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第2章 コンピュータネットワーク

●1995年の飛躍
   1990年代は、DOS のみのマシンから、93年以降は Windows を搭載し
たパソコンが登場しました。それまではモノクロ画面で文字だけを眺めていた
といってもいいほどパソコンの画面というのはそっけないものでしたが、
Windows の登場で一挙カラー化し、パソコンは GUI(*) 化が進み、パソコンの
操作はコマンド入力から、マウスでクリックの操作に変化しました。さらに
Windows 95 の登場によってほとんどのことが自動設定されるようになり、さ
らに華やかな画面に様変わりし、「コマンド」という言葉はいつのまにか聞か
れないようになっていきます。高速のマシンに大容量のハードディスクが付い
たマシンが登場し、当然ながら、パソコン「通信」の世界にも大きな変化がやっ
てきます。

  Windows3.1 の操作にはコマンドを使わねばならない余地がまだ十分あった
ように思います。ですからパソコンが変わったというなら、本当の境目の年は、
Windows 95 が登場した95年頃と言えるのではないでしょうか。GUI 化によっ
てパソコンは目に見える部分がまずは変化しましたが、操作のほとんどはマウ
スで出来るようになり、コマンドを入力しなくてはいけない操作から解放され
て、何より違ってきたのは「ユーザ」のパソコンに対するイメージだと思いま
す。それまでパソコンはとっつきの悪いもの、恐いものというイメージがあり、
高価なものでもありましたから、誰もが簡単に手に入れることが出来るもので
もなかったわけです。

   特に日本ではパソコンよりはワープロ専用機が先行して普及したので、パ
ソコンとワープロがどう違うのかについては一般的にはとてもわかりにくい状
況になったのではないかと思います。せっかくパソコンを導入しても動いてい
るのは一太郎のようなワープロだけということになると、パソコンを使う意味
はなかなか把握しにくいと思います。どうしてもコマンドになじめない人は 
MAC に逃げる、そんなことが言われた時代もありました。私自身は MAC を使っ
た経験はないのですが、マウスでアイコンをクリックすれば、やりたい作業が
出来る、これは仕事に専念できるだろうという意味ではやはり素晴らしいこと
だとは思います。MAC というマシンに対して、ある種のあこがれのようなもの
はありましたが、操作の点では私向きではないだろうなとその頃から密かに思っ
ていました。
  
  私にとって、DOS マシンから Windows3.1 への変化にはそれほど違和感はな
く、きわめて自然だったように思います。コマンドを使いつつ、マウスでクリッ
クという操作を併用することで、パソコンはより便利で使いやすいものになっ
たと思いました。その併用状態の次に私は Linux を使うようになりましたか
ら、DOS だけのマシンの頃よりもっとコマンドと仲良くなっていく道を選んだ
ことになります。ですから、Windows 95 を始めて操作した時にはとても抵抗を
感じることになってしまいました。何に?はい、ハードウェアなどを自動的に
検出してくれたりすることはとてもありがたいと思ったのですが、日常的な作
業の多くは、こうしたいという私の都合より、 Windows 95 の都合が先行
するような動きに抵抗を感じたのかもしれません。
  

●インターネットの普及
  95年という年は「通信」という分野においては、やはり記憶しておく必要
のある年であるかもしれません。95年の春、京都市では kyoto-inet が運営
テストを始め、4月から正式開業をしました。
  93年に私はすでに twics のアカウントを取得していました。93年頃と
いうのは、日本にはまだプロバイダと言われるものはほとんどなく、一般的に
はインターネットの普及はまだまだという状態でした。そんな頃でしたが、た
またま twics を知り(もちろん通信で)、パソコン通信の延長くらいの考えで
私はアカウントを取りました。

  その頃はごく普通のパソコン通信用ソフトでインターネットにもアクセスし
ていたわけです。twics のマニュアル(なんと英文しかなったのです)を頼りに、
telnet を利用してさまざまなサイトに飛ぶ、また ftp や gopher を試したり
しました。
  現在の netscape のようなプラウザなどあるはずはなく、たとえあったとし
ても私は使える環境を持っていなかったわけです。twics では lynx(*) が使
えたので、 www は文字画面で見ていました。もちろん日本には一般的に加入
出来るプロバイダも数えるほどしかありませんでしたし、当然日本にはホーム
ページなどまだなかった時代(どこかには存在したのかもしれませんが)ですか
ら、アメリカのホームページを見て、文字情報のみでしたが、なんだかすごい
世界があるのだと思っていたわけです。
  ホームページにある絵や写真を見るためには、このような方法で接続してい
るのではだめなのだと、そのことだけはわかりました。絵や写真を見るために
は何か違う方法があるのだということはわかりましたが、それは、どこがどう
いう方法なのか、何が違うのかということはその時はまるでわからなかったわ
けです。でも、あとになってppp 接続の設定をする時には、lynx での体験は
とても役立ちました。

