墓参り をする者も多く、 |
また彼岸団子やおはぎをつくって各家々の仏壇に供えたりする。 |
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人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とさ れました。 |
この期間に行なう供養を中陰供養といいます。 |
『梵網経』には、例え生前中に、 悪行を重ねた人でも、 |
遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあり ます。 |
49日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。 |
「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変 わることを意味し、 |
それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事となり、 |
この法要は盛 大に行なわれることになりました。 |
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『源氏物語』「夕顔」にも 「かの人の四十九日忍びて、 |
比叡の法華堂にて、ことそがず装 束よりはじめてさるべきものども、 |
こまかに誦経などせさせ給う。経仏の飾りまでおろかな らず」とあります。 |
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古代インドでは、人間の体のなかには六十四のマルマンがあり、 |
その一つが何かの拍 子に切断されと激しい痛みが起こって、 |
人間は死ぬと思われていた。このマルマンの音 写が「末魔」である。 |
そこから、人間の死にぎわを「断末魔」というようになった。 |
その「断末魔」のあとに、 |
私たちは現世に別れを告げ、 |
別の世界に入っていくわけです が、 |
この別の世界とはまた来世への行き先を決める世界でもあります。 |
私たちは、この現 世で悪いことをすれば地獄に墜ち、 |
善いことをすれば天界に生まれ変わることができる |
このことを「因果の世界を輪廻転生する」と云う。 |
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私たちは、死後、六つの世界のうちのどの世界に転生するかを、 |
この「因果応報」の基本 原理により決定しなくてはならない。 |
つまり、現代風にいえば、生きている時の業(生き 方・行為)を死後に裁判される分けです。 |
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仏教では.維でも守らなければならない「五戒」がある。それは、 |
@不殺生戒(みだりに生物の命を奪わない) |
A不愉盗戒(盗んではならない) |
B不邪淫戒(セックスにおいて、みだらであってはならない) |
C不妄語戒(うそをつかない) |
D不飲酒戒(酒を飲まない) |
の五つだ。冥途の法廷では、これらのことについて調べられる。 |
この裁判を受ける世界を「中陰の世界」と呼ぶ。現世と来世の中間だから「中」であり、 |
現 世の陽に対して死後の世界は幽冥なので、「陰」というわけです。 |
その裁判に必要な期間は49日。 |
ちなみに「冥途」とは「冥土」とも書くが、この冥界は死者が住みつく場所ではなく、 |
ただそ こを通過するだけの土地であるため、「冥途」という書き方のほうがふさわしい。 |
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ともあれ、この「冥途の旅」は、山路から始まる。 |
人が死ぬとまず山の麓に到る。 |
この山は 死者が冥途へ旅立つにあたってその出発点となる山であるところから、 |
「死出の山」と名 づけられ長さが800里、高さは不明。 |
いずれにして峻険な山脈であり、これを7日間に わたって、 |
星の光だけを頼りに死者はとぼとぼと一人で歩いていくことになる。 |
死者は、この冥途の旅の間、 |
中陰の期間は、どのような姿をしているのかというと、 |
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死者はきわめて微細を体をしており、人間の目には見えない。そして、香を食物としてい る。そこから彼らを「食香」と呼び、仏壇には彼ら死者のためにお線香絶やしてはならない という根拠になっている。 |
