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    正座の部

    ○前(身)〜後(身)のこと

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     正座の部の「前」は確かに前からの攻撃に対処、或いは前にいる相手を攻撃するための業です。しかし、山内派では、だから「前」というのではありません。山内はの伝書では前から後までがそれぞれ、「前身」、「右身」、「左身」、「後身」となっております。  これは敵にさらす方の我が身を言うからで、従って「右身」というと相手が12時の方向にいて此方を向いているとすると自分は9時の方向、つまり左を向いて右側面を相手にさらして座ることになります。
     前身から後身までの業はそれぞれの方向の敵に対処するということよりもむしろ、12時、9時、3時、6時の方向それぞれの方向から正面(敵の方)を向くことを稽古することにより360度、どの方向からの攻撃にも対応できるようになることを目的とした稽古方法です。
     山内派を稽古していて思うことは一つ一つの業が即、戦場で役に立つとか、火急の場で役に立つという、いわば仮面ライダーの「ライダーキック」や「ライダーパンチ」のような必殺業ということではなく、そう言う動きを体得しておけば様々な状況において役に立つという動きを業を通じて学ぶことを主眼としているということです。ですから、番外、教外別伝、その他色々な換え業(数えてみたことは有りませんが多分、普通の業と合わせて二百五十くらい)を一通りやらないと山内派の場合、あんまり意味がないように思います。十五年位かかりますけど・・・・。ちなみに山内派には前(身)が基本の業に加え替え業が五本あり、その他、付けたりの業が三本あるので八本となります。そうすると前(身)から後(身)までで既に4×8=32ということになります。
     又、余談になりますけれど鎧櫃の前に「前」という字が書いてある場合があると思います。あれは「此方を前面に置く」という意味ではなく、「そいち」部の初めの二画を一本の線とみなすと「前」という字は横棒五本、縦棒四本で「九字」をかたどるものだそうです。九字につきましては『貞丈雑記』に以下のように見えております。

    九字と云う事、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えながら、かくの如く(左下の図)なる形を空中に書くなり。これを「九字を切る」と云うなり。一字に一ツずつ印相あり。九字を切る時も、剣印とて、印を結びて九字を切るなり。―略―武家にて九字を用うる事もある故、これを記す。

    因みに山内派では納刀後、右手を柄頭の方へ進め、小指・薬指で柄を握り、親指で柄頭の表面を押さえ、人差し指・中指を揃えてピンと伸ばします。そしてその伸ばした指で親指を握り込むようにして刀をぐっと中へ押し込みます。このときの指の動きは印を結んでいるのだそうです。他の派のことはよく分かりませんがあるいはこれなど他の派の方もなさるかも知れません。

    左−九字 (『貞丈雑記』・東洋文庫より転載)   中−仁王胴具足   右−鎧櫃部分拡大 (『日本の甲冑』・京都国立博物館より転載)

            

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    ○前身(正座・一本目)の事−「わきざしごころ」の事

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    正座の部の一本目は一番最初に習う業で昔はこればかり三年はお稽古したということです。ところでこの業は普段は「前」と言っておりますが、山内派の伝書には「前身」となっております。そして山内派には通常稽古するものの他に五種類の換え業が伝えられております。
     そのうちの一種類は相手がこちらの柄をとりに来たその瞬間刀を右横方向にぬき、相手に白刃をとらせるというものです。一人で稽古をしているのを横からご覧になっているとただ単に刀を横に抜いているだけのようで、「神伝流ですか?」と言われた方がありましたけれどそうではありません。
     いまでもそう教えられているかどうかは知りませんが、遙か二十年程前、制定居合を稽古したときにこの一本目とよく似た業を制定居合の一本目として習ったように思います。その時、柄頭を相手に向け気迫で威圧しつつ抜く。もし相手が戦意を失ったら刀を納めつつ浮かせた腰をおろし元の正座の姿に戻る、と教えて頂きました。どの流派でそうですけれど、又居合以外の様々なものについても言えることですけれどやはりそのものが成立した時代的背景というのは色濃く出るものだなぁと制定居合の一本目のことを思い出したときそう思いました。
     例えば、『甲陽軍鑑』品第四十七(公事之巻上)では赤口関左衛門と寺川四郎右衞門が口論から喧嘩になりながら脇指を抜かなかった事を非難されています。

