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ちょっとご注意。
この文書は 1998年頃に書いたものです。それからもう3年もたってしまいま
した。ですから、パソコンの環境などはなんだか懐かしいなぁという環境になっ
てしまいました。現在2001 年の私のマシン環境などについては、メインペー
ジからたどって頂くか、
Chie Nakatani Home Page
または私の Linux 関連のページを見てくださいね。
My Linux
第1章 アリスの国への入口
いつのまにか我が家にはパソコンが3台も居座ってしまいました。メインマ
シンは Pentium 166 で Linux(*)と Windows 95 が動いています。サブマシンは
93年頃に購入した始めての PC/AT 486 機(*)で、もちろん今も現役のお大事
マシン。こちらでは Linux と OS/2 Warp が動き、2台のマシンは
10base2(*) でつながっています。3台目は Jam House という名前のパソコン
通信ネット局用のホストマシンです。いつのまにか私の暮らしの中にパソコン
がしっかりと根づいてしまいましたが、私がパソコンをいじるようになったきっ
かけはパソコン通信を始めたことでした。
(*)「パソコン」という言葉は少々気になる表現でもあるのですが、この文書
は読み物として書いているので、「個人使用のコンピュータ」を略したものと
いう意味あいで使わせて頂きます。
そのとき、とつぜん、
赤い目をした白うさぎがアリスのそばをかけぬけていきました。
今、改めて振り返ってみると、まるでアリス(*)のように、という表現がぴっ
たりするかもしれません。アリスが時計を見ながらあわてて走っていくうさぎ
を追いかけて、うさぎ穴に落ちて不思議の世界で遊んだように、私もまたパソ
コンを通じていままで出会うことのなかった世界で遊んできた、そんな感じが
します。
* Linux :ヘルシンキ大学の Linus B.Torvlds が開発した UNIX 互換の OS。
1991年10月5日に最初の公式版Linux である 0.0.2 が発表された。
1998 年 3 月の時点での最新の kernel バージョンは
2.1.88(安定版2.0.33)(98/03/04 現在) である。
Linux は、Linus 氏を中心にインターネット上の多くのハッカーたちに
よって開発されてきた。コンピュータ社会で悪事を働く者はクラッカーと呼ばれ、
ハッカーとは区別しなければなりません。真のハッカーについては後述。
*PC/AT :IBM 互換マシン
*DOS/V :IBM-DOS バージョンJ *.*/V の略。
(*.* はバージョン)日本語を利用出来るIBM 版の DOS。
* アリス:ルイス キャロル著「ふしぎの国のアリス」の主人公
* 10bese2:LAN 接続のために使用する同軸ケーブルのひとつ。
●パソコン通信と電子掲示板システム BBS(*)
私がパソコン通信を始めたのは1990年8月のことでした。初めて接続し
たパソコン通信ネット局は「きょうと・市民の電子ネットワーク」でした。
パソコンを使った「通信」に参加するには、何はともあれパソコンを動かし、
通信ソフトやモデムを設定し、ともあれどこかのネットに「接続」しなくては
いけません。当時の DOS マシンでは、これは結構大変なことだったのではな
いかと思います。ところが、私の場合は「きょうと・市民の電子ネットワーク」
の Sysop(*) 氏と知り合いだったために、普通なら必要な面倒な手続きが一切
はぶかれて、いきなり「きょうと・市民の電子ネットワーク」の ID を取得し、
いともたやすく電子掲示板と出会ってしまったのです。
「きょうと・市民の電子ネットワーク」は市民運動の個々のグループをつな
ぐ接点の場として設立された電子ネットでしたから、電子掲示板(以下「ボー
ド」とも書きます)は環境問題をはじめ、さまざまな市民運動に関わることが
話題別に10ほどに区分けされていました。私自身もある市民運動グループの
活動に参加したりしていましたから、実際の動きを伝える日々生き生きした書
き込みを読んで、活動グループの動きを知るだけでも楽しかったものです。