初七日は秦広王(しんこうおう)の法廷。本地は不動明王です。一切の悪魔を降伏さ せるために、忿怒の相をあらわしたものです。その姿態は種々ありますが、インド、チ ベットのものは一面二手形、中国、日本のものは多面多手形のものが多いようです。 日本では観音様と並んで厚い信仰を得てます。お姿は、右手に剣を、左手に縄をもっ ていらっしゃって、剣は悪魔や煩悩をくじくもの、縄は迷いの道に入ろうとしているも のでこれを縛って救うことを意味しています。 |
また、背後の炎は人間の持つ百八つの煩悩を焼き尽くして救済するという、大慈悲 の徳をあらわしたものです。病魔追散、除災招福、交通安全などのご利益があるとさ れています。 |
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初七日と二七日の間に三途の川がある。 |
死者は、秦広王の法廷を過ぎると、あの有名な三途の川にさしかかる。小さな川で はない。冥界をとうとうと横切って流れる大河である。そして、冥途の旅をする者は、 誰でもこの三途の川を渡らなければならないのだ。 |
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「三途の川」という地名の由来は、「川の向こう岸に渡るのに三通りの途があった」と ころからきていてる。3通りとは、一つには山水瀬、二つには江深淵、三には有橋渡 である。善人は有橋渡を通り、橋が架かってる。それ以外の者達は、川の中に入らな くてはならない。しかも、悪人にも二段階あって、比較的罪の軽い人は浅瀬、重罪の 人は濁流を渡らなくてはならいとされている。 |
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この「三途の川」の渡し賃が、六文といわれている。死者を荼毘に付すときに、お棺 の中に一文銭を六枚入れる風習が生まれたのはこのためである。「地獄の沙汰も金 しだい」とは、おそらくここから生まれたことわざであろう。 |
第二法廷は初江王の法廷。本地はお釈迦様です。初名は「ゴウタマ」、または「シッ タルタ」といいます。親しんでお呼びするときはお釈迦様といっていますが、釈迦牟 尼の牟尼というのは、静かなさとりの境地に達した聖者という意味です。この法廷は 三途の川を渡ったところにあり、すでに初江王のもとには秦広王からの報告や衣領 樹の枝のしなりぐあいのデータが届いている。このデータを見ながら、裁判を行なう わけだ。この第二法廷では、主に死者の殺生の行為が裁かれる。仏教では無益に 生き物の生命を奪うことが、最大の罪悪とされているからだ。 |
第三の法廷は、宋帝王(そうていおう)の法廷。本地は文珠菩薩。殊は珠とも書きま す。お姿は獅子に乗り、剣や教典、あるいは、蓮の花をお持ちになっているものなど いろいろありますが、特に片手に利剣を、もう一方に教典を持っていらっしゃるものが 多いようです。 |
文殊菩薩は、次の四七日忌のご本尊の普賢菩薩さまと一緒に二七日忌のご本尊様 の釈迦如来さまのアシスタントをしていらっしゃいます。「三人よれば文殊の智恵」と いうことわざがありますが、これは文字通り、愚かな者も三人よれば文殊菩薩さまの ようなよい智恵がでるということです。その智恵で文殊菩薩さまは、私たち助けてくだ さり、故人となられた方を仏の国に入れる手だてをしてくださいます。 |
第三法廷では、宋帝王が、ネコとヘビを使って死者の邪淫の罪を裁く。この件に関し ては、なぜか、たいがいの人が返答をあいまいに濁らせてしまう。「いえ、あの、その …」邪淫の罪を犯した者が男なら、ネコが男性自身にガブリとかぶりつき、女性の場 合なら、ヘビがするすると足下に忍び寄り、下半身の一点からは入り込み……。 |
第四の法廷は、五官王(ごかんおう)の法廷。本地は普賢菩薩。生きと生けるものす べての命を延ばす徳をもっていらっしゃるので、延命菩薩とも呼ばれています。お姿 はいろいろありますが、白い象に乗ったり、剣を持ったり、蓮の花を持ったりしていら しゃるのが普通です。三七日のご本尊さまの文殊菩薩さまとともに、二七日忌のご 本尊様の釈迦牟尼如来さまの脇にあって、そのアシスタントをなさっています。文殊 菩薩さまが、仏に智・慧・証の徳を代表しているのに対して、この文殊菩薩さまが代 表しているのは理・定・行の徳です。また、壮大な世界を描いた仏教文学・華厳経の 中で、十の誓いを立てていらっしゃいます。それはいろいろの仏様の誓いの中でも特 にすばらしく「すべて生きとし生けるものが仏になるまで、吾が願いは尽きない」とい うものです。 |