      信玄公きこしめし、寺川・赤口関―略―男子道いまだ若(輩)なりと見ゆる。侍が侍にいであふて(むながはらをとる程ならば、脇さしを以て)伐つこ事有べきに、さはなくして―略―是(は口)論ともいはれぬ事(也)―略―喧嘩(口へんに花)とは申されず―略―脇指心なき故也。脇指心なきは一向のわらはべ(や町人)なンどのいさかひといふ物也

     口語訳  (両者の喧嘩のようすを)信玄公がお聞きになり、(両者は)男子道(=武士道)吟味については未だ未熟のようである。侍同士が争い、胸ぐらを掴むほどの事になったのなら当然脇指を抜いて相手を討ち果たすべきであるのに、そうではなくてつかみ合いの喧嘩をしたと言うことでは、武士道の吟味から言えば、それは口論ともいえなければ喧嘩ともいえない。そのようなことになるのも武士の意地とはなにかが分かっておらず、所謂「脇指心」が無いからである。脇指心のない喧嘩などというのは武士道の吟味から言えば、その辺の子供か町人の争いと言うべきものである。(武士のすることではない)  

     例え何があっても刀を抜いてはならぬ場においても万一の場合というのがあり、そういうところでは例え刀は抜かなくても腰の脇指の柄に手を掛けるべきであると、たしかこの「脇指心」ということばは歌舞伎の忠臣蔵にも出てきたと思いますが、と、すればこの「脇指心」という言葉は歌舞伎にさえあるということは百姓・町人でさえ知っていた武士の意地の通し方の一つの方法であるということが言えようかと思います。ですから、武士が何らかの理由があって刀を抜き掛け、それに対応して相手が刀を抜き出したとき、相手の気迫が凄いからと言って刀を納めて「ご免なさい」、ということは・・・・。それに攻撃を仕掛けられこちらも抜き掛けたのですから・・・・。しかし、「人命尊重」という今日の観点から見ると、確かに相手が戦意を失って止めたのだからこちらもというのはとうを得た判断だと思います。やはり似た格好をしていても成立した時代が違うとその内容も変わってくるのですね。『甲陽軍鑑』のレベルで言うなら、一旦抜き掛けた刀を「相手の気迫が凄いから」といってむなしく元の鞘に戻したとなると大変な恥辱ですね。が、しかし、武門の面目として戦意をうしなったものの一旦抜き掛けた刀をむなしく納める訳にはいかないというのは確かに今日では通用しない理論です。こんな事を書いていたら岩波文庫のトーマス・マンの『ドイツとドイツ人』の解説部分に引用されている『戦時随想』の一文を思い出しました。  

     文明と文化とは単に別物であるばかりでなく、対立物である。―略―文化は明らかに野蛮の対極ではない。むしろそれは、様式を持った野蛮状態に他ならぬこともしばしばある。―略―しかし、文明は理性である。啓蒙、馴致、教化、懐疑、分解である。−それは、精神である。然り、精神は文明的であり−以下略  