どこのパソコン通信ネット局にもたいていフリートークコーナーというのが
あり、このようなコーナーは自由な話題で書き込みが出来ますから、通信の初
心者はまずはそのようなコーナーで通信デビューをします。最初の一言はやは
り「はじめまして、こんにちは」、もう覚えてはいないのですが、私もこんな
書き込みが最初だったのでしょう。そのようなお決まりの一言を書き込んで、
私はいつのまにかネットワーカーとして歩き出していたのでした。
その頃、通信のために使っていたのはパソコンではなく、NEC のワープロ
専用機文豪でした。当時、リコーのワープロを使用していましたが、このマシン
には通信機能はありませんでした。またリコーのマイツールというパソコンも
あるにはあったのですが、手軽に通信をはじめるにはネックが多すぎました。
なんとかして通信をしてみたい、文豪はとにかくその希望をかなえるために
手に入れたものでした。文豪には MS-DOS 変換機能があり、簡単な通信機能が
ついていました。モデムはアイワの PV-M24V という 2400bps の ポケットモ
デムを使いました。しばらく文豪で通信をしていたのですが、通信を
体験しているという程度で、書き込みは電話代を気にしつつのオンライン(*)
で、ファイル送信の方法もよくわからない状態だった時期もあったわけです。
文豪での通信は、保存出来るログの長さに限界はあるし、パソコン通信を本
当に楽しむためにはやはりワープロでは限界があります。いろいろやりにくく
なってきて、次に知人から譲り受けた98ノートを使うようになりました。こ
れが1990年の12月頃でした。ハードディスクはなく、フロッピーで起動
し、データはフロッピーに保存するものでした。98ノートには Wterm(*) と VZ(*)、
そしてファイラーとして FD(*) が入っていました。これが私がはじめて使う
パソコンでした。
* BBS :Bulletin Board Systemの略で電子掲示板システムと訳されるが、
通常は小規模のパソコン通信ネット局を指すことが多い。パソコン通信の
ネット局には通信上では通常「ボード」と呼ばれる複数の電子掲示板が
設置されている。目的別話題別などに分類して設置され、さまざまな書き
込みメッセージを通じてのコミュニケーションの場。
* Sysop : System Operator の略。パソコン通信ネット局の維持者あるいは
主催者を指す。シスオペと読む。
ネットによってはボードごと、また話題ごとにシグオペ Sigop を置いたりもする。
* オンライン 通信中の意味。オフラインは通信をしていない状態を指す。
* Wterm : DOS 版の通信ソフト
* VZ : テキストエディタ
* FD : ファイル整理用のツール
●私のパソコン歴と通信歴
画面の左すみにあるそっけないコマンド待ち画面に wterm と入力すれば通
信ソフトを起動することができる、その他ディレクトリの移動方法や VZ でテ
キスト文書を作成する方法、そして、パソコンを動かすために起動時にいくつ
かの設定を読み込む config.sys と autoexec.bat というファイルがあること
くらいを教えてもらいました。約1時間ほどのことでした。パソコンの具体的
な使用方法を教えてもらったのはこの時だけだったかもしれません。小さなノー
トマシンでしたが、やっとパソコンを使って通信が出来ることにとてもわくわ
くしました。
その頃の私にとったらたとえ小さなノートパソコンといえどもパソコンはパ
ソコン、自分がわからないよけいなことは決していじってはいけない、お馬鹿
をやって起動しなくなったら困る、そんな風に思っていました。それでもこの
小さなノートを半年ばかり使うと、やはりもう少し大きなもっとパソコンらし
いパソコンを使ってみたくなりました。
ディスクトップの 98DX がパソコンらしいパソコンとして使った最初の機種
になります。286 マシンで、ハードディスクは今から考えると隔世の感があり
ますが、なんと40M でした。この 40M を2つの領域に分けて A ドライブ、B
ドライブとして使っていました。現在では 1G や 2G のハードディスクをごく
普通に使っているわけですから、当時のパソコンがいかにシンプルなものだっ