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五官王の法廷には、死者の生前の言動における悪を一瞬にして量る魔法の秤が置 かれている。死者はこの秤にいやおうなく乗せられ、来世の行き先が即座に表示さ れる仕掛けになっている。そうして「地獄行き」を宣告された多くの死者は、ひたすら 五官王に懇願して、あと七日間の猶予を乞う。 |
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第五番目の法廷は、かの有名な閻魔王が死者を裁くところとなる。本地は地蔵菩 薩。そのお姿は僧形といって、ほかの仏様のように長髪ではなく、お坊さんのように 髪を短く刈っていらっしゃいます。持ち物は、一般に錫杖と宝珠です。お釈迦さまの 次の仏様が出現なさるまで、この世にあって人々の苦しみを救われますですから 人々の中で人々と同じお姿をしておられ、僧形になっているのです。地蔵というは、 大地の堅固なるのと同じように、堅い決心をあらわしています。その堅固なる仏道修 行の心を、亡くした方が見習うことを意味するので。 |
この閻魔庁には、「浄彼璃」という水晶でできた鏡があり、死者の生前の善悪の業が すべて映し出される。閻魔王が相手であるから、うっかりうそをつこうものなら、舌を 抜かれる。 |
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余談だが、閻魔王というのは以外にやさしく「あなたは地獄に堕ちるよりしかたがな い。……しかし、あなたのために、遺族が追善供養してくれるかもしれない。だから、 もう少し待ってあげよう」と、やさしく語りかけてくれるケースが実は以外と多いのだ。 これは閻魔の生い立ちと関係がある。というのも、インド神話的によれば、閻魔は人 類最初の人間なのだ。したがって、最初に死んだ人間も彼が最初ということになる し、なにせ死者第一号なのだから、当然、死後の世界に到達した第一号ということに もなる。彼が死後の世界の王となったのはそのためなのである。 |
閻魔は死者たちに寛大なのである。ともあれ、中陰の世界も終わりに近づく−− |
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第六番目の法廷は、変成王(へんじょうおう)の法廷。本地は弥勒菩薩。この仏さま は、仏滅後五十六億七千万年してこの世に出現され、お釈迦さまが説法されたと同 じように未来の人々に真理の教えを説いてくださると言います。そのときに、お釈迦 さまの説法に洩れたすべての人々が救われるのです。現在は兜卒天(トソツテン)に 居住されています。このゆえに補処の菩薩さまともいわえています。 |
この法延では、秤を使って裁きを行なった五官王と、鏡を使って裁いた閻魔王の報告 にもとづいて、審査が行なわれるのだ。念には念を入れるというわけである。 |
四十九日、満中陰忌の法廷は、泰山王(たいせんおう)の法廷。本地は薬師如来。 そのお姿は、薬壺をもっち、この中には生きとし生けるものの苦しみ、悩みを救う薬 が入っています。ちょうど身体の病気が医師の適正な投薬によって癒されるのと同じ く、薬師如来は人々の心の病にぴったりの薬を与えてくださるのです。 |
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七七日忌のご本尊としますのは、「死という苦しみによって中有(四十九日)の期間、 苦しんで亡くなられた方に、今この日から楽しく生活できるように」という願いからきて います。地獄・餓鬼・畜生・修羅を四悪趣と申しますが、こういう悪いところに落ちる べきものでも、四十九日の追善供養の力によって、人間・天上という善趣に生ぜしめ ることができるのです。 |
七七日忌泰山王は、最後の決定を下される。 |
死者に六つの道を指し示す。道の先には、六つの世界か広がっている。六つの世界 すなわち「六道輪廻」の世界である。ただ、どの道がどの世界に通じているかは、ま ったく明らかにされていない。そのうえで死者に道を選択させようというわけだ。 |
死者は、しかたなく、六つの道のどれかを選ぶ。しかし、選びかけては、また迷う。 冥途は最終の地ではなく、通過の地にしかすぎないからだ。そして、選んだ先が、そ の人の「輪廻先」となる。ということになると、こんなやり方はおかしいと思う人もいる ことだろう。 |
しかし、これには実は、きわめて仏法にかなった合理性かあるのだ。というのも、こ の六つの道のうち、どれを選ぶか。その選択眼こそ、その人が生前につくった「業」 の結果にほかならないからである。 |