     これに当てはめると少なくとも山内派の居合は「文化的」で制定居合は「文明的」なのかなぁと思いました。

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    ○八重垣について

     八重垣は刀で自分の右足を守るのが特徴です。これは一撃目で疵ついた相手が足を狙って斬りつけてくるので云々と言うお話を伺い、やはり、同流でも派が違うとそういうことになるのかなぁ、としみじみ思いました。
     山内派の場合、抜き付け・うち下ろしで倒した相手は随分傷ついているので最後の力を振り絞ってこちらに致命傷を与えようと身体の中心(足ではなく、身体の中心)に向かって斬りつけてくるとしています。
     そこで納刀の姿勢から左足を開いて立ち上がると身体は敵刃をさけることが出来ますが、右足が残ってしまい、この足を傷つけられることになるのでこれを刀で防御するということになっています。
     この受け方にも口伝があり、足の上に真っ直ぐ落ちてくるをうけるときはちょうど抜き付けをしたときのように右足前の形に座り、刀の真ん中を太股の上におきます。そうしますと敵刃はとまり、足が傷つくことはなく、もしそんなことがあってもかすり傷です。
     で自分から見て敵刃が右から来たら切先は右足のわりと内側へ、左から来たら柄を後ろの位置に引いて対応しますが、そのためには膝下に刀の差裏が来て、足と刀が×型に交差するように日頃から稽古しておくことが大切です。
     猶、もし戦場でこういう場面に遭遇したときの口伝として「切先を地面に刺せ、刀に乗れ」というのがあります。
     相手は渾身の力を込めて最後の攻撃をしてくるわけですから、ただ、手だけで刀を膝下に持ってきただけでは相手が打ち込んでくる衝撃を留めるのには不十分です。相手の刀が自分の刀にあたった瞬間、切先を地面に突き刺すようにすると同時に腰を落として四股の形になり、その時自分の刀の差裏を足で押すような感じで刀に体重を一瞬でのせます。そうすれば相手がどれほどの力で打ち込んでこようと、それを全体重で留めることが出来ます。

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    ○八重垣のつづき

     居合の業の名前というのはきれいな名前が多いのですけれど、この八重垣などもそうですね。でも、何故「八重垣」と言うのかなぁ。記紀にでてくるあの歌かなぁ、でも、江戸時代の大森流だしなぁ、などと色々なことを想像していますが、「謙信百首軍歌」という上杉謙信に仮託した武士の心得集みたいなのがあって、そこに  

     軍神 くわんしゃうすれば 身のうちや 鎧甲は 神の八重垣  

     口語訳  

     いくさがみをお招きすれば、いくさがみは我が身の内にお宿り下さる。従って鎧兜は神社の廻りにめぐらせた八重の玉垣である。  とあります。「八重垣」は刀をいわば甲冑として使う訳ですから、案外、この歌から取っていたりして・・・・。  

     「謙信百首軍歌」と言えばわたくしは  

     けなげより 武略を君の ほんとせよ 負る軍に 勝ははからひ  

     口語訳  

     (闘う上に於いて)気合いとか、根性とか言うような勇ましさとかよりも、作戦を武将の本分と考えよ、負けるような状況を勝利に持っていくのは(精神力ではなくて)、計略である。  