たかハードディスクの容量ひとつからでも分かります。
ディスクトップといっても基本的な使い方はノートパソコンと同じことです
から、1週間もすればマシンには慣れてしまいます。せっかくディスクトップ
を購入したのだから、パソコンで使えるワープロをインストールしようと思い、
あれこれ迷い結局選んだのは Wordperfect というアメリカ生まれのワープロ
でした。ワープロのインストールは出来てもなにしろ 286 マシンでしたから、
動いてもらうには少々の苦労はありました。小さいマシンにむりやりでっかい
ものを詰め込んだ、実態はそういうことだったのでしょうが、いかにしたら動
くか、ワープロを使うより先にそのことで苦労するはめに陥りました。しかし、
工夫次第では使うことが出来るのだということを知ったのは少々おもしろい経
験だったと思います。パソコンを使っていて、うまくいかない時、いや、なん
とかなるはずだと考えてさまざまな工夫にチャレンジする、あるいは動かない
原因を追求する、このようなことは謎解きのようでとてもおもしろいものです。
パソコンとつき合う時、このような態度はとても大事なことですが、パソコン
という世界の深みにはまる始まりにもなるわけです。
Wordperfect は、現在は当然 Win 版を使用していますが、当時の DOS 版は、
IBM 独特のブルーの画面がとても印象的なワープロで、職人技?が必要ではな
いかと思うほど操作が複雑でした。しかしながらこのワープロで見たコード画
面が私にとっては非常に興味あるものでした。そして、このワープロを導入し
たために、ページプリンタを購入することにもなりました。従来のプリンタと
いうのはドットプリンタが主流でしたが、 Wordperfect はページプリンタを
標準にしているワープロでした。発売されたばかりのリコー SP2000 は
400dpi のページプリンタでこれで印刷したものは、文字にぎざぎざがなくはっ
きりいってとても美しい。レーザープリンタが一般的に普及するちょっと前の
ことでした。
もうひとつ興味を持ってインストールしたのが楽譜入力のためのレコンポー
ザでした。楽譜の入力もまたとてもおもしろいものでした。
このマシンを使いつつ通信ネット上ではさまざまなことを知る機会に恵まれ
ました。パソコン通信というのは思いもよらなかった素晴らしい出会いにも恵
まれますが、一方では、人の姿が見えないためにトラブルも起こりがちでもあ
ります。通信には通信のエチケット(これをネチケットとも言うそうですが)は
当然あるわけです。とはいえ、本当は何も特別なことが必要なわけではなくて、
ごく普通の人と人のおつき合いについてのマナーであることは言うまでもあり
ません。
さまざまな場での出会いを通じて、私にとっては通信に必要なことは通信で
学んだ時代だったのかもしれません。画面の向こうにたくさんの人がいること
はわかっていても、実際は「画面に表示される言葉」でのやり取りになるわけ
で、ボードという場に集っているはずの目には見えない多くの人の存在を意識
することは本当はとても大事なことだと思います。
さらに、すべての人が文章での表現にたけているわけではないのも当然のこ
とで、「画面上で見る言葉」というのは、電話のような会話でもなく、また紙
に書かれた書き言葉とも違うように思います。そしていくつものメッセージを
読むにはタイムラグもあります。通信画面上のやり取りは双方向でのコミュニ
ケーションも可能だとは言ってもそれはあくまで可能性だけの問題に過ぎない
し、突然飛躍が出来るものでもありません。ただただ日常の反映でしかないと
は思うものの、通信でのコミュニケーションは、今までには経験しなかった新
しい手段であるのは確かだろうと思いました。
パソコンにまつわるいろいろのことについて特に勉強をしたという記憶はほ
とんどないのですが、いつのまにかいろいろと教えてくださる先輩に恵まれて
しまったのはとても幸いなことでした。
たとえばたいていの BBS には通信をするために便利なフリー(*)のアプリケー
ションツールを中心にさまざまなものが登録されていますから、それらを使っ
てみることで知らず知らずパソコンを使う腕はあがるものです。とりわけその