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「業」とは、前世の行為。行為には必ずその「報い」がくる、そしてそこからは誰も逃 げられない。仏教の大原理である。その「業」の論理が、死者かどの道を進むかとい う一点にまできちんと貫徹されているのだ。ともあれ、こういうふうにして死者の行き 先「輪廻先」は決まる。ここまでが「中陰」の世界である。 |
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いずれにしても、中陰中の家族の回向が、亡き人のため大きな功徳になる事は間違 いない。 |
返答に困り 尚且つ よく聞かれる質問に「お布施は いくらさせていただけば良いでしょ うか?」 と言うのがあります |
これが 一番答えに困ります お布施の額は何で決めたらよいのでしょうか 答えが有っ たら教えてください 100万円持っている人にとって 1万円は たいした額では無いでし ょう しかし10万円しか持っていない人 5万円しか持っていない人にとっては大変な金 額です まして1万円しか持っていない人にとっては |
100万円持っている人からの1万円のお布施と 5万円持っている人からの1万円のお布 施と 私は 5万円持っている人からの1万円のお布施の方が有難いと思います |
きれい事を言うようですが お布施は額ではないのです 布施する人の心が大事なのです |
皆様も良く知って居られる「貧者の一燈」と言う話があります |
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昔 お釈迦様が 法を説くため ある村を訪ねられることになりました その日の夜 いよ いよお釈迦様がおいでになると言うので 村の人たちは それぞれ沢山のお金を出して 松明を立て 大きく立派な明かりを灯し 道を明るく照らしました 自分の勢力を見せつけ るかのように |
この村に一人の貧しい老婆がおりました 自分も 何かお釈迦様にお布施をしたいと 身 の回りのものを全て処分し 僅かに出来たお金で 細い一本のロウソクを買い お釈迦様 の来られる道に立てました 村の人々はその粗末な明かりを笑いました いよいよお釈迦 様がおいでになると言うとき 一陣の風が吹き 折角立てられた灯火は その風に吹かれ 全て消えてしまいました しかし ただ一本 あの老婆のつけたロウソクだけは消えるこ となく お釈迦様のお通りになる道を明々と照らし出していたのです 老婆の心を照らすよ うに |
これが本当のお布施です |
文永元年11月11日の夕方 安房の国東條郡小松原で 地頭「東條景信(とうじょうかげ のぶ)」の襲撃を受け(小松原の御法難) 御額に傷を受けられましたので その時のお 傷を寒さから守るために 御頭に綿帽子をお着せする習わしになっているのです |
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玉樹院では お会式の頃から 春のお彼岸の頃まで お綿をお着せしています 又 お 会式の法要の時皆様に綿帽子をお配りいたしております |
綿帽子ご希望の方はお申し出で下さい お送りいたします |
貴方の家は 何宗かご存じですか? はたして仏教徒ですか? |
あまり興味のない方が多いでしょうね |
そして いざ自分の身内に不幸が出来た時 あわてて親戚の叔父さんや叔母さんに尋ね 回り お坊さんに連絡して来てもらう |
その時 初めて我が家の宗旨が判る |
今 信仰は 自分の信仰でなく 家の信仰に成っていませんか? |
これでは 自分の信仰心が有るといえません それで良いのでしょうか? |
貴方は 何宗を信仰しているのですか? |
現在 新興宗教花盛り テレビでも マインドコントロール・お布施の返還訴訟等 信仰を 金儲けに利用した問題が 毎日のように報道されています |
これは 自身の信仰心がはっきりと自覚出来ていないから起きる問題です |
お葬式の時・年回の時お坊さんと接するだけ だから そのお寺が何宗なのか判らない |
まして どんな教義(教え)なのか判らない |
教えが判らないのに 何故信じられるのですか? |
何故 お葬式を頼めるのですか? |
自分が 自身の正しい信仰を持ったら 人からマインドコントロールされることは有りませ ん |
お寺やお坊さんは お葬式や年回を勤めるためにいるのではありません |
まず 自分自身の信仰を持つようにして下さい 教義が分からなければ おおいに尋ねて 下さい そして納得できる人を師と仰ぎ 正しい自分の信仰をされるように |
家と違う自分の信仰があっても良いと思います そしてその教えが本当にすばらしいもの で有れば 家の人にも勧めてあげて下さい |