  付け加えておくと、テキストベースのプラウザというのは当然ながら文字情
報のみになるわけですから、見た目には地味なものです。しかし現在、ほとん
どすべてのものが GUI ベースになったからといって、 テキストベースのプラ
ウザはもう古いものだ、そういう風に言ってしまえない魅力が あるし、目的
によって文字ベースのプラウザの方が有効な場合もあるわけです。私は何をし
たいのか、それを考えることはとても大事なことで、よけいなことに惑わされ
ることなく、それぞれの方法の特徴や限界を知った上で、当り前のことですが
目的に応じてアプリケーションを使い分ける、lynx はこんな基本的態度に気
づかせてくれた貴重な体験だったと思います。

  テキストベースの www プラウザ lynx について少し説明しておきます。私
のマシンには今も lynx がインストールされています。これは私にとってはト
レーニングツールのようなものかもしれません。シンプルな動きをするもので
すから、ハイパーテキストとは何なのかというようなことについて、ものごと
の基本を観察できるおもしろさもあるわけです。たとえば以下のようなコマン
ドを入力してやると、私のホームページは文字のみで表示されます。

chie:~$lynx web.kyoto-inet.or.jp/people/jeanne

 Chie Nakatani Home Page (p1 of 10)
_________________________________________________________________
 
Welcome to Chie Nakatani Home Page "Fantasia"
_________________________________________________________________

ここでは表題のみで略しますが、表紙タイトルがこんな風に表示され、画面下
部には操作ヘルプが表示されます。
-- press space for next page --
  Arrow keys: Up and Down to move. Right to follow a link; Left to go back.
 H)elp O)ptions P)rint G)o M)ain screen Q)uit /=search [delete]=history list
このようなキー操作でホームページ上の文字情報のみを見ることが出来ます。
もちろん設定する必要はありますが、日本語も可能です。

  最初は twics のアクセスポイントに直接つないでいたのですが、なにせ東
京にあるプロバイダですから、電話代も気になります。そうこうするうちに 
niftyserve から telnet で twics に入るルートを取れることもわかりました。
こんな形で私はインターネットを体験していました。
  私がプラウザを使って始めて「ホームページ」を見たのは95年の5月頃で
した。ある大学の UNIX ワークステーションの端末から初めてみた「ホームペー
ジ」は、アラスカに住む家族の暮らしのレポートだったのを強烈に覚えていま
す。

  kyoto-inet の正式運用は95年4月からでしたが、インターネットの入口
になるプロバイダへの接続は ppp 接続(*)が当然の方法になっていきます。
95年7月には twics も ppp 接続サービスを開始しています。
  
  95年の5月頃に、私は自分のマシンに Linux をインストールしました。
インストールしたとは言っても初めて体験する UNIX ですから、すぐ使える状
態ではありません。ls でファイルを表示させ、cd であちこちのディレクトリ
を散歩する、そんなことから使う練習を始め、少しづつ環境の整備をしました。
そして、一方では Windows 3.1 に TCP/IP(*) ソフトをインストールし、
Windows 3.1 から ppp 接続でインターネットを利用出来るようにしました。
この時使ったのが Trumpet Winsock 2.1 でした。
  この頃盛んに聞かれた言葉が「モザイク Mosaic」だったように覚えていま
す。www プラウザのひとつで「モザイク」がインターネットを「見る」代名詞
のように使われていたのではなかったでしょうか。一般的にはインターネット
=ホームページであるかのような錯覚に陥ったのかもしれません。実際、イン
ターネット上の資源は「見る」ものばかりではないはずですが、どうしても視
覚に訴える華やかなものに最初に目が向くのは仕方がないことですね。

   Linux から kyoto-inet に接続するようになって、私も Linux 版の 
Mosaic をインストールしました。その後に出た netscape に比べたらシンプ
ルで質素な画面を表示しましたが、始めて見るさまざまなホームページにはや
はり感激しました。当時の Linux 版 netscape は日本語を表示することが出
来ず、日本語の部分を見る時は Mosaic を使うという期間がかなりあったよう
に思います。

  私が kyoto-inet にホームページを登録したのは95年10月頃でした。登
録した時ホームページの数はまだ30ほどしかありませんでした。11月にカ
トリック京都教区のホームページを団体会員で登録したのですが、団体会員の
ホームページは確か10もなかったように覚えています。

  html (*)の書き方についての本もまだ出版されていない頃でした。お手本は
すでにあるアメリカのホームページの html ソースを参考にしつつ書き方を覚
えました。ですから、私は今でも html はエディタで手書きします。その方が
早いし、シンプルな形で簡単に書けるからです。ホームページが一挙に増加し
たのは、95年末に Windows 95 が発売された後の翌年の春頃からだったと思
います。信じられない勢いで個人のホームページ登録が増えていきましたが、
私のような Linux のユーザにとってはちょっと使いにくいホームページもど
んどん増えて行ったのです。たとえば文字のフォントサイズが指定されること
で豆つぶほどの大きさの文字で表示されてしまうとか、やたらにいろんなこと
を指定されるがために逆に非常に見にくいページが増えていくことになったの
す。