     というのが好きです。英信流の秘伝にある、見越し三術というのはまさにこれの具体策ですから。  

     ところで、先に引用した軍神=いくさがみ、ですけれど、『梁塵秘抄』に  

     関より東の戰神 鹿島香取諏訪の宮 又比良の明神 安房の洲瀧の口や小野(の宮) 熱田に八劔 伊勢には多度のみや  

     とあり、続いて  

       関より西なる軍神 一品中山、安芸なる嚴島 備中なる吉備津宮 播磨に廣峰惣三所 淡路の石屋には住吉西の宮  

     とあります。

    −二月一四日・加筆−

     ところで、例えば抜打、真向、暇乞と納刀の違いとお辞儀の有無ということを除けば、同じ業で各部が終わるとか、八重垣、虎一足、臑囲と似たような業が各部にあって英信流というのはおもしろいですねぇ。
     で、この八重垣ですけれど、山内派では一番最初には「相手が最期の力を振り絞って・・・」と習うのですけれど、ある程度稽古した後、「斬られて最期の力で、斬りつけて来るんですよね。では相手と斬った相手はこんな位置関係ですか?」と学習者に斬られた相手をやってもらい、「で、最期の力で斬りつけて下さい」ということで斬りつけてもらいます。で、型通りに動くと斬られた相手の得物が鑓、薙刀、或いは大三島に有るような七尺、八尺というような大太刀ならいざ知らす、普通の刀では是が案外届かないのです。で、「あれ、届きませんねぇ、そうすると、この想定は嘘だったんですか?」と質問を投げかけます。この問題を考えるのに奥居合まで進んでおくことは非常に参考になります。この問題がわかると、八重垣の最初の納刀が何故ゆっくりなのか、臑を囲うや否や素早く打ち下ろすのは何故かがよく分かります。因みに、山内派には臑を囲って後、打ち下ろす通常の型にくわえてそこから関節をとって相手を崩しつつ斬るという替え業も有ります。

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    ○介錯

     居合をされる方、されない方、両方からよくお尋ねあるのが「首の皮一枚を残して介錯をするのにはどうしたらよいのですか」ということです。わたくしの御稽古している山内派では首の皮を残しません。

     切腹する人の左側に直角に座り、刀を抜きながら立ち上がりつつ刀の峰を背中にくっつけて刀を斜めに背負います。この時体は四股を踏んで立ち上がった形になります。そして百八十度回転し、片手斬りで首を落とすことになっており、首は皮を残さず切り落としてしまいます。片手で斬るのは、両手だと刀ががっちり固定されて真っ直ぐに落ちますが、片手ですと首に食い込んだ刃が柔らかい所を捜しながら進むので首の骨の間を上手く刃先が通り抜けるかです。

     『葉隠』(日本思想体系)を読んでおりましたら、

     介錯の時、刀ならば一尺四、五寸に、右の足を踏懸べし、脇差ならば、一尺ばかり也。膝の通に踏むべし。刃向直ぐに、手心にて打懸べし。手本をさげて打つべし。

    とあり、間合の寸法や、「刃向直ぐに」というところなどわたくしの流派から見ても納得が行き、大変面白い記述です。又、介錯の時、首の皮云々という話もあるが落としてしまった方がよいという話も『葉隠』にはあり、首を五十落とした経験者は大地に切り込むつもりで、と言っている話が添えられていて、地域、流儀によらず介錯の「コツ」は同じだなぁと思う記述です。

     何某介錯の時、皮に少し懸り候事。何某切腹のとき、介錯人首打落し候へば、皮少懸り申候。御目付衆、「かゝり候」と被申候。介錯人致立腹、首をつかみ、切落し、目より高く差上、「御覧被成候哉」と申候て、無興に相見え候由。<介右衛門殿咄>
      古来の詮議には、首飛申事も有之ものにて、検使の方などへ飛不申様に皮を少し切り残したるが能候と申候由。然共当時は、打落たるが能也。又、首五十切たる者の咄に、「首によりて、一の胴ほどに手ごたへするも有之候。初め首三つばかり切り候迄は、手に覚能切れ不申候。とかく大事のものに候間、いつにても平地迄と思召候はゞ、仕損有まじき」と申候也。

    口語訳

      ある者が介錯をしたとき首の皮が少し残った事

     ある者切腹の時、介錯人が首を落とし時、皮に引っかかって少し皮が残った。お目付衆が「ひっかかっりましたね」と言われた。介錯人は腹を立て、首をつかんで切り落として目より高くその首を差し上げ「ご覧になったか」といったのでなんともいやなものであった。<介右衞門殿咄>昔から、介錯の時、首が飛ぶこともあるので検使の方の方へなど飛ばないように皮を少し残した方がよいという。しかし、今日では切り落としてしまった方がよい。首を五十切った者の咄では「首によっては一の胴(下図参照)ほどの手応えがあるものである。はじめの首三つほどを斬るまではうまく切れなかった。とにかく介錯は大切なものであるから、いつでも地面まで切り込むぞと思ってやれば失敗はないだろう」とのことであった。