貴方のお家にお仏壇はありますか? |
私は次男だから 三男だから お仏壇は有りませんと言う方が多いですね |
でも 「お仏壇て 何故あるのですか?」 また 私は分家でご先祖さんがいないからいら ないと言う方もあります |
ただ単に 亡くなった両親のお位牌を 飾る場所なら 確かに長男さんが居られれば仏壇 はいりません |
では 貴方には お父さんお母さん そしてお祖父さんお祖母さんはおられないのです か? そんなことは無いでしょう 誰にでもご先祖様は有ります |
それだけでも 自宅にお仏壇は必要でしょう |
しかし 私が思うに お仏壇は ただご先祖をお祀りするだけの場所ではありません |
自分たちを守って下さっている ご先祖様は勿論 神様・仏様のお住まいとして 是非お 仏壇をお祀り下さい |
合掌は インドで古くから行われてきた礼法のひとつです |
古い歌に |
右ほとけ 左われぞと合わす手の |
なかにゆかしき 南無の一声 とありますが |
インドでは右手は食べ物などを扱う清浄な手 |
左手は汚れたものを扱う 不浄な手とされています |
右手は清浄 良いもの 美しい行い 神聖なものということから 仏をあらわし |
左手は 不浄 悪い行い みにくいものということから われわれ凡夫をあらわしています |
ですから 合掌は 人を愛し 慈しみ 助け合う心の反面 人を傷つけ憎み ののしる心も ある |
私達の心であり 人間の真実の姿がそこにあるということを表しています |
この二つの心が入り交じっている私達が |
心から仏様の教えを信じ掌をあわせ「南無」と唱えるところに |
仏様と私達が一つになる世界があると教えて下さっています |
これが合掌です |
現在 お寺は お葬式・年回等の仏事 法事に使う場所と考えておられる方が大半でしょ う しかし サンスクリット語には「ビハーラ」という言葉があり「配置、楽しむこと、休養の 場所、仏教の寺院」を表します |
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「ビハーラ」を漢訳では 「行 行住 安住 僧坊 精舎」等と訳し 休養する場所 あるいは 安らぎや楽しみがもたらされる場所をさします 仏教の僧院 つまり 寺院は 本来 仏の教えに導かれて 安らぎや楽しみがもたらされる場所であるということです |
依って 寺院には 修行や法要儀式の場所としての機能と共に 仏の教えによって 「心 の安心」を得ることが出来る場所でなくてはならないのです |
お墓とは 荼毘を終えたお釈迦様の遺骨(仏舎利)を安置するために造られた塚のことで す 仏典に「塔を建てて供養しなさい」というお言葉があり その言葉に従って お釈迦様 の遺骨を葬った跡に 大きな塚が建てられました この塚のことを古いインドの言葉である サンスクッリト語で ストゥバと言います これが音写されて「卒塔婆」となり 略して塔婆 と言うようになった 即ち 塔婆が建てて有るところには 仏様の舎利がお祀りしてあるお 墓と言うことになります |
そこから 私達のお墓もこの塔の下に亡くなった人の遺骨がありますという印です |
お墓の形を思い出して下さい 塔の形をしていますね もともとは五輪の塔の形をしてい ました 五輪の塔は 五大を表します 五大とは「地大・水大・火大・風大・空大」のことで す 古代インドの宇宙観に依ると 全宇宙{仏の世界}は「地・水・火・風・空」の五大要素 から出来ていると考えられていました 人間もまた小宇宙として考え 地=体 水=血液・ 水分 火=体温 風=呼吸とされ これらがうまく解け合って調和している業態を空と呼ん だ 現在 各地に残っている 五重の塔も この所に 仏様の全体=真理=仏様の世界 が有りますと言う印です |
つまり お墓{五輪の塔}は 宇宙のシンボルであり 人間・死者をシンボルかしたもので ある 人は死んで宇宙と同化する 仏と一体になることを意味するのです |
よく聞かれる質問に 「お仏壇のお線香は 何本立てたら良いのですか」[お焼香は何回 すればよいのですか?]と言うのがあります 何本だと思われますか? |
その前に 何故 お線香を立てたり お焼香をするのかを考えて見て下さい お線香・ お焼香は 仏様の居られる処を 良い香りを以て 荘厳するためたてるものです 荘厳す るのに 本数や回数は関係有りますか? 大きな寺院の本堂のお線香立てを思い出して 下さい やっぱり1又は3本立っていませんでしたか 心から供養するので有れば1本で も100本でもいいでしょう でも時間や 周りとの関係もあり そこそこの数が必要です だいたい仏教では1・3を基準にしているようです 1本か3本(1回か3回)が適当だと思い ます お焼香もこれと同様1回もしくは3回が適当だと思います 一人の時は心ゆくまで 何度でも 何本でもご供養してあげて下さい |