ネット専用のオリジナルツールでもあれば、そのプログラムの作者の方もネッ
トワーカーとして参加されていたりしますから、質問やバグ報告、あるいは使
い方のアイディア交換など、ボード上ではとてもおもしろい話が展開すること
もあるものです。
私もネット上にあるさまざまなアプリケーションを使ってみることで、パソ
コンを動かすさまざまな設定ファイルの扱い方を知り、自分の環境にあわせて
設定ファイルを書き換える方法も少しづつ知っていきました。こういうことを
やっていれば、ファイルの送信もテキストだけでなく、圧縮ファイルを送信受
信する方法、そして受け取ったものを解凍するといった方法なども知るわけで、
通信を楽しみながら、パソコンの操作方法も自然に学んでいきました。何よ
りも好奇心がパソコンを使うおもしろさをますます広げていったのかもしれま
せん。
いつのまにか簡単なバッチファイルなら自分で作ることも出来るようになっ
たし、こうしたらこのように動いてくれるのではないかと、さまざまなスクリ
プトファイルをながめつつ、自分なりにいろんな工夫をして楽しんだものです。
パソコンの操作方法についてはまさにダイレクトに「通信教育」を受けたよう
なものでした。
98DX を使用していた頃に多くのパソコンの先輩からパソコンを使うための
基本を習った、そんな感じがあります。通信をしていなかったら絶対に出会う
ことのない人たちに出会い、さまざまなことを話す機会に恵まれたわけですか
ら、私にとって通信はますます魅力あることで、楽しいものになってしまった
のです。
1993 年12 月にはじめての PC/AT 機 486,66M を購入しました。DOS/V 機と
呼ばれた IBM 互換マシンです。このような輸入マシンが日本に登場した最初
の頃で、Windows が登場し、日本では個人用のパソコンが大きく姿を変えよう
としていた時期でした。このマシンには Windows3.0 がプレインストールされ
ていました。メインスイッチを入れると、Windows が起動してくるマシンとい
うのは、個人使用のマシンとしては画期的なものだったわけです。購入後すぐ
Windows3.1 に入れかえました。それからしばらくして、WindowsNTの最初の版
が発売された頃に、ほぼ同時に出た IBM の OS/2 Warp に移行しました。
OS/2 Warp と出会ったことは、私にとってはとても大きなことでした。その
後、OS/2 そのものは新たな製品を出すことなくマイナーなままになってしまっ
ているようです。しかし、現在も Warp は私の好きな OS のひとつですし、根
強いファンは存在するようです。OS/2 は思いのほか私が満足する OS だった
し、なによりもブートマネジャーを備えていたことが Linux と出会うきっか
けを作ってくれました。この 486マシンをメインに使用していたのは約2年ほ
どでした。
短い間に私は 98系の DOS のみのマシン、windows が動く 486 AT マシン、
そして、UNIX 系 OS が動くPentium AT マシンを経験してきています。この
10年ほどの間、パソコンは本当に大きく変化しているのではないかと思います。
最初はおそるおそるいじっていた私も、いつのまにか OS のインストールはす
べて自分でやるようになっていました。想像も出来なかったことですが。
PC/ATマシンを持つようになって、どうしようもなくマシン本体のカバーを
はずし、カードの引き抜きや差し込みをし、ごちゃごちゃしたケーブルをつな
ぎまわるようになりました。あいからずのハード音痴の私にはそれほど大層な
ことはできないのですが、カードを差し込んだり、ハードディスクを取り付け
たりとこのようなマシンを持った以上は自前が原則のようなものです。元来、
電気系統は嫌いなので、恐ろしいと思うこともたくさんあるわけで、持つべき
ものはこのような作業をいとわず助けてくれるハード好きな友達かもしれませ
ん。やったぁ!というその一言を楽しみにさまざまな設定に手を出すようにな
り、いつのまにか自分のマシンは自分で環境作りをする、そんな深みにまで足
をつっこんでしまったのです。
しかしながら、私がひとりで孤立してパソコンを使っていたならこんな風
にはならなかったでしょう。これも通信のなせるわざ。導きの手、あるいは