      とあってこれによれば検使などが立ち会うような場合には皮を残すというようなことも話としては聞いているがとにかく大事なことであるから地面まで、と思って切れば失敗はないであろうということであり、わたくしの流儀の口伝とも一致し、大変面白い記述です。

     又、そういう技術的なことではありませんが、『葉隠』には介錯について

    礼儀の大意、始・終は早く、中は静かに仕候よし。三谷千左衛門是をとりて「介錯も如斯仕候」と申候よし。

    という話も『葉隠』に見えています。

    加筆−刀を真下に抜くことについて

     山内派では介錯のとき、柄頭を床に押しつけるようにして刀を真下に抜きます。抜付けのとき、柄頭が行く方向を九時とすると、六時の方向ですね。これは刀を抜くときに腹を切る人の視界に入らないためです。心静かに旅立とうとされている方の視界内に入って心を乱させてしまう様なことが有っては申し訳有りませんので。
     それから、目測を誤り少し離れたところに位置してしまい、刀が届くかどうか不安な場合というのも当然あると思います。そのときは左足を進めて切腹者に近づくと相手にそれと分かってしまい、不安を与えることになりかねませんので、左足にそっと右足を寄せ、打ち下ろす瞬間に距離を調整するようにします。

     

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    ○月影の事・稲妻の事

     『義経記』というのは義経が主人公の物語ですが、成立は室町時代とされています。その巻第二「鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事」にこんな記述があります。  

     由利太郎は―略―萌黄縅の腹巻着て―略―三尺五寸の太刀をはく―略―太刀の寸は長し。天井の前に太刀をうちつついて、ひるむところを、小太刀を以てむずと打つ。弓手の腕、小手を添へてつと打ち落とす。返す刀に首打ち落とされぬ。  

     これによると腹巻をつけ、三尺五寸の太刀をつけた由利太郎が吉次の宿に押し入り、沙那王(義経の幼名)に斬りつけようとしたところ、天井の縁に太刀をぶつけてしまい、ひるむところを左腕を手首もろとも切り落とされ、返す刀で首を落とされたということですけれど、この業、英信流の月影・稲妻と同じですね。由利太郎は腹巻きをつけていたと言うことですから当然籠手もつけていたはずです。そうなると少年の沙那王が小太刀で左手の外側から斬りつけて果たして太郎の腕を切り落とすことが出来たかどうかというのは疑問だと思います。太刀を振りかぶったとき、右手が上、左手は下になり、天井の縁に斬りつけそのままで一瞬、怯んで動きが止まったのを奇貨として、左の籠手の内側・即ち家地のみで金具のない籠手の裏側から相手の腕を切り上げたのではないでしょうか。このとき相手は太刀を振り上げたままの状態であると考えられ、少年の沙那王がこれを斬ろうとすると当然下から切り上げる格好になります。とすれば、相手が振り下ろす力を利用するという点を除けば月影・稲妻と形的には全く同じ業だといえましょう。
     ところで、相手が甲冑をつけ、籠手をつけていてしかも大力無双の大男であり、こちらが少年だったり小柄だったりした場合通常の月影・稲妻ではそのまま押し切られてしまう可能性が大です。『義経記』に見るこの場合というのは由利太郎が天井の縁に太刀を打ち込んでしまい、止まってしまったからよかったのですけれど、常にそのような上手いことが起こるとは限りません。では、どうするかというと、山内派にはそのような場合の口伝があります。
     口伝と言えば山内派には立ち技の「月影」という業があり、これは座り業の月影とは全く別な業で、むしろ非常によく似た業が一刀流にあり、「流派は違っても理屈は同じだなぁ」と感心したことがあります。