皆さん 華道や茶道を学ばれると 師匠・先生から「名」を授けられますね |
師匠が名を授けるのは 今から師と弟子の関係を結び それぞれの道に励みなさいと言 うことであり 授けられた私は これからも師匠・先生についてお花やお茶の道を究め い ずれは先生に負けない様 それぞれの道に励みますと言う自身への誓いでも有ります 先 生から名前の一字を戴くこともあります |
「戒名」も これと同じで 師匠から 仏様(お釈迦様)のお弟子になることを許され 今か ら 厳しい仏道に励みなさい という戒めを戴くことです 私は どんな苦しいことがあって も 退転することなく励みますと言う誓いです |
私達日蓮宗の信者が 菩提寺のお上人様から戒名を戴くと言うことは 戴いたその時か ら「日蓮上人のお弟子となりその教えに従い 仏の道を学びます」と言う誓いを起てるこ となのです だから日蓮上人の「日」の一字を戴き 「日・」と付けられるのです そして 日 蓮宗の戒名は この「日・」なのです 前後にある「・・院」や「信士」「居士」「大姉」という のは飾りです 飾りがいくら立派でも 信仰の心が無ければ 本当の戒名を戴いたことに は成りません 見栄やお金で いくら長い戒名・立派に見える戒名を戴いても 信心の心 がなければ 単なる飾りだけです |
こう考えると 戒名は死んでから戴くものではなく 生きているときから戴いても良いと思 われませんか 自分の信頼できる師を見つけ 戒名を戴き 早く仏様のお弟子の一員とい う自覚を持ち仏道に励んで下さい |
因みに私の戒名は「日雄」です |
お盆は 私達の大きな年中行事になっていますが 「その意味は?」というとご存じ無い 方が多いでしょう 盂蘭盆とは ウランバーナというサンスクッリト語を音写したもので 火 の消えた状態を意味し 人間が煩悩の炎を滅し 心静かな状態で居られることを言うのだ そうです |
また施餓鬼とは 盂蘭盆経というお経に拠れば 目蓮尊者という方が 亡き父母の菩提 のために 出家修行して神通力を得 その力で 父母のご恩に報いようと志し 天眼通で 六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界)をくまなく見渡したところ あろう事か 亡き 母が餓鬼道に落ちて 骨と皮ばかりの痛ましい姿になっていました |
悲しみのあまり 早速 食べ物を用意し 神通力を使って母の前に差し出しましたが 目 蓮が差し出した食べ物も 母が口まで持っていくと炎となって 身を焦がします |
これは お釈迦様にお願いして 助けて頂くしかないと 泣き叫びながらお釈迦様の所 へ駆けつけました |
お釈迦様は「おまえの母は罪根深く 生前 慳貪でガメツかったのでおまえの孝行の声 も 品も届けることは出来ない 然し たくさんのお坊さんに供養し 僧(仏教)の力によっ てのみ 母の餓鬼道の苦しみを解くことができる」と教えられました |
目蓮尊者は七月十五日 雨安居(うあんご)三ヶ月の修行を終え 心の清浄になったた くさんのお坊さんを招いて供養しました |
その功徳を以て母は長い餓鬼界の苦しみを逃れ 天上界に生を受けることが出来たとい う |
これが盂蘭盆会施餓鬼のいわれです |
さて 目蓮尊者の母が どうして餓鬼道に落ちられたのでしょうか? |
聡明な目蓮尊者は 母の慳貪やがめつさは 「可愛い我が子を養い育てるためであった」 と悟りました |
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母を餓鬼道に落とした我が身の罪の深さと 我に代わって苦しみを受けて下さる母親の 姿に「仏・菩薩」の姿を重ね見たのではないでしょうか |
私達も 母から生まれてきたわけですから 目蓮尊者の母親が受けられた苦しみは 私 達人間全てに代わってその苦しみを受けて下さったのです |
日頃の行いに 心しまし ょう |
寒水白粥・凡骨将死 自懺自悔・聖体自生 |
世界には色々な難行苦行が有りますが、その中でも唯一無二、己の煩悩を捨て、ただひ たすら自己の鍛錬と法華経流布・衆生教化の為に、11月1日から翌年2月10日までの 寒中壱百日の間、朝夕2度、白粥をすすり、暁天3時から深夜11時まで1日7回の水行と 読経三昧、生死の境を脱して行われる日蓮宗の大荒行は、世界一の苦行であると言って も過言ではありません。 |
世界三大荒行とは、インドのヨガ・天台宗の廻峰行・大荒行です。 |
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