   本来 html というのは、ハイパーテキスト環境を実現するためのもので、
情報の在処をホームページから直結で結ぶ(リンクする)ところにその目的があ
ります。誰でもホームページを作成するようになって、その目的を超えて、自
分のホームページは自己表現手段となり、ワープロ的な表現方法が加わってき
たということになるのでしょう。現在のところは、 html のタグ文法が 
RFC(*) 基準違反になるものもあるようですが、これからのホームページは個
人の表現手段として存在するようになる可能性も十分にあるわけですから、新
しい基準に拡大対応していく方向はあるのだと思います。

  ホームページとは、そもそもは情報資源を有効に利用しようという考えのも
とで登場したものですから、「美しく見える」ことよりも、何よりも充実した
内容であることが問われるものだと思います。見栄えも大事な要素ではあるけ
れど、本来は実用性の高いものほどより有効なわけで、私自身はシンプルで使
いやすく、そして、どんなプラウザで見ようが基本的な形は崩れないホームペー
ジにしたいとは思っています。どんなに凝ったものを作っても、違った環境の
人は自分が想定する画面で見ているとは限らないわけですから。
  個人のホームページがどんどん作られる一方で、プラウザも多機能になって
いきます。最新のプラウザだと、メールの受信送信からニュースグループの購
読、ftp や telnet もごく普通に使えますし、ここで是非は問いませんが、プ
ラウザひとつでほとんどの用が足りてしまうほどの機能を持つものがあります。

html の最新は HTML 4.0('98 Feb.現在)
W3C's HTML Home Page

  ところで、「ホームページ」という名称ですが、これは UNIX で伝統的に使
われてきたディレクトリに対する名称からつけられたものだと思いますが、本
当のところはどうでしょうか。マルチユーザを登録出来る UNIX 系 OS では、
個々のローカルユーザには /home というディレクトリの下に、それぞれのユー
ザのホームディレクトリが作られます。プロバイダに登録すると、そのホスト
マシンにローカルユーザとして登録してもらえるということで、「ホームペー
ジ」はまさしくパソコンのなかの「私の部屋」。自分の机の上にあるマシンが
自分の本家なら、ホームページは別荘のようなもの、別荘がリモートでコント
ロール出来るわけですから、工夫次第でいろんなことが出来るのは素晴らしい
ですよね。

   さて、忘れられないのは、95年の12月に Linux の創始者 Linus(*) さん
が来日し、12月5日に京都大学に来られ講演会が開催されたことです。これ
は、Linux Community にとっての重大事で一般性のある話題ではありませんが、
この講演会の準備から関わることが出来た私にはとても大きな出来事になりま
した。これを契機に JF(*) を始めとする Linux に関わるいくつかのメーリング
リスト(ML)(*)に参加することになり、インターネットを利用する機会が増え、
そしてインターネットはより身近なものになっていきました。

  Windows 95 が出てから、個人が持つパソコンの環境はとても大きく変化し、
当然ながらパソコン通信の世界は大きく変化しました。
  その昔?「パソコン通信を始める」ということは、大きな規模で運営されて
いる商用の通信ネット局や草の根のネットと言われる各地に存在する BBS へ
接続することが第一歩だったわけですが、まずはここの状況がとても大きく変
わってきました。Windows 95 からパソコンを使い始めた人にとっては、その
パソコンを買う目的の多くが「インターネット」の利用を始めることであり、
「インターネットに接続する」ことが通信の第一歩になったわけです。 した
がってパソコンユーザが増加し、通信をする人が増えても、BBS を利用する人
はそれほど増えなかったと思います。おまけに、BBS は存在そのものがアング
ラ的なわけですから、その存在がわかりにくいし、インターネットが一般的に
普及することで、BBS へのアクセスはやはり減る傾向にあったと思います。草
の根の小さな BBS と商用プロバイダの区別がつかない人が現れてきたり、BBS 
の Sysop に自分の通信ソフトの設定からくるトラブル対処を求めて来たりす
る、そのような現象がぼつぼつ現れてきたのも、Windows95 発売以後の96年
頃からでした。


MS-DOS:Microsoft Disk Operating System
GUI: Graical User Interfaces
Linus : Linux B. Torvalds 
JF : Japanese FAQ Project の略。Linux に関連する日本語文書や収集、
  また翻訳などの作業活動している。
   The Linux JF Homepages の所在は
  JF の部屋
ML : メーリングリストの略
RFC : Request for Comments コメント要求。定義文書
  http://sunsite.auc.dk/RFC/">The RFC HyperText Archive at SunSITE, DK
  http://pubweb.nexor.co.uk/public/rfc/index/rfc.html


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