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    ○付込について−付−総捲のこと

     柳生流の『兵法家伝書』−殺人剣 上−に「一 敵の拳を我肩にくらぶる事」と見えておりますけれど、英信流山内派でも似たようなことを言います。付込で正面を二度打つ時、山内派では一打目も二打目も同じ高さで打ち、他の派のように二打目を沈み込んで打つと言うことをしませんが、別に沈み込んでもかまいません。
     そんなことより、ここで教えたい一番大事なことは自分の拳と肩の高さの関係です。この正面に打っているときは相手も打ってきて同時に打ち合ったという想定で、その時自分の肩の高さと拳の高さを同じにします。(この時、切先が充分のびており、切先に力が入っていることは言うまでもありません)それに対し、相手が地面まで切り込むつもりで思いっきり打ち下ろしてきた場合、相手の刀の刃は鍔で止まるばかりでなくその力はこちらの刀に乗ってきますので「自分の力+相手の力」で相手を打つことが出来ます。又、肩の高さで拳を留めることにより、相手の刀の刃は決してこちらにふれることはありませんし、あっても掠る程度です。又相手の刀が左右に滑る場合でも鍔を中心した円錐形の斜辺を形成しながら相手の刀は滑り、こちらは円錐形の底辺側にいるわけですから、やはり敵の刀は身に振れませんし、万一ふれたとしてもやはり掠る程度でしょう。英信流の少なくとも山内派は大きな鍔を好むのはこのためです。
     総捲に関しても肩と拳の関係は同じで、段々身体を沈めながら相手の面・肩・胴・腰と切っていきますが、手を下げて斬るのではなく、拳の高さは肩の高さで、腰を沈めながら切っていきます。

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    ○附込のこと、「執着」のこと−付−無刀取のこと

     附込というのは沢山の要素を含んだ業で、例えば肩の高さと拳の高さを同じにするということは以前書かせて頂きました。
     それ以外にも附込には稽古をする上で理解しておかなくてはならないことが幾つもあります。
     例えば納刀の時、座りつつ柄頭を下腹に持ってくる動きですが、あれは馬上で納刀するとき和鞍の前輪に柄頭を立て、それから刀を横にして納刀すると馬の首を傷つけないと言うことで、付け込みの納刀は馬上納刀が組み込まれており、それであのようにして、鞍の前輪に柄頭を立てる代りにお稽古方法として下腹部に柄頭を持ってくるのです。
     「だったら刀を左手で捌いて横に持ってくるとき、刀の刃を前に向けずに、上に向け、進行方向に対して刀の平を見せるようにしたほうが馬の首を傷つける可能性が低くて良いじゃないか」という御意見もありますけれど、そうは参りません。
     というのは、相手に刀の平を見せると言うのは「寸を読まれる」つまり、自分の刀の寸法を読まれ、間合いを相手に見きられるということで山内派では決してやってはならないこととなっており、刀の峰を左手や左膝の上に立てて刀の平を相手側に見せることは決してせず、必ず左手や左膝の上に刀の平を乗せ右手は直角にして刀の刃を前に向けます。
     (このとき、刀の寸法によって左手の位置、もしくは刀を左膝のどの辺りに置くかは口伝があります。)