「どつぼ」にはまる誘惑の手は、パソコン通信をすることでどこからでも伸び
てきました。ハード面にしろソフト面にしろ、ついつい乗りよくリアクショ
ンを起こしてしまったことで何かわからないことにぶつかれば、通信上のボー
ドや nifty のフォーラムで聞き、教えて頂きました。いつしか通信で情報を得
る方法、調べる方法を知らず知らず知っていくことになったのです。
自分がぶつかったことで誰かの助言で解決できたような経験を一度でも持て
ば、そのうちに自分が分かることは誰かに教えてあげたくなります。そんなや
り取りで互いに関わりが生まれて来ることにパソコン通信のおもしろさの秘密
があるようです。これはパソコンそのものの話題に限らず、どんな話題に関し
ても同じことだと思います。互いにサポートしあうことで自然にボランティア
感覚が生まれるのかもしれません。こういうことを指して「通信は give and
take の世界」だとか、「情報を提供する方法とか得る方法」といったように
説明することもあるようですが、その実体はきわめて自然発生的なものでもあ
るでしょうし、こうしなければならないというような方法があるわけでもない
と思います。人が集まる場に自然に生まれる流れに乗る方法を身に付けて
いくことも通信では大事なことかもしれません。
通信で得られるパソコンそのものに関する情報というのはとりわけとても豊
富です。パソコン通信はそもそもが「パソコン」の世界のことですから、パソ
コンが好きな人たちの情報交換のメディアになるのは当然のことです。日常的
な話題からヒントを得ることも多いですが、他の方の質問やそれに対する回答
がまずはとても参考になりますし、自分が作成したプログラムを公表する場で
もあるし、よくある質問をまとめて FAQ を作る、さまざまな設定についての
HOWTO をまとめるといった作業に積極的に関わる人も多いですから、情報は自
ずと蓄積されるわけです。登録されているものは、特別な場合をのぞいて、誰
でも見ることが出来ますから、検索キーなどを駆使すれば割合短時間にとても
たくさんの関連情報を得ることが出来るわけです。
私が Linux というものがあることを知ったのは niftyserve のあるフォー
ラムでのことでした。ボードやフォーラムは多くの人が見ていますから、そこ
で私が一言つぶやけば、その一言に関心を持った誰かがまたつぶやいてくれる
こともあります。たとえば、私が OS/2 をインストールした後、3つ目のパー
ティションに何を入れようかとつぶやいていたら、「それはもう Linux しか
ありません」と答えてくださった方がおられました。そこで始めて Linux と
いう名前を知り、それは私にとってはとても大きな影響を与えてしまうもの
になったのです。
その後、私は Linux を通じてインターネットを使うことの醍醐味とおもし
ろさを味わうことになりますし、あの時の、じゃあ Linux にしたらどうです
か、という一言はやはり今でも記憶に残っていますし、もちろん誰の発言だっ
たかも覚えており、その一言で「はまってしまった」のかもしれませんが、私
はその方に今でも密かに感謝しているのです。
現在私が使っているメインマシンは、1996年に、マシンの発注から仕様に関
する注文までインターネットメールを使って通信販売で購入しました。いわゆ
るショップブランドと言われるマシンです。Pentium 166、メモリ32Mb、ハー
ドディスクは、1.2Gがひとつ、 2GB が2つ、ディスプレイ17インチのマシ
ンです。秋葉原や日本橋めぐりのおもしろさはジャンク屋さん回りにあること
はよく分かるのですが、私にはそこまでは出来ませんから通信を通じてのショッ
プからの情報は貴重です。
このマシンには Windows 95 のみプレインストールしてもらいましたが、私
はほとんど使ったことがありません。主に使用する OS は Linux で、2種類
の kernel バージョンの Linux が入っています。もちろんその Linux は自分
でインストールしたものです。
Linux が2つあるのは、どちらかひとつの Linux は何かのテストのために
インストールしていることが多いからです。Linux の Community にはさまざ