     今述べた事は純粋に技術的な事ですけれど、技術+αの部分でもう一つ大事な事が附込 の中にはあります。
     山内派の附込では刀を抜くとき、柄を真下に抜き、刀を垂直に突き上げるようにして立ちあがります。これは技術面では正面から打ってくる相手の刀を手の力だけではなく、立ち上がる力も利用して鍔で真上に打ち上げるということを教えるためです。
     勿論、打ってくるところを後ろに下がりつつ相手に空振りをさせ、そこを打っても良いのですけれど、山内派では先ず、この鍔で打ち上げるというのを教えます。
     それはなぜかと言うと、山内派では「相手が○○に打ち込んでくるのを素早く察知し」ということも勿論大切で、相手が動き出す瞬間を見きる方法の口伝も有ますけれど、それよりも、「相手を執着させる」ということをとても大事にするからです。
     相手がどこから打ってくるか分からず、それを素早く察知するというのは大変難しいけれど、相手の出方が分かっていたらそれに対する対応策を立てれば良いわけであり、かといって相手が、「では、面を打ちます」といちいち手の内を明かしてくれるという上手い話は無いわけですから、ではどうするかというと、打ってきて欲しい所に隙を作る・そこに執着させるわけで、座っている相手を下から切り上げるわけにも行きませんから、座ってじっとしていれば、相手は「しめた!」と思い、正面から打ち下ろしてくるでしょう。(横殴りに切ってくるかもしれないよ、という意見もあるでしょうが、その場合の対応策もあります。ただ、ややこしくなるので、ここでは述べません)そして、ひとたび「よし!」と決意して振り下ろし始めた刀というのは止めようがありませんから、それこそ、相手の刀が髪に触れるくらいまで辛抱して、相手を誘い込むのです。そのためのお稽古、つまり、相手に「執着させる」ということを学ぶためのお稽古、という要素をこの鍔で打ち上げるという動きは持っています。
     この、「執着させる」ということは山内派ではとても大事な学習項目で、これは「個人 対  個人」の闘争においてばかりではなく、「軍勢 対 軍勢」の駆け引き―軍略−に於も重要な要素です。

     余談になりますが、この「執着させる」というのはとても大事な事なので、色々な業の中で稽古するようになっていますけれど、その一例として「無刀取」を上げる事ができようかと思います。
     山内派には何種類かの無刀取がありますけれど、その内の一つにこう言うのがあります。
     まず、相手が一歩踏み込んで打ち下ろせば頭を割れるという相手の間合いに入ります。その瞬間、相手は刀を振り上げ、前進しつつ刀を打ち下ろしてきますから、こちらも右手を出して前進しつつ相手の右手と左手の間の柄を取ります。と、同時に、左手を相手の刀の平に添え、その刀を時計回りに回しつつ、自分の中に引き込み、足は更に進んで相手の中に入り込むような感じになりながら、右膝を立てて座ります。この「座る」というのは「立ち上がる」同様山内派の動きの中ではとても大切なもので、無刀取の場合もこの事により、非常に大きな力を得、上記の一連の動作を一瞬にして行う事により、相手を投げ飛ばし、且、相手の刀を奪う事ができます。これも相手を自分の頭に執着させるというのが第一のポイントです。

     外にもいろいろありますけれど、「立つ」、「座る」、「進む」といった日常の、「誰もがやっている」行為が山内派では技術的にはとても大切な要素として組み込まれており、そういった技術・業を最大限活用する環境作りの為の「執着させる」という行為や発想というものが山内派の居合の非常に大きな学習ポイントです。
     先ほど「誰でも」という言葉を使いましたけれど、少なくとも、山内派に於は、特別な天才でなくても、きちんと稽古するなら「誰でも」戦場に出て一通りの働きは出きるように指導法が作られており、こつこつやれば誰にでもできます。  

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    ○前の替え業

     替え業を稽古する目的というのはいくつもの業を覚えるということではなくて、同じ業の替え業を幾つか知ることにより、それらを比べてみることが出来、結局この業は何を伝えたいのか知ることが目的です。
     一本目の替え業(ということは他の多くの替え業でもあるのですが)に全く刀を抜かない一本目というのがあります。
     向かい合っている相手が刀を抜き掛け、腰を浮かした瞬間を捉え、相手の刀の柄頭を右手で取って、手ではなく、後ろ足の蹴りと腰の前進を使って、則ち、抜付けの時の足腰の力で相手の刀を相手の中心へ押し戻すようにしつつ前進します。このとき鯉口を握った刀を鞘引きすることにより、身体全体で相手を制することが出来ます。
     結果的に相手は抜きかけた自分の刀で押さえ込まれつつ仰向けにのけぞるように倒れることになります。勿論左手で相手の柄を取ってもかまいません。  

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