まな目的を持った小さなグループがあり、現在私は Plagiaware(*) というパッ
ケージのテストインストールの ML に参加しています。私には、ただただイン
ストールし動作報告をするという程度のことしか出来ませんが、ベータ版は試
用することで鍛えられてもいく、そのような作業に参加するのはとてもおもし
ろいことだと思います。
という具合に、私はこれまでに4台のパソコンを使ってきましたが、実質は
約6年ほどの間のことであり、それほど前からパソコンを使ってきたわけでも
なく、パソコンに関しては個人用マシンが整備されてからのむしろ新しいユー
ザでもあるのです。
1995年頃からインターネットへのアクセスを始め、1998年現在で通
信歴は約8年、実質は7年ほどの間、私は日々どこかのネットにアクセスし続
けてきたことになります。
通信に参加するようになってからの足どりを年表風にまとめてみました。
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1990 年の夏頃に「パソコン通信」の電子掲示板を始めて見る。
1990 年8月、京都市民のネットワークの ID を取得
1990 年12 月頃 98note を手に入れる
いくつかのパソコン通信局の会員になる。
1992 98DX2 を購入 HDD は 40M だった。
1992.8 98で Wordperfect を使う。
1993.3 niftyserve の ID を取得
compuserve の ID を取得
1993 DOS/V 機486,66M
Windows3.0
Windows3.1
1993 twics のアカウントを取得
DOS/V 機に SCSI カードなどをつける。
HDD が4つあるパソコン!総合計は500+500+1G+1G(3GB)
1994.8 パソコン通信ネット局ザビエルネット設立
1995.3 OS/2 Warp に TCP/IP ソフトを入れる。
1995.4 kyoto-inet の運営開始4月から正式運営
1995.5 Linux を初めてインストールする(slackware2.0 kernel 1.1.59)
1995.7 twics が PPP接続サービスを開始した。
1995. Linux で ppp接続の設定
1995.10 kyoto-inet.or.jp に jeanne ホームページ開始
1995.11 京都教区のホームページ開始(1997年6月まで)
1995.11 Windows95 の発売
1995.12月4日 Linux の創始者 Linus 氏来日、京都大学での講演会に参加
1996.5 Linux のひとつのコミュニティである JF ML に参加し、
HOWTO 文書等の日本語訳の作業に参加
1996 ペンチアム機購入( Pentium 166、メモリ32Mb)
HDD は3つ 1G+2G+2G(5GB)
パソコンが2台になったので LAN にチャレンジ
1997.6 ザビエルネットを終了し、
7月 個人運営のパソコン通信局 Jam House をスタート
1998.2 INS 64 回線をひく
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(*)Plagiaware: Plagiaware とは Slackware 3.3 と PJE を融合した Linux
システムです。1998年7月に Plamo Linux という名称に変更。「インストール初心者」と
「インストールを楽にやってしまいたい人」向けのお勧めパッケージです。
日本語インストーラの検討や専用 bood disk の作成を中心にパッケージが
作成されています。
Plamo Linuxで公開されています。
商用パッケージではありませんから、さまざまな「試み」をもパッケー
ジされたものとも言えますから、誰にでもお勧めとは言えないかもしれません。
しかし、Linux の初心者向けのパッケージにしようとの試みでもあるわけです
から、興味と関心のある方はどうぞ使ってみてください。私にはとても魅力的
なものです